<CASE2:ウルダハ編>





 情報屋ワイモンドにとって、富裕層の人間が集まる社交場に出向くことはそれほど稀有な体験ではない。有象無象が安酒を浴びるように飲んで床に転がる場末の酒場から、少しは身なりに気を遣えと依頼人に嫌そうな顔をされる豪商達の夜会まで。アルコールを入れた人間からは思わぬ情報が落ちてくることが多く、職業柄、潜り込める機会があるならどこへでも赴いて商材の調達をしているからだ。
 とはいえ、真正面から清々と招待状を渡されると、それはそれで面を食らうものだ。

「――はあ?パーティの同行者としてついてこい、だぁ?」
 ウルダハ都市内、富裕層向けの商業施設が並ぶ高級立地の一角。密談にもってこいの完全個室制のレストラン。数いるお得意様の中でも上客中の上客であるケイロンに呼び出されたワイモンドは、グラスへ注がれるワインを横目に素っ頓狂な声を上げてしまった。
「……そういう訳だから、今夜は前払い金だと思って好きなだけ食べて飲んでほしい」
「そういうわけだから、じゃねえよ!アンタも商売人の端くれなら商談相手にはもっと詳細を説明しろ!」
 ワイモンドのグラスへワインを注ぎ終えたケイロンは、小さな体をララフェル族用の椅子へ収め直して不思議そうな顔でワイモンドを見ている。まるで自分の話をワイモンドに断られるはずもないと思っていそうな表情だ。この彼のすっとぼけて澄ましたようなポーカーフェイスが常々気に入らない、とワイモンドは思っている。思ってはいるが、縁を切るに切れない関係なので、今ではすっかり上客の一角にこの男が居座ってしまっている。
 ガルシア錬金商社長ケイロン――その妹は、救星の冒険者であるあのキャメロンだった。


 冒険者キャメロンといえば、これはまたワイモンドとは切っても切れない人物だ。
彼女がまだ足元もおぼつかない雛チョコボッ子としてウルダハに降り立ったその日、案内役としてワイモンドが声をかけたことがすべての始まりだった。ワイモンドからしてみればウルダハにやってきたおのぼりさんに声をかけるのはいつものことで、特別キャメロンに興味があって親切にしたわけではない。そうやって声をかけたところで大抵の冒険者はウルダハの外へ独り立ちしてしまえば最初に親切に声をかけた人間の顔なんて忘れてしまうし、例え忘れなくても、ウルダハで下積みをしている内にワイモンドがケチな情報屋だということを知って貸しをつくらないように自然と疎遠になっていく。それが普通だった。

 だが、キャメロンは違った。どうやらワイモンドは彼女の目から見て異性として非常に魅力的な――いわゆるタイプの男だったらしく、初日から随分と懐かれた。都市内で小さなおつかいをこなす下積み時代から毎日ワイモンドに顔を見せては、その日に請け負った仕事や新しく覚えた呪術について嬉しそうに語って聞かせた。
それは彼女がウルダハを飛び立って暁の血盟に所属し、マーチ・オブ・アルゴンズの作戦中心人物として大成果を上げ、竜詩戦争を終結へ導き、ドマとアラミゴを解放し、世界を渡って夜闇を取り戻し、そして果ての宙で絶望を退け救星の英雄へと至った現在でも変わらなかった。どんなに遠くへ旅に出ようとも必ずウルダハのワイモンドの元へ戻ってきて、彼女の冒険譚を聞かせるのだ。まるで、旅行先での楽しい土産話を語るかのように。
 今や誰もが知る存在である彼女に変わらず懐かれ続けて絆されないわけもなく、引く手数多であろうキャメロンがどこへ行って誰に出会おうとも最後には必ず自分を選び続けてくれる優越感も手伝って、終末の騒動が落ちついたことをきっかけにワイモンドはキャメロンとぼんやりと情を交わすことになった。尤も、キャメロンは下積み時代から隠さずにワイモンドへの愛を表現していたので、絆されたワイモンドが折れるかたちで収まった関係だが。

(――その結果が、ウルダハ経済に大きく食い込む新進気鋭の商社の若手社長のコネつきとは思っていなかったけどな)
 ふとキャメロンとの出会いから現在に至るまでの時間の流れに思いを馳せ、ワイモンドはグラスへ注がれたワインの表面に映り込む自分自身の顔を見つめる。まだ、グラスに口をつけるわけにはいかない。ひと口でも飲み込んでしまえば最後、それが今回の商談をワイモンドが了承した証になってしまうからだ。目の前で向き合っている若社長殿はそこまで底意地の悪い性格でないものの、ウルダハで生きていくにはそれくらいの用心は基本だ。
「さっさと事情を話してくれよ、若社長殿。俺がこのグラスの中身を飲むも飲まないも、アンタの話の内容次第だぜ」
「やれやれ、何もそこまで警戒せずともいいだろう。グラス一杯分くらいは、わざわざ呼び出しに応じて来てくれた手間賃に奢るさ」
「ハッ…抜かせよ、若旦那。こんな個室の、一度入ったら首を縦に振るまで逃げられない袋小路に招いておいて、手間賃だけで帰してくれるアンタじゃないだろう」
「それをわかっていながら袋小路に招かれてくれるのだから、素直にグラスをとればいいものを」
「それでも詳しい話がわからないまま飲む酒は美味くねえ。俺が気持ちよく飲んで食って飲み込めるだけの額面、きっちり揃えてくれるんだろうな」
「もちろんだとも」
 快く頷き、ケイロンはようやく今回のあらましについてワイモンドに話し始めた。
「ラザハンがガレアン・コミュニティとの通商条約を結んだことは、貴方の耳にも入っているだろう?」
「ああ、」
「実は今度のパーティは、ラザハンやサベネア島の商家をウルダハへ招いたものなのだが、ウチは錬金術材を扱っているので、アルキミヤ製薬堂やデミールの遺烈郷の方々との交流や意見交換ができるだろうと声をかけていただいていてな」
 そこまでで話を区切り、ケイロンが喉を潤すようにワインをひと口含む。
「……だが貴方もご存知の通り、私は不自由な身の上から、今までアルデナード小大陸より彼方はクガネ以外に手を伸ばせていなくてな。恥ずかしい話だが、ラザハン周りの流通や経済について疎いのだ」
「なるほどな。お家の事情も込みで考えりゃ、迂闊にラザハンの錬金術界隈に顔も出せなかっただろうし」
「だから、当日は傍にいていろいろと助言をしていただきたいのだ。貴方としてもガレアン・コミュニティと新たに繋がりができたラザハンの最新の商い事情は把握しておきたいだろうし、こそこそと裏で手を回して情報を仕入れるより、私のアドバイザーとして堂々と会場に入ってしまった方が楽だと思うのだが」
 どうだろうか、とケイロンがワイモンドの顔色を窺ってくる。腕組みして事情を聞いていたワイモンドは、悪くない、と胸の内だけで呟いた。


 地獄の沙汰も金次第、ウルダハはそういう国だ。ワイモンドが商材として扱う情報の領域は何も流通や経済に限ったものではないが、重要度はかなり高い。手段を選ばず商いで最大の利益を得ようとするウルダハの豪商達の裏をかいて出し抜くためには、常に鮮度の高い情報を握って市場の流れを動かす必要があるからだ。少し前に『紫煙の兄弟』に灸を据えるために青燐水ビジネスで市場を操ったときはちょっとした小細工でうまく利益を得られたが、相手が現存のガレアン・コミュニティやラザハンともなると一筋縄ではいかないだろう。その情報源が集まる場に労せず潜り込めるというのは、ワイモンドにとっても悪い話ではなかった。
 とはいえ、懸念点がないわけではない。
「…悪くはない話だが、アンタ、俺を隣につけて堂々とパーティ会場へ行って大丈夫なのか?周りの心証を悪くするだけだぞ」
 ワイモンドは自他共に認めるウルダハ一の情報屋だ。故に顔も名前もよく知られていて、ウルダハでの暮らしが長い人間ほど、ワイモンドがいる場では滅多なことは言えないと警戒されることが多い。情報を制する者が商いを制するウルダハの豪商達ともなれば尚更だ。ワイモンドが稀にパーティの同行者としてクライアントに招かれるときも、会場での情報収集が主目的ではなく、会場内にいる全員が「あの情報屋がいる場で迂闊なことは言えない」と裏取引や密談をできないように牽制する意味で呼ばれるケースがほとんどだった。だから、情報商材を掴むのが目的ならワイモンドを堂々と連れ歩くのは邪魔になる。それがわからないケイロンでもないだろうと頬杖をついて気怠く視線を投げると、ケイロンのポーカーフェイスがほんの少しだけ、愉快そうに緩んだ。
「そこで、だ。少々手間ではあるが、当日は貴方に軽く変装をしてもらおうと思っている」
「…………は?」
 またもとんでもない提案をされ、ワイモンドは頬杖をついた掌に乗せた顎がずり落ちそうになった。一体何を言い出すんだ、と開いた口が塞がらないワイモンドを意に介さず、ケイロンはそのまま話を続ける。
「貴方だって、仕事の都合で多少は変装をしたことがあるだろう?そのサングラスも、普段からかけていることで逆に素顔の状態のときに身を隠すための手段だ。聞いた話では、娼館に行くときも信頼できる嬢以外は買わないそうじゃないか」
「おい待て、なんで俺の風俗事情まで知ってんだよアンタ」
 聞いたところで答えが返ってこないことはわかっているが、さすがに上客の取引先兼恋人の兄に自分の風俗通いとその詳細まで把握されている居心地の悪さといたたまれなさにワイモンドはツッコミを入れずにはいられなかった。
「貴方には、新たな社長秘書として私に付き添ってほしい。当日の服をこちらが仕立てるのはもちろん、髪型や瞳の色を変えるためのアイテムもウチで独自開発したものがあるので、それらを身につけた上で素顔で会場に行けば気付かれることはないだろう。声色や口調を変えるくらいは得意だろう?」
「まさか幻想薬を飲めってか?嫌だぜ。俺ァただでさえ、アンタらが忘却薬やら魔法やらかけまくってくれたおかげで、未だにエーテル酔いしやすい後遺症が抜けねえんだ」
「幻想薬を使わず、人体への影響もないものだ。どうか安心してくれ」
「…………」
 ケイロンは、言葉巧みに出し抜くことはあってもけして嘘を吐かない商人だ。彼とこうしてビジネスの話をするたびに、どうしてもクガネにいる悪友のことを思い出す。だから、ここまではっきりと断言するケイロンの変装作戦に間違いはないのだろう。ともすれば、ガルシア錬金商が新たに独自開発した製品をいち早く試すことができる機会にもなるかもしれない。髪の色は美容師に依頼すればいつでも変えられるが、瞳の色を変えるアイテムというのは少なくともワイモンドには初耳だった。
「……報酬は?」
「こちらの額面でどうだろうか」
 待ってました、と言わんばかりにケイロンが手元に伏せていた小切手をワイモンドの前まで滑らせる。めくってちらりと数えた桁数は、なかなか悪くない。ワイモンドは小切手を受け取ってしっかり自分の懐に収めると、そこでようやくワイングラスを手に持ってケイロンへと傾けた。
「いいぜ、この話引き受けた」
「貴方ならそう言うと思っていたよ」
 互いのグラスが音を立て、男二人はようやく乾杯の挨拶を交わした。




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