<CASE2:ウルダハ編>





 また別日、ケイロンの滞在するホテルの部屋にて。
「目に入れるのか…?これを?」
 ケイロンが話していた瞳の色を変えるアイテムを実際に目にしたワイモンドは、その使用方法を説明されてあんぐりと口を開けてしまった。
 彼らがコンタクトレンズと呼ぶそのアイテムは、透明な薄い膜に人の虹彩に似せた着色がされたものだった。保護液の中で浮かぶそれを見ているとまるで人間の瞳から剥ぎ取った角膜が浮かんでいるようで、気味の悪さにワイモンドは思わず眉間に皺を寄せる。これを自分の眼球に被せれば瞳の色が変えられるという道理は納得できても、目の中に異物を入れることへの抵抗とリアルなつくり故の生々しさが、どうにもワイモンドには受け入れがたかった。
「超薄型でソフトなつくりだから、実際につけちゃえば違和感ないよ。試しに指で触ってみていいから」
「うえー…」
 取り扱いの練習だと言ってカメリアに容器を差し出され、ワイモンドは手を消毒するとおそるおそる保護液の中へ指を入れてレンズを触ってみる。カメリアの言葉の通り、気を付けて丁寧に扱わなければ破れてしまいそうなほど薄く、その指触りはとても柔らかかった。故に、本当に人間の本物の角膜が浮かんでいるように思えて気味が悪い。
「なあ…これ、本当につけなきゃ駄目か…?」
「駄目に決まってるでしょ。あのね、瞳の色ってそれだけで人間の印象ががらりと変わって別人に見えるんだから」
 そうワイモンドに言って聞かせるカメリアの瞳は彼本来の琥珀ではなく、髪の色と同じミッドナイトブルーに変わっている。サンシーカー族特有の縦に長い瞳孔のかたちがわかりにくく全体的に黒目がちになったつぶらな瞳は幼く無害そうな印象を与え、カメリア本人のねじ曲がった性根の悪さや倫理観の欠如を知っているワイモンドとしては、見た目とよく知る本人の差異も相まって確かに別人に見える。これで髪型や髪色まで変えられてしまえばカメリアだと絶対にわからないだろう。
「ほら、鏡見ながら練習しよ?それなりの量つくったから、失敗して破れても大丈夫だよ」
「うー…マジかぁ」
 ワイモンドのために用意されたのは、本来の色であるダークブラウンからそのまま明度と彩度を高くしたようなホワイトベージュのレンズだ。覚悟を決めてホテル備え付けのドレッサーに腰を下ろし、カメリアに見せてもらった手本の所作を思い出しながら改めてレンズを指にとる。
「人差し指に乗せるようにして、レンズの向きが正しいか確認して…そうそう、上手」
 自ら瞼を押さえつけて開いてこれを眼球の上に被せるなんて、何かの拷問かと思う。だがそれも、あの日懐に収めた小切手の額面を思い出せば飲み込むしかない。ワイモンドは瞬きができないようにしっかりと自身の上瞼と下瞼を押さえると、ええいままよ、とレンズをそっと眼球の上に被せた。
保護液の中でしっかりと保湿されていたこともあり、レンズはワイモンドの眼球に触れると、そこの水分に吸い寄せられるようにぴったりと虹彩の上へと貼りついた。何度か瞬きをすると位置が定まって異物感もなくなり、だがレンズと実際の眼球の間がしっかりと保湿されているので乾燥もなく、鏡を見れば、まるで生まれながらのオッドアイのようにワイモンドの片眼は違和感なくホワイトベージュに変わっていた。何とも革新的な技術だ、と思わずワイモンドは唸ってしまう。
「こいつはすげえ…こんなのが世に出たら表も裏も社会がひっくり返るぞ」
「だよねー。だからウチとしても、これを商売道具として世に出すつもりはないよ。正真正銘、アンタしか知らない企業秘密だと思ってね」
 最初は気味の悪さに怖気づきそうになったが、実際につけてしまえばどうということはなかった。すっかり慣れてしまったワイモンドが残る片眼にもレンズを入れてしまえば、鏡に映った顔が自分のものとは思えなかった。顔のパーツはそのままなのに、目の色が大きく変わるだけでここまで違って見えるものか。前髪を掻き上げて撫でつけるとますます別人に見える。これで声色や表情を取り繕ってしまえば、余程注意深く観察されない限りはワイモンドだと誰も気づかないだろう。ましてや暗い照明の中のパーティともなれば誤魔化しやすい。

「それじゃあ大変恐縮だけど、今日はこのままこの部屋でレンズをつけて一日過ごしてもらうよ。少しでも目に違和感が出たらすぐに俺に言ってね」
「ああ、世話になるぜ」
 性格こそ難ありだが、カメリアの錬金術師としての腕前は確かなのだと思い知らされる。人体に直接影響を及ぼすアイテムを取り扱う職種ということも相まってか、今日のように実際にワイモンドが試用する機会まで用意してくれたところを見るに、クラフターとしての誠実さは間違いないらしい。
 ワイモンドとしても、一生の内に泊れるかどうかという高級ホテルのスイートルームで一日過ごせるのは悪くなかった。久々の休日だと思ってのんびり過ごそうと、服装もいつものものではなくゆったりとしたオアシス風の装いに着替えている。同室にカメリアがいるので羽根を伸ばしきることはできないが、ワイモンドの目に異常が出たときのために待機してくれていると思えば、いつものような居心地の悪さはなかった。
手持ち無沙汰なので何か飲み物でも入れようかと席を立つと、ちょうどそのタイミングで外出していたケイロンとキャメロンが揃って部屋へと戻ってきた。ばっちり視線が合ったワイモンドの瞳の色が変わっていることに気付くと、ケイロンは問題なく着用できていることにほっと胸を撫で下ろし、キャメロンは印象が変わったワイモンドの顔に「わぁ!」と歓声を上げる。
「すごい!本当に目の色が変わってる!」
「問題なくつけられているようでよかった。経過観察のためとはいえ、今日はここが我が家だと思ってゆっくり寛いでいってくれ」
 二人は一日中籠りきりのワイモンドのために軽食や飲み物を買い込んで来てくれたようで、大きな買い物袋を抱えてキャメロンはキッチンへ、ケイロンはすぐに飲めるようにとテイクアウトしてきたアイスコーヒーが入った紙袋を持っていたので、ララフェルの体では大変だろうとケイロンの持つ紙袋をワイモンドが引き受けてテーブルの上へと並べる。中に入っていたカップの内の一つはイチゴやラズベリーが混ぜられたフラッペの上に生クリームがふんだんに盛り付けられたデザートドリンクで、何を言われずともそれがキャメロンのものだということがわかる。
「よくこんなもの飲めるな…」
 見ているだけで胃もたれしそうなフラッペを戻ってきたキャメロンに渡してやる。
「お前、どちらかといえば辛党じゃなかったか?」
「甘いのも辛いのもどっちも好きだよ?そんなことよりも、」
 ワイモンドからカップを受け取ってソファへ腰を落ちつけたキャメロンが、ずい、と色が変わったワイモンドの瞳を覗き込む。
「本当に、すごい…目の色が全然違うと別人に見えるのに喋っている声はワイモンドだから、なんだか頭が混乱しそう」
「そいつは何よりだ」
「でも、お兄様に聞いていた通りの目の色でよかったよ。それに合わせて生地の色やアクセサリーを揃えたから、間違いなくウルダハ一の男前になるよ!」
 自信十分、といった満足そうな表情でキャメロンがフラッペのストローへ口をつける。今日はキャメロンが仕上げてきた当日の衣装に袖を通して変装の最終調整をする予定でもあるが、まだ昼前で日も長い。社長秘書役の演技プランはどうするつもりなのかと、ワイモンドは雑談も兼ねて先にケイロンに確認することにした。


「衣装の準備は万全だとして…当日、俺はどんな秘書役を演じればいい?」
「ああ、そのプロフィールについては先に資料を渡しておこうと思ってね」
 考えていることは同じだったのか、ケイロンはちょうど取り出しかけていた書類の束をそのままワイモンドへ渡した。名前や簡単な人物像だけではなく、エオルゼアに生まれてからケイロンの下で秘書として雇われるまでの来歴がやり過ぎなくらい綿密に練られて綴られている。ワイモンドは目を通しながら思わず口笛を吹いた。
「よくやるぜ。本職の俺だってここまで手の込んだことはしない」
「生憎、素性隠しならお家芸と言っても差し支えないくらいには得意でな。貴方の頭脳であれば、これくらいの来歴は頭に叩き込めるだろう?」
「当然」
 言われてみれば、ジャヌバラーム家というのは代々素性をひた隠しにしてきた一族だった。第七霊災後の生き残りであるケイロン達もまた、自分達の生まれが曰く付きの当家だと世間に勘付かれないように来歴を隠しながらガルシア錬金商として成り上がっている。皮肉だが、お家芸と言われてワイモンドは笑うしかなかった。

「名前はベラージオ。クレセントコーヴの漁師の息子だがその道を継ぐことはなく、漁獲高を元に取引額を計算する勘定手伝いにやりがいを見出して商いの道を目指す。ウルダハのマーケットで下積みをしようと志すも、浅学から手持ちの全財産をだまし取られた上に労働力としてロータノ海を活動拠点にしていた名もない海賊団に売り飛ばされる……おいおい、なかなか悲惨な人生だな」
「海の上で人生の大半を過ごしたとなれば、その浅黒く日焼けした肌にも言い訳がつく。それに陸地を離れた情報は足がつきにくい。第七霊災以前の略歴に関しては、しがない海賊船の荷運びである程度は誤魔化せるだろう」
 その後は第七霊災の混乱と共にベラージオの人生は再び陸地へと戻り、紆余曲折を経てケイロンと出会って社長秘書という側近までに至る。一度は夢破れたものの、後にウルダハンドリームを掴んだラッキーボーイというわけだ。
こういう奇跡的な成り上がり人生はウルダハには珍しくない話で、故に疑いをかけられて身の上を深く追及されることもないだろう。要所ごとの来歴は事細かな設定がされているが、これはもしも話題を深く掘り下げられたときのための保険のようなものだ。付添人であるベラージオことワイモンドがゲスト達を相手にべらべらと喋るものでもないので、どちらかと言えばケイロンとの口裏合わせの内容という認識が近い。
「性格は商売人に不向きなほど温厚で柔和。控えめな性格だが、社交性は十分で常に柔らかな物腰……」
「ワイモンドと真逆じゃん」
「うるせえよ」
 余計なツッコミを入れるキャメロンの頭を軽く小突いてやる。実の兄の前だが、ここ数日の親族ぐるみの付き合いのおかげもあって、もうそんなことを気にするような仲ではない。
 それにしても感心してしまうのが、ベラージオのプロフィールが綴られた細かな文字の書類に目を通していても、レンズをつけた眼球に然程の負担がかかっていないことだ。普段以上に疲れたり渇き目になるということもない。
「…なあ、もしかしてレンズのつけ心地を確かめるために、わざと細かい文字でこのプロフィールつくってきたんじゃないだろうな?」
 よもや、と顔を上げて向かいに座るカメリアとケイロンの顔色を確認すると、二人揃って満足そうな表情でワイモンドの言葉を肯定した。まったくもって、抜かりがない。
「降参だ。ここまで万全にお膳立てしてもらった以上、俺も温厚で柔和な好青年のベラージオくんを全力で演じさせてもらうよ」


   ◆◇◆


 午後になって昼食をとり食休みを挟んでもレンズを着用したままのワイモンドの目に問題はなさそうだったので、実際に衣装に袖を通して社長秘書ベラージオのイメージを最終確認することにした。
 キャメロンが用意したのはウルダハでは定番のオアシスダブレットとサルエルのコーディネイトで、形やデザインこそオーソドックスなものだが、使用している布材やベルト周りの細かな装飾で高級感を出している。華美になりすぎず、だがガルシア錬金商に名を連ねる者としても見劣りしない絶妙なバランスだ。どんなにキャメロンの職人としての評判を情報として聞き及んだところで実際に彼女の手で製作されたものを身につける機会がなかったワイモンドは、デザインはもちろんのこと、着心地のよさにも感心してしまう。いつものジャケット姿から一変して豪商の付き人らしい姿へさらに近づいたワイモンドに、デザイナーであるキャメロンも様々な角度から仕上がりの最終チェックをしながら満足そうに頷いている。
「外から見たサイズ感は完璧だね!着心地はどう?」
「悪くない。いい生地使っているおかげか、肌触りがかなりいいぜ」
「それならよかったぁ…!うんうん。これでどこからどう見ても、若社長を傍で支える真面目な爽やかイケメン秘書だねぇ」
 悔しいがキャメロンが言う通りで、姿見に映ったワイモンドは瞳の色と服装を変えただけでも十分すぎるくらいに、普段の印象と違って見える。気まぐれに前髪を掻き上げて顔に浮かべる表情を人当たりのよさそうな柔和な笑みにすると、本当に顔のパーツと背格好が同じだけの別人であるようだ。
「……なあ若旦那、このレンズを仕事用に買いたいって言ったら幾らで売ってくれる?」
「生憎だが、金輪際使う予定はない非売品だ」
「チッ、やっぱり駄目か」
 温厚そうな表情を取り繕うのをやめて、いつもの釣り眉の表情になってがしがしと頭を掻く。今の自分の姿を見続けていると頭が混乱しそうなので、ワイモンドは姿見を離れると再びソファへ腰を下ろした。立ち座りをしても柔軟性のある布材のおかげで窮屈さを感じないのがまたどこか悔しい。

「ワイモンド、見て見て!」
「うん?」
 腰を落ちつけてほっと一息を吐いたところで声をかけられ、ワイモンドは気怠くキャメロンの声がした方へ振り向く。そういえば足元をうろついていたはずなのにいつの間にか姿が見えなくなっていたな、と思い返しながら首を動かした先、別室の扉を開けて出てきたキャメロンが「じゃーん!」と体を一回転させて着飾った姿を見せてくる。
 占星術師達がよく好んでつけている垂れ布の豪華なターバンに、サベネアンビスチェに近いデザインのトップス、ロング丈のスカートは透け感のある布地が何重にも重なっていて、動くたびにふんわりと揺れながら細かな金装飾が煌めいて華やかだ。全体的にキャメロンの瞳の色と同じエメラルドグリーンで統一しつつ、アクセントの細やかな金装飾が散りばめられたドレス姿だ。
 サベネア風とウルダハ風のいいとこ取りをしたようなデザインは、褐色肌のキャメロンが身につけると如何にも、という風貌になる。キャメロンはふわふわとベールのようなスカートをなびかせながらワイモンドの座る足元まで駆け寄ると、そこで令嬢然とした淑やかなお辞儀をしてみせた。
 どうしてお前が急にドレスで着飾っているんだ、という野暮を聞くほど察しの悪いワイモンドではない。キャメロンへの返事の代わりにケイロンとカメリアへ視線を投げると、これまた黙って頷いて肯定された。
「いつもなら弟に護衛も兼ねて付き添ってもらっているのだが…今回はそうもいかないのでな。物騒なようなことが起こりそうな集まりではないものの、念のために妹も同行させようと思っているんだ。あちらの客人も、サベネア島の混乱を治めた冒険者の内の一人が会場にいれば安心してくれるだろう」
「なるほどな、」
 黙っていれば美少女――とは、キャメロンの弟が彼女を指してよく口にする言葉だ。
 ララフェル族共通の愛らしい顔つきはもちろんのこと、つぶらな瞳はデューンフォーク族特有の薄膜で覆われた奥にエメラルドグリーンを宿し、瞬きのたびにきらきらと輝く様はまさしく翠玉のようだ。
両の目元に化粧のように入れている紅色の刺青とのコントラストはますます瞳の鮮やかさを際立たせる。さらさらの金髪は健康的な褐色肌によく映え、薄暗い夜闇の中でも僅かな光を拾って控えめに煌めき、ザナラーンの燦々とした太陽に照らされれば眩いくらいに輝く。金、翠、紅――まるで富の象徴である宝玉をその身に宿しているようだという容姿の印象は、長く付き合ってきた今でも変わらない。
「ねえねえ、似合ってる?」
 綺麗だ、と素直な気持ちがワイモンドの胸の中で響いた。ヒューランのワイモンドの目にはどうしてもララフェルの容姿は子供にしか見えないだとか、そういうくだらないしがらみの一切が気にならなくなるほど、ドレスアップしたキャメロンの姿は異性として魅力的だった。間違いなく、パーティの花形になる。
「…護衛役兼ねてるのに着飾ってどうするんだよ」
 胸の内ではあんなに素直に思いが浮かび上がってきたのに、いざ口を開くとその言葉が引っ込んで捻じ曲がる。だがワイモンドのつれない態度にすっかり慣れているキャメロンは、何かしらの言葉が返ってきただけでも嬉しいのか「えへへ」とはにかんだ顔でワイモンドのことを見上げてきた。
「いつかお兄様の付き添いでお呼ばれすることになったら絶対にドレスつくろうと思ってたんだよね。それでワイモンドがいる会場なら、もう今回しかチャンスないでしょ?」
「別に俺がいない場所でも好きなだけ洒落込めばいいだろ」
「嫌だよ!気合い入れてお洒落したら、絶対ワイモンドに一番に見せたいじゃん!」
 一番に――その言葉がまた、ワイモンドの中の優越感を満たしてくれる。
 おそらくパーティ当日の花形として、そして終末が訪れたサベネアの混乱を治めてくれた冒険者として、ラザハンから招かれた来賓達の引く手数多であろうキャメロンが一番の存在に選んでくれるのはワイモンドなのだ。それを再確認して無意識に満足そうな笑みを口元に浮かべてしまうワイモンドの表情の変化に気付いたのは、遠目に二人のやりとりを見守っているケイロンとカメリアだけだった。




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