短編まとめ



 ペンダント居住館に着き、先に部屋で待ってくれていたリーンに挨拶代わりのハグも済ませ、いつも通りキッチンに立とうとしたその時だった。
「カムイルはお料理禁止ですっ!」
「えっ?」
 クラフター用のエプロンに着替えかけていたカムイルの背後からリーンが飛びついてきて、つけさせまいとエプロンを強い力で握り込まれてしまった。無理に引き剥がす必要もないのでカムイルがぱっと手を離すと、リーンはそのまま巻き取るようにエプロンを引き寄せて小さくたたみ始めてしまった。
 はて、一体どういう風の吹き回しだろうか?自炊ついでにリーンやガイアに料理を振る舞うことはいつものことで、ご馳走になってばかりで申し訳ないとリーンにしょげられたことも何度があるのだが、こんなに強引な手段を取られたのは初めてのことだ。
「…リーンがご馳走してくれるってこと?」
「はい、お任せください!」
 上半身だけ捻って見下ろしたリーンは、それは嬉しそうな満面の笑みをこちらに向けてくれている。めちゃくちゃかわいい。
「カムイル、今回は三日くらいこちらにいられるんですよね?」
「うん。いま友達とアラグ時代の遺構に潜ってあれこれ調査してるから、しばらくは原初世界とこっちを行き来することが多くなるかな」
「それなら今回の滞在期間だけでも、ぜひ私にカムイルの衣食住をお世話させてほしいんです!…そうは言いつつ半分手伝ってもらってばかりの今まででしたが、今度ばかりはカムイルには何もさせませんからね!」
「うーん、これは手厳しい」
 いつも以上の威勢で意気込んでいるリーンに、これは今回ばかりは大人しくもてなされるしかなさそうだな、とカムイルは観念することにした。とはいえ元来の性分が恋人に対して尽くしたがりの世話焼きなので、これはこれで我慢の数日間となりそうだ。大人しくダイニングテーブルに腰を落ちつけたカムイルを見て、リーンは嬉しそうな様子で長い髪をポニーテールにまとめながらキッチンに立つための身支度を進める。
「食べたいもののリクエストはありますか?」
「んー…ポポトグラタンつくろうと思ってたから、グラタンの舌になってるかも」
「では、今夜はグラタンにしますね」
 黙って見守るカムイルの視線の先で、身支度を整えたリーンがてきぱきと必要な材料の確認を始めた。何度か一緒に調理したことがあるメニューなので心配もなさそうだ。
 リーンのお言葉に素直に甘えることにして、カムイルはノートとペンを取り出してオルト・エウレカの調査に関するメモをまとめることにした。新たに見つかった遺構を前に腕利き達がこぞって攻略を進めてくれているおかげで、カムイルのチームがまだ到達していない階層の情報もちらほらと耳に入りつつある。自分達の装備の強化状況と低階層のエネミーへの対応速度を振り返りながら今後の予定をぼんやりと考え始めると、リズムのよい包丁の音がカムイルの角にも届いてきた。
「包丁使うの、うまくなったね」
 思わず、胸に浮かんだ言葉を口に出してしまう。包丁の音が止まったのでノートから顔を上げると、ポニーテールにしたことでいつもよりよく見えるリーンの耳と項がほんのりと赤くなっていた。本当にかわいい。かわいすぎてどうかしていると思う。
「…カムイルが教えてくれたから、料理するのが楽しくて。それで、たくさん包丁も使うようになったから」
 褒められて気恥ずかしいのか、リーンの声が少し小さい。消え入りそうな声で「うう…」と唸ったかと思うと包丁を握り直して下拵えを再開したので、それ以上の邪魔をしないようにカムイルも再びノートに向き直った。

 きっかけは、リーンが成長したところを見せるためにも手作りのものをつくって原初世界へのお土産にしようという話だった。それでミーン工芸館の食薬科に通い始めたリーンに、調理なら自分も好きだから協力できるかもしれないと声をかけてみた。あの頃はまだリーンに告白する勇気すらなかったというのに、今にしてみれば随分と思いきった行動をしたものだと思う。だが、それがきっかけでリーンとの距離を縮めることができた。
 エデンの調査が終わり、ガイアが報告書を書き上げるまでの数日間。その限られた時間をリーンと一緒に過ごせたからカムイルは遠回しにリーンへ想いを伝えることができたし、その遠回しな告白をリーンはしっかりと受け止めてくれていて、終末を乗り越えた先で言葉を尽くして返事をくれた。それから今日に至るまで、リーンと二人で過ごす時間はいつだって、二人で一緒に囲む食卓と共にあったように感じる。時にはその食卓にガイアが加わって、自分達のじれったい関係をせっついてくれたこともあった。
 嬉しい。自分の大好きな趣味のひとつである料理がいつだって愛する人との距離を近づけてくれていたのだということに今更気付いて、それがこの上なく嬉しくてたまらない。
「ねえカムイル、ミートソースのグラタンにしてみてもいいですか?工芸館から新鮮なトマトをもらったから、それでソースをつくってみたいんです」
「いいね、俺もそれで食べてみたい」
 アジムステップの戦士として生まれて物心ついたときから、馬を駆って戦うことよりも料理を手伝うことが好きだった。好きこそものの上手なれとは言うものの、今の家族に引き取ってもらってエオルゼアの地で暮らし始めると、自分よりもずっとモノづくりが上手な職人達が世の中にはたくさんいるのだと思い知った。戦士になりたくなくて生まれた部族から逃げ出したというのに、大好きで得意だと思っていたモノづくりですら、この世界で身を立てるには才能不足だという現実。姉にくっついて冒険者稼業をやってみても自分は何もかもが中途半端で自己肯定感とは無縁の日々。それこそ、リーンに片想いすることすら恥ずかしいと思うくらいには自分に自信がなかった。
「…………でも、料理が好きだったから、リーンに話しかけられたんだよな」
 ぽつりと独り言ちた言葉は、ソースをつくっているリーンの耳には届かなかったらしい。
 玉ねぎとひき肉を炒め始めた頃の食欲そそる匂いに慣れて、煮込みやすいように細かくカットされたトマトのフレッシュな香りが鼻をつく。それもフライパンに投入されると炒めるような音は次第にぐつぐつと水分を含んで煮込むような音へ変わって、香りづけの白ワインとハーブも加わると、それだけで腹の虫が鳴ってしまいそうになった。
 ミートソースづくりに例えたら、今の自分とリーンの関係はどれくらいの工程なのだろうか。そんなくだらないことが頭に浮かぶ頃には、攻略メモをまとめるような気分は霧散していた。
 忍び足になるでもなく堂々とリーンの背後へ近づき、煮込みの様子を観察している彼女を前かがみになって後ろから抱きしめる。振り返らずとも気配で察してくれていたリーンはなされるがままに身を任せてくれて、前かがみになっても尚ある身長差で見下ろした腕の中でくすぐったそうに笑っていた。
「手を出しちゃ駄目ですからね」
「出さないよ。ちゃんと我慢するから、ちょっとだけこうさせて」
 弱火でじっくり煮込む間だけ、こうしてくっついていたい。リーンもちょうど手持ち無沙汰で、木べらを置いてカムイルにゆったりと抱かれてくれている。
「ふふっ、カムイルからくっついてくれるなんて珍しい」
「うん。俺、料理が好きでよかったなぁ…って、思ってさ」
 自分に自信を持てることなんて一つもないと思っていたけれど、こうしてリーンとの縁結びのきっかけになった料理だけは、少しは自信を持ってもいいのかもしれない。
「リーンが食べたいものをつくってあげられるし、リーンに教えたら俺が食べたいものをつくってくれるし、それを一緒につくって、一緒に食べられるし…そういうのいろいろ考えてたら、リーンのこと好きな気持ちでたまらなくなった」
 すぐ目の前でぐつぐつと煮込まれているソースみたいに、拗らせに拗らせた想いが煮詰まって爆発しそうなくらいに。
 片想いにすら臆病になっていたとは思えないほど、リーンのことが愛しいのだという気持ちを伝えずにはいられない。言葉から、抱き寄せている腕から、目には見えぬエーテルの循環に至るまで。全身全霊でリーンが愛しいと叫びたくて仕方ない。
「…………、」
 横目でちらりと盗み見たソースの具合はちょうどよさそうで、名残惜しいがリーンを解放してあげないと焦げついてしまいそうだ。カムイルが体を離すとリーンもフライパンの中の様子に気付いたようで、再び木べらを手にとって大きくソースをかき混ぜながら様子を見る。
「あ、そろそろ火を止めてもよさそう」
「うん。また邪魔しちゃうと悪いから、俺ベッドで大人しくしてるね」
「そんな、邪魔なんかじゃないのに…」
 フライパンの火を止めたリーンがカムイルを振り向き、しゅんと淋しそうな顔をした。そんなふうに引き留められると本当に辛抱ならなくなってしまいそうで、カムイルはぐっと奥歯を噛みしめてキッチンから退散する。
「駄目、邪魔じゃなくても俺が我慢できなくなる」
「カムイル…」
「かわいい顔で俺見るのも駄目!リーンさぁ…最近はそれ、俺に効くってわかっててやってるでしょ?」
 本当にいろいろと我慢できなくなってしまいそうなので、リーンの誘惑を振り切ってカムイルは逃げるように備え付けのベッドの上へと転がった。少々行儀は悪いが横になってキッチンへ目を向けると、下拵えの続きを始めたリーンが二人分の耐熱容器を取り出したところだった。そういえばそのグラタン皿もカムイルが自分とリーンと、それからガイアが遊びに来たときのために三人分つくってあげたものだったな、と思い出す。
 食事も、それを彩る食器類も、もちろんそれ以外の日用品から家具まで。リーンと一緒に過ごすためにあつらえたものに囲まれながら、リーンが自分のために手作りの料理をつくってくれている。そんなふうに目の前の光景を切り取ってみると、尽くされる側になるのも存外に悪い心地はしないのかもしれない。
「……しあわせで馬鹿になりそう」
 先程まで胸に抱いていた強い衝動を堪えた反動か、無理矢理に押し込めた想いが脳で飽和して頭がぼーっとする。漠然とリーンが好きだという考えだけで頭がいっぱいになって、本当に呆けてしまいそうな心地だ。そして、こんな日に限ってガイアは空気を読んで遊びに来てくれない。
 次第に脱力したカムイルが目を瞑ってしばらくすると、ぱたぱたと軽い足取りでリーンがベッドへ近づいてきた。寝落ちたわけではなかったのでカムイルが上体を起こして迎えると、エプロンを外したリーンがベッドの縁に腰を下ろす。
「あとは焼き上がりを待つだけなので、カムイルのことを甘やかしに来ました」
「なにそれ、超嬉しい」
 半端に起こしていた体勢からしっかりベッドの上へ座り直したカムイルの脚の間にリーンが収まってくれるので、カムイルも遠慮せずに後ろから抱きかかえる。まだまだ健全交際の途中とはいえ、こうしたスキンシップをとることにも互いに馴れてきた。少し前までは二人揃って変な遠慮をしてぎくしゃくしていたというのに、自然と体を寄せ合えるようになったこともまた、二人で過ごした時間が積み重なった証だと思える。
「……俺とリーンの関係が、グラタンの調理過程だったとしてさ」
「?」
「たぶん今って、チーズをまぶしてそろそろ焼き上げる準備に入るところかな、って」
 唐突に変なたとえ話を始めてしまうあたり、本当に馬鹿になって思考が鈍化しているらしい。それでもリーンはカムイルの言わんとすることを察してくれて、それから、言葉の意味を反芻して面白そうに笑ってくれた。
「それって、グラタンの焼き上がりをどこだと仮定した話ですか?」
「うーん……俺とリーンが我慢しなくてよくなる日、かな」
「そっか…じゃあ、まだ少し時間がかかっちゃいますね」
「うん。でも、焦らずゆっくり焼いたほうがおいしく出来上がるよ」
 また月日が経って二人の関係が進んだとき、こうしてもどかしく過ごしている日々すら大切な思い出になってくれているはずだから。
「だから今は、グラタンが焼き上がるまでこうしてくっついていようよ」




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