国家と国民に奉仕します!【俳優パロ】
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足を肩幅程度に開き、体重は均等に。いつでも動けるように、力は抜きすぎず、強張りすぎず。出入りするスタッフに油断なくちらりと視線を送って不審な人物がいないかどうかを確認。
違う、ここは事件現場ではないのだった。
何故お前のようなものがここへ。身に刺さる視線にいつの間にか意識がぴりぴりしていたらしい。周囲の誰にも気付かれないようにはっと短く呼気を逃がす。
ここは映画の撮影現場であり、要人警護の現場でもなければ事件現場でもない。
先日、交通課の若い女の子に給湯室でぎたぎたした目線と油っぽい手を伸ばしていた上司のカツラを手刀による風圧で吹き飛ばした。昏倒させても良かったのに、それだけで済ませてやったのを感謝して欲しいぐらいだ。
だが厳しい階級社会でそんな意見が通るわけもない。当然激昂したくそ上司は私を一か月現場出入り禁止・内勤のみとし、さらなる嫌がらせをかねてこの撮影現場へと送り出したのであるあのくそ野郎。……体を動かせていないストレスでやや口調が乱れたことをここで謝罪しておきたい。
ハロウィンの渋谷が舞台になるというその映画は、長く続くシリーズもので当然私でも知っている。特に今作はWPSというアイドルグループが役を務める警察学校同期組が5人揃ってでの劇場版初登場になるというので力が入っている。
アイドルグループ、と言いはしたが彼らの活躍は多岐にわたる。歌って踊るし舞台にも立つ、センターの降谷さんに至ってはスタントマンなしにシリーズの別映画でもドラマ版でも恐ろしいほどの身体能力を見せつけてくれている。
そういう人気作で警察庁・警視庁に所属するという設定の彼らを全面的に後押しして、是非とも民間からのイメージアップにつなげたい…それが上の意向である。監修、と銘打った何かにより上からの指示を受けた私の先輩が数回現場に出入りしていたのだが、そこへ私が…女である私がひょこりと顔を出したものだから、現場はぴりついたのである。
慣れている。警察という男社会で生きるからには、侮るような視線には、慣れなければやっていけない。どうせ彼らのファンなのだろう、一目見たいと無理矢理ついてきたのだろう、そういう視線を瞬き一つして受け流す。
先輩と離れるわけにはいかないが、邪魔をするわけにもいかない。セットの端に邪魔にならないように直立不動で待機する。ビルを模されて作られたセットに感心しながら、踊り場付近で伊達さんと諸伏さんと話し込む先輩に目をやる。確か、爆弾魔を追いかける…そういうシーンだっただろうか。
演技指導。アクションにおいては専門職がする方が正しいだろうに。そう思って見つめていたら、先輩の口が開いた。
「被疑者は拳銃様のものを所持!発砲音複数回あり!向かいのビルに飛び移ったぞ!環、いけるな!?」
びりびりっ
大気を震わせるような大音声に、一気に頭の芯が冷えた。拳銃に…発砲音?!ひゅっと喉が鳴る。すぐに取り押さえなければ、どれだけの犠牲が出るだろう。
靴をその場に脱ぎ捨てる。わずかなヒールでも先輩の手に穴をあけてしまうしこんなものは邪魔だ。上着も脱いで脇に放る。肩廻りの動きを制限されるとやりづらい。
防弾チョッキはない…が、仕方ない。ぐ、と身を低くして駆けだす。非常階段の踊り場で待ち構える先輩に向かって全速力。驚いたような顔をした伊達さんと諸伏さんが見えたような気もする。視界の端に流れていって、すぐに忘れた。
先輩まであと五歩、四歩、三歩、二歩―――!!
腰を軽く落として足の間に両手を組んで待ち構えていた先輩の手に片足を乗せて踏み込み、ぐいっと力強く押し出されるのに合わせて跳躍する。―――流石先輩、タイミングが完璧だ!!
体感は恐ろしく長いが、おそらく実際には数秒だ。
拳銃を所持した危険人物がいるという向かいのビルの外階段の淵に危なげなく両手をかけて、一度跳躍の勢いを殺すために膝をクッションに両足を壁につく。
それからその反動を使って壁を蹴り、腕の力で一気に体を引き上げて、くるりと回って足から踊り場へ着地。足の下でストッキングが破れたような感覚があるが、構いはしない。
「環!上だ!」という先輩の声に従ってすぐに立ち上がり階段を駆け上がる。屋上に到着して、仮面をつけた割合細身な人影を見つける。女か?いや、油断するな。一瞬で接敵したーーー。
「そこまで!!!」
びりびりと空気を震わせる先輩の再度の大声に仮面の人物に伸ばしていた手をぴたりと止める。
「こ、こわっ…!現役警察官怖っ!!」
仮面をつけていた人物がへたりと座り込むのを見て、そこでようやくおや、と首を傾げた。私は今日現場じゃなかった筈だが。わあっと沸き上がる歓声と拍手に、驚きで肩が跳ねる。何ごとだ?!
まるきり事態を呑み込めないでいる私の元へ、先輩が近づいてきた。
「環、猿みたいだったな。よくやった!反応速度も対応もまあ文句なしだろう」
「先輩…あの、今のなんですか?」
「降谷さんが今いちイメージが掴めんとおっしゃったのでな。実例を見せてさしあげようと思ったまでだ」
「ならそう言ってください。スイッチ入っちゃったじゃないですか」
「わざと入れたんだよ。ほら、靴と上着持ってきてやったから怒るな」
「持ってきていただいたんですか。ありがとうございます」
私を猿と表現した熊のような先輩から上着と靴を受け取って、とりあえず靴を履く。足の裏で破れたストッキングが、その後の動きでさらに足首より上まで伝線しているのが見えたが変えるような時間はないだろう。
先輩の後ろから、その話題の降谷さんが顔を出す。私を見たその眼差しには…素直な称賛が浮かんでいる。
「すごかった!君、本当に猿みたいだな」
「…ありがとう…ございます…?」
褒めている、そういう認識でいいんだろう。ヒーローショーを見ている子どものような目をしているんだから、いいんだろう。
「環のおかげでイメージが掴めた。次は、いける」
「お役に立てたようでなによりです」
その言葉通り次の本番、一発で綺麗にアクションを決めた降谷さんである。でもその後この件をきっかけに降谷さんが私のことを猿と呼ぶようになったので先輩の肩に拳を叩き込んでおいた。痣になれ。私が猿なら先輩は熊だ。これ以降熊先輩と呼ぶことにする。
******
数日後無事に監修と銘打たれたそれが終わり内勤に励んだ。あのくそ上司がハゲだけに。そうして何日かぶりに我が家へ帰った私である。
じじ…っという古臭い蛍光灯が立てる音の中階段を上がり、角を曲がる。蛍光灯の光がわずかに届かない通路の先に、人影があった。
す、と目を細める。不審人物…か?鞄の中のスマホを手にいつでも通報できるよう、警戒しながら足を進める。
隣の部屋の客という可能性もある。暗くてよく見えないが、灰色の…少し青みがかったような色のフード付きパーカーを着たその人影は、顔も見えないぐらい深くフードをかぶっていて怪しすぎる。
こちらが立てる足音に気付いて、身じろぎしたのが分かった。…やはり、不審人物で間違いないのか。私を見て、人影がフードを下ろすのが見える。えっ?
「やあ」
甘く、親しげな声。私は構えていたスマホをすぐに下ろして、軽く頭を下げる。数週間前に撮影現場で何度も見かけた、あの諸伏景光さんであった。
人当たりの良い彼に数度「お疲れ様」などとお声をかけていただいたことはあったが、何故ここに。
はっとして周囲を警戒する。なるほど…概ね理解した。彼は超人気俳優であり、この風貌だ。おそらく行き過ぎたファンが後を付け狙うなどして、彼は助けを求めてここへ来たのだろう。
アパートの外、暗い街並みをじっと見下ろす。大学生だろうか、数人のグループが飲み会帰りなのだろう、楽しそうな笑い声を上げて道を行くのが見えるだけである。
「被疑者の特徴を教えていただけますでしょうか」
「被疑者?」
「…少々言葉が過ぎましたか。そうですね、貴方を慕う過激なファン、ならばどうでしょう」
「―――ごめん、なんの話だ?」
本当に意味が分からない。そういった様子である。
なんだ不穏な事件の気配は勘違いか。ほっと胸を撫で下ろす。警戒を解いて改めて彼に向き直る。よくよく見てみれば彼の体は緊張状態にはない。
慣れない場所だからだろうか、わずかばかり居心地が悪そうなそぶりはあるものの、身の危険を感じている様子ではなかった。
「こちらの勘違いでした。てっきり、誰かに付け狙われているのかと」
「そういうことがまったくないとは言わないけど。今日は違う」
やはりそういうことがあるにはあるらしい。有名税というやつだろうか。お気の毒である。
ではいったい何故ここへ…?その疑問が顔に出ていたらしい。諸伏さんが少し困ったように頬をかく。
「こんな時間に悪いとは思うんだけど、ご存知の通りだから。…環の部屋に上がらせてもらってもいい?」
失念していた。まさかこんなボロ…一歩手前のアパートに有名人がいるとは誰も思いはしないだろうが、万が一彼の姿が見られたら。人が押しかけてアパートが軋み、歪み、倒れる…そこまで想像して、慌てて部屋の鍵を差し込んだ。
「狭苦しいですが、どうぞ」
「お邪魔します」
そう一言断って部屋に上がって来た彼を迎えて、少し迷った後鍵をかけて。
ふと、どうして彼は私のアパートを知っていたのだろう?と考える。
いつの間にか背後を許してしまったことに気付いたが、遅かった。腹部に回されたたくましい腕がぐい、と私の体を引く。情けないほどに無防備だったのと、そもそも彼の体格が良すぎるのとで一瞬足が浮く。
「お招きありがとう、環」
耳元で囁かれた甘く掠れた声に、先ほど感じた不穏な事件の気配は勘違いなどではなかったことを知った。被疑者は諸伏景光であった、そういうことだ。
続く
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