あの人ごと、私を愛して
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「なまえ。」
「承太郎…、ただいま。」
随分と久方振りに、自身の名を呼び捨てにする、なまえ。
事前に貰った露伴からの連絡によれば、この取材旅行とやらのおかげで少しばかり記憶が戻ったとの事だ。
杜王駅まで車で迎えに来てみれば、向こうは少し居心地が悪そうで、恐らくだが記憶が戻った今、俺にどう接すれば良いか悩んでいるのだろう。実に下らない悩みだ。
「それで、取材旅行とやらはどこに行ってきたんだ?土産は忘れずに買ってきたんだろうな?」
「!…うん。はい、これ承太郎の分。」
ガサ、と差し出された紙袋を上から覗くと、包装された何かが2つ。どちらも俺への土産らしい。そこまでサイズがあるわけではなく、双方とも片手に収まるサイズ感だ。ひとつを手に取ると「あ、それはね、コーヒー豆なの。私は飲まないけど、承太郎は紅茶よりコーヒーの方が好きでしょ?」と自身の好みを語り出した。…なるほど、これは確かに、記憶は戻りつつあるようだ。
「もうひとつの方、開けてみてよ。」
コーヒー豆のパッケージを確認する間もなく、次のを開けろと催促するなまえ。その楽しそうな顔は、杜王町へ来てからのなまえとは少し違う、昔のような雰囲気を感じて一瞬、時が止まったかのように錯覚した。
気づかれぬようにため息をひとつ吐いて、気を取り直して今度は箱の方を手に取る。ペリペリと包装紙に貼られたテープを剥いでいくと、箱は無地の白色。一度包装紙を畳んで紙袋に入れてから蓋を開けると───
「テメー…、これ…。」
「ふ…、っあはは!そういう顔すると思った!」
中から出てきたのは、ガネーシャの置物。The・お土産。可愛らしいサイズ感とはいえ、どう考えても不要なものである。つまりは、いらねぇ。
先程までの気まずさはどこへやら。もうすっかり、かつてのなまえだ。
楽しそうに笑っているのを見ると、これ以上怒る気にもならない。怒る気力も失せた。口から出たのは、ため息だ。
「…やれやれだぜ…。」
「……今まで、ごめんね、承太郎。忘れてて…。」
「?」
突然の、なまえからの謝罪。一体何に対しての謝罪だ?忘れてて?そんなの、なまえのせいではないのに。
「忘れてて、って言っても、まだ全部思い出したわけじゃないんだけどね。えぇと…、そうだな…。承太郎と過ごした時間はきっと、楽しかっただろうから。もし承太郎もそう思ってくれてたら、私がその記憶を覚えてなかったら、悲しくて、寂しかっただろうなって、思ってね。」
そうだ、コイツは、こういう奴だった。いつだって相手の立場に立って、一緒に喜んだり、悲しんだり、怒ったりできる奴。
俺と過ごした時間が楽しかった、なんて言われて、胸の奥の方がジクリと痛んだ。
「…いつか思い出すなら、構わねぇぜ。いつまでだって、待ってやる。」
「!…やっぱり、承太郎は優しいね。」
優しくなんて、ない。花京院と比べたら、全然。そうじゃなきゃ、なまえは俺の元から去ったりはしなかったはずなんだ。
「…おふたりとも、僕の事忘れてるんじゃあないだろうな?」
「…あぁ、悪かったな。そろそろ行くか。」
「待って。承太郎。私は露伴くんと、どこに行ってきたでしょーか!」
至極今さらななまえからの問いに、取材旅行前のなまえとの会話を思い出す。
『お土産、買ってきますね。それを見て、どこに行ったか当ててください。』
「…インド。」
「正解!」
なまえが記憶を取り戻してまた辛い思いをするなら、記憶なんて戻らなくていいと思っていたのに───
この昔と変わらない笑顔を見るとひどく懐かしくて、やっぱりまだ好きだと、忘れかけていたかつての恋心に火がついてしまった。
だから、俺はやっぱり、優しくない。
それから、数日。
スタンドの調査の傍ら、俺は自身の異変に徐々に気が付き始めていた。原因に心当たりはあるが、対処法は分からない。というより、ないのかもしれない。
なまえの記憶が少しだが戻ってからというもの、自身の中に安堵の気持ちと共に焦燥感のようなものが生まれていた。それは過去になまえが自身の前から逃げ出した記憶が関係していて、万が一なまえが思い出してしまったらまた逃げていってしまうのではないかという焦りから来るものだ。
そしてそれとは別に、なまえを前にすると過去にタイムスリップしたような不思議な感覚が自身を包んだ。記憶が戻って、嬉しいのだ。それは本心だ。そして俺は無意識に、あの頃の続きをやろうとしているのだと気がついた。
「…やれやれだぜ…。」
過去は過去、今は今と、割り切っていたつもりだった。だというのに、どうやらそうではなかったというのだから困ったものだ。
俺は未だに、あの頃のなまえに囚われている。
そして、なまえは花京院に囚われ続けている。
「海……。…ねぇ、承太郎。私達は、ダイビングとかした事、ある?」
突然なまえが「海を見たい」と言い出し俺を誘うので、二人でやってきた杜王町の海岸。いつも行く岩場ではなく砂浜の方で何をするでもなく探索中、不意になまえがそう呟くので顔を向けると、ボーッと何か考えているような顔で水平線を見つめているところだった。
「…あぁ、まぁな…。…また何か思い出したのか?」
「うん…。承太郎にそうだって言ってもらえて、思い出した…。ねぇ、私達って……、何をしに海外まで行ってたの?旅行…じゃないよね?」
おそらく少し前から薄々勘づいていたような言い方。聞きたくても何から聞いていいか分からずにいるうちに、時間が過ぎたのだろう。しかしいい加減知りたいと、なまえはとうとうその重い口を開いた。
その問いに、俺はなんと答えてやればいいだろう。
「…無理に思い出そうとするんじゃあねぇ。」
「!…それは、…そうかもね…。……私が忘れた記憶は、思い出さない方が良い記憶…なんだよね、きっと。」
「全部が全部というわけじゃあねぇ。ただ…焦らなくて良い。」
心の準備も無いままに焦って無理に記憶を思い出そうとすれば、今度は何が起こるか分からない。そうなればなまえとは、二度と会えない気がする。俺は、それが怖い。こうしてまた再会する事ができたが、今度もそうなるとは限らない。
「そう……。…うん、分かったよ。」
俺の口からは、何も言うべきじゃない。その判断は、何も間違っちゃいないはずだ。それなのになぜか罪悪感を感じるのは、俺がなまえに「好きだ」と言ったあの時の事を、今も後悔しているからだ。そして記憶を取り戻した時なまえが、あの時のようにまた俺の前から姿を消してしまうかと思うと、怖かった。
なんとも、情けねぇ話だ。
「承太郎が何も教えてくれないのは、私の心を守ろうとしてくれてるんだよね?きっと。」
「!…なぜ、そう思うんだ。」
「だって…承太郎は、そういう優しい人だから。」
「……。」
優しい。なまえは昔、よく俺の事を優しいと言った。しかし俺が優しいというのなら、なまえは俺の前から逃げ出す事はしなかったのではないだろうか。今となってはなまえさえ分からない、昔。
無性に抱きしめたくなって、だがそんな事できる訳もなく、ただ、拳を強く握りしめた。
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