エタバンをとめないで

※ヒカセンのモブレ被害描写、および男性NPCとの過去の肉体関係についての言及があります。




 キャメロンが身を起こして眼鏡をかけるのと、来訪者を告げる部屋のベルが鳴るのは同時だった。部屋のグレードが上がると呼び出しベルまで付くものか。訪ねてきたのはリーンに違いないので、乱れた髪を軽く整えながら入口へと向かう。いつもの客室よりも長い距離を歩いて扉を開ければ、やはりその向こうに立っていたのはリーンだった。
「どうしたの、外にご飯でも食べに行く?」
 こちらが腹を括ろうとしたところに、何ともいいタイミングだ。もし今夜またリーンと出かけるならその後で、出かけないままなら明日の出立前に話をしようとキャメロンは決めていた。
 だがやって来たリーンの顔つきは、食事の案内を頼むにしては少々強張ったもので。もしや、とキャメロンはドアノブを握ったままの手に汗がにじむのを感じた。
「ご飯もそうなんですけど…その前に、少しお話したいことがあって」
「うん…」
「ご迷惑じゃなければ、お部屋にお邪魔してもいいでしょうか…?」
「…………」
 なるほど、そう来たか。
「いいよ。俺も、ちょうどリーンに話したいことがあったから」
 リーンをソファへ、自分は離れたところにあったスツールを持ってきてすぐ横に座る。もう逃げられるような状況ではないと思っていたが、その時が思ったより早く来てキャメロンの心拍は少しずつ上昇していた。
 指輪を見たときのあの反応と、今のこの緊張した顔。リーンは十中八九、自分と同じことを考えているだろう。だとすれば、リーンから話してもらった方がスムーズにこちらの話へ移れる。先に言わせてしまうのが申し訳ないと思いつつ、キャメロンは促すように視線を送った。リーンの緊張した様子は変わらずだったが、膝の上に置いた手でワンピースをぎゅっと掴むと、少し上擦った声で第一声を発した。
「あのっ…――カムイル…!」
 ごつん、とキャメロンは思わずテーブルへ額を打ち付けた。
「あっ……ご…ごめんなさい…!二人きりだから、今なら大丈夫だと思って…っ」
「いや、うん…平気……びっくりしただけだから…」
 驚いて慌てふためくリーンに、顔は上げられないまま手で「大丈夫」と宥めた。

 カムイル――あの日リーンにだけ告げた、キャメロンの本来の名前である。
 予想もしていなかった第一声に、キャメロン改めカムイルは数秒前までの緊張やら決意やらがすべて吹き飛んだ。この名前で誰かから呼ばれるのはそれこそ十数年ぶりのことで、しかもリーンが「二人きりだから」という理由でこのタイミングで呼んでくれたのかと思うと、カムイルは上げられないままの顔に一気に熱が集まるのを感じてますます額をテーブルに押し付けた。
 かわいい。かわいいを超えてずるい。リーンがこの名前で呼ぶ機会をずっとうかがってくれていたのかと思うと、さっさと忘れてしまいたかった自分の本名と名付けてくれた実母に「ありがとう」と生まれて初めて感謝した。
「あの、駄目でしたらいつもの呼び方に…」
「自分から話しておいて、駄目なわけないでしょ。覚えててくれてありがとう」
 顔はまだ熱いままだが、熱が引く気配もないのでカムイルは眼鏡をかけ直しながら顔を上げた。とんでもないサプライズのおかげで緊張感はどこへやら、リーンの方もカムイルの反応で緊張がほぐれたのか、自然体になってくすくすと笑ってくれている。
「よかったぁ…教えてもらったときから、ずっと呼んでみたかったんです」
「何それ、めっちゃ照れる」
「だって、せっかく教えてもらえたから。それに…二人だけの秘密が、すごく嬉しくて」
 そう言うリーンは話しながら次第に羞恥心が戻ってきたのか、色づきやすい頬を淡く染めて伏し目がちになる。
「私、カムイルがカムイルだった頃の話を聞かせてもらえて、それもすごく嬉しかったんです。お姉さんのキャメさんや、今のお家の人達も知らない話を……それも、忘れてしまいたくなるくらいつらくて苦しい頃の話を、聞かせてもらえて…」


 だって、話したくなければ誰にも話さなくてもいいことなのだ。
 忘れたいほどつらい記憶を他人に話すのはきっと、自分一人で思い出すよりもっとつらくて苦しい。秘密の一つや二つ、なかったことにしたい過去の出来事は、誰もが抱えながら生きている。それはその人の最もデリケートな部分で、何者にも踏み込まれたくない領域のはずだ。
 だがカムイルは、リーンにすべてを話してくれた。忘れられないほど悲しい記憶なのに、「忘れてしまうかもしれないから」と理由をつけてリーンにだけ秘密を共有してくれた。
 明確な言葉はなかったけれど、それだけで十分、彼にとっても自分が特別な存在なのだということが伝わってきた。涙が出るほど嬉しくて、でもそんな彼と自分の間には越えることのできない世界の壁があるのだと思うと、嬉しさに混ざって淋しさでも涙がこぼれていたことも覚えている。
「……でも今、私とガイアの力に変化が生まれたことで世界を行き来できるようになって。カムイルに来てもらうのを待つばかりじゃなくて、ガイアに手伝ってもらう必要はあるけど、こうして私からも会いに来られるようになって…」
「…………」
「それに、歳もあのときのカムイルに追い付きました。私は幽閉されていた時間が長かったから、正確な年齢ではないかもしれないけど…でも、もう子供じゃないんです」
 そう言うと、リーンはゆっくりとソファから腰を上げた。
 座ったままのカムイルのすぐ隣に立って、いつもより近い高さの目線でカムイルの瞳をまっすぐに見つめてくる。カムイルは居住まいを正して、体ごとリーンと向かい合った。
「本当の名前で呼んだのは…何者でもない、貴方自身に話を聞いてほしかったからです」
「…うん、ありがとう」
 無意識に服を握りしめているらしいリーンの両手を、カムイルがほぐすように包み込む。そのまま左右それぞれの手を優しく握り込んで、決めた覚悟が揺らがないように大きく深呼吸をした。
「たぶん、俺とリーンは同じ気持ちだと思う。でもそれを確かめる前に、俺からも話しておきたいことがあるんだけど…聞いてもらえるかな?」
 カムイルの真剣な声色に、リーンは小さく頷いて答えた。長くなるからとリーンにはもう一度ソファに座ってもらい、カムイルもまた一つ深呼吸をする。
 話して事態がどう転ぶかはわからない。それでもカムイルにとっては、リーンに対して隠し事をしたまま関係を進展させる方が嫌だった。裏切って傷つけるようなことは、絶対にしたくない。
「今から話すことは…正直、聞いていて気分がいいものじゃないと思う。ショッキングだし、不快に感じるかもしれない」
「はい…、」
「隠し事はしたくないから話すけど、もし聞いてる途中で気分が悪くなったり、もうそれ以上聞きたくないと思ったら、絶対に我慢しないで言ってほしい。…無理はしないって、約束してくれる?」
 内容に想像はつかなくとも、生まれ故郷を捨てた経緯よりも重い話になるであろうことは察してくれたらしい。
 念押しするカムイルに、リーンも神妙な表情で頷いてくれた。いよいよか、とカムイルは両手を組み合わせるとぽつりぽつりと話し始めた。


   ◆◇◆


 遡ること数年前。
 イシュガルドでの冒険に一区切りついた姉からの久々のリンクシェルは、「疲れた」の一言だけだった。
あんなに明るい姉が、抑揚のない言葉で、たった一言しか喋らない。いつもなら、どんな旅をして、どんな相手と戦うことになって、自分はそのときどんなふうに感じて――こちらが聞かなくても話してくれる彼女がどれほど疲弊してしまっているのか、想像に難くなかった。
「…じゃあ、休む?」
 彼女が旅に出ると決めたときからの約束。もしも「冒険者」としての旅に疲れてしまったら、そのときは自分が「冒険者代行」として彼女の代わりに旅をする。
 ついにその時が来たのだと、カムイルはぎゅっと服の胸元を握りしめる。答えを待っていると、リンクパールの向こうからは消え入りそうな声で「ごめんね」と聞こえてきた。
「十日くらいでいいの。きゃめくんは、ウルダハでのんびりしていればいいから」
「うん」
 そういう事情で、姉と入れ替わるために初めてウルダハの地を訪れた。
 戦闘が苦手であろうことを気遣われ、傭兵稼業は無理にしなくていいと言われる。その代わり、得意な採集やクラフト活動は存分にやってくれと背中を押された。
「錬金術の中間素材をつくってマーケットで少しずつ売ってるから、気が向いたらそれを手伝っておいてもらえると助かるかも」
「うん、それなら俺でもできそう」
「もしかしたら街中でクラフト依頼とかされるかもしれないけど…まあ、本当に困っていそうな人だったら受けても大丈夫かな。怪しい人にだけ注意してね」

 ――そう言われて任された初めての代行業なのに、この様だ。
 いかにも貧乏で困り果てているといった様子の男に、病気の娘のために薬をつくってほしいと声をかけられたのは数日前。初めて仕事を持ちかけられたので警戒したが、男があまりにも困り果てていたことと、材料はすべて用意してあって調合をするだけだから、と押し付けられて断り切れなかった。
「君、錬金術ギルドに所属しているんだろう?あそこの連中は偏屈なのが多いし、とは言え調合を依頼する金もない…ああ、俺はどうしたら…!」
「わ…わかったよ」
 受け取ったレシピを見る限りでは難しそうな調合ではなかった。それでも、道具を持たない男には調合すら難しいのだろう。せっかく集めた素材を無駄にしたら悪いから、と半分だけ受け取ることにして、その代わり納める薬の容量と報酬も半分にするということで依頼を受けた。
 その薬がろくでもない代物だったのだと気付いたのは、受け渡し先に指定された家の中で小悪党面の男達に囲まれたときだった。無理矢理に覚醒させられた体の感覚で鈍る思考の中、生家の錬金術師から教えられた言葉がぼんやりと語りかけてくる。
「――無理矢理高められた感覚っていうのは、冷めるときも一気に冷めるんだよ。だから薬を使ったところで、燃えるどころか逆にいつもより冷めやすいんだよね」
 当時は、なんて下世話な世間話をしてくれたものか、と年の離れた兄貴分に呆れて物も言えなかった。だがそのときの馬鹿らしい記憶が、恐怖と屈辱で折れそうな心を寸でのところで繋ぎとめてくれている。
 冷めるときも一気に冷める――その兆しを感じて「今だ」と拳を握りしめる。まだ華奢な手の中にある紫の魔石が熱を帯び始めていた。
「どうした坊主、よすぎて抵抗する気もなくなったか?」
「うぐ…っ」
 まだ体に力は戻ってこない。髪を掴まれ強引に顔を上げさせられると、口の中に突っ込まれていたものがずるりと抜けて、大きく息を吸い込みたいのに、喉奥に貼りついたものの臭いで噎せて吐きそうになる。無理矢理拓かれた後ろは、もう何も感じない。肉体は生理的に快感を拾っているが、そんな体から心が分離されたような気分だった。
「アウラの男を犯すなんざ興味なかったが…なるほどな、デカくなる前なら悪くねえ」
「そうでしょう。旦那ならきっと気に入ると思いましたよ」
 好き勝手言いやがって、と言い返したいところをぐっと堪える。
 手の内の熱はまだ、この状況を打破するには足りない。
 もっと、もっと熱くならなければ。
「薬を使ってはいるが、初物でここまで反応がいいのは、才能があるんじゃないか?」
「娼館にでも売りますかい。今の体つきなら客もとれそうですし、それに、デカくなったらなったで需要がありそうだ」
「ハハハッ!違いねえ!」
 手の内の熱に半比例して、体の感覚が冷めていくのがわかる。掴まれた髪を放され、額から男の肥えた腹へ落ちそうになる。抵抗する気がなくなったと奴らが油断した一瞬の隙、ぐらりと倒れ込む寸前、無詠唱で最大熱量の魔法を爆発させた。
 フレア――すべてを焼き尽くす破壊の炎か、パールレーンの片隅にある石造りの平屋を内側から吹き飛ばした。爆発音は市中に響き渡り、マーケットの屋台を揺らし、人々を困惑させる。ならず者達の抗争か、それとも未知の脅威の襲撃か。
 騒ぎは当然、不滅隊本部も察することになり、専用のリンクシェルに速報が流れた。カムイルは瓦礫の中から何とか這い出し、大混乱の通信へと声を張る。
「スフィフト大闘佐、聞こえますか?すいません、さっきの爆破は自分のせいで…」
「何…!無事なのか?」
「強姦魔のグループがいたんでまとめて捕えようと思ったんですけど、火力間違えました。…ええ、自分は無事です。犯人達が瓦礫に埋まってると思うんで…被害者はこちらで護送しますから、現場処理お願いします」

 そういうことにして、現場を後にした。
 代行者である自分が強姦被害に遭ったことで姉の経歴に不名誉な傷がつくことは、どうしても耐えられなかった。
 男達は未成年をターゲットに非合法な売春を斡旋していたグループだったらしく、不幸中の幸いだが事の経緯を聞かれることはなく、むしろ大手柄だと姉のグランドカンパニー内で評判を上げることになった。
 だから、仮にも「暁の冒険者」が暴漢に犯されたのだということを知る人物は誰もいない。犯人グループが何か口を滑らせたところで、それは数えきれない人数の被害者の内の一人の話として埋もれてしまうだろう。そう考えれば安心できるはずなのに、
「………っ…ふ、ぅ……うう…っ」
 骨の髄まで染み込んだ恐怖と屈辱は、何度シャワーを浴びても拭いきれなかった。


   ◆◇◆


 自分がつくった薬を用いられて輪姦された記憶は、心身共にトラウマとなってカムイルに深く植え付けられた。姉の経歴に傷をつけるわけにはいかないので誰にも口外できず、無理矢理拓かれた思春期の肉体は受け身での性感が忘れられず、精神的には深い傷を負っているのに体は再び男に抱かれることを求めている、という心身の乖離と自己嫌悪に悩まされ続けた。
 それはリーンと出会ってからも消えることがなく、心から愛しくて叶うなら添い遂げたいと焦がれる存在と出会って尚、体が求めるものは変わらなかった。
 さらに誤算だったのが、カムイルの体がアウラ族の男として成長しても、そういった類の視線を感じる機会が減らなかったことだ。ユールモアでガイアに見られたときのように堂々と口説かれる機会も少なくなく、表面上ではうまくやり過ごせていても、一度でも犯されてしまった自分には何か見えないレッテルが貼られてしまっているのではないか、と思うとあの日の出来事が何度でもフラッシュバックした。
 欲求不満な体を引きずったまま悩んで生きるくらいなら、いっそのこと誘われるままに誰とも知らぬ男に抱かれてしまったほうが楽になれるのだろうか。
 カムイルがある男と出会ったのは、そんな危ういことを考え始めた頃のことだった。

「――お前の初体験、俺でやり直すっていうのはどうだ」




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