短編まとめ



 エオルゼア全土を描いた地図に切り取られた南端のさらに先。オサードに存在する永久焦土を思わせる真白の大地に、今もぽつんと存在している屋敷がある。
 その庭先にヴォイドゲートが開き、エレゼン族の長い脚が敷居を跨いだ。やがてゲートから姿を現したのは、つい先程までウルダハで事後処理を行っていた男――この屋敷の執事を務めるタッカーである。ワイモンドに噛みつかれた右手からはまだ血が滴り落ちているが、気にする様子もなくそのまま玄関へと向かう。執事が指を鳴らすと屋敷の扉がひとりでに開き、その向こう側では腕組みしたカメリアが彼の出迎えに来ていた。カメリアはすぐに右手の出血に気付き、「おいおい」と苦笑を漏らす。
「うーわ、こいつぁ派手に噛みつかれたね」
「お気になさらず。貴方が初動を誤らなければ負わなかった怪我です」
「はいはい、どうもすいませんでしたね」
 窓という窓を環境エーテル遮断用のカーテンで閉ざした屋敷の中は、住人の数の少なさに比例して不要な明かりも消しているため、時を選ばず薄暗い。頼りない燭台の明かりに照らされた廊下を進みながら、溜息交じりのタッカーの小言は止まらない。
「エーテルの痕跡が残ったおかげで、薬学院にまで足を運ぶことになりましたよ。酒で手元が狂ったのでは?」
「だーから、そのお詫びに傷の手当てをしようとしてるんじゃない」
 カメリアがドアを開き、先に入るようタッカーへ促す。案内先はカメリアのアトリエで、背の高い棚の上から床に至るまであらゆる錬金素材と調合道具で埋め尽くされた部屋を見て、タッカーは隠さず嫌悪の表情を浮かべた。
「とても傷の手当てを行える衛生環境とは思えませんが…」
 とはいえ血塗れの手では屋敷での仕事もままならないので、タッカーは観念して、白衣を掛けっぱなしにしてあるソファに腰を下ろす。対面のカメリアはその手を取ると、近場に用意しておいた消毒液でまずはタッカーの汚れた手の血を拭い始めた。
「これくらいの傷、自力で治せそうなのに…あえて残して自分への戒めにしてんの?」
「まさか。単純に、治癒に回す力が残っていないのですよ。今回は少々、強めの記憶操作を施しましたので」
 そう気怠げに語るタッカーの金色の瞳が、薄暗い部屋の中で妖しい光を纏う。治療の手は止めずに、カメリアは「おお、怖い」とおどけて肩を竦めた。手の処置はすでに傷口へ治療用の軟膏を塗り終わり、患部を包帯で丁寧に巻いている。
「坊の方の処理はしっかりやっておいたよ。あいつ成長したね、あの僅かな残量でも俺のエーテルに気付くんだから」
「それで、あの木偶の坊は今どこに?」
「まだ副作用で寝てる。疲れて帰ってきてそのままぐっすり、って言えば大丈夫でしょ」
 きゅ、と手早く巻かれた包帯が結ばれる。
「…旦那も、坊の部屋で様子見てるよ。顔出して来たら?」

 包帯が巻かれた手で二度ノックをして、返事は待たずに扉を開ける。部屋の中にいる男がそれを許すとわかっているからだ。
「失礼致します。タッカー、ただいま戻りました」
 暗い室内で、ベッドサイドに置かれた燭台の火だけが柔らかな明かりでそこを照らしている。ベッドの縁に座り明かりの中で本を読んでいた男は、部屋の入口で立ったまま待機するタッカーを振り返ると、その本を閉じてサイドボードの上に置いた。
「ご苦労だった。今回も手間をかけさせてすまなかったな」
 ケイロン――この屋敷とタッカーの主で、妹とよく似た金髪碧眼を持つジャヌバラーム家の四代目当主。主からの労いの言葉に、タッカーは目を伏せて首を横に振った。
「弟君にも処置を施すこととなり、大変申し訳ございません」
「いや、いいんだ。こいつは家にいる時間も長いからな、いずれ私達の行っていることに勘づくとは思っていた」
 そう言うケイロンは、眠るカムイルを少し嬉しそうな表情で見つめている。事情は複雑だが実の家族同然に可愛がって育ててきた弟の成長を感じて嬉しい、とでも言いたそうな顔つきだ。そんなケイロンの心中は察するまでもなく伝わってくるものの、報告しなければならないことがある。タッカーは敢えて、水を差すように嫌味な咳払いをしてから言葉を続けた。
「……あの男への処置も、いよいよ厳しいものになりそうです」
 あの男――ワイモンドのことだ。タッカーの報告を受け、ケイロンは小さく「そうか」と呟く。眠ったままの弟の前髪を撫でてからベッドを降り、そのままタッカーを連れて部屋を後にした。
「情報を掴むまでの時間が徐々に早くなっております。今回から処置魔法の効果を一段階強くしましたが、今のものが限界です」
「今よりも強いものにすると、どうなる?」
「必要外の記憶まで消えて怪しまれるか、或いは…今までに繰り返した数を鑑みると、廃人になるかと。少なくとも、今の私では加減が厳しくなります」
「困ったな…記憶操作系の暗示魔法は、まだ他のものの解読が終わりそうにないんだ」
 会話を続けながら向かった先で、タッカーがドアノブに手をかける。重く軋んだ音を立てながら開いた先、山のような蔵書がいくつも積み上げられたその部屋は、ケイロンの研究室である。元から当家にあった蔵書はもちろん、ライフワークの研究のために各地から取り寄せた古書の数々は壁一面の本棚にも入り切らない数で、ケイロンにしかわからない規則性で床の上に山々を形成している。先程のカメリアのアトリエといい、そして姉の方のキャメロンにも言えることなのだが、どうにも当家の人間は部屋の整理整頓ができない性分らしい。タッカーは余計なものを踏まないように再び入口脇に控え、本の山の中に消えていく主の姿を見守る。
「主よ」
「なんだ?」
「いっそのこと、あの男を囲い込んではいかがでしょう。お嬢様も喜ぶのでは?」
 最後の一言は、わかっていてわざと余計に付け加えた。本の山からひょっこり顔を覗かせたケイロンは、予想通り渋い顔をしている。
「我々をここまで悩ませるほど腕が立つ情報屋なのです。金を握らせて、逆に当家の情報操作のために使うという手は…」
「いや、駄目だ。金で囲った人間は金で裏切るぞ」
「クガネのあの商人とて同じでしょう」
「彼はあくまでも相互利益の鉄則を元に行動してくれる。我々からの信用を失えば東アルデナード商会への打撃が免れないと承知している以上、死んでも口を割らないだろう。そもそもロロリトや砂蠍衆の連中からしてみれば、ジャヌバラームという金塊が埋もれていること…ましてや、その親族が王党派きっての狂信的な冒険者であること自体が打撃になるだろうからな」
 きっぱり断り、ケイロンは再び本の山に姿を消した。その反応を想定していなかったわけではないので、タッカーも「左様でございますか」と結んでそれ以上は続けなかった。

 何故、ケイロンがタッカーとカメリアを使わせてジャヌバラーム家の証跡を消して回らせているのか。その経緯は一言で説明できず、理由も多岐にわたるのだが、一つにはキャメロンが冒険者として身を立ててしまったことがある。
 暁の血盟に所属する英雄の一人であり、ウル朝存続を脅かす存在には誰彼構わず牙を向く狂信的な王党派の冒険者が、ウルダハの政治情勢を動かしかねない資産を有する一族の縁者であることが明るみになってしまったら。ウルダハの政治が傾きかねないのはもちろん、独立組織である暁にとっても分が悪い話になる。
 もちろんケイロンにもキャメロンにも当家の資産を第三者へ融資するつもりはないが、本人達にそのつもりがなくても、勝手な憶測が背びれ尾ひれをつけて大きくなっていくのが世の常だ。それがキャメロンの望まない展開であることを、ケイロンは重々に理解している。その証拠に、キャメロンはこの家を出てから冒険者としてある程度の生活ができるようになるまで、金銭面の援助を求めるどころか連絡さえもとらなかった。彼女は彼女なりに、自分を起点にジャヌバラーム家の存在が明るみにならないよう慎重に行動していたのである。

「…それがどうして、情報屋の男になど入れ込んでいるのか」
 執事然とした態度を崩したタッカーが、くしゃりと前髪を掻き分けて溜息を長く吐き出す。
 自身の身辺を洗われるリスクを承知しているなら、情報屋の前で目立つことの意味もわかっているだろうに。やれやれと肩を竦めるタッカーに対して、ケイロンは本の山に埋もれながら苦笑を漏らしていた。
「仕方ないだろう。たぶんあれは、自覚がないんだ」
「自覚…?」
 タッカーが顔を上げるのと、ケイロンが本の山から再び姿を見せたのは同時だった。ララフェル族の手では扱うのが大変であろう分厚い古書を抱えながら、その顔は、弟の寝顔を見つめていたときと同じ表情をしていた。
「自分の執着が強すぎてわからないんだよ。向こうも自分に同じくらい執着している、という自覚がな」


   ◆◇◆


 砂都を中心に暮らしている身には、イシュガルドの寒冷な気候は何度足を運んでも慣れないものだ。厚手のコートの襟に顔をうずめながら、ワイモンドは復興を終えたばかりの蒼天街を歩いていた。
 一年ほど前に仕事で訪れたときにはまだ瓦礫の山だったというのに、歴戦の冒険者兼職人達がこぞって復興事業に携わった結果、居住区として見事に生まれ変わっている。区画の奥にはドラゴン族の姿もあり、長きにわたる竜詩戦争の暗い影を払拭して前に進もうとするイシュガルドの姿勢をありありと見せつけられた心地だった。
 それにしても、寒い。公衆浴場とサウナがあると案内されたが、こんな気温では体が温まった傍から冷えそうで入る気にはなれなかった。
 復興記念の祝祭が絶えず開催されているせいか、蒼天街には職人からイシュガルドの住民、中には商業区への進出の下見に来ている各国の商人達の姿もある。かく言うワイモンドもこの場に招かれざる客であるのだが、今回はハンコックからの依頼で、蒼天街に進出している商家のリストアップと現時点での市場の具合について情報収集を行っている。ある程度の情報はイシュガルドの外で収穫できたので、実際に現場を見て懐具合に探りを入れるのが今回の主な目的だった。その裏取りも無事に済んだのでさっさと退散してしまおう、とワイモンドが祝祭の街並みを足早に進んでいった先、
「あれ、ワイモンドじゃん」
「あ、」
 ばったり、という表現はまさに今のような状況で使うのが相応しいのだろう。雲霧街へ出る大門をワイモンドがくぐろうとすると、ちょうどその正面からカムイルが蒼天街へとやってきた。職人達の間で流行っているらしいタンクトップ姿を寒空の下に惜しげもなく晒していて、ワイモンドは思わず顔を顰めた。
「冒険者ってのはどいつもこいつも…なんでこの天気でそんな格好できるんだよ」
「そう言うワイモンドは寒そうだね。コート着てるの珍しいじゃん、写真撮っていい?」
「好きにしろ」
 カムイルの連れらしい数名が「先に行ってるね」と催し物の会場へ向かう。それを見送りつつ、二人は祝祭の喧騒から少し外れた一角へ移動した。道すがら、職人向けに提供されているシチューをカムイルが調達してくれたので、ステンレスマグに注がれたそれをありがたく受け取る。
「ウルダハ一の情報屋さんは大変だね。どうせ、蒼天街に出てきた商店のこととか見てきたんでしょ?また一つ大きい流通網ができるからねぇ」
「別に、観光半分の物見遊山だよ。イシュガルドが開かれてからこっちにあまり来たことがなかったからな」
「じゃあ、そういうことにしておくよ」
「お前こそ、最近はその姿でいることが多いな」
 以前よりも、カムイルが表に立つ機会も時間も増えている。多少の無理をしてやっていた代行業が、彼なりに楽しいものになってきた証拠だろうか。それとも、ワイモンドの知らないところでキャメロンの方がまた参ってしまっているのか。カムイルは周囲に人がいないことを確認してから、「へへっ」と素に近い表情ではにかんだ。
「クラフトが趣味なんだから……ってさ。大きい復興事業計画のタイミングで、いつも変わってくれていたんだよ。だから今回の祝祭も、実際に頑張った俺が参加した方がいいってさ。あいつ、そういうところはちゃんとお姉ちゃんやってんだよね」
「なんだお前、クラフターが本職なのか。そいつは初耳だったな」
「あ。でも、ワイモンドに協力できるほどの腕前と生産力はないよ?本当にただの趣味で、リーヴ納品で小遣い稼ぎはするけど、マーケットボードで荒稼ぎとかはできないからね」
 商機の気配にワイモンドがサングラスの奥の目を光らせたが、それを察したカムイルがばっさりと切って捨てるので、隠さず舌を打ってからステンレスマグを傾けた。
「そういや、お前達の実家の兄貴も確か、錬金術の研究してるって話だったな」
「あー…うん。でもそっちもほぼ道楽だよ。しかも文献研究がメインで製作はあんまりって感じ」
 それで稼げたらよかったんだけどね、とカムイルは肩を竦めた。
 実家の兄との関係が芳しくないらしいことは、キャメロンから聞いたことがある。新米冒険者の頃にそもそもどうして傭兵稼業に手を付けたのか聞いたところ、研究家の兄が実家に引きこもってしまったので、自分が稼いでより良い環境が整っているウルダハに家族を招くためだ、と胸を張って言われたのだ。
 仕事でもないのに他人の家の事情に踏み込むのは野暮なのでそれ以上の詳細は聞かなかったワイモンドだが、何故か今この瞬間、カムイルとの会話で妙な引っかかりを覚えた。言うなれば、情報屋の勘だ。何気ない会話の端に、見逃してはならない情報が隠れているような気がして。思わずじっと顔を見上げてしまったワイモンドに、カムイルは居心地の悪そうな表情を返した。
「え…何?別にウチにある文献だって、ワイモンドの商売道具になるようなものじゃないからね?」
「しねえよ」
 気になったのは、そこじゃない。
「シチューごちそうさん。うまかった、ってあの兄ちゃんに言っておいてくれ」
「うん。もう帰るの?」
「物見遊山だって言っただろ。そもそも帰るところだったんだよ」
 空になったマグを押し付け、ひらひらと手を振りながらその場を後にした。祝祭の開催が迫った蒼天街は人がごった返していて、長身のカムイルでもワイモンドの姿はすぐに埋もれて見えなくなる。雑踏に完全に紛れたタイミングでコートを脱ぎ捨て、人ごみの流れに逆らって雲霧街へと駆け出した。

 仕事でもないのに他人の家の事情に踏み込むのは野暮なこと――だがプライベートなら、話が別だ。
 一ギルの価値もない情報。誰も買い手がつかない商材。それでも知りたいことがある。
 イシュガルドライディングまで一気に駆け抜けたワイモンドは、大きく息を吸い込んで冷たい空気を自分の脳へと送り込んだ。寒空で冴えた頭が、ある事象に関する情報を整理し始める。
「…やっぱり妙だぜ、あいつらの記憶喪失」
 英雄キャメロンとその双子の弟は、第七霊災以前の記憶を失っている。
 世間から見れば、それがどうした、と見向きもされない些末事。あの霊災は様々な爪痕を残していて、ショックで記憶を失っている人間だって、きっと他にもいるだろう。それでもワイモンド個人にとっては、例え時間がかかってでも解き明かしたい重要情報なのだ。
 きっかけは特になく、ただの気まぐれだった。霊災以前の記憶がないことは出会って間もなく聞かされていて、その時ちょうど仕事の手が空いて暇だったので、自分の情報網を使って軽く探りを入れてやろうと思ったのだ。
 実際、ワイモンドの過去に依頼の中には、霊災で記憶を失ってしまったので僅かな手掛かりを頼りに自分が何者なのか調べてほしい、という無理難題もあった。その時にやったことと言えば周辺地域での聞き込みと、本人の断片的な記憶の擦り合わせだけで、そうすれば必ず一人は依頼者に覚えがある人間に巡り合えたし、それがトリガーになって依頼者が記憶を取り戻すということもあった。だからワイモンドにとって、霊災によって失われた記憶を掘り起こすことは、時間はかかるが難しいことではないのだ。
 得られた情報で金をゆするだとか、そういうことを考えているわけではない。ただ、彼女は駆け出しの頃から自分が目をかけてきた冒険者で、そのバックボーンが気にならないと言えば嘘になる。知りたいことを隠されれば余計に探りたくなるのが情報屋の性で、仕事の合間にキャメロンの過去について調べることが当たり前になっていた。
 だが彼女と出会って五年以上経った今でも、欠けた記憶に関わる情報は何も掴めていない。霊災以降は南ザナラーン方面に避難して住んでいたという情報はあるものの、その方面で彼女の兄の消息について調べてみても、それらしい目撃情報が何も出てこない。
 ならばキャメロン本人を知る人間がいないか調べてみても、これもまったく情報が出てこない。様々な手は尽くしているはずなのだが、彼女に関する身辺調査はふりだしから一歩も動けていないのだ。ワイモンドをもってしてもここまで真相が秘匿されているとなると、どうしても何者かの存在を疑わずにはいられなかった。
 ――あの双子の記憶喪失は霊災の後遺症ではなく、誰かが意図的に行ったものである。
 そうは思えど何を何処から疑ったらいいのかわからずお手上げ状態だったが、先程の弟との会話で情報屋の勘が働いた。
 そう、姉の家出のきっかけにもなった引きこもりの兄の存在だ。
 被災したならその後の生活を立て直すだけでも苦労したであろうに、妹弟を顧みずに研究に没頭して、文献研究に傾倒できるほど金銭的な余裕もあるらしい。今までにも似たような愚痴は姉の方から聞かされていたはずなのに、どうして思い当たらなかったのだろうか。彼らの記憶喪失に関わっているのは、恐らく――
「!」
 リンクパールの着信音に、びくりと肩が震えた。
 着信元は今今の仕事の依頼主であるハンコックで、そういえば経過報告が滞っていた、と思考を切り替えて着信に応答した。
「すまない、報告が遅れたな」
「いえいえ。そちらはちょうどお祭りの最中だと聞いていマス。人ごみを抜けるだけでも苦労したでしょう?」
「ああ。でも安心しな、仕事はしっかり終わらせてきた」
「それはそれは、さすがデスネ!」
 こちらの成果を聞いて大喜びするのが白々しいな、と毎度のことだが思ってしまう。
 ちょうどライディングの搭乗口に来たことだし、このままクガネへ直行してさっさと報告を済ませてしまう方がいいかもしれない。それにハンコックは、かつてストリートチルドレンだった頃に古書のせどりをしていたこともある。東方文化趣味に傾いた今でも書籍や文献への知識は明るいだろうし、彼に協力を仰ぐことで、南ザナラーンに引きこもっているらしい謎の錬金術研究家の尻尾が掴めるかもしれない。
「今からそっちに飛んで詳細を報告したいんだが、都合はつけられるか?」
「この後は商談が入ってしまっていますが…お待ちいただけるならば、今夜遅くにどうでしょう」
「構わない。その代わり、アンタのところに泊めてくれるか?」
「もちろんデス!では、お待ちしておりますネ」


   ◆◇◆


 ウルダハ商館に着いたワイモンドは、今夜の宿兼応接室になる部屋へと案内されていた。もう何度も足を運んでいる商館だが、ふと、通路の突き当りにある最奥の部屋の扉が閉まっていることに気付いて足を止める。
「いかがしましたか?」
「…いや、」
 使われる機会が限られているという最奥の部屋が、殊更な事情がある要人と商談をするための部屋だということは知っている。いつもは扉を解放して室内に飾っている調度品を見せているのだが、その扉が閉まっているのを見るのはワイモンドも初めてだった。
「あの奥の部屋、閉まってるのは初めて見たと思ってな」
「左様でございますか」
 さすがにロロリト傘下の組織の人間ということもあり、使用人は余計なことは話さずワイモンドへ先に進むように促した。聞いて答えが返ってくるとは思っていないので、ワイモンドもそれに続く。
 暁の活動拠点にも使われる商館の防諜処置は完璧なため、ワイモンドが小細工を仕掛けたところで他の部屋の会話を盗み聞くことは不可能だ。もちろん、商館の人間の案内なしで自由に室外へ出歩くこともできない。ハンコックの商談が終わるまでは何もできないので、ワイモンドは取材手帳を見返しながら大人しく待つことにした。

「お待たせしまシタ」
 扉が開く気配と共に、ハンコックがその身を室内へ滑り込ませてきた。先程までの商談が終わってから休みなしでこちらへ来たのか、珍しく少しだけ息が上がっている。
「どうせ今夜は泊まりだし、そんなに急がなくても大丈夫だぜ?」
「いえいえ!商談は早いに越したことはありません。勝敗は早さと速さが別つ、とウルダハでもよく聞くでしょう?」
 ハンコックが相向かいに座ったので、ワイモンドもそのまま今回の依頼についての説明を始めた。
 一通りの説明を受けたハンコックは、とっていたメモを見返して何やら嬉しそうに口元を緩ませている。ワイモンドには判断しかねるが、商売人の目から見れば今回の情報だけでも十分に利益が出る絵図が描けるということだろうか。
「想定以上の内容デス。これならロロリトも喜ぶでしょう」
「そいつはよかった」
「報酬にも少し色をつけさせましょう。では食事の用意をさせますので、私はこれで…」
「ああ、いや。待ってくれ」
 商談を終え部屋を出ようとするハンコックを、ワイモンドが手を上げて静止した。
 ハンコックは半端に腰を上げた姿勢できょとんとして、またゆっくりと腰を下ろす。
「いかがしましたか?」
「悪いな。ここからは、俺がアンタに聞きたいことがあるんだ」
 ワイモンドにとっては、むしろ今からが本題だ。
 ハンコックから情報を買ったり仕事の協力を依頼することは珍しいことではないので、ハンコックも「なるほど」と居住まいを正す。
「アンタ昔、せどりでいろいろ古書を読み漁っていただろ?その方面でちょいと、調べたいことがあってな」
「ふふっ…それはまた、随分と昔の話を」
「ウルダハにいたなら、錬金術関係の文献もそれなりに多かったはずだ。アンタが悪ガキやってた時代の話でいいから、錬金術の文献をよく買い取っていたお得意様がいたなら教えてほしいんだ」
 ぐっ、と。ワイモンドが組んだ両手に力を込める。
「どんな些細な情報でも構わない。教えてくれるなら、今回の仕事の報酬そっくりそのままアンタの個人口座に振り込んでやる」
「…………」
 黒と赤のレンズ越しに、二人の視線が確かに火花を散らした。ハンコックがこうも鋭い眼光になるのは珍しい。ワイモンドが提示した情報の価値に、只事ではないと察してそのよく回る頭で考えを巡らせているのだろう。
 ハンコックがせどりをやっていた子供の頃と今とでは時間が開きすぎているので、直接的な足がかりを得るのは難しい。だがかつて錬金術の文献を収集していたであろう人間を突き止め、そこから文献の足取りを追って行けば、そのどこかにワイモンドの狙う標的はいるはずだ。これまで五年以上かけても掴めなかった情報への足がかりになるのなら、多少の金銭は惜しくない。
 自分でも、どうしてここまで彼女のバックボーンに執着してしまうのかわからない。
 でもこれは、きっと情報屋としての意地なのだと思う。
 自ら危うきに近寄らなかった事案以外のすべてを調べ上げて明るみにしてきた自分の情報網をもってして、五年かけても突き止められない真実がある。そこまでの手練れがキャメロンの記憶に手をかけた理由や経緯を知りたい。あの冒険者に自分がまだ知らない側面があるなら、それもすべて明らかにしたい。厳重に隠されるほど、その情報の価値は跳ね上がる。
「……そこまでの条件提示、余程お困りみたいですネ」
 たっぷりの沈黙の後、ハンコックから先に口を開いた。瞬き一つで眼光の鋭さは消え、いつもの、あの薄っぺらな番頭の仮面をつけてにっこりと微笑んでいる。
「私ではお力になれそうにありません。デスガ、その筋の事情に詳しい方なら紹介できそうデス」
「本当か?」
 商談においてハンコックはけして嘘を吐かない。嫌味なほどに誠実で、清々と物事を進めて、その裏で思いがけない利益を生み出しているような男だ。だからこの場でのハンコックの言葉には、信用がある。けしてワイモンドの損になるような運びは選ばない。それがわかっているので、ワイモンドは思わず身を乗り出してしまった。そんなワイモンドの反応にハンコックが笑いをこぼす。
「実は、先程までお話していたお客様がまさに、錬金術関係の商材を扱う方なのデス!まだお部屋で休んでいますので、今からお呼びしましょう」
「悪いな。先方の都合が悪かったら、日を改めてもいいと伝えてくれ」
「いえいえ、きっと貴方の話を聞けば会ってくれますヨ。長い話になりそうなので、先にお茶を淹れておきましょうか」
 ワイモンドのことは座らせたまま、ハンコックが慣れた手つきで応接用の緑茶を用意する。エオルゼアではあまり見慣れない急須で湯呑み茶碗に注いだそれをワイモンドの前とその対面に置き、ハンコックは部屋に入ってきたときとは変わってしずしずと退席した。
 ハンコックのあの態度からして、呼びに行ったのは恐らく最奥の応接室を使用している要人だろう。よもやいきなり大きな山を引き当てられるとは思わず、気持ちを落ちつかせるためにワイモンドは出された緑茶を舐めて喉の渇きを潤した。
「…?」
 湯呑みを口元から離す一瞬、ふわり、と妙な香りが鼻腔をくすぐった。緑茶に馴染みがないワイモンドでも茶葉の甘みを感じられたので、上客向けの高級なものを出されたのだろうか。
 否、そうではない。あの香りは茶葉のそれではなく、初めて嗅いだ匂いのはずなのに、嗅覚が以前にもどこかで感じたはずだと脳に訴えかけてくる。デジャヴなんて体験は滅多にしないのに妙な心地だ。
 そんなことを考えていると、こんこん、とハンコックの戻りを知らせるノックが聞こえた。勿体ぶるようにゆっくりと扉が開かれ、ハンコックが頭を下げているその奥、通路に落ちた影の中に誰かが立っていた。背格好はあまり大きくなく、部屋の明かりで照らされた足元で揺れる白衣の裾が眩しい。
「どうぞ、中へ」
 頭を下げたままのハンコックが入室を促す。ワイモンドがじっと見守る中、白衣のその人物がゆっくりと影の中から姿を現した。
 毛並みは夜空より深い濃藍に月光が差すような金のメッシュ、若々しい顔つきに不釣り合いな顎髭を蓄え、眼鏡の奥に光るアンバーの眸、如何にもと着飾った白衣姿の――珍しい香りの煙草を咥えた、サンシーカー族の男。
「――――」

――自分は、この男を知っている。

「その表情、フラッシュバックで俺のこと思い出した?」
「お前…!」
 思わず応接ソファから立ち上がって男を睨みつける。対する男は、ゆったりと煙草を吹かしながらワイモンドの対面へ腰を下ろした。そのすぐ前にハンコックが慣れた様子で灰皿を置き、男も当然という素振りで灰皿に煙草を置く。
 知っているのだ、この男を。
 ある時は酒場で火を貸した飲み仲間、ある時は情報を買い付けるためにパールレーンへ呼び出した客、ある時はゴールドソーサーで雀卓を囲んだ相手…――今までに何度もカメリアに話しかけられて、そのたびに記憶が飛んで、これで一体何度目だ。
「…っ?」
 ぐらり、と眩暈で体が傾いた。倒れ込みそうになったところをローテーブルに手をついて支え、片膝をついてカメリアを睨み上げる。
「さっきの茶か…それとも、アンタのその煙草の煙か…?」
 急激な体の怠さと眠気は、すでに目の前の男に一服盛られている証拠だ。錬金術師らしい相手に仕掛けられるとすれば、手段はどちらもあり得る。眠気に抗っていると、今度は全身からどっと冷や汗が吹き出した。よもや毒を盛られたか。せめて倒れた拍子に頭を打ち付けまいと、ワイモンドは重い体をなんとかソファに戻した。
 目線が合ったカメリアは「どっちだと思う?」とニヤついている。
「ほんとにしつこいねぇ、アンタ。そんなにお嬢のことが好きなら、いっそウチに来る?」
「何の話だ…っ」
「ま、こんなことしてるのがバレたら俺がお嬢に殺されちまうし、ぱぱっと済ませちゃいますかっと」
 体の次は、思考まで鈍くなっている。カメリアが呼ぶ「お嬢」という言葉が引っかかって、それがキャメロンのことを指しているらしいとようやく思い至る頃には、ワイモンドの体は鉛のように重くなって動かなくなっていた。ソファの背もたれに全身を預けて、座らない首で天井を見上げることしかできない。
 ラテックスグローブをはめているらしい音と、かちゃかちゃと小さな器具をいじっている音。いつの間にか隣に控えていたハンコックに腕の裾をまくり上げられ、腕の内側を脱脂綿で消毒されているのがわかった。
「ハッ…毒殺相手に消毒とは、随分とご丁寧なこった」
「うーん、毒殺できるなら俺もそっちが楽なんだけどねぇ」
 カメリアが立ち上がって注射の空気抜きをするので、嫌でもこれから自分の体に打たれるものが見えてしまった。とても人体に入れて無事だとは思えない、淡く発光した液体。錬金術と魔術の素人であるワイモンドから見ても、それがまともな薬剤でないことは明らかだった。
 準備を終えたカメリアがハンコックと入れ替わるようにワイモンドの隣に膝をつき、だらりと垂れ下がったままの腕をとる。抵抗しようと思ってできるものではないので為されるがままになるしかない。それでも、唯一自由が利く口で奥歯を噛みしめた。
「……覚えていろよ、」
 噛みしめた奥歯のそのさらに奥から、怒りに震える声を絞り出す。気付いたカメリアは肌に当てていた注射針の先端を離して、興味深そうにワイモンドの顔を覗き込んだ。
「妙なこと言うね。これから全部忘れちゃうのに」
「ああ、俺の記憶からは消えちまうだろさ。だから、俺の目と耳と、鼻と…俺の体、全身に言っているんだよ」
 ぴくり、とカメリアが眉を顰める。
 その怪訝そうな表情が拝めただけでも十分だった。
「よーく聞けよ、クソッタレ錬金術師。情報屋ってのはな、目で見て、耳で聞いて、足で調べて、手で記して商売してんだよ。お前が何度俺の頭から記憶を飛ばそうが、この体がある限り、同じ情報を追ったことを肉体が覚えているんだ」
 だから、茶葉の甘い香りに隠された妙な匂いに違和感を覚えた。錬金術というキーワードがトリガーになってここまで辿りつけた。ざまあ見ろ、と冷や汗がまだ引かない蒼白な顔面で笑って見せる。
「次は絶対に…その可愛い尻尾を掴んで縛り上げて、あいつらが忘れた記憶も洗いざらい吐いてもらうからな」
「あいつら…?ああ、お嬢と坊か」
 なるほどね、とぼやいてカメリアが再びワイモンドの腕をとる。意識が朦朧として、視界も急にぼやけてきた。それでも注射針を刺され薬物を入れられる痛みを忘れまいと、鈍くなりつつある感覚を腕に集中させる。
 ぼやけた視界は次第に暗くなってきた。サングラスが外されて、代わりにカメリアの掌が瞼を覆えば、もう何も見えない。聴覚だけが辛うじて生きている。
「おやすみ、情報屋さん。できれば次は、婿養子にでもなって会いに来てくれると嬉しいな」
 馬鹿なことを言うんじゃない。
 そう言い返してやりたいと思いながら、ワイモンドの意識は泥の中へと落ちていった。


「……本当に。そんなにお嬢が大事なら、腹くくってウチに来るか、俺達から逃げきってみせてよ」
 カメリアの呟きを、部屋の奥に控えていたハンコックだけが聞いていた。




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