第5部 杜王町を離れるまで 後編
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「行ってらっしゃい、初流乃。気をつけてね!」
笑顔で初流乃を見送ってすぐ。私と典明と露伴、3人になった途端に、家の中は重苦しい空気に包まれた。そしてその空気感で1日過ごし、もうすぐ初流乃が帰ってくる時間だ。
「はぁ……気持ち悪い…。」
「大丈夫か?少し休むといい。」
話したくない事を話さなければならなくて、気が重い。頭が痛いし胸焼けもする。緊張で体が強ばっているのが分かる。
「…なまえ、この件は、僕から話してもいいか?…いや、僕から話す。君はここにいて、聞いててくれ。」
「典明…大丈夫。私が話すよ。」
「…いや…僕は君のメンタルの心配をしているんだ。僕の言う事を聞けないのなら、ヘブンズドアで書き込んでもらうぞ。」
「!」
てっきり、典明は私の体調面を心配してくれているのかと思っていた。だけどそれは違ったらしい。ヘブンズドアを使う、なんて脅しをかけるなんて、よほど心配してくれているみたいだ。自分では分からないが、既に頭痛や気持ち悪さといった症状も出ているので、客観的に見れば典明の判断も頷ける。ここは、従うしかない。
「分かった…。…典明なら、安心だね。」
「うん…いい子だね、なまえ…。」
典明に役割を委ねると、強ばっていた肩の力が抜けて、詰まっていた息がため息として出た。典明はこの私の緊張すら見抜いていたと思うと驚きだ。労わるように頭を撫でる典明の手が気持ちよくて、頭痛も少し和らいだ気がする。
ピンポーン、ガチャ
初流乃がいつも帰宅する時の合図であるインターホンと鍵を開ける音が聞こえ、そしてまっすぐリビングへと向かってくる足音が響く。
「ただいま戻りました。…皆さん、どうかしたんですか?」
いつものようにただいま、と声をかけてリビングへ入ってきたのに、部屋の中は重苦しい空気に包まれていて初流乃もさすがに何かあったのだと察しがついたようだ。「おかえり、初流乃」と無理やり口から出したが、元気がないのは明らかだ。
「…おかえり、初流乃。…少し……いや、大事な話があるんだ。座ってくれるかい?」
「今、お茶を淹れてくるから。」
居てもたってもいられなくて、お茶を淹れると言って立ち上がった露伴に着いていくと「君、少し落ち着けよ」と窘められてしまった。先ほど少し落ち着いた気がしたのだが、心臓がドキドキして、ソワソワして、また徐々に顔が強ばってきているのが分かる。こんな顔、初流乃には見せられない。
「…なまえさん、顔色が良くないぜ。一旦お茶を置いてくるから、ここで待ってろ。それじゃあ、初流乃の前に出られないだろ。」
「…ありがとう…。」
「話は始めても構わないな?」
「…うん。私を待ってても、初流乃は気になっちゃうだろうし…。」
「花京院さんに伝えておく。ほら、お茶。」
私の分のお茶を置いてキッチンから出ていく露伴を見送って、近くにあった椅子に腰掛ける。露伴が淹れてくれたのは今持っていった紅茶ではなく私が以前好きだと言っていた緑茶で、目を閉じてその匂いを嗅いで、頭は少し落ち着いてきた。
初流乃は、典明の話を聞いてどんな反応をするだろうか。そして、なんと答えるだろう。手放したくないのに手放さなきゃいけないなんて、なんて辛い事だろうか。
「なまえさん。…飲んでないじゃあないか。」
「露伴…、ごめん、飲むよ。」
湯呑みの中のお茶は淹れたての時よりも少しだけ冷めて、飲み頃も少しばかり過ぎてしまっていた。せっかく美味しく淹れてもらったのに申し訳ない。
「また、手が冷たくなってる…。」
「…ほんとだ。」
湯呑みを持つ手とは逆側の指は、露伴に触れられるまで気が付かなかったが少し冷えていたみたいだ。
「君は、変な奴だな。承太郎さんや…なんなら、吉良吉影と戦った時ですら、こんなに不安定にはならなかったのに。」
変な奴、と言われて思わずムッとしたが、続いた言葉には返す言葉もない。
「私でも、変だなって思うよ…。敵と戦う方が全然いい。…典明は、私の知らない私の事まで全部分かってて、すごいね…。ちょっと怖いかも。」
「なんだ。君でも花京院さんが怖いと思う時があるのか。」
「そりゃーあるよ。それが典明の魅力なんだから。私、吉良吉影に左手を取られた時あったでしょう?全部終わって典明が私の血だらけの左手を持ってきてくれた時、正直、絵になるなぁって震えたもん。典明にだったら、体の一部をあげてもいいというか…持っててほしいとさえ思って…。」
「君の悪趣味な性癖は置いといて。花京院さんはとにかく顔が綺麗だからな、そういうのが似合うのは分かる。」
「性癖…性癖かぁ…。芸術家って、歪んだ性癖を持ってるっていうもんね。」
露伴は典明の事に関して言えば、私のイメージとかなり近いものを持っている。私の、良き理解者。
「初流乃、なんて言うかな。」
「さぁな。」
「つめたい…典明呼んで。」
「その花京院さんは初流乃と大事な話をしてる。こうして付き合ってやってるんだから僕で我慢しろ。」
「え〜。じゃあ、優しく抱きしめて、よしよしして。」
「それはサービス外だな。追加料金がかかるが?」
「んー…お支払いは、なまえちゃんからのキスでどうですか?」
「へぇ、それはものすごく魅力的だな。」
露伴がスイ、と私を覗き込むのでそちらを見ると、この前初流乃が言っていたような優しい笑顔が近くに見えて、なんだか泣きそうになった。
「なんだ。君からしてくれるんじゃあないのか?…いや、特別に、後払いでもいいぜ。」
なんだか今日の露伴は特別に優しい。露伴がここまで露骨に甘やかしてくれるなんて、今の私はそれ程までに酷い状態なのだろうか?座ったままの私をきゅ、と抱きしめて背中を撫でる手つきは優しくて、なんだか典明に抱きしめられているみたいで少しだけまつ毛が濡れた。
「ありがとう、露伴…。いつもこれくらい、甘やかしてくれてもいいんだよ?」
「調子に乗るな。今回のは特別だ。」
「優しい露伴、好きなのに…。」
「そんな甘い言葉に、この僕が乗ると思ってるのか?」
「…ふ、そうだね。甘い誘惑は断る質だもんね、露伴は。」
そうだ、露伴は筋金入りの天邪鬼だった。ちょっとやそっとの誘惑じゃ、絶対に頷いたりはしないのだ。それを思い出して、思わず堪えきれない笑みが漏れた。
「…もう、落ち着いたな。そろそろ行くか。」
「…うん、そうだね…。」
体を離して、ゆっくり息を吸って、吐いて。まだ不安な気持ちは残るが、体の方はいくらか落ち着いたのを確認できた。
初流乃の話を聞かないわけにはいかない。典明と、初流乃の待つリビングへ行こう。
湯呑みに残っていたぬるくなったお茶を飲み干して、足を進めた。どんな返答が来るかは分からないが、初流乃の意見はちゃんと聞き入れようと、心の中で決心をしながら。