第1部 M県S市杜王町
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-岸辺露伴視点-
みょうじさんが、行ってしまった。あまりの絶望に暫く地面に四つん這いになって嘆いていたら康一くんが「僕は帰りますからね、露伴先生⋯。」と律儀に別れの挨拶をしに来てくれて、しかし、そのまま本当に帰っていってしまった。オイオイ、ここは普通、慰めるシーンじゃあないのか?と思ったところで自分が少し落ち着いた事に気づき、ようやく立ち上がった。
恐らくだが、康一くんは空条承太郎へ連絡するだろう。仗助や億泰にも。僕にはこんな時に連絡するような、そんな存在はいないので、何もする事がない。ならば、家に帰って漫画の続きでも描こうと、自分の家へ帰宅する事にした。
のだが⋯⋯。⋯ダメだ。集中できない。漫画のネタはいくらでも思いつくのに、ペンが進まない。筆が乗らない、とでも言うべきか。先程から描いては捨て、描いては捨てを繰り返している。そして、頭の中ではみょうじ なまえという女性が思い浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返しているのだ。
こんな事は、初めてだ。怪我が治り、やっと来週から連載が再開するというのに、これでは困る。既に来週分の原稿は入稿済みだが、問題はその後だ。このままペンが止まってしまうと、とても困るのだ。
この不調の原因は、十中八九みょうじさんだ。だが、理由が分からない。解決できるのはきっと彼女であるのは間違いないのだが、何をして貰えれば僕のこの腑抜けた頭が元に戻るのか、皆目見当もつかない。その原因を探るために彼女と話でもしたいが、生憎いつも花京院さんがくっついているし、そもそも先程、東京へと発ってしまった。クソ、どうすればいい。
そこで閃いた。僕は今すぐ誰かと話がしたい。みょうじさんの話が。しかし本人は不在。それならば、近しい人物に話を聞こうと考えて思い当たる人物を頭に並べていく。
まず、花京院さんだが、彼は一番みょうじさんの事を理解している人物だろうが⋯共に東京へと行ってしまったし、そもそも喋ることができない。いや、そもそも彼のあの態度を見るに、喋ることができたとしても僕には話してはくれないだろう。
次に思い当たった人物は、承太郎さんだが⋯。彼は、僕と話をしてくれるのだろうか。口数が少なく、表情も分かりづらい。この前、家にみょうじさんを迎えにきた時に一言二言会話したくらいだ。たったそれだけの繋がり。
だがこの人を除くとあとは康一くんや仗助や億泰しか候補がいないのだ。彼女の事を話すには付き合いが浅すぎる。それに康一くんはまだしも、仗助や億泰と話なんて、まともにできる気がしない。論外。
という事はやはり、承太郎さんしかいないだろう。康一くんに滞在先のホテルや今日の予定を聞き、善は急げと、自分の不調の解決の糸口を見つけるため、家を出た。
「君は…。」
承太郎さんは突然やってきた僕を見て少し意外そうな顔を見せたが、快く中に通してくれたので嫌われてはいないようだ。ここで追い返されたら東京まで行ってみょうじさんを探し回る気でいたが、とりあえずその必要はなさそうだ。
「それで、杜王町の殺人鬼の話か?」
彼のその言葉に、今日あった出来事が思い出される。やはり康一くんは彼に話していたらしい。一方の僕は、彼女の事で頭がいっぱいになってしまい失念していた。これは、重症かもしれないな……。と思わず頭を抱えた。
「いや、その話じゃ……待てよ、ある意味では関係はあるか……。」
つい癖でブツブツと呟いて考えを纏めようとしていると、彼はお茶を出してくれて意外にも優しい人なんだと感じた。これは推測だが、彼はあまり長々と話をするのが好きな方ではないだろう。単刀直入に聞くのが一番良さそうだ。
「今日、みょうじさんに会いました。例の、殺人鬼の話を聞いた時です。」
なまえ?と、彼は僕の意外な話し出しに頭にハテナを浮かべている。純粋な殺人鬼の話ではないので反応に困っているのかもしれない。
「僕は先日、彼女の過去を聞きました。幼少期の話から、DIOという男を倒すため、エジプトへ行った。というところまで、ですが。」
彼は飲んでいたお茶を静かに置き、何かを考えている。何を考えているのかは、分からない。表情が全く読めない人だ。
「…それで、突然俺のところに来て、何が聞きたい。」
そう言って真っ直ぐこちらを見る視線は、友好的な感情も敵意も見えなくて、無言の圧力を感じて僕の居心地を悪くした。ただ、見ているだけだというのに。
「みょうじさんの事が、知りたくて。……貴方から見る、みょうじさんの事を。」
せっかくここまで押しかけたのだ。聞いてしまえ!と、ついに本題を話すと…それからしばらく、沈黙が続いた。なんの沈黙だ。嫌なら嫌と言ってくれ。なぜ、何も言わないのか。冷や汗は出てくるし、顔の筋肉が引き攣ってきたじゃあないか。そしてようやく口を開いたかと思うと彼は一言「…そうか。」と。…なんだこの人。一瞬でもビビったのが恥ずかしく思えてくる。そうか、ってなんだ。そうか、じゃあないんだよ!
せっかくの勇気がムダになったな、と再び頭を抱えると彼は足を組み直して「なまえと出会ったのは…」と突然話し出したので、慌ててノートとペンを取り出してメモを取り始めた。なんだ。てっきり僕を警戒しているのかと思っていたが、話してくれるんじゃあないか。変わった人ではあるが、悪い人ではないようだ。と自分の事は棚に上げてメモを取り続けた。
かれこれ30分、承太郎さんは話し続けている。声や表情からは読み取れないが、話し続けているという事は嬉しい、楽しいのだろうとは思う。が、口下手の人の話は、話し始めると長いのだ。そして、話が飛ぶ。要領を得ないのだ。しかし教えてくれと頼んだ手前、もういいですとは言えない。それに、たまにいい話も聞こえてくるのだ。例えば、「なまえは出会った頃から明るい性格で、反面、危なっかしくて目が離せなかった。」や「なまえも弟も、なんでか分からんが俺に懐いてな…。」など、彼視点の話だ。
時折質問などをすると色々な話が引き出せることに気づき、さながらインタビュアーのように質問を捻り出した結果、今まで知らなかった彼女の一面を知ることができた。特に、旅をしていた時の彼女の話は、それだけで漫画にできそうな程には興味をそそられた。
彼女は夕日のようなオレンジ色の瞳の中に、時折闇が見えるのだ。恐怖、絶望、渇望、諦め。その全てが詰まっている。最初に彼女の事が気になったのは、その瞳の奥の闇の正体が気になったからだ。しかし、彼の話す彼女像は、そんな闇なんて一切感じられない、純粋な少女だ。彼から見える彼女は、そうなのだろう。昔も、今も、ずっと。そして、花京院さんから見る彼女も。……僕も、彼女のそんな一面が知りたい。この目で確かめたい。彼女の色んな顔を、見てみたい。
「露伴、お前…。」
承太郎さんの驚くような声に、僕は口元を抑えた。いま、口から出ていたか…?しかし、その言葉は自分でも知らない、思ってもみない言葉。これでは、まるで…。
「お前…まさか…なまえの事を…!」
承太郎さんはみるみる表情を変え、眉間に皺を寄せている。しまった。彼は花京院さんの、一番の親友だった。この手の話はマズイ。
「ま、まさか。どんな人なのか、気になっただけで。」
「……。」
ハハ…と乾いた笑いが漏れる。まさか、つい先日退院したばかりで、連載も再開するっていうのに…また僕は、シメられるのか…?
数秒僕を睨みつけた彼は、意外にも、ため息をついて下を向いた。これは、怒ってはいないのだと、期待してもいいのだろうか…?
「好きになるのは個人の自由だが…アイツはやめとけ。番犬に噛みつかれるぞ。」
番犬とは、花京院さんの事か。そして、承太郎さん自身も含まれるのだろうか。そして、もしかすると、みょうじさんと花京院さん、2人の子供も…かもしれない。
もしかして僕は、とんでもない女性に引っかかってしまったのではないだろうか?
そう思ったが、もう遅い。好奇心旺盛な僕は、彼女が、彼女の全てが知りたくて仕方がないのだ。そして、少なからず彼女の事を愛おしく思った瞬間が、確かにあるのだ。花京院さんが僕を彼女から遠ざけようとする意味が、やっと分かった。彼は、彼女に寄せられる他者からの好意に、敏感だったのだ。…僕が自覚するよりも先に察知するなんて、只者じゃないな。
「はー……。帰るかァ…。」
ホテルの外、夕焼け空を見て1人、ため息を吐く。今日の夕焼け空はやけに綺麗で、花京院さんの藤色の瞳と、みょうじさんの金木犀色の瞳の色が混ざりあったような色が、あの2人を思い出させて、思わず僕は、目を伏せた。