暁の声





 オールド・シャーレアンという都市の名前は、冒険者になる前から兄の言葉の中でたびたび耳にしていた。叡智の都であるそこにはあらゆる知識が集まるが、それ故に呪術や黒魔法、錬金術において彼らの倫理から外れたものは『禁忌』として扱われてしまい、何人も触れることができないように取り上げられてしまうのだ、と。根っから文献ベースの研究に傾倒しているケイロンにとっては天敵であり商売敵なのだと、幼いキャメロンに話してくれたことがあった。

「――ジャヌバラーム島が、今も存在していたらなぁ」
 聞き捨てならない言葉が耳に入り、キャメロンは思わず歩みを止めてしまった。先導して都市内を散策していたクルルとグ・ラハがそれに気付き、どうしたのか、と歩を止めてキャメロンを振り返る。
「キャメちゃん…?」
 クルルが少し心配そうな様子で声をかけてくれる。キャメロンは首を横に振り、取り繕うように明るい表情になって駆け足で二人に追いついた。
「ごめんなさい。本当にすごい街だなぁ…と思ったら、ちょっとぼーっとしちゃった」
「そう感じてくれているなら嬉しいわ。みんなと合流した後に時間がとれそうだったら、改めてゆっくり観光してちょうだい」
「うん!」
 暁の面々との集合場所になっているバルデシオン分館はすぐ目の前だ。キャメロンが耳をそばだてた会話の主達は、その分館前の階段脇で熱心に語り合っている。二人の後に続きつつ、キャメロンはこっそり会話の続きを盗み聞きした。
「あの島の錬金術は、ウルダハ式ともラザハン式とも違ったからな。流通していた錬金術材も霊災後数年で市場からすべて消えてしまったし、今では、完成品からその手法を知る由もなし、か……」
「現存していたときから幻の禁足地扱いだったが、消滅までああも一瞬の出来事となると、本当に幻を見せられていたような心地だよ」
「シャーレアンとは折が合わず互いに門戸を閉ざしていたが、例え一人でも技術者をこちらへ派遣していたなら、その手法まで失われることもなかっただろうに」
「…………」
 館内に入るとオジカにあたたかく迎え入れられ、ナップルームへと案内された。昔よく使っていたというグ・ラハがそのまま同行し、一通りの部屋の設備について説明してくれる。それも無事に終わったので荷物を置いて他の賢人達と合流しようと息を吐くと、頭上から「そういえば、」とグ・ラハの声が降ってきた。
「さっきの連中、随分と珍しいことを話していたな」
「え?」
「ジャヌバラーム島だよ。気付かなかったか?」
 グ・ラハの問いに、キャメロンは首を横に振る。するとグ・ラハも「そっか、」と短く返してナップルームの扉を開けてくれた。ありがたくそのエスコートを受けて廊下へ出てからも、その話は続いていく。
「バル島と一緒で、あそこも島ごと消滅したって話じゃないか。まあ、あっちは第七霊災のときのエーテル放射による影響って言われてるけど」
「うん、」
「……なんだか、歯切れが悪いな。南ザナラーン出身って言うから、あんたはよく知ってると思ったんだが」
 グ・ラハの言葉に、キャメロンは再び首を横に振って彼を見上げた。
「ラハには言ってなかったっけ?私、第七霊災の後遺症で記憶が飛んでるって」
「いや、聞いてはいるけど…そうか。あんなに名の知れた島でも、あっさり記憶から消えちまうんだな」
 正面に向き直ったグ・ラハが「すまなかった」と耳を平らにする。足取りもなんだか重くなってしまったグ・ラハに、キャメロンは苦笑を浮かべて彼の太ももを思いっきり平手で叩いてやった。
「痛…っ⁉」
「なんでラハの方がナイーブになってんの?あの霊災で起きたことなんて、誰かがどうにかできるものでもないでしょ」
「で、でも…!記憶を失ったあんたが一番つらいのに、軽率だったと思って…」
 太ももをさすりながら歩くグ・ラハに、キャメロンが肩を竦めてみせる。
「別に?記憶がない期間よりも霊災後に生きてきた時間の方が長いし、私にとってはもう、他人事みたいになっちゃってるんだよね」
「キャメ…、」
「だから、この湿っぽい話もこれでおしまい!クルルさん目敏いんだから、いつまでも耳が垂れたままだと気付かれるよ?」
 キャメロンが悪戯っぽく言うと、グ・ラハはぶんぶんと頭を横に振ってから気合を入れるように自身の両頬を勢いよく叩いた。
 ――そうだ。自分にとっては過ぎた話なのだ。
 半ば家出のように飛び出して始まった冒険者稼業。その過程でキャメロンは、一度でも自分の生まれた家のことは口外せず、記憶喪失が続いているのだと偽って自身のルーツとの決別を決めた。

 ジャヌバラーム――霊災によって消滅した都市と、その地を治めていた一族の名。
 千夜の物語のように栄えて一夜の夢に消えた幻の黄金郷。ザナラーン南方の名もなき無人島を「小ウルダハ」と謳われる魔術・錬金術のメッカに仕立て上げた一族が、その莫大な資産と共に今も尚生き残っている―ましてやウルダハ王政における中立組織のナル・ザル教団導師に名を連ね、エオルゼア各国からの完全独立組織である暁の血盟にも冒険者として所属しているとなれば、否応なく金と政治と権力の話が自身の周囲に付きまとうことになる。自身の生まれのせいで恩義ある彼らに不名誉な噂が立ってしまうことは、キャメロンにとっては絶対に回避したい問題なのだ。
 そうでなくても、キャメロンは自身の評価が家名に左右されてしまうことが嫌だった。裕福な家系に生まれた身の上では贅沢な悩みかもしれないが、家名を背負ったままでは世間に自分自身を正しく評価してもらえないのではないかと思っているし、我が強くて型にはめられるのが何よりも嫌いなキャメロンにとって、家名で自身のレッテルが決まってしまうことは堪えられないのだ。
 謎多き豪商一族の生き残りのお嬢様――そんな看板を背負うのは、真っ平御免だ。
 私は、私のあるがままを受け入れてくれた彼らの看板を背負って生きていきたい。
 メインホールへの扉を開ければ、振り向いた暁の面々が笑顔で迎え入れてくれる。自分の歩みはこれからもこの先も彼らと共にあるのだという実感が込み上げ、キャメロンは鬱屈した考えを頭の中から追い出してメインホールの中央へ躍り出るように駆け込んだ。


   ◆◇◆


 第七霊災の強大なエーテル放射によって、ジャヌバラーム島は島ごと消滅した。
 元々がザナラーン南方の海上に浮かぶ孤島だったその地は今、島の周囲を取り囲んでいた海水ですらエーテル異常により中心地に向かって白く凝固し、最早海路では近付くことが叶わず、空路を使った探索を行おうにも、同海域の上空にも異常化した高濃度のエーテルが渦巻いているため墜落が免れない。墜落すれば最後、獣の牙のように鋭く反り立つエーテルの峰々に体を貫かれて死ぬ。禁足地として部外者の来訪を拒んでいた在りし日の姿をそのまま残したかのように、旧ジャヌバラーム海域は霊災後の今、外部からの探索者を寄せ付けない魔の海域と化していた。

 あの有様では島民も生き残ってはいないだろう。不幸にも即死を免れたとしても、生物の生き残れないあの環境の中ではどのみち死を待つしかない。夢物語のように一代で栄えた幻の黄金郷は、僅か三代で滅びゆくその姿でさえ儚き一夜の夢のようであった。
 その滅亡まで含めて「幻」と謳われるべき黄金郷なのだと美談にした者もいれば、優れた技術を持ちながらその叡智を自分達の繁栄のためだけに独占した罰が下されたのだと非難した者もいた。だが人々が如何に語ろうとも、死した都が彼らに言葉を返すことはない。明日を必死に生きていかなければならない彼らに過去を振り返る暇などなく、霊災後数年の間には、ジャヌバラーム島は都市伝説化して世の中から浮いた存在となっていた。


 そんな島だから、身を隠して活動する拠点には打ってつけの場所だった。
 島のほとんどが焦土化してしまったこの地にたった一軒、滅びを免れた屋敷が残っているなどと、島外の人間は誰も思うまい。環境エーテルを遮断するために館内のすべての窓は厚いカーテンで覆われ、最低限の照明だけが灯る廊下は時間を問わず薄暗い。慣れていない者であれば踏み外しかねない階段を、アウラ族の青年が危なげなく進んでいく。褐色肌に金髪碧眼、他者の直視を避けるためにかけた伊達眼鏡――冒険者代行キャメロンこと、カムイルである。
 尤も、カムイルの名はジャヌバラーム家に引き取られた際に捨てたので、今はこの名前で彼を呼ぶ者は鏡像世界を含めてもたった一人しかいない。そのたった一人ともしばらく顔を合わせられていないが、テロフォロイによる脅威が世界を呑み込もうとしている今、彼女と彼女の暮らす世界を守るためにやらなければならないことがある。カムイルは目的の部屋の前へ着くと、一つ息を吐いてから扉をノックした。扉の向こうから返事を返したのは、部屋の主ではなくその優秀な右腕だった。
「入っていいよ」
「失礼します、兄上」
 カムイルが扉を開けると案の定、兄であり現ジャヌバラーム家当主であるケイロンと、カムイルの師匠であり当家専属錬金術師のカメリアが机を挟んで額を突き合せている最中だった。カムイルは部屋の奥へは入らず、扉を後ろ手に閉めてその場で兄に報告を続ける。
「キャメから連絡が入りました。今朝、シャーレアン本国に着いたそうです」
「そうか、報告をありがとう。せっかくだから、お前も一杯飲んでいきなさい」
 ケイロンが手招きすると同時にカメリアがコーヒーサイフォンを傾けて未使用のカップにカムイルの分を注ぐ。断る理由もないので、カムイルは「失礼します」と小さく頭を下げてからカメリアの隣の席へ腰を落ちつけた。
「お話の邪魔になりませんか…?」
「ならないさ。このコーヒーが、お前が第一世界から持ち帰ってきてくれた豆で淹れたものだったのでな、ちょうどお前の話をしていたんだ」
「はあ、」
 自分のいないところで自分の話をされるとは、内容を聞きたいような聞きたくないような心地になる。その妙なむず痒さを馴染みのコーヒーの味で飲み込もうとするカムイルに、ケイロンと交代してカメリアが話を続けた。
「今朝オールド・シャーレアンに着いたってことは、塔に関する調査はこれから本格的に…って感じ?」
「うん。この後サベネアに渡って現地調査するって言ってた」
「サベネアかぁ…いいなあ。あそこの錬金術、一回でいいから実地で見たいんだよなぁ」
 研究者として心底羨ましそうな顔をするカメリアを見て、ケイロンがポーカーフェイスを崩して小さく笑う。
「お前には窮屈な思いをさせてすまないな。ウチがこんなに面倒な家じゃなければ、存分にラザハン式の製薬術を学びに行けただろうに」
「あー、いやいや、別にいいんですよ。旦那の収集癖のおかげで文献だけならラザハン錬金術についての教材は山ほどありますし、俺も、それを見てある程度は勉強できたんで」
「りあくん、本当に錬金術師として腕前だけならまともどころか天才なんだね」
「錬金術師としての腕前だけなら、って何⁉……まあ、仕方ないっすよ。あそこはフロンデール薬学院の連中以上にバリバリの研究者って感じだし、下手したら、俺の顔を見ただけで勘づかれるかもしれませんから」
 そう言って、カメリアはとんとん、と自身の頬を指で叩いた。

 ジャヌバラーム家の面倒な家訓の一つに、当家の人間はその姿を表舞台に一切出さず、外部交渉の際には他種族の人間を代理人として立てるというものがある。
 一族のイメージが固定化されることが商機の損失に繋がると考えた初代当主が定めたもので、カムイルがキャメロンの名前を背負って当家に招かれたのも、大元を辿れば、この家訓に沿ってキャメロンの代理人兼傍仕えになるためであった。ケイロンの意向で「使用人ではなく姉弟として過ごしなさい」と言いつけられたため現在までそのように接してはいるものの、本来の立場としては、カムイルはキャメロン専属の使用人ということになる。
 そんな一族の家訓に従ってケイロンの父の代に代理人として外部との商談を一手に担っていたのが、カメリアの母だった。当家初の女性代理人かつ絶世の美女だったカメリアの母は、彼女自身もまた優秀な錬金術師だったこともあり、その界隈では知らぬ者がいない存在だった。故に、母親譲りの顔立ちをしているカメリアが迂闊に顔を出せば、それだけで先代代行の息子だと気付かれてしまう可能性が高い。

「……まあ俺の話はどうでもいいとして、本題に入りましょうか」
 肩を竦めたカメリアが話を切り上げ、ひじ掛けに頬杖をついて隣のカムイルの顔を見上げる。その視線に居心地の悪さを感じながら、カムイルはコーヒーカップをソーサーに戻しつつカメリアから視線を逸らした。
「な…何…?」
「いや、旦那と話してたんだけどさぁ…――そろそろ、坊を坊として表に出してもいいかな、ってね」
 かちゃり、と。カップをソーサーに戻す音が大きく室内に響いた。
 思いがけなかった話の内容にカムイルが動揺し、その動揺はカップの中のコーヒーにまで伝わってぐらぐらと揺れる。話を聞いたそのまま動けなくなってしまったカムイルを見て、対面に座っていたケイロンは目を伏せながら話の続きを引き取った。
「今回のテロフォロイが引き起こしている一件は、今までにない規模の被害が想定されているのであろう?お前達からの報告がなくとも、各地の地脈の乱れを見ていればわかる」
「兄上…、」
「これまでは私達と共に見守ることしかしてこなかったお前も、第一世界では主立ってエデンとやらの調査活動を完遂したそうじゃないか。だからこれからは、あいつが戦うときも、心休めるときも、常に共に寄り添って支えてあげなさい」
 兄の言葉に、カムイルは膝の上できゅっと両手を組んだ。ケイロンにかけられた言葉は優しかったが、その言葉の奥には、今までのように半端な代行を続けるくらいなら最前線で姉を支えろ、というケイロンの想いがしっかりと感じられたのだ。

 冒険者代行とはいえ、カムイルがキャメロンと入れ替わるタイミングはいつだって、大きな戦争や激戦地への調査活動が落ちついている時期だった。それは、荒事が苦手なカムイルを気遣ってのことだっただろうし、姉のその気遣いに気付いていたのに、カムイルは気付かないふりをして甘えっぱなしだった。蒼天街復興が盛んな時期の活動を自分に任せてくれたのも、ものづくりが好きなカムイルのためを思ってのことだったであろう。
 自分勝手なタイミングで弟を振り回すように代行を依頼しているように見えてその実、キャメロンはいつだって、カムイルのことを気遣いながらバトンの受け渡しをしてくれていた。

 実際、今までのカムイルでは帝国軍との苛烈な戦争や強大な敵の討滅作戦には役者不足だった。いくらソウルクリスタルを共有しているとはいえ、実際に戦闘経験を積んでいる姉と彼女の経験を借り受けているだけのカムイルとでは実力に大きな差がある。それ故に、傭兵稼業においてキャメロンの代行を務められる機会には限りがあった――否、限りがあるように思っていただけだ。
 エデンの調査作戦において、カムイルは姉に遜色のない活躍を見せた。最初こそサンクレッドやウリエンジェに手助けされていた部分もあったが、最終的には、カムイルが彼らに託されるかたちで最後までリーンとガイアを最前線で支えたのだ。もう、あくまで姉の代行だという言い訳は通用しない。当時はリーンとガイアのことを守りたくて無我夢中になっていたが、それが結果として、カムイルがキャメロンと共に最前線に立てることの証明にもなったのである。

「――……兄上は厳しいなぁ」
 握った両手を額に押し付け、カムイルがぽつりと呟いた。ケイロンはソファから降りると俯いてしまったカムイルのすぐ傍に歩み寄り、ぽんぽん、と子供をあやすように優しく膝を撫でてやった。そんな兄弟のやりとりを、カメリアも温かい眼差しで見守っている。
「私もな、考えたのだ。これまではキャメの身の振り方のことを思って、ジャヌバラーム家のことは伏せたまま、駆け出しの錬金術商家としてこの家を建て直していこうと……そう思っていたが、これでは父達がやってきたことの繰り返しになってしまうと気付いたのだよ」
「…兄上、まさか」
 ケイロンの言葉に、カムイルは伏せていた顔を思わず上げた。近い距離で視線が合ったカムイルに、ケイロンは肯定するように大きく頷く。
「今の世の混迷において、私達の家名が助けとなることもあろう。私はジャヌバラーム家四代目当主として、私自身の姿と名前でエオルゼアのために名乗りを上げると決めたのだ。きっとキャメにも苦労をかけることになる。だからお前にも、堂々とあいつのことを支えてもらいたい。それにお前にはもう、自分自身の手で守りたいと思える存在も見つかったのだろう…?」
「うっ……それ、は…」
 遠回しにリーンのことを言われ、このためにわざわざコルシア産のコーヒーを淹れていたのか、とカムイルは思わず顔を顰めた。キャメロンが知っている以上は自分の恋愛事情は家内に筒抜けになっているとは思っていたが、それをこんなタイミングで使ってくるとは、兄には本当に敵わないとカムイルは思う。
「無理にとは言わない。タイミングも、お前があいつをフォローしなければならないと感じたときで構わない。私も、機を見て然るべきときに動こうと思っている」
「……承知しました、兄上」
 組んでいた手を離して、ぐっと拳に変えて握りしめる。
 今まで何もかもから逃げてばかりだった人生だったが、この期に及んで逃げている場合ではなくなった。腹を決められるようにとカムイルの逃げ道を塞いでくれた兄は本当に厳しくて、そして優しい人だな、とカムイルは閉じた瞼の裏で感じ入る。
「俺は元々、この家に仕えるつもりで拾ってもらった身です。今まで面倒を見てもらっていた分、俺にできる範囲で精一杯やらせていただきますよ」
「ふっ……精一杯と言った傍から、『できる範囲で』と予防線を張っているではないか」
「でも兄上も、俺がこういう性格なの知っていて発破かけてくれているでしょう?」
 おどけてみせたカムイルに、ケイロンは肩を竦めて苦笑する。
「ああ。そういうお前だから、あのきかんぼの暴走列車を任せられるんだ」

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