NOCバレした先輩と信頼関係?を築く話
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※諸伏先輩の偽名を緑川唯としています。
第十話
諸伏先輩の行動は、早かった。私から過去の苦い思い出の男の特徴をざっと聞き取り、一つ頷いた後スマホで検索したウィッグの画像を私の前に示して見せた。
これは? こっちは? と慎重に私の反応をうかがいながら、私にも自覚のないような嫌悪感を見出したらしい。途中から私でさえよく分からなくなったというのに、彼には大体のことが掴めたようだった。
しばらくバイト先には来なくていい。報告に訪れた先輩のセーフハウスでそう言われて、見捨てられるのかもしれないと体が強張った。
「環に不愉快な思い出を蘇らせる緑川唯を視界に入れたくない」
先輩がそう判断したので間違いはないんだろうけど、私自身にはそんな自覚ないんですけど。そう否定しようとしたけど諸伏先輩はそんな私を制止する。
「新しいウィッグが届いたら、偽装を再開しよう」
オレは偽装じゃないけどな。そう呟かれて、反応に困る。諸伏先輩はとても優秀で、素晴らしい人で、この前は驚きに頭が回っていなくてそこまで考えが及ばなかったけれど、どうして私を好きになったんだろう。
私は…先輩が怒るから口にはしないことにしたけど、そんないい女じゃない。警視庁公安部に配属になったのも、多分同期の女性の中で身体能力が一番だったと、そういう点のみを評価されただけで優秀なわけじゃない。
先輩の相棒になりたいとがむしゃらに頑張ってはいるけれど、とてもじゃないけど対等になれる気がしない。私が一歩成長する間に、先輩は二歩も三歩も進んでしまうような人だ。公安部にすらその生存を隠している現状でも私と、降谷さんとから情報を得て、いつだって遠くを見通している。
……気の迷い、とか?
よくよく考えてみたら、諸伏先輩はとても窮屈な生活を強いられている。偽名を使って外では常に変装をして、しかも外では私と恋人関係にあると認識されているため他の女性と恋心を育めるような環境にはない。
選択肢が私しかないような状況下に置かれて3年、3年だ。いくらあの先輩でも……そうかそうか、そりゃ私は可愛い後輩だし好感は持っていてくれたのは間違いないし、そこからの、気の迷い! あっ、すごい。すっきり解決!
「……ふざけてるのか?」
いつもいつも、音なき声で聞いていたセリフが鼓膜を震わせた。恐ろしいほど冷たい声に、そちらを振り返るのが怖い。
私はそっとスマホと財布とを回収してポケットにしまい込み、いちにのさん、で立ち上がり駆け出す。
身体能力、その点のみで言えば先輩にだって負けはしない。でもそもそもに体格差がある。あと多分諸伏先輩には私の行動パターンが把握されていて、逃げ出すだろうと読まれていた。
手首を掴まれて、駆け出した勢いを利用されて体の向きを変えさせられて、気付いたら部屋の壁に押し付けられていた。
壁ドン、だと……? ただしイケメンに限るってやつを経験した。
目の前にはまさしくイケメンがいるので、おそらく第三者としての立場なら「ひゃー!」と楽しめただろうと、そう思う。でもそのイケメンの腕に囲まれてんの、私なんだよな……。
「気の迷い?」
「脳内読むのやめてくださいよ!」
「可愛く恥じらってたかと思ったらあっという間に不穏な考えに移行したと分かる表情になるお前が悪い」
「かわっ……可愛いとか禁止でって言いましたよね!?」
「可愛いと思う気持ちを、止められると思う?」
「く、口にしなきゃいいじゃないですか」
「口にしないと環には一ミリも伝わらないし、なんなら口にしても一ミリも伝わってないと理解した今そのお願いは聞かない」
気の迷い、ね。不機嫌そうに諸伏先輩がそう呟く。だって、最初に会ったときそう言ってた。
覚えてたわけじゃないけど、そう思いついた途端鮮明に蘇ったのだ。降谷さんにそう言って眉を下げていた諸伏先輩の姿が、鮮明に蘇ってしまったのだ。口がへの字になるのが分かる。
「諸伏先輩が、そう言ったんです」
「オレが?」
「最初に会った時」
「……ああ、そういえば言ったな。組織に追い詰められて命の危機を感じて、生存本能が暴走してまだよく知らなかったお前を衝動のまま、同意も得ずに抱こうとしたときの話だろ?」
「抱っ……?」
「好きになる前だったとはいえ無神経な発言だった、あとエサとかも言ったよな、ごめん」
「あの、え? あの首筋がぶがぶは、えっ?」
「というか、今こうして好きになったんだからあの時の衝動は気の迷いじゃなかったんだな。数年前のオレの発言を撤回する。あれは気の迷いなんかじゃなかった。本能的にお前を選んでたんだ」
「いやいやいや! それは無理がある! 無理があります!」
「実際好きになったんだから無理とか言われても」
じゃあ命の危機を救われたことに対する気の迷いとか。考えた瞬間に諸伏先輩が私の頬を軽く抓った。この人本当にすぐ私の脳内を読んでくる。
私が分かりやすいだって? まさか! そんな……そんなわけないって言ってお願い。
「お前を好きになる前のオレの発言まで気にするのは、ちょっと可愛いな」
「……そういうわけじゃないんですけど」
「環以外がオレを助けに来たらどうなってたか、それが不安? 環以外の誰がオレを助けに来れた? 選択肢がないだって? なんだってそんな後ろ向きなんだ。オレの運命が環だったって、それだけの話だろ」
キス、されるのかと思った。
近づいてきた顔にぎくりとしたら、先輩もはっとしたらしい。気まずい表情になって離れていく。ちょっと腰を抜かしかけている私の前でゆっくりと距離を取ってくれた。
「お前がいもしない他の女に嫉妬するのが可愛くて、キスしたくなった。ごめん」
「嫉妬? してませんけど!」
「気の迷いだと思ってオレの心が他に向くのに身構えておいて、何を……」
「……そういうことに、なるのか……!?」
「お前彼氏いた割に……結構、……いや、だから、なのか?」
「なに、なんの話です? ちょっと頭が回らなくなってきました」
「いや、こっちも指導することになるんだなと思って……」
「こっち? 指導? ……ああ、指導! よろしくお願いします」
何の話かは分からないけど、諸伏先輩が教えてくれるというのならばそれは吸収せねば。数年で体に染みついたそれはもはや本能に近い。
意味は分かっていないのに即座に教えを請うていた。頭を下げた私に諸伏先輩が苦笑いするのが分かる。まだまだ手のかかる後輩ですみません。
「こっちは、叩いたりしないから安心しろ」
「あれっ、珍しい。叩けば伸びるタイプなんですよね私」
「恋人予定の女の情緒を叩いて伸ばすような真似はしない。甘やかして褒めて伸ばす」
「情緒?」
「お前経験ばっかり積んでまるで情緒が育ってない」
「……なんか今ものすごく失礼なことを言われてる気がする」
「思い出させたくはないけど、環が選んできたクズ達を思えば否定できない事実だと思う」
諸伏先輩がいい加減突っ立ったままもどうなんだ、って私にリビングのもとの位置を示してくる。腰が抜けかけて足取りがあやしい私がよろよろと言葉に従うのを見て、先輩はキッチンに入っていった。
多分コーヒーでも淹れてくれるんだろう。私は先ほどまで座っていた定位置に戻って、行儀が悪いと思いつつ机にぺたりと上半身を伏せた。なんか、疲れた……。情報が多すぎる。何に驚いていたのかも記憶がない。
予想通りコーヒーの香りが漂う。バイト先で私のためにブレンドしたという、この人公安勤め上げたら喫茶店でも開くつもりなんか? と思ったあれだ。あれを家でも飲めるようにとバイト先で購入してくれたやつだ。……私のためにブレンド……?
「なんですか私のためにブレンドしたって!!」
「えっ、今?」
マグを両手に持った先輩が近づいてきて、机の上に私の分を置いてくれた。
頭がぐるぐるする、早急にカフェインをとりたい。マグに伸ばした右手の指に光る指輪が視界に入って。そういやこれも……?
「今ちょっと考えてみたんですけど」
「うん?」
「後輩に、ご褒美で、指輪……?」
「……恋人偽装に必要だって理由もあるだろ?」
「いやいやいや!? これ、これっ、もしかして首輪でした!?」
「お前公安には珍しいタイプだからな。……結構目をつけられてる」
あれ、それ梓さんに初めて会った時に思ったことあるなあ。可愛いなあ、公安にはいないタイプだなあ、絶対に離さないぞ私の癒しだ! って……。
ふと我が身を振り返る。あんまり優秀じゃない我が身を。ううん、珍しいっちゃ、珍しいか!
「にしても首輪なんて人聞きの悪い。牽制と言ってくれ」
「本人の了承を得てからにして!!」
「了承をください」
諸伏先輩の頭に、伏せられた犬耳が見える。もしかしてこの人、これ意識的にやってるんじゃないだろうな? 私が愛犬に弱いって知ってる上で、その愛犬によく似た毛並みを利用してるんじゃ……。
「……ま、」
「ま?」
「前向きに、検討します」
もう長いこと指にはまっているそれを、外してしまうのは……なんだか寂しいことのような気がしたから。
指輪を撫でている私を、先輩がちょっとびっくりした顔をして見ている。どういう顔ですかそれ。聞きたいような、聞いたらまた受け止めきれない情報がもたらされるような気もするから聞くのが怖いような。
「だってこれは、なくなったりしませんし」
「オレもいなくなったりしないけどな」
ずっと環の傍にいる。
甘い声が降ってきて、慌ててコーヒーを口に運ぶ。温かいそれが体の内側に広がっていくのを感じた。
湯気の向こうにいる彼がこちらを見つめるのに気づいて、慌てて目を閉じてコーヒーに集中する。今日はもう、頭が回ってないので閉店します……。
胸の中があったかいのは、たぶんコーヒーのおかげじゃないんだよなあって、それだけは分かったけど。
続く
第十話
諸伏先輩の行動は、早かった。私から過去の苦い思い出の男の特徴をざっと聞き取り、一つ頷いた後スマホで検索したウィッグの画像を私の前に示して見せた。
これは? こっちは? と慎重に私の反応をうかがいながら、私にも自覚のないような嫌悪感を見出したらしい。途中から私でさえよく分からなくなったというのに、彼には大体のことが掴めたようだった。
しばらくバイト先には来なくていい。報告に訪れた先輩のセーフハウスでそう言われて、見捨てられるのかもしれないと体が強張った。
「環に不愉快な思い出を蘇らせる緑川唯を視界に入れたくない」
先輩がそう判断したので間違いはないんだろうけど、私自身にはそんな自覚ないんですけど。そう否定しようとしたけど諸伏先輩はそんな私を制止する。
「新しいウィッグが届いたら、偽装を再開しよう」
オレは偽装じゃないけどな。そう呟かれて、反応に困る。諸伏先輩はとても優秀で、素晴らしい人で、この前は驚きに頭が回っていなくてそこまで考えが及ばなかったけれど、どうして私を好きになったんだろう。
私は…先輩が怒るから口にはしないことにしたけど、そんないい女じゃない。警視庁公安部に配属になったのも、多分同期の女性の中で身体能力が一番だったと、そういう点のみを評価されただけで優秀なわけじゃない。
先輩の相棒になりたいとがむしゃらに頑張ってはいるけれど、とてもじゃないけど対等になれる気がしない。私が一歩成長する間に、先輩は二歩も三歩も進んでしまうような人だ。公安部にすらその生存を隠している現状でも私と、降谷さんとから情報を得て、いつだって遠くを見通している。
……気の迷い、とか?
よくよく考えてみたら、諸伏先輩はとても窮屈な生活を強いられている。偽名を使って外では常に変装をして、しかも外では私と恋人関係にあると認識されているため他の女性と恋心を育めるような環境にはない。
選択肢が私しかないような状況下に置かれて3年、3年だ。いくらあの先輩でも……そうかそうか、そりゃ私は可愛い後輩だし好感は持っていてくれたのは間違いないし、そこからの、気の迷い! あっ、すごい。すっきり解決!
「……ふざけてるのか?」
いつもいつも、音なき声で聞いていたセリフが鼓膜を震わせた。恐ろしいほど冷たい声に、そちらを振り返るのが怖い。
私はそっとスマホと財布とを回収してポケットにしまい込み、いちにのさん、で立ち上がり駆け出す。
身体能力、その点のみで言えば先輩にだって負けはしない。でもそもそもに体格差がある。あと多分諸伏先輩には私の行動パターンが把握されていて、逃げ出すだろうと読まれていた。
手首を掴まれて、駆け出した勢いを利用されて体の向きを変えさせられて、気付いたら部屋の壁に押し付けられていた。
壁ドン、だと……? ただしイケメンに限るってやつを経験した。
目の前にはまさしくイケメンがいるので、おそらく第三者としての立場なら「ひゃー!」と楽しめただろうと、そう思う。でもそのイケメンの腕に囲まれてんの、私なんだよな……。
「気の迷い?」
「脳内読むのやめてくださいよ!」
「可愛く恥じらってたかと思ったらあっという間に不穏な考えに移行したと分かる表情になるお前が悪い」
「かわっ……可愛いとか禁止でって言いましたよね!?」
「可愛いと思う気持ちを、止められると思う?」
「く、口にしなきゃいいじゃないですか」
「口にしないと環には一ミリも伝わらないし、なんなら口にしても一ミリも伝わってないと理解した今そのお願いは聞かない」
気の迷い、ね。不機嫌そうに諸伏先輩がそう呟く。だって、最初に会ったときそう言ってた。
覚えてたわけじゃないけど、そう思いついた途端鮮明に蘇ったのだ。降谷さんにそう言って眉を下げていた諸伏先輩の姿が、鮮明に蘇ってしまったのだ。口がへの字になるのが分かる。
「諸伏先輩が、そう言ったんです」
「オレが?」
「最初に会った時」
「……ああ、そういえば言ったな。組織に追い詰められて命の危機を感じて、生存本能が暴走してまだよく知らなかったお前を衝動のまま、同意も得ずに抱こうとしたときの話だろ?」
「抱っ……?」
「好きになる前だったとはいえ無神経な発言だった、あとエサとかも言ったよな、ごめん」
「あの、え? あの首筋がぶがぶは、えっ?」
「というか、今こうして好きになったんだからあの時の衝動は気の迷いじゃなかったんだな。数年前のオレの発言を撤回する。あれは気の迷いなんかじゃなかった。本能的にお前を選んでたんだ」
「いやいやいや! それは無理がある! 無理があります!」
「実際好きになったんだから無理とか言われても」
じゃあ命の危機を救われたことに対する気の迷いとか。考えた瞬間に諸伏先輩が私の頬を軽く抓った。この人本当にすぐ私の脳内を読んでくる。
私が分かりやすいだって? まさか! そんな……そんなわけないって言ってお願い。
「お前を好きになる前のオレの発言まで気にするのは、ちょっと可愛いな」
「……そういうわけじゃないんですけど」
「環以外がオレを助けに来たらどうなってたか、それが不安? 環以外の誰がオレを助けに来れた? 選択肢がないだって? なんだってそんな後ろ向きなんだ。オレの運命が環だったって、それだけの話だろ」
キス、されるのかと思った。
近づいてきた顔にぎくりとしたら、先輩もはっとしたらしい。気まずい表情になって離れていく。ちょっと腰を抜かしかけている私の前でゆっくりと距離を取ってくれた。
「お前がいもしない他の女に嫉妬するのが可愛くて、キスしたくなった。ごめん」
「嫉妬? してませんけど!」
「気の迷いだと思ってオレの心が他に向くのに身構えておいて、何を……」
「……そういうことに、なるのか……!?」
「お前彼氏いた割に……結構、……いや、だから、なのか?」
「なに、なんの話です? ちょっと頭が回らなくなってきました」
「いや、こっちも指導することになるんだなと思って……」
「こっち? 指導? ……ああ、指導! よろしくお願いします」
何の話かは分からないけど、諸伏先輩が教えてくれるというのならばそれは吸収せねば。数年で体に染みついたそれはもはや本能に近い。
意味は分かっていないのに即座に教えを請うていた。頭を下げた私に諸伏先輩が苦笑いするのが分かる。まだまだ手のかかる後輩ですみません。
「こっちは、叩いたりしないから安心しろ」
「あれっ、珍しい。叩けば伸びるタイプなんですよね私」
「恋人予定の女の情緒を叩いて伸ばすような真似はしない。甘やかして褒めて伸ばす」
「情緒?」
「お前経験ばっかり積んでまるで情緒が育ってない」
「……なんか今ものすごく失礼なことを言われてる気がする」
「思い出させたくはないけど、環が選んできたクズ達を思えば否定できない事実だと思う」
諸伏先輩がいい加減突っ立ったままもどうなんだ、って私にリビングのもとの位置を示してくる。腰が抜けかけて足取りがあやしい私がよろよろと言葉に従うのを見て、先輩はキッチンに入っていった。
多分コーヒーでも淹れてくれるんだろう。私は先ほどまで座っていた定位置に戻って、行儀が悪いと思いつつ机にぺたりと上半身を伏せた。なんか、疲れた……。情報が多すぎる。何に驚いていたのかも記憶がない。
予想通りコーヒーの香りが漂う。バイト先で私のためにブレンドしたという、この人公安勤め上げたら喫茶店でも開くつもりなんか? と思ったあれだ。あれを家でも飲めるようにとバイト先で購入してくれたやつだ。……私のためにブレンド……?
「なんですか私のためにブレンドしたって!!」
「えっ、今?」
マグを両手に持った先輩が近づいてきて、机の上に私の分を置いてくれた。
頭がぐるぐるする、早急にカフェインをとりたい。マグに伸ばした右手の指に光る指輪が視界に入って。そういやこれも……?
「今ちょっと考えてみたんですけど」
「うん?」
「後輩に、ご褒美で、指輪……?」
「……恋人偽装に必要だって理由もあるだろ?」
「いやいやいや!? これ、これっ、もしかして首輪でした!?」
「お前公安には珍しいタイプだからな。……結構目をつけられてる」
あれ、それ梓さんに初めて会った時に思ったことあるなあ。可愛いなあ、公安にはいないタイプだなあ、絶対に離さないぞ私の癒しだ! って……。
ふと我が身を振り返る。あんまり優秀じゃない我が身を。ううん、珍しいっちゃ、珍しいか!
「にしても首輪なんて人聞きの悪い。牽制と言ってくれ」
「本人の了承を得てからにして!!」
「了承をください」
諸伏先輩の頭に、伏せられた犬耳が見える。もしかしてこの人、これ意識的にやってるんじゃないだろうな? 私が愛犬に弱いって知ってる上で、その愛犬によく似た毛並みを利用してるんじゃ……。
「……ま、」
「ま?」
「前向きに、検討します」
もう長いこと指にはまっているそれを、外してしまうのは……なんだか寂しいことのような気がしたから。
指輪を撫でている私を、先輩がちょっとびっくりした顔をして見ている。どういう顔ですかそれ。聞きたいような、聞いたらまた受け止めきれない情報がもたらされるような気もするから聞くのが怖いような。
「だってこれは、なくなったりしませんし」
「オレもいなくなったりしないけどな」
ずっと環の傍にいる。
甘い声が降ってきて、慌ててコーヒーを口に運ぶ。温かいそれが体の内側に広がっていくのを感じた。
湯気の向こうにいる彼がこちらを見つめるのに気づいて、慌てて目を閉じてコーヒーに集中する。今日はもう、頭が回ってないので閉店します……。
胸の中があったかいのは、たぶんコーヒーのおかげじゃないんだよなあって、それだけは分かったけど。
続く