<CASE1:第一世界編>



 泣き顔のリーンを連れて入店するカムイルをカイ・シルが驚いた顔で出迎えたが、何も聞かずに事情を察して、すぐにVIP用の個室へと案内してくれた。カイ・シルと入れ替わるようにウエイターが冷たい水の入ったグラスを運んできてくれて、それも去って部屋の扉が閉まれば完全な個室となる。ステージを見下ろすための覗き窓のカーテンを閉めて、カムイルはすぐにリーンの隣には腰を掛けず、テーブル越しに両膝をついて深々とリーンへ頭を下げた。
「本当に、ごめんなさい」
「そんな…!カムイル、頭を上げて下さい!」
 リーンが慌てて腰を上げたことが気配でわかる。リーンの言葉に素直に従って、カムイルは床に正座のままリーンを見上げるようにゆっくりと顔を上げた。
「私、カムイルに謝ってほしいわけじゃないんです…!お願いだから、こちらに来て座って下さい」
「でも俺、あんなふうにリーンを泣かせて…隣に座る資格なんてないよ」
 カムイルの言葉に、リーンがまた首を横に振る。思えば、今夜はリーンに首を横に振らせてばかりだ。どうしてそんなふうになってしまったのか、と後悔の念を抱きながら、カムイルはリーンに促されるままに彼女の隣へ腰を下ろした。それでも距離を詰めるのは憚られたのでソファの端に座ったものの、それをわかっていたようにリーンがすぐに距離を詰めてきたので、カムイルは自然とソファの端へ追い詰められたようなかたちになった。そのまま手をぎゅっと握られると、触れ合った手からリーンの縋るような想いが伝わってくる。どうか傍にいてほしいと強く乞われているようで、カムイルも遠慮がちにリーンの手を握り返した。
「ねえ、カムイル…少しだけ、私の話を聞いてもらえますか…?」
「……うん、」
 それからリーンは、ぽつぽつとここ数日のことをカムイルに語って聞かせ始めた。


   ◆◇◆


 カムイルのドレス製作が決まった翌日のこと。
 いつも通りの健全なお泊りの夜が明け、カムイルと一緒に朝食とその後片づけも済ませたリーンは、カムイルが荷造りを進めていることに気付いて声をかけた。
「あちらへ戻るんですか…?」
 カムイルが荷造りをするのはいつだって、彼が原初世界へ戻るタイミングでのことだ。だが直近では向こうへ戻る予定はないと聞いていたので首を傾げると、鞄へ荷物を詰め込んでいたカムイルが手を止めて顔を上げる。
「ああ、ちょっとね。さすがに本格的なパーティドレスをイチからつくるのは初めてだから、裁縫師ギルドのマスターに相談しようと思って」
「…でも、それにしては大荷物」
 少なくとも日帰りの荷物ではない。向こうのギルドに滞在しながら製作するつもりなのだろうか。急にカムイルが戻ってしまうことになり淋しさを素直に表情に出すリーンに、カムイルは鞄を肩に担ぎながらぽんぽん、と優しく頭を撫でてくれた。
「どうせなら、ドレスの完成も楽しみにしておきたいでしょ?パーティまであんまり日もないし、向こうの家に籠ってつくってきちゃおうと思って」
「そうですか、」
「…今回は作業工程を見せてあげられなくて、ごめんね」
 カムイルが一度鞄を床に置いて、ぎゅっとリーンを抱きしめてくれる。
 淋しい理由は、それじゃない。そう言葉にしたいリーンだったが、職人としてのカムイルのことを考えれば、彼が作業に没頭できるように向こうへ戻りっぱなしの方が都合がいいことも理解できる。
「大丈夫です。ドレス、楽しみにしていますね」
 自分の我儘で引き留めるのも申し訳なくて、リーンは本音の代わりにカムイルをぎゅっと強く抱きしめ返した。


 居住館の部屋はどこも同じ広さのはずなのに、カムイルがいない部屋が妙に広く感じる。自分の部屋で一人で過ごすときと状況は同じはずなのに、彼のエーテルの名残だけがいやに強く感じられて、そのエーテルの名残をどんなに辿ってもカムイル本人はここにはいないのだと思うたび、会えない淋しさが募っていく。
 こういうときは淋しさを紛らわせようと決まってガイアの元を訪ねてしまうが、彼女とは一昨日の夜にお泊り会をしたばかりで、きっと今日はもう、リーンはカムイルと一緒に過ごすものだと思って予定を入れてしまっているだろう。そう考えるとすぐには今日の予定が思いつかなくて、リーンは二人で眠っていたベッドへ近づくとそのままシーツの海へとダイブした。
 シーツに、ブランケットに、枕に、眠っていた人のエーテルは残留しやすい。カムイルが使っていた枕に頭を預けてブランケットに包まるとそれを余計に感じられて、彼に抱きしめてもらっているときのようで、リーンはそのまま目を閉じてカムイルのエーテルの名残を辿る。

 パーティに誘ってもらえないのではないかと不安だった理由は、いろいろとある。
その一つがリーン自身の年齢のことだった。普段からリーンが未成年だからと様々な場面で気を遣ってくれているカムイルだから、大人の夜の社交場であるパーティへリーンを連れて行くことを渋るのではないだろうか、と思った。
カムイルから原初世界で何度か夜の社交場へ参加したことがあると話を聞かせてもらえて、そのたびに自分の知らない世界のことに胸がときめいたことも、そんな華やかな場所にいるカムイルはきっと素敵だろうと想いを馳せたことも、嘘ではない。でも、
(――カムイルが他の人に言い寄られたら、どうしよう…)
 恋人のリーンの目から見ても、カムイルの見目は整っている。顔のパーツはドラン族の特徴である怜悧な印象だが、元来の性格からそこに浮かべられる表情はパーツの印象とは真逆の柔和であたたかみがあるもので、あの柔らかで人当たりのよさそうな微笑みは誰の目から見ても好印象だろう。
体つきも種族特有のメリハリのあるもので、だが平均的なドラン族と比べて筋肉量が少ないカムイルは、ボディラインは維持しつつも屈強過ぎる印象がない。そんな自分の体型がよく映える服を好んで着ているので、すらりとした立ち姿からは言葉にできない色香のようなものも感じられる。それこそ幼い印象がなかなか拭えないリーンとは真逆に、年齢に対して大人っぽく見られやすい。
 そんなカムイルが、華やかな社交場で他人の目を引かないわけがない。
「うう……」
 自分であれこれと考えを巡らせておきながら、リーンは耐え切れない気持ちになって頭からすっぽりとブランケットに包まる。カムイルの浮気を疑っているのではなく、これはリーン自身の悋気の問題だった。
 カムイルにつくってもらったドレスを身に纏って、カムイルと腕を組んで会場を歩いて、隣にいる彼が自分の恋人なのだと会場中に伝えたい。だがそうやってパーティ会場で触れ回ったところで、きっと、カムイルとリーンを見て釣り合っていないと思う者も少なくないだろう。それを思うと、不安と悔しさできゅっと下唇を噛んでしまう。
「早く、大人になれたらいいのに……」
 少しでも大人っぽく着飾りたくてドレスのデザインを依頼して、当日はガイアに教えてもらいながらいつもより背伸びしたメイクもするつもりだ。でも、今のリーンがどんなに頑張っても埋められない年齢差がある。

 カムイルは気付いているのかいないのか、彼に好意的な眼差しを向けている人の中には、リーンとの関係に勘付いて承知した上で「でも、所詮は子供」という目を隠さずリーンに向けてくる者も少なくなかった。関係が街中に周知されるようになった最近のクリスタリウムではそんな人と出会う数も減ってきているが、ユールモアに二人で出かけたときには、たびたびそんな気配を感じることがある。
カムイルは、自分に向けられている好意に鈍感だ。
勘がいいので表面的にそれらを察することはできても、その好意がどれほど重く、深く、大きいものか気付いてくれない――それは、リーンがカムイルへ隠さず向けている想いに対してもそうだった。
本当は、片時も離れず傍にいてほしい。二人きりで過ごせる時間にリーンがどれほどの幸せを感じて満たされているのか、きっとカムイルには想像もつかないだろう。
ましてや、彼を値踏みするような目で見て声をかける機会を窺っている者達のことなど、簡単に追い払えるくだらないナンパくらいにしか考えていないのだ。カムイルの心の傷のことを考えれば、そんな者達の目に晒すことすらしたくないとリーンは思っているのに。

 自分は、カムイルが思ってくれているほどいい子じゃない。悋気の自覚があって、嫉妬もするし、優越感を感じることもある。カムイルを独り占めしたいという独占欲もあって、彼の本当の名前を唯一教えてもらえたのだという事実がそれを満たしてくれている。
 それに、とっても我儘だ。カムイルの手でドレスを仕立ててもらえて嬉しいのに、同時に、しばらくは作業にかかりきりで彼に会えないとわかると淋しくて仕方ない。
普段の生活だって、カムイルは気を遣ってリーンとガイアが二人で過ごす時間をつくってくれているけど、そうやってカムイルが自分をガイアの元へ簡単に送り出してしまうことにも、ほんのちょっぴり、淋しさを感じるのだ。カムイルとの時間を独占したいと思っているのは自分ばかりで、カムイルはリーンと過ごす時間を他人に明け渡しても惜しくないのだと言われているようで。どれもこれもカムイルの優しさ故の好意だとわかっているのに、それを時々なじりたくなる。本当に、身勝手で我儘だ。
「どうしたら、わかってもらえるかな」
 カムイルを困らせたいわけじゃない。でも、彼自身がどれだけ魅力的な人で、そんなカムイルの恋人である自分がどれほどの感情を抱いているのか、わかってほしい。
 カムイルが自分を大事にしてくれていることが嬉しいから、自分もカムイルのことを大事にしたい。与えられて守られてばかりじゃなくて、彼にたくさんのものを与えて、そして時には守ってあげたい。自分だってカムイルに負けないくらいの気持ちを向けているのだと、どうかわかってほしい。


 だから、カムイルが男に言い寄られている姿を見て――怯えて目を瞑っている表情を見て、リーンは頭が真っ白になった。
「――いろいろと大変だろ?ずっと傍にいるのに、相手は手が出せない子供でさぁ…」
 嗚呼、まただ。リーンがまだ子供だから、カムイルとの関係も本気ではないのだろうと思われて、或いは、リーンが大人になるまでは体は空いているだろうと見縊られて。考えるよりも早くヒールを履いた足で勢いよく駆け出して、その勢いのまま男の体を押し退けていた。
 もうカムイルに怖い思いはしてほしくないのに、自分が傍を離れたせいで隙をつくってしまった。一刻も早くカムイルの気を紛らわせてあげたいと思うのに、カムイルはリーンに見当違いな謝罪をするばかりで、自分自身のことを何も気遣っていない。本当に一番つらいのはカムイルだったのに、また自分よりもリーンのことばかり気にかけている。
 その優しさが痛くて、つらくて、もどかしくて。気持ちが抑えきれずに初めて声を荒げてしまった。声に出したらずっと抱え込んでいた気持ちが止められなくなって、言葉にならないそれらが涙になって溢れ出して止まらなかった。


   ◆◇◆


「――――…だから、泣いてしまったのはカムイルのせいじゃないんです」
 そう話しながら、またリーンの瞳の縁まで涙がせり上がってくる。それが溢れる前にカムイルが指で拭い、そんなカムイルをリーンも拒まなかった。
「わからないの……カムイルが私のことを想ってくれているのが嬉しくて、その気持ちを大切にしたいのに、私、どんどん我儘になってしまって…」
「…………」
「カムイルはこんなに私のことを大事にしてくれているのに、私は自分の気持ちばっかりどんどん大きくなってしまって、それなのにカムイルのことを守れなくて」
 そんなことはない――そう言いたい唇を、カムイルはぐっと堪えて引き結んだ。
 どんな言葉をかけようとも白状に聞こえるのではないかと思えて、それでも、何かせずにはいられない。カムイルは握り合ったままだったリーンの手を引いて自分の胸の中へ招き入れると、そのまま包み込むように彼女の体を抱きしめた。言葉にできない想いが少しでも伝わってほしいと願って、隙間を埋めるように、だけど優しく、リーンの体をぴったりと自分へ抱き寄せる。
「俺も…どうしたらいいか、わからないんだ」
 やっと声に出した言葉が震えて、自覚した途端に視界が滲む。悟られまいと思っても頬を伝った滴がリーンの髪を濡らしてしまい、腕の中ではっと身じろぐのがわかった。
「リーンのことが大好きで、大事にしたくて…ずっと俺の傍にいてほしいし、リーンの身の回りのこと全部、俺がしてあげたい。リーンがその我儘を受け入れてくれているから、俺もどんどん自分の気持ちばっかりになりそうで……でも、」
「うん…、」
「そうやっていつか、リーンの全部を縛りつけちゃうんじゃないかって…そう思うと、俺、怖くて――」


 リーンとガイアが二人でいると安心するのは、そうすることで、リーンのことを束縛しているのではないと自分で自分に言い訳できるからだ。
 理解ある恋人、なんて。そんなお綺麗なものじゃない。どんなにリーンを取り巻く環境に手を尽くして、彼女の生活の何もかもを彩っていても、ガイアとの繋がりが途絶えない限りは、自分という檻の中にリーンを閉じ込めているのではないのだと確認したいから。この先の祝福ある未来を進む彼女の世界を狭めていないと、自分が安心したいから。
 リーンにとってのすべてになれたらいいのにと願うのに、リーンの世界のすべてが自分になってしまうことが怖い。リーンが求めてくれているとわかるからこそ、それに応えて、そしていつか、リーンが望む以上のことまでしてしまいそうで――
 リーンの言葉を聞いて、カムイルも自分の中に秘めていた気持ちに気付くことができた。彼女のためにとあれこれ考えを巡らせて、手を尽くして、それでもどこかで感じる不安が拭いきれなかった本当の理由。とても言葉で伝えられるようなものではなくて、できれば目を背けたいけれど、これ以上見て見ぬふりはできなかった。そうやって目を背け続けた結果、今夜のリーンを泣かせてしまったのだから。

「怖いんだよ……いつかリーンの気持ちが離れていくかもしれないと思ったら、俺は、それが怖い」
「カムイル、私は…」
「違っ…違うんだ…!リーンのこと信じられないとか、そういうことじゃなくて…」
 言っている傍からまたリーンを不安にさせて、本当に情けない。
「俺、本当に…自分に自信が、なくて。わかってくれてると思うけど、それこそ、最初はまともな告白もできないくらいだった。いざ付き合い始めても、今度はリーンのこと傷つけるのが怖くて、抱きしめることすらできずに遠ざけて、淋しい想いさせて……そういうのも全部、リーンのためって言いながら、俺自身が傷つくのが怖かったんだ」
 お前は自分の愛を貫くために相手を傷つける勇気もない、と。いつかサンクレッドに言われたことがある。本当にその通りだ。
「リーンに嫌われて、愛想尽かされて…そうでなくても、俺よりいい人なんて、この世界にはたくさんいて。いつかリーンが俺よりもいい人を見つけたら送り出してあげたい、よりよい未来への選択を喜んであげたいって思うのに、もう駄目なんだ。俺にリーンを縛りつけたくないのに、俺もう、リーンのこと離してあげられない…っ」
 愛する人を前に終わりの時を語るなんて、最低だ。でもそれを想起せずにはいられないほど、カムイルは臆病で自分に自信がなかった。一度受け入れてもらえたらずぶずぶと深みに嵌るように相手を求めてしまうから、そうなってリーンなしでは生きられなくなってしまってから手放されるのが、どうしようもなく怖い。
「俺だって…リーンが思ってくれてるような、いい奴じゃない。リーンがこんなに愛してくれてるのに、リーンが好きでいてくれる自分のことが信用できなくて、いつまでもライン探るようなことばっかりして……もう淋しい想いはさせないって約束したのに、いつまで経っても、リーンにありのままの俺を受け入れてもらうことが怖いんだ」
 ぽろぽろと、今度はカムイルの瞳から溢れて止まらない涙をリーンが拭う。そのうちにリーンがソファの上で膝立ちになると、そのままカムイルの頭を抱きかかえて優しく後頭部を撫でてくれた。淡い色のドレスがまた、カムイルの涙で染みになる。それでも止められず、カムイルは瞳を閉じると額をリーンへ擦りつけた。
「せっかく好きになってくれたのに…っ…こんな俺で、ごめん……リーンのことが好きすぎて、怖いんだ。俺のものなんだって、わかればわかるほど、不安になる。リーンが俺を選んでくれたことが、俺にとっては…本当に、奇跡みたいで」

 不安だから、何もかもに手を尽くしたくなる。そして、手と尽くせば尽くすほど不安になる。自分の言葉は、行為は、正しかっただろうか。リーンに喜んでもらえただろうか。それとも彼女を辟易させていないだろうか。
「リーンが俺を愛してくれている気持ちはわかっているのに、どうして俺を選んでくれたんだろうって、ずっと考えちゃうんだ…何の取り柄もないくせに、自分が好きで得意になれることばっかりリーンに押し付けて、自分が傷つかないやり方で自分勝手に愛して、こんな薄っぺらな俺じゃいつか愛想尽かされるってわかってるのに、リーンのこと手放したくない……リーンは俺だけのものだって、消えない印がつけられたらいいのに…」
「……ねえカムイル、顔を上げて…?」
 黙ってカムイルの話を聞きながらずっと頭を撫でてくれていたリーンの手が、顔の輪郭を縁取る鱗を撫でながら優しく両頬に添えられた。涙でぐずぐずになっている顔を見せたくはないが、リーンの声で促されると自然と体が動いてしまう。ゆっくりと顔を上げるとリーンがカムイルの顔から伊達眼鏡を外して、その奥で未だにぼろぼろと溢れて止まらない涙をぎゅっと親指で拭ってくれる。
「リーン…?」
「ひとつだけ、約束をしてほしいんです」
 涙を拭われた視界でようやくはっきり見えたリーンの表情は、目元に涙を滲ませながらも穏やかなものだった。いつも通りの、カムイルのことが好きで仕方ないのだと伝えてくれる眼差し。こんな醜態を晒して、愛を疑わせるようなひどい言葉を吐いて、それでも変わらない瞳で自分を真っ直ぐ見つめてくれていることに、また一筋涙が頬を伝う。
「私は、臆病なカムイルも大好きです。その臆病さは全部、カムイルの優しさの表れだと思うから…」
「……俺、優しくないよ」
 この期に及んで、要らぬ言葉がどうしても口から飛び出す。だが、そんなカムイルの素直な態度をリーンは笑ってくれた。
「うん。だから、臆病なままでいいから…私がカムイルに対して思っていること、全部、そのまま受け止めてほしいんです」
 そう言って、リーンはカムイルの首筋に腕を回してぎゅっと抱きついてきた。
「カムイルが怖くて不安なら、怖くなくなるまで、何度も、カムイルのことをどれだけ好きなのか伝えます。私も、カムイルに知られるのが恥ずかしくて隠していた気持ちが、たくさんあるから……それも全部、伝えます」
「今だって…いっぱい、伝わってるよ」
「ううん。こんなのじゃ全然、足りてない。私、カムイルが思っているよりもずっと、貴方のことが大好きなんですよ…?」
 甘えるように擦り寄せられた頬が角に近くて、泣いてからからに乾いた喉をぐっと引き絞る。どきまぎしてしまって抱き返せない両手まで思わず強く握り込んだ。
「今日、こうして自分が思っていたことを話して、カムイルの思っていたことも聞かせてもらえて…わかったんです。きっと、正解なんてないんだって。何か正しいかなんて、二人で一緒に確かめなければわからないんだって」
(あ…――――)

 ――――相手が何を求めているのかって、やっぱりその人と真摯に向き合わないとわからないものですよね。

 不意に、セレンディピティーとの会話が脳裏を過ぎった。
 彼女ほどの職人であっても、時に顧客やデザイナーの意図を汲み取れずに苦戦するこがあるという。だがそれは仕方のないことで、人と人とのコミュニケーションというものは万事、その人と真摯に向き合わなければわからないものだと語っていた。まるで、今の自分達の関係を言い当てていたかのようだった。
 カムイルも、そしてリーンも。互いを想い合う心に偽りこそなかったが、そのすべてを伝えられていなかった。こんな気持ちを相手に知られるわけにはいかないと押し殺して、抱え込んだ分だけ膨らんで。互いにもう我慢も遠慮もしないと約束したはずなのに、真の意味でその誓いを果たせていなかったのだとこうして思い知る。
「……ねえ。俺、自惚れてもいいの…?」
 握り込んでいた拳を解いて、恐る恐る、リーンの腰に手を回す。
「リーンみたいな…全部の鏡像世界で一番かわいくて、強くて、優しくて、頭もよくて、もう訳わかんないくらい最高の女の子にとっての一番は俺だって…自慢してもいいの?」
「はい、もちろんです…っ」
 リーンの答えを聞いて、回した手に力を込める。今度こそ痛いくらいに力強く抱きしめて、もう我慢も遠慮も絶対にしないと、強く強く彼女に縋りつく。
「嬉しい…っ……俺、自分がリーンの一番じゃなきゃ嫌だ」
「私だって…私がカムイルの一番じゃなきゃ、絶対に嫌です。どんなに世界を越えても、一番格好よくて、強くて、何でもできて、優しくて…誰にも負けないくらいかわいいカムイルが一番に選んでくれたのが私だって、全部の鏡像世界の人に自慢できたらいいのに」
 まるで、初めて互いの気持ちを告白したときのようだ。恋人という関係になれてそれなりの時間を過ごしたはずなのに、今夜また、新鮮な気持ちで愛を確かめ合えている。
 一人の相手に恋をし続けるということは、きっと今夜みたいなことを言うのだと思った。一度に伝えきれる気持ちなんて高が知れていて、伝えきれない想いがどんどん膨らんで溢れ出しそうになるから、それを伝え惜しむ暇なんてないのだ。
「リーンのことが好きすぎて……マジで、馬鹿になりそう…」
 いっそ、馬鹿になってしまった方がいいのかもしれない。要らぬことを考える余裕がないほどリーンのことを好きになって、愛して、愛されて、そこまでしてようやく、自分は自分の気持ちに正直になれると思うから。




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