エタバンをとめないで

※注
 本編のウルダハ最後の三夜の二夜目(クイックサンド延期)のお話です。
 完全蛇足のセルフ三次創作なので読まなくても問題もありません。


・成人向け表記って例のトラウマシーンのことかと思った?
・初夜
・童貞非処女が攻めのオーラを纏っている
・限りなく乙女向けのような男性向けのような劣情の塊
・BLがファンタジーならTLもファンタジーだろうがよ
・タンスイ×カムイルセフレ時代前提の発言が多い
・夢CPの初夜厨の怨念が成仏できそうにないので書きました


 きゃめりんちゃんはコーヒークッキーをサクサク食べただけなんだ、という解釈の人は本編パートに戻って下さい。


   ◆◇◆


 あの後すぐに目元を冷やした効果もあり、赤く腫れていたリーンの目元は夜には問題ないものに戻っていた。洗面台の鏡を見てそれに気づいたリーンが少し口を尖らせていると、目敏く気付いたカムイルが後ろからやってきてリーンの頭を撫でる。
「なぁに、そんなに楽しみだったの?」
「う…」
「俺のコーヒークッキーじゃ不満だった?」
 そんな聞き方をするのは卑怯だ、とリーンは思う。久しぶりに食べたコーヒークッキーはあの頃と変わらないおいしさで、むしろ思い出の補正が効いている分、当時よりもおいしく感じられた気がする。それに何より、リーン自身のリクエストだったのだ。クイックサンドの予定が延期になったのは残念だったが、それで不満を言うのは我儘すぎる。
「いえ、コーヒークッキーもおいしかったです。ありがとうございました」
 気を持ち直してリーンは明るく振る舞って見せたが、カムイルは引っかかるようで訝し気にリーンのことを見つめている。
「あのさぁ、リーン」
「はい、」
「俺、リーンがしてほしいことがあるなら何でもしてあげたい、って言ったよね?」
 言われて、「あ…」とリーンは小さく声を漏らした。その声を押し込むように正面から胸元へと抱き寄せられ、ぽんぽん、と頭を優しく撫でられる。
「クイックサンドに行けなかったのは…本当に、ごめん。でも俺も、あんな顔のリーンを外に連れて行きたくなかったんだよ」
「カムイル…」
「ねえ、他にしてほしいこと…何か、ない?」
 浴室が近い洗面所でも声はよく響く。カムイルの囁く声がいつもと違う響きで聞こえて、リーンはきゅっと唇を結んだ。
 してほしいことなら、ある。本当は明日の夜に相談してみようと思っていたのだが、クイックサンドへ行く予定がずれ込んだのでそちらの予定がなくなってしまいそうで、リーンがいつまでも聞き分けなく引きずっているのは、そのことが原因だった。今夜でもお願いできそうなことではあるのだが、リーン自身が明日の夜のつもりで覚悟を決めていたので、いざ予定を入れ替えようと思ってもなかなか言い出し辛いのである。
「ね…教えてよ、」
 頭を撫でていた手も腰に回されて、そこをゆるゆるとさすられる。別にカムイルにとっては何ということもないスキンシップなのかもしれないが、胸に抱く思惑も相まって、意識が高まっているリーンはかぁ…と顔が熱くなるのを感じた。

 ――カムイルと男女の仲になりたい。
 せっかく想いが通じ合って、手を繋いで、キスもして、同じベッドで眠って――その次を求めるには性急すぎるだろうか。しかしここ数日カムイル側から増えたスキンシップでリーンはカムイルを男性としてかなり意識してしまっているし、そもそも大好きな相手だし、こうして左手にリングを交わした今、それを願うことを許してほしかった。
 だがリーンの恋人には、一筋縄ではいかない事情がある。悲しい過去のトラウマから心と体の傷を癒すために肉体関係のパートナーを持っていたカムイルは、つまり、未経験のリーンと比べて圧倒的な夜の営みの経験値がある。しかも受け身で、相手は年上の男性で、頼りない知識と知恵で想像するだけでも到底敵わない。ただでさえ格好良くて年上というアドバンテージを持っているカムイルに対して、その上で百戦錬磨というポテンシャルまで持たれてしまっては、一体どのようにしてリーンから誘いを申し出ればいいのかわからなかった。
 だから玉砕覚悟で最後の夜に勇気を出そうと思っていたのに、それが今夜となってしまうと、もしも何か粗相があったときに明日一日が気まずくなってしまう。そうかと言ってカムイルから迫ってくれるのを待とうとも思ったが、キスとハグまででその先は指一本触れてこない紳士的な態度を考えると、その線は望み薄だった。それにカムイル自身が初体験で痛々しい思いをしたこともあり、殊更、リーンと一線を越えることには慎重になっている。それについてはいい意味でタンスイにも念押しされた。
「……リーン?」
 抱かれるまま動かなくなってしまったリーンに、カムイルが心配そうな声で呼びかける。顔の熱はまだ引かないが、不要な心配をさせる前に離れなければと思った。
「だ…大丈夫です…!いきなりだったから、少し驚いて…」
 せっかく指輪を交換した初めての夜なのに、こんなことで台無しにしたくない。今回の逢瀬ではチャンスがなかったのだと諦めよう。カムイルの腕から抜け出したリーンは後退りして浴室の扉に背をつけた。
 これできっと、大丈夫。だがそう考えたリーンの上から、カムイルの影が迫って深く落ちた。
「え……、」
 見上げて、そこで目が合ったカムイルの表情から視線を逸らせなくなった。焦っているような、苦しそうな、何かを必死で堪えているような顔。そんな表情は今まで一度も見たことがなくて、本能的な恐ろしさを感じているのに、それ以上に不思議と惹きつけられる。リーンを見下ろすカムイルが扉のすぐ横の壁に腕をついて、別に大きな音が立ったわけでもないのに、リーンは思わず肩を竦めてしまった。
「カムイル…?」
「ねえ……俺にしてほしいこと、本当に、何もないの…?」
 胸の内を見透かされるような聞き方をされて、見上げるリーンの瞳が揺らいだ。それを見て、カムイルがレンズの奥のエメラルドを細める。壁についていない手でそっと頬を撫でられて、そこに手が触れるのは初めてのことじゃないのに、今までにない感覚でリーンが小さく息を詰めた。フリーズしてしまっていた体に、急に気恥ずかしさが込み上げてくる。
「カムイル…あの…っ」
「なんて表情してんの、本当に…」
 頬を撫でていた手が、最後に指先で顔の輪郭をなぞりながら離れていった。離れたそのまま、カムイルが脱力したようにその場にずるずると座り込んでしまう。そのまま頭まで抱え込んでしまったので、どうしていいかわからずリーンは狼狽えた。
「カ…カムイル…?」
「…………マジで勘弁してよ」
 抱えた頭の下から、蚊の鳴くような小さな声で、でも確かに聞こえた。言葉は聞き取れたがその意味がわからずリーンが反応できずにいると、頭を抱えたままのカムイルから深々とした溜息が漏れ出した。続く声は、どこか泣きそうであった。
「ねえ、リーン……自分がどんな顔してるか、わかってる…?」
「か、お…?」
 言われてもわからず、リーンは意味もなく自分の顔を触ってみた。ようやく顔を上げてくれたカムイルは、その仕草を見て不服そうに唇を尖らせる。まるで、少し前にリーンがそうしていたように。
「あのね、リーン」
「はい…」
「たぶんストレートに言わないと伝わらないと思うから、ちょっとびっくりしちゃうかもしれないけど、ちゃんと聞いてくれる?」
「……?」
 一体、何を。
 わからないが、わからないものは聞かなければ解決しない。よくわからないまま承諾の意思表示として頷いたリーンを見て、カムイルが「絶対わかってない」とぼやく。それでも言わなければ伝わらないことはカムイルもわかっているので、意を決して口を開いた。
「本当にそのまま伝えるけど…――リーンの泣きそうな顔見て、がっつり欲情した。勃起もしてる。タイトパンツだからちんこ押し込まれてめっちゃ痛い」
「…………」
「…………言ってる意味、わかる?」
 ストレートにすべてを打ち明けられて、少し時差があってからリーンの顔がまた沸騰した。その反応を見て、蹲ったままのカムイルも褐色肌でもわかるくらい赤面する。
「あー、もう…!だから!その顔ッ!なんでそんな可愛い顔すんの!?」
「えっ!あの、えっと…え…ッ!?」
「今までずーっと我慢してきたけど、さっきので一気に全部来た!ほんとごめん!トイレで抜くからゆっくりシャワー浴びててね!」
「あの、ちょっと…カムイル…っ」
 浴室の対面にあるトイレのドアノブを掴もうとして、しかしカムイルはしゃがみ込んだままの姿勢から立ち上がれなかった。脱兎のごとくトイレへ駈け込もうとしたカムイルの腰に、慌てたリーンがつんのめりながら抱きついてきたのだ。
「うわ…っ」
 バスマットで滑ったリーンの体がそのまま転げそうになる。カムイルは反射的に体の向きを仰向けにすると、転んで倒れ込んでくるリーンの体をそのまま受け止めた。不格好でもとにかくリーンの体のクッションになればいいと思って受け止めた結果、お約束と言われてしまえばそこまでだが、仰向けのカムイルの下腹部とうつ伏せで倒れ込んだリーンの腹部ががっちりと密着した。体を起こそうと腹這いしたリーンは腹部で感じた感触にまた顔を赤くして、カムイルは眼鏡の下に指を差し入れるようにして手で顔を覆った。
「もうやだ…ラッキースケベくそくらえ…俺は最低……」
「す、すみません…!すぐに退きますから…っ」
「ごめんリーンあんまりそこで動かないでマジでヤバい」
 早口でそう懇願され、リーンはぴたりと動けなくなった。とはいえこのままでもよろしくないのではと苦悩していると、カムイルがリーンの両脇に手を差し入れてそのまま真上に持ち上げる。一先ず腹部と下腹部の接触がなくなり、二人揃ってほっと息を吐いた。
「本当に、すみません…何から何まで…」
「いや、うん…ギリギリ堪えたから、大丈夫だよ」
 全然大丈夫ではないのだが、という泣き言はカムイルの胸の中だけにしまっておくことにした。
「足とか捻ってない?平気?」
「はい、大丈夫です」
 丁寧な所作で床に降ろされ、リーンはそのままぺたりと座り込んでしまった。仰向けで上体をわずかに起こしていたカムイルも、手をついて完全に床に座る姿勢になる。リーンには経験も知識も乏しくてよくわかっていないが、今カムイルの体に訪れている体調の変化は、男性にとってはとてもつらいというイメージだけがあった。女性と比べて露骨にわかってしまう分、気を使うことだって多いだろう。そんなつらい状態でもリーンを庇って、怪我をしていないか気遣ってくれたカムイルに対して、本当に申し訳ない。
 カムイルが自分のことを意識してくれているのだということがわかったのは、とても嬉しかった。もしかしたら自分はカムイルの中ではいつまでも子供の姿のままで、女性として意識してくれていないのではないかと不安だったからだ。今もカムイルは気まずそうに視線を逸らしていて、さっと背中を向けてしまう。
「あー…そういうわけで、俺はしばらくトイレ使わせてもらうから…」
「え…あ、はい…」
「リーン、シャワー浴びようと思ってたんでしょ?済ませておいで」
 そう言って、カムイルはトイレに入っていった。すぐに水洗を流す音が聞こえたので、あまり聞いているのもよくないのかもしれないと思い、リーンも洗面所の奥にある脱衣所へと向かった。いつも通りに服を脱いで、ふと、脱衣所にある全身鏡に映った自分の体を見つめる。どちらかといえば、リーンは華奢な体つきだ。当時より女性らしい体の丸みは出てきているが、肉感的な魅力とまではいかない。
「大人になれたと、思ったんだけどな…」
 ぽつりと呟き、リーンは湯張りしておいた浴槽に頭まで深く潜り込んだ。


 一方のカムイルは、パンツを降ろした状態で便座に座ったまま頭を抱えていた。一度は勃ち上がってしまったものの処理はしたのだが、問題は、その後である。
「……全っ然治まらないんだけど、」
 発散不足ということはなかった。なんなら、リーンに付き添うようになってからそんな余裕もタイミングもなかったのですっかり処理できていなかった分まで出した……筈だ。だというのに、己の股座の半身は未だに眠りについてくれない。しかも厄介なことに、半端に元気な状態から萎えも硬くもならないのだ。
 手で扱いてみてもあまり効果が得られず、かといって放置してみてもフェードアウトしてくれない。むしろ刺激が少なくて物足りない感覚が強くなり、もういっそのことご無沙汰だった後ろを使おうかと思ったが、この場には下準備に使えるものが何もないのでそれを行うこともできない。何よりカムイル自身、この半端な状態の打開策が一つしか浮かばないのだ。
「…リーンで抜くしかない」
 言葉にすると同時に、あまりに罪深い自らの言葉に自分で自分を殴りたくなった。
 でも仕方ないのだ。だって、表情だけで勃ったのなんて初めてだった。いやたぶん前々から兆候はあったのかもしれないが、YESリーンNOタッチを貫いてきたおかげであわやの暴発を防ぐことができていたのだ。それが調子に乗って彼女の体の柔らかさを知った途端にこの様である。後ろでばかり遊んで前の制御ができなくなっているクソ童貞野郎だ。煙か酒か潮風の匂いしかしなかった四十手前の男としか抱き合ってこなかったカムイルにとって、女の子の匂いと肌の滑らかさはとにかく魅力的で、調子に乗って堪能して、堪能しすぎてこの有様だった。ふりだしに戻る。指輪交換の初夜に何をやっているんだ俺は。
「はぁー……」
 気を取り直して己のものを握り直してみるが、扱けどうんともすんともせず、半端な柔らかさに自分で腹が立ってくる。おい、いつものガチガチに元気なお前はどこへ行った。二十歳年上の男からえげつないくらい搾り取っていた頃の性欲よ戻ってこい。
 どうしたものかと再び頭を抱えそうになったところで、向かいの浴室の扉が開く音がした。まさか、リーンがシャワーを済ませている間ずっと悶々としていたというのか。その間に二発目を抜けなかったこともそうだが、この半端な高度を維持できた半身も半身である。後ろで遊びすぎて性感の機能不全を起こしているのかもしれない。カムイルは少しだけ肝が冷えた。
「あの、カムイル…?」
「はいッ!」
 ノックの音と共に声をかけられ、馬鹿なことを考えていたカムイルは驚き肩が跳ねた。扉の向こうにいるリーンは心からカムイルの体調を心配してくれていて、それが壁越しの声だけでもよくわかる。
「大丈夫、ですか…?男の人の体のことは、私にはわからないけど…辛くないですか?」
「えっ…あの、いや…うん……」
 ぴくり、とカムイルの片眉が動いた。まさかと思って視線を下に向け、ははっ、と乾いた笑いが出てしまう。
「おいおいおいおい…マジか、お前…」
 角度が、上向きになっている。
 率直に言って、イケるかイケないかで言えば、たぶん今夜はイケると思う。だってもう、リーンのあの顔はそういう表情だっただろう。明らかにこちらの男性を意識している顔で、だからこっちもいろいろなものが一気に暴発した。というか、現在進行形だ。
 だからと言って生涯一度の大切な初夜を、こんなアホみたいなハプニングの流れで迎えさせてしまってよいのだろうか。いい訳があるか。まったくもってよくない。彼女の体に初めて刻まれる大切な瞬間を、こんななし崩し的に奪っていいなんて思っていない。
「…………」
 絶対に、後悔するようなことはさせたくない。
 それを奪われた側だからこそ、どれだけ大切なものなのかが痛いほどよくわかる。
 心と体がちぐはぐになっていた時期は、本当につらかった。自分で自分のことが信じられなくて、性感を忘れられない自分はあちら側に落ちてしまったのだと思うしかなくて、それが本当に恐ろしかった。
 だからタンスイと出会って、互いを想い合い求め合うセックスを教えられて―もしもそんな機会が訪れるのなら、自分も彼女に同じように与えてあげたいと思った。誰かに身を預けることの安らぎを感じてほしいし、与えてあげたい。痛いことも嫌なことも絶対にしたくない。あの脳までぐずぐずになって何もわからなくなってしまう微睡みの中で、ひどく優しくしてあげたい…――
「…………」
 などと妙なことを考えている間にも股座の角度はどんどんきつくなってきていて、そうそうやればできるじゃないかと安心している自分と、なんて不誠実な妄想で勃たせているんだ最低だと泣きたくなる自分がいる。ともかくとしてここまで育ってくれればさすがに手で抜けるだろうと思いカムイルはリーンに声をかけようとして、だが、それよりも早く扉の向こうからリーンが声をかけてきた。

「あの…っ…」
 扉の前で、リーンは言葉に詰まって唇を結んでいた。
 カムイルは、リーンがしてほしいことがあるなら言ってほしいと、そう聞いてくれた。だからそれを言葉にすればいいだけなのに、一体、どのように伝えたらいいのか、ぐるぐると頭の中を様々な単語が駆け巡って目が回りそうになる。その行為を示す言葉にいくつか覚えはあるのだ。あるのだが、どれが正解なのだろう。こうしてリーンが考えあぐねている間もカムイルは待ってくれているのだから、早く言葉にしなければならない。
「っ……」
 どうせ明日には玉砕覚悟で打ち明けるつもりだったのだ。ええいままよ、とリーンは明日の夜に告げようとしていた気持ちを吐き出した。
「私…っ、私…カムイルと、その……もっと、深い仲になれたら、いいな…って…」
 今の言い方できちんと伝わったのかわからない。でもリーンにはこれが限界で、これ以上直接的な言葉はとても恥ずかしくて口に出せなかった。扉の向こう側のカムイルは反応がないので、リーンの言葉をどんなふうに受け止めてくれているのかわからない。わからないけど、もしリーンの意図が伝わっているのなら、きっと慎重になって考えてくれているのだということは想像に難くなかった。
 カムイルは不本意に初めてを奪われて、心と体に深い傷を負ったから。リーンの初めての夜のこともきっと、リーン自身以上に大切に思ってくれている。そんな彼にこうして次の関係を迫ることは申し訳ない気もしたが、リーンはこちらの世界へ来るときに、伝えたいことは全部伝えると決めてきたのだ。
「カムイルが私を大切にしてくれているって、わかってます。でも…私だってもう、子供じゃないんですよ…本当は、もうずっと前から、貴方に触れてほしいと思ってた」
 好きな人ができて、その人と深い仲になりたいと想うことはいけないことだろうか。
 長くユールモアに幽閉されて世間知らずだったリーンでも、クリスタリウムで独り立ちして暮らすようになれば自然と、恋愛や性愛についての知識も身につくようになっていた。カムイルを恋い慕うようになって、もしもその延長線で彼と愛し合うことができたらと思うこともあった。
「だから、私…――」
 リーンの言葉の途中で、トイレの水洗音が聞こえた。少しドキドキしながら扉をじっと見つめていると、姿を現したカムイルが開いた扉に腕をかけてじっとリーンのことを見下ろしてくる。少し荒い息を整えながら、真っ直ぐ見下ろしてくるエメラルドグリーンの瞳の中にあの焦燥感に似た色が滲んでいるのがわかって、リーンは背筋がぞくりと震えた。
「カム、イル…」
「……本当に、今夜でいいの?」
 声がひどく優しいのに、いつもと違った声色に聞こえて身が竦んでしまう。リーンがどうにか首を縦に振ってこたえると、カムイルはリーンの頭を撫でて、入れ替わるように浴室の脱衣所へ続く扉に手をかけた。
「髪乾かして、ベッドで待ってて…俺も、シャワー浴びたら行くから」




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