第5部 杜王町を離れるまで 後編
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「なまえちゃん。これ、頼まれてた物。」
「あ。ありがとうございます!」
聖子さんが鞄から取り出したのは、SPW財団から預かった荷物だ。これで、個展用衣装は全部揃った事になる。
「そういえば、イギーは大人しく財団に行けました?」
「あぁ、イギーちゃんね。うーん、大人しく、は難しかったかしらね…。でも、いい子にしてると思うわ。」
何の気なしに聞いた事だったが、その言い方では絶対に一悶着あったに違いない。普段聖子さんの前では大人しくしているが、財団員の事をあまり良く思っていないイギーは今、きっと好き勝手暴れ回り何かしら問題を起こしているだろう。引取りに行く際は、私も同席した方がいいかもしれない。
「なまえさん。そろそろ行こう。帰りが遅くなる。」
「露伴。そうだね、早く行って早く帰ってこよ。典明、聖子さんと典親をお願いね。」
「うん。気をつけて行っておいで。」
頬にキスをしてもらってやる気充分。これなら予定よりも早く終われるかもしれない。改めて「行ってきます」とみんなに告げて、露伴の運転で会場へと向かった。衣装は全て事前に車に積んであるし、先ほど受け取ったアクセサリー類も持ってきて、準備万端だ。
「やっと、始まるんだね。なんか緊張する。」
「そうだな…。なまえさん。今さらだが、"Tenmei"を描かせてもらって、感謝している。この数ヶ月間、僕にとってとても意味のあるものになったし、本当に有意義だった。」
「…ふふ、どういたしまして。私こそ、露伴の存在がいい刺激になって、前よりもいいものができた気がするよ。ピンクダークの少年も、反響がすごいんだって?」
「あぁ、おかげさまでな。君の扉絵も中々好評みたいだぜ。教えた甲斐があった。」
話を聞くと露伴宛のハガキに個展についての事や私自身の事を書いてくれている人も一部いるみたいで、集英社の方で纏めてあとで見せてくれるという。私は特定のファンレターの宛先などは作っていないため、少し申し訳なく思った。
「そういえば、貞夫さん、明後日来てくれるみたいでね。そっちもめちゃめちゃ緊張する…!」
そういえば伝えるのを忘れていたと、露伴に伝えると「…今まで聞くタイミングがなくて聞けなかったんだが…」と眉間に皺を寄せて、車が信号で停車した。なにか、怒らせるような事を言っただろうか?
「君の言う"貞夫さん"って、もしかして、…ジャズミュージシャンの空条貞夫の事か?」
「……そうだけど…言ってなかったっけ?」
「オイオイオイオイ、まじかよ、言ってないぜ。君が今まで会った事がないなんて、おかしいと思ってたんだ。そうか、海外で活動しているから…そういう事だったのか。」
どうやら伝えていなかった事に怒ってはいないらしい。むしろ世界的大スターに会える事が嬉しいみたいで「承太郎さんの家系は一体どうなっているんだ」と笑顔を浮かべていた。
「すみません、室内の明かりはもう少し暗めにして頂けますか?あと、スポットライトはもっとキャンバスから離して、このくらいの角度で…。」
「あぁ、いいんじゃあないか?なまえさん、この花はあの絵のところで良かったか?」
「うん、合ってるよ。この花がメインで見えるようにお願いね。」
会場の準備はほぼ全て終わっていて、既に組まれているセットの最終確認をし、この後は初日に行われるセレモニーのリハーサルだ。明後日は関係者のみの公開で、来週からいよいよ一般公開が始まる。会場内の真剣な空気を感じて、緊張感に体が震える。ついに、本当に実現するのだ。
「こうして見ると、この絵はいいな。無理してこのサイズのキャンバスを買って良かったよ。」
「うん。…ふふ、露伴の車、傷付いてたもんね。」
私と、露伴と、典明、三人で描いた、この個展のメインの絵。その大きさも然る事乍ら、三人のタッチの異なる絵がそれぞれを邪魔する事なく纏まっていて、且つ個性も残して1枚のキャンバスに収まっているのが奇跡的で、とても美しい。それぞれのサインも描かれており、典明が書いた"K"というサインはかなりレアだ。これは話題になるだろう。
「露伴先生、なまえさん、この度はおめでとうございますぅ。全部素敵ですけどぉ、この絵が一番いいですねぇ〜!ところで、この"K"って誰なんですかぁ?」
挨拶に来てくれた泉さんは案の定"K"について言及してきて、それに関する答えは「ナイショ」だ。それを聞いて「えぇ〜!気になるじゃないですかぁ〜!」と言いながらも、彼女は嬉しそうだ。
「露伴、入口からもう一回確認しよ。」
「そうだな。泉くん、君は着いてくるなよ。邪魔だからな。」
「露伴先生ひどぉい!もう、分かりましたよぉ。」
相変わらず泉さんに対して当たりが強すぎる。泉さんはさほど気にしていないようだが、普通の女の子ならば泣いてしまうのではないだろうか?
「君…よく似合っているが、それはエロすぎじゃあないか?」
「はぁ?」
会場内の確認後、各々衣装に着替えお披露目し合って、私を見た露伴の第一声がそれだった。服は露伴の着ているものと揃いで作ったのでそこまで大差はない。顬辺りをトントンと示しているので、目隠しとして着けているレースのアイマスクの事を言っているらしい。かわいくて気に入っているのだが。
「そんな事言ったって、極力メディアに出たくないのよ。年齢がバレると面倒だし。」
「それはそうだが…いや、それすらも芸術といえば芸術か。」
「そうそう。要は魅力的って事でしょ?」
ニコ、と笑顔を浮かべ手をヒラヒラ振ると「君って本当、ポジティブだよな」と呆れたような顔をされた。ポジティブって、いい事だと思うんだけどな。
「んー、我ながら完璧な衣装ができた。ネックレスも指輪も思い通りで良かった!」
「そうだな。こうして全て身につけてみると、いよいよだって実感が湧くな。」
「ね。めちゃめちゃ緊張するけど、少し寂しいかも。露伴と芸術について語ったり、一緒に制作したりするの楽しかったし。」
「あぁ…。誰かと一緒にこういった事をするのは初めてだったが、僕も楽しかったよ。君以外とは、するつもりはないがな。」
「えぇ〜、それ、口説いてる?」
「はは!あぁ、口説いてる。」
今日の露伴は特別に機嫌がいい。一応仕事で、それも外だというのに笑顔を浮かべており、通りがかった泉さんはそれを見て「露伴先生、なんだか楽しそうですね…」と若干引いているようだった。
「なまえさん、その衣装とっても素敵ですぅ〜!子供服だけじゃなくてぇ、大人向けの服も販売しないんですかぁ?欲しがる人、結構いそうですけどぉ。」
「そう?嬉しい。けど、私いつも忙しいから。時間があるなら"Tenmei"を描くのに宛てたいの。依頼してくれれば作るから、泉さんもこういうのが欲しいっていうのがあれば依頼して。」
「えぇ〜!本当ですかぁ!?」
昔はデザイナーになりたくて絵の方が趣味だったのに、気づいたら逆転してしまっていた。それでも後悔しているわけじゃないし、むしろ絵を描き続けた事で露伴と出会い、分かり合えたので幸せだ。今は絵を描いている方が楽しいのだ。
「彼女に依頼するなら、財布とよく相談してからにするんだな。なまえさん、そろそろ行こう。」
差し出された露伴の腕を取って「またあとでね」と泉さんに断ると、彼女は「はぁい」と返事をしながらも何か言いたげに目を細めた。じと、という効果音がつきそうだが、今はリハーサルが優先だ。
15分程のセレモニーのリハーサルを倍の時間をかけて念入りにチェックし終えて、来週の本番までの流れを確認し今日のところは撤収となった頃、泉さんがやってきて、やはりじと、とした顔で私達を見るので「なんなんだ君。言いたい事があるなら言えよ!」と、とうとう露伴が痺れを切らした。
「うーん…お二人、やっぱり付き合ってますよねぇ?露伴先生が女性に…いや、他人にこんなに優しいなんて、やっぱりおかしいですよ。」
泉さんも中々辛辣な事を言う。自分の担当している漫画家の先生の事を言っているとは到底思えなくて、あまりに正直なそれに、少し笑ってしまった。
「またそれか。付き合ってないと言ったところで信じないじゃあないか、君は。万が一付き合ってたとしても、君には教えないぞ、僕は。」
「付き合ってないなんて、信じられるわけないじゃないですかぁ〜!なまえさん、どうなんですかぁ?」
私の手を取って迫ってくる泉さん。圧がすごい。そんなに気になる事だろうか?チラ、と露伴と顔を見合わせると微かに笑顔を見せるので、私も泉さんに笑顔を向けて「内緒、ですよ」とだけ返した。
「ね〜、露伴。」
「あぁ、そうだな。内緒だ。」
「えぇ〜!もぉ〜、ソレは絶対に付き合ってるやつじゃないですかぁ!」
「ふふ、どうかなぁ。さ、そろそろ帰ろうか。」
これ以上話してもいい答えはもらえないと、泉さんは大人しく引き下がった。未だ怪しんでいるようではあるが。
「私、絶対諦めませんからね!」
何がそんなに気になるのか分からないが、彼女の宣言には笑顔を返し、今日のところは解散した。着てきた服に着替え、衣装をハンガーへと掛けて、スタッフさんに挨拶をして会場を後にした。
いよいよ明後日、みんなに見てもらえる。来週には、一般公開が始まる。今までで一番の出来の"Tenmei"が、やっと日の目を浴びるのだ。最後にもう一度会場へと視線を送ってから、私は歩き出した。