第1部 M県S市杜王町
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「かわいいわぁ〜…。」
控えめにそう呟く聖子さんの声で目が覚めた。目を開けると聖子さんがうっとりとした表情でこちらを見ていて、寝ぼけ眼で横を見ると典親と、典明の寝顔が見えた。……確かに、かわいい…ここは、天国か…?なんて、不謹慎なことが頭に浮かぶ。
というか、典明、魂なのに眠るんだ。初めて見る。
生前は何度も見た顔だが、今、気持ちよさそうに眠る彼の寝顔はとても幸せそうで、かわいい。とてもかわいい。いつもかっこいい典明だが、たまに、どうしようもなくかわいく思えてしまう。愛おしい。
「うぅ、ん…ママ…?」
典親の寝惚けた声を聞いて、典明は目を開けて体を起こした。そして、聖子さんがいて、私と一緒に自分を見ている事に気づいて驚いて固まってしまった。
「ふふ。典親、典明、おはよう。」
そう言って典親の頬にキスをすると擽ったそうに身を捩って「ふふ。おはよう。パパ、ママ。」と朝から天使の微笑みが炸裂した。
昨日はイギーに触れる練習ができなかったので、今日は広めの公園へとやってきた。聖子さんはお留守番だ。
「ほら、典親。怖くない。怖くないよ。」
典親と手を繋いで、少しずつイギーへと近づいていく。イギーの顔側から一歩ずつ近づいていくが、一定の距離に入るとイギーは、いつも、そっぽを向いてしまう。何度やっても同じだった。
これは、イギーの問題なのか、典親の問題なのか。
「なんでッ…!」
プライドの高い典親は、ついに泣き出してしまった。できなくて、悲しくて泣いているのではない。悔しくて泣いているのだ。私は典親の涙をハンカチで優しく拭いながら聞いた。
「典親。イギーと仲良くなりたいんだよね?今、どういう気持ちでイギーに近づいたの?教えて。」
典親が自分の気持ちを話しやすいように、優しく、ゆっくり問うた。彼は質問の意味を考え、ゆっくりと話し始めた。
「早く、触りたいって。触らせてほしいって。」
返ってきた答えは、実に子供らしくて、私は安心した。しかし、それではイギーは、触らせてはくれないのだ。
「そうだね。早く触りたいよね。でもね、典親。イギーにも、イギーのタイミングがあるの。イギーの反応を見たら、今の典親にも分かるはずだよ。イギーの事、よーく観察して。」
「タイミング…観察…。」
そう言って典親は私の手を離し、両手をしゃがんだ膝の上に置いてじっとイギーを見た。既に、涙は止まっている。
「よーく観察して、大丈夫だと思ったら、ゆっくり手を伸ばすの。こちらから先に触っちゃダメよ。」
私の言葉を聞き、典親は一層集中してイギーを見る。そして、ゆっくりと手を伸ばした。ピク、とイギーの耳が動いたのを見て手を止める。上手だ…飲み込みが早い。
「緊張しないで…噛まれてもいいや、って広い気持ちで、そのまま待ってて。」
そう言うとさすがにえっ、という顔をこちらに見せたが私は笑顔を返した。典親の後ろの典明は心配そうな顔をしている。これでは、典明の不安が移ってしまう。
「典明。」
典明を呼び手招きすると、彼は典親に心配の視線を送りながらも私の元へやってきた。私は彼の手を握って「大丈夫だよ。」と伝えた。典親と、イギーを信じろと。しゃがんで手を取り合い見つめ合っていると、典親の「あ。」という声がして、2人でそちらを見る。するとどうだろう。イギーが、チョンチョン、と典親の差し出した指先に鼻を当てているではないか。そのまま待て、とジェスチャーを送ると典親は頷き、再びイギーを見る。そして、ついに、イギーはその頭を、一度典親の手に擦り付けたのだ。
「撫でて!」
私がそう言うが早いか、典親はイギーの頭を撫で、嬉しそうな顔でこちらを見ていた。嬉しい…!
私は典親とイギーを抱き上げ、思わずクルクルと回った。大好きな2人の距離が近づいて、嬉しくて堪らないのだ。
「ママ!危ない!」
「うはは!ごめん嬉しくて。典親、すごいねぇ。」
頬にキスをしてから、2人を地面に下ろしてあげる。イギーは少し目を回してしまっているので、あとでガムをあげよう。
「別に。パパとママの子だし。」
照れているのか、そうは言いながらも嬉しそうな態度は隠しきれていない。思わず典明と手を取り合うと「かわいい。僕たちの子、かわいい。」と典明は自分が言われると怒る癖に、典親の事をかわいいかわいいと連呼した。「典明に似てかわいい。」そう言うと「違う。典親のかわいいところは、君にそっくりだ。」と唇を尖らせて反論してきたが、どっちでもいい。私は、典親も、典明も、どっちもかわいいのだ。
「また2人の世界に入ってる…。」「アギ…。」
いつの間に仲良くなったのか、イギーは典親の膝の上にいて、2人で呆れたような顔でこちらを見ていて、典明と顔を見合わせて2人で笑いあった。
「ただいま〜。疲れたぁ…。」
あの後、イギーと公園で走り回って遊んで、気づいたら夕方の5時だったので私が全員を抱えてダッシュで帰ってきた。別に急がなくとも良かったのだが、聖子さんが寂しい思いをしていないかと心配だったのだ。
滅多に味わえないスピードに、典親は相当楽しかったようで良かったが。
「さ、手を洗おうね。」
洗面所まで歩いていく道中、聖子さんが「おかえり。おやつあるわよ。」と言うので、典親は元気を取り戻し、張り切って手洗いをしていたのが微笑ましい。
「チェリーだ!」
典親は典明に似てチェリーが好きなようで、テーブルに置かれたチェリーを前に飛び跳ねている。「いただきまーす!」の挨拶のあと、レロレロとチェリーを食べる姿は在りし日の典明の姿そっくりで、ついボーッと眺めてしまう。「ママ、食べないの?」と典親が言うのでひとつ口に含んだが…。チラリ、と典明を見ると、なんだか食べたそうにしているように見えて可哀想だ。試しにひとつ摘んで典明の口元に持っていくと、彼は驚いた顔をした後、眉を下げた。食べられない、という事だろう。しかし、仏教には、お供え物という物があるのだ。どうにかして、彼に食べさせてあげられないだろうか?
「典明、口開けて。」
私の声に、典明は戸惑った表情を見せ、典親も、モグモグと口を動かしながらどうしたのかとこちらを見た。私は典明に、このチェリーを食べさせてあげたい。諦めない私に根負けして、典明は口を開けた。私が大好きな、彼の薄い唇が、その入口を開けた。そのまま彼の口の中へ、私の手ごとチェリーを入れると、彼は驚いて口を閉じた。「ふふ。かわいい。」思わずそう口から漏れたが、彼はそれどころじゃないようだ。ワタワタと手を動かす典明の手をあいた方の手で握ると彼は「味、味がする!」と言った。そして、笑顔を見せたかと思うと、彼は突然、涙を流したのだ。
「えっパパ、大丈夫!?」
典親が心配して立ち上がるが、私はそれを手で制して「大丈夫。パパ、嬉しくて泣いてるのよ。」と笑顔で教えてあげると、「そっか…。」と納得して座り直した。物分りのいい、いい子だ。
「パパ、良かったね。」
そう言う典親の純粋な言葉に、彼はさらに涙の量を増やした。こんな彼の姿は、初めて見る。私も嬉しくて、瞳に膜が張ってくるのが分かった。
「ママも、良かったね。」
私の涙を見た典親がそう言うので、ついにポロ、と涙が頬を伝った。
「明日、行っちゃうんだよね…?」
部屋を暗くして3人で並んだ布団の中、典親は小さな声でそう言った。昨日、お風呂に行った時に典明に聞いたのだろう。
「うん…悪い人を倒さなきゃ。」
言葉にすると軽く聞こえてしまうが、言葉通りなのだ。私が、私達が、やらなければならない。
「ホリィさんが、僕のパパとママは、すごいんだって言ってた。承太郎さんも。警察みたいに、町や、世界の平和を守ってるって。」
言葉にすると壮大だな。と思ったが、あながち間違いではないので、重要な仕事なのだと実感が湧いた。
「うん。そうだね。典親だけじゃなく、町の人達の事も守るお仕事だ。」
10年前の戦いを思い出す。あの時のような戦いが、また、起こるのだろうか。起こらない方がいいのだが、覚悟をしておいて、損はないだろう。
「僕、パパとママが大好きだよ。がんばってね。ずっと、待ってるから。」
"ずっと、待ってる"
その言葉を聞いて、私はハッとして典明を見た。彼も、こちらを見ている。
ずっと待ってる。これは、この言葉は、私達を語る上で大事な言葉だ。そうか、この子も…。
「ありがとう、典親…。今度は、承太郎と帰ってくるね。絶対。」
私がそう言って典親を抱きしめると、スルスルと、ハイエロファントの触手も私達を包んだ。温かい…。ぎゅ、と典親の背中を抱き、典明の手を、指を絡めて握る。この2人を、絶対に離したくない。離れたくない。絶対に守り抜こうと、この時私は、確かに誓った。