短編
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「なまえちゃん、ねえ、気持ちいい?」
与えられる快感に、単語さえ口から発する余裕をなくしてしまって、首を必死に縦に振った。
「可愛いなあ…好きだよ、なまえちゃん。大好き」
恋人の家に、善逸くんの家に行くたびに、身体を求められる。
しかも場所も時間も関係なくだ。
家に着いた瞬間直ぐに玄関で。
善逸くんが食べたいって言ったものを作ってるときにキッチンで。
一緒に入ろうって言われてお風呂場で。
彼の家の中で致していないところなんかないんじゃないかってくらいだ。
流石にトイレとかベランダではしたことないけど。
いつでも朝を迎えられるように、私のお泊まりセット一式は彼の家に置いてある。
行為自体がいやなわけではないし、善逸くんも「可愛い」とか「好き」とか嬉しい言葉をたくさん言ってくれるけど、ときどき不安になる。
本当は善逸くんには他に好きな人がいて、私とは身体だけの関係なんじゃないか。
私が「今日はそういう気分じゃない」って断ったら、どんな反応をされるだろうか。
「じゃあもういいや」って彼の家から追い出されるのだろうか。
もしそうだったら、ショックで立ち直れない。
彼の口から出る言葉は嘘じゃないと思ってる。
いや、そう思いたいだけなのかもしれない。
「はあ…」
大きなため息がひとり暮らしの小さなトイレに木霊する。
最悪な事態が起きた。
来週くらいにはくると思ってたけど、アレがきてしまった。
四六時中、血がダラダラと流れ出るアレだ。
予定日より早くきたのは、ストレスのせいだろうか。
明日、彼の家に行くのに、どうしたものか。
善逸くんの家の近くに有名なケーキ屋さんがオープンしたから、一緒に家で食べようって約束したのに。
生理の週はお家デートを避けてきた。
家に行けば必ずそういうことをするから。
それなのにこのタイミングでくるなんて、自分の身体を恨んでしまう。
今からでも明日の約束を断ろうかと寝室に戻り時計を見遣ると、日付が変わるまで1時間を切っていた。
こんな時間に連絡するのもなあ。
もしかしたら疲れて寝てるかもしれないし。
明日は梅雨の晴れ間と聞いて出しておいた白のワンピースが、なんだか霞んで見える。服も、それに合わせた靴も選びなおさないといけない。
この前善逸くんと一緒に服を買いに行ったとき、「似合ってるよ」って言ってくれたものなのに。
試着室でしか着てない、真新しいワンピースなのに。
着られないの残念だなあと思いながら、ワンピースをクローゼットにしまい込む。
そもそも彼に、雰囲気に流される私が悪いのだ。
たとえ彼の家で過ごすとしても、そういう雰囲気になる前に帰ればいい。
「生理なの」って正直に言えばいい話だけど、そのときの反応が怖い。
ガッカリされたり、急に冷たくされたりしたらって思うと不安になる。
決めた。
明日の目標は『雰囲気に流される前に帰る』でいこう。
そう意気込んで布団に潜り込んだ。
翌日、待ち合わせ場所に着くとすでに善逸くんが私のことを待ってくれていた。思えば、私が善逸くんを待ったことは一度もない。
「待たせてごめんね」と謝ると、善逸くんは「なまえちゃんに会えるのが楽しみで早く着いちゃった」と恥ずかしげもなく言ってのけた。
「ケーキ屋さん行く前に寄り道してもいい?」
そう言う彼に寄り道程度ならいいかと首を縦に振った。
しかし、寄り道どころか普通のショッピングがはじまってしまって、気づけば私も善逸くんも両手に紙袋を引っさげて歩いていた。
「寄り道って言ったのに、ごめんね…」
「ううん、大丈夫だよ」
私も彼との買い物を楽しんでしまっていたので、彼を咎める筋合いはないのだが、痛み止めが効いているとはいえ、2日目の身体で動きまわるのは流石に疲れた。
「そろそろケーキ買って帰ろっか」
「うん。楽しみだなあ」
「どれにしようかな」って食べたいケーキを1つずつ選んで、彼の家に向かう。
「美味しいね」って言いながらケーキを食べて、ソファに座ってテレビを観ながら「面白いね」って笑いあう。
今日はこのままゆっくりしたいなあ。
なんて思ってたのに。
痛い。
お腹が痛い。
ああもう、どうしよ。
せっかく治まってたのに。
頼むから、鎮まってくれ。
頼む。
お願いだから。
ねえ。
「なまえちゃん」
「えっ……何?」
痛みに耐えながら絞り出すような声で返事をする。
このタイミングで話しかけられるのが1番辛い。
「明日も休みだよね?泊まってくでしょ?」
「あ…」
「お風呂、一緒に入ろう?」
「お風呂!?あっ、と…それは…」
首をこてんっと傾けてお願いしてくるなんて、善逸くん可愛いな。
いや、そうじゃなくて。
こんな身体で一緒にお風呂なんてとんでもない。
湯船が血の海になるわ。
まあ、それは言い過ぎか。
とにかく、お風呂なんて入れる状態ではないし、善逸くんのことだから今日はお風呂場でそのままということにもなるかもしれない。
今日の目標は『そういう雰囲気になる前に帰る』だ。
ここで言うしかない。
意を決して口を開いた。
「ごめん!用事思い出しちゃった!今日はもう帰るね!」
我ながら、変なタイミングで帰宅宣言をしてしまった。しかし、これ以上居座るわけにもいかない。
善逸くんの家を出たら、その辺のコンビニか自販機で水を買って痛み止めを飲もう。
「本当にごめんね!また来るから!」
立ち上がり、壁にかけておいた鞄を掴んで玄関へと向かう。
「待って」
「うわっ!?」
歩き出した瞬間腕を引かれた。
よろけた身体を受け止められる。
「何かあったの?」
「えっ!?何もないよ!とにかく帰らなきゃいけないから」
何もないわけないじゃない。只今絶賛腹痛と格闘中よ。
やっぱり、このタイミングで帰るなんて流石に怪しまれるか。
私を見つめる視線と掴まれてる腕が痛い。
でも、お腹はもっと痛い。
「善逸くん…私、家に」
「嘘だよ」
嘘だけど半分嘘じゃない。
好きな人に血まみれの局部を晒すくらいなら、自分の家に帰るわ。
お願いだから今すぐ帰らせてくれ。
もしくは床でもいいから横になりたい。
「そんな不安そうな音鳴らせて何もないなんて、嘘に決まってる」
「そんなこと…」
そうだ。善逸くんは人より耳がいいだもんね。
だからこうして私の腕を掴んで離そうとしないんだ。
不安だよ。
「好き」ってたくさん言ってくれても、本当は身体だけを求められているんだとしたら。
善逸くんがそのために私を家に呼んでいるんだとしたら。
そう考えたら、不安にもなるよ。
「何かあるなら俺に話してよ」
本当のことを言ったら、この手を離してくれるかな。
なんだ今日はできないのかって、ガッカリされるかな。
「ねえ、なまえちゃん」
でも、もし本当のことを言って、ガッカリされたら。
「じゃあ今日は帰っていいよ」って言われたら。
求められているのは身体だけだってことだ。
「…あの」
「うん」
「私、今…アレなの」
「アレって?」
「せ、生理…昨日きたの…」
目を真ん丸くして、善逸くんが驚いた顔をする。
善逸くんだって、いきなり「生理なの」って言われても困るよね。
でも私は善逸くんと違って、そういう身体で産まれてきたからしょうがないんだよ。
痛みのせいか冷や汗が出てきた。
「そうだったの?ごめん…俺、全然気づかなかった…」
そりゃあ、あなたに気づかれないように薬飲んで痛いの我慢してたからね。
何年、この身体と付き合ってきたと思って。
「お腹とか、痛くない?あっ、身体冷やしたらだめだよね!」
そう言って、彼は自分の着ていたパーカーを脱いで、私にかけてくれた。
脱いたばかりだからか、パーカーがあたたかく感じる。
それに善逸くんの匂いがする。いつも私を落ち着かせてくれる匂いだ。
「あとは…そうだ、なんかあったかいものでも飲む?とりあえず座ろっか?」
善逸くんはいつだって優しいなあ。
なんだか無性に泣けてくる。
自分の目から堰を切ったようにボロボロと涙が零れはじめた。
「えっ!?泣くほど痛いの!?」
「っう……そうじゃなくて……!でも、痛み止め、飲んでいい?」
「そんなこといちいち聞かなくていいよ!薬飲んで!ほら、座って!水持ってくるから!」
泣きながら立ち尽くしていると、あれよあれよというまに再びソファに連れ戻された。
善逸くんが「どうぞ」と水の入ったコップを手渡してくる。コップを受け取ると、善逸くんは「ちょっと待っててね」と言い残して寝室に行ってしまった。
鞄から薬を取り出して水と一緒に飲み込んだ。それと同時に、善逸くんが寝室から毛布を引きずりながらやってきた。
「これ、お腹にかけよう」
「あ、ありがとう…」
お腹にかけるというより、毛布で身体をぐるぐる巻きにされてしまった。それがなんだかおかしくて自然と涙も引っ込む。
善逸くんがひと息ついて私の隣に腰を下ろした。
「なんで、もっと早く言ってくれなかったの?」
「え…?」
「わかってたら俺、なまえちゃんのこと連れ回したりしなかったのに」
「連れ回すって、そんな…私、一緒にお買い物できて楽しかったよ」
「だって、生理だったら、外じゃなくて1日家で過ごしたほうが…って、ごめん、俺がケーキ食べようなんて言ったから」
「いや、私もあのお店気になってたから、気にしないで」
「でも、疲れたよね?無理させてごめん」
人一倍、他人に気を遣う彼のことだ。
心の底から悪いと思ってる。
連れ回してごめん。
無理させてごめん。
謝らないでよ。
私のほうこそ、身体がこんな状態でごめんなさい。
「痛み止め効いたら、私帰るね」
「えっ…帰っちゃうの?だめだよ、その身体で動いちゃ」
「おとなしくしてて」と膝に置いていた鞄を取り上げられる。
私、帰らなくてもいいの?
どうしたらいいの?
「善逸くん…」
「うん」
「私今日、えっちできないよ?」
「へっ?」
「あっ…挿れるのは無理だけど、それ以外なら」
「別にできなくてもいいよ?てか、なんでそんなこと言うの?」
善逸くんが悲しいような怒ったような顔で訊いてくる。
「だって、善逸くんの家に来て、その…しなかった日なんてないから…だから今日も…」
初めてここに来た日からずっとそうだったじゃない。
「俺、そういうつもりで呼んだんじゃ…!あっ…いや、100%そういうつもりじゃないって言ったら嘘になるか…」
「えっと」と善逸くんが口篭る。
どういうつもりで呼んだのか、この際ハッキリしてほしい。
善逸くんを見つめながら彼の言葉を待つ。
「…もしかして俺、身体だけだって思われてる?」
これは随分と答えにくい質問だ。
何も言えずに、黙り込んでしまう。
「そうだよね、ごめん…そりゃあ、そう思っちゃうよね」
善逸くんは私の沈黙を肯定と受け取ったらしい。
まあ、肯定といえば肯定なのだけど。
「その…身体が目的とか、そういうんじゃないよ。なまえちゃんのことが大好きだから、やっぱり触りたいって思って…それでいつも…ごめん…」
善逸くんがバツの悪そうな顔のまま話し続ける。
「好きなんだ、なまえちゃんのことが。気づいたらさ、いつもなまえちゃんのことばっかり考てんの…なまえちゃんのことしか頭にないの。俺、おかしいでしょ?こんなこと言ってさ、気持ち悪いでしょ?」
「善逸くん…」
おかしいとか気持ち悪いとか、そんなこと全く思わない。
ただただ驚いている。
なにそれ。
私が勝手に悩んで、ひとりで勘違いしてただけだったのか。
それに、私のことばっかりなんて、嬉しいけど恥ずかしくて、善逸くんの顔をまともに見られない。
「それだけじゃないよ。身体中、全部なまえちゃんで満たされたいって思っちゃうんだ。家の中だったら、なまえちゃんのこと独り占めできるし、それになまえちゃんも俺のこと受け入れてくれてたから…」
「だって、それは…私も善逸くんのことが好きだから…」
優しい声で嬉しい言葉をたくさんかけてくれるあなたを、拒むことなんでできない。
「でもさ、家に来る度そんなんじゃ、いやだったよね?好きとか関係なく、なまえちゃんが本当にしてもいいって思ってなかったら、襲ってるのと変わらないもんな…」
善逸くんがまた「ごめんね」と呟いた。
「襲うなんて、そんなこと…」
「これからは、そういう気分じゃなかったら、そういう気分じゃないって言ってほしい…言いにくいかもしれないけど…俺も、ちゃんと我慢するから」
そうか。善逸くんは私の気持ちを尊重しようとしてくれているんだ。
いつもそうだもんね。私にばっかり気を遣って自分のことなんかあとまわしだもんね。
だから、優しいあなたとならって、いつも絆されて、雰囲気に流されて、受け入れてしまう。
行為中も、「気持ちいい?」とか「辛くない?」とか私の身体ばっかり気にしてさ。本当はもっと好き勝手動きたいはずなのに。
善逸くん、今までだってずっと我慢してるじゃない。
「善逸くん、我慢しなくていいよ」
今日は無理だけど、善逸くんが私を求めてくれるなら、私もそれに応えたい。
そう思って彼を見つめた。
「ああもう…」
大きなため息をついた善逸くんに、毛布ごと抱きしめられる。
「ずるいなあ…なんでそういうこと言うかなあ…やめてよ」
「本当に我慢できなくなるじゃんか」拗ねたような口調で善逸くんが額を合わせて見つめてくる。
善逸くんの顔、真っ赤だ。
きっと琥珀色の瞳に映っている私の顔も赤くなっているだろう。
「私も善逸くんと同じ気持ちだから、我慢しないで」
善逸くんだけじゃない。私も変わらなくちゃだめだ。
ただ流されるんじゃなくて、自分はどうしたいのかってハッキリ言わないと。
「それに、本当にそういう気分じゃないってときは、私もちゃんと言うから…ね?」
「…うん、ありがとう」
そう言うと善逸くんは恥ずかしそうに「へへっ」と笑った。
その顔がなんだか可愛らしくて、私も思わず笑い返した。
「お腹、まだ痛い?」
綺麗な顔を顰めながら善逸くんが訊ねてくる。
善逸くんのほうが痛そうな顔している。
「ううん、さっきより楽になったよ」
「本当に?」
「うん、大丈夫だよ」
「生理痛ってさ、全然痛くない人もいれば、痛すぎて1日中寝たきりの人もいるんでしょ?俺だったらそんな痛いの耐えられないよ」
「女の子はすごいなあ」と呟きながら、善逸くんが私のお腹を優しく撫でる。
「かわってあげられなくてごめんね」
「善逸くんが謝る必要ないよ」
「うーん…俺が女の子だったらなあ…でもそれだと…いや、俺が女の子だとしてもなまえちゃんのこと好きになってるかも」
突拍子もない彼の話に「なにそれ」ってつい笑ってしまう。
「なまえちゃん、笑ってるけどさ、俺本気だよ。好きって気持ちに男とか女とか関係ないもん」
「…そうだね」
好きっていろんなかたちがあるもんね。
好きって気持ちに、それ以外のものは関係ないのかもしれないね。
「なまえちゃん、好きだよ」
「うん」
「私も」と答えると、頬や額にキスが降ってきた。擽ったくて身を捩ると、もっと強く抱きしめられる。
気持ちも落ち着いて、彼の本音を聴けて安心したのか、なんだか眠くなってきた。
「善逸くん」
「ん?」
「本当はね、白いワンピース…この前選んでくれたやつ、今日着てこようと思ってたの」
昨日の夜、沈んだ気持ちでクローゼットにしまい込んだあのワンピースを思い浮かべる。
「うん」
「汚したらいやだなって思って、着るのやめちゃった」
「そっか…」
「せっかく、善逸くんが似合ってるよって言ってくれたのに」
「じゃあ、あのワンピースさ、次のデートのときに着てきて」
「うん…でも、今梅雨だしなあ…雨の日だったら泥ハネしそうでいやだなあ」
「だったら雨が降らないようって、お天道様に頼んでおくよ」
「善逸くんはお天道様より、雷様とのほうが仲良さそうだけどね」
「そんなことないよ」
少しムキになった様子で、善逸くんが「お天道様とも仲良いよ」と言う。
「会ったことあるの?」
「…ないです」
「そうでしょ?」と言うと「でも絶対晴れにしてみせるから」って何故か自信ありげに返された。
「善逸くん」
「なあに?」
「ちょっと、疲れちゃった」
身体の力を抜いて体重を善逸くんのほうにかける。
重いかもしれないけど、このくらい許してほしい。
「そうだよね、疲れたよね」
「少しだけ寝てもいい?」
「うん、いいよ…あっ、待って、ベッドに運んで…」
「いいの、このまま…このまま寝かせて」
お腹を撫でてくれている手に自分の手を重ねると、ぎゅっと握られた。
「わかった…あとでちゃんと起こしてあげるからね」
「うん…」
善逸くんの体温を感じながら、「ありがとう」と呟いて、私は目を閉じた。
与えられる快感に、単語さえ口から発する余裕をなくしてしまって、首を必死に縦に振った。
「可愛いなあ…好きだよ、なまえちゃん。大好き」
恋人の家に、善逸くんの家に行くたびに、身体を求められる。
しかも場所も時間も関係なくだ。
家に着いた瞬間直ぐに玄関で。
善逸くんが食べたいって言ったものを作ってるときにキッチンで。
一緒に入ろうって言われてお風呂場で。
彼の家の中で致していないところなんかないんじゃないかってくらいだ。
流石にトイレとかベランダではしたことないけど。
いつでも朝を迎えられるように、私のお泊まりセット一式は彼の家に置いてある。
行為自体がいやなわけではないし、善逸くんも「可愛い」とか「好き」とか嬉しい言葉をたくさん言ってくれるけど、ときどき不安になる。
本当は善逸くんには他に好きな人がいて、私とは身体だけの関係なんじゃないか。
私が「今日はそういう気分じゃない」って断ったら、どんな反応をされるだろうか。
「じゃあもういいや」って彼の家から追い出されるのだろうか。
もしそうだったら、ショックで立ち直れない。
彼の口から出る言葉は嘘じゃないと思ってる。
いや、そう思いたいだけなのかもしれない。
「はあ…」
大きなため息がひとり暮らしの小さなトイレに木霊する。
最悪な事態が起きた。
来週くらいにはくると思ってたけど、アレがきてしまった。
四六時中、血がダラダラと流れ出るアレだ。
予定日より早くきたのは、ストレスのせいだろうか。
明日、彼の家に行くのに、どうしたものか。
善逸くんの家の近くに有名なケーキ屋さんがオープンしたから、一緒に家で食べようって約束したのに。
生理の週はお家デートを避けてきた。
家に行けば必ずそういうことをするから。
それなのにこのタイミングでくるなんて、自分の身体を恨んでしまう。
今からでも明日の約束を断ろうかと寝室に戻り時計を見遣ると、日付が変わるまで1時間を切っていた。
こんな時間に連絡するのもなあ。
もしかしたら疲れて寝てるかもしれないし。
明日は梅雨の晴れ間と聞いて出しておいた白のワンピースが、なんだか霞んで見える。服も、それに合わせた靴も選びなおさないといけない。
この前善逸くんと一緒に服を買いに行ったとき、「似合ってるよ」って言ってくれたものなのに。
試着室でしか着てない、真新しいワンピースなのに。
着られないの残念だなあと思いながら、ワンピースをクローゼットにしまい込む。
そもそも彼に、雰囲気に流される私が悪いのだ。
たとえ彼の家で過ごすとしても、そういう雰囲気になる前に帰ればいい。
「生理なの」って正直に言えばいい話だけど、そのときの反応が怖い。
ガッカリされたり、急に冷たくされたりしたらって思うと不安になる。
決めた。
明日の目標は『雰囲気に流される前に帰る』でいこう。
そう意気込んで布団に潜り込んだ。
翌日、待ち合わせ場所に着くとすでに善逸くんが私のことを待ってくれていた。思えば、私が善逸くんを待ったことは一度もない。
「待たせてごめんね」と謝ると、善逸くんは「なまえちゃんに会えるのが楽しみで早く着いちゃった」と恥ずかしげもなく言ってのけた。
「ケーキ屋さん行く前に寄り道してもいい?」
そう言う彼に寄り道程度ならいいかと首を縦に振った。
しかし、寄り道どころか普通のショッピングがはじまってしまって、気づけば私も善逸くんも両手に紙袋を引っさげて歩いていた。
「寄り道って言ったのに、ごめんね…」
「ううん、大丈夫だよ」
私も彼との買い物を楽しんでしまっていたので、彼を咎める筋合いはないのだが、痛み止めが効いているとはいえ、2日目の身体で動きまわるのは流石に疲れた。
「そろそろケーキ買って帰ろっか」
「うん。楽しみだなあ」
「どれにしようかな」って食べたいケーキを1つずつ選んで、彼の家に向かう。
「美味しいね」って言いながらケーキを食べて、ソファに座ってテレビを観ながら「面白いね」って笑いあう。
今日はこのままゆっくりしたいなあ。
なんて思ってたのに。
痛い。
お腹が痛い。
ああもう、どうしよ。
せっかく治まってたのに。
頼むから、鎮まってくれ。
頼む。
お願いだから。
ねえ。
「なまえちゃん」
「えっ……何?」
痛みに耐えながら絞り出すような声で返事をする。
このタイミングで話しかけられるのが1番辛い。
「明日も休みだよね?泊まってくでしょ?」
「あ…」
「お風呂、一緒に入ろう?」
「お風呂!?あっ、と…それは…」
首をこてんっと傾けてお願いしてくるなんて、善逸くん可愛いな。
いや、そうじゃなくて。
こんな身体で一緒にお風呂なんてとんでもない。
湯船が血の海になるわ。
まあ、それは言い過ぎか。
とにかく、お風呂なんて入れる状態ではないし、善逸くんのことだから今日はお風呂場でそのままということにもなるかもしれない。
今日の目標は『そういう雰囲気になる前に帰る』だ。
ここで言うしかない。
意を決して口を開いた。
「ごめん!用事思い出しちゃった!今日はもう帰るね!」
我ながら、変なタイミングで帰宅宣言をしてしまった。しかし、これ以上居座るわけにもいかない。
善逸くんの家を出たら、その辺のコンビニか自販機で水を買って痛み止めを飲もう。
「本当にごめんね!また来るから!」
立ち上がり、壁にかけておいた鞄を掴んで玄関へと向かう。
「待って」
「うわっ!?」
歩き出した瞬間腕を引かれた。
よろけた身体を受け止められる。
「何かあったの?」
「えっ!?何もないよ!とにかく帰らなきゃいけないから」
何もないわけないじゃない。只今絶賛腹痛と格闘中よ。
やっぱり、このタイミングで帰るなんて流石に怪しまれるか。
私を見つめる視線と掴まれてる腕が痛い。
でも、お腹はもっと痛い。
「善逸くん…私、家に」
「嘘だよ」
嘘だけど半分嘘じゃない。
好きな人に血まみれの局部を晒すくらいなら、自分の家に帰るわ。
お願いだから今すぐ帰らせてくれ。
もしくは床でもいいから横になりたい。
「そんな不安そうな音鳴らせて何もないなんて、嘘に決まってる」
「そんなこと…」
そうだ。善逸くんは人より耳がいいだもんね。
だからこうして私の腕を掴んで離そうとしないんだ。
不安だよ。
「好き」ってたくさん言ってくれても、本当は身体だけを求められているんだとしたら。
善逸くんがそのために私を家に呼んでいるんだとしたら。
そう考えたら、不安にもなるよ。
「何かあるなら俺に話してよ」
本当のことを言ったら、この手を離してくれるかな。
なんだ今日はできないのかって、ガッカリされるかな。
「ねえ、なまえちゃん」
でも、もし本当のことを言って、ガッカリされたら。
「じゃあ今日は帰っていいよ」って言われたら。
求められているのは身体だけだってことだ。
「…あの」
「うん」
「私、今…アレなの」
「アレって?」
「せ、生理…昨日きたの…」
目を真ん丸くして、善逸くんが驚いた顔をする。
善逸くんだって、いきなり「生理なの」って言われても困るよね。
でも私は善逸くんと違って、そういう身体で産まれてきたからしょうがないんだよ。
痛みのせいか冷や汗が出てきた。
「そうだったの?ごめん…俺、全然気づかなかった…」
そりゃあ、あなたに気づかれないように薬飲んで痛いの我慢してたからね。
何年、この身体と付き合ってきたと思って。
「お腹とか、痛くない?あっ、身体冷やしたらだめだよね!」
そう言って、彼は自分の着ていたパーカーを脱いで、私にかけてくれた。
脱いたばかりだからか、パーカーがあたたかく感じる。
それに善逸くんの匂いがする。いつも私を落ち着かせてくれる匂いだ。
「あとは…そうだ、なんかあったかいものでも飲む?とりあえず座ろっか?」
善逸くんはいつだって優しいなあ。
なんだか無性に泣けてくる。
自分の目から堰を切ったようにボロボロと涙が零れはじめた。
「えっ!?泣くほど痛いの!?」
「っう……そうじゃなくて……!でも、痛み止め、飲んでいい?」
「そんなこといちいち聞かなくていいよ!薬飲んで!ほら、座って!水持ってくるから!」
泣きながら立ち尽くしていると、あれよあれよというまに再びソファに連れ戻された。
善逸くんが「どうぞ」と水の入ったコップを手渡してくる。コップを受け取ると、善逸くんは「ちょっと待っててね」と言い残して寝室に行ってしまった。
鞄から薬を取り出して水と一緒に飲み込んだ。それと同時に、善逸くんが寝室から毛布を引きずりながらやってきた。
「これ、お腹にかけよう」
「あ、ありがとう…」
お腹にかけるというより、毛布で身体をぐるぐる巻きにされてしまった。それがなんだかおかしくて自然と涙も引っ込む。
善逸くんがひと息ついて私の隣に腰を下ろした。
「なんで、もっと早く言ってくれなかったの?」
「え…?」
「わかってたら俺、なまえちゃんのこと連れ回したりしなかったのに」
「連れ回すって、そんな…私、一緒にお買い物できて楽しかったよ」
「だって、生理だったら、外じゃなくて1日家で過ごしたほうが…って、ごめん、俺がケーキ食べようなんて言ったから」
「いや、私もあのお店気になってたから、気にしないで」
「でも、疲れたよね?無理させてごめん」
人一倍、他人に気を遣う彼のことだ。
心の底から悪いと思ってる。
連れ回してごめん。
無理させてごめん。
謝らないでよ。
私のほうこそ、身体がこんな状態でごめんなさい。
「痛み止め効いたら、私帰るね」
「えっ…帰っちゃうの?だめだよ、その身体で動いちゃ」
「おとなしくしてて」と膝に置いていた鞄を取り上げられる。
私、帰らなくてもいいの?
どうしたらいいの?
「善逸くん…」
「うん」
「私今日、えっちできないよ?」
「へっ?」
「あっ…挿れるのは無理だけど、それ以外なら」
「別にできなくてもいいよ?てか、なんでそんなこと言うの?」
善逸くんが悲しいような怒ったような顔で訊いてくる。
「だって、善逸くんの家に来て、その…しなかった日なんてないから…だから今日も…」
初めてここに来た日からずっとそうだったじゃない。
「俺、そういうつもりで呼んだんじゃ…!あっ…いや、100%そういうつもりじゃないって言ったら嘘になるか…」
「えっと」と善逸くんが口篭る。
どういうつもりで呼んだのか、この際ハッキリしてほしい。
善逸くんを見つめながら彼の言葉を待つ。
「…もしかして俺、身体だけだって思われてる?」
これは随分と答えにくい質問だ。
何も言えずに、黙り込んでしまう。
「そうだよね、ごめん…そりゃあ、そう思っちゃうよね」
善逸くんは私の沈黙を肯定と受け取ったらしい。
まあ、肯定といえば肯定なのだけど。
「その…身体が目的とか、そういうんじゃないよ。なまえちゃんのことが大好きだから、やっぱり触りたいって思って…それでいつも…ごめん…」
善逸くんがバツの悪そうな顔のまま話し続ける。
「好きなんだ、なまえちゃんのことが。気づいたらさ、いつもなまえちゃんのことばっかり考てんの…なまえちゃんのことしか頭にないの。俺、おかしいでしょ?こんなこと言ってさ、気持ち悪いでしょ?」
「善逸くん…」
おかしいとか気持ち悪いとか、そんなこと全く思わない。
ただただ驚いている。
なにそれ。
私が勝手に悩んで、ひとりで勘違いしてただけだったのか。
それに、私のことばっかりなんて、嬉しいけど恥ずかしくて、善逸くんの顔をまともに見られない。
「それだけじゃないよ。身体中、全部なまえちゃんで満たされたいって思っちゃうんだ。家の中だったら、なまえちゃんのこと独り占めできるし、それになまえちゃんも俺のこと受け入れてくれてたから…」
「だって、それは…私も善逸くんのことが好きだから…」
優しい声で嬉しい言葉をたくさんかけてくれるあなたを、拒むことなんでできない。
「でもさ、家に来る度そんなんじゃ、いやだったよね?好きとか関係なく、なまえちゃんが本当にしてもいいって思ってなかったら、襲ってるのと変わらないもんな…」
善逸くんがまた「ごめんね」と呟いた。
「襲うなんて、そんなこと…」
「これからは、そういう気分じゃなかったら、そういう気分じゃないって言ってほしい…言いにくいかもしれないけど…俺も、ちゃんと我慢するから」
そうか。善逸くんは私の気持ちを尊重しようとしてくれているんだ。
いつもそうだもんね。私にばっかり気を遣って自分のことなんかあとまわしだもんね。
だから、優しいあなたとならって、いつも絆されて、雰囲気に流されて、受け入れてしまう。
行為中も、「気持ちいい?」とか「辛くない?」とか私の身体ばっかり気にしてさ。本当はもっと好き勝手動きたいはずなのに。
善逸くん、今までだってずっと我慢してるじゃない。
「善逸くん、我慢しなくていいよ」
今日は無理だけど、善逸くんが私を求めてくれるなら、私もそれに応えたい。
そう思って彼を見つめた。
「ああもう…」
大きなため息をついた善逸くんに、毛布ごと抱きしめられる。
「ずるいなあ…なんでそういうこと言うかなあ…やめてよ」
「本当に我慢できなくなるじゃんか」拗ねたような口調で善逸くんが額を合わせて見つめてくる。
善逸くんの顔、真っ赤だ。
きっと琥珀色の瞳に映っている私の顔も赤くなっているだろう。
「私も善逸くんと同じ気持ちだから、我慢しないで」
善逸くんだけじゃない。私も変わらなくちゃだめだ。
ただ流されるんじゃなくて、自分はどうしたいのかってハッキリ言わないと。
「それに、本当にそういう気分じゃないってときは、私もちゃんと言うから…ね?」
「…うん、ありがとう」
そう言うと善逸くんは恥ずかしそうに「へへっ」と笑った。
その顔がなんだか可愛らしくて、私も思わず笑い返した。
「お腹、まだ痛い?」
綺麗な顔を顰めながら善逸くんが訊ねてくる。
善逸くんのほうが痛そうな顔している。
「ううん、さっきより楽になったよ」
「本当に?」
「うん、大丈夫だよ」
「生理痛ってさ、全然痛くない人もいれば、痛すぎて1日中寝たきりの人もいるんでしょ?俺だったらそんな痛いの耐えられないよ」
「女の子はすごいなあ」と呟きながら、善逸くんが私のお腹を優しく撫でる。
「かわってあげられなくてごめんね」
「善逸くんが謝る必要ないよ」
「うーん…俺が女の子だったらなあ…でもそれだと…いや、俺が女の子だとしてもなまえちゃんのこと好きになってるかも」
突拍子もない彼の話に「なにそれ」ってつい笑ってしまう。
「なまえちゃん、笑ってるけどさ、俺本気だよ。好きって気持ちに男とか女とか関係ないもん」
「…そうだね」
好きっていろんなかたちがあるもんね。
好きって気持ちに、それ以外のものは関係ないのかもしれないね。
「なまえちゃん、好きだよ」
「うん」
「私も」と答えると、頬や額にキスが降ってきた。擽ったくて身を捩ると、もっと強く抱きしめられる。
気持ちも落ち着いて、彼の本音を聴けて安心したのか、なんだか眠くなってきた。
「善逸くん」
「ん?」
「本当はね、白いワンピース…この前選んでくれたやつ、今日着てこようと思ってたの」
昨日の夜、沈んだ気持ちでクローゼットにしまい込んだあのワンピースを思い浮かべる。
「うん」
「汚したらいやだなって思って、着るのやめちゃった」
「そっか…」
「せっかく、善逸くんが似合ってるよって言ってくれたのに」
「じゃあ、あのワンピースさ、次のデートのときに着てきて」
「うん…でも、今梅雨だしなあ…雨の日だったら泥ハネしそうでいやだなあ」
「だったら雨が降らないようって、お天道様に頼んでおくよ」
「善逸くんはお天道様より、雷様とのほうが仲良さそうだけどね」
「そんなことないよ」
少しムキになった様子で、善逸くんが「お天道様とも仲良いよ」と言う。
「会ったことあるの?」
「…ないです」
「そうでしょ?」と言うと「でも絶対晴れにしてみせるから」って何故か自信ありげに返された。
「善逸くん」
「なあに?」
「ちょっと、疲れちゃった」
身体の力を抜いて体重を善逸くんのほうにかける。
重いかもしれないけど、このくらい許してほしい。
「そうだよね、疲れたよね」
「少しだけ寝てもいい?」
「うん、いいよ…あっ、待って、ベッドに運んで…」
「いいの、このまま…このまま寝かせて」
お腹を撫でてくれている手に自分の手を重ねると、ぎゅっと握られた。
「わかった…あとでちゃんと起こしてあげるからね」
「うん…」
善逸くんの体温を感じながら、「ありがとう」と呟いて、私は目を閉じた。