第5部 杜王町を離れるまで 後編
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「遅かったな。花京院さんとイチャついてたんだろう。」
自室から模造紙や定規類、筆記用具などを持って露伴の仕事部屋に行くと既にデスクは片付けられ、椅子に座って頬杖をついている露伴と目が合った。遅かった事で少し拗ねているらしい。
「うん。今日の典明、ものすごく私を誘惑してくるの。かっこよすぎて困っちゃう…。」
「はぁ…困った人だな、花京院さんも、君も。」
「…露伴が、最近私を独占してるって、典明が。」
「…そうか?それは…悪い事をしたな。」
ドサ、とデスクの上に道具類を置いて露伴を見ると「悪い事をした」という言葉とは裏腹に僅かに口角を上げている。機嫌はもう直ったというのか。
「そういえば、この前の借りをまだ、返してもらってないな。」
「借り…なんだっけ。」
「君からのキスだ。後払いでいいと言ったが、まだだったろう。」
「あ…忘れてた…。」
この前、落ち込んでいた際に慰めてもらって、その時にそのような約束をしたのだった。色々と考え事をしていて、すっかりお礼をするのを忘れていた。
「だと思った。君が言ったんじゃあないか。」
「うん…。ただ、なんだか改めて露伴から言われるとしづらいかな…。」
「へぇ、それを聞いて、どうしても今、して欲しくなったよ。支払い期限は今だ。」
「…意地悪。」
本当に、楽しそうな目をしている。子供をじゃんけんで負かした時もそうだったが、他人が露伴に対して悔しさだったり羨ましさだったり、そういう感情を抱いている時、露伴はすごく嬉しそうな顔をする。今だって私が照れているのを見て「ほら、早くしないと利子をつけるぞ」と心から嬉しそうだ。
「なかなか悪どい商売してますね。」
「まぁな。」
「あの時の優しさに騙された…。」
「なんだよ、嫌なのか?」
「嫌とかじゃなくて…。」
分かっているくせにあえてそういう事を言う。目を細めてニヤリと笑う露伴が少し憎らしい。
「露伴のそういうとこ、かわいいなぁ…。」
「そうか。」
このままこうしていても埒が明かない。どうせ露伴は私が折れるまでこうしているだろうから、恥ずかしいなんて言ってないでさっさと済ましてしまおう。
座っている露伴に合わせてス、と身を屈めると、彼は少し顎を上げて真っ直ぐこちらを見る。そういえば、こうして露伴を見下ろすのは初めてかもしれない。下からじっと見上げる露伴がとてもかわいく見えてくる。頬に手を添えるとパチパチと二度瞬きをして、再度私へと視線を戻した。
ゆっくりと顔を近づけると先に露伴のまぶたが降りて、意外に長い睫毛が瞳を隠したのを確認してから私もまぶたを閉じた。直後に重なった唇の感触はなんだか懐かしくて、少しのつもりが何度も唇を交わらせてしまった。
「君…さすがに過払いじゃあないか?」
「…私が、したかったから。」
「まぁ、有難く頂いておくよ。」
露伴がかわいすぎたのが悪い。綺麗な整った顔で、上目遣いで、「キスして」なんて言われたら、誰だってああなる。露伴は自分の顔の良さを理解していないんだろう。典明といい露伴といい、彼らの中の美的基準が狂っているとしか思えない。
「露伴、典明という完璧人間がいるから分からないかもしれないけど、露伴も綺麗な顔してるんだからね?」
「は?急になんだ。あんな誰がどう見ても整った顔の花京院さんと比べないで欲しいね。」
「ねぇ、ちゃんと聞いてた?」
典明と初流乃の顔の良さのレベルが違いすぎるのは分かるが、客観的に見ても露伴は整った顔の部類のはずだ。ぱっちり二重で睫毛も長いし、鼻筋だって通っている。
「そんな事よりも型紙、作るんだろう?」
「…露伴、マイペースすぎない?」
「元々の目的は型紙だろ?早くやろうぜ。」
もう頭を切り替えている露伴はいつもの露伴に戻っていて、本当、マイペースだと思う。けれどこうなった露伴はこっちの話を聞かないのも分かっている。こっちが折れるしかないのだ。
「はぁ…じゃあ、採寸からやってみようか。」
好奇心が旺盛なのは素晴らしい事だし、新しい事に挑戦している露伴が楽しそうでその姿はとてもかわいらしいが、それに振り回されるのは少し考えものだな、と残念に思った。
「ふーん…当たり前だが、服って案外立体的になってるんだな。これから漫画を描く時に意識して描いてみよう。」
「本当に熱心だね。私も教えがいがあって楽しいよ。」
お互いにサイズを測りあって、実際に何枚か型紙に起こしてみた。露伴はさすがプロの漫画家だけあって線を引くのに迷いがなく、言ったことをそのまま描いてくれるのでとてもスムーズに進んでいる。
「君と仕事をするのは、僕も楽しいし勉強になる。いい刺激も貰えるしな。」
「あぁ、そうだね。扉絵の制作も楽しかった!これから数年に一度はこうしてコラボしてもいいかも。」
「扉絵に関しては最初は渋っていたじゃあないか。どういう心境の変化だ?」
「心境の変化、というか…。露伴、自分の漫画に拘りを持っているでしょう?ものすごく。」
私の問いかけに、露伴は手にしていた鉛筆を置いてこちらに視線を移した。
「そりゃあ当たり前だろう。自分の漫画に拘らないやつなんていない。そんな奴がいたら、漫画家なんて呼べないね。」
「あぁそうじゃなくて…、露伴は、自分の描いた漫画に他人の手が加わるの、嫌じゃないかなと思って。」
「……そう、だな。」
歯切れ悪く答えた露伴は顎に手を当てて考え込むように私から視線を外して宙を見つめた。そして考えを整理するようにしばし沈黙し、再び私の方を見た。
「君ならいいと思った。多分、君が僕に"Tenmei"を描いてほしいと思ったのと同じだ。ピンクダークの少年という僕の領域に、君ならば入れてもいいと思った。君もそうだろう?」
その言葉を聞いて改めて、私も当時を思い返してみる。"Tenmei"は、全て私の作品だ。今まで、私一人で描いてきた。それがなぜ今回、露伴とコラボする事になったのか。それは、私が露伴の描いた典明を見て、感動したからだ。私が、露伴の描いた典明の姿に魅了されたから。この人なら、私の"Tenmei"を汚さず、私の理想の形で表現してくれるだろうと思ったからだ。
「うん…同じ、だね。…ふふ、嬉しい。」
恐らく私と露伴は美的センス、感性が似ているのだろう。典明という一人の人間を見て、露伴は私の見えている典明の姿を描き出し、私はそれに感動した。そして一緒に"Tenmei"を描いていく上で、露伴は私の描く絵のタッチや色づかい、バランスなどを見て、自分のピンクダークの少年に関わらせていいと判断した。それは恐らくとても、奇跡のような事だ。
「露伴との出会いは最悪だったけど、露伴に出会えて、こうして一緒にいられて、本当に良かった。」
「!……君は本当に…サラッと気恥しい事を口にするな…。…なぁ、抱きしめてもいいか?」
出会った当初からは考えられない程、よくここまで距離が近くなったものだ。
返事の代わりに腕を広げると露伴が体の向きを変えて一歩こちらに近づいてきたので、こちらから彼の胸に納まった。こちらから行かないと、露伴は恥ずかしがって動かないと思ったからだ。
「私、杜王町に来て良かった。露伴に出会って、私、本当に救われたの。私を暗闇から救ってくれて、ありがとう。」
「…救ったのは、花京院さんだろう。」
「もちろん典明もだけど、露伴にもたくさん助けてもらったんだよ。疑うなら私の記憶、読んでみる?いいよ、読んで。」
前に読んだ時から数ヶ月経っている今、新しいページが増えているだろう。そこには露伴に関する事もたくさん書かれているはずだ。
「…ッいや、今はいい。…君の顔を見れば、本当だって分かる。…クソ、なんて顔してるんだ、君は…!」
「え〜?"露伴好き好き〜!"って顔?」
「言わなくていいんだよ!見れば分かる!」
好きな子に好きと言われてなぜ怒るのか。感性が似ているとは思うが、そういうところは全然似ていないので、意味が分からない。
「そろそろ型紙の続きを…おい、いい加減離せ。…ッ君、本当に力が強いな…ッ!!」
照れ隠しのため肩をグイグイ押してくるが、私の力に敵うはずもない。もう少しこうして触れ合っていたい。
「はぁ……君がこういう奴だって、忘れてたぜ…。数分前の自分に教えてやりたい…。」
なんだか言葉にするとどうしようもない奴扱いされているように聞こえるが、それも露伴の照れ隠しなのだと分かっている。本当に、かわいい人だ。