暁の声





 マザークリスタルを喰らい再び龍となって、ひたすらに果ての宙を目指す。
 座標などなくとも己が目指すべき唯一の光の在り処は揺るぎなく、飛ぶ先でまみえることができるその者のことを思えば、光すら追い抜くことは造作もない。神龍となったゼノスはひたすらに、キャメロンが向かったという最果ての地―ウルティマ・トゥーレを目指して宙を翔けていた。
 想いの力が支配する領域。そこにおいて今のゼノスが意のままに前へ突き進むことは、アーテリスで『答え』を求めて当て所なく彷徨っていた日々よりも容易いことだった。
 何故なら、自分は『答え』を得たからだ。二度目の生を受けた唯一の理由。それを果たすために必要な解。自分が生涯の友へ贈ることができるたったひとつの想い。抑えきれない高揚に顎が自然と開き、終わりを迎えた星々の大地をその咆哮が震わせる。そうして果ての宙を翔け続けるゼノスの元へ、まだ姿の見えぬ友の声が聞こえてきた。
「嗚呼……やはりそうであったか、友よ……ッ!」
 最果ての地の頭上、黒い殻の内側から溢れて孵り損ねた嘆きの塊。その中心で絶望に抗う彼女の声が、ゼノスが得た『答え』を肯定する。
 ならば、最果ての地で彼女が叩きつけた『答え』に応えることができるのもまた、やはり俺しかいないのだ。そう思えば、とうに最高潮に到達していたはずの高揚は天井知らずに跳ね上がり、光を追い抜く歩みすらさらに加速する。

 早く。早く、友の元へ。
 俺が唯一贈ることができる歓びを分かち合うために…――


   ◆◇◆


 そうして最果ての地でゼノスが示した『答え』に、キャメロンは「是」と答えた。
 数多にある彼女の命の意味と、生きる理由。その歓びの中のたった一つだけでも自分の手で応えることができるのだという想いが確信へと変わり、ゼノスは歓喜に震える手で得物をとる。キャメロンもそんなゼノスの元へと小さな歩幅で駆け寄ってきて、だがゼノスに応えて呪杖を手にとると思ったその身は、なぜかゼノスのすぐ足元に座り込んだ。
「……何をしている?」
 とてもではないが、これから互いの命を燃やす戦いをするようには思えない。先程までその身に溢れんばかりに纏っていた高揚も落ちついたものになっていて、毒牙が抜かれた気分になったゼノスは、まずは素直に得物をその背に背負い直した。
「せっかくだから、少しだけお話しようよ」
 ぽんぽん、とキャメロンが彼女の隣――ゼノスのすぐ足元を手で叩く。自分の隣に座れ、と言っているのだ。
「私達、いざおっ始めたらどっちかが再起不能になるまで終われないでしょ?だから、そうなる前にゆっくり話したいと思うんだけど…」
「…ふっ、まあいいだろう」
 この期に及んで、という気持ちにはならなかった。ゼノスは素直にキャメロンの隣に腰を下ろして、胡坐をかいても尚自分より随分と目線の低い彼女の頭を見下ろす。だが互いに立っているときよりは幾分も縮まったその距離が嬉しいのか、見上げてくる顔はゼノスが今までに見たことのない柔らかな笑みを浮かべていた。
「えへへ…実は私、ぜのぴとはわりと仲良くなれると思ってたんだよね」
「ほう?」
 興味深い話の切り口に、ゼノスは口角を上げて彼女の顔を覗き込む。耳馴染みの悪い呼び名は、今の彼にはさして気になることもない些末事であった。
「ぜのぴがアラミゴやドマの人達にやってきたこととか、ファダニエルに好き勝手させてたこととか、そういうのは許せないし今でも許す気はないんだけどさ」
「…ああ、」
「でも…お互いが背負ってる国とか肩書とか、そういうのが何もない状態だったとしたら、マジで結構いい友達になれてたと思うんだよね。ぜのぴみたいに自分の芯がしっかり強くて、それがどんな時でも揺るがない人って、私わりと好きだから」
「そう言うお前は、自分の在り方を他者から過度に干渉されることを嫌うからな」
 ゼノスの言葉に、キャメロンはぽかんと口を開けて彼の顔を見上げる。間抜け顔で見上げられたゼノスといえば、相変わらず真意の読めない表情でキャメロンを見つめ返すだけだった。
「…………なんでそれ知ってんの?」
「どうと言うことはない。お前が何に対して怒り、憎しみ、そして命を燃やすのかと考えた末に、俺が得た解の一つだ」

 彼女は英雄ではない。自身をそのように捉えていない。
 辿りついたそのたった一つの真実が、ゼノスにとってはすべてだった。
「俺は……英雄であるお前に対して、仇敵という立場をとることが、再戦への最も手っ取り早い手段だと思っていた。なにせ、最初にお前と刃を交えた瞬間がそうだったのだ。だから英雄たるお前が守らんとするものを、幾つでも奪い、踏みにじり、屠ろうと考えた。月に繋がれた神でさえ、必要ならば喰らおうと思った。だが……怒りでも憎しみでもお前を振り向かせることはできないと言われて、立ち返ったのだ。あの日、アラミゴで俺を狩りとってみせたお前の瞳は一体、何を見つめていたのかを」
 ふ、とゼノスが瞼を伏せる。メーティオンによってもたらされた眩い光の中で、ゆっくりと瞬きするゼノスの瞳を縁取る睫毛が、まるで星屑のようにきらきらと輝いて見えた。
「そして、ようやく思い至った…――お前が、帝国への復讐に囚われたあの男の首を求めたあの時、その身を焦がしていた焔の正体を。お前があれほどまでに命を燃やして喉元に喰らいついてきた、その憎悪の正体を」
「…………」
「あの時お前の身に巣食っていた焔の火種は――…『私怨』だ」


 それは、『英雄』などという崇高な偶像の在り方とはかけ離れた強い想い。

 敬愛する上官の片腕を落とした相手だから。
 忠誠を誓った女王陛下の暗殺未遂に至る一連の騒動の実行犯だったから。
 数多の命を惨たらしく奪って神話なき神を降ろしたから。暁の血盟に連なる大切な仲間の犠牲があったから――そんな大層な動機は、すべて後付けでついてきた尤もらしい理由でしかない。

 ただただイルベルドが、キャメロンという個人にとって、我を忘れるほどに怨みを募らせるに足る存在だっただけだ。
 ウルダハという国に対する忠誠心も、パパリモというかけがえのない仲間を弔う想いも、ましてやアラミゴ奪還など、二の次で自然とついてきた理由でしかない。
 大層な理想を掲げる以前に、彼女はいつだって、自分の感情に素直に従って彼女の旅を続けてきたのだ。終末に抗い終焉を謳うものを狩るに至った理由でさえ、身勝手に押し付けられる終わりへの憤りが最大の起爆剤だったのであろう。

 自分のむかっ腹が立ったから、憎い相手の総大将の横っ面を殴りたい。
 殴って済まないのなら、それ以上の手段を選ぶことになっても構わない。


 キャメロンの心を突き動かしてきた原動力はいつだって彼女個人の感情で、大義も名分も後付けでしかなく、『英雄』などという肩書は煩わしい楔でしかなかっただろう。そんな彼女に対して、仇敵として相対しようという考えが根本的に間違っていたのだと、ゼノスはようやく思い至った。
 だから、彼女が煩わしい何もかもから解き放たれたこの時、この場所こそが、自分達の再戦の舞台には最も相応しいとも思ったのだ。
「それとも、俺はまた何か思い違いをしているか…?」
 そんな筈はないという確証は得ながらも、ゼノスはキャメロンに問うてみる。キャメロンは穏やかな笑みを浮かべたまま首を横に振り、ゼノスの解を肯定した。
「そうだよ。私はあいつのことを殺したいほど憎んでいたから、その気持ちをそのまま神龍にぶつけたの。だからぜのぴには申し訳ないけど、私はあの時、ぜのぴと戦っているなんて気持ちはこれっぽっちもなかった」
「ふっ…ああ、そうであろうな」
 悪びれる様子もなく開き直るキャメロンに、ゼノスは額に手を当ててくつくつと笑いを溢す。
「あれぞまさに、冷や水をかけられたという心地であろうよ。俺は目も眩むほど高揚していたというのに、再び目覚めてその最高であったはずの瞬間を思い返してみれば、お前は俺のことなど眼中になかったのだからなあ」
「いや、あれはぜのぴが悪いよ。神龍なんて出されたらそりゃあ、どうしたって私にとってはあいつの首級としか思えないって」
「では、此度の俺の姿はどうであった?」
 胡坐から立膝に座り直し、頬杖をついて得意げにキャメロンを見下ろす。
「再びアレの姿になって現れた俺を見て、お前はどう思った?やはり今もあの龍は、お前にとっては憎いあの男の首級か?」
 高圧的な物言いこそ変わらないが、楽しそうに聞いてくるゼノスのその声音は、今までに聞いてきた彼のどんな言葉よりも軽やかで明るく、キャメロンの胸へと響いてくる。そんなゼノスの様子を見て、嗚呼、とキャメロンも彼女の中で思い至った解を口にした。
「ぜのぴもしかして、ずっとヤキモチ焼いてたの…?」
「これが妬かずにいられるか」
 泥のように退屈で醜くくだらないと思っていた世界の中でようやく見つけた火が、伸ばした自分の掌すら焼くことなくすり抜けていたとは。
「ゆえにこそ、俺は今一度、お前に再戦を申し入れる」
 頬杖を解いたゼノスが、ゆったりとした所作でその場に立ち上がる。いつも以上に距離の開いたキャメロンの顔を見下ろし、未だ焔の点らない翠玉の眼をじっと射貫く。
「なあ、友よ……『冒険者』よ。先の狩りはどうであった。お前の歓びを満たすに足る獲物であったか?」
「……全っ然!」
 ゼノスの挑発に、キャメロンもすっくと立ち上がって遥かに背の高いゼノスを見上げる。その翠玉の瞳がじわじわと熱を帯び始めている様を見て、ゼノスは口角を上げずにはいられなかった。
「ああ、そうだろう。そうであろうとも…!世界を救う戦いの最中でさえ、お前は想起した筈だ。今まさに目の前で相対する獲物が極まった姿で再び現れた時、奴がどのような技を繰り出し、自分をどこまで追い詰めてくれるのかという期待を」
「それを乗り越えたときの興奮を」
「新たな脅威、いまだ踏破せぬ頂を目にしたときの欲を」
「何度も何度も打ちのめされて、それでも皆と一緒にやり遂げたときの達成感を」
「かつて狩り尽くした獲物が、想像も絶する姿となって舞い戻ってきたときの絶望を」
「その絶望を耐え抜いて、完膚なきまでに叩きのめしたときの歓びを」
 最早、焔は完全に燃え上がった。
 自分がその火をようやく点せたのだという高揚と、これからその刃が自分にだけ向けられるのだという興奮。
「では、勝負といくか」
 勝負――そんな単純な答えに辿りつくまでに、随分と遠回りをしたように感じる。だがその汚泥の中を進むような日々があったからこそ、こうして至った唯一の光が眩く、その熱がこんなにも己が魂を焦がす。
 ひとりの武人と、ひとりの魔道士として。互いに交える得物は違えど、それを手に握る理由に相違はない――只ひたすらに、己の限界を超えて更なる頂へと辿りつくために。

「俺とお前の命で……天つ星、そのすべてを焦がそうぞ!」

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