赤い糸
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
この前高校に入学したばかりなのに、気づけばもう衣替えをして、梅雨に入って、梅雨が明けて。時間が経つのはあっという間だ。
高校生活にも随分慣れたし、友達もたくさんできた。
担任の悲鳴嶼先生は優しいし、隣の席の竈門くんはよくパンをくれる。
華道部の先輩は部活だけじゃなくて、勉強も教えてくれるし、「苗字じゃなくて名前で呼んで」って言ってくれて、なんだかお姉ちゃんができたみたいで嬉しい。
勉強に部活にって忙しいけど、毎日楽しい。
でも、不安なことがひとつあった。
おばあちゃんが入院した。
お見舞いにも何度か行ったけど、会う度に弱っている気がする。
お父さんは「歳だから仕方ない」って言うけど、その声はいつも涙混じりだ。
午前の授業が終わり昼休みになった。
友達とお昼ご飯を食べていると、お母さんからメールが着た。
『学校が終わったら、家に帰らないで病院に来て』
心臓が嫌なほど早く鼓動を打ちはじめた。
早く病院に行かないと。
でもそんな日に限って早く帰れない。何故なら今日の私は日直だからだ。
日直は2人体制で担当することになっている。放課後やることと言えば、教室の窓を閉めたり、日誌を書いたりするくらいだ。そうは言えども、もうひとりの日直にそれを全部任せて帰るわけにもいかない。
落ち着かない気持ちで午後の授業を受け、あとは日誌を書いて帰るだけ。
もうひとりの日直である我妻くんに声をかけると、我妻くんは何故か眉を八の字に下げて困ったような顔をしていた。
「みょうじさん、大丈夫?」
「えっ…何が?」
「みょうじさん…なんていうか、すごく大きな不安を抱えてるような音がするから」
「音?」
我妻くんの言葉の意味が理解できなくて首を傾げる。
「うん。俺、人より耳がいいからさ…何かあったの?」
耳がいいからってなんで私の不安が音になって聞こえるのだろうか。
でも、先を急ぐ私の心には、そんなことを訊ねる余裕すらなかった。
「あ…おばあちゃんが、入院してるんだけど…容態が悪くなったみたいで…それで…」
「そっか。日直の仕事は俺に任せて」
「えっ…」
「病院に行かなきゃいけないんでしょ?」
「そうだけど…」
「悲鳴嶼先生には俺から言っとくからさ…ほら、カバン持って!」
呆然としていると、我妻くんが私の手を取りカバンを握らせてきた。我妻くんに「早く行きな」と背中を押され、急いで学校を飛び出した。
おばあちゃんの病室につくと、お母さんが泣いていた。
お父さんも仕事を早退させてもらったのか、休憩スペースで誰かと電話をしていた。電話を切ったお父さんが私のほうに振り返った瞬間、口を押さえて泣きはじめた。
両親が2人して泣いているのを見て、現実に引き戻される。
間に合わなかった。
私は祖母の死に目にあえなかったのだ。
「赤い糸が見える」と言った私を、親戚の大人たちはみんな気持ち悪がった。
いとこには【嘘つき】とか【変なやつ】って言われた。
酷いことを言われて泣いてた私のことを、おじいちゃんとおばあちゃんはいつも慰めてくれた。
赤い糸はなまえにだけ見える特別なもの。
そう言って、2人はどんなときでも私の味方でいてくれた。
おじいちゃんが亡くなったとき、私の言葉を信じてくれた人が、私の味方がいなくなった気がした。
今日だってそう。おばあちゃんが亡くなって、私の味方がこの世からまたひとり、いなくなってしまった。
「我妻くん、昨日は本当にごめんね」
次の日、朝のホームルームがはじまる前に日誌を任せて帰ってしまったことを謝ると、我妻くんはふんわりとした優しい笑みを浮かべた。
「いいよ、気にしないで」
「ありがとう…」
「それより…おばあちゃん、大丈夫だった?」
「…今日、お通夜なの」
泣きそうになるのを我慢しながらそう言うと、我妻くんは「そっか」と呟いた。
「おばあちゃんが亡くなったばっかなのに、ごめん…もっと、気の利いたことが言えたらいいんだけど」
「我妻くん…」
「桑原さん、何かあったらまた頼ってよ…って言っても、俺じゃ頼りかもしれないけどさ…」
「そんなことないよ…昨日、早く行きなって言ってくれたのすごく嬉しかった。それに今だって…本当にありがとう」
我妻くん。
人の心を読んでいるかのようなことを言ったり、女の子に対して異常なほどの執着心を持ってたり。
「もうダメだ」とか「死んじゃう」とかブツブツ言ってることもあるから、失礼だけど変な人だなって思ってた。
でも、本当はすごく優しくて、困ってる人を放っておけない、いい人なのかも。
そう思って我妻くんを見つめると「そんなことないけど」と呟いて、にやつきながら頬を赤らめていた。
朝のホームルームが終わり、一限の授業の準備をしていると悲鳴嶼先生に声をかけられた。
「みょうじ、昼休み職員室に来なさい」
職員室に呼び出されることに心当たりは何もない。
怒られるようなことも、注意されるようなこともやってない。
それなのに、どうして職員室に?
私の不安を見透かしたのか悲鳴嶼先生が「安心しなさい」と微笑んだ。
「なにも君のことを叱ったり注意したりするわけではない」
「は、はい…」
「お昼ご飯を食べてからでいいから、職員室に来なさい」
「わかりました」と返事をすると、悲鳴嶼先生は教室を出ていった。
昼休みになり、職員室に行くと歴史教師の煉獄先生が大きな声で「美味い」と言いながらお弁当を頬張っていた。そんな煉獄先生の隣には、顔を顰めながら答案用紙に丸やペケをつける数学教師の不死川先生がいた。相変わらずシャツの襟は全開だ。
そんな2人を横目に悲鳴嶼先生の机に向かうと、先生は湯呑みを片手に何かの資料を読んでいた。
「悲鳴嶼先生」と名前を呼ぶと、先生が資料から顔上げた。すると悲鳴嶼先生は、どこかから椅子を持ってきて私に隣に座るよう促した。
「ご飯は食べたか?」
「はい、食べました…それより私、何かしました?」
「疲れた顔をしている」
「え…」
「私の気のせいかと思ったが、他の先生方も今日のみょうじはどこかうわの空だと言っていた」
そんなことを言われていたなんて気づかなかった。
たしかに、授業にはあまり集中できなくてぼーっとしてたかもしれない。
「すみません…あの、私…昨日、我妻くんに日直の仕事を全部任せて帰ったんです」
「ああ。我妻から聞いている。それにおばあさんのことも…昨日、君のお母さんから明日は休ませると電話があった」
そっか。
お通夜は夜だから今日は学校に行きなさいって言われたけど、お葬式はお昼からだから、明日は学校を休まなくちゃいけないんだ。
「明日は忌引扱いになる。おばあさんとしっかりお別れしてきなさい」
「はい…」
お別れか。
私のことを信じてくれた人が本当にいなくなってしまったんだ。
心の中にぽっかりと大きな穴が空いてしまったような気分だ。
「悲鳴嶼先生」
「なんだ?」
心に空いた穴を埋めたくて、誰かにまた信じてもらいたくて。
「私、赤い糸がみえるんです」
気づけばそんなことを口にしていた。
私の言葉に悲鳴嶼先生は驚くこともなければ、気味悪がることもなかった。
私のことをじっと見つめているだけ。
話を続けてくれ。
そう言いたげな顔をしているような気がした。
だから私は、私が見えているこの赤い糸の話を悲鳴嶼先生に話そうと決めた。
「多分、運命の赤い糸ってやつです。少女漫画とかでよくあるやつ…小さい頃から、夫婦とか恋人同士とか…そういう人たちを繋いでいる糸が見えるんです」
「それは…みょうじ自身の赤い糸も見えているのか?」
私の話を静かに聞いていた悲鳴嶼先生が口を開いた。
「はい…そうです。もちろん自分の糸も見えてます」
先生と繋がってます。
なんてことは言えないけど。
「赤い糸が見えるって言ったら、親戚の人たちはみんな、気持ち悪いって、嘘つきって言ったけど、おばあちゃんは信じてくれた」
「そうだったのか…」
「私にだけ見える特別なものだって言ってくれ…それなのに、信じてくれてありがとうってお礼も言えなかった」
昨日家でも病院でも散々泣いたのに、また涙が溢れてきた。ここが職員室だってことも忘れて泣いていると、悲鳴嶼先生は猫の刺繍が入ったハンカチを取り出した。
「使いなさい」
差し出されたハンカチを受け取り目に当てる。涙がハンカチにじわりと染み込んでいくのがわかった。
「私も信じよう」
「え…」
「だからみょうじも、周りに何と言われようとも、自分の目に映るものを信じなさい」
私の目に映っているもの。
運命の赤い糸。
悲鳴嶼先生は信じてくれるの?
「おばあさんの言う通り、みょうじにだけ見える特別なものだ。大切にしなさい」
心に空いていた穴が、何か暖かいもので埋まっていくような気がした。
それに、悲鳴嶼先生の声、やっぱり落ち着く。
涙を拭いて顔を上げると、先生と目があった。
先生がふっと笑みを零した瞬間、とくりと胸が高鳴った。