あの人ごと、私を愛して
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「…みょうじくん、君さぁ…まさか僕がシャワーを浴びている間、ずっとそうしていたのか?」
「あ…早いね、露伴くん。」
早い…早いね、か。確かにシャワーを浴びる時間はだいぶ短かったかもしれない。だがそれにしたって、2分や3分そこらで出てきたわけでもないはずだ。だというのに彼女は僕がシャワールームへ行く前に座っていたところに腰掛けたままじっと動かずにいたようで、こちらからの呼びかけを聞いてやっと頭を働かせたような感じだ。つまりは僕がシャワーを浴びている間ずっと、ボーっとしていたのだ。その証拠に髪の表面は水分が失われているのに一部は未だしっとりと濡れていて、思わず彼女の肩に掛けられていたバスタオルを取らずにはいられなかった。
「わっ…!まっ、露伴くん…!」
「待つわけないだろ!考え事をするのは勝手だが、手を動かせよな!風邪を引いたらどうするんだ!」
「冷たっ…!ごめんってば、露伴くん…!」
ギャーギャー喚く目の前の女は確か、承太郎さんと年齢が近かったはず。つまり僕よりかは歳上なわけだが、そんな威厳なんて微塵も感じられない。先ほど飲食店を出た時からぼーっとしてはいたが、だからってこんなところで、それもこんな事で風邪を引かれては困る。何となく薄々感じてはいたが、彼女は案外、子供っぽいところがある。
「ほら、こっち座れよ。ちゃんと乾かすぞ。」
「…はぁい。」
まさかこの僕が人の髪の毛を乾かす事になるなんて思ってもみなかった。それも彼女でもなく…ましてや友人と呼べるかも怪しい知人の髪をだ。
記憶を失う前と今とで変わったところなんかはあるのだろうか。そしてそんな彼女を変わらずに思い続ける承太郎さん。彼はこんな女のどこが良いのだろうと、逆に少しばかり興味が湧いてきた。
「ほら、終わったぜ。全く…すぐ終わるんだからちゃんとしろよな。」
「ありがと…。……ねぇ露伴くん。私は…花京院くんと、インドに来た事があるのかな…?」
「……さぁな。今日は移動で疲れただろうし、もう寝ようぜ。僕が髪を乾かし終わったら消すから、先に横になれよ。」
「ん…。…おやすみ、露伴くん…。」
やはりというかなんというか、彼女はさっきの僕の失言をしっかり気にしているようだった。「思い出したい記憶なのか」なんて、思い出さない方がいい記憶があると言っているようなもの。だがそれは、事前に知っておいた方がいいのかもしれないと思ってあえて言った部分もあった。今の彼女にしてみれば大切な人との記憶は全て大事なもので、ちゃんと全てを思い出したいのだろうが……それがあまりにもショッキングな記憶だった時、彼女が彼女でいられる保証はどこにもないのだから。
────────────────
「なまえさん。チャイティーは飲めるかい?」
夢。
何となく懐かしいような感覚がする、おそらくは過去の忘れてしまった記憶に関する夢。
私の覚えていない、過去の記憶。
「うん、飲めるよ。最初はびっくりしたけど、美味しいね。」
「そう。ならよかった。」
夢の中の花京院くんは、それはそれは綺麗に笑った。記憶は美化されるというが、花京院くんの笑顔はきっとこのままだったに違いない。だってなんだか、懐かしい気持ちになるから。
「チャイティーってね、実はスパイスとミルクの入ったものだけじゃあないんだ。"チャイ"っていうのは、ヒンディー語で"お茶"という意味でね、本来はもっと幅広くお茶を指しているんだ。」
「そうなんだ…。物知りだね、花京院くんは。」
「…こんな話、つまらなかったね。僕もポルナレフやジョースターさんみたいに、もっと面白おかしく話せると良いんだけど。」
「そんな事ないよ。知らなかった事を知るのはとっても楽しいし。もっと色々、教えて欲しいな。」
「はは、そういう君は、褒めるのが上手だな。」
口を少し開けて笑う花京院くんは珍しくて、私はそれが好きだった。綺麗に微笑む花京院くんももちろん好きだったが、砕けた表情で笑う顔はなんだか心を許してくれたようで嬉しかったから。
その感情ごと全部覚えていて、懐かしくて、幸せで、ひどく安心した。
「…楽しそうだな、テメーらは。」
「うん、楽しいよ?」
突然花京院くんと私の会話に入ってきたのは──空条承太郎、18歳。
そうだ、承太郎さんだ。今よりもほんの少し幼さを感じる、高校生の頃の承太郎さん。私はやっぱり、承太郎さんを知っていた。今はこの頃よりも歳をとってはいるが、堂々としたその出で立ちは今も昔も変わらず、彼がそこにいるだけで守られているような感覚がした。
「承太郎は何かある?豆知識みたいなやつ。」
「そうだな…。サメは1km先の血の匂いが分かる…あたりか?」
「何それスゴ…!」
「他にも、サメの歯は2週間周期で生え変わる、とかな。」
「…別にサメに詳しくなりたいわけじゃないんだけどな。」
そういえば、承太郎さんは海洋生物学者だと言っていた。杜王町でもよく海辺にいるらしいし、今はヒトデの研究をしているとも聞いたし、きっとその分野の事が昔から好きなのだろう。
「…承太郎、君…もっと女性が好みそうな話とか…。」
「…そういうのは、テメーに任せるぜ、花京院。」
「あははっ、承太郎はそのままでいいんだよ、花京院くん。承太郎が花京院くんみたくなっちゃったら、余計に女の子がほっとかないだろうし。」
承太郎…もとい承太郎さんの心底嫌そうな顔に、内心少し笑ってしまった。だってあんまりにも、本当の本当に、嫌そうだったから。こうして見ると承太郎さんは、案外表情豊かなのかもしれない。
「もしも…もしも承太郎が今よりも人を気遣うようになったら…なまえさんも承太郎の事が好きになってしまうのかい?」
「え…?」
花京院くんのその物言いに、思わず心臓がドキッと音を立てた。不安そうなその言い方は僅かに私を期待させて、しかし勘違いだったらいけないと、気にしないフリをした。だって私が承太郎を好きになったら嫌だって顔だったらいいなんて、私に都合が良すぎる。
「…おかしな事聞くのね。承太郎は今でも気遣いしてるじゃない。ズレてる時はあるけどね。」
「あぁ…いや、……そうか。そうだな。」
「花京院くんの気遣いの方がわかり易くて、私は好きだけど。」
「!……そうかい?なら良かった。」
花京院くんの反応は、私を期待させる。それにどんな意味があるのかは、とてもじゃないが聞けない。他意はないのかもしれない。だけどもしかしたらと、私が勝手に期待している。恋ってものは、楽しくて幸せだけど、とても面倒くさいものだ。
「やれやれだぜ……。」
「あ、承太郎拗ねちゃった?承太郎はそのままでいいんだって!」
「拗ねてねぇ。うっとおしい。」
懐かしい……。目が覚めたら、またいつものように忘れてしまうのだろうか。
今回の夢は、ちゃんと覚えていますように。
そう心の中で手を組んで、祈りを捧げた。
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「……覚えてる…。…ちがう…。……思い出した……。」
「……起きたか?何か、思い出したのか?」
ボーッとした頭で目を開けて、たった今見た夢を覚えている事を噛み締めるように独り言を呟くと、不意に声が聞こえてきた。
視線をそちらに移すと、露伴くんの気怠げな瞳と目が合った。そうだ、私は今、露伴くんとインドにやってきているんだった。それで、チャイティーを飲んで、あの夢を……。
「…承太郎…、教えてくれたって、いいのに……。」
「!…君、記憶が戻ったのか…?」
「……全部じゃ、ないよ。…少しだけ…。」
いつも私の右側に座っていたのは、花京院くんだった。だから無意識に、花京院くんの姿を探してしまったのだ。
「……また、会いたいなぁ…。」
彼は今、どこで何をしているのだろうか。せめて夢の中でもいいから、もう一度会いたいと、未だ重たい瞼をそっと下ろした。