ただのありふれた恋
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「なまえ、手出せ」
その日も伊之助はなまえの屋敷に来ていた。なまえは素直に両手を差し出した。
「これは?」
「見りゃわかんだろ。どんぐりだよ。しかもツヤツヤのやつ!」
なまえの手のひらにどんぐりを乗せた伊之助が自慢げにそう言った。
「お前ん家の裏の山で拾ってきた。なまえは俺の子分だからな。特別にツヤツヤなのをやる」
「子分?伊之助様の?」
「そうだ。子分のことは親分の俺様が守ってやるからな。何かあったらすぐに言えよ」
伊之助は、ふんっと鼻を鳴らした。
「……はい!わかりました!このどんぐりも、あの、ありがとうございます!小さくて可愛らしい…お部屋に飾りますね!」
そう言いながら手のひらのどんぐりを指でつつくなまえを見て、伊之助はぎゅうっと胸が締めつけられたような気がした。
決して不快な痛みではなく、不思議なあたたかさがあった。伊之助はそのあたたかさに戸惑き思わず胸を押さえた。そんな伊之助を不思議に思い、なまえが声をかけた。
「伊之助様?どうかされたのですか?」
「あ?いや、別になんでも……そうだ、お前の好きな花もたくさん生えてたから、連れてってやる!6日後の昼、そうだな…時計の針が2になるくらいに、門の前で待ってろ!」
そう言い捨て塀を飛び越え帰っていった伊之助になまえは「待ってます!!」と大きな声で返事をした。
6日後が遥か遠い未来に感じた。こんなにも早く時間が過ぎてほしい思うことは今までになかった。
約束の日の昼、なまえは時計の針が2を示す少し前から門の前で伊之助を待っていた。
「そんなに着飾って何処に行くんですか?」
そんななまえに声をかける者がいた。見覚えのある顔、手紙の青年だった。なまえは伊之助と過ごす時間に気をとられ、手紙の返事のことをすっかり忘れていた。そのせいかしびれを切らして家まで来たのだろうか。
「あの…えっと…ひ、人を待っていて」
返事を忘れていたうしろめたさから歯切れ悪い返事をするなまえに青年は続けた。
「先日、手紙の住所を頼りに君の家の前まで来たのだが、獣の皮を被った男が塀をよじ登っていたのでね。何事かと思って、失礼ながら覗き見てしまった」
猪の皮を被った男が塀をよじ登っている姿を見れば、誰でも不審に思うだろう。
青年はなまえの家に暴漢か盗人が入り込んだのではないかと心配した。しかし、塀の向こうから聞こえたのはなまえの楽しそうな笑い声や猪の皮を被った男のものと思われる話し声ばかりだった。
「彼は何者なんだ?仕事は?昼間からふらふらと君の家を訪れて、一体何をしているんだ?」
鬼殺隊は政府非公認の組織だ。同じ藤の家紋の家の人間にならまだしも、鬼とは無縁の一般市民に鬼を退治していると言っても信じてもらえないだろうとなまえは思った。
「あ、あの方のお仕事は…人を守ることです」
なまえは歯切れの悪い返事をするしかなかった。
「なんだそれは。君のような淑女に、あんな獣の皮を被った化け物みたいな、粗暴なやつは似合わない。だいたい何の仕事をしているのかもわからないのだろう。手紙にも何度か書いたが、私は直に家を継ぐ。そうしたら君を…」
バチンと乾いた音が響くと共に青年の頬に痛みが走った。
「伊之助様はそんな方ではありません…ば、化け物だなんて失礼です……!」
思わず手を挙げてしまった。生まれて初めてなまえは人をぶった。伊之助のことを好き勝手言われ、許すことができなかった。言葉より先に手が出てしまった。
しかし叩かれたほうも黙ってはいない。
「何をするんだ!」
青年が腕を振りかざした。
殴られる。
なまえはそう思った。
当然だ。先に手を出したのはなまえ自身なのだから。女といえど容赦はないだろう。
なまえはこれから降りかかるであろう痛みに恐怖を覚え、ぎゅっと目を閉じた。
「おい」
痛くない。それに伊之助の声がする。
「お前、俺の子分に何してんだ」
なまえが目を開くと、振りかざされた青年の腕を抑える伊之助の姿があった。
「お前は…」
「なまえ、行くぞ」
「おい!ちょっと待て!」
「ああ?なんだあ?こいつは今から俺と山に行くんだ…関係ねえやつはすっこんでろ!!」
吐き捨てるようにそう言った伊之助は、なまえの手を引き走り出した。後ろで青年が何か叫んでいたがなまえは聞こえないフリをした。
伊之助の走る速さになまえがついていけるはずもなく、2人の手が解けた。
「伊之助様…お待ちくださ、あっ…」
「!?…悪ぃ!」
「いえ、私、走るのがあまり、得意ではありませんので…申しわけありません…」
息を切らしながら謝るなまえに伊之助が口を開いた。
「なあ、さっきのやつ、何なんだ?」
「あっ……えっとら以前、助けていただいたことがあって…会ったのはその一度だけですが、手紙でのやりとりをしていました。手紙では会ってほしいといつも書かれていて…でも、私が返事を出すのをすっかり忘れていましたので…」
「返事忘れるなんて、お前意外と抜けたとこあんだな…それで家まで来たのか?」
「おそらく…」
「はあ……なんだそりゃ」
伊之助はつまらなさそうにそう言った。それから目的の場所に着くまで伊之助は黙ったままだった。猪頭の下で眉をひそめる伊之助の背中を、なまえは不安そうに見つめながらついて行くことしかできなかった。
山に入り雑木林の中をしばらく歩くと視界が開けてきた。
そこには色とりどりの花が咲いていた。
「あ………ここだ!たくさん生えてんだろ!」
先程とは打って変わって伊之助が楽しそうになまえに笑いかけた。伊之助が言っていた花畑に着いたようだ。
「わあ……本当ですね!」
伊之助につられてなまえからも笑みが零れた。
なまえは花を数本摘み、器用に花冠を作りはじめた。なまえの様子を最初こそ大人しく眺めていた伊之助だったが、そのうちに飽きてしまったのだろうか。近くを飛んでいた蝶を追い掛け回しはじめた。
しばらくして、花冠を作り終えたなまえが伊之助に声をかけた。
「伊之助様ー!少しの間だけで構いません!お顔を見せてくださいませんかー!」
なまえに呼ばれ、伊之助は彼女に言われるがまま猪頭を脱いだ。
「はい、どうぞ」
なまえは花冠を伊之助の頭に乗せ、「綺麗ですね」と微笑んだ。
その笑顔に伊之助の胸がまたぎゅうっと締めつけられる。
「これ、なんだ?さっき作ってたやつか?」
「そうです。花を編んで輪っかにするんですよ」
伊之助はなまえが作った花冠を手に取りしげしげと見つめた。
以前、善逸が摘んできた野花を禰豆子に渡していたことを思い出した。花というものは男から女にあげるものではないかと伊之助は思い、花冠をなまえの頭に乗せた。
「伊之助様、これは…もしかして要らなかったですか?」
「違ぇよ。こういうのは俺よりなまえがつけたほうがいい。似合ってんだからよ」
少し照れくさそうに言う伊之助を見て、なまえはこんな優しい時間がずっと続けばと思った。
しかし、そんな願いも虚しく、日は暮れはじめ、2人は山を下りた。
伊之助はなまえを家の門の前まで送った。
「伊之助様、今日はとても楽しかったです。ありがとうございました」
「親分だからな!子分の面倒見るのは当たり前だろ!」
「それに、先程もここで助けていただいたのに、まだお礼を言っていなかったですよね…本当にありがとうございました」
伊之助との時間が楽しくて数刻前の出来事のことなど疾うに忘れていたなまえだったが、伊之助が手紙の青年から庇ってくれたことを思い出し深々と頭を下げた。
「さっきの、手紙の奴…またお前ん家に来るんじゃねえのか?ていうか、なんであいつ、なまえのことを殴ろうとしてたんだ?」
「それは……」
なまえは、何故自分が手紙の青年に殴られそうなったのかを、伊之助には知られたくなかった。理由が何であれ人を叩いてしまったことにかわりはなく、なまえ自身そのことを後悔しているからだ。先に手を出したことを伊之助が知れば、嫌われるのではないかと思うと怖かった。
「理由もねえのに殴られそうになったのか?」
「……私が悪いのです」
「手紙の返事、書かなかったせいか?」
「それも、あるとは思いますが……」
理由を言いたくないと思っても、心配そうに聞いてくる伊之助を前にしては、隠し通すこともできない。正直に話そうとなまえは決めた。
「その、伊之助様のことを、悪く言われて…ついカッとなって、あの方の頬を叩いてしまいました…」
「は?」
「だ、だって、伊之助様のこと何も知らないのに…勝手なことを仰るから…だから…」
「……そういうことか。お前、意外とやるな…そんなひょろっこい身体であいつのこと殴ったのか?」
「な、殴ってません!平手打ちしただけです!!」
焦った様子でなまえは訂正した。殴るのも平手打ちも変らないのではと伊之助は思ったが、なまえが自分のことを庇ってくれたのだと知り、ほわほわとした感情に包まれるようだった。
「あいつが何言ったか知らねえけど、俺のために怒ってくれたんだろ」
「いえ、私はただ…」
「…アリガト」
「え?」
「あ、アリガトって、感謝してやってもいいって言ってんだ!!あと、あいつ、また来るかもしんねえけど、なまえにはこの嘴平伊之助様がついてんだからな!!何も心配することなんてねえぞ!!」
真っ赤な顔でそっぽを向きながらそう言う伊之助に、なまえの胸は熱くなった。
いつだって伊之助は、なまえにとって嬉しい言葉をたくさんくれる。その言葉に何度も救われてきた。
好きだ。伊之助のことが好きなのだ。
ひとめぼれだった。だけど、伊之助が会いに来てくれる度に、彼と言葉を交わす度に、好きという気持ちが大きくなっていった。
初めて会ったあの日からずっと抱えていた気持ちを、なまえは吐き出した。
「伊之助様…伊之助様が私の家にいらしたあの日からずっと、貴方様のことをお慕い申し上げておりました」
なまえはどこかで期待していた。
何も思っていなければ、わざわざ会いに来てくれるわけがない。何かをくれることも、どこかに連れて行ってくれることも、自分が伊之助にとって他の人とは違う、特別な存在だからじゃないかと。自惚れてはいけないのに、なまえ自身にとっていいように捉えてしまう。
吐き出した気持ちを受け止めてほしい。そう思ったのに。
「オシタイ、モウシアゲ……?なんだ?よくわかんねえな……」
目の前が真っ暗になったようだった。心が、大きな闇にのみ込まれてしまいそうな、嫌なリズムを刻みはじめた。
「あ゛っ…!!太陽が沈むまでに帰ってこいってしのぶに言われてた…!!早く帰んねえとまた怒られちまう……なまえ、またな!!」
そう言って去っていく伊之助の背中に、なまえは消え入るような声で「お待ちしております」と返事をした。
その日も伊之助はなまえの屋敷に来ていた。なまえは素直に両手を差し出した。
「これは?」
「見りゃわかんだろ。どんぐりだよ。しかもツヤツヤのやつ!」
なまえの手のひらにどんぐりを乗せた伊之助が自慢げにそう言った。
「お前ん家の裏の山で拾ってきた。なまえは俺の子分だからな。特別にツヤツヤなのをやる」
「子分?伊之助様の?」
「そうだ。子分のことは親分の俺様が守ってやるからな。何かあったらすぐに言えよ」
伊之助は、ふんっと鼻を鳴らした。
「……はい!わかりました!このどんぐりも、あの、ありがとうございます!小さくて可愛らしい…お部屋に飾りますね!」
そう言いながら手のひらのどんぐりを指でつつくなまえを見て、伊之助はぎゅうっと胸が締めつけられたような気がした。
決して不快な痛みではなく、不思議なあたたかさがあった。伊之助はそのあたたかさに戸惑き思わず胸を押さえた。そんな伊之助を不思議に思い、なまえが声をかけた。
「伊之助様?どうかされたのですか?」
「あ?いや、別になんでも……そうだ、お前の好きな花もたくさん生えてたから、連れてってやる!6日後の昼、そうだな…時計の針が2になるくらいに、門の前で待ってろ!」
そう言い捨て塀を飛び越え帰っていった伊之助になまえは「待ってます!!」と大きな声で返事をした。
6日後が遥か遠い未来に感じた。こんなにも早く時間が過ぎてほしい思うことは今までになかった。
約束の日の昼、なまえは時計の針が2を示す少し前から門の前で伊之助を待っていた。
「そんなに着飾って何処に行くんですか?」
そんななまえに声をかける者がいた。見覚えのある顔、手紙の青年だった。なまえは伊之助と過ごす時間に気をとられ、手紙の返事のことをすっかり忘れていた。そのせいかしびれを切らして家まで来たのだろうか。
「あの…えっと…ひ、人を待っていて」
返事を忘れていたうしろめたさから歯切れ悪い返事をするなまえに青年は続けた。
「先日、手紙の住所を頼りに君の家の前まで来たのだが、獣の皮を被った男が塀をよじ登っていたのでね。何事かと思って、失礼ながら覗き見てしまった」
猪の皮を被った男が塀をよじ登っている姿を見れば、誰でも不審に思うだろう。
青年はなまえの家に暴漢か盗人が入り込んだのではないかと心配した。しかし、塀の向こうから聞こえたのはなまえの楽しそうな笑い声や猪の皮を被った男のものと思われる話し声ばかりだった。
「彼は何者なんだ?仕事は?昼間からふらふらと君の家を訪れて、一体何をしているんだ?」
鬼殺隊は政府非公認の組織だ。同じ藤の家紋の家の人間にならまだしも、鬼とは無縁の一般市民に鬼を退治していると言っても信じてもらえないだろうとなまえは思った。
「あ、あの方のお仕事は…人を守ることです」
なまえは歯切れの悪い返事をするしかなかった。
「なんだそれは。君のような淑女に、あんな獣の皮を被った化け物みたいな、粗暴なやつは似合わない。だいたい何の仕事をしているのかもわからないのだろう。手紙にも何度か書いたが、私は直に家を継ぐ。そうしたら君を…」
バチンと乾いた音が響くと共に青年の頬に痛みが走った。
「伊之助様はそんな方ではありません…ば、化け物だなんて失礼です……!」
思わず手を挙げてしまった。生まれて初めてなまえは人をぶった。伊之助のことを好き勝手言われ、許すことができなかった。言葉より先に手が出てしまった。
しかし叩かれたほうも黙ってはいない。
「何をするんだ!」
青年が腕を振りかざした。
殴られる。
なまえはそう思った。
当然だ。先に手を出したのはなまえ自身なのだから。女といえど容赦はないだろう。
なまえはこれから降りかかるであろう痛みに恐怖を覚え、ぎゅっと目を閉じた。
「おい」
痛くない。それに伊之助の声がする。
「お前、俺の子分に何してんだ」
なまえが目を開くと、振りかざされた青年の腕を抑える伊之助の姿があった。
「お前は…」
「なまえ、行くぞ」
「おい!ちょっと待て!」
「ああ?なんだあ?こいつは今から俺と山に行くんだ…関係ねえやつはすっこんでろ!!」
吐き捨てるようにそう言った伊之助は、なまえの手を引き走り出した。後ろで青年が何か叫んでいたがなまえは聞こえないフリをした。
伊之助の走る速さになまえがついていけるはずもなく、2人の手が解けた。
「伊之助様…お待ちくださ、あっ…」
「!?…悪ぃ!」
「いえ、私、走るのがあまり、得意ではありませんので…申しわけありません…」
息を切らしながら謝るなまえに伊之助が口を開いた。
「なあ、さっきのやつ、何なんだ?」
「あっ……えっとら以前、助けていただいたことがあって…会ったのはその一度だけですが、手紙でのやりとりをしていました。手紙では会ってほしいといつも書かれていて…でも、私が返事を出すのをすっかり忘れていましたので…」
「返事忘れるなんて、お前意外と抜けたとこあんだな…それで家まで来たのか?」
「おそらく…」
「はあ……なんだそりゃ」
伊之助はつまらなさそうにそう言った。それから目的の場所に着くまで伊之助は黙ったままだった。猪頭の下で眉をひそめる伊之助の背中を、なまえは不安そうに見つめながらついて行くことしかできなかった。
山に入り雑木林の中をしばらく歩くと視界が開けてきた。
そこには色とりどりの花が咲いていた。
「あ………ここだ!たくさん生えてんだろ!」
先程とは打って変わって伊之助が楽しそうになまえに笑いかけた。伊之助が言っていた花畑に着いたようだ。
「わあ……本当ですね!」
伊之助につられてなまえからも笑みが零れた。
なまえは花を数本摘み、器用に花冠を作りはじめた。なまえの様子を最初こそ大人しく眺めていた伊之助だったが、そのうちに飽きてしまったのだろうか。近くを飛んでいた蝶を追い掛け回しはじめた。
しばらくして、花冠を作り終えたなまえが伊之助に声をかけた。
「伊之助様ー!少しの間だけで構いません!お顔を見せてくださいませんかー!」
なまえに呼ばれ、伊之助は彼女に言われるがまま猪頭を脱いだ。
「はい、どうぞ」
なまえは花冠を伊之助の頭に乗せ、「綺麗ですね」と微笑んだ。
その笑顔に伊之助の胸がまたぎゅうっと締めつけられる。
「これ、なんだ?さっき作ってたやつか?」
「そうです。花を編んで輪っかにするんですよ」
伊之助はなまえが作った花冠を手に取りしげしげと見つめた。
以前、善逸が摘んできた野花を禰豆子に渡していたことを思い出した。花というものは男から女にあげるものではないかと伊之助は思い、花冠をなまえの頭に乗せた。
「伊之助様、これは…もしかして要らなかったですか?」
「違ぇよ。こういうのは俺よりなまえがつけたほうがいい。似合ってんだからよ」
少し照れくさそうに言う伊之助を見て、なまえはこんな優しい時間がずっと続けばと思った。
しかし、そんな願いも虚しく、日は暮れはじめ、2人は山を下りた。
伊之助はなまえを家の門の前まで送った。
「伊之助様、今日はとても楽しかったです。ありがとうございました」
「親分だからな!子分の面倒見るのは当たり前だろ!」
「それに、先程もここで助けていただいたのに、まだお礼を言っていなかったですよね…本当にありがとうございました」
伊之助との時間が楽しくて数刻前の出来事のことなど疾うに忘れていたなまえだったが、伊之助が手紙の青年から庇ってくれたことを思い出し深々と頭を下げた。
「さっきの、手紙の奴…またお前ん家に来るんじゃねえのか?ていうか、なんであいつ、なまえのことを殴ろうとしてたんだ?」
「それは……」
なまえは、何故自分が手紙の青年に殴られそうなったのかを、伊之助には知られたくなかった。理由が何であれ人を叩いてしまったことにかわりはなく、なまえ自身そのことを後悔しているからだ。先に手を出したことを伊之助が知れば、嫌われるのではないかと思うと怖かった。
「理由もねえのに殴られそうになったのか?」
「……私が悪いのです」
「手紙の返事、書かなかったせいか?」
「それも、あるとは思いますが……」
理由を言いたくないと思っても、心配そうに聞いてくる伊之助を前にしては、隠し通すこともできない。正直に話そうとなまえは決めた。
「その、伊之助様のことを、悪く言われて…ついカッとなって、あの方の頬を叩いてしまいました…」
「は?」
「だ、だって、伊之助様のこと何も知らないのに…勝手なことを仰るから…だから…」
「……そういうことか。お前、意外とやるな…そんなひょろっこい身体であいつのこと殴ったのか?」
「な、殴ってません!平手打ちしただけです!!」
焦った様子でなまえは訂正した。殴るのも平手打ちも変らないのではと伊之助は思ったが、なまえが自分のことを庇ってくれたのだと知り、ほわほわとした感情に包まれるようだった。
「あいつが何言ったか知らねえけど、俺のために怒ってくれたんだろ」
「いえ、私はただ…」
「…アリガト」
「え?」
「あ、アリガトって、感謝してやってもいいって言ってんだ!!あと、あいつ、また来るかもしんねえけど、なまえにはこの嘴平伊之助様がついてんだからな!!何も心配することなんてねえぞ!!」
真っ赤な顔でそっぽを向きながらそう言う伊之助に、なまえの胸は熱くなった。
いつだって伊之助は、なまえにとって嬉しい言葉をたくさんくれる。その言葉に何度も救われてきた。
好きだ。伊之助のことが好きなのだ。
ひとめぼれだった。だけど、伊之助が会いに来てくれる度に、彼と言葉を交わす度に、好きという気持ちが大きくなっていった。
初めて会ったあの日からずっと抱えていた気持ちを、なまえは吐き出した。
「伊之助様…伊之助様が私の家にいらしたあの日からずっと、貴方様のことをお慕い申し上げておりました」
なまえはどこかで期待していた。
何も思っていなければ、わざわざ会いに来てくれるわけがない。何かをくれることも、どこかに連れて行ってくれることも、自分が伊之助にとって他の人とは違う、特別な存在だからじゃないかと。自惚れてはいけないのに、なまえ自身にとっていいように捉えてしまう。
吐き出した気持ちを受け止めてほしい。そう思ったのに。
「オシタイ、モウシアゲ……?なんだ?よくわかんねえな……」
目の前が真っ暗になったようだった。心が、大きな闇にのみ込まれてしまいそうな、嫌なリズムを刻みはじめた。
「あ゛っ…!!太陽が沈むまでに帰ってこいってしのぶに言われてた…!!早く帰んねえとまた怒られちまう……なまえ、またな!!」
そう言って去っていく伊之助の背中に、なまえは消え入るような声で「お待ちしております」と返事をした。