<CASE2:ウルダハ編>





 まだ賑わいが続く会場を出て、だがその先のことをワイモンドは何も考えていなかった。普段通りの格好であればウルダハ内のどこへでも繰り出せるが、生憎と、まだベラージオに変装した姿のままなのだ。迂闊なところで変装を解くわけにはいかず、かと言って、ケイロン達からルームキーを受け取らずに出て来てしまったので行く宛もない。どうしたものかと考えながら一先ず向かったエレベーターホールで到着を待っていると、くい、とサルエルの裾を引かれた。そんなことをする相手は一人しかいないので見下ろせば、嬉しそうな表情を隠さないキャメロンと目が合う。
「あのね、ベラージオくん」
 うきうきと、楽しそうな声色。辟易した溜息を返してやりたいところだがぐっと飲み込んでワイモンドが続きを待っていると、キャメロンは小ぶりなパーティバックの中から何やら取り出してワイモンドへと見せた。
「最上階という訳にはいかなかったけど、私も部屋をとってあるの」
 ここ数日ですっかり見慣れてしまった、ホテルのオリジナルタグがついたルームキー。
「…だからね、お兄様達が戻ってくるまでは私の部屋に来ない?」
 チン、と。タイミングを見計らったようにエレベーターの到着を告げるベルが鳴った。


 冒険者というものは、その稼ぎ方やギルの使い道によっては巨万の富を得ることも不可能ではない職業だ。現にキャメロンはゴブレットビュートにMサイズの個人ハウスを建てていて、土地さえ余っているならいつでもLサイズへ転居できるだけの貯蓄があるとも聞いている。キャメロン以外の冒険者にしてみても百億ギルを超える資産を持つ者がいたり、五千万ギルの高級マウントを複数購入して乗り回している者もいる。
 だから、実家の援助を一切受けずに冒険者として成り上がったキャメロンがウルダハ最高級ホテルのスイートルームを押さえていることに驚きはしなかったものの、招かれるべくしてまんまと誘い込まれたような心地がして、ワイモンドは彼女の部屋に着いて早々に苛立ちをぶつけるようにウィッグを荒っぽく外した。
「めっちゃ広いー!内装もインテリアもかわいいー!お兄様のお部屋だと思いっきりだらだらできないと思って、やっぱり自分で部屋とってよかったぁ~!」
「ああ、そうかよ」
 部屋に入ってすぐのリビングスペースにあるソファへキャメロンがダイブするように飛び込むのを、ワイモンドは玄関横にある全身鏡でカラーレンズを外しながら横目に見る。つけている間の違和感はないとはいえ、やはり裸眼になると眼球がさっぱりしたような感覚になる。ウィッグも脱ぎ捨てて服装以外は本来の姿へ戻ったワイモンドは、元より緩いつくりになっているオアシスダブレットの胸元をさらに気崩しながらゆっくりとキャメロンの元へと向かった。

 ソファで仰向けになって脱力していたキャメロンも、ワイモンドが近くにくれば体を起こして席を空けてくれる。大役が終わってどかりとソファへ身を沈めるワイモンドに、キャメロンはテーブルの上に置かれていたルームサービスのメニュー表を開いて見せてくれた。
「会場じゃあんまり飲み食いできなかったでしょ?今日までお兄様のお仕事に付き合ってくれたし、今夜は私が奢っちゃうから何でも頼んで!」
「んー、そうだな…」
 考えるような素振りを見せながら、メニュー表をとろうとした手が自然とキャメロンの小さな背中へと伸びる。そのまま強めに抱き寄せて自分の小脇に抱え込むと、体勢を崩してそこへ収まったキャメロンがくすくすと嬉しそうな笑い声をこぼした。
「やだぁ、今夜のワイモンドめちゃくちゃ積極的で嬉しい~」
「あー、もう…お前にはムードってもんがねえのか」
 口でばかり悪態を吐いて、でも背中に回してしっかり抱え込んでいる手を放すつもりはない。そのうちにキャメロンがワイモンドの太腿を枕のようにして寝そべるので、ワイモンドは彼女のターバンを外してソファ端へ追いやってから丸い頭を何度か撫でた。
ルームサービスを奢られるつもりではあるが、それはまた、もう少し気分が落ちついてからでもいい。ワイモンドがメニュー表をぽんとテーブルの上へ投げて視線を落とすと、満足そうな表情で頭を撫でられているキャメロンと目が合う。
「ねえ、」
「ん?」
「私が他の男の人とおしゃべりしてるの、やっぱり嫌?」
 そう訊ねてくる顔に、会場を後にしたばかりのときのような、どこかワイモンドを揶揄するようなにやにや笑いはなかった。こいつこんなに甘ったるい表情もできたのか、と。それこそワイモンドでさえ今までに見たことがない「女」の顔つきになって、瞬くたびにルームライトを反射して輝くエメラルドグリーンの瞳がワイモンドだけを真っ直ぐに見つめてくる。

 これだからララフェル族の女は厄介だ、とワイモンドは思う。クイックサンドの女将であるモモディもそうだが、種族故の幼い容姿には不釣り合いな大人らしい表情を浮かべられると、そのアンバランスさで頭がくらくらと揺れそうになる。別に、倒錯的な趣味はない。ただ、ウルダハという都市はどうしてもララフェル族と生活を共にする機会が多く、加齢に合わせて髭を蓄えることが多い男性と比べて女性はいつまでも若々しい容姿や出で立ちを好む傾向にあるので、そのように感じる機会が多いというだけだ。
 キャメロンにしてみても、まだ駆け出しでウルダハのあちこちを走り回っていた頃は容姿と実年齢が噛み合って何の違和感もなかったというのに、外へ飛び出して冒険の旅から帰ってくるたびに表情ばかりが一丁前の大人のそれに近付いて行って、そのアンバランスな成長が余計に、あの日の雛チョコボが自分の手を離れてみるみる遠くへ羽ばたいて行ってしまうのだという焦燥感を強めた。
「……嫌じゃねえ、けど」
 訊ねてくるキャメロンが仰向けに体勢を変えるので、その前髪を掻き上げるようにさらりと撫でる。キャメロンの髪質はしっかりと丸いフォルムを維持するボブヘアの見た目の印象とは裏腹に細く柔らかくて、ワイモンドが手を添えたり撫でたりするたびにさらさらと逃げるように流れる。そのたびに、この雛チョコボを自分の鳥籠の中へ留めておくのは容易なことではないのだと思い知らされるようだった。
「けど…?」
「……今夜のあいつは、目がマジだっただろ。お前だって、あんまり熱心に言い寄られてどうやって話を煙に巻こうか考えあぐねていたくせに」
「あははー、やっぱりバレてたかぁ…」
 青年からの猛アタックに困っていたのは事実だったようで、思い出したキャメロンはどこか気疲れした表情になって苦笑いを浮かべた。


 事実、青年の真っ直ぐ過ぎる想いをどうやっていなすかでキャメロンは困っていた。
 悪意や下心がある相手ならきっぱりと突っぱねればいいし、強硬手段に出ようとする相手なら正当防衛の暴力で解決すればいい。真に困ってしまうのは純然たる好意と、その強さ故に周りが見えなくなってひたすらに想いをぶつけ続けてくるような相手だ。その手の気配が漂う人間のこともある程度は見極められるものの、大丈夫だと思って受け答えをしてしまった相手が実は厄介者だった、というパターンもよくある。今夜がまさにそれだった。

 青年からの好意を察してすぐ、キャメロンは言葉にしてきっぱりとその好意を断った。自分には本命の恋人がいて、それ以外の男性を本命の席に置くつもりはないと。だが相手も伊達にキャメロンへ熱心な視線を向けていたわけではなかったらしい。キャメロンが懐いて宿屋代わりにしている男が各地にいるということを知っていて、ならばラザハンでの男に自分を選んでくれないかと言われた。
 その辺りで、キャメロンの青年への気持ちは完全に冷めていた。顔は文句なしの好みだが、そもそもキャメロンは自身の行動を他者に制限される――束縛されるようなことが大嫌いなのだ。各地に宿屋代わりの男がいるとはいえ、彼らは皆一様にしてキャメロンを女性として意識しておらず、ただ彼女がその地の窮地を救った冒険者であるというよしみで親しくしてくれているだけで、万が一にも間違いが起こるような可能性はない。彼女が旅の合間に訪れる羽休めの枝を提供しているだけでそれ以上でもそれ以下でもない。キャメロン自身も、そういう男性を選んで懐いている。

 そうは説明したところで、引き下がってくれるような青年ではなかったのだ。キャメロンが彼を選べない理由を一つ挙げれば、それを補うような提案を十は返してくる。そういう熱心な、ともすれば逃げようとするキャメロンにみっともなくしがみついて離れないような、要するにしつこい男だった。
 しつこい男は苦手だ。だって、絶対に後腐れが酷いことになるから。しかも強い言葉で拒めばキャメロンへ向けられていた好意がそのままの強さと熱意で真逆に捻じ曲がりかねない。それを考えるとあの青年の想いを諦めさせるにはなかなか骨が折れそうだったので、ワイモンドが敵意を隠さず割って入ってくれたときは「助かった」という気持ちが先にあり、後からじわじわと、ワイモンドが悋気した態度を初めてキャメロンへ見せてくれた嬉しさが胸の奥から湧き上がってきた。


「ワイモンドさぁ、」
「なんだよ」
「思ってるよりも、私のことちゃんと大好きだよね」
 しつこい男は嫌いだ――ただ一人、ワイモンドを除いては。
「安心していいよ。私は面食いだから、見た目がタイプのミドオスがいたらどうしたって格好いいって思っちゃうし、そう思う人はきっとこの先の旅の中でもたくさん出会うけど」
「そこで面食いを止める気はないのかよ」
「ないよ。でも、それでいいでしょ?どんなに顔が好みのミドオスでも、ワイモンド以外に気を持たれたらその時点で気持ち冷めちゃうんだから」
「お前の気持ちが冷めても相手の男はどうかわからないだろ、って話をしてるんだよ」
「痛ッ⁉」
 ぱちん、と勢いよく額を指で弾かれた。容赦のない痛みにキャメロンが思わず丸くなってごろんとソファの上で身を捩ると、それで膝枕から解放されたワイモンドが腰を上げる。一体何なのだ、と痛みで涙目になったキャメロンがぎゅっと瞑った瞼越しに影が落ち、不思議に思ってうっすら瞼を開ければ、すぐ目の前に緩く気崩したワイモンドの胸元が迫ってきていた。
「え…っ、ちょっと…!」
 期待していないわけではなかった。むしろ普段からいつだってワイモンド相手には期待していた。だがあまりにも急な展開にキャメロンが思わず短い腕を突き出すも、ワイモンドは構わずソファへ俯せになるようにしてキャメロンの上へと覆いかぶさってきた。押し倒された、というよりは肘をついて俯せになるワイモンドの胸元へキャメロンの小さい体が収まっているようなかたちだ。それでも長いスカートの裾がワイモンドの腰骨の下へ下敷きになってしまい、容易には身動きが取れそうにない。サングラスに遮られていない、裸眼同士で絡まる視線。しかもこんな体勢で、至近距離へ迫ってくる顔にドキドキと小さい胸が高鳴る。
 方々の男の拠点を宿代わりにはするし、好みの男には愛を表現するし、昔から耳年増なので様々な知識もある。だが十二歳の出会いから現在に至るまで本命がワイモンドなのだという一点を一途に貫いてきたキャメロンは、男女の情愛に関わる経験が何一つない。ワイモンド以外の男に譲ってなるものかと、唇すら操を立てて守ってきたのだ。そんな雰囲気になりたくてもなかなかなってくれなかったワイモンドの顔が、こんなに近くに迫っている。頬を撫でるような距離で吐息を感じ、キャメロンは思わず小さな口をきゅっと引き結んだ。
「本当にいい女だよ」
「ん…っ、」
「それに、ひどい女だ。無駄にいい面で愛嬌振り撒いて、方々で好みの男に愛を表現して、あの救星の冒険者が自分に懸想しているかもしれないと思わせるだけ思わせて……いざ捕まえようとすると、嘘みたいにあっさりその手から離れていくんだ」
 多心ある男好きの浮気性という体で振る舞っておきながら、本命以外はお断り。自分から懐っこい仕草をしてくるくせに、いざ相手にそれを返されると途端に冷める。英雄色を好むという言葉の通りなのだろうと浅慮で声をかければこっぴどくフラれ、ちやほやされるのは嫌いじゃないのに本気なのだと伝えると面倒そうな顔をする。どこまでも身勝手で我儘で、だからそんな自分の本性を知った上で誰かに本気で懸想されるとは微塵も思っていない。
「考えが甘いんだよ、お前は」
「い…っ⁉」
 キャメロンが硬く引き結んでいた唇をふにふにと親指の腹で撫でていたワイモンドが、不意に指の腹に力を入れてキャメロンの唇を引っ張る。キャメロンの普段からの振る舞いそのものではなく、自身へ向けられる好意への鈍感さを咎めるように。
「お前がクソ我儘で自分勝手などうしようもない女だったとしてもな、男ってのは馬鹿だから、そんな面倒な女だとわかった上で惚れちまうんだよ」
「い…いひゃひ…」
「現に、そのクソ我儘駄目女のケツをずっと追いかけ続けてる男が目の前にいるんだぞ。お前だって、どんなにクズな男でも顔が好みだったらそれはそれで惹かれちまうことがあるだろうが。どうして面食いなのに自分の外面のよさを棚に上げられるんだよ」
 ぐにぐにと程々の力加減で引っ張っていた唇を放してやり、今度は労わるようにまたそこを親指の腹で優しく撫でる。ララフェル族の容姿の幼さを思うと、ワイモンドとしてはやはり、まだそこへ自分の唇を重ねる気にはなれなかった。だが、自分以外の男にそこを奪われるのも嫌だ。だから、努々忘れないでいてほしいのだ。
「お前がいい女だと思う奴も、駄目女だとわかった上で惚れちまう奴も、この世界にはいくらでもいる」
「…………」
「方々で男に愛嬌を振り撒くなとは言わねえが、お前もちったぁ大人になったんだから、ふらふら半端な男遊びを続けるつもりならそれを忘れるんじゃねえぞ」

 どんなに性格に難があったところで、顔がよければそれに引っ張られてずぶずぶと深みに嵌って惚れこんでしまう男がいる。自分こそがその一番の証明であるとわかってほしい。そんな湿っぽい願望をぶつけてしまったせいか、ワイモンドは自身の表情が随分と下がり眉で情けなくなっていることを自覚する。じっと大人しく見上げてくるキャメロンも、そんなワイモンドの珍しい表情に短い腕を伸ばすと優しく頬へ触れてきた。
「……そういうふうに言ってくれるワイモンドだから、私もワイモンドが好きだよ」
 ふにゃり、とキャメロンが安心させるようにワイモンドに笑いかける。
「私の駄目なところも、だらしないところも、性格が悪いところも。勝手に追い回して何もかも調べ上げて把握してくれているのに、駄目でどうしようもない私のことを好きでいてくれる……ちょっと笑っちゃうくらい執着すごいけど、でも、私がやることに何も口を出さないし、束縛もしてこない。一時の気の迷いで私に惚れてくれる人はいるとしても、こんなふうに私のことを深く知った上で黙って見守ってくれる人は、絶対にワイモンドしかいないもん」
 キャメロンは、自分の難ありな性格に理解を示して寄り添ってほしいわけではない。理解できるなんて言われた日には途端に冷めてしまうような捻じ曲がった性格だ。
相手に求めることはただ一つ、自分の生き様や選択を「把握」してほしいということ。ただ把握しているだけで、求められない限りは口出しせず、黙ってその生き様を受け入れて見届けてくれる人――そんな都合のいい人間なんているはずがないと思っていたのに、あまりにも都合がよすぎる男が目の前にいるのだ。
 だから、ワイモンド以外に本命なんて在り得ない。キャメロンの与り知らない場所で勝手に何もかもを調べ上げて、それを黙って飲み込んで受け止めてくれる人。自分に執着を向けてくるのなら、彼のような在り方以外は御免なのだ。

「ハッ…本当に面倒くさいクソ我儘女だな」
「でもそれがいい女だと思ってるくせに」
「それじゃ、そんないい女の奢りで飲み直すとするか」
 艶っぽい雰囲気はそこまでだった。ワイモンドが身を起こして手を差し出すと、キャメロンも素直に手を掴むのでそのまま腕を引いて体を起こす。改めてソファに横並びに座った二人は、ワイモンドが放ったままにしてあったメニュー表を改めて覗き込んだ。
「本当に何頼んでもいいのか?」
「いいよ!おかげ様でめちゃくちゃ気分いいからね!」
 ウルダハの夜は長い。二人きりのパーティをやり直すにはお誂え向きの部屋で、ルームサービスのクオリティも一級品揃いだ。上等なワインボトル数本とルームパーティ向けのオードブルを早速注文した二人は高揚した気分のまま夜通し盛り上がり、共に泥酔の末に床とソファで伸びている姿を翌朝になって様子を見に来たケイロンに叩き起こされることになるのだった。




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