<CASE1:第一世界編>





 そうやって互いの気持ちを確かめ合って過ごす時間は矢の如く流れて、ビーハイヴの個室にいた二人の耳にも遠くで大きな歓声が上がる声が聞こえてきた。
「あ、ヤバい」
「?」
「あれ、たぶんチャイ・ヌズの閉会挨拶だ」
 カムイルの言葉でリーンも「あっ」と小さな声を上げて、思い出したように部屋の壁にかけてある時計を見上げる。その針が指すのは二十二時――パーティとしての正式な閉会時間で、後は日付が変わるまで解放されている会場で歓談を続けるなり、夜が更ける前に帰るなり、参加者が自由に過ごせる時間だ。
「リーン、確か閉会でガイアと一緒に部屋戻るんだよね?」
「はい、その予定で……でも、」
 きゅっ、とリーンがカムイルのジャケットを掴む。
 数時間前のカムイルなら、ここでリーンの指を解いてガイアの元まで送り届けていた。だがもう、互いに我慢も遠慮もしないと誓い合ったのだ。リーンの気持ちを汲み取って、カムイルはジャケットを握るリーンの手に自分のそれを重ねると、こつんとリーンと額を合わせて近い距離で囁いた。
「今日は…ずっと一緒にいてほしいって、言ってくれたよね?」
「うん…、」
「じゃあさ、二人だけで二次会しようよ」
「二次会…?」
 きょとん、と見上げてくるリーンにカムイルは苦笑を返した。
 実は、互いに散々泣いたのが落ちついて抱き合っている内に、無視するにはあまりにも主張が強すぎる気配をカムイルは感じていたのだ。夢の世界の住人で、カムイルとリーンが世界を隔ててやりとりしている手紙をいつも届けてくれる頼もしい見届け人。彼女に隠し事ができるとは思っていないので覗き見を咎めるつもりはないが、それでも姿が見えないままというのも落ちつかないので、カムイルはようやく彼女の名前を口にした。
「助けてくれるかな、かわいくて美しい我が枝フェオちゃん」
「!」
 カムイルの呼びかけに答えるように、二人が見つめる先に眩い妖精光が現れた。光を纏いながら姿を現したのは言わずもがな、妖精王ティターニアの分体であるフェオ=ウルだ。フェオは羽根を瞬かせながら二人の傍まで飛んでくると、喜びを表すかのように大きくくるりと旋回して見せた。
「嗚呼…大きい若木ったら、嬉しいのだわ!ちょっぴり呼ぶのが遅かったけれど、この素敵な夜に私を頼ってくれるなんて」
「それじゃあ、お言葉に甘えていいの?」
「もちろん!闇の巫女には私から伝えておくから、あなた達のことは、このまま私の城へと運んであげる」
 そう言うやいなや、フェオがカムイルとリーンの座るソファへ向かって指先でくるりと弧を描いたかと思うと、ソファ下の床にふわりと転送紋が浮かび上がった。まさかそこまでされるとは思わず、カムイルは咄嗟にリーンの体を強く抱き寄せ、リーンも察してカムイルの体へしがみ付く。やがて転送紋から眩い光の柱が立つと、その眩しさに耐えきれず二人はぎゅっと目を瞑った。


   ◆◇◆


 想定していたような衝撃は襲ってこなかった。こつん、とソファの足が床に着いた音がして、カムイルとリーンはそれぞれゆっくりと瞼を開ける。
 処、イル・メグ――妖精王の舞踏場。大きなステンドグラスから月明かりが差し込み、明るい時間に訪れたときとは異なる静かな印象だった。ホールに照明は灯っておらず、ステンドグラス越しの微かな月明かりだけのその中で、カムイルは恐る恐るソファから立ち上がる。暗いのでリーンに手を差し伸べながら二人でソファの前へ立つと、まるでそれが合図だったかのようにホールに柔らかな光が灯った。
 ムーディな雰囲気の、控えめで温かみのある色合いの灯り。それらすべてが妖精光で、まるでシャンデリアのように二人を優しく照らしてくれているのだと天井を見上げて気付いた。すると今度はどこからともなく弦楽器の生演奏が聞こえてきて、二人が周囲を見渡せば、薄暗いホールの外周にフーア達の演奏隊の姿があった。中でも楽聖の姿になっているインク=ゾンのすらりとした長身はよく見えて、薄暗い照明の中でもわかりやすいつぶらな瞳と目が合うと、二人に向かってキザなウインクを送ってくれた。
「……ここまでしてくれるなんて、聞いてない」

 まるで、二人のために整えられたダンスホールだ。
 カムイルが胸の中でフェオに願ったのは、リーンと二人きりになるためにリェー・ギア城へ入らせてほしいということだけだった。元々がフッブート王国の城で雰囲気もあるし、今の時間に月明かりに照らされるステンドグラスは綺麗だろうから、ちょっと背伸びしてロマンティックなシチュエーションをつくるのにぴったりと思ったからだ。
 それがいざやってきてみれば、照明で雰囲気づくりをしてくれるばかりか、フーア族まで引っ張り出して贅沢な生演奏つきだ。ここまでお膳立てされてしまっては、ソファに腰かけて過ごすだけというのも勿体ない。
「せっかくだし、踊ろっか?」
 差し出したままだった手で軽くリーンの手を引くと、まだこの場の雰囲気に慣れていないリーンが暗い照明の中で不安そうにカムイルを見上げてきた。
「でも…私、ダンスなんてできませんよ」
「俺だってできないよ。でも、チークダンスってやつでいいんじゃない?」
「チークダンス…?」
 不思議そうに首を傾げるリーンの手をそのまま引いて、フロアの中央へと躍り出る。どうしたらわからずにいるリーンの手を握ると雰囲気でそれらしいポーズをとって、カムイルはそのままインク=ゾン達の音色に合わせて小さく体を揺らした。
「チークダンスっていうのはね、決まった踊り方はないんだよ。こうやって頬が触れ合うくらい近い距離で、音楽に合わせて体を揺らして楽しむんだって」
 促すようにカムイルがそれとなく体を揺らしていると、リーンもおずおずとカムイルの腰に腕を回して一緒に体を揺らし始めた。演奏に任せて体を揺らすうちにコツがわかってきたのか、カムイルが見下ろすリーンの頬が少しだけ膨れた。
「これ…向こうのパーティで、カムイルはやったことあるんですか?」
「まさか、あるわけないでしょ。いつも外野で眺めてるだけだよ」
「でも、誘われたことはありそう」
 ぽす、とリーンがカムイルの腹へ額を押しつけて動きを止めてしまう。カムイルはダンスポーズは崩さないまま、動きを止めてリーンに苦笑を漏らした。
「ねえ、リーン。やっぱり、俺があっちでパーティ出るの嫌なんでしょ?」
「…………うん、」
 消え入りそうな声が聞こえてきて、カムイルは今度こそ声を出して笑った。
「でも、そういう場所にいるカムイルは格好いいと思うから…だから、わからないんです。格好いいカムイルのことをみんなに見てほしいけど、誰かに声をかけられたり、そういう目で見られるのは嫌だな、って思うから」
「ふふっ…それ、俺も一緒」
 気を利かせてくれたのか、演奏隊の奏でる曲が違うものへと変わった。新しい曲に合わせてまたどちらからともなく体を揺らし始める。
「今日のリーン、めちゃくちゃ可愛い。だからみんなに見てほしいし、これ全部俺がリーンのために用意したんだって自慢したいけど……あ、メイクとヘアセットはガイアか」
「ふふっ、」
「でもさ…それでリーンに言い寄ってくる男がいたらやだなぁ、って。このドレスつくってるときも、ずっと思ってた」
 フェオが魔法をかけてくれたのか、互いの涙で染みになったり抱き合って皺になってしまいそうだったリーンのドレスは、今日カムイルが持ってきて下ろしたばかりのときのように綺麗な状態へ戻っていた。

 リーンの魅力を最大限に引き出したいというカムイルの思いが伝わってきたと、相談に乗ってくれたローズは言ってくれた。セレンディピティーも、カムイルがドレスやアクセサリーへ込めた思いはきっと身につけた者へ伝わると言ってくれた。
 リーンがどんなにかわいくて綺麗で内面も素敵な女の子なのかと会場中にわからせたいくせに、それでリーンが誰かに気を持たれるのは嫌だ。いっそのこと、リーンが自分のものであると触れ回れたらいいのに――そんなカムイルのちぐはぐで我儘な想いがドレスやアクセサリーを通してリーンに伝わってしまったのかもしれないと思うと、少しだけ申し訳ないけれど、おかげで互いに胸の内を明かせたのだから、よかったのかもしれないとも思う。

「カムイルがそんなふうに思ってくれていたなんて、私、嬉しいです…っ」
 自分がリーンにとっての一番に選ばれるに値する人間なのかという不安は、正直な話、これからも完全に拭うことはできないと思う。でも、リーンは臆病なままでもいいと言ってくれた。臆病なカムイルのために、リーンがどれほどカムイルを愛しく想っているのかを飽きず何度でも伝えてくれると言ってくれた。だからカムイルも、もう慣れない意地を張るのは止めにした。臆病で情けなくて甘ったれたありのままの自分で、いつか来てしまうかもしれない終わりの時を想起する暇もないくらいに、リーンが与えてくれる愛に甘えて溺れてしまいたい。
「リーン、」
「はい?……うわぁっ!」
 不意に名前を呼んで、そのままリーンの華奢な体を抱き上げた。急にどうしたのかとどぎまぎしながら抱きついてくるリーンの頬に角を擦りつけて、至近距離で見つめ合って、それから顔の角度を変えてそっと唇を重ねる。一度触れ合ってから離れて、また互いに見つめ合って、もう一度重ねて。
「ダンスもいいけど……リーンの顔、近くでたくさん見たくなっちゃった」
「…ふふっ。私もカムイルの顔、近くでもっとよく見せてほしい」
 二人きりの夜は、まだ始まったばかり。




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