第5部 杜王町を離れるまで 後編
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それは、突然の事だった。あまりに突然で、頭が回らなくなって、言葉も出てこなくなった。理解が追いつかなかった。
「え……っと…今、なんて……?」
「だからぁ、やっぱり初流乃返してって言ってるの。」
夜中に突然鳴り響いた着信音。発信相手の名前を見ると"汐華さん"と書かれていて、嫌な予感を感じつつ出てみると相変わらず頭が悪そうな話し方で、要件を聞くと「初流乃を返してほしい」と。
「返して、って……そんな、物みたいに簡単に…!そもそも、2年間こちらで預かるという約束では?」
「それがさぁ、夫に子供がいるのバレちゃったんだけど、連れてくればいいって言ってくれて。親子なんだから、一緒に暮らした方がいいでしょ?」
彼女の言葉を聞いて、吐き気がしてきた。なにがバレちゃっただ。なにが、親子だ。そう言いたくなるのを飲み込んで耐えていたら「なまえ…大丈夫か…?」と典明が背中を摩ってくれていくらか呼吸が楽になり、正気を取り戻した。
「初流乃は今、こっちの学校に通っているんです。友達もいて…やっと、楽しく通えるように……。」
「へー、そうなんだ。」
「それに…DIOの遺伝子のせいで金髪になって、スタンド能力も発現して…。」
「そうなの?スタンド能力ってどんな?便利そうじゃん。」
「……。」
初流乃を微塵も心配する様子を見せない彼女に、頭痛もしてきた。だめだ、分かり合えない。いくら理解しようとしても、私には無理だ。同じ、母親であるはずなのに。
「9月からこっちで暮らしたいから、そのつもりで準備しておいてよ。」
「…すみません、あまりにも急で…すぐにはお返事できません。また、日を改めて…。」
「…そう。なるべく早く連絡ちょうだいね。じゃ。」
向こうが言いたいだけ言って、通話は切れた。パタンと閉じた携帯をベッドサイドへ置いて、ただ呆然と、暗闇を眺める事しかできなかった。
「なまえ…、おいで…。」
「典明……。」
まだ詳細を話してはいないのに、典明は眉を下げて僅かに眉間に皺を寄せながら、私を抱きしめた。私の感情だけが伝わって、余程の事だと判断をしたのだろう。その優しさが温かくて、ポロ、と堪えていた涙が出てきた。
「典明…、汐華、さんが、初流乃、返して、って…。」
「……、そう、か……。」
典明も辛そうに、静かに息を飲んだのが分かった。典明も彼女の事を知っているし、何を言っても無駄なのだと分かっているのだ。
嫌だ。放したくない。返したくない。だけど、いくら私が、私達が血が繋がっていなくとも親子なのだと主張したところで、向こうは確かに血が繋がっている親子で。傍から見れば向こうの主張が正しく、優先される。悔しい。初流乃の実の母親よりも、私は初流乃を愛した自信がある。これからもそうだ。それなのに、本人の意思とは関係なく、実の母親が"返せ"と言えば返さなくてはならない。それが保護者、親子というものだ。
「…ッ、典明…!わた、私の方が、初流乃にたくさんの愛を、あげられるのに…!」
「…うん、そうだね…。」
「どうして、いつも…!」
どうしていつも、そんなに勝手なの。どうしていつも、大切なものは私の手から離れていくの。
隣の部屋で眠る初流乃を起こさないように、大きな声で泣く事はできない。口を開いたら大声で叫び出してしまいそうで、たくさんの言葉を飲み込んだ。
「…なまえ、落ち着いた?もう夜明けだ。少し眠るか?」
「…ううん、起きる…。」
涙をたくさん流して目が痛むし、声を押し殺したせいで喉も痛い。顔を洗って歯を磨いて、水を1杯飲みたい。のそ、と動かした体を典明が支えてくれて、ついでとばかりに息を吸い込むと典明の匂いがして気持ちが落ち着いた。「いま、嗅いだな?」という典明に「バレちゃった…」と返せるくらいには回復したみたいだ。
「…なまえさん?こんな時間に、どうした…。泣いたのか?」
「露伴…。露伴こそ、どうしたの…?」
まだ夜が明けはじめたところだというのにキッチンには明かりがついており、中には露伴の姿が。いつもはまだ眠っている時間のはずだが…。
「僕はトイレに起きただけだ。せっかく早起きしたんだから、ランニングでもしようかと思ってたんだが…なにかあったのか?」
「……うん。……私も、ランニング行こうかな…。典明、初流乃をお願いしてもいい?」
「もちろん。気をつけて行っておいで。」
ヨシヨシと頭を撫でて、ぎゅ、と抱きしめて、おでこに優しくキスをして、典明は見送ってくれた。部屋に戻って着替えてから玄関に行くと露伴が待ってくれていて「…よし、行くか」と外へと足を踏み出した。外はまだ寒い。話をするよりもまず先に、体を温めなければ。
走り始めて3分程経った頃、露伴のペースが少し落ちた。いや、落ちたというよりもスピードを緩めた、と言った方が正しいかもしれない。話を聞こうとしている、彼からの合図だった。
「…初流乃の、実の母親から、電話があったの。」
吸って吐いての呼吸の合間、途切れ途切れではあるが言葉を紡ぐ。ランニングのおかげか気持ちは落ち着いていて、タイミングのいい露伴に心の中で密かに感謝した。
「初流乃の実の母親、って…、君に初流乃を押し付けた、クソみたいな奴か?」
「…ふ、そうかも。露伴がそう言ってもおかしくないくらい、最低な奴、だね…。本当、DIOとお似合いだわ…。」
「その顔いいな。なまえさんのブラックな一面が出てる。」
「嘘!典明に見られても大丈夫なやつ!?」
慌てて両手で頬を抑えて表情を隠した。典明は私をかわいいかわいいとかわいがるから、ダークな一面はあまり好まないかもしれない。「花京院さんなら、どんな君でも好きだろ」と露伴は言うが、典明は私に夢を見ている可能性があるので油断できない。いつどんな時でもかわいい私でいなくては。
「それで、そのクソみたいな奴がなんだって?」
「あーー……、うん……。その、初流乃を返して、って…。」
「……は?」
いきなりの衝撃の発言に、露伴は徐々に歩幅を緩め、やがて完全に停止した。それに倣って私も足を止め、振り返る。視線をあっちにこっちに動かして頭に手を当てる露伴の姿を見て"私もきっと、あんな感じだったんだろうな"とどうでもいい事を思った。
「返す、って…、2年間預かるって言っていたじゃあないか。それに、学校はどうする。」
「……再婚相手に、子供がいるのが"バレて"、だけど一緒に暮らせばいいって言われて…"親子"なんだから、一緒に暮らした方がいいでしょ?…って、言ってた。」
「…オイオイ待てよ…ソイツは想像以上のクソじゃあないか…!」
そう、そうなのだ。典明ですら白旗を上げるほど、話が通じない相手なのだ。自分の事しか考えない、良くいえば自由で、悪くいえば傍若無人で、利己的で、浅はかだ。そんな奴に、私は今、初流乃を奪われそうになっている。…いや、その初流乃は、元々はそのクソみたいな女の子供なのだ。いくら私が母親の代わりに愛そうとも。
ポン、と頭に手を置かれ、私がいつの間にか俯いていて、露伴が目の前に迫ってきていた事に気がついた。だめだ。また、涙が出そうになってくる。
「君、バカだし落ち着きがないし無鉄砲だし、見ていて心配になる事が多いが……意外と、ちゃんと初流乃のお母さんだったぜ。」
「……本当に…?…私…初流乃のお母さんになれてた…?」
「あぁ…帰ったら、初流乃に聞いてみるか?」
とうとう涙が零れて、見えないように露伴が優しく抱きしめてくれた。2月の朝の空気は冷たくて肌の表面が冷えていたが、触れ合ったところからじわじわと熱を分け合って、やがて温かくなって。露伴の優しさに触れて、心も少しずつ温まって落ち着いてきた。
「露伴…寒い…。」
「…そうだな。初流乃もそろそろ起きるだろう。その前に帰って、君は顔を洗わないとな。」
「ん…。走って帰ろう。」
初流乃に、話さなくては。3日間も学校を休んでしまったから、今日は行かせてあげたい。帰ってきたら大事な話があると伝えて、朝は笑顔で送り出そう。