短編まとめ



 処、東アルデナード商会クガネ支店。
 番頭のハンコックは建物最奥にある応接間に入ると、丁寧に身を返してから両手でゆっくりと扉を閉じる。どれだけ静かに動かしても重厚な扉は重い音を立て、鍵を締める音もまた、長い廊下の外で遠慮を知らぬように響いた。
 普段はあまり使われない部屋――取引先のプライバシー厳守を絶対とするこの商館において、殊更に訳ありの客人をもてなすための一室だ。鍵を締めたハンコックは室内を振り返ると、赤みがかったサングラスの下でにっこりと目を細めた。
「お待たせしまシタ、カメリアさん」
 ハンコックが深く頭を下げた先、応接椅子でくつろいでいたミコッテ族の男の耳がぴくりと揺れた。毛並みは夜空より深い濃藍に月光が差すような金のメッシュ、若々しい顔つきに不釣り合いな顎髭を蓄え、眼鏡の奥に光るアンバーの眸、如何にもと着飾った白衣姿。カメリアと呼ばれた客人は、この最奥の一室に招かれるに相応しい事情を抱えた男である。
「いや、いいんだ。アポ無しで来たのはこっちだからな」
「帝国と三国の緊張が続いている中、よくこちらへ渡航できましたネ?」
「こんなご時世でも、商業船の行き来なら多少はあるからな」
 ハンコックが相向かいに腰掛けながら灰皿をテーブルへ置くと、カメリアが懐から煙草を取り出して火を点ける。吐き出した紫煙に隠そうとした溜息と憂い気な目の色を、商人であるハンコックの瞳は見逃さなかった。

 時に1577年、ガイウス・ヴァン・バエサル率いる帝国軍とウルダハ、グリダニア、リムサ・ロミンサ三国の軍事的緊張は、「暁の血盟」襲撃を受けて急激に高まっていた。
 そんな折に、ウルダハから更に南の孤島でひっそりと研究をしている錬金術師が、わざわざリムサ・ロミンサからの定期船に乗ってまでクガネにやって来た。
 ただでさえ訳ありの客人が、念には念を入れて対面での話を申し出ているとなれば、その事情は推し測るまでもなくトップシークレットであろう。穏やかな態度のまま出方を待つハンコックに、カメリアは何度か煙草を味わってから話を切り出した。
「アンタを信用して、話しておきたいことがある」
「それは、御当家の四代目がご存命であること以上のご事情ですカ?」
 ハンコックが軽く繰り出したジャブを、カメリアは真っ向から受けて眼光を鋭くする。
 サンシーカー族の瞳孔が更に鋭くなり、ハンコックは肩をすくめた。
「オォ〜、これはこれは…申し訳ございません」
 わかりやすい言葉にここまで反応するのだから、本当に余程の事情なのだろう。
 ハンコックは薄っぺらい番頭の仮面を外し、真摯な態度で改めてカメリアに向き直る。
「失礼致しました。余程のご事情とお見受けしマス」
「…ウチの当主に妹がいるって話、覚えているか」
「ええ」
「その妹…ウチのお嬢がな、今話題の暁の冒険者として登録されちまってるんだよ。それだけじゃなくて、ウルダハのグランドカンパニーにまで入っている」
 カメリアはそこで言葉を区切り、煙草を大きく吸い込む。ゆっくり吐き出される煙の向こうで、ハンコックが「それはそれは…」と小さく笑いを溢した。
「今まさに、さぞご活躍のことでしょう。三国グランドカンパニーと暁の冒険者達といえば、帝国軍との決戦に向けてモードゥナへ結集しているとの噂、こちらまで届いてマスよ」
「ま、ぶっちゃけそっちで暴れるのは存分にやってくれって感じなんだけどさ」
「おや、」
 カメリアの憂いの原因は、ハンコックの想像とは違うらしい。当家の大切な令嬢が最前線で戦う以上の事情とは一体、何なのか。顎に手を当て首を傾げたハンコックに、カメリアは煙の向こうで心底面倒くさそうな表情を見せた。
「問題は、お嬢がいっぱしの冒険者になる前から懐いてる男だよ。ウルダハであちこち使いっ走りやってる時期から目をかけられてたみたいで、随分とご執心でな」
「それは…どちらが?」
「お嬢が。……と言いたいところだが、たぶん男の方もだ」
 カメリアは最後に大きく一息吸い、短くなった煙草を灰皿で潰すとそのまますぐに二本目を口に咥える。新しいそれに火を点けてから身を乗り出してきたので、ハンコックも額を寄せるように上体を前へと屈めた。
 煙草の濃い香りが鼻腔を擽る中、カメリアがようやく本題を切り出す。
「なあ、アンタ…――ワイモンド、って名前のウルダハの情報屋と繋がってるだろ?」


   ◆◇◆


 ワイモンドは、はっとして目を覚ました。
 仰向けで見上げた天井は見慣れないもの――ということはなく、拠点の一つとしてよく利用しているクイックサンドのものだ。大きな窓からは燦々と陽射しが差し込み、それだけでもう陽が随分と高いことがわかる。自分はいつの間に寝てしまったのだろうか。
 昨夜の記憶がぼんやりとしていて、上体を起こそうとすると二日酔いのような気怠さと頭の重さに襲われた。飲みすぎたのか?そもそも飲み屋に行ったかの記憶も曖昧だ。記憶を辿ろうと、服を探り命よりも大切な取材手帳を取り出してめくった。
 情報屋という仕事柄なので手帳は持っているものの、得た情報は一昼夜で頭に入れて覚えた先からページを破って燃やしている。今の手帳は半分ほどページがむしり取られていて、残っていたのは一ヶ月ほど前から追っている某家の私生児に関する足がかりだった。その情報も寝起きの頭に叩き込んで、該当ページを破くとマッチで火を点けて灰皿の上で燃やした。
 そうだ、ここ数日はこの足がかりを掴むためにわざわざイシュガルドまで足を運んでいた。イシュガルドの鎖国が解かれてからはその方面で仕事を請け負うことも多くなり、エマネランの伝手を頼る機会が増えている。滞在中に一度だけ顔を合わせたエマネランは、ワイモンドの顔を見ると愉快そうに肩を組んで近況を訪ねてきた。
「――よう、あれから俺の相棒…英雄様は元気にしてるか?よくウルダハにいるんだろ?」


「…………」
 英雄――暁に所属する冒険者は数多いが、今回の文脈で指すのはたった一人だ。
 その冒険者の姿が頭を過ぎった途端、ワイモンドの頭が割れるように痛んだ。
「ッ…!」
 ズキン、と側頭部が痛む。記憶も曖昧だし、昨夜は随分と酒で粗相をしたのもしれない。例え酒が入っても仕事の情報は忘れないので、おそらく完全なプライベートだ。慣れないイシュガルドに滞在していたので、ウルダハで飲んだことでいつも以上に気が緩んでいたのかもしれない。
「くそ…何か腹に入れるか」
 着替えてあくび混じりに階段を下りていくと、酒場に顔を出したところでモモディから声をかけられた。
「あら、おはよう。随分とお寝坊さんね」
「昨日までずっと外回りしてたもんでね、思ってたより疲れが溜まっていたらしい」
「ふふっ、だから昨日はあんなに酔っていたのね」
 ワイモンドがカウンターに腰掛けると、何を言わずとも二日酔いに効果があるハーブティが出された。ありがたく一口啜って、多少回り始めた頭で昨夜のことを尋ねる。
「昨日の俺、そんなに酷かった?」
「覚えていないの?」
「覚えていたら聞かないだろ」
「あらあら、酒に呑まれても記憶は飛ばさない貴方が本当に珍しいわ。部屋へ上げる前にキャメを呼べばよかった」
「それは本当にやめてくれ」
 キャメというのは、先程思い返していたエマネランとの会話に出てきた冒険者の名前だ。
 キャメロン――今や暁の英雄に数えられる一人にして、ウルダハ所属グランドカンパニー不滅隊の大闘士だが、ワイモンドとはそんな大層な肩書を持つ前からの付き合いだ。
 出会ったのは彼女がまだ十二の頃で、南ザナラーンの田舎から来たという見るからに「おのぼりさん」な少女へ、ウルダハで最初に声をかけたのがワイモンドだった。老若男女関わらずカモにされるこの都市で、物珍しそうに辺りを見渡すキャメロンの姿はあまりにも危なっかしくて見ていられなかったのだ。
 腕っぷしで稼ぎたいという彼女をクイックサンドへ案内し、ついでにこの街のいろはも教えてやり、あちこち使いっ走りで駆け回るのを見かけるたびに挨拶を交わしていたら、いつの間にか懐かれてしまった。後の英雄殿へ思いがけず駆け出しの頃から唾をつけておけたのは僥倖だったが、エオルゼア中に名が知れ渡った今でも臆面なく好意を向けられるので、情報屋の身としては少々手を焼いている。
「あいつのことはいいから、昨日の俺の醜態について聞かせてくれよ」
 ハーブティを飲み干したマグカップを返し、じと、とモモディを見つめる。百戦錬磨の女将は動じる様子もなく、軽食を用意しながら「はいはい」と話を続けた。
「コッファー&コフィンのロジャーさんがいるでしょう?あの人がわざわざチョコボキャリッジを呼んで、ウチまで担いできてくれたのよ」
「じゃあ俺、昨日はあそこで飲んでたのか」
「やだ、それも覚えてないの?貴方、情報屋さんなんだから、いくらプライベートでも気をつけなきゃ駄目じゃない」
「んー…」
 そう言われてみれば、コッファー&コフィンで飲んでいた気がする。疲れを癒やしたくて一人で飲んでいたら、後から来た客に煙草の火を貸してほしいと声をかけられた。
 確かミコッテ族の男で、彼が吸う煙草の香りが珍しいものだったので気になったワイモンドが今度は声をかけて、そこから二人で飲み始めた気がする。恋人はいるのかと聞かれて、女の好みの話で盛り上がって、その後のことはよく覚えていない。飲ませ上手な相手だったらしい。
 自白剤やその手の薬は飲まされても吐くように体が覚えているし、手帳の走り書きは誰にも解読できない潰れた筆跡を使っている。泥酔するまで飲まされたところで金を払われなければ、頭の中に入っている情報は例え一文字でも漏らさない。自身の目と耳と体で刻んだ記憶は、ワイモンドの商売道具そのものだからだ。
 だからその点は心配していないのだが、それでも記憶が飛ぶのは珍しいことだしすっきりしないので、クイックサンドを出たワイモンドはそのままコッファー&コフィンへ向かった。
「よう店長、昨日は迷惑かけたな」
「おう。…っと、酷い顔だな。二日酔いかい?」
 顔を見せたワイモンドを見るなり、ロジャーは顔をしかめて水を差し出してきた。そんなに酷い顔色なのか。席には座らず立ち飲みで水を呷るワイモンドにロジャーは苦笑した。
「その様子じゃ、昨日の記憶がなくて心配になってきた、ってところか」
「うるせえ」
「安心しな。男同士の下世話な話で盛り上がって、そのままお前がすぐに潰れてお開きになってたよ」
 憎まれ口を叩いたものの、ワイモンドはロジャーの言葉を聞いてほっと胸を撫で下ろしていた。クイックサンドで軽く食事をしたこともあり、怠かった体も少しずつ調子を戻し始めている。ロジャーとしばらく世間話をしてからワイモンドが店を出ると、ザナラーンの景色はすっかりオレンジ色に染まっていた。寝起きが遅いと一日が随分と短くなってしまうものだ。今日はこのままのんびり過ごしてしまおうと決め込み、再びクイックサンドへと戻ると、日中と打って変わって飲みに集まる冒険者でフロアが賑わっていた。
 そんな喧噪の中でも頭一つ飛び出た金髪を見つけて、ワイモンドは「お、」と声を漏らす。死角から近づいてぽんと腰を叩くと、当人は「うわっ」と小さく体を跳ねさせてから後方を見下ろしてきた。
「…よう。その姿で会うのは久しぶりだな、キャメロン」
 ワイモンドが声をかけた相手は、彼の冒険者キャメロン――が、訳あって稀に表に出している彼女の影武者だ。本来ララフェル族の女子である本人に対してアウラ族の青年を「影武者」と呼ぶのは妙な話だが、立場としては同じようなものである。
 青年キャメロンことカムイル(尤も、ワイモンドは彼の本名を知らないが)はワイモンドの顔を見ると安堵したように息を吐き、二人はそのまま飲み物を手にフロアの隅へと向かう。喧噪に紛れて会話が聞こえない場所まで移動したところで、カムイルがワイモンドへ顔を寄せて口を開く。
「急に声かけないでよ、危うく素に戻るところだった」
「悪い悪い。なんなら俺の部屋に来るか?」
「…それバレたらおきゃめに怒られるの俺なんだけど」
 本人同士の立場としては彼が「弟」らしく、「姉」には逆らえないらしい。押しが強い姉と気が弱い弟のやりとりは想像に難くなく、ワイモンドは笑いをこぼしながらジョッキの中の酒を呷る。その間にもカムイルは何人かの新米冒険者からキャメロン本人として声をかけられていて、見事に姉そっくりの受け答えで彼らに応えている。だがそれをやり過ごすと、ワイモンドだけに聞こえる声量で「はぁー…」と溜息を吐いた。
「やっぱりその姿でいると目立つな、部屋に上がろうぜ」
「賛成」
 ワイモンドが連泊している部屋に入って二人きりになると、影武者をする必要がなくなったカムイルは肩の力を抜くように一息つく。そんなに窮屈なら影武者システムなんて止めてしまえばいいのに、それをおくびにも出さず姉のふりをしてみせるのは見事なものだ、とワイモンドはいつも感心してしまう。
「今回はまた急だったな。最後に会ったときは姉貴だった気がするんだが…」
「あー…うん、ちょっとね…俺がやりたいことあって、五日くらい変わってもらったんだ」
 ワイモンドの情報網の限りでは、暁の血盟の賢人達を除けば、二人の入れ替わりを見破っているのは三人だけだ。ひんがしの紅玉海を牛耳る海賊衆の頭領と副頭領、そして東アルデナード商会クガネ支店番頭のハンコック。ハンコックについては商館を暁の拠点として提供した関係で知っているのかもしれないが、海賊衆の二人は本人達を見て違いを見破ったらしいので、随分と本人達に対する観察眼が鋭いらしい。或いは、姉弟のどちらかが彼らに隙を見せるほど心を許しているということか。
 ではワイモンドはどうだったのかと言えば、なまじ姉の方の面倒を見ていたおかげか、初めて弟を見た時点で別人だということに気づいた。初対面での挨拶は姉そのものの見事なトレースだったのだが、幻想薬を割っただけでは通用しない、おそらくワイモンドでなければ気付かないであろう微妙な違和感があったのだ。何やら事情がありそうだったので紙にメモしてそのことを指摘すると、渡したメモに「マジか」と書き加えて突き返してきた。それ以来、カムイルはワイモンドと二人きりのときは素の態度を出している。
「ワイモンド、俺がこっち来てからずっとウルダハにいなかったでしょ」
「ああ、ちょいと仕事で外回りしていてな。お前らの入れ替わりとすれ違ったのかもしれない」
「なるほどね」
 そういえば、イシュガルドへ向かう前にもどこかに足を運んでいた気がする。
 基本的には独自の情報網を使ってウルダハから動かさずに商売道具を仕入れているワイモンドだが、時には自分の足で情報を集めたり、その出所を確かめることもある。
 今回も遠出を一度に済ませてしまおうと思って、イシュガルドへ向かう前にアポがとれた相手の話を聞きに行った気がするのだが、なんだか記憶が曖昧だ。
 仕事のことならすべて記憶に残っている。おざなりになるのはいつだって私生活の人間関係だから、まあ誰かのところへ遊びに行ったのだろうが、ひと月も経っていないはずなのに詳細が思い出せない。わざわざ遠出までしたのに、それとも今朝はっと目が覚める前に見ていた夢がそんな内容だったのだろうか。
「……ワイモンド?」
 声をかけられ、思考が現実へ引き戻される。しばらく呆けていたのか、しゃがみ込んだカムイルが心配そうな表情でワイモンドの顔色を窺っていた。
「なんかぼーっとしてたけど、大丈夫?」
「…悪い。二日酔いがまだ治ってないみたいだ」
「二日酔い!?迎え酒してないでさっさと治しなよ!」
 言うが早い。代行とはいえ英雄稼業をやっているだけのことはあり、カムイルはワイモンドが拒否するよりも早くジョッキグラスを取り上げると、それをテーブルの端へ片付けてワイモンドを強引にベッドへ引きずった。ヒューランとアウラの体格差、ましてや情報屋と英雄殿では力は比べるまでもなく、ワイモンドは大人しくベッドへ連行された。
 カムイルはなされるがまま身を任せるワイモンドの肩の上まで丁寧に布団をかけ、枕元に小さなポーション瓶を置いて立ち上がる。
「それ、昨日ひんがしの海賊衆の宴会用につくった二日酔い解消薬の余り。飲めば治りが早いし、明日にはおきゃめが戻ってくるから、ちゃんと復活して会ってあげてね」
「お前またあの海賊衆のところ行ってたのか。相手もう三十八だろ、搾り取る気か?」
「俺のことはどうでもいいから!あと今回は忙しすぎてそんな暇なかった!」
 こういうときの怒り方は素でも姉貴にそっくりだな、と呑気な感想を抱いている間にも、カムイルは二人分のジョッキを片付けて部屋の扉の前まで歩いて行ってしまう。だがすぐには部屋を出て行かず、何か思い出したようなそぶりで寝かされたままのワイモンドを振り返った。
「…なあ、答えられないなら教えてくれなくてもいいんだけどさ」
「うん?」
 何やら神妙な声色なので、ワイモンドは少し上体を起こすと手枕でカムイルの顔を見る。言い出しにくいことなのか、渋い顔をしたまま言葉を選んでいる。それが妙にじれったくて、ワイモンドは「何だよ」と先を促した。
「いや、俺の勘違いなのかもしれないけど……えーっと…」
「つまんねえ質問なら情報量で金とるぞ」
「ほんとにがめついなアンタ!」
「で、何が聞きたいんだ」
 再度促され、カムイルは諦めたように居直る。室内灯を反射する眼鏡のフレームがきらりと光って、レンズの向こう側に見えるエメラルドグリーンの瞳が曇っているのがかえって強調された。
「…ワイモンドさ、外回りってどこに行っていたの?誰かに会ったりした?」
「そりゃ答えられない質問だ」
「そっか…そうだよな…」
「……何だよ、歯切れが悪いな」
 情報屋に対して、何処で誰と会っていたか聞いて素直に答えが返ってくるはずがない。
 そんなことはわかりきっているはずなのに、カムイルはまだ何か言いたげな表情をしている。どうにも普通ではない様子にワイモンドはベッドから出ようと手をついたが、それと同時にカムイルが告げた言葉に思わず身を固くした。
「さっきベッドに運んだときに、少しだけ感じたんだよ……――俺の師匠のエーテルが作用した残滓を」


   ◆◇◆


 記憶の欠如が、気持ち悪い。ピースは一つも欠けずにパズルが完成しているのに「足りない」と感じるような奇妙な感覚で、では何が「足りない」のかと考えようとするたびに、頭がぐらぐらと揺れてそれを拒む。
「なんだ、これは…」
 これは本当に、ただの二日酔いなのか。それとも――カムイルが去った部屋で、ワイモンドはベッドに腰かけたまま、くしゃりと自身の頭髪を掴んでうなだれた。
 前にもこんなことがあったような気がする。否、そんなはずはない。情報屋として、自らが収集しインプットした記憶を商売道具とするこの俺が、不自然な記憶の欠落を起こすはずがない。
 だが、本当に、本当に記憶の欠落は起きていないのか?
 欠落して感知できない記憶に対して、どうしてその存在を否定することが出来ようか。
 情報屋として仕事を始めてからこんなことは一度も起きたことがないのに、以前にも経験したような感覚が、どこかにある。目が、耳が、体がデジャヴを起こして、脳が記憶している情報との齟齬に酔いそうになる。
 手帳を見返したところで意味はない。書き留めた情報は一昼夜で頭に入れて、不要なページから破って燃やしているからだ。だが、もしも、その破いて燃やしてしまったページの中に「何か」があったのだとしたら――それを書き留めたことがある、と。ペンを走らせた手の感覚がワイモンド自身に訴えてくる。
「……くそっ、」
 眠れなくなった。ワイモンドは勢いよくベッドを飛び出すと、歓楽で賑わう酒場を抜けて政庁層直通のエレベータへ駆け込んだ。夜も更けて静かなレッドカーペットの上を走って向かうのは、フロンデール歩廊の先にある錬金術師ギルド。朝も夜もなく明かりの絶えないギルドの扉を勢いよく開けると、間髪入れずにギルドマスターの舌打ちが聞こえてきた。
「煩いぞ、情報屋。貴様の金にはならんこの場へ何用だ」
「アンタに聞きたいことがある」
 また舌打ちが一つ。セヴェリアンは緩慢な動きで顕微鏡をのぞき込んでいた顔を上げると、開いた扉に手をついたまま荒い息を整えているワイモンドを嫌そうな表情で迎えた。
「貴様の商売道具になるようなことは何も話さんぞ」
「いいや、もっとシンプルな話だよ…なあアンタ、最近俺に会ったか?」
 ワイモンドの質問に、セヴェリアンが不機嫌そうに肩眉を上げた。「なんだその間抜けな質問は」と口より雄弁に顔で語るので、ワイモンドは息を整えながら続ける。
「少し前にアンタの助手と世間話をしていてな、師匠の…つまり、アンタのエーテルが作用した残滓を感じると言われたんだ。だが生憎、俺は酒のせいで昨夜の記憶が曖昧でね。酔って記憶がない間に粗相をしていないか確認したいんだ」
「私に何人の助手がいると思っているのだ。…と言いたいところだが、貴様が言うのだからあの、急に大きくなったり小さくなったりする幻想薬中毒の助手のことだな?」
 要するに、キャメロンのことだ。頷くワイモンドに、こちらへ来い、とセヴェリアンが気だるげに手招きする。
「先に言っておくが、貴様とはここ数ヶ月顔を合わせていないぞ。だが錬金術師のエーテルというものは、自身が製作したものに自然と定着するものだ。例え当人同士に接触がなくとも、製作したものが対象者に作用すればその残滓が残ることもあるだろう」
「なるほどな」
「とは言え、そのエーテルは通常見分けられるものではない。そして私が製作した錬金材が貴様を対象に使用されることもあり得ないだろう」
 階段を下りてすぐ近くまで来たワイモンドへ、セヴェリアンは何も告げずいきなり謎の粉末をふりかけた。「うわっ」とワイモンドが顔を腕で庇ったのと、ふりかけられた粉末がほのかに色づいたのは一瞬の出来事だった。一体何をやられたのかわからず怪訝な顔をするワイモンドに構わず、セヴェリアンは「ふむ」と顎を指で撫でる。
「これ程までに僅かな残滓しか残さないとは、なかなか用心深い……いや、優秀な錬金術師だな。呪術系の術式を重ねて使用して誤魔化しているのか?だとすれば、製作されたのは呪術の効力を高める薬品か、触媒となる呪具か。いや、特殊なインクに混ぜて書物を触媒にした可能性もあるな。植物交配の可能性もあるが、生物ではリスクが大きいか」
「おい、俺にもわかるように説明しろ」
「いや、すまん。あまりにも珍しいものだったのでな、つい興奮してしまった」
 本当に稀有な現象だったらしく、セヴェリアンにしては珍しく上機嫌で、言葉の端々に興奮が隠しきれていない。研究者の眼光のぎらつきと未知の現象にときめく表情をそのままに、セヴェリアンはワイモンドにもわかる次元へ話を戻した。
「結論から言うと、私のエーテルではないな。呪い事については私は門外漢だが、おそらく呪術を編み込むように混ぜることで製作者の痕跡が残りづらいようにしている」
「つまり?」
「喜べ、情報屋。貴様はおそらく、相当腕が立つ錬金術師と呪術士を敵に回して狙われているぞ」
「…………は?」
 情報屋という職業柄、自分をつけ狙う者が現れたことに驚きはしなかった。だが、その相手が引っかかる。錬金術師や呪術士を使ってワイモンドの記憶を飛ばした雇い主がいるのではなく、錬金術師または呪術士自身がワイモンドを狙っているとは、どういうことか。驚きよりも不服そうな表情を浮かべたワイモンドを見て、セヴェリアンは「不満なのか?」と肩をすくめる。
「一体何を仕掛けられたかまではわからんが、相手の実力は確かだ。それに雇われてやった仕事というよりも本人のプライドの高さを感じるな。その辺りの仕事をしている人間から恨みを買う覚えはあるか?」
「ない…………ことも、ない」
「だろうな。それにしても見事なものだ。ここまでの技術は、ジャヌバラームの錬金術師集団以来じゃないのか」
 ジャヌバラーム――その言葉を聞いてまた、ワイモンドの頭がズキンと痛んだ。
「……っ」
「どうした、具合でも悪いのか」
「いや、大丈夫だ…」
 ジャヌバラームといえば、第七霊災によって地図から消えた都市とそこに存在したとされる錬金術の研究集団、或いはそれらを統治していた一族の名前だ。今では口にする者こそ少ないものの、ウルダハに暮らす人々や商人であれば知らぬ者はいない。霊災後は一族の生き残り達が行商として各地を転々としているらしいと噂されているものの、情報屋界隈の中でも噂の真相を突き止めた人間は誰もいない。黄金都市を謳われた最盛期から滅亡後の現在に至るまで謎だらけの一族である。
「今の時代にジャヌバの名前がすぐ出てくるとは、さすが錬金術師だな」
「錬金術師なら誰もが一度は憧れた理想郷だからな。…ほら、面白いものを見せてもらった礼だ。受け取れ」
 そう言って、セヴェリアンは特製滋養薬が入った小瓶をワイモンドへ差し出した。カムイルにも二日酔い用の特効薬をもらったところだが、こちらの方が効力が強そうだ。
 受け取ってすぐに蓋を開けて中身を呷ったワイモンドに、セヴェリアンも満足そうな顔をする。
「ありがとよ、アンタのおかげで頭が冴えてきたぜ」
「それは何よりだ。もう二度と私の研究の邪魔をするなよ」
 空き瓶をセヴェリアンへ返して、ワイモンドは錬金術師ギルドを後にした。今夜はこのままクイックサンドへ戻るとして、明日から仕入れを始める新たな商材の目星がついた。
 今まで取り扱ってきた数々の情報の中でもかなり危険なものだ。いつものワイモンドなら危険を察して身を引くところだが、今は不思議と気分が高揚していて、明日から自分の前に立ちふさがるであろう難攻不落のターゲットを如何に攻め落としてやろうか、というスリルで胸が躍る。
「謎の一族、ジャヌバラーム家…どこへ逃げおおせたかは知らねえが、居場所を突き止めてやろうじゃねえか」
 そんなワイモンドの後ろ姿を、歩廊の影からじっと見つめているエレゼン族の男の姿があった。


   ◆◇◆


 翌日。
 ジャヌバラームについて調査を始めるにあたって、ワイモンドはまずアルダネス聖櫃堂へ向かった。祈りの場であると共に数多の蔵書を誇るこの場所で、まずは現在までに判明している情報の洗い出しを行うためだ。重厚な扉は信徒達のために開放されており、それを潜ろうとしたワイモンドは、受付嬢と親しげに話している人物に気づいて思わず足を止めた。
「げ、」
 まずい、と踵を返そうとしたが、それよりも早くこちらへ振り向くエメラルドグリーンの瞳。どうして俺の気配に限ってそんなに敏感なんだ、と諦めてウルダハの快晴を仰ぐワイモンドの足元へ、ララフェルの機敏な足音がばたばたと近づいてくる。
「ワイモンド!」
「おう、昨日ぶりだな」
 昨日会ったのは弟の方なのだが、事情を知っているので話を合わせてやる。
 正確には、キャメロン姉と会うのはそれこそ十日以上ぶりだ。
「ワイモンドがウチのギルドに来るなんて珍しいね、お仕事?」
「仕事だったとしても、はいそうです、なんて答えるわけないだろ。あんまり天気がいいからちょっと涼みに来たんだよ。もう帰る」
「まあまあ、そう言わずに」
 この小さな体のどこにそんな力があるんだ、という腕力でワイモンドのふくらはぎがぐいぐい引っ張られる。「転ぶからやめろ!」と首根っこを掴みあげて止めさせて、ワイモンドはそのままキャメロンを抱えて屋内へ入った。
 入口で騒いだせいか、それとも破壊の化身をぞんざいに運んでいるせいか、受付嬢の視線がいつも以上に痛い。入口すぐのテーブル席へキャメロンを下ろしてやり、自分もその向かいに座る。こうなっては取材どころではないので、仕事の邪魔をしてきた当人の話から聞くことにした。
「なあお前、出身は南ザナラーン方面だったよな」
「うん、一応ね。私の実家に挨拶に来てくれる気になった?」
「なってない」
 突拍子のないことを言い出した両頬を遠慮なく片手で掴んでやると、おちょぼ口にされたキャメロンに不服そうな目で睨まれた。
 ジャヌバラームはザナラーン南方に位置する小さな離島だった。当時まだ幼かっただろうが、南ザナラーン出身のキャメロンならジャヌバラームについて幼心に何か記憶がある可能性が高い。まだ栄えていた頃はどれほど潤った都市で、その滅亡はどのようなものだったのか。自分も他人のことは言えないが、あの未曾有の大災害の生き証人がいるというのは奇跡的なことだ。
「霊災の前に、ジャヌバラームって名前の小さな島があっただろ。行ったことはあるか?」
「んー…」
 手を離して開放してやると、キャメロンは遠い記憶を引き出そうとしているのか明後日の方向を見上げた。眉間に皺を寄せてうんうんと唸って、だがいくらも経たないうちに「ごめん」と首を横に降る。
「前にも話したけど…私、霊災のショックでその前の記憶がないの。思い出せそうか試したけど、やっぱり駄目だった」
「…ああ、そういえばそうだったな」
 彼女がウルダハに来たばかりで、それこそワイモンドが手取り足取りこの都市で生きていくための手ほどきをしていた頃の話だ。半ば家出してきたという少女に家族や故郷について聞くと「覚えてない」と言われたことを思い出す。この症状はカムイルも発症しているらしく、二人は自分達が「双子の姉弟」として生きていくことになった経緯すら思い出せていないとのことだった。
 それ程までに、第七霊災の爪痕は深い。今こうして復興が進んでいることもまた、奇跡なのだ。
「霊災後に避難できたみんなで暮らしていたのはあっちの方なんだけど…でも、話で聞いたこともないと思う」
「そうか。嫌なこと思い出させて悪かった」
 ぽんぽん、と丸い頭を撫でてやると、嬉しそうな顔をしながら「大丈夫!」と気丈な答えが返ってくる。どうやら彼女からは何も聞き出せそうにないので、この場はお開きにしたほうがよさそうだ。
「そういや、受付の嬢ちゃんと話してたな。邪魔したか?」
「ちょうど帰るところだったから平気だよ。私これから友達とトレジャーハントの約束してるから、もう行くね」
「おう。大金掘り当てたら酒でも奢ってくれ」
 テレポで飛んでいくキャメロンへ適当に手を振りながら見送り、彼女が移動したのを確認してから大きく息を吐いた。
 今のところ収穫はゼロ。しかしながら、霊災後もジャヌバラームの話題を耳にしなかった、という点には少しひっかかりを感じた。
 例えばの話だが、あの霊災でウルダハが直撃を受けて滅んだとしよう。そして自分が奇跡的に被災を免れて生き残ったとしたら、きっと折に触れてウルダハのことを思い出すだろうし、同じ経験をした者達と「ウルダハが栄えていた頃は…」なんて話をしたと思う。
 第七霊災もジャヌバラーム滅亡も、大昔の話というわけではない。それなりの年月は経過したが、それでも近年の話なのだ。それが誰も話を出さないというのも、よくよく考えれば奇妙なものだ。
「――――」
 もしも。もしもの話だが、
「……あいつらの記憶喪失が、ジャヌバの消滅と関係していたら…?」
 ぞくり、と。情報屋の勘が危険を察して身を震わせる。
 だというのに、体の芯はむしろかっと熱くなるような心地だった。
 「知りたい」という強烈な欲望がみるみる溢れて、まるで心臓から全身にめぐる血液のようで、どくどくと早鐘を打ち鳴らしている。それに何より、記憶の喪失といえば昨日からワイモンド自身も感じている違和感だ。おあつらえ向きにもジャヌバラームは錬金術、そして呪術研究のカルト的な聖地だった。
 もしも、自分のことを狙っている人間がジャヌバラームの生き残りだったとしたら…?
 滅亡する前から謎だらけの一族だったのだ。その生き残りがウルダハの情報屋に身辺を探られたら、さぞ鬱陶しくて仕方ないだろう。
 金が回れば世界が変わるこの都市において、一代で巨万の富を稼いだ錬金術のカラクリは誰もが知りたがる。それこそ情報の価値は政治を動かしかねず、そうなればあのロロリトも黙っていないはずだ。あるいは、すでにロロリトが手を打っているが故の今の状況である可能性も高い。
 ――嗚呼、随分と面白くなってきた。
 この鼓動の高鳴りは好奇心か、緊張か、それとも恐怖か。まるで禁忌の扉に手をかけたような心地がして、ワイモンドの口角は知らず知らずのうちに上がっていった。

 アルダネス聖櫃堂での調査で目新しい情報は得られなかった。もちろんあの膨大な書庫すべてに手をつけられたわけではないが、すでに世間に流布している情報と同程度のものしか見当たらず、新たなきっかけを得るには途方もない時間がかかりそうだ。
 そうとなれば、次は人伝の情報を当たるだけだ。ワイモンドはリンクシェルのチャンネルを慎重に確認し、昔からの顔馴染みに直通で繋がるそこへコールをかけた。先方は取り込み中なのか、なかなかコールに応えない。それでも焦らずにウルダハの街を歩きながら待っていると、ちょうどマーケットへ差し掛かったところで応答があった。
「…お久しぶりデスネ、」
 直通先は、ロロリト子飼いの東アルデナード商会番頭――ひんがしの流通を牛耳る商人、ハンコックだ。
「よう、元気そうで安心したぜ」
 通話が始まったところで、マーケット端の死角へ滑り込み壁に背を預けて声のトーンを落とす。ハンコックとワイモンドの付き合いは古く、ひんがし方面の情報を仕入れる際には彼を足がかりにすることが多い。それはハンコックも同じことで、流通に影響しやすい世情の機微を正確に把握するためにワイモンドを懇意にしている。二人はWin-Winのビジネスパートナーだった。
 ロロリトの情報に迫るからには、ハンコックは避けて通れない道だ。遠回しな手段をとったところでハンコックに弱みを握られるだけなので、ワイモンドは正面突破を選んだ。
「遠方の仕事が終わって一息ついたところなんだ。そっちで羽を伸ばしたいんだが、宿の宛を頼んでもいいか」
「オォ〜!それはそれは嬉しい報せデス!最上級のおもてなしをご用意しまショウ!」
「礼は弾むから期待していてくれ。明朝にリムサから出る便に乗るから、話を通しておいてくれるか」
「ええ、お任せくだサイ」
 東アルデナード商会の定期便に転がり込む約束を取りつけて、余計な商談を持ち込まれる前に通話を切った。
 やれやれ、と首を鳴らしながら壁に預けていた背を離すと、タイミングを見計らったように「あの、」と声をかけられた。声がした方を見れば、困った様子でエレゼン族の男が立っている。シンプルなデザインの眼鏡をかけ、髪をオールバックで整えた、清潔感のある出で立ちだ。きっちり着こんだ礼服姿を見るに、イシュガルド方面からの使いか。
「すみません、地元の方と見受けします。フロンデール薬学院はどちらでしょうか」
「…おいおい、この街じゃタダより高い買い物はないぜ」
 やはり、ウルダハの内情に疎い人間だったようだ。男はワイモンドの言葉に驚き、慌てて懐を確認し始めた。無防備に地元の人間に声をかけるとは、明日には財布どころか身ぐるみまで剥がされていそうな勢いだ。
「冗談だよ。だが気をつけたほうがいいぜ?アンタみたいなのをカモにしたい奴らがそこら中にいるからな」
「なんと…それはご親切に、ありがとうございます」
 ワイモンドの忠告に、男は上品な所作で深く頭を下げた。そんな大層な礼を受けるようなことをしたわけではないのだが、この様子だと、貴族の屋敷で執事でもやっていそうな雰囲気だ。あまりにも大仰なことをするので、これでは逆に目立つ。頭を上げさせようと、ワイモンドは男をなだめた。
「いやいや、いいって。そんなふうに畏まらなくても…」
 視界が、揺れた。
 頭に疑問符が浮かぶよりも早く体が傾き、先程まで体重を預けていた壁に再び背がぶつかる。マーケット端の死角、その中へワイモンドの体が吸い込まれるのを追うように、男が細身をするりと滑り込ませてきた。
 しまった、と思うがもう遅い。馬鹿丁寧だった男の上品な所作は慇懃な態度へ代わり、口元を手で塞がれると、近くなった袖口から漂う香りに脳が揺れる。この香りを、どこかで嗅いだことがある気がする。
「まったく…よもや、お嬢様に直に問いただすとは」
 男が自身の眼鏡を片手で器用に外して胸ポケットへしまう。続いてワイモンドのサングラスにも手をかけ、こちらはそのまま地面に落とされた。裸眼同士の視線が交わると、男の金色の瞳から目が外せなくなった。
 絶対にまずい。これは間違いなく、暗示か何かをかけられる。
「先日のものが効かなかったとなると、こちらも手段を選べなくなってきますね」
「――――ッ…!」
 嗚呼、やはり。あの晩の記憶が飛んだのは、意図的に仕組まれたものだったのか。
 この口ぶりからして一体、何度この男に記憶を飛ばされているのか。ワイモンドは掴まれた顎を力づくで開き、男の掌に思い切り噛み付いた。犬歯が薄い皮膚を食い破るのを感じると、男の血がワイモンドの顎を伝って地で跳ねる。だが男は血液のぬめりを物ともせず、ワイモンドの頭を壁へ打ちつけるように強く押し付けた。痛みで目をつむってしまいそうなのに、縫い付けられた瞼が男の視線から逃れることを許してくれない。
「詮索癖は仕事だけにしていただきたい。お嬢様の手前、あまり強い処理は使えないのですから」
「ぐ……っ…」
「それでは、ご機嫌よう。できればもう二度と貴方とは対面したくないものですが」
 ばちん、と脳のどこかが焼ききれる音がした。




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