<CASE2:ウルダハ編>





 暁解散の後、キャメロンの表向きの仕事はアルダネス聖櫃堂での葬送儀式や祭事の補佐役になっている。十二歳という幼さで身一つウルダハへ飛び込んだキャメロンを最初に庇護下へ置いてくれた組織であり、呪術と黒魔法の基礎を教えてくれた恩義あるギルドだ。特異な家系に生まれた故に十二神への信仰心は根強いものではないが、キャメロンにとってのナルザル神は『呪術士と黒魔道士に加護を与えてくれる戦神』にして『術士が屠った魂を導いてくれる冥界神』という独自解釈の信仰の対象であり、オムファロスで対面した際にもその信仰の在り方を嬉しそうに肯定してもらえたので、冒険者になったその日から祈りを聞き届けてくれていたナルザル神のためにも古巣ギルドの力になりたいと思い、自然と聖櫃堂での仕事に従事するようになった。
 だから、キャメロンを捕まえたい人間はよくアルダネス聖櫃堂を訪れる。その日もキャメロンが聖櫃堂内の書庫の目録確認をしていると、よく知る気配が隠さずに背後から近づいてくるのがわかった。

「精が出るねぇ、お嬢」
「りあくん」
 振り向いた先にいたのは、ケイロンの右腕でありガルシア錬金商専属錬金術師のカメリアだった。先祖の代から家族ぐるみの付き合いがあるので、キャメロンにしてみれば親戚の兄のような存在である。愛煙家のカメリアが煙草の匂いを隠さずやってきたので、聖櫃堂内に満ちた香の匂いに混じって主張するその香りにキャメロンは鼻をつまんでしかめ面をしてみせた。
「堂内は禁煙なんだけど」
「吸ってないじゃん」
「入ってくる直前まで吸ってたでしょ?火の元になるだけじゃなくて、蔵書や貯蔵品に匂いが移るから禁煙なんだよ」
 受付のヤヤケほどではないが少し口煩く注意するキャメロンに、カメリアは鬱陶しそうな表情になって肩を竦めた。
「わかったよ。じゃあとっとと退散するから、旦那からの言伝だけ聞いてくれる?」
「お兄様から…?」
 兄からの言伝なんて珍しい、とキャメロンはつぶらな瞳をぱちくりと瞬かせた。
 今でこそ兄妹仲は悪くないが、そもそもキャメロンの冒険の始まりは、兄への反発からの家出がきっかけだった。自分達の家系の特異さは幼心にも理解していたので、いざウルダハでの冒険者稼業が安定しても安易には実家へ手紙を出すこともできず、ケイロン側も最近になってようやくジャヌバラーム島からウルダハへと拠点を移したので、キャメロンとケイロンは自然と、互いの稼業については不干渉というスタイルが確立されていた。たまにスポットで手伝いに呼ばれることはあってもそれは弟のカムイルに声がかかる場合がほとんどで、キャメロン自身は兄の仕事についてはわかっていないことの方が多い。
 わざわざカメリアを寄越したのだから、きっと仕事関係の用向きだ。そこまで察して不思議そうな顔をするキャメロンに、カメリア頷き返して手短に内容を伝える。
「俺達が滞在してるホテル、わかるよね?」
「うん、」
「仕事終わったら来てほしい。詳しい内容はそこで」
 それだけ言うと、カメリアは踵を返してひらひらと手を振りながら聖櫃堂の外へと出ていってしまった。この場で内容を話さなかったということは、やはり兄のビジネス絡みの内容らしい。
「…何なんだろ、ほんとに」
 とにもかくにも、今日分の仕事を終えなければ話は始まらない。キャメロンは気持ちを切り替えると、再び目録確認の作業へと戻った。


 もしかしたらウルダハ政財界の人間との顔合わせに来いと言われるのかもしれない。そう思うと、キャメロンは仕事上がりにクイックサンドで身支度をしっかりと整えることにした。アルダネス聖櫃堂から不滅隊作戦本部の前を通り過ぎるとワイモンドがいつもの場所に立っているはずだが、生憎と仕事中なのか今日は見当たらない。そんな日があるのも珍しい話ではないので、キャメロンは特に気にせずそのままクイックサンドへと駆け込んだ。
 シャワーを浴び香水を軽くつけ、お呼ばれの際によく着るサベネアンカルゼ・オータムドレスを身に纏う。ロータノブルーで染色したこのドレスは首元が広く開いているので、エデンモーン・チョーカーとの組み合わせがキャメロンのお気に入りだった。その他のアクセサリーもお呼ばれ向きのものに替えて、いざ、と兄達がウルダハでの拠点にしている高級ホテルへと向かう。
 そこの最上階フロアを長期契約で借りていると聞くと自分の実家がそれなりに裕福なのだと思い知らされる心地だが、兄が言うには、オーナーであるロロリトの好意でかなり安く借りられているらしい。東アルデナード商会とよい付き合いをしていくための投資費用だと思えば高くないとのことだが、それでもとんでもないスケールの金額が動いている契約なのだろうということはキャメロンにもわかる。

「こんなホテル、ギャザクラでよっぽど荒稼ぎしてる冒険者じゃなきゃ泊まれないよ」
 ケイロンに呼ばれてホテルのフロントドアを潜るたび、キャメロンはぼやく。お陰様で冒険者としてもケイロンの妹としても顔が知れているキャメロンは、フロント係に軽く会釈しただけでスムーズにエレベーター乗り場へと案内された。
 ナナモとロロリトの肝煎りでもあるこのホテルは、難民問題の対策の一環として、アラミゴからの移住希望者を積極的に雇用している。今日の案内係も元はアラミゴから避難してきた来歴とのことで、エレベーターを待つ間、キャメロン達冒険者が祖国を解放してくれたこと、そしてガレアン・コミュニティとの新たな関係構築に尽力していることに対して感謝の言葉を向けられた。人助けがしたくて冒険者になったわけではなかったが、こうして向かう先々で人々から感謝されるのは悪い気分じゃない。キャメロンは到着したエレベーターに乗り込むと、案内してくれた従業員へ営業向けの愛らしい笑みを浮かべて手を振ってあげた。ファンサービスはいつだって大切だ。
 チン、と最上階への到着を告げるベルの音が響いた。繊細な彫刻が彫り込まれた石造りの廊下を数歩進み、部屋の呼び出しベルを押す。中にはすでに誰か来賓がいるかもしれないと思い手櫛で髪の毛を整えながら待っていると、扉が開いてカメリアが中へと招き入れてくれた。
「旦那ァ、お嬢が到着したよ~」
 リビングスペースにいるケイロンに緩い調子で声をかけているあたり、まだそこまでかしこまらなくても大丈夫そうだ。キャメロンは高級そうな石材が敷き詰められた廊下を進んで左手にあるリビングスペースに顔を覗かせると、そこにいた思いがけない人物を目にしてぱぁ…と顔を輝かせた。
「ワイモンド…!」
「おう、邪魔してるぜ」
 ワイモンドが気怠そうに片手を上げて挨拶するのと、駆け出していたキャメロンが飛び上がってワイモンドの膝の上へと乗り上げたのはほぼ同時だった。急に乗られたワイモンドは衝撃に「うぐっ」と苦しそうな声を出したが、そんなことに構っていられやしないのでキャメロンはワイモンドの膝の上に立って首元にぎゅうぎゅうとしがみつく。
ワイモンドの対面に兄が座っていることも、その後ろにカメリアが控えているのも承知していたが、それこそ兄達の存在に構うようなキャメロンではない。ワイモンドへの好意をいつでも誰にも隠さないキャメロンに、ワイモンドも観念してキャメロンを抱えるようにして首元から引き剥がす。
「苦しいだろうが!絞め殺す気か⁉」
「えーっ!だってワイモンドがここにいるってことは、やっぱり実家のお兄様にご挨拶に来てくれたってことじゃん!」
「んな訳ねえだろ!俺だって仕事で仕方なく呼ばれてるんだよ!」
 ワイモンドも今更ケイロン達に構うような性格ではないので、いつもの調子でキャメロンの両頬を鷲掴みにしておちょぼ口にする。おちょぼ口にされたまま「むぅ~!」と不満そうにキャメロンが唸り始めると、そこでようやくケイロンが咳払いをした。
「キャメ、きちんと座りなさい。彼のことは大事な取引先として招いているんだ」
 家長である兄にそう言われれば素直になるしかないので、キャメロンはワイモンドの膝の上から降りるとその隣のソファへ座り直す。真面目に話を聞く態度になったキャメロンを見て、ケイロンは改めて今回のあらましについて説明を始めた。


「――…というわけで、お前には彼が当日着る服を仕立ててほしいんだ」
「別にいいですけど、それなら私よりきゃめくんの方がよくないですか?」
 キャメロン自身も一通りのクラフター職を極めているが、専ら強敵に挑む際の戦闘装備や食事、薬を揃えるときくらいしかその技術を活かしていない。対するカムイルは元来の趣味がものづくりだったこともあり、暇に任せては素材から採集して何かをつくることが好きだし得意だ。今は第一世界で恋人のリーンと半同棲生活をしているが、向こうでも彼女のためにいろいろなものをつくってあげているらしいという話をフェオから聞いている。好きで得意なことなら、弟に活躍の場を譲ってあげたい。そう思って提案するキャメロンに、だがケイロンは苦笑して首を横に振った。
「すでに声をかけてはみたのだがな…あの子はあの子で、向こうの世界の恋人とそのご友人にパーティ用のドレスを仕立てるので手が離せないらしい」
「…あ。そういえばきゃめくん、珍しくこっちに戻ってきてたね。ドレスデザインの相談受けた、ってローズちゃんが話してくれてたわ」
「どうしてもと言うなら引き受けると言ってくれたが……私としてもあの子には恋人との時間を大切にしてほしいし、何かにつけてこちらへ呼び戻すのが忍びなくてな。お前も、自分の恋人を着飾れるいい機会だと思って依頼を引き受けてくれないか」
 臆面なくキャメロンとワイモンドの関係を「恋人」と口にするケイロンに、ワイモンドが嫌そうな顔をしてそっぽを向く。一方のキャメロンは、ケイロンの話を受けて快く頷いた。
「そういうことなら、私にお任せ下さい。デザインの詳細を詰めましょうか」
「ありがとう。デザインについてはお前に一任しても構わないんだがなぁ」
「駄目ですよ!髪型や目の色も変えるんでしょう?なら、ちゃんとそれに似合う仕立てにしないと!」
 そうと決まれば早い。キャメロンは裁縫師の仕度に着替えると、腕まくりをしながらデザイン用のノートをテーブルの上へ広げる。他にも所持品の中から製作手帳やら秘伝書やらを取り出しては積み上げていくキャメロンの姿に、ワイモンドは視線を戻して思わず感嘆の息を漏らしてしまった。
「お前…すごいな。クラフター職も一通りやっているのは知ってたけど、」
「ふっふーん。きゃめくん程じゃないけど、私だって蒼天街復興に貢献した職人の一人だもんね!ワイモンドのこと、この世で一番格好いい最高のミドオスにしてあげる!というわけで、まずは採寸から……」
 そう言うやいなや遠慮なくワイモンドのジャケットに手をかけて脱がし始めようとするキャメロンに、「止めろ!」「兄貴の前だぞ!」というワイモンドの悲鳴が最高級スイートルーム一帯へと響き渡った。


   ◆◇◆


 親族の前で身包みを剥がされるという危機は脱したものの、採寸のためにワイモンドは上裸にブラックサマートランクスというなかなか際どい姿でリビングスペースに立たされることになった。何が悲しくて、東アルデナード商会自慢のウルダハ最高級スイートルームのど真ん中で、ふかふかの高級ラグに水着姿で立って体中のあちこちを採寸されねばならぬのか。胸に去来する思いは様々あれど、ケイロンに提示された小切手の額面を頭に思い浮かべて何とかやり過ごそうとする。
「ねえねえお嬢、ここの長さも測っとく?」
「測っていいの⁉」
「測るなッ!」
 悪ノリで男の象徴にメジャーを当てようとするカメリアと前のめりで食いつくキャメロンを一喝し、さっさと採寸を終えろと不機嫌なオーラで訴える。キャメロンは「ちぇっ」と残念そうに頬を膨らませると、ララフェルステップに乗って大人しくワイモンドの股下の長さを測り始めた。
キャメロンが採寸したサイズを声に出し、手伝いのカメリアがノートに数字をメモしていく。そうやって一通り全身の採寸が終わると、慣れないことをした気疲れもあってワイモンドは近くにあるソファへぐったりと腰を下ろした。腕を上げ下げしたり、きちんと採寸できるように身動きを止めたりと、思っていた以上に疲れるものだ。その疲労感を隠さず表情に出すワイモンドに、メジャーやノートをまとめながらキャメロンが楽しそうに笑う。
「慣れないことして疲れたでしょ?私、ワイモンドが着替えてる間にお茶用意してくるね」
「おう、頼むわ」
 リビングスペースから廊下へ出たキャメロンがキッチンへ入って扉を閉める音まで確認し、ワイモンドは長々と溜息を吐く。その矛先は、一向にリビングから出ていく気配がないカメリアに対してのものだ。
「…おいクソ錬金術師、お前仮にもあいつの兄貴分だろ。それが自分から下ネタふっかけていいのかよ」
「別にー?ララフェルだから見た目こそ変わらないけど、お嬢ももう立派な大人だしねぇ」
 言いながら、カメリアが丁寧に畳んでおいたワイモンドの仕事着を渡してくれる。これは部屋を出ていく気がないな、と観念したワイモンドが水着を脱いで下着に履き替えるためにバスタオルを腰に巻くと、さすがのカメリアも気を遣ってワイモンドに背を向ける角度でソファへ腰を下ろしてくれた。

「アンタさぁ、覚えてる?」
「何がだよ」
 唐突な投げかけに、背を向けて着替えながらワイモンドも応える。そもそも、キャメロンの実家について執拗に嗅ぎまわっていた自分が悪いとはいえ、忘却薬投与の実行犯であるカメリアがワイモンドに対して「覚えているか」とは嫌味な投げかけだ。その辺りの虫の居所の悪さも隠さず態度に出すと、背中越しでもカメリアが困ったように肩を竦めるのが気配でわかった。
「いつだったか……アンタがハンコックの元まで押しかけてきて、そこで俺が薬を打ったとき。アンタが意識失う直前にさ、俺、言ったんだよ」
「…………」
「そんなにお嬢が大事なら、腹括ってウチに来るか、俺達から逃げきってみせてよ…って」
 言われたところで、ワイモンドには思い出せなかった。だがおそらく、覚えているもいないも重要な問題ではないだろう。カメリアがワイモンドに伝えたいことは、そうではないはずだ。
「俺がまだ、腹ァ括れてないってか…?」
 一通りの着替えを済ませ、最後にトレードマークのサングラスをかける。答えを問い質すように振り返れば、同じくワイモンドへ顔だけ向けているカメリアは、彼にしては珍しく困ったような表情で微笑んでいた。
「俺が言いたのはさ、別に俺達や旦那に遠慮しなくていいんだよ、って話。アンタとお嬢がどんなふうに付き合うのかは二人で決めればいいけどさ、もし俺達のことを気にして何か一歩踏み出せずにいるなら、そこは遠慮してほしくないなぁ~って」
「さっさと手を出せ、ってせっつくのもお節介なんじゃないのか?」
 付き合い方に口を出すつもりがないなら黙って見ていろ、とサングラス越しの視線で暗に伝えれば、カメリアは「はいはい」と降参してそれ以上何も言わなかった。そのやりとりを扉越しに聞いていたのであろう、寝室でワイモンドの採寸が終わるのを待っていたケイロンが戻ってきたのでワイモンドとカメリアは改めて行儀よくソファに座り直す。
「お疲れ様。今日はもう日も暮れそうだから、今夜はこの部屋で食事にしないか?ルームサービスか近場の店のケータリングになってしまうが…」
「それってお兄様の奢りですか?」
 ケイロンがテーブルの上に目ぼしい店のメニュー表を広げ始めると、ちょうどそのタイミングで戻ってきたキャメロンがうきうきとした声色を隠さず会話に割り込んでくる。小さな体でトレーに四人分のティーセットを運び、こんな時ばかりは商家のお嬢様に見えるな、という品のある所作でワイモンドと兄達にそれぞれカップへ注いだ紅茶を提供すると、最後に自分の分を注いでからワイモンドの隣のソファへ腰を下ろした。
その目はもう、今夜は兄の財布にご馳走になるのだと爛々に輝いている。そんな妹の様子に、ケイロンは呆れたように溜息を吐いた。
「慎みなさい。私は、ワイモンド殿にご足労いただいた御礼として食事を提供するんだぞ」
「だったら、私だってワイモンドのお洋服を仕立てる報酬に奢られる権利があると思いますけど」
「……お前という子は、まったく」
 ああ言えばこう言う妹に応酬を繰り返しても時間の無駄だと悟り、ケイロンはもう一度だけ溜息を吐いてからワイモンドが座る目の前へメニュー表やケータリングのリーフレットをまとめて差し出す。
「せっかくなら、妹と二人で決めてもらえないだろうか。ホテル内はもちろん、この辺りに構えるレストランはどこもロロリト会長の肝煎りで食材の仕入れにも余念がないから、ウルダハにいながらビスマルクにも負けない味を堪能できると評判なんだ」
「へえ、」
 受け取って広げてみたリーフレットには確かに、ロータノ海でとれた海産物を新鮮なまま食せるという謳い文句が多い。海に面していないウルダハで鮮魚を食べるためにはアイスシャードやクリスタルを大量に用いて鮮度を保ったままの高速輸送が必要になるため、自然と仕入れ値が釣り上がる。ここらの高級立地に構えているレストランでなければなかなか食べられない料理だろう。
どれどれ、とワイモンドが本格的にメニュー内容に目を通し始めると、キャメロンも隣のソファから身を乗り出してきて一緒に覗き込む。その体勢では見づらいだろうと、ワイモンドはリーフレットを持っている手を体の正面から外すと膝の上に座るようにキャメロンへ顎で促した。
「見難いだろ?こっち座れよ」
「いいの?やったー!」
 大股を開いて座るワイモンドの腿の間にキャメロンがちょこんと座り、改めて二人でメニュー表を覗き込む。さすがにあちこち旅に出ていることもあってか、意外に食通のキャメロンは目ぼしいメニューを指さしてはおすすめとその味を教えてくれる。そうして彼女の話を聞く内に今夜の店が決まったので希望を伝えると、値段も確認せずにカメリアがレストランへとケータリングサービスの注文を伝えに向かってくれた。ワイモンドもそこそこ貯蓄に余裕がある方だが、砂蠍衆に食い込みかねない資産を持つ人間ともなると住んでいる世界が違うな、と改めて感心してしまう。


 遠慮するなとカメリアには言われたものの、そうは簡単に問屋が卸さない、というのがワイモンドの正直な気持ちだった。
 キャメロンがかねてより彼女の想いを隠していなかったこともあり、ワイモンドが折れたその瞬間から、二人の交際関係はウルダハ中で知らぬ者がいない公然の事実となった。最近でこそようやく落ち着いたものの、付き合い始めたばかりの頃はワイモンドが顔を出す場所すべてでキャメロンとの関係について揶揄交じりに話題に出された。それこそ、馴染みの風俗嬢にさえ「恋人がララフェルでままならないからってこんなところに来て大丈夫なの?」と言われて発散したかった気持ちが萎えたこともある。誰も彼もが余計な一言を付け加えていたものの、その多くは二人の交際を祝福して応援してくれるものだった。
 多くは――ということは、全員に前向きな言葉をかけられたわけではない。何せキャメロンは、今では元暁の冒険者よりもガルシア錬金商の社長妹としての知名度の方が大きくなりつつある。その比重の傾き方は、ウルダハに縁のある者であればあるほど大きい。中にはワイモンドに対して「お前だけは彼女の家のことを知っていたんじゃないのか」「どうせ彼女の実家の資産が目的で婿入りしたいのだろう」とストレートに言ってきた人間もいた。逐一否定するのも面倒なのでその場での答えははぐらかして、今も情報屋として中立な立場であることは仕事で示してきた。

(――どいつもこいつも、好き勝手言いやがる)
 自分の中に芽生えていた感情を自覚してしまった以上、今更キャメロンへの気持ちを否定するつもりはない。ワイモンドは確かにキャメロンのことを異性として愛していて、互いの性格柄なかなか月並みな恋人らしい関係ではないかもしれないが、二人の間には確かに情愛があるのだという自負もある。
 キャメロンはワイモンドと想いが通じてからも面食いのミッドランダー好きを隠さないし、ウルダハの外へ用事があれば平気で現地の目ぼしい男の家に上がり込んで宿代わりにして、そして何事も起こさずにまたウルダハへ帰ってくる。ワイモンドもワイモンドで、キャメロンへの気持ちを自覚したところで職業柄、各地の娼館の嬢達との良好な関係を終わらせるわけにはいかないし、商材の仕入れついでにサービスを受けることもある。
 でも、互いにそれを浮気だなんだと目くじらを立てるような関係ではないのだ。未だにキスすら交わしていないくせに互いに恋人以外の人間との付き合いを止めず、それでも自分こそが相手にとっての本命だとわかっていれば、別にどこで誰と何をしていようが構わない。そういう二人だから、うがった見方をしたがる外野からしてみれば、愛情の介在しない資産目当ての婚前交際という捉えられ方をしても仕方ないだろう。
 だが、その方がかえって都合がいいとワイモンドは思うのだ。
 本当は、何度記憶を消されても本能で諦められずにその素性を洗い出そうとした程度にはキャメロンに執着している。危うきに近寄らずの信条を曲げてでも彼女のすべてを知りたいと思ったのだ。ワイモンドがそこまでの感情を彼女へ向け続けていると世間に知られてしまえば、キャメロンの身に何が起きるかは火を見るよりも明らかだった。


 果ての宙まで飛んで終末を退けた冒険者でさえ、儘ならないものがある。
 マーチ・オブ・アルゴンズの立役者である暁の血盟とその冒険者がウルダハ政界の陰謀に巻き込まれてその身を追われたように、若き指導者だったアルフィノがクリスタルブレイブという組織をその成立からして瓦解させられたように、政治というものは恐ろしい。正義と武力では到底敵わぬ卑劣さで牙を剥き、その身を地の底まで叩き落すのだ。

 まだ三国がようやく手を取り合ったばかりだったあの頃とは違う、と考える者もいるだろう。だがワイモンドは、ウルダハという都市の暗部をよく知っている。かつて『紫煙の兄弟』においてありとあらゆる犯罪に手を染め、その組織をブタ箱へぶち込んだ今でも、拭いきれない過去の怨讐がワイモンドには常に向けられている。情報屋を稼業に選んだのはヒルディの勘違いだけではない。どこまで行ってもカタギには戻りきれないワイモンドが身を守るためには、情報という武器を誰よりも使いこなす必要があったからだ。
 そんな自分が心の底からキャメロンに執着しているのだと知られてしまったら、今はまだワイモンドにだけ向けられている牙が彼女に――ましてや、ケイロン達にも向きかねない。救星の冒険者という肩書を持ったのなら、奴らはその肩書を塗り替えてしまう程の陰謀を巡らせて陥れようとしてくる。そういう連中はどんなに虱潰しにしても次々蛆のように湧いて出てくるもので、手放しで彼女への想いを表に出せる日は程遠いのだ。
 武力と名声は、キャメロンが持っている。ありあまる財力は、ケイロンが持っている。そしてワイモンドは、ウルダハどころかアルデナード小大陸とその周辺諸国にまで張り巡らせた膨大な情報網を持っている。それでも安易に太刀打ちできない魔物が、このウルダハにはごまんといる。


「…………、」
 考えながら、まだ膝の間に収まってくれているキャメロンの丸い後頭部をぽんぽんと撫でる。珍しいスキンシップにキャメロンが不思議そうな顔をして見上げてくるので、ワイモンドは苦笑を浮かべながら心に思ったままを口にした。
「…本当にいい女だな、お前は」
 その素性のすべてを知って尚、容易にはワイモンドの手の内には収まらない。
 彼女が名の知れた大英雄ではなく一介の冒険者であったなら、ワイモンドの力をもってその身をこの世のすべてから隠してしまい、自身の庇護下でひっそりと愛を育むこともできただろうに。あの日ふらふらとおぼつかない足取りで自分の元まで歩いてきた雛チョコボは、今やこの星の外にまで羽ばたいてワイモンドの用意できる鳥籠には収まらなくなってしまった。自分の思い通りにならない存在ほど、それをどうにか手の内に収められないかと求めずにはいられない。そういう意味で、ワイモンドにとってキャメロンはとてつもなく魅力的だった。
「どうしたの、急に褒めてくれて」
「別に?思ったままのことを言っただけだ」
 腹ならとうに括っている。括った上で、みるみるその身を大きくする彼女を収めきれる鳥籠をつくろうと絶えず手を回している。それが今のワイモンドだ。いろいろと考えてしまうと一筋縄ではいかない関係ではあるが、ワイモンドとしては、そんなキャメロンが常に自分を一番に選んでくれているという事実だけで満たされていた。




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