4部 エジプトから入院・退院まで
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晴れた日の昼下がり。医学書の必要なページは粗方目を通してしまって手持ち無沙汰になった。何をしようかと考え、そういえば一昨日は結局典明を描くことができなかったな⋯と思い至り、改めてスケッチブックを取り出す。まだ、描きたい典明がたくさんある。
今度は移動せずに、そのままの位置で静かにスケッチを始めると、組んでいた足からハイエロファントが上ってきた。
「ふふ、集中してていいよ。」
私が手持ち無沙汰にしていたのを察知して気にしてくれているのだろうと、そう声をかけるが
「いや、もう随分、法皇の結界に慣れてきたんだ。多少の会話くらいならできる。」
と返ってきたので驚きつつも嬉しくなった。
典明は病院内全ての部屋に触手を伸ばしている。そこに人が何人いるか、何の部屋なのか、全て分かるという事だ。並大抵の集中力でできる事じゃないだろう。それを会話しながらなんて⋯!典明は本当にすごい!
「典明はすごいなぁ⋯⋯。尊敬する⋯。」
私がそう言うと「ありがとう。」と一言。頬を緩めているのが横目で見えてかわいい。鉛筆を動かす手が止まらない。
「⋯いざおしゃべりしようって言われると、何を話したらいいか困るね⋯。」
特にここ数日は、比較的穏やかな日々を過ごしているので、これといって思いつかない。
「じゃあ、なまえの事を聞いてもいいかい?」
そう言われて思い返してみると、今まで典明の過去の話は聞いたが私の話をゆっくり話した事がない事を思い出した。私の生い立ちのようなものでも話そうか⋯。
「んーと⋯私、杜王町の出身で⋯って言っても、本当は山ひとつ越えた隣の町、なんだけど⋯。」
S市の中でも杜王町は有名な地名なので、今まで誰かに聞かれた時は"杜王町"と答えていた。典明にも、以前そう伝えていたはずだ。
「中学に上がるまではその町に住んでたんだけど⋯⋯。私も、今思えば、特に友達はいなかったな。」
今となっては笑って話せるが、当時は、家族以外の周りの人間が嫌いだった。みんな、私を怖がり、不気味がり、虐めるから。田舎では、そういった村八分のような事が当たり前のようにあった。それが、狭いコミュニティの中では必要なのだ。きっと。私には、理解できないが。
「中学に上がるタイミングで東京に引越してきて、承太郎に会ったの。」
私達家族は、逃げるように町を出て、東京に移り住んだ。父の仕事は特殊な仕事で、担い手が少ない事もありすぐに仕事先は見つかり、貯金を崩したが、家も買った。引越してからは、幸せそのもの。順調に生活していたのだ。
「朝、学校までの道が分かんなくなっちゃってキョロキョロしてたら、承太郎を見かけてね。大きいし整ってる顔してるから目立ってて。𓏸𓏸中学校の人ですか?学校まで連れてってください!って声をかけたのが始まり。」
「⋯⋯君、勇気あるね⋯。」
典明はそう言うが、私だって最初から今の承太郎だったら絶対関わろうとしない。中学の時は、普通、だったのだ。
「中学の時の承太郎、かわいかったんだよ?そうだな⋯。ちょうど、典明みたいな好青年⋯って感じ。」
そう言うも、典明は首を傾げている。これは⋯信じてないな⋯!
「ほんとだよ!?聖子さんの事も"母さん"って呼んでたんだから!」
信じてもらおうと必死に訴えるも、典明は笑うだけだ。承太郎の過去には興味がないという事なのか。
「もう!⋯⋯けどその頃から、かな。承太郎も聖子さんも、私達家族にとても優しくしてくれて⋯。いつか、私が誰かと一緒になるなら、私だけに優しくしてくれて、紳士的で、私をとても大事にしてくれる、王子様みたいな人がいいって思うようになってね。」
「僕の事かな?」
少しおどけたようにそう言う典明は楽しそうであり、優しかを含んだ笑顔を浮かべている。はー、もう、好き。
「そうなの!それだけじゃなくて、典明は身長が高くて、整った顔をしてるでしょ?声は低くてかっこいいし、真剣な顔をしてる時はかっこよすぎてドキドキしちゃう!それに、ここだけの話、笑うととってもかわいいの!あとね⋯」
「ちょ、ちょっと待って。まだ続くのかい?」
慌てたように声を上げる典明。その顔は頬を僅かに染めて、困ったような表情を浮かべている。
「まだあるから聞いて!私の話、聞いてくれるんでしょ?」
「⋯⋯そう、だね。」
いつも私に甘い典明は、その言葉で折れてくれて、制止しようと上げかけた腕を下げた。私の勝ち〜!
「ふふ。あとね、典明はいつもいい匂いがするの。服も、体も、髪の毛も。髪の毛といえば、典明の髪の毛って柔らかくてツヤツヤで、風に吹かれて靡くのがとっても綺麗で⋯!あ!あと、典明の唇。形がとっても綺麗なの。薄くて広い唇で私好みで⋯その唇を見てると、キスして!って思っちゃう。」
「⋯⋯なまえ、キスしてもいいかい?」
赤い顔で、額に当てた手の指の隙間から、こちらを覗く藤色の瞳が、一瞬、見えた気がした。
ハイエロファントが、体をスルスルと上ってくる感覚がして擽ったい。
ハイエロファントに引っ張られて、あっという間に典明の目の前に移動させられ、典明に頬を掴まれる。
「君は本当に、僕の事が大好きだな⋯。」
そう言って見上げてくる典明の顔は赤い。そして、なんとも幸せそうな笑顔だ。
「そうだよ。典明も私の事、大好きでしょ?」
彼の肩に手を置いて、顔を近づけて問うと「もちろん。」と即答で返ってきて、同時に彼の方からキスをもらった。私も心が満たされる。幸せだ。
「でもね⋯私が1番好きなのは、典明の綺麗な、藤色の優しい瞳なの。宝石みたいにキラキラしてて、ビー玉みたいに透き通ってて、その瞳に、いつも見つめられてるのが好きなの。⋯また、早く見たいなぁ⋯ねぇ、典明。」
目を開けたまま、おでこをくっつけて典明の目の位置を見つめる。きっと、彼も今、私を見つめているはず。
「うん⋯。僕も早く、君の笑顔が見たい。⋯⋯早く、治すよ。」
まるで誓いの儀式のように、どちらともなくキスを交わす。なんだか、とても神聖なようなそれは、お互い静かに唇を離して終了した。その後も、体を離すことはせず、しばらく見つめあったのち、またどちらともなく体を離したことで、今度こそ終了した。
この儀式が何を意味するのか、それは私達だけしか知らない。お互い何を誓ったのかは、私達ですら、知らなかった。