奇病系
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この関係に名前を付けるのなら一体なんだろうか。曖昧な関係だとしても、それで満足していた。望んだ答えは彼の顔を見れば分かるから。
厳しい海賊の世界にいた私は、あろう事か同盟相手の船長に恋をした。私の旅の目的であった、『呪い』を解いてくれた彼に着いていくことを決めた私は今までの一味を辞める事になる。
翌日、その事実を船で告げれば船の持ち主であるバルトロクラブの皆も、仲間だったウソップとフランキーもとても驚いていた。当然の事だけど、ゾロの視線は鋭い。海賊の世界でそう簡単に敵船へ行きますと言ってそれが通るほど優しい世界では無い。
「ごめんなさい。ローさんが悪者みたいになっちゃって。」
「すぐ謝るのは辞めろ。俺は海賊だ。欲しいものは力づくで奪う。悪党らしくていいじゃねェか。」
「…ありがとうございます。」
ニヤッと口角をあげるローさんはとても頼もしい。友達ごっこの世界では無いから、私の気は重いけれど、自分の決めた事だ。
「ローさんの船の話が聞きたいです。白熊さんが居ましたよね?」
「ベポだ。航海士だ。」
「ベポさんは航海士…。あとは…?」
彼用に宛てがわれた狭い船室で会話をするけど、当然距離は近い。何かを話していないと心臓が破裂してしまいそうだと言うのに、彼は口を閉じるのだ。
「…ローさん?」
何かをぼんやりと考える彼を見ておずおずと首を傾ける。視線を自身の膝に移しはぁと声にならない溜息を落とす。彼はなにか思考している様でこれ以上の言葉は掛けられない。正直この狭い空間で彼と二人きりになれば昨日の事を思い出してしまい心臓がドッドッと疼くのだ。
「お前の島の話を聞きたい。」
静寂の中響いた彼の言葉にビクンと体が跳ねた。驚きに瞳を丸くすれば、彼は眉を下げた。
「…嫌な事は話さなくていい。」
椅子に座るローさんは長い脚に肘を置き両の手を絡ませ、少し前屈みになりながら私を見下ろしている。その視線はやけに鋭い様な、優しい様な不思議な感覚に陥る。
「えーっと、島の呪いについては、昨日話した通りです。」
昨夜彼の仲間になると決めたあと、私達はホテルへ戻った。そこで何かする訳でもなく、私の体の事を話した。
恋をして結婚をしないと衰弱する呪い、私達が幼少期から聞かされていた呪いはこれ。事実恋をしない女達は発作を起こし高熱に浮かされていた。20歳を超えると症状は悪化し死に至る。これも島で何人か死亡した事例があり事実だった。
私が起こした発作も条件を達していないペナルティの様なものだった。もうすぐで20歳を迎える私は16を越えた辺りから突然体が熱に浮かされる事が増えた。島では沢山の男達が集う、だけどどの男も私にはピンと来なかった。でも死にたくは無かった。両親の選んだ婚約者を必死に好きになろうと努力をしたけど無理だった。
発作が起きてから私は決意したのだ、島を出てこの忌まわしき呪いを自力で解くと。
出来ることなら結婚にも囚われたくなかったし、恋だってしなくていいと思っていた。体が自由になるなら。
だけどパズルのピースがハマるように、私の心にローさんがピッタリとハマった。やっと見つけた鍵が私の心を開いた。
それに、この呪いは恋をした相手を虜にする事も出来るようだ。基本的に女が相手を選べば男はその女と一生を添い遂げる。相手を虜にするという事実は知らなかったけど、考えてみればその表現がピンとくる。その話をすれば、通りで…とローさんは呟いた。運命なんて素敵な言葉を使いたかったけど、今度は私が彼を縛り付けているようでズキンと胸が傷んだ。
「…ごめんなさい。巻き込んじゃって。」
「謝るなと言っただろ。大体俺はそんなもののせいでお前を仲間にした訳じゃねェ。勘違いするな。」
確かに昨日彼は私のこの恋心はなくす必要はないと言ってくれた。でも、彼を縛るのは嫌だ。
「聞きたいのは島で何をしていたか、だ。確か言っていただろ、授業があるとか何とか。」
「あ、花嫁授業の事ですか?」
「ふざけた名前だな。一体何をさせられたんだ。」
少し怒りを孕んだ様な彼の瞳が怖い。あの島で育ったからそれが当たり前に行うものだと思っていたけど、今は違うって事ぐらいわかる。それに、何故だか彼には言いたくない。
「えーっと…私達は結婚しないと死んじゃう…じゃないですか?だからその、女性として男性を虜に出来るように、10歳を迎えた時から教育を受けるんです。」
ちらりと彼を覗くけど、それから?と言いたげな瞳に視線を自分の手に移す。あまり好ましい内容では無いかもしれないけど、多分頭のいい彼は些細な情報からも推理が出来るのだろう。
「内容は大きく纏めて、家事、礼儀作法、夜の営みの3つです。基本的には家事の授業が多くて種類が多いんですけど、私は少し不器用で、お裁縫は苦手でした。」
よく指に針を刺したことを思い出せば指先を弄った。お陰で1人で島を飛び出しても何とかやっていけたし、そこに関しては感謝している。
「…そうか。苦手な事はしなくていい。得意な奴がやればいい。」
「あ!でも、もう大丈夫ですよ!練習したから得意では無いですけど、人並みには出来ると思います。」
貴方の役に立ちたい。私に出来ることならば、なんだってする。
「…夜のってやつは、何をやらされた。」
妙に確信めいた言葉に瞳は揺らぐ。当然と言えば当然だ。だって昨日授業で習っていた事を彼にしたのだから。でもそんな事実彼に言いたくない。言えば嫌われると分かっていた。
「…汚いですよね。良く考えたら。」
島で行われていたソレは、当時は当たり前の事だと思っていた。蓋を開ければ普通の人間はそんな授業を受けない。恋を知りたくて島から出て読んだ本にはそんな事は書かれていない。良く考えれば、あの島はおかしかった。
基本的に浮気はご法度、婚約を結べば一生を添い遂げる夫婦になる。だけど花嫁授業で訪れる王族の男達のアレは一体なんなのだろうか。
「悪い。無理に聞き出そうとした。忘れろ。」
「良いんです。事実ですから。」
「それ以上は話さなくていい。」
こめかみに手を当てる彼を見て深呼吸をした。知らぬ間に手が震えている。だけど少しでも違和感があるのなら、伝えるのが私の役目だ。彼を巻き込んでしまった、私の責任。
「実践は王族の相手をするんです。純潔を保つ為に下半身と唇へは触れられませんが、それ以外は実践で経験しました。男を悦ばせる事が妻の務めですので、彼らのモノをその、口で…」
「それ以上何も言うな。お前が育ってきた環境は理解した。」
「でも、その…」
口を紡ごうとすれば、彼は立ち上がり私の前へ来た。上手く彼のことを見る事が出来ない。
「名前、お前はもう自由だ。人を喜ばせる為に生きる必要はねェ。自分のために生きろ。」
「…自分の為に。」
死から逃れて何をしたいか正直分からなかった。以前はルフィ達と冒険がしたいと思っていた。でも今は目の前にいる彼のそばに居たい。彼と添い遂げたいと思ってしまっている。多分、呪いは解けていない。死は免れたとしても、この呪縛だけは消えないようだから。
「楽にしてやる。だが、俺はもうお前を逃がすつもりは無い。」
「はい。逃げるつもりはありませんよ?」
「へへ、どうだかな。案外逃げ出したくなるかもしれねェぞ。」
妙に噛み合わない彼との会話に首を傾げた。だって船に乗せてとお願いしたのは私だと言うのに。
ゾウへ向か道中私はロビンと過ごした。流石に彼の部屋で寝泊まりする事は出来ない。恋人になった訳では無いから、あれから彼に触れる事は無い。恋人として傍に置いてくれと頼んだわけではないけど、前途多難なこの道に頭を悩ませた。
ゾウに着いた。本当に象で見上げるほど大きい象の足に目を丸くした。皆の元へたどり着けばサンジが居なくなったと言う話になった。ナミの元へ行こうとすれば、ローさんに腕を掴まれる。
「お前はこっちだ。」
「え?何?どういうこと?」
「あ、ごめんなさい。私、ハートの海賊団に入る事になって…」
「はぁあああ!?ちょっとどういうこと!?」
「えええええええ!?」
ぐるわらの一味の皆は驚いていた。経緯を説明しようとすれば、ぐいっとさらに腕を引かれる
「そういう事だ。行くぞ。」
「あっ、その、また後で!」
よろけながら向きを変えれば彼の手はゆっくりと離れた。彼の掌に乗るビブルカードはずっと正面を指していた。背負っている大きなリュックの持ち手をソワソワと掴む。突然現れて仲間になります、と言って彼の仲間達は受け入れてくれるのだろうか。
お互い口数が多い方ではない。スタスタと足を進める彼に置いていかれないように必死に足を動かす。
「キャプテーン!!」
「来てくれたのかーー!?」
大きな白熊に抱き締められ、周囲のクルーが次々に彼を囲んだ。キャプテン!と嬉しそうに声を上げる彼等を見て、ローさんがどれだけクルーから愛され慕われているのかすぐに理解出来た。
「ん?麦わらの…?俺たち同盟組んだんだよな!よろしく頼むよ!」
「あっ…」
彼らの再開の邪魔にならぬよう、1歩下がり様子を見ていた。勿論挨拶をするつもりだったけど、突然話を振られ気の抜けた声が漏れた。
「元麦わらの一味の名前です。懸賞金は8900万ベリー。ハートの海賊団船長、トラファルガー・ローさんに命を救われ今此処にいます。」
「元!?えっどういう事!?」
「残り僅かだったこの命、彼の為に使いたくて今この場にいます。必ず役にたちます。皆さんの仲間に入れてください!!」
「はっ!?ええええええええ!?」
「えっ!?どういう事ですかキャプテン!?」
「そのままだ。仲間に入れる。麦わら屋からも頼まれたからな。」
端的にサラッと説明をする彼にクルーは叫び声を上げた。森の奥へ足を進める彼らから視線を外し、その場にある瓦礫にちょこんと腰を下ろした。チクチクと刺さる視線、彼らは久しぶりの再会を果たしている。いくら船長からの許可が降りたとは言え、彼等の積もる話しに参加する程図太くは無い。
そんな私に気付いたペンギンは歩みを止める
「お前は行かないのか?」
「久しぶりの再会ですよね?これ以上水を差す真似はしたくないです。」
「んーまぁキャプテンが仲間にするってんだから、気に来る必要は無いと思うけど?」
「ふふっペンギンさんは優しいですね!大丈夫です!逃げも隠れもせずここに居ます。皆さんに認められるまでは怪しい行動は取りたくないんです。」
「んーそっか。じゃ、また後でな!」
走り去るペンギンに会釈をし、静まり返った森の中で深呼吸をした。警戒されるのは当然だった。だから私なりの誠意を見せたい。まだ麦わらのクルーへの説明もすんでいないのだ。船長同士の合意があったとはいえ、クルーへの示しは付かない。教科書には無い海賊の仁義を通す為に頭を捻った。
再びみんなが合流し、話し合いが行われた後に自分の番がやってくる。今すぐにでも始まりそうな宴の前に少し重い空気が流れてしまうのは忍びない。
「ハッ!友達ごっこの次は恋愛ごっこでもするつもり!?言っとくけどアンタがキャプテンとそういう関係になるつもりで船に乗るのならお断りだから。」
自分の口から経緯を説明し、納得をする者も入れば当然反対する者もいる。命懸けで海賊として生きている彼らからすれば、恋をしたので敵船へ行きます。なんて馬鹿な話は無い。
「遊びで海賊を続ける訳じゃありません。でも、ローさんへの感情の消し方もわかりません。ただ自分の命の使い方は私が決めたい。」
ケジメを付ける、なんて話したけどどれだけ頭を捻っても皆を納得させる言葉なんて出て来ない。そんな熱くなるなよ、と宥めている人もいるけど、警戒するのは当然だ。
「死ぬのは勝手だが、キャプテンをそういう目で見て着いてくるのなら辞めてくれ。」
「目…。」
ポツリと呟いた。得体の知れない同盟相手、得体の知れない女に、自船の船長に恋をする女、とんだ地雷なのは明白だ。彼との関係が良くなるに越したことはないけど、色恋に現を抜かす為に彼に着いていくと決めた訳では無い。
太腿に巻き付けていた小型のナイフを手に持った。自分でも何故その行動を取ったのか良く覚えていない。サクッと長い紙の束を切り落とせば、頭はスッキリする。
ふぅと1呼吸置き、腕を自身の右の瞳に突き刺した。ずっと傍観していたゾロがスローモーションの様に動きこちらへ走ってきたのが見えた。
「っバカ!!何してんだテメェ!?」
ポタポタと深紅が伝う。死ぬ程痛いけど、不思議と後悔はない。
「私なりのケジメをつけたつもりです。」
「馬鹿だろお前!?そっちのクルーのことは知らねぇが、うちのクルーにお前の脱退を反対する奴はいねぇよ!」
予想だにしなかったゾロの言葉に驚愕した。だけど安堵した。
「馬鹿野郎!!今すぐ見せろ!!」
視界が変わると酷く焦った顔をするローさんの姿があった。ドクドクと右側が熱い。
「…視神経が殺られてる。テメェ…!!」
周りに人が集まる。こんなに大事にしたくは無かったけど、血が抜けてサーっと冷静になった頭で考えるけど、自傷して血痕を流す女を見れば騒がしくもなる。
「医者の前で失明か。二度と馬鹿な真似すんじゃねェ。」
「…すみません。」
直ぐに治療を施してくれた彼には申し訳ない。チョッパーも泣きながら私の治療を手伝ってくれた。チョッパーの涙を見るのは心苦しかったし、多分私の誠意の見せ方は失敗したのだろう。
手当が終われば事態は終息していた。ローさんがいない隙にチョッパーから貰った薬を見つめていた。どうやらチョッパーは薬を完成させていたようだ。生きる為に必死だったあの数日間はどうやら無意味だったらしい。命の恩人であり恋をした相手であるローさんの元へ行きたいと切望したのはきっと呪いのせいだから。
「何してんだ。」
背後からする低い声にビクッと肩を震わせる。宴会場からは離れたこの小屋で彼の声を耳にするとは思わなかった。慌てて薬を握り締め後ろを振り返れば、不機嫌そうに眉を寄せるローさんがいた。
「何を隠した。」
「…別に隠した訳じゃ。」
あっさりと腕を捕らえられれば、握り締めたそれはすぐに暴かれる。頭のいい彼はそれが何なのかすぐに理解する。
「もう治ったんじゃねェのか。」
「多分治ってません。ローさんも気付いてますよね。」
寿命さえ延びれば終わりだと思っていたこの呪い。チョッパーから聞けば、どうやら幼少期に薬を打たれていた事が発覚した。複数回に分けて接種を続けてきたそれは身体に染み込んでいた。恋をした相手に依存気味になるのも、身体を蝕むこの感情も、全てそれのせいなのだ。
「逃がすつもりはないぞ。」
「逃げませんよ。」
「ハッ。どうだか。自信がねぇから口にしないんだろ。」
全てを見透かす様な彼の視線に耐えられず目を逸らした。早く消えて欲しいと思っていたこの想いが、消えてしまうのが怖いのだ。
「俺は存外お前を気に入っている。今更手放すつもりは無い。」
たった数日、濃い生活ではあったけど、ほんの数日で巣食う感情は恐らく呪いのせい。彼の言葉は麻薬のようだ。きっとこれを飲んでしまえば彼の目も覚める。もう二度とこの視線が私に交わることはない。
「物欲しそうな顔をするな。喰いたくなるだろ。」
「…ローさんになら食べられてもいいです。」
「ソレが治ったらな。薬は…まぁいい、好きにしろ。」
目を細め彼が視線を送ったのは私の右眼。チョッパーから貰った薬は飲まなくてもいいと、彼は言う。あんなに一線を引いて距離を保っていた彼が、何故ここまで甘くなったのか理由はきっとこの忌々しい体のせい。ハートのクルーから言われた言葉を思い返せば決断は早かった。
「飲みます。もし、私の事が嫌になっても、船に乗せてくれますか?」
「…こっちの台詞だ。俺は逃がさねぇと言った。」
ポカポカと沸き上がる暖かい感情もこれが最期だ思えば、頬が緩んだ。きっと次に目が覚めたら、彼はこの言葉も忘れるのだろうから。
ーーーー
まるで海の中に沈んでいるみたい。ぶくぶくと不思議な音がする。体はゆらゆら揺られていてよく耳をすませば激しい機械の音が聞こえてくる。
パチリと目を開けば違和感がある。あぁ、右眼は自分で刺したんだと遠い記憶を思い出す。目に触れようと右腕を動かせば腕にも違和感を感じる。良く見れば点滴が繋がっているし見覚えのない部屋だった。本が沢山置いてある、机の上には紙が乱雑に置いてあった。
壁は無機質、扉は重く鋼鉄で出来ているようだ。
身体を起こしベッドボードに腰を預ける。多分長い事寝ていたようだ。体の節々が痛い。なのに頭は妙にスッキリとしている。
…彼への想いも消えてしまったのだろうか。
重い扉が開く。予想通り扉は分厚く、ここが普通の場所では無いことを認識する。目に入った白い斑模様の帽子から覗く表情には驚きが伺える。
「…いつ目が覚めた?」
「えっと、ちょっと前?」
「身体は?起こしても平気なのか。」
「大丈夫です。ここは何処ですか?」
ローさんは私へ近付くと何やら身体の診察を始めた。額に触れた手には温もりを感じる。でも以前の様な沸き上がる様な体が沸騰する様な、ポカポカとした感覚はない。
「潜水艦だ。」
あぁ、そういえば彼らの船は潜水艦だった。通りで普通の船とは違う無機質な部屋なのかと納得をする。ジィっと彼の手を見ていた。彼からの問診には返答したけれど、お互い元々口数は多い方では無い。
彼はテーブルに向き合い書き物を始めるといよいよやる事が無くなった。まだ起き上がってもいいのか、私には判断が出来ない。くるりと椅子が回ると彼の視線はやっと私の目を見つめた。
「逃げたくなったか。」
「いいえ。でも、よく分かりません。」
「ほう。」
彼に対して好意があるのかは分からなかった。彼の傍に居ないと苦しい、彼のそばに居ると苦しい、そんなチグハグなグチャグチャの感情は綺麗さっぱり消滅した。視線が交わっても分かりやすく弾ける麻薬のような快感は押し寄せない。
「だけど、貴方の役に立ちたいです。」
「そりゃ良かった。逃がすつもりは毛頭ねぇからな。」
悪い顔でニヤリと笑う彼に胸がドキッとしたような気がする。これが恋なのか病み上がりの身体の軋みなのかは判断が出来ない。以前はもっと沸き上がる感情を抱いていたから。
彼から渡されたスープを呑みながら現在の状況を知った。この船はあと2日もあればワノ国へ上陸するらしい。麦わらの一味との同盟関係も継続中で彼等が半分に別れている事も。
食事を終えても彼はベッドの脇から動かない。それに私の頬に手を置き右の目をなぞり始める。痛みは無いけれど擽ったい。心做しか嬉しそうな彼の視線がむず痒い。
「汚いからシャワー浴びたいです。」
「身体なら拭いてたからそこまで汚れてねェよ。」
「えっ…!?誰が?」
「俺が。」
表情一つ変えずに告げる彼に驚きの余り目を丸くした。私が眠っていたのは3日間、その間彼に全ての世話をされていたのかと思えばなんとも言えない気持ちになる。
「なんだ照れてんのか。」
「…わかりません。申し訳ないです。」
「素直じゃねぇな。自分の顔を見てみろよ。シャワーならそこにある。着替えもそこだ。部屋から出なければ何をしてもいい。」
ベッドから起き上がろうとすれば、彼は優しく手を引いてくれた。まるでエスコートをされているようだ。立ち上がれば身体は少しふらついて、トンと彼の胸板に寄りかかった。細身だけど筋肉質でガッシリとした彼の体。支えられている腕は良く見れば太く男らしい。
「一緒に入ってやろうか?」
「大丈夫です。」
ローさんはクツクツと笑っているけど、こっちは笑い事ではない。彼が揶揄っているのは明白だし、良く見れば整っている彼の顔に気付けば胸はドキドキする。脱衣所にある鏡を見れば、見たことも無い自分の姿があった。決して気になるのは潰れた右眼では無い。自身の頬を抑えその赤味に驚いた。だって誰がどう見てもこの表情は_
シャワーで頭を冷やそうと思ったけれど、火照った頬だけはどうにもならない。それに呪いは確実に解けたはずなのに、どうも彼の顔が脳裏に浮かぶ。チョッパーの薬が確かなものだと言うことは断言出来る。だって、心がおかしくなるような縛られるような感覚は全くない。彼の傍に居ないと死んでしまうという沸き上がる感情が今は無い。
彼に触れられる度に脳が弾け、楽園へ導かれるような快楽が訪れる訳でも無い。
だけど、私の体は想いは消えていなかった。大袈裟に無理やり導かれていた感情に慣れてしまっていた。トクントクンと優しく響く心の音も、脳裏を過ぎる彼の顔も、全て消えていない恋心だった。
「スッキリしたか。」
「…はい。」
「こっちへ来い。乾かしてやる。」
ローさんはトントンとソファを叩く。彼の横にちょこんと収まれば、ドライヤーの風が吹く。無造作に切り落とした髪は整えられているような気がした。
「そういえば、髪の毛整えてくれましたか?」
「シャチに整えさせた。次はもっとマシに切れ。」
「マシに切ってたら私の覚悟は見せれないじゃないですか。」
かなり短くなった髪は直ぐに乾く。彼が私の髪で遊ぶけれど、パラパラと直ぐに手からすり抜けるからどれ程短くなったのかは明白だ。
「まぁ、悪くないな。」
「…髪が短い方が好きなんですか?」
「いいや…そういう訳じゃねぇが。」
肩を引き寄せられる。耳元に息が掛かる。
「ちょっ…と!」
「俺を想ってやった事だと思えば気分がいい。」
そう言って彼は右の頬に手を這わせる
「コレも。まぁ最初は気に食わなかったが、これがある限りお前は俺から逃げられねぇからな。」
「だ、だから逃げないって…」
「みたいだな。で?クスリを飲んだ感想は?」
顔と顔が触れてしまいそうな距離で、彼は私に問い掛ける。抱き寄せられていて逃げ場は無い。心の音は多分彼に届いている。以前程分かりやすく体が反応している訳では無いけど、この鼓動が何を意味するのか理解するのに時間はかからない。
「治りました。心がスッキリしてます。」
「ほう。そりゃ良かった。」
余裕の笑みを浮かべ様子を伺う様な彼は私の気持ちに気付いている。彼が意地の悪い男だと気付いたのは今この瞬間だけど、それでも彼の事を嫌いになる事はないだろう。
「意地悪ですね。」
「何のことだか。」
「好き、好きです。ローさん。貴方への感情はどう頑張っても消せないみたいです。」
「俺の女になるか?」
「…え?」
どうせまたはぐらかされる。そう思っていたのに、彼から飛び出た言葉に思わず声を上げた。さっきまで愉悦に浸っていた彼は途端に眉間に皺を寄せる。
「え?じゃねぇだろ。」
「でも、ローさんは船長だし。」
「難儀な性格だな。お前のあれを見てもう文句を言うやつなんざ居ねぇよ。大体テメェは何の為に好意を伝えてきやがった。」
「…クスリの効果を伝える為に。」
分かりやすく不機嫌になる彼に目を逸らした。呪いは解けた。彼の事は好きだけど、彼と恋人になることを切望し苦しくなる事はもうない。ただ彼の役に立つ事が出来るのなら形に拘りなどない。
「…そうか。なら好きにしろ。」
この関係に形なんていらないと思っていた。だって彼の表情を見れば全てわかるし。彼の女にならなくても、私は死ぬ事はない。彼のクルーとして生きると決めたんだから、彼の特別存在になる訳には行かない。なのに、
「まっ…て!」
離れようとする彼を引き止めた。多分初めての感情が私の中で舞っている。
「ローさんってモテますよね。」
「まァ、それなりには。」
「私、別に良かったんです。貴方の手足となり、命を賭ける事ができるなら。」
「ヘェ…。」
「だけど、分かんないけど、やっぱりイライラします。ローさんが他の人を見るなら、耐えれないかもしれないです。私にだけその視線を向けて欲しい。もう他の女に触らないで欲しい。…貴方の1番になりたい。…重いですか?」
自分でも何を言っているのか分からない。多分この感情は嫉妬だ。以前までは沸き上がらなかった感情。彼の視線が優しさが甘い声が、他の女に向くことは考えたくない。考えられない。ジッと彼を見つめれば、不機嫌だった彼の顔は徐々に晴れていく。
「いいや?お前が重い女なのは知っている。それに、俺も大概だ。もう一度だけ聞いてやる、俺の女になるか。」
「それだけじゃ嫌です。ローさんの女になります。だから、あなたは私の男になってください。」
彼は一瞬目を丸くした、口元に弧を描くと少し目を細めた。私は彼のこの顔が好きだ。
「悪くねェな。」
「裏切りの代償は。」
「もう片方の眼でも貰おうか。あぁそれじゃあ何も見え無くなるな。」
「別に構いませんよ。裏切るつもりは無いので。」
「成立だな。」
ローさんはニヤリと微笑むと、噛み付くように唇を塞ぐ。彼とのキスはあの日以来初めてだ。1ミリも残っていない理性の中で馬鹿みたいに彼を求め溺れていたあの時とは違った。
「…俺が裏切ったら心臓でもやろうか。」
「いらないです。でも潰しちゃうかも。」
「そうか、気を付けねぇとな。まァ余所見をしている暇は無さそうだ。言っただろ、俺は存外お前を気に入っているって。」
私達の愛はまだ始まったばかり。鎖から解かれたこの関係は互いを結びキツく締め付ける。重りに縛られぶくぶくと沈んで行っても、この人と心中するのならそれも良いのかもしれない。
厳しい海賊の世界にいた私は、あろう事か同盟相手の船長に恋をした。私の旅の目的であった、『呪い』を解いてくれた彼に着いていくことを決めた私は今までの一味を辞める事になる。
翌日、その事実を船で告げれば船の持ち主であるバルトロクラブの皆も、仲間だったウソップとフランキーもとても驚いていた。当然の事だけど、ゾロの視線は鋭い。海賊の世界でそう簡単に敵船へ行きますと言ってそれが通るほど優しい世界では無い。
「ごめんなさい。ローさんが悪者みたいになっちゃって。」
「すぐ謝るのは辞めろ。俺は海賊だ。欲しいものは力づくで奪う。悪党らしくていいじゃねェか。」
「…ありがとうございます。」
ニヤッと口角をあげるローさんはとても頼もしい。友達ごっこの世界では無いから、私の気は重いけれど、自分の決めた事だ。
「ローさんの船の話が聞きたいです。白熊さんが居ましたよね?」
「ベポだ。航海士だ。」
「ベポさんは航海士…。あとは…?」
彼用に宛てがわれた狭い船室で会話をするけど、当然距離は近い。何かを話していないと心臓が破裂してしまいそうだと言うのに、彼は口を閉じるのだ。
「…ローさん?」
何かをぼんやりと考える彼を見ておずおずと首を傾ける。視線を自身の膝に移しはぁと声にならない溜息を落とす。彼はなにか思考している様でこれ以上の言葉は掛けられない。正直この狭い空間で彼と二人きりになれば昨日の事を思い出してしまい心臓がドッドッと疼くのだ。
「お前の島の話を聞きたい。」
静寂の中響いた彼の言葉にビクンと体が跳ねた。驚きに瞳を丸くすれば、彼は眉を下げた。
「…嫌な事は話さなくていい。」
椅子に座るローさんは長い脚に肘を置き両の手を絡ませ、少し前屈みになりながら私を見下ろしている。その視線はやけに鋭い様な、優しい様な不思議な感覚に陥る。
「えーっと、島の呪いについては、昨日話した通りです。」
昨夜彼の仲間になると決めたあと、私達はホテルへ戻った。そこで何かする訳でもなく、私の体の事を話した。
恋をして結婚をしないと衰弱する呪い、私達が幼少期から聞かされていた呪いはこれ。事実恋をしない女達は発作を起こし高熱に浮かされていた。20歳を超えると症状は悪化し死に至る。これも島で何人か死亡した事例があり事実だった。
私が起こした発作も条件を達していないペナルティの様なものだった。もうすぐで20歳を迎える私は16を越えた辺りから突然体が熱に浮かされる事が増えた。島では沢山の男達が集う、だけどどの男も私にはピンと来なかった。でも死にたくは無かった。両親の選んだ婚約者を必死に好きになろうと努力をしたけど無理だった。
発作が起きてから私は決意したのだ、島を出てこの忌まわしき呪いを自力で解くと。
出来ることなら結婚にも囚われたくなかったし、恋だってしなくていいと思っていた。体が自由になるなら。
だけどパズルのピースがハマるように、私の心にローさんがピッタリとハマった。やっと見つけた鍵が私の心を開いた。
それに、この呪いは恋をした相手を虜にする事も出来るようだ。基本的に女が相手を選べば男はその女と一生を添い遂げる。相手を虜にするという事実は知らなかったけど、考えてみればその表現がピンとくる。その話をすれば、通りで…とローさんは呟いた。運命なんて素敵な言葉を使いたかったけど、今度は私が彼を縛り付けているようでズキンと胸が傷んだ。
「…ごめんなさい。巻き込んじゃって。」
「謝るなと言っただろ。大体俺はそんなもののせいでお前を仲間にした訳じゃねェ。勘違いするな。」
確かに昨日彼は私のこの恋心はなくす必要はないと言ってくれた。でも、彼を縛るのは嫌だ。
「聞きたいのは島で何をしていたか、だ。確か言っていただろ、授業があるとか何とか。」
「あ、花嫁授業の事ですか?」
「ふざけた名前だな。一体何をさせられたんだ。」
少し怒りを孕んだ様な彼の瞳が怖い。あの島で育ったからそれが当たり前に行うものだと思っていたけど、今は違うって事ぐらいわかる。それに、何故だか彼には言いたくない。
「えーっと…私達は結婚しないと死んじゃう…じゃないですか?だからその、女性として男性を虜に出来るように、10歳を迎えた時から教育を受けるんです。」
ちらりと彼を覗くけど、それから?と言いたげな瞳に視線を自分の手に移す。あまり好ましい内容では無いかもしれないけど、多分頭のいい彼は些細な情報からも推理が出来るのだろう。
「内容は大きく纏めて、家事、礼儀作法、夜の営みの3つです。基本的には家事の授業が多くて種類が多いんですけど、私は少し不器用で、お裁縫は苦手でした。」
よく指に針を刺したことを思い出せば指先を弄った。お陰で1人で島を飛び出しても何とかやっていけたし、そこに関しては感謝している。
「…そうか。苦手な事はしなくていい。得意な奴がやればいい。」
「あ!でも、もう大丈夫ですよ!練習したから得意では無いですけど、人並みには出来ると思います。」
貴方の役に立ちたい。私に出来ることならば、なんだってする。
「…夜のってやつは、何をやらされた。」
妙に確信めいた言葉に瞳は揺らぐ。当然と言えば当然だ。だって昨日授業で習っていた事を彼にしたのだから。でもそんな事実彼に言いたくない。言えば嫌われると分かっていた。
「…汚いですよね。良く考えたら。」
島で行われていたソレは、当時は当たり前の事だと思っていた。蓋を開ければ普通の人間はそんな授業を受けない。恋を知りたくて島から出て読んだ本にはそんな事は書かれていない。良く考えれば、あの島はおかしかった。
基本的に浮気はご法度、婚約を結べば一生を添い遂げる夫婦になる。だけど花嫁授業で訪れる王族の男達のアレは一体なんなのだろうか。
「悪い。無理に聞き出そうとした。忘れろ。」
「良いんです。事実ですから。」
「それ以上は話さなくていい。」
こめかみに手を当てる彼を見て深呼吸をした。知らぬ間に手が震えている。だけど少しでも違和感があるのなら、伝えるのが私の役目だ。彼を巻き込んでしまった、私の責任。
「実践は王族の相手をするんです。純潔を保つ為に下半身と唇へは触れられませんが、それ以外は実践で経験しました。男を悦ばせる事が妻の務めですので、彼らのモノをその、口で…」
「それ以上何も言うな。お前が育ってきた環境は理解した。」
「でも、その…」
口を紡ごうとすれば、彼は立ち上がり私の前へ来た。上手く彼のことを見る事が出来ない。
「名前、お前はもう自由だ。人を喜ばせる為に生きる必要はねェ。自分のために生きろ。」
「…自分の為に。」
死から逃れて何をしたいか正直分からなかった。以前はルフィ達と冒険がしたいと思っていた。でも今は目の前にいる彼のそばに居たい。彼と添い遂げたいと思ってしまっている。多分、呪いは解けていない。死は免れたとしても、この呪縛だけは消えないようだから。
「楽にしてやる。だが、俺はもうお前を逃がすつもりは無い。」
「はい。逃げるつもりはありませんよ?」
「へへ、どうだかな。案外逃げ出したくなるかもしれねェぞ。」
妙に噛み合わない彼との会話に首を傾げた。だって船に乗せてとお願いしたのは私だと言うのに。
ゾウへ向か道中私はロビンと過ごした。流石に彼の部屋で寝泊まりする事は出来ない。恋人になった訳では無いから、あれから彼に触れる事は無い。恋人として傍に置いてくれと頼んだわけではないけど、前途多難なこの道に頭を悩ませた。
ゾウに着いた。本当に象で見上げるほど大きい象の足に目を丸くした。皆の元へたどり着けばサンジが居なくなったと言う話になった。ナミの元へ行こうとすれば、ローさんに腕を掴まれる。
「お前はこっちだ。」
「え?何?どういうこと?」
「あ、ごめんなさい。私、ハートの海賊団に入る事になって…」
「はぁあああ!?ちょっとどういうこと!?」
「えええええええ!?」
ぐるわらの一味の皆は驚いていた。経緯を説明しようとすれば、ぐいっとさらに腕を引かれる
「そういう事だ。行くぞ。」
「あっ、その、また後で!」
よろけながら向きを変えれば彼の手はゆっくりと離れた。彼の掌に乗るビブルカードはずっと正面を指していた。背負っている大きなリュックの持ち手をソワソワと掴む。突然現れて仲間になります、と言って彼の仲間達は受け入れてくれるのだろうか。
お互い口数が多い方ではない。スタスタと足を進める彼に置いていかれないように必死に足を動かす。
「キャプテーン!!」
「来てくれたのかーー!?」
大きな白熊に抱き締められ、周囲のクルーが次々に彼を囲んだ。キャプテン!と嬉しそうに声を上げる彼等を見て、ローさんがどれだけクルーから愛され慕われているのかすぐに理解出来た。
「ん?麦わらの…?俺たち同盟組んだんだよな!よろしく頼むよ!」
「あっ…」
彼らの再開の邪魔にならぬよう、1歩下がり様子を見ていた。勿論挨拶をするつもりだったけど、突然話を振られ気の抜けた声が漏れた。
「元麦わらの一味の名前です。懸賞金は8900万ベリー。ハートの海賊団船長、トラファルガー・ローさんに命を救われ今此処にいます。」
「元!?えっどういう事!?」
「残り僅かだったこの命、彼の為に使いたくて今この場にいます。必ず役にたちます。皆さんの仲間に入れてください!!」
「はっ!?ええええええええ!?」
「えっ!?どういう事ですかキャプテン!?」
「そのままだ。仲間に入れる。麦わら屋からも頼まれたからな。」
端的にサラッと説明をする彼にクルーは叫び声を上げた。森の奥へ足を進める彼らから視線を外し、その場にある瓦礫にちょこんと腰を下ろした。チクチクと刺さる視線、彼らは久しぶりの再会を果たしている。いくら船長からの許可が降りたとは言え、彼等の積もる話しに参加する程図太くは無い。
そんな私に気付いたペンギンは歩みを止める
「お前は行かないのか?」
「久しぶりの再会ですよね?これ以上水を差す真似はしたくないです。」
「んーまぁキャプテンが仲間にするってんだから、気に来る必要は無いと思うけど?」
「ふふっペンギンさんは優しいですね!大丈夫です!逃げも隠れもせずここに居ます。皆さんに認められるまでは怪しい行動は取りたくないんです。」
「んーそっか。じゃ、また後でな!」
走り去るペンギンに会釈をし、静まり返った森の中で深呼吸をした。警戒されるのは当然だった。だから私なりの誠意を見せたい。まだ麦わらのクルーへの説明もすんでいないのだ。船長同士の合意があったとはいえ、クルーへの示しは付かない。教科書には無い海賊の仁義を通す為に頭を捻った。
再びみんなが合流し、話し合いが行われた後に自分の番がやってくる。今すぐにでも始まりそうな宴の前に少し重い空気が流れてしまうのは忍びない。
「ハッ!友達ごっこの次は恋愛ごっこでもするつもり!?言っとくけどアンタがキャプテンとそういう関係になるつもりで船に乗るのならお断りだから。」
自分の口から経緯を説明し、納得をする者も入れば当然反対する者もいる。命懸けで海賊として生きている彼らからすれば、恋をしたので敵船へ行きます。なんて馬鹿な話は無い。
「遊びで海賊を続ける訳じゃありません。でも、ローさんへの感情の消し方もわかりません。ただ自分の命の使い方は私が決めたい。」
ケジメを付ける、なんて話したけどどれだけ頭を捻っても皆を納得させる言葉なんて出て来ない。そんな熱くなるなよ、と宥めている人もいるけど、警戒するのは当然だ。
「死ぬのは勝手だが、キャプテンをそういう目で見て着いてくるのなら辞めてくれ。」
「目…。」
ポツリと呟いた。得体の知れない同盟相手、得体の知れない女に、自船の船長に恋をする女、とんだ地雷なのは明白だ。彼との関係が良くなるに越したことはないけど、色恋に現を抜かす為に彼に着いていくと決めた訳では無い。
太腿に巻き付けていた小型のナイフを手に持った。自分でも何故その行動を取ったのか良く覚えていない。サクッと長い紙の束を切り落とせば、頭はスッキリする。
ふぅと1呼吸置き、腕を自身の右の瞳に突き刺した。ずっと傍観していたゾロがスローモーションの様に動きこちらへ走ってきたのが見えた。
「っバカ!!何してんだテメェ!?」
ポタポタと深紅が伝う。死ぬ程痛いけど、不思議と後悔はない。
「私なりのケジメをつけたつもりです。」
「馬鹿だろお前!?そっちのクルーのことは知らねぇが、うちのクルーにお前の脱退を反対する奴はいねぇよ!」
予想だにしなかったゾロの言葉に驚愕した。だけど安堵した。
「馬鹿野郎!!今すぐ見せろ!!」
視界が変わると酷く焦った顔をするローさんの姿があった。ドクドクと右側が熱い。
「…視神経が殺られてる。テメェ…!!」
周りに人が集まる。こんなに大事にしたくは無かったけど、血が抜けてサーっと冷静になった頭で考えるけど、自傷して血痕を流す女を見れば騒がしくもなる。
「医者の前で失明か。二度と馬鹿な真似すんじゃねェ。」
「…すみません。」
直ぐに治療を施してくれた彼には申し訳ない。チョッパーも泣きながら私の治療を手伝ってくれた。チョッパーの涙を見るのは心苦しかったし、多分私の誠意の見せ方は失敗したのだろう。
手当が終われば事態は終息していた。ローさんがいない隙にチョッパーから貰った薬を見つめていた。どうやらチョッパーは薬を完成させていたようだ。生きる為に必死だったあの数日間はどうやら無意味だったらしい。命の恩人であり恋をした相手であるローさんの元へ行きたいと切望したのはきっと呪いのせいだから。
「何してんだ。」
背後からする低い声にビクッと肩を震わせる。宴会場からは離れたこの小屋で彼の声を耳にするとは思わなかった。慌てて薬を握り締め後ろを振り返れば、不機嫌そうに眉を寄せるローさんがいた。
「何を隠した。」
「…別に隠した訳じゃ。」
あっさりと腕を捕らえられれば、握り締めたそれはすぐに暴かれる。頭のいい彼はそれが何なのかすぐに理解する。
「もう治ったんじゃねェのか。」
「多分治ってません。ローさんも気付いてますよね。」
寿命さえ延びれば終わりだと思っていたこの呪い。チョッパーから聞けば、どうやら幼少期に薬を打たれていた事が発覚した。複数回に分けて接種を続けてきたそれは身体に染み込んでいた。恋をした相手に依存気味になるのも、身体を蝕むこの感情も、全てそれのせいなのだ。
「逃がすつもりはないぞ。」
「逃げませんよ。」
「ハッ。どうだか。自信がねぇから口にしないんだろ。」
全てを見透かす様な彼の視線に耐えられず目を逸らした。早く消えて欲しいと思っていたこの想いが、消えてしまうのが怖いのだ。
「俺は存外お前を気に入っている。今更手放すつもりは無い。」
たった数日、濃い生活ではあったけど、ほんの数日で巣食う感情は恐らく呪いのせい。彼の言葉は麻薬のようだ。きっとこれを飲んでしまえば彼の目も覚める。もう二度とこの視線が私に交わることはない。
「物欲しそうな顔をするな。喰いたくなるだろ。」
「…ローさんになら食べられてもいいです。」
「ソレが治ったらな。薬は…まぁいい、好きにしろ。」
目を細め彼が視線を送ったのは私の右眼。チョッパーから貰った薬は飲まなくてもいいと、彼は言う。あんなに一線を引いて距離を保っていた彼が、何故ここまで甘くなったのか理由はきっとこの忌々しい体のせい。ハートのクルーから言われた言葉を思い返せば決断は早かった。
「飲みます。もし、私の事が嫌になっても、船に乗せてくれますか?」
「…こっちの台詞だ。俺は逃がさねぇと言った。」
ポカポカと沸き上がる暖かい感情もこれが最期だ思えば、頬が緩んだ。きっと次に目が覚めたら、彼はこの言葉も忘れるのだろうから。
ーーーー
まるで海の中に沈んでいるみたい。ぶくぶくと不思議な音がする。体はゆらゆら揺られていてよく耳をすませば激しい機械の音が聞こえてくる。
パチリと目を開けば違和感がある。あぁ、右眼は自分で刺したんだと遠い記憶を思い出す。目に触れようと右腕を動かせば腕にも違和感を感じる。良く見れば点滴が繋がっているし見覚えのない部屋だった。本が沢山置いてある、机の上には紙が乱雑に置いてあった。
壁は無機質、扉は重く鋼鉄で出来ているようだ。
身体を起こしベッドボードに腰を預ける。多分長い事寝ていたようだ。体の節々が痛い。なのに頭は妙にスッキリとしている。
…彼への想いも消えてしまったのだろうか。
重い扉が開く。予想通り扉は分厚く、ここが普通の場所では無いことを認識する。目に入った白い斑模様の帽子から覗く表情には驚きが伺える。
「…いつ目が覚めた?」
「えっと、ちょっと前?」
「身体は?起こしても平気なのか。」
「大丈夫です。ここは何処ですか?」
ローさんは私へ近付くと何やら身体の診察を始めた。額に触れた手には温もりを感じる。でも以前の様な沸き上がる様な体が沸騰する様な、ポカポカとした感覚はない。
「潜水艦だ。」
あぁ、そういえば彼らの船は潜水艦だった。通りで普通の船とは違う無機質な部屋なのかと納得をする。ジィっと彼の手を見ていた。彼からの問診には返答したけれど、お互い元々口数は多い方では無い。
彼はテーブルに向き合い書き物を始めるといよいよやる事が無くなった。まだ起き上がってもいいのか、私には判断が出来ない。くるりと椅子が回ると彼の視線はやっと私の目を見つめた。
「逃げたくなったか。」
「いいえ。でも、よく分かりません。」
「ほう。」
彼に対して好意があるのかは分からなかった。彼の傍に居ないと苦しい、彼のそばに居ると苦しい、そんなチグハグなグチャグチャの感情は綺麗さっぱり消滅した。視線が交わっても分かりやすく弾ける麻薬のような快感は押し寄せない。
「だけど、貴方の役に立ちたいです。」
「そりゃ良かった。逃がすつもりは毛頭ねぇからな。」
悪い顔でニヤリと笑う彼に胸がドキッとしたような気がする。これが恋なのか病み上がりの身体の軋みなのかは判断が出来ない。以前はもっと沸き上がる感情を抱いていたから。
彼から渡されたスープを呑みながら現在の状況を知った。この船はあと2日もあればワノ国へ上陸するらしい。麦わらの一味との同盟関係も継続中で彼等が半分に別れている事も。
食事を終えても彼はベッドの脇から動かない。それに私の頬に手を置き右の目をなぞり始める。痛みは無いけれど擽ったい。心做しか嬉しそうな彼の視線がむず痒い。
「汚いからシャワー浴びたいです。」
「身体なら拭いてたからそこまで汚れてねェよ。」
「えっ…!?誰が?」
「俺が。」
表情一つ変えずに告げる彼に驚きの余り目を丸くした。私が眠っていたのは3日間、その間彼に全ての世話をされていたのかと思えばなんとも言えない気持ちになる。
「なんだ照れてんのか。」
「…わかりません。申し訳ないです。」
「素直じゃねぇな。自分の顔を見てみろよ。シャワーならそこにある。着替えもそこだ。部屋から出なければ何をしてもいい。」
ベッドから起き上がろうとすれば、彼は優しく手を引いてくれた。まるでエスコートをされているようだ。立ち上がれば身体は少しふらついて、トンと彼の胸板に寄りかかった。細身だけど筋肉質でガッシリとした彼の体。支えられている腕は良く見れば太く男らしい。
「一緒に入ってやろうか?」
「大丈夫です。」
ローさんはクツクツと笑っているけど、こっちは笑い事ではない。彼が揶揄っているのは明白だし、良く見れば整っている彼の顔に気付けば胸はドキドキする。脱衣所にある鏡を見れば、見たことも無い自分の姿があった。決して気になるのは潰れた右眼では無い。自身の頬を抑えその赤味に驚いた。だって誰がどう見てもこの表情は_
シャワーで頭を冷やそうと思ったけれど、火照った頬だけはどうにもならない。それに呪いは確実に解けたはずなのに、どうも彼の顔が脳裏に浮かぶ。チョッパーの薬が確かなものだと言うことは断言出来る。だって、心がおかしくなるような縛られるような感覚は全くない。彼の傍に居ないと死んでしまうという沸き上がる感情が今は無い。
彼に触れられる度に脳が弾け、楽園へ導かれるような快楽が訪れる訳でも無い。
だけど、私の体は想いは消えていなかった。大袈裟に無理やり導かれていた感情に慣れてしまっていた。トクントクンと優しく響く心の音も、脳裏を過ぎる彼の顔も、全て消えていない恋心だった。
「スッキリしたか。」
「…はい。」
「こっちへ来い。乾かしてやる。」
ローさんはトントンとソファを叩く。彼の横にちょこんと収まれば、ドライヤーの風が吹く。無造作に切り落とした髪は整えられているような気がした。
「そういえば、髪の毛整えてくれましたか?」
「シャチに整えさせた。次はもっとマシに切れ。」
「マシに切ってたら私の覚悟は見せれないじゃないですか。」
かなり短くなった髪は直ぐに乾く。彼が私の髪で遊ぶけれど、パラパラと直ぐに手からすり抜けるからどれ程短くなったのかは明白だ。
「まぁ、悪くないな。」
「…髪が短い方が好きなんですか?」
「いいや…そういう訳じゃねぇが。」
肩を引き寄せられる。耳元に息が掛かる。
「ちょっ…と!」
「俺を想ってやった事だと思えば気分がいい。」
そう言って彼は右の頬に手を這わせる
「コレも。まぁ最初は気に食わなかったが、これがある限りお前は俺から逃げられねぇからな。」
「だ、だから逃げないって…」
「みたいだな。で?クスリを飲んだ感想は?」
顔と顔が触れてしまいそうな距離で、彼は私に問い掛ける。抱き寄せられていて逃げ場は無い。心の音は多分彼に届いている。以前程分かりやすく体が反応している訳では無いけど、この鼓動が何を意味するのか理解するのに時間はかからない。
「治りました。心がスッキリしてます。」
「ほう。そりゃ良かった。」
余裕の笑みを浮かべ様子を伺う様な彼は私の気持ちに気付いている。彼が意地の悪い男だと気付いたのは今この瞬間だけど、それでも彼の事を嫌いになる事はないだろう。
「意地悪ですね。」
「何のことだか。」
「好き、好きです。ローさん。貴方への感情はどう頑張っても消せないみたいです。」
「俺の女になるか?」
「…え?」
どうせまたはぐらかされる。そう思っていたのに、彼から飛び出た言葉に思わず声を上げた。さっきまで愉悦に浸っていた彼は途端に眉間に皺を寄せる。
「え?じゃねぇだろ。」
「でも、ローさんは船長だし。」
「難儀な性格だな。お前のあれを見てもう文句を言うやつなんざ居ねぇよ。大体テメェは何の為に好意を伝えてきやがった。」
「…クスリの効果を伝える為に。」
分かりやすく不機嫌になる彼に目を逸らした。呪いは解けた。彼の事は好きだけど、彼と恋人になることを切望し苦しくなる事はもうない。ただ彼の役に立つ事が出来るのなら形に拘りなどない。
「…そうか。なら好きにしろ。」
この関係に形なんていらないと思っていた。だって彼の表情を見れば全てわかるし。彼の女にならなくても、私は死ぬ事はない。彼のクルーとして生きると決めたんだから、彼の特別存在になる訳には行かない。なのに、
「まっ…て!」
離れようとする彼を引き止めた。多分初めての感情が私の中で舞っている。
「ローさんってモテますよね。」
「まァ、それなりには。」
「私、別に良かったんです。貴方の手足となり、命を賭ける事ができるなら。」
「ヘェ…。」
「だけど、分かんないけど、やっぱりイライラします。ローさんが他の人を見るなら、耐えれないかもしれないです。私にだけその視線を向けて欲しい。もう他の女に触らないで欲しい。…貴方の1番になりたい。…重いですか?」
自分でも何を言っているのか分からない。多分この感情は嫉妬だ。以前までは沸き上がらなかった感情。彼の視線が優しさが甘い声が、他の女に向くことは考えたくない。考えられない。ジッと彼を見つめれば、不機嫌だった彼の顔は徐々に晴れていく。
「いいや?お前が重い女なのは知っている。それに、俺も大概だ。もう一度だけ聞いてやる、俺の女になるか。」
「それだけじゃ嫌です。ローさんの女になります。だから、あなたは私の男になってください。」
彼は一瞬目を丸くした、口元に弧を描くと少し目を細めた。私は彼のこの顔が好きだ。
「悪くねェな。」
「裏切りの代償は。」
「もう片方の眼でも貰おうか。あぁそれじゃあ何も見え無くなるな。」
「別に構いませんよ。裏切るつもりは無いので。」
「成立だな。」
ローさんはニヤリと微笑むと、噛み付くように唇を塞ぐ。彼とのキスはあの日以来初めてだ。1ミリも残っていない理性の中で馬鹿みたいに彼を求め溺れていたあの時とは違った。
「…俺が裏切ったら心臓でもやろうか。」
「いらないです。でも潰しちゃうかも。」
「そうか、気を付けねぇとな。まァ余所見をしている暇は無さそうだ。言っただろ、俺は存外お前を気に入っているって。」
私達の愛はまだ始まったばかり。鎖から解かれたこの関係は互いを結びキツく締め付ける。重りに縛られぶくぶくと沈んで行っても、この人と心中するのならそれも良いのかもしれない。
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