国家と国民に奉仕します!【俳優パロ】
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犬に嚙まれた。私自身が国家の犬であるのに犬に嚙まれたとはなんという皮肉だろう。
つまらん、百点満点中の二点程度だろう。とにかくあれはそういう類のものである。忘れることにしよう。
だいたい誰が信じるだろうか。超人気アイドル兼俳優がいつの間にか我が家をつきとめ突然来訪し、油断を誘って上がり込んだ挙句仕事でぼろぼろになっている女を抱いた…などと。
仲の良い同性の同僚に相談でもしてみようか、と思ったことはあった。がしかし、返ってくる言葉が容易に想像できたためやめた。「あんた…疲れてるのよ…」もしくは「夢でも見たの?」、「欲求不満ならそういうお店に行きなさい」…あなたは本当に私の友人でいいんだよね?自分の想像とはいえ友人関係にヒビが入りそうであった。
「環、自殺志願者がいると通報があった。向かうぞ」
「はい、熊先輩」
犬に嚙まれたことは頭の隅どころか紙くずに包んでゴミ箱に放ることにした。素早く車に乗り込んで、助手席で先輩がシートベルトを装着したのを見て現場へ急行する。あの劇場版での一言の通りである。この街は、呪われているらしい。
屋上の落下防止の柵の向こうで、青い顔をした女性が泣いている。ドラマの見過ぎなのか、柵のこちら側に靴を揃えて脱いでいる。確認はまだだがその下には遺書か何かがあるのではないだろうか。
「来ないでよ…!もう、死ぬしかないの!!」
ひっしと柵にしがみついたままの女性がそう叫ぶ。ひどい興奮状態だ。貴女の体はどう見たって生きたがっていると指摘しようものなら、半ば自棄になって本当に飛び降りてしまうだろう。
無線を確認する。万が一のためのマットの用意はまだ整っていない。そんなものを用意されていると気付かれても、おそらく結果は同じだろう。つまり、説得して彼女自身にこちらへ戻ってきてもらうか。気付かれずにマットを用意してその上に落ちてもらうか…。マットがあったとて結構な衝撃だ。可能ならば前者で解決を図りたい。
「好きだったのに!ふられたの!!」
おそらく私が、年齢の近い同性だったからだろう。ぴたりと視線が合って、運よく会話を始めてくれた。いいぞ、この調子でとりあえずは時間を稼ごう。熊先輩に合図を送れば、小さく頷きが返って来た。
「それはつらいですね…」
「そうよ…!大好き、だったのに…!!」
わあっ!と大きな泣き声を上げている彼女に、そっと半歩近寄ってみる。反応はない。ではもう半歩…ぴくりと肩が揺れた。今はここまで…か。足を止める。
「捨てられたの!ゴミくずみたいに!」
「…ほぉ…?」
身に覚えがありすぎた。思わず同調するのを忘れて低い声が出る。彼女も私の反応が予想外だったのだろう、涙で濡れた眼をぱちくりさせてこちらを見た。
「…もしかして、貴女もなの…!?」
女性の目が、きらりと希望を見つけたように光る。己の迂闊さを呪うが、仕方ない。熊先輩が必死に頬の内側を噛んでいるような気もするが、今回はこの路線で行かせてもらうことにする。
「そうです。つい先日捨てられました」
「じゃあ!じゃあ私の気持ち、分かってくれるわよね!?」
捨てられた…一度拾われた覚えすらないが、あれは立派なヤり捨てだろう。そういうことにして、女性との会話を続ける。同意を待つ彼女の目をしっかり見つめて一歩踏み出す…今度は拒絶の兆候は見られなかった。
「分かりますとも!!」
演技の筈が思いきり腹から声が出ていた。犬に嚙まれた、紙くずに包んで捨てたーーーそうやって忘れた。その筈だった怒りがふつふつと湧いてくる。あの野郎。
「ヤるだけヤって朝起きたらいないんですよ!?」
「えっ」
「……失礼。自分語りが過ぎました…」
熊先輩の頬の内側から出血している気がする。鼻を突く鉄の匂いにそう思う。
冷静になれ、自分自身に言い聞かせて怒りを腹の内に丁寧にしまい込みしっかり蓋をする。思い浮かべた諸伏景光の端正な顔立ちに脳内で容赦なく拳をたたき込み、お前を一生応援しない、と告げてから改めて女性に向き直る。
―――女性は、ひどく同情的な顔を私に向けていた。
「かわいそう…ひどすぎる…」
「え」
「私でさえ、一か月は付き合ってもらったのに…」
「え」
「そうだよ…一か月、付き合えたんだもん…幸せ者だよね……うん、死ぬなんて、もったいないよね!」
「あの…?」
困惑する私を前に、彼女はしっかりとした足取りで柵を超えてこちらに戻ってきてくれた。すかさず熊先輩がそれを支えて、なおかつ再び向こう側に行かないようにするのが見える。
熊先輩が私の肩をぽんとねぎらうように叩いた。自殺志願者を止めたことをねぎらわれたのか。はたまたヤり捨てられたことを慰められたのか。
…前者であることを強く願いたい。柵の向こう側、おそらく地上で事の成り行きを見守っていた野次馬から、わぁっと声が上がるのが聞こえてくる。「ヤり捨てられた姉さんも頑張れよー!!」という声に、膝から崩れ落ちた。
「環の声はでかいしよく通るからな」
「あの、お姉さんも……その、次はいい男つかまえましょうね…」
誰が想像できただろう。白昼の自殺未遂騒動を大スクープだとモラルもなくスマホで撮影して、簡単な目隠しをしただけの状態で動画サイトにアップする人間がいるだなんて。
同僚かつ友人に教えられてその動画を見て、なおかつコメントで「どんまい」などと同情を寄せられていることを知り……諸伏景光…もう顔も名前も見たくない、と泣いた。自業自得であるとは分かっているが、そう思う気持ちを止められなかった。
ちなみに例の映画が公開間近のためか連日テレビで姿を見ることになる。逮捕術の訓練に一層熱が入って助かった、と思うことにしないととてもじゃないけどやっていけない。
「誰がヤり捨てだって?」
家の鍵を開けようとしたら空回って、すわ強盗かと扉を勢いよく開けて靴のまま部屋に突入し、そこに居座る奴の姿に、眩暈がした。諸伏景光、お前ほんといい加減にしろ逮捕するぞ!!
続く