マリーと眠る城
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「なまえ、これをあげよう」
「わあ…可愛い…」
杏寿郎がなまえに手渡したのはふわふわとした茶色い毛並みのティディベアだった。首には桃色のリボンがついている。
「長い間、家を空けてすまなかった。いい子にしていたか?」
なまえはティディベアにぐりぐりと顔を埋めながら「うん」と返事をした。
少し帰りが遅くなる。
でも必ず帰ってくるから、待っていてくれ。
夜、家を出る前に杏寿郎がそう言った。
杏寿郎が出かける理由をなまえは知らなかったが、彼の言葉を信じて、いつも通りこの廃城の中で待ち続けた。
「本当にもらってもいいの?」
「いい子にしていたご褒美だ」
「嬉しい…杏寿郎、ありがとう」
もらったばかりのプレゼントを可愛がるように、なまえがテディベアの手を握ったり頭を撫でたりする。
「そうだ、名前をつけてあげるといい」
「名前?」
「花でもお菓子でも、なんでもいい。なまえの1番好きなものの名前を、この子につけてあげたらはどうだ?」
「1番好きなもの…」
杏寿郎の提案に間を開けることなくなまえが答えた。
「杏寿郎」
「なんだ?」
「杏寿郎」
「決められないのか?」
「違う」
「ん?」
「この子の名前」
「杏寿郎はどう?」となまえがティディベアを持ち上げた。杏寿郎の顔が見る見るうちに赤くなっていく。
「杏寿郎?」
「…それはだめだ」
にやけてしまいそうな口元を抑えながら杏寿郎がなまえの案を否定した。
「どうして?」
「どうしてって…」
何と説明すればよいのやら。
杏寿郎は頭を抱えた。
「だって、1番好きなものって言ったから…1番好きなものの名前をつけたのに」
「そういうことではなくだな…2番目は?2番目に好きなものはなんだ?」
「2番目…?1番はすぐに決められるけど、2番はすぐにじゃ決めれない」
「うむ…そうか。なら俺が名前をつけよう」
そうは言えども、杏寿郎にもなまえの好きなものをひとつに絞ることは出来なかった。
何かないかと部屋の中を見渡す。
杏寿郎がなまえに買い与えた花瓶に、黄色とオレンジ色のマリーゴールドが生けてあるのが目に入った。
「あ…それね、今日庭で摘んできたんだよ。杏寿郎と同じような色してるから、お部屋に連れてきたの」
「同じような色?」
「うん。杏寿郎の目と髪の毛と一緒」
「あったかい色」となまえが微笑む。
「そうか…ならば、この子の名前はマリーゴールドというのはどうだ?」
「うーん、ちょっと長いかも…そうだ、マリーは?」
「マリーか。可愛らしい名前だな」
「じゃあ、今日からこの子の名前はマリーね」
なまえは「よろしくね」と腕に抱えていたそれを抱きしめると、ぬいぐるみ特有の毛がなまえの頬をくすぐった。
「でも、どうして杏寿郎ってつけちゃだめなの?」
「杏寿郎は俺ひとりで十分だろう。それにこの子は女の子なんだから、男の俺の名前をつけては可哀想だ」
杏寿郎の指が桃色のリボンに触れる。
杏寿郎は、自分しか話し相手のいないなまえが1人でも寂しくないようにと、同性の友達を連れてきたつもりだった。
「そっか…杏寿郎はひとりしかいないもんね」
「ああ。でも、なまえが俺のことを1番だと言ってくれたのは嬉しかった」
杏寿郎がティディベアごとなまえを抱きしめる。数週間ぶりに触れ合えたことが嬉しかったのか、なまえの腕も杏寿郎の腰にまわった。
「ねえ、杏寿郎の1番は?」
「俺の1番…?俺もなまえが1番だ」
「ずっと杏寿郎の1番?」
なまえが杏寿郎の腕の中で顔を上げると、杏寿郎の身体は何故かなまえから離れていった。
杏寿郎が無言のままなまえがいつも眠っているベッドに腰かける。
なにも答えない杏寿郎をトコトコと追いかけるように、なまえも彼の隣に腰を下ろした。
「杏寿郎…?」
「それはどうだろうな…もしかしたら別の人が1番になるかもしれない」
【別の人】という言葉になまえの瞳が不安そうに揺らいだ。
「いやだ、杏寿郎…ずっと1番じゃなきゃいや」
そう訴えながらなまえが杏寿郎に身体を寄せると、彼女が膝に乗せていたティディベアがベッドの下に転げ落ちた。
それに気を留めることなく、なまえが縋りつくように杏寿郎の服を掴む。
「杏寿郎、他の人のこと好きになっちゃだめ。ねえ、お願い」
「どうして俺のことをなまえが決めるんだ?」
「それは…」
「それは?なんだ?」
「…杏寿郎のこと、好きだから…杏寿郎も好きでいてくれないといやだ」
「理由になっていないが?」
服を掴むなまえの手を杏寿郎がゆっくりと解くと、その手は力なくなまえの膝の上に落ちた。
「俺がどうしたいかなんて、俺自身が決めることだろう?俺が誰を好きになるかも俺が自分で決める」
突然態度を変えた杏寿郎に、なまえは何も言い返すことができなかった。
「この話はもう終わりだ。部屋に戻るとしよう」
そう言って杏寿郎はベッドの下に落ちたままだったティディベアを拾うと、部屋から出ようと立ち上がった。
「…やだ」
なまえが再び杏寿郎の服を掴んで引き止める。杏寿郎が振り返ると、なまえの目からぼろぼろと涙が零れていた。
「杏寿郎の1番でいられるように、もっといい子になるから…お部屋、もっと綺麗にするし、ご飯ももっと上手に作るから…他の人を1番になんてしないで」
泣き出したなまえを見て杏寿郎はやりすぎたと思った。
少し意地悪をしようとしただけなのに。
なまえ以外を好きになるだなんて。
なまえの反応が可愛くてつい思ってもいないことを口にしてしまった。
「1番…ずっと、1番でいさせて」
「なまえ」
「私の1番は杏寿郎だけなのに、どうして…」
「なまえ、すまない」
「え…?」
「まさか、そんな反応をされるとは…」
ティディベアをベッドサイドに置くと、杏寿郎は再びベッドに腰を下ろした。なまえの身体を強く抱き寄せ、そのままゆっくりとベッドの上に倒れ込む。
「杏寿郎?」
「すまない、少々やりすぎた」
「やりすぎたって、なに…どういうこと…」
「なまえの反応が可愛くて、意地悪なことを言ってしまった」
杏寿郎の言葉に、なまえは泣き腫らした目を見開いた。「本当にすまない」と杏寿郎が再び謝る。
「なまえ以外が1番になるかもしれないだなんて嘘だ。なまえ以外の人を好きになるなんて有り得ん」
杏寿郎がそう告げるとなまえの目からまた大粒の涙が零れはじめた。
「なにそれ…急に酷いこと言うから、私、どうしてって」
「そうだな。突然あんなことを言われてびっくりしたな」
「1番じゃなくなるなんて、他の人好きになるって、本当に嘘?」
「嘘だ。全部嘘だ」
杏寿郎はあやすようになまえの背中や髪を撫でた。
「なまえ、すまない。許してくれ」
「やだ」
「なまえ…」
「許さない」と涙混じりの声で訴えながら、なまえが杏寿郎の服をぐしゃりと掴んだ。
「あんな嘘つくなんて酷い」
「本当にすまなかった。なまえが許してくれるまで何でも言うことを聞く」
「お願いだ」と必死に謝る杏寿郎をなまえは恨めしそうな目で見つめた。
「じゃあ…今日はこのままここで寝て。朝までずっと一緒にいて」
「しかし…まだ風呂を済ませていないのだが…」
「なら私も一緒に入る」
「でも、なまえはもう入っただろう?」
「いいの」
「もう1回入る」とぐずるなまえを抱きかかえ、杏寿郎は浴室に向かった。
なまえは不貞腐れたまま湯船に浸かり、自分のベッドで杏寿郎と一緒に眠った。
翌朝、なまえが目を覚ますと寝顔を見つめられていたのか、杏寿郎と目が合った。
「なまえ、おはよう」
なまえは返事をしなかった。昨日のことを思い出すとだんだん腹が立ってきたからだ。
「なまえ?」
杏寿郎がなまえを抱き寄せ頬に触れようとすると、なまえはふいっと顔を背けた。
もぞもぞとベッドの中で身体を動かし、杏寿郎に背中を向ける。
杏寿郎が抱きしめる力を強めると、なまえは無言で脚や腕をばつかせ、杏寿郎の腕から逃れようとした。
小さく縮こまった背中に、杏寿郎は昨日のことをまだ許してもらえていないのだと思った。
「なまえ、声を聴かせてくれないか?」
杏寿郎が顔を覗き込むと、なまえは眉間に皺を寄せたまま壁を見つめていた。
話しかけても口を開いてくれない。
それはまるで、なまえがこの廃城に来たときと同じようだった。
「せっかくなまえが話してくれるようになったのに…これではまた逆戻りだ。なまえ、お願いだ。何か言ってくれ」
杏寿郎が懇願するように髪を撫でると、なまえが何か呟いた。
「ん…?」
「今日、ずっとここにいる?」
「…ああ」
「夜も?寝てる間に出かけたりしない?」
「しない」
「本当に?」
「どこにも行かない。ずっとなまえと一緒にいる」
杏寿郎がこめかみにキスを落とすと、なまえはぎゅっと目を閉じた。
「杏寿郎」
「なんだ?」
「キス、そこだけじゃだめ」
そう言ってなまえがごろんと仰向けになり杏寿郎を見つめる。杏寿郎はなまえに困ったような顔で笑いかけ、唇を重ねた。