暁の声





 混乱に乗じて連れ去ったキャメロンの魂を帝国兵の体へと無事に移し終えたファダニエルは、空の器同然となったキャメロンの体を玉座へ座らせて「やれやれ」と息を吐いた。
「まったく…妙な魂のつくりをしていますねぇ、アナタ」
 魂の抜けた肉体からの返事はない。移し替えた帝国兵の体も、今はまだ意識を失ったままだ。彼女の魂を肉体から引き抜く際に感じた妙な感覚――それを思い出して眉を顰めていたところにゼノスの気配を感じ、ファダニエルは顰め面を大仰な笑顔に変えてくるりと後背を振り返った。
「おや殿下、よいところに。ご友人の魂の入れ替え、今し方終わったところですよ」
「…………」
 ゼノスはキャメロンの体と帝国兵の体をそれぞれ一瞥しただけで、何も言わない。そんな反応にもすっかり慣れてしまったもので、ファダニエルは気に留めず話を続けた。
「さあて、それでは次はディナーの用意といたしましょう。コースのご希望はございますか?」
「ない。お前に一任しよう」
「ではでは、この私が腕によりをかけた最高級のフルコースをご用意いたしましょうっ!……ああ、そういえば」
 さも今まさに思い出したかのような、わざとらしいファダニエルの口ぶりにゼノスがぴくりと眉を動かした。まだ日が浅い付き合いではあるが、こういう口ぶりで話題を振ればゼノスが少しは耳を傾けてくれるということをファダニエルは心得ていた。
「殿下のご友人は、随分とおもしろい魂をお持ちのようだ。きっちり一人分の魂を引き抜いたはずなのに、手にした感触はまるで、二人分の魂を抜き取ったかのようでしたよ。もちろん、この原初世界の魂が他の鏡像世界へ散った魂の集約であるという意味を超えて、ね」
「……ほう?」
 ファダニエルの予想通り、ゼノスが興味深そうに食いついた。ディナーのためにと用意したテーブルにゼノスがつき、話を聞いてやらんでもない、という態度で頬杖をつく。
「例えるならば…まったく別の人間を二人用意し、その二人の魂をそれぞれ均等に二分割した後、それぞれの魂の片割れを交換して元の体に収め直したような――こんな技術、かの古代アラグ帝国であれば、さぞや酔狂な人々に喜ばれたことでしょう」
「それで、そのことが何かの障りになるのか?」
「いいえ、まったく!ご覧の通りご友人の魂の移し替えは無事に完了しましたとも!ですが……、」
 にやり、とファダニエルが口角を歪ませる。
「ご友人と魂を分けたと思われる人間には、少々影響が出ているかもしれませんねぇ」


   ◆◇◆


 第X軍団の保護申立の報を受け、ガレマルドでの第一の懸念事項であった現地帝国軍との交渉と、希望する住民達の保護も無事に終えることができた。今夜は共に炊き出しを囲むのだと嬉しそうに報告するキャメロンからの一報を受け、カムイルはほっと息を吐いた。
「そっか。じゃあ、無事に塔攻略に集中できそうなんだね」
「うん!それで全部すんなり解決するとも思えないけど…少なくとも、ゼノスとファダニエルの横っ面は引っ叩きに行かなきゃ」
「ふっ…お前がいつも通りで安心したよ」
 終末の危機を目前にして尚、キャメロンが「憎い仇の横っ面を殴る」というスタンスを崩さずいることにカムイルは思わず笑いを溢してしまった。
 世界の恒久的平和のために戦うような崇高な考え方をする姉ではないとわかっているが、こんな状況でも変に気負わず自然体のままで渦中にいてくれることが、弟の身としては一番の便りだった。

 カムイルはそれからとりとめのない会話を交わし、最後に姉の健闘を祈ってからリンクパールの通信を切る。それを黙って最後まで聞き届けていたカメリアが、タイミングを見計らったようにフラスコを揺らす手を止めて顔を上げた。
「お嬢から?」
「うん。ガレマルドの方で帝国軍と無事に休戦できて、現地の避難民の人達も含めて今夜はゆっくり休息するって」
「へえ、ついに帝国とも和平しちゃうかぁ…着実に、時代が変わってきてるねえ」
 各国と一部友好部族との歩み寄りでさえ時代の変化だと感慨深かった矢先に、今度はエオルゼア諸国の民を「蛮族」と呼んでいたガレマール帝国との和平の第一歩まで踏み出すとは。終末の厄災という未曾有の危機を前に世界が一丸となることは当たり前ではあるものの、実際にそう簡単にはできないことだ。
 だからこそ、今日まで様々な場所で争いが起きてきた。ヴァリス崩御の後に国の体裁を保てなくなっていたガレマール帝国とはいえ、彼らが振り上げ続けていた拳を下ろすに至った心境は、推し量るには余りあるものだ。
 だがおそらく、今回も同盟軍の真摯な歩み寄りが彼らの鉄の拳を解したのだろう。そしてその中心には間違いなく姉の姿もあったのだと思うと、カムイルは少し伏し目になった。

 ケイロンからは、自分のタイミングでキャメロンの隣へ立つようにと言いつけられた。兄のように接して育ててくれたとはいえ、ケイロンはジャヌバラーム家の現当主であり、ケイロンの言葉はこの家に連なる者にとっては主命になる。だからそれを反故にする気などないものの、自分が出ていったところで本当に姉の役に立てるのだろうか、という不安は今も胸の奥で凝り固まっている。
 本当は、代行として姉のふりをしているときもずっと不安だった。滅多な相手には別人の入れ替わりだと悟られない完璧な影武者であるからこそ、本人そっくりに演じた自分の行いによって姉の評判に傷がついてしまわないかといつも不安だった。パールレーンで暴漢に襲われたときのことだって、いつ何の拍子に表に出てしまうかと思うと怖くてたまらない。
 そんな臆病な自分で、本当に彼女の助けになれるのだろうか。


「…………坊、ちょっと休憩する?」
 要らぬことを考え始めたカムイルの気配を悟ってか、隣にやってきたカメリアがぽん、と優しくカムイルの腰を叩いた。カムイルがはっとして見下ろした先で視線が合ったカメリアは、眼鏡越しのアンバーの瞳にあたたかい色味を湛えている。
「旦那にああ言われたのに、ずっと俺の手伝いしてくれてるでしょ?俺もそろそろ仮眠とろうと思うし、お茶にしよっか」
「…いや、りあくんは普通に今すぐ寝てよ。もう丸二日起きてるでしょ」
「おいおい、ひっどいなぁ!せっかくの師匠兼兄代わりの気遣いを…――」
 急に、カメリアの声が遠くなった。
「坊…?」
 一瞬だけ気を失って、すぐにまた意識が戻ったかのような感覚。何が起こったかわからず固まってしまったカムイルに気づいて、カメリアが心配そうに顔を見上げてくる。
 心臓が早鐘のように音を立てているが、それ以外には何もない。とりあえずは大丈夫そうだ、とカメリアに言葉を返そうと再び顔を下へと向けたカムイルの体が、今度こそぐらりと傾いた。ぶれながら斜めに倒れていく視界の中で、カメリアが今までに見たことがないほど焦った表情でカムイルを見ている。
「坊…ッ!」
 なんだ、これは。
 意識ははっきりしているはずなのに、そのはっきりしている意識を何者かに肉体の外側へと引っ張られているような感覚。体が言うことを聞かないわけではないが、脳から発した命令が肉体に届くまでにひどいラグがある。状況を伝えようと唇を開くが、頭で思っている言葉がきちんと発音できない。
「あ……、……ぅ……」
「意識はあるみたいだけど、これは…っ」
 しゃがみこんだカメリアはカムイルの眼鏡を外すと、瞼を指で大きく開いて瞳を覗き込み、続けて首元に手を当てて脈拍と体内エーテルの流れを確認する。次に白衣のベルトに刺していた試験管を一本引き抜くと、その栓を経口用のキャップに付け替えて半端に開いたカムイルの口元へと捩じ込んだ。緊急用のエーテル補強剤だ。徹夜で限界を迎えそうなカメリアが栄養剤代わりに飲んでいる姿を何度か目にしたことがある。
「坊、飲める?」
「ん…っ」
 喉奥まで容赦なく流れ込んでくるエーテルに噎せそうになるが、なんとか喉を動かして飲み下す。ぐらぐらと頭を揺さぶられているような感覚が少しだけましになったような気がした。
 大きく喉仏が動くのを目視したカメリアは一息吐くと、次いでカムイルの額から目元へ手を下ろすので、カムイルもそれに従って素直に瞼を閉じた。
「タッカーくん呼んでくるから、大人しく待ってて」


 カメリアが腰を上げて慌ただしく部屋を出ていく気配を感じながら、カムイルは閉じた瞼の内側に姉の姿を見た。真っ暗な視界の中、小さな体がぽつんとその中心で蹲るように丸くなって倒れている。
 こんなときに彼女の姿を――それも、倒れている様を思い浮かべるなんて縁起でもないと思うのだが、そのビジョンはなかなか消え去ってくれない。ならばせめて意識の中で呼びかけてみようと思うのだが、まるでキャメロンとの間に見えない障壁でもあるかのように、呼びかけた声が届かず跳ね返ってくる。意識の中でならまだ自由に動かせる腕を伸ばしてみたが、案の定、伸ばした指先はやはり見えない障壁に当たってその先へ進めなかった。
 ただの悪夢か、それとも火急の虫の知らせなのか。いずれにせよ気分がよくない。いつだってキャメロンとの間に感じることができていた繋がりがぷつりと遮断されてしまったかのようで、それがカムイルには堪らなく恐ろしく感じた。
 拳で叩いても障壁はびくともしない。ならば魔法で壊そうかと思ったが、この奇妙な意識空間の中ではうまくエーテルを扱えないようで、掌の中で収束しかけた炎は最大火力になる寸前で霧散して消えた。
「マジで何なんだよ、これ…っ」
 言い知れぬ焦燥感で苛立つカムイルの角に、かつん、と金属質の足音が一つ響いた。
 その足音は暗闇の奥から届いて、やがて、規則的なリズムを刻みながら足音の主が姿を現す。フードを目深に被ったその男はキャメロンの傍まで来ると歩みを止め、そして、カムイルを真正面から見つめるとひどく歪んだ笑みを浮かべてこう言った。
「嗚呼…貴方でしたか。この英雄殿の魂の片割れは…――」


「!」
 はっとして目を見開き、跳ねるように上体を起こす。急に覚醒したカムイルにすぐ傍で様子を見ていたカメリアは「うわっ」と身を反らし、その隣にいるタッカーは神妙な表情で飛び起きたカムイルの顔を見つめてくる。
 場所はいつの間にかカムイルの寝室に移り、ベッドの上で寝かされていた。キャメロンが冒険者になって家を飛び出すまでは、ずっと二人で共用していた部屋と寝具。今も二つ並べてある枕の片方が使われていないのはいつものことなのに、そこにキャメロンの姿がないことが堪らなく不安で仕方ない。心臓は相変わらず早鐘のように音を立てていて、その煩わしさをかき消したくて空いたままの枕をぎゅっと握りしめると、それまで黙したままだったタッカーが重々しそうに唇を開いた。
「若様…もしや、何かを視たのではありませんか?」
「…ッ」
 まだ何も話していないのにすべてを見透かしたかのようなタッカーの言葉に、カムイルは動揺を隠せずびくりと肩を竦ませた。その反応を見て、タッカーが眼鏡を押し上げながら大きく溜息を吐く。
「おっしゃらずとも結構。ですが若様が視たそのビジョンは、実際にお嬢様の身に迫っている危険を知らせていると考えていただいて構いません」
「……どういうことだよ、」
「説明している時間もないと思われますので、まずは現場へ向かいましょうか」
 立ち上がりベッドから少し距離をとったタッカーが指を鳴らすと、何事もないはずの寝室に突如として大きなヴォイドゲートが開いた。
 いくらタッカーがキャメロンとカムイルの師匠筋にあたる魔術師とは言え、何の準備もせずにこれだけ大きなヴォイドゲートが開けるとはどういうことなのか。混乱続きで動けずにいるカムイルの肩を、カメリアが宥めるように優しく叩いた。
「いろいろと聞きたいことはあるかもしれないけど、今は俺とタッカーくんを信用してくれないかな。俺もタッカーくんも、旦那から大事なお前達を預けられてる身なんだよ。旦那に誓って、坊とお嬢を害するようなことはしない」
「りあくん…、」
「それに今の状況、お嬢を助けられるのは坊しかいないんだよ」
 キャメロンに迫った危機を回避するには、自分が動くしかない。
「……っ…」
 瞼の内側で見た光景、フードの男が話した言葉の意味、ヴォイドゲートを簡単に開いてみせたタッカーのこと――確かに聞きたいことは山ほどあるが、それらすべてを問いただすのはキャメロンの身の安全を確保してからだ。
 シャトトの魔石は姉が持っているので呪術士の状態で装いを整え、カムイルは覚悟を決めてベッドから飛び降りた。腹を決めたその表情を確認し、タッカーはまた一つ指を慣らしてカムイルの身に防御魔法を施した。
「これより最速移動のためにヴォイドゲートを使用しますので、念のため、エーテル変質を防ぐ魔術をかけさせていただきました。それで、お嬢様の現在地は?」
「はっきりとはわからないけど…ガレマルドのキャンプ地に行けば、暁や派遣団のみんなとは合流できる」
「では、そちらへ」
 言うが早い。顎を開けるように大きく拡張したヴォイドゲートがタッカーとカムイルの姿を飲み込み、すぐに小さく閉じて二人の姿は見えなくなった。
 二人の転移を最後まで見送ったカメリアは寝室を後にすると、廊下を少し進んだところで煙草を一本咥えて火をつける。最初の一呼吸で大きく三分の一ほど短くすると、携帯用の灰皿に灰を落としながら「やれやれ」とゆっくり煙を吐き出した。

「……俺達もいよいよ動く時が来たようだぜ、旦那」


   ◆◇◆


 キャンプ・ブロークングラスの混乱は一旦の収束を迎え、改めて顔を突き合せたルキアと暁の面々は、急に姿が見えなくなったキャメロンについて懸念を抱いていた。
「大抵のことはどうにかできてしまう人だけれど……心配だね……」
 アルフィノの言葉に、全員が沈黙で同意する。何の理由もなく姿を消すようなキャメロンではないが、それだけに、何かあったのではないかと心配なのだ。
 ちょうどそんなタイミングで、グ・ラハの耳が遠くで雪を踏みしめる音に敏感に反応した。アリゼーや他の者も釣られて視線を動かすと、遠くからでもよく目立つ大きなとんがり帽子が枯れ木の合間を縫って動いているのが見えた。
「あれって……」
「なんだ、帰ってきたじゃない!」
 アリゼーはグ・ラハと視線を交わして頷くと、二人揃って出迎えに飛び出していく。衣服に大きな乱れもなく変わらぬ姿で歩いてくるキャメロンに、二人は顔を輝かせた。
「おかえりなさい!急にいなくなって、みんな心配してたのよ」
「とりあえず、無事でよかった。何かあったのか?」
 二人の目の前で足を止めたキャメロンは、穏やかな笑みを浮かべて二人を見つめるだけで何も言わない。いつもなら面倒事に巻き込まれようものなら「聞いてよ!」とすぐに言葉が飛び出すキャメロンの珍しい様子に、アリゼーとグ・ラハは次第に表情を曇らせた。
「どうしたの……?」
 心配そうにたずねるアリゼーに、キャメロンの笑みが見たことのない表情へ変わった。それで違和感の原因を確信したアリゼーが眦を鋭くすると、グ・ラハがアリゼーを庇うように一歩前へ出る。
「…………あんた、誰だ?」
 キャメロンの姿をした、キャメロンではない何者か――疑いを確信に変えた二人に最早隠す必要もないと、キャメロンの身を乗っ取ったゼノスは自身のアヴァターを召喚してその大鎌を二人へ向けて振るった。
 不意打ちの攻撃に二人は咄嗟に身構えたが、その攻撃が二人へ届く直前、アヴァターと二人の間に大きなヴォイドゲートが口を開いた。よもやさらにアヴァターを召喚するつもりなのか、と身構えた腕の下でアリゼーは唇を噛む。もう細剣を抜く時間も防御魔法を展開する時間もない。後ろからアルフィノ達が駆けつけているとわかっていても、初撃を自分とグ・ラハが食らうのは免れないのだ。
「よくも…っ!」
 自分達の憧れの英雄の姿を侮辱されたというのに、おめおめとやられるしかないのか。
 悔しさでいっそ泣きたいくらいのアリゼーは、しかしヴォイドゲートから姿を現したのがアヴァターでも妖異でもなくよく見知った――ここにいないはずの青年の背中だと気が付くと、深い藍色の瞳を大きく見開く。
 寸でのところでヴォイドゲートから姿を現してアヴァターの攻撃をはじき返したのは、エデンモーン・ロッドを構えたカムイルだった。次いで繰り出されたアヴァターの攻撃にも怯まず、二人を庇うように立ちふさがりマバリアを張った体で受け止めて無効化する。
「――ゼノスゥーッ!」
 獣が咆哮するかのように、カムイルがキャメロンの体に入ったゼノスの魂に叫ぶ。凍てついた大気さえ震わせるその声量に、彼が激昂する姿を初めて見たアリゼーは思わず肩を竦ませた。
「どうして……」
 ぽつりと声に出たのは、彼が今この場に現れたことに対してなのか、それとも、腑抜けていると言われても仕方がないくらい温厚で気弱なはずの彼がこれほどまでに激昂して豹変したかのような様子に対してなのか。
 目の前に立ちふさがってくれている背中はこんなにも怒りを煮えたぎらせているはずなのに、カムイルの周囲の空気が氷漬けになってしまいそうなほど急速に冷え込んでいる。がちがちと寒さで歯が震え始めたアリゼーの腕を、グ・ラハが後ろから掴んで抱きかかえるように引き寄せた。
「うわっ…⁉何よ、急に…!」
「まずいっ……今のあいつ、周囲の雪や氷から無限に魔力を吸収してるぞ…!」
 アリゼーがはっとしてつい先程まで立っていた足元へ視線を落とすと、雪面から小さな氷柱が牙を剥くように飛び出したところだった。グ・ラハが引っ張ってくれなければあそこで氷漬けになっていたかもしれないと思うと、アリゼーは肌で感じる寒さ以上に内臓がぞっと冷えた心地がした。
 遅れて駆けつけた他の面々がアリゼー達と合流したが、全員が全員、カムイルがその場にいてキャメロンの肉体と対峙していることに驚いた反応をする。中でもヤ・シュトラは、エーテルで物事を見通している眼を先程以上に訝し気に細めた。
「…もしかして、そこにいるのは弟の方なの?」
「ええ。ですが…」
 答えたウリエンジェもまた、注意深く周囲のエーテルの流れを観測する。エーテル学と魔術のどちらにも長けた二人には、カムイルを中心に起こっている環境エーテルの変化は一目瞭然だった。
「彼、アンブラルブリザードの状態のまま暴走しているわ。ここには氷も寒気も十分すぎるほどある…このままでは、あの子が体内に取り込み過ぎた霊属性のエーテルで魂ごと停滞するわよ――」

 一方で、カムイルの咆哮を聞いて尚、ゼノスは動じた様子もなくカムイルと対峙していた。姉の体で挑発するように笑って見せるゼノスに、カムイルは怒りに任せて姉の体ぎりぎりを狙って巨大な氷柱を落とす。
「どの面下げてそいつの体に入ってんだよ……ぶっ殺してやるからテメェの体で出てきやがれ…ッ!」
 呪具を大きく振るい、カムイルがみるみるうちに巨大な氷塊を編み出す。それを見たゼノスも静かに片腕を上げ、アヴァターに再度攻撃するように命じた。大鎌から繰り出される斬撃とカムイルが放つ氷塊とが衝突するのは必至で、アルフィノが咄嗟に賢具を構える。
「あれが空中でぶつかり合ったら、こっちにも破片が飛んでくるぞ!」
 アルフィノとウリエンジェがバリアを張り、カムイルとアヴァターの攻撃がぶつかり合う――その刹那の一瞬。
「――そこまでだよ、ゼノス!」
 聞きなれない声と共に宙を切り裂いた剣がアヴァターの身を貫き、斬撃ごと霧散して消えた。
 斬撃とぶつかり合うはずだった氷塊は勢いを殺されないままゼノスのすぐ後背へ落下し、衝撃で派手に砕け散ってその場にダイヤモンドダストのように煌めく。氷の輝きで眩い中を一同が声の方へ振り向けば、そこに駆け付けていたのは、魂を無理矢理押し込められた帝国兵の肉体を引きずってきたキャメロンだった。言われずとも姉の魂がそこに閉じ込められていると察したカムイルは、呪具を納めて迷わず帝国兵の体の元へ駆け寄る。
「キャメ…っ!」
 不慣れな体で帝国兵や魔導兵器の包囲を抜けてきたキャメロンは、駆け寄る弟の姿を見てぎりぎりの状態で踏ん張っていた力が抜けてその場に倒れ込みそうになった。腕を伸ばしたカムイルがそれを受け止め、肉体の内側にある魂ごと抱きしめるようにぎゅっと腕に力を込める。
「どうして、こんな体に…」
「きゃめくん……ぅ、うあ…ッ」
 突然、カムイルに抱えられたキャメロンが頭を押さえて苦しみ始めた。何事かと腕の中を見下ろすカムイルに、遅れてヴォイドゲートから現れたタッカーが触診するように帝国兵の体へ掌を当てる。
「無理に魂と肉体を入れ替えた術の効果が切れる頃合いなのでしょう。おそらく、このまま無事に元に戻るかと」
「それじゃあ…」
「ええ、お嬢様はご無事です。ですが……」
 面白くない、とタッカーが腰を上げて虚空を睨みつける。その虚空から姿を現したファダニエルは、タッカーを見下ろすとつまらなそうに両肩を竦めた。
「はい、残念ながらブレインジャックは効果切れ…――とお伝えしに来たのですが、なるほど…英雄殿の魂が妙なつくりをしているのは、貴方が原因でしたか。その怒りに満ちた顔、自分が手塩にかけた魂にちょっかいを出されて不愉快だ、とそのまま書いてありますよ?」
 言葉尻を上げて愉快そうに揶揄するファダニエルに、タッカーは眼鏡の奥の金色の眸を鋭くしたまま動じない。わかりやすい挑発に乗ってはくれないタッカーに首を横に振ると、ファダニエルは地上へと足をつけて暁の面々を前に深く頭を下げた。
「どうもこんにちは。遠路はるばる来ていただいたのに、ご挨拶が遅くなって申し訳ありません」
 そのまま芝居がかった口調で口上を続けるファダニエルを横目に、ゼノスはキャメロンの体のままカムイル達の方へ向き直る。そのままゆっくりと歩み寄ってくるゼノスを見て、カムイルは腕の中に抱いた帝国兵の体をさらに強く抱きしめた。
 カムイルもタッカーも警戒を崩さずにいるが、構わずゼノスは抱えられたままのキャメロンのすぐ近くに来て膝を折り、ブレインジャックの影響で視界が定まらない彼女と目線を合わせようと顔を覗き込む。自分の肉体がすぐそこにあるのを感じて、キャメロンは抱えられたままの腕の中でなんとか顔を上げた。
「ゼノス……っ…」
 一つ瞬きをすると、不思議と視界の中のゼノスが彼の肉体そのままの姿になって見えた。
「強き神を喰らって、お前の仲間も、世界も、すべてを引き裂こう……」
 それが当然だと言わんばかりに、真っ直ぐに、ゼノスが言葉を投げかけてくる。
 だがいつも迷いなどないはずのゼノスの表情が、そのときのキャメロンには、何故か少し淋しそうに見えた。

「――…今度こそ、殺したいほど、俺を憎めよ」

 まるで約束を違えた恋人を詰るかのような物言いに聞こえて、そんな約束をした覚えもなければ違えた覚えもなくて、キャメロンは重い頭をゆっくりともたげる。
「今度、って……」
 自分はいつだって、怒りと憎しみで旅を続けてきた。周囲から英雄視されるような崇高な意思など持ち合わせておらず、いつだって、大切な仲間とウルダハを害する者達に怒りを覚えて、その怒りを力に変えてぶつけてきた。だからゼノスとアラミゴ決戦で戦ったときも彼を憎んでいたし、首を取るつもりで戦っていたのに。心外だ、とこの場では少し憚られる言葉を返したくなる。
 エオルゼアの人々を蛮族呼ばわりする帝国が憎くて、『狩り』などと偉そうな言葉を使って独りよがりな行為をしているゼノスが鼻持ちならなくて、その怒りはすべて彼にぶつけてきたはずなのに。あのときの怒りと憎しみでは足りなかったというのか。あれ以上の憎しみが、もしも自分の中にあるとしたら…――

「…………ああ……そっかぁ…」
 ゼノスが求めるものの正体がなんとなくわかったような気がして、小さく納得の声を溢してからキャメロンは意識を手放した。

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