国家と国民に奉仕します!【俳優パロ】
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久々の非番である。
私は最近いろいろと、いろいろと冷静でいられなかった日々を過ごしていたことを思い返し、これはもう自分へのご褒美タイムに当てるべきなのではと考えた。
そうだ渋谷の、最近テレビでも雑誌でもとりあげられているカフェに行って甘いものでも食べよう。そうと決まればこうしてはいられない。上着をとって羽織り、家を出た。
電車に揺られて、ちらりと車内広告を見る。ここ数日テレビでも週刊誌でも見慣れたその見出しに、もう何も心は乱されなかった。なるほど、概ね理解した。最初にその報道を見た時に思ったのはそれであった。
私の隣にいる高校生ぐらいの若い女の子二人が、私と同じ広告を見て眉を下げている。距離が近いのと、やや興奮状態にある彼女たちが大きいのと。会話は嫌でも耳に入ってくる。
「ねえ、景光くんの熱愛報道って本当なのかな…!ショックなんだけど!」
「ショックだけど…お相手が完璧すぎるじゃん!」
「お似合いだけど……お似合いだけどぉ…」
先週、超人気俳優の諸伏景光の熱愛報道が話題をさらった。お相手はやはり超人気女優で、過去に夫婦役で共演したことがあったという。その時のご縁を大事に温めてきたんでしょうね、とワイドショーでコメンテーターが言っていたのを職場のテレビで見た。
なるほど、概ね理解した。
彼は結婚を控えているのだろう。職場でよく聞くが、結婚を控えた男には一定数「これでもう遊べなくなるから」と火遊びに興じる奴がいるらしい。あの一見すると謹厳実直な男がそんな真似に走るのかと疑いたくはなるが、何しろ被害者は私である。
部屋を知っていた理由は分からないままだが、もうそんなことはどうでも良かった。何故彼が私を火遊びの相手に選んだのかは、おそらく切り捨てやすかったからだろうと予想がついた。
つまり、ヤり捨てであってほしくない、奇跡よおきてくれ、何かの気の迷いで私に惚れたとかそういうことであれと祈りを捧げたあの日々はーーーひどく滑稽なものだったという事実だけが残ったのだ。
電車が駅について扉が開く。押し出されるようにしてホームに降りて開札を抜け、そうして駆けだした。
前方の歩道を歩く女性から鞄をひったくって走っていく男の姿が見えたからである。いいところにカモが来た。私は非番で、身分さえ明かさなければ…………………………。
人混みを縫って走る。視界の端にどこか覚えのある青みがかった灰色が見えたような気もするが、カモを前にした私には関係なかった。ひた走る。
私の存在に気付いたのか男がこちらを振り返りぎょっとして、前に向き直っていっそうスピードを上げた。
「お前の顔は記憶した!!」
明るい茶髪、整えられた眉、少したれ目で鼻筋は通っていて、薄い唇の向かって右にほくろ有り!
そう声に出して明確に記憶に刻み付ける。ノーカラーの白いシャツにカーキのパンツ、有名なメーカーのスニーカーで左足踵には白いペンキのような汚れ!続けて声に出す。見失うわけにはいかないが、特徴を忘れるわけにもいかない。
がくんっ
突如足を取られてたたらを踏み、足元を見ると履いていた靴のヒールが歩道の溝にはまっていた。こんなもの、不要だ!タイムロスに舌打ちをして、ついでだと上着を放る。
舗装されているとはいえストッキングで走るのは、痛い。小さな石が足の裏を傷つけるのは分かったが、構いはしない。自分より弱そうだから、抵抗はしないだろうからと相手を選んで犯行に及んだであろうそいつに、頭の芯が冷えていく。
男が花屋の前に置いてあったバケツに足を取られているのが見えた。運が良いと口の端が上がる。距離を詰めて、わずかに跳躍してその男の背中の真ん中に膝を埋め込み一気に地面にたたきつけた。
ぐぇ、という低い声がするが構わずに男の手を取って捻り背中に押し付け、いつものようにポケットに手を伸ばして空振りする。…そうだ非番だった。じゃあスマホを、とお尻の方のポケットから取り出して通報した。
直にパトカーか近くの交番から仲間が来てくれるだろう。その間に本当にボコってやろうか………………いいや非番でもなんでも私は警察官である。私怨でそんな非道なことをするわけには…。
……たとえばこの捻り上げた手にちょっとだけ力をこめるのは、ありだろうか。
「放せこのブス!」
「私の顔が美しくないこととお前の罪が許されて拘束から解放されるかどうかはまったく関係が無い。頭でも打ったか?」
よしよし、抵抗されたのならば仕方がない。大義名分を得てぎゅっと余分に力をこめておく。なんていいカモなんだ、今日はついている。
交番の方が近かったらしい、制服警官に男を引き渡して警察手帳を掲示する。
「靴と上着を脱ぎ捨ててきたので、拾ってからすぐに向かいます」
「非番の中お疲れ様です…!!」
所属と名前を確認してもらって私は来た道を引き返す。足運びが不自然になるのは仕方ない。確認していないがおそらく血だらけだろう。
こちらに向かってくる女性の人影に、はっと我に返った。そうだった、被害女性のことをすっかり忘れていた…大失態である。早く安心させてやらねばと駆けだした。
「男は無事に取り押さえました。お話を聞かせていただきたいのですが」
「あの…あの、ありがとうございました!」
「……いいえ。国民に奉仕するのが、私の職務ですので」
八つ当たりでした。いいカモだと笑っていました。尊敬のまなざしにいたたまれない気持ちになりながら、歩道の先にいる仲間を指さす。向こうもこちらを見ていたので、きっと事情は察してくれただろう。
女性が小走りでそちらへ向かうのを見送って、私はまた不自然な足取りで歩きだす。
「相変わらず猿みたいだったね、環」
そう声をかけられて差し出された上着と靴。拳を叩き込むような真似はしない。そんな真似が許されるような、そんな価値のある女だと向こうは思ってくれていない。
ありがたく受け取って、血が付くのも構わずに靴を履いた。靴を履くのに屈んで頭が下がった時、一滴だけ涙がこぼれたが、足の傷のせいだろう。
「誉め言葉として、受け取っておきます」
「…褒めてるよ」
「では」
背中を向ける。ほんのわずかだけ、米の一粒ほど、引き留めてくれと願ったが……おい引き留めてくれ頼むから。
胸を張って顔を上げて、顎を引く。泣きたい気持ちなど紙くずに包んで捨ててやる。痛む足を無視して仲間の元へ向かう私のその背中に。
「環の背中、最高に格好いい」
驚き、振り返る。雑踏にまぎれたのかはたまた裏路地にでも隠れたのか。諸伏景光の姿はどこにもなかった。
続く