短編・中編
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目が覚めると1寸先は暗闇だった。起きるのが早すぎたのかもしれない。そう思い身体を起こそうと頭を上にあげればドカっと天井に頭突きをした。何も見えないこの場所で手探りで辺りを触るけど、感じる人肌に少し安堵する。女部屋で寝ていたからきっとこれはナミだろう。
「ねぇナミ、起きてる?」
「…その声は名前屋か。」
「…え、トラ男さん…?」
先程からムニムニと触れていた足が、同盟相手であるトラ男さんのものだったなんてパニックになった頭では気が付かなかった。通りで筋肉質で硬い訳だと妙に納得をする。が、この状況はまるで理解が出来ない。真っ暗闇の箱の中に閉じ込められたかのような状況を直ぐに理解出来る方がおかしいだろうが。
「心当たりはあるか?」
「無いです。昨日は女部屋で寝てました。私は能力者でも無いので。…あ!トラ男さんの能力でどうにかなりませんか?」
「無理だな。既に試した。…面倒な事になった。このままこの空間に居続ければいずれは酸素が無くなって死ぬ。」
ヒュっと喉の音が鳴った。目覚めたばかりのこの状況で彼は冷静に自体を分析していた。このままこの暗闇に呑まれながら死ぬかもしれないという事実を。途端に嫌な汗が背中を伝う。酸素が無くなる可能性があるのなら、極力無駄な呼吸は取るべきではないのに、パクパクと動く口は止められそうにない。
「…おい、名前屋!大丈夫か。」
「ふっ…う、うん。ご、ごめん。酸素…大事にしないといけないのに…。」
この狭い空間で、密着している彼に隠し事をする事など不可能だった。暗闇で彼の顔は見えないし、私の顔の近くには彼の足がある。当然私の足も彼の顔の方を向いている訳で、背丈を考えれば彼が如何に私に気を使い身体を縮こませているのか解る。それなのに、頭を過ぎるのは忌まわしき過去。狭い場所、暗闇、トラウマを呼び起こすには充分なトリガーだった。
「…何か見えるか?」
「み…見えない。ごめんなさい。」
ボロボロと流れる涙が止まらなかった。海賊の癖に閉所が怖くて泣いているなんて呆れられたに決まっている。今すぐにでも脱出口を見つけ出しこの危機から逃れるべきだと言うのに。はァと彼の溜息の音が鮮明に耳に残る。こんな狭い空間だから彼の呼吸も鼓動も全て筒抜けだ。
「そっちへ行ってもいいか?俺は少し目が見える。」
「う…うん。」
私は今この狭い箱のような部屋で壁に背を向け座っていた。170足らずの私が座って頭に天井があたりそうなほどに狭いこの部屋で彼が身体を移動させるのは想像以上に大変な事だろう。
ゆっくり彼の足が折り畳まれると、長い手が私の体に触れる。悪い、という彼にブンブンと頭を横に振るが、この暗闇では声を出さなければ伝わらない事実を思い出せば大丈夫です。と控えめに声を発する。
「少し下がってくれ。」
「ッはい!!」
いつの間にかトラ男さんは私の上まで来ていて、顔と顔が触れるのでは無いのかという距離で彼の声が響く。彼の手は壁を触れていて、身体をなるべく触れないように無理な体勢を取っていることは目が見えていなくとも判る。ズルっとそのまま身体を地面に落とし横になる。
「2時間経てば元の場所へ戻る。」
「え?本当ですか?」
「ああ。お前が居た壁に確かに書かれている。」
トラ男さんの言葉を聞き顔を上にあげるけど、やはり何も見えない。強い人は視力まで良いのだろうかと変な事を思考するがブンブンと頭を横に振る。2時間経てば元の場所へ戻れる、こんな変な場所へ閉じ込められるのはトラ男さんの仕業では無いだろうし、彼が意味の無い嘘をつくとは思えない。だけど、私達を2時間閉じ込めることに何の意味があるのか、誰の仕業なのかは考えても理解出来ない。
「ふぅ…悪い、元の場所に戻る。これ以上手掛かりは無さそうだ。」
彼の吐息が真上から聞こえる。無理な体勢の中、未だ手がかりを掴もうとしているトラ男さんを疑うなんて最低だった。それにしても身体は熱いし寒い。チグハグな状態なのはこの空間に対する恐怖だ。ギュッと両手で肩を抑え、無意識の内に足を折り丸くなろうとすれば、当然狭い空間である為彼の膝に私の足はコツンと当たる。
「ッ…!ごめ…なさい!」
「…お前も狭い場所は苦手か。」
トラ男さんの言葉に溢れていた涙は一瞬停止する。彼は確かに、お前“も”と言ったのだ。トラ男さんから呼吸の乱れは感じられないし、いつものように平然とした態度しか感じ取る事は出来ないというのに。
「昔…両親に箱の中に入れられたんです。真っ暗で重くて、私だけ助かって…。」
「…そうか。だが、今は状況が違う。俺も傍に居るし誰も死にやしねぇよ。ゆっくり息を吐け。」
「う、うん。」
しゃくりあげる私に、呼吸の仕方を教えるようにトラ男さんは身体を少し起こしてくれた。辛い体勢の筈なのに、彼はとんとんと腰を叩いてくれる。スーハースーハーと呼吸を整えれば、彼の顔は私の心臓の辺りに触れ、大丈夫そうだな、なんて言葉を放つ。そういえば彼は船医でもあったんだ。ゆっくりと蛇口を捻るように流れていた涙は終わりを告げ、思考は大分クリアになってくる。
「ありがとうございます。トラ男さん。」
「いや…。それより、この部屋から酸素が無くなる心配は無さそうだ。理屈は分からねぇが、酸素が薄まっている気はしない。やはり何かの能力か…。そろそろ元の位置へ戻るが、もう呼吸は出来るか。」
真剣にこの部屋の構造を考えている彼には申し訳なかった。私は今自分の事でいっぱいいっぱいだと言うのに、彼だけは未来を切り開こうとしている。その上私に気を使い、最低限のスキンシップで済まそうとしている彼の紳士的な対応に恥ずかしさすら覚える。だけど、彼が元の場所へ戻ってしまえば、私達は再び足を合わせる事となる。時にして数十分しか経っていないのに、彼の心音が近くにある事はこの暗闇の中では1種の安心材料だった。
「あ、あの、出来ればこ、このままがいい…です。ごめんなさい。トラ男さん、辛いかもしれないけれど…。その、安心するんです。」
暗闇が怖くて泣いていたと言うのに、今だけはこの空間が暗くて心底良かったと安堵した。だって、明るい部屋でトラ男さんにこんな発言は出来ないだろうから。彼のパーカーをぎゅっと掴んだけれど、前は開いておりパーカーを羽織っただけで彼の肌が露出している事実に気が付けば余計に恥ずかしさは増す。こんな近くで彼の顔を見た事も無ければ、彼の低い声を受けた事も無い。ただでさえ女にモテそうな彼のルックスに心地の良い低い声をこの距離で堪能してしまば、大抵の女性はまともではいられないだろう。
「少し横を向けるか。それに少し触れる事になる。」
「と、トラ男さんなら良い…です。あ!その良いっていうか…いや、そいう意味じゃなくて…」
先程まで鬱々とした気持ちでいたというのに、彼の事を考え邪な想像をしたなんて彼には到底言えない。彼の乾いた笑いが聞こえた様な気がするけれど、今は別の意味で心臓が騒いでいる。身体をくるりと横にして、出来るだけ細い板になる気分で壁に背を押し付ければ、上にあった彼の身体はゆるりと私の横へ落ちてくる。曲げられた互いの脚が絡まり、自然と肩がビクッとあがる。
「くっくっ…我慢してくれ。名前屋が言ったことだろ?」
「び、ビックリしただけです。トラ男さん足長いのに窮屈ですよね。ごめんなさい。」
「まァそうだな。腕伸ばしても良いか?」
「は、はい。」
そう言えば彼の腕がゆるりと頭の上を掠め、自然と頭は彼の首元へ近付く。極力触れないようにピタッと頭を止めているが、思考はままならない。ドキドキしてしまう。相手は同盟相手の船長だと言うのに。
「と、トラ男さんって、タトゥー…入ってますよね…!ハートの…、そ、その身体に…」
「あぁ。今お前の目の前にある。」
「そ、そうですよね!ごめんなさい見えなくて、その、カッコイイなってずっと思ってました。えっとその、トラ男さんに良く似合うなって…」
「へェそんな事思ってたのか。意外だな。」
ギュッと目を瞑りながら、訳の分からぬ言葉を投げ掛けていた。プルプルと震える手は何処へやっていいのか分からずに自身の身体を抑えている。今まで彼とまともに会話した事など無かったから、このアクシデントは何度考えても理解出来ない。ナミやロビンならもっと上手く立ち回れて居たのだろうか。こんな状況でドキドキしてしまうのはきっと私だけなんじゃないか、考えれば考えるほど心臓の音は止まらなくなる。
「涙は…止まったな。」
突然頬に触れたトラ男さんの指先にピクリと反応をする。自身の頬が熱を帯び、止まっていた筈の涙がじわりと込み上げてくる。
「ッ悪い。泣くなもう触れねぇ。」
「ちが、違くて…!こ、これは、は、恥ずかしいんです…!!」
行き場を無くしていた手で自身の顔を抑えた。男の人と密着するのは初めてだった。海賊の女なら、そういう経験の一つや二つしていてもおかしくないのに、私は未だに未経験だった。だって暗闇は怖いし。かと言って明るい空間でそういう事をするのは恥ずかしい。夜の経験をするタイミングも、状況も、信頼出来るような相手も作る余裕なんてなかった。
「俺は…名前屋には嫌われていると思っていた。」
「嫌ってません!すみません。トラ男さんの事、正直最初は怖かったです。でもその、今は怖くなくってその、か、かっこいいってずっと思ってましたし、あの、は、肌が…肌が見えるのはその、心臓に悪くて…」
この狭い空間で自分は何を告白しているのだろうか。言葉を紡ぎながら後悔を重ねる。トラ男さんは面白そうに笑ってくれているけれど、同盟相手からそんなことを思われていただなんて迷惑では無いのだろうか。でも彼の余裕のある態度は私とは違い慣れている人のそれだ。これだけかっこいい彼は女の人からの黄色い声なんて聞き慣れているのかもしれない。
「お前の船にはもっと奇抜な奴がいるだろう。慣れてねぇのか。」
「い、居ますけど…家族みたいな感じだし…。トラ男さんは違うじゃないですか…。」
「へぇ何が違うんだ。」
「…トラ男さん、もしかして楽しんでますか?」
くつくつと意地の悪い笑い声をあげるトラ男さんに少しムッとする。男女の駆け引きなんて知らないけれど、彼は私が男として彼を見て緊張している事実に気が付いている。自分ばかり余裕が無くドキドキしているこの状態は不公平だ。
「くく。悪かったよ。俺も名前屋の事はずっと見ていた。この状況は俺にとっては都合が良いのかもな。」
次の言葉を紡ぐ間も無く、彼の腕にグイッと引き寄せられ私の顔は彼の首元にピタリとくっつく。ギャッと色気の欠片も無い声を上げれば再び彼からはくつくつと笑い声が聞こえる。ピッタリと触れ合う身体に心臓の音は鳴り止まない。きっと彼にも聞こえている。逃げ出す事も叶わないこの空間に頭は少しおかしくなってしまっていた。行き場の無くしていた手で彼のパーカーをギュッと握り締め、もう片方の腕をおずおずと彼の背に回せば、ピクリと彼は初めて動揺を見せた。
「へへ…トラ男さんも、ドキドキ…してますね。」
「テメェ…。さっきまでのは演技か?」
彼の言葉に一瞬キョトンとする。一体何の話を演技だと言っているのか思考を巡らせ、始めてこの暗闇に気付いた時のことを思い出す。あぁ、そう言えば暗くて狭い場所なのにどうしてこんなに落ち着くんだろう。
「演技じゃないです。暗くて狭い場所は苦手です。自分でも不思議です。トラ男さんが居るから、大嫌いな場所なのに安心するんです。」
口に出してしまえばやけに納得できた。閉じ込められた相手がトラ男さんで良かった。自然と頬は綻びギュッと彼に身体を寄せる。こんな大胆な行動普段なら絶対にしないのに、そうさせるのはこの訳の分からない環境と何も見えない安心感だろう。最早夢なのでは無いかと思っているほどだ。まだ私に触れていなかった、彼の腕が身体に回り私達は自然と抱き合っていた。トラ男さんに拒絶されなかった事が嬉しかった。
「名前、少し上を見ろ。」
突然呼ばれた名前にドキッとする。普段は◯◯屋と言う独特な呼び方で人を呼ぶ彼が、呼び捨てで私の名前を呼んだのだから。天井を仰ぐように視線を上に向ければ、違うと声がする
「そっちじゃねェ。俺の方を向け。」
「あ、ごめんなさい。」
上ってそっちの上の事かと、頭の中で納得し彼の顔を見るように顔を上げる。と言っても殆ど何も見えていない。暗闇に少しだけ目が慣れてきた様な気もするけれど、正直殆ど何も見えない。
「トラ男さん?」
何か手がかりがあったのだろうか?彼に触れられている髪は擽ったい。耳に触れ優しく髪を掬いあげる手がやけに優しくドキドキする。まるでいけない事をしている気分だ。
「名前、トラ男さんってのは辞めろ。」
「…トラ男くん?」
「馬鹿なのか。名前で呼べ。」
「名前…トラファルガー…さん?…ローさん?」
「ローだ。」
「ロー…さ…んっ」
唇に触れた何かに思考は停止した。ソレが何なのか、考える間もなく答えは直ぐに降ってくる
「口開けろ。」
「は、はい…」
彼の吐息が顔にかかる。トラ男さん…ローさんの唇が降ってくる。彼の言う通りに口を開けばぬるりと彼の舌が口内に侵入する。初めての事にビクッと身体を震わせる。彼の服を掴む手に力が入った。
「嫌なら叩け。」
「や…じゃない…」
そう言えば再び彼は私の中に侵入した。始めてするキスなのに、待ち望んでいたかのように彼の舌を迎えるように受け入れた。訳の分からないこの環境で、頭はもう馬鹿になってしまっているのかもしれない。呼吸をするのに必死だった。呼吸をする度に鼻から抜ける聞いた事も無い自分の声は恥ずかしい。狭いこの箱のような部屋で、私の声と口から出る粘着音は耳に響く。チュッチュッと唇を合わせながら、時折吸い上げるように舌を食べられて、口の周りが互いの唾液でベタベタになっていると思えば彼に舐め取られチュッと吸われ、再び唇を塞がれる。自然と身体も絡み合う。控えめに触れ合っていた脚も、深くまで混じり合いたくて絡み合う。やわやわと耳を弄ばれる度に、ビクッと身体は反応する。彼から受ける刺激が、全て快楽に変わり脳はバチバチと弾けるようだ。
「はぁ…っん、ふっ、ろ…、ロー、」
「はぁ…チッ長ェな2時間ってのは。」
途端に不機嫌を表す彼に自然と眉は下がる。この状況を少し楽しんでしまっていたのは私だけだった様で、彼からすれば暇な時間を潰すための1種の娯楽だったのかもしれない。
「ご、ごめん。私なんかと一緒で…」
「は?お前以外とこんな場所に閉じ込められるなんてごめんだ。」
「え?う、うん?」
彼の言う言葉はチグハグだ。チグハグなのは私の頭の中なのかもしれないが、彼の感情がいまいち読めない。
「ここから出たら覚悟しておけよ。」
「え…。ご、ごめんなさい。」
同盟相手の船長を誑かしてしまった罪でも問われるのだろうか。彼の能力なら心臓だけ抜き取って、一生生きるか死ぬかの不安を彷徨わせる事も出来る。だけど自然と後悔は無い。初めてキスをする相手が彼で良かったと思える程、彼の口付けに酔いしれていたから。
「この部屋から出たらすぐに甲板に出ろ。迎えに行く。」
「は、はい。あの、その…出来れば余り痛くしないで欲しいです…。」
「…善処する。」
「ほ、ホントですか!?あの、誰にも言わないので、安心してください。」
ローさんは思っていた以上に寛大だったようだ。迎えに行くと言われた時は心臓が飛び出る程に驚いたけれど、彼から紡がれる言葉は優しくそして甘い。どんな罰が待ち受けているのか思考するのは怖いけれど、今だけは何も考えずただ彼の体温を感じていたい。
「別に言ってもいいが…。困るのはお前だろう。」
「た、確かに。ルフィにバレたら大変ですもんね。」
折角良好な同盟関係を維持しているのに、私のせいで関係が悪化しました。なんて事があるのは非常にまずい。
「麦わら屋か…。そうだな、いずれは話をつけねェとな。」
「え…」
彼の言葉に思考は止まる。ルフィとローさんが揉めるのは嫌だった。2人とも大切な人だ。でも、良く考えれば今は同盟を組んでいてもいずれは敵になるのかもしれない。そう考えたら、今日の事はいずれ戦う時の道具になるのかもしれない。
「お前さえ良ければ、だが。まァ、俺達は海賊だからな。」
時折意見を求めたり、やわやわと耳に触れたり、指を絡めるように手を繋いできたり、彼の行動は不可解だった。これから呼び出して、何らかの罰を与える相手にする行動と言葉ではないような気がして。
「あの、ロー…さんって何の話してるんですか?」
「は?…まさかお前…。いや……。…はァ。なんだ、どこからだ。いや、いい。今更取り消すつもりはねェ。」
彼は長い間を取りながら言葉を紡いだ。私よりも頭のいい彼の脳は少しの思考でそれを解読する事が出来たのだろう。彼は納得したようだけど、私の頭は未だにスッキリとしない。
「あの、ローさん」
「ん?」
「擽ったい…です。」
彼が身体に触れる度に身体は熱を帯びる。暗く狭い空間である事を忘れてしまう程に、頭の中が彼でいっぱいになる。
「嫌か?」
「やじゃない…です。」
「ふっ。なら好きにさせろ。こっちは色々と我慢してんだ。」
我慢…という言葉をポツリと呟いた。この狭い空間で彼にかかる制限は私以上に多い。そんな彼に無理を言って隣に来てもらい、窮屈に身体を折らせているのは私の責任だ。色々と気を遣わせてしまい、挙句には我慢していると言われればこちらも気が気じゃない。彼にこれ以上迷惑はかけたくないし、嫌われたくなかった。
「ごめんなさい。我慢…させちゃって。あの、無理しなくていいですよ。私に出来る事なら何でもします。だからその、あまり我慢しすぎないで下さい。」
「お前、よくアホだって言われないか。」
「言われないですよ…?ローさんに嫌われたくないんです。」
「あの一味の中ではまともな奴がいると思っていたが、お前も大概だな。まァ、嫌いじゃねぇ。むしろ有難いな。」
「ありがとうございます?」
褒められているのか、揶揄れているのかサッパリ分からないけれど、彼に嫌われていないのならそれで良い。ギュッと彼に身体を寄せれば彼の音が聞こえる。トクントクンと鳴り響く心音は夢じゃないと伝えられているようで少し恥ずかしい。出逢ってから少ししか経っていないのに、同盟相手なのに、どうしてローさんに触れるとこれ程までに落ち着くのだろうか。この空間がそうさせているだけなのだろうか。
「…私、ローさんの事好きなのかなぁ。」
誰に告げる訳でもなく、思考していた事をポツリと呟いていた。彼に伝えたかった訳でも、想いを確信していた訳でもない。純粋な自分の気持ちへの疑問を思考していただけだったのに、下がっていた顔は強引に上を向かされる。
さっきより少し乱暴に彼の唇が降ってくる。舌で唇をこじ開けるように歯列の隙間を探されれば、直ぐにぬるりと乱暴な生き物のような舌が私の舌を絡め取る。さっきのは手加減だ、とでも言うように息をするのも忘れてしまう程の刺激が注がれる。
肩を押され、気付けば身体は天井を向かされる。ローさんは私の上で押し倒す様な姿勢になっている。彼の顔は見えないけど、彼がどんな表情で私を見て、どんな表情でキスを落としてくれているのか、そればかり気になった。絡み合っていた指先を離し、ローさんの頬に触れる。ゆるりと唇が離れ、私は言葉を紡ぐ
「はぁ…はぁ…ロー…さ、の…顔が…見たい…です。」
「くそっテメェ憶えてろよ。さっきから煽りやがって。」
「煽ってなんかな…んっ…ふっ…ふぁっ…」
ツーと彼の指先が身体を這う。擽ったくて、何だかもどかしくて、体はびくっと反応をする。唇が離れれば、ぷはっと呼吸をし、再び塞がれる。あぁ、やっぱり好きなのかもしれない。極限状態で初めて触れる相手だからそう感じているだけなのかもしれないけれど、でも、今この瞬間だけだったとしても、私は彼の事が好きだ。
再び唇が離れるとリップ音を立てて、顔全体にキスを落とされる。想像している彼の顔からは考えられない程甘い時間に自然と笑みがこぼれる。
「ふふ、ローさん、擽ったいです。」
「随分と余裕そうだな。」
「へ、え?余裕なんて…っあっ…!ま、まって、ふっ…み、耳は、や…!」
この空間で耳元への口付けは五感に深く響く。彼の声が音が麻薬のように全身へ駆け巡る。叫ぶ様な自身の声に驚き口を抑えれば、私よりも大きい彼の手がそれを制止する。
「声聞かせろ。」
「っ〜〜うっあっああヤダヤダ!!も耳はやめてっ、しゃ、しゃべんないでよお!!」
「可愛いな、名前」
「っうっ〜〜う!!ず、狡い!!だ、だめ!!耳は嫌です!!」
ハァハァと肩で息をしながら、彼の胸をドンドンと叩けばローさんの顔はゆっくりと離れる。悲しくもないのに涙は出てくるし、自分でも驚くぐらい大きな声を上げ、頭の中はパニックだ。
「気を悪くするな。大体煽るお前が悪い。」
「うっ…!!だから、煽ってない…!!いたっ…」
チュッと首筋に吸いつかれたかと思えば、ガリッと食べられるような痛みを感じる。ちゅうと吸い付かれ、私の浅い知識でもその行為が何を意味するのか理解出来る。
「な、なんで…」
「あ?わかってんのか?」
「わ、わかりますよ!!なんで、付けたんですか…?」
言葉が欲しかったのかもしれない。彼からすれば暇潰しの娯楽程度の戯れなのかもしれないけれど、私にとっては違っていた。彼から受ける刺激も言葉も全て、これで終わりにしたくなかった。
「さァ?何でだろうな。」
「…意地悪です。」
「それはこっちの台詞だな。…そろそろ2時間だ。」
「え!?もうそんなに経ったんですか!?」
彼と触れ合っていた時間は長かったが、体感でそこまで時間が経過しているとは思えなかった。それ程までに私は彼に夢中になっていたのだろうか。もう彼に触れる事は出来ないのかと思えばこの空間に恋しささえ覚えてしまう程。
「お前は最初寝てただろ。」
「…あ、ああ!そういう事ですか!?ローさんは先に目覚めてたんですか?」
「ああ。まぁ目覚めた相手がお前で良かった。」
キュンと胸が高鳴った。女慣れしている彼が、勘違いを誘う言葉を吐く度に私の心はドキドキするのだ。これがもう最期なのに、これ以上私を夢中にさせるなんて狡い。でも、まんまと甘い罠にハマってしまい、彼に縋っているのは私なのだ。
「ローさん、最後にもう一回だけ、キス…したいです。」
「…最後にするつもりはねェ。だから、お前は直ぐに甲板へ出ろ。いい加減、意味が理解出来ただろ。」
ローさんの言葉に瞳をぱちくりとさせた。多分、勘違いでなければきっと、彼はそういう意味で言ってくれている。途端にパァっと眩い光がこの箱の中を包み込む。
「行く!!行くから!!ローさん!迎えに来てね!!」
精一杯叫んだ声と最期に見えた彼の顔は少し赤みがかっているように見えた。幻覚なのか、夢だったのかこの薄れ行く意識の中では分からないけれど、彼もドキドキしていたのなら嬉しいな、そう思いながら再び瞳を落とす。
パチリと瞳を開けば意識はクリアになっていく。視界は開けて何時もの寝室だ。まだ寝ているナミとロビンを起こさないようにそろりと布団から抜け出して、一面鏡を覗き込む。首元に映る赤を見て頬が色付く。夢じゃなかった。慌ててクローゼットを開き、1番お気に入りの服に身を包み甲板へ飛び出せば青い膜がブンと視界を捉えた。
「迎えに来た。」
大きな刀を携え、鋭い目つきの下には隈が備わっている男は、私の瞳にはまるで童話の王子様の様に、キラキラと輝いて映った。支えられた腰に熱を感じる。今は彼の体温だけでは無い風が肌に触れるけれど、それでも彼の顔が見れるのは心地が良かった。自然と踵を上げて彼の唇に自身のそれを押し付けて笑顔を落とした。
「ねぇナミ、起きてる?」
「…その声は名前屋か。」
「…え、トラ男さん…?」
先程からムニムニと触れていた足が、同盟相手であるトラ男さんのものだったなんてパニックになった頭では気が付かなかった。通りで筋肉質で硬い訳だと妙に納得をする。が、この状況はまるで理解が出来ない。真っ暗闇の箱の中に閉じ込められたかのような状況を直ぐに理解出来る方がおかしいだろうが。
「心当たりはあるか?」
「無いです。昨日は女部屋で寝てました。私は能力者でも無いので。…あ!トラ男さんの能力でどうにかなりませんか?」
「無理だな。既に試した。…面倒な事になった。このままこの空間に居続ければいずれは酸素が無くなって死ぬ。」
ヒュっと喉の音が鳴った。目覚めたばかりのこの状況で彼は冷静に自体を分析していた。このままこの暗闇に呑まれながら死ぬかもしれないという事実を。途端に嫌な汗が背中を伝う。酸素が無くなる可能性があるのなら、極力無駄な呼吸は取るべきではないのに、パクパクと動く口は止められそうにない。
「…おい、名前屋!大丈夫か。」
「ふっ…う、うん。ご、ごめん。酸素…大事にしないといけないのに…。」
この狭い空間で、密着している彼に隠し事をする事など不可能だった。暗闇で彼の顔は見えないし、私の顔の近くには彼の足がある。当然私の足も彼の顔の方を向いている訳で、背丈を考えれば彼が如何に私に気を使い身体を縮こませているのか解る。それなのに、頭を過ぎるのは忌まわしき過去。狭い場所、暗闇、トラウマを呼び起こすには充分なトリガーだった。
「…何か見えるか?」
「み…見えない。ごめんなさい。」
ボロボロと流れる涙が止まらなかった。海賊の癖に閉所が怖くて泣いているなんて呆れられたに決まっている。今すぐにでも脱出口を見つけ出しこの危機から逃れるべきだと言うのに。はァと彼の溜息の音が鮮明に耳に残る。こんな狭い空間だから彼の呼吸も鼓動も全て筒抜けだ。
「そっちへ行ってもいいか?俺は少し目が見える。」
「う…うん。」
私は今この狭い箱のような部屋で壁に背を向け座っていた。170足らずの私が座って頭に天井があたりそうなほどに狭いこの部屋で彼が身体を移動させるのは想像以上に大変な事だろう。
ゆっくり彼の足が折り畳まれると、長い手が私の体に触れる。悪い、という彼にブンブンと頭を横に振るが、この暗闇では声を出さなければ伝わらない事実を思い出せば大丈夫です。と控えめに声を発する。
「少し下がってくれ。」
「ッはい!!」
いつの間にかトラ男さんは私の上まで来ていて、顔と顔が触れるのでは無いのかという距離で彼の声が響く。彼の手は壁を触れていて、身体をなるべく触れないように無理な体勢を取っていることは目が見えていなくとも判る。ズルっとそのまま身体を地面に落とし横になる。
「2時間経てば元の場所へ戻る。」
「え?本当ですか?」
「ああ。お前が居た壁に確かに書かれている。」
トラ男さんの言葉を聞き顔を上にあげるけど、やはり何も見えない。強い人は視力まで良いのだろうかと変な事を思考するがブンブンと頭を横に振る。2時間経てば元の場所へ戻れる、こんな変な場所へ閉じ込められるのはトラ男さんの仕業では無いだろうし、彼が意味の無い嘘をつくとは思えない。だけど、私達を2時間閉じ込めることに何の意味があるのか、誰の仕業なのかは考えても理解出来ない。
「ふぅ…悪い、元の場所に戻る。これ以上手掛かりは無さそうだ。」
彼の吐息が真上から聞こえる。無理な体勢の中、未だ手がかりを掴もうとしているトラ男さんを疑うなんて最低だった。それにしても身体は熱いし寒い。チグハグな状態なのはこの空間に対する恐怖だ。ギュッと両手で肩を抑え、無意識の内に足を折り丸くなろうとすれば、当然狭い空間である為彼の膝に私の足はコツンと当たる。
「ッ…!ごめ…なさい!」
「…お前も狭い場所は苦手か。」
トラ男さんの言葉に溢れていた涙は一瞬停止する。彼は確かに、お前“も”と言ったのだ。トラ男さんから呼吸の乱れは感じられないし、いつものように平然とした態度しか感じ取る事は出来ないというのに。
「昔…両親に箱の中に入れられたんです。真っ暗で重くて、私だけ助かって…。」
「…そうか。だが、今は状況が違う。俺も傍に居るし誰も死にやしねぇよ。ゆっくり息を吐け。」
「う、うん。」
しゃくりあげる私に、呼吸の仕方を教えるようにトラ男さんは身体を少し起こしてくれた。辛い体勢の筈なのに、彼はとんとんと腰を叩いてくれる。スーハースーハーと呼吸を整えれば、彼の顔は私の心臓の辺りに触れ、大丈夫そうだな、なんて言葉を放つ。そういえば彼は船医でもあったんだ。ゆっくりと蛇口を捻るように流れていた涙は終わりを告げ、思考は大分クリアになってくる。
「ありがとうございます。トラ男さん。」
「いや…。それより、この部屋から酸素が無くなる心配は無さそうだ。理屈は分からねぇが、酸素が薄まっている気はしない。やはり何かの能力か…。そろそろ元の位置へ戻るが、もう呼吸は出来るか。」
真剣にこの部屋の構造を考えている彼には申し訳なかった。私は今自分の事でいっぱいいっぱいだと言うのに、彼だけは未来を切り開こうとしている。その上私に気を使い、最低限のスキンシップで済まそうとしている彼の紳士的な対応に恥ずかしさすら覚える。だけど、彼が元の場所へ戻ってしまえば、私達は再び足を合わせる事となる。時にして数十分しか経っていないのに、彼の心音が近くにある事はこの暗闇の中では1種の安心材料だった。
「あ、あの、出来ればこ、このままがいい…です。ごめんなさい。トラ男さん、辛いかもしれないけれど…。その、安心するんです。」
暗闇が怖くて泣いていたと言うのに、今だけはこの空間が暗くて心底良かったと安堵した。だって、明るい部屋でトラ男さんにこんな発言は出来ないだろうから。彼のパーカーをぎゅっと掴んだけれど、前は開いておりパーカーを羽織っただけで彼の肌が露出している事実に気が付けば余計に恥ずかしさは増す。こんな近くで彼の顔を見た事も無ければ、彼の低い声を受けた事も無い。ただでさえ女にモテそうな彼のルックスに心地の良い低い声をこの距離で堪能してしまば、大抵の女性はまともではいられないだろう。
「少し横を向けるか。それに少し触れる事になる。」
「と、トラ男さんなら良い…です。あ!その良いっていうか…いや、そいう意味じゃなくて…」
先程まで鬱々とした気持ちでいたというのに、彼の事を考え邪な想像をしたなんて彼には到底言えない。彼の乾いた笑いが聞こえた様な気がするけれど、今は別の意味で心臓が騒いでいる。身体をくるりと横にして、出来るだけ細い板になる気分で壁に背を押し付ければ、上にあった彼の身体はゆるりと私の横へ落ちてくる。曲げられた互いの脚が絡まり、自然と肩がビクッとあがる。
「くっくっ…我慢してくれ。名前屋が言ったことだろ?」
「び、ビックリしただけです。トラ男さん足長いのに窮屈ですよね。ごめんなさい。」
「まァそうだな。腕伸ばしても良いか?」
「は、はい。」
そう言えば彼の腕がゆるりと頭の上を掠め、自然と頭は彼の首元へ近付く。極力触れないようにピタッと頭を止めているが、思考はままならない。ドキドキしてしまう。相手は同盟相手の船長だと言うのに。
「と、トラ男さんって、タトゥー…入ってますよね…!ハートの…、そ、その身体に…」
「あぁ。今お前の目の前にある。」
「そ、そうですよね!ごめんなさい見えなくて、その、カッコイイなってずっと思ってました。えっとその、トラ男さんに良く似合うなって…」
「へェそんな事思ってたのか。意外だな。」
ギュッと目を瞑りながら、訳の分からぬ言葉を投げ掛けていた。プルプルと震える手は何処へやっていいのか分からずに自身の身体を抑えている。今まで彼とまともに会話した事など無かったから、このアクシデントは何度考えても理解出来ない。ナミやロビンならもっと上手く立ち回れて居たのだろうか。こんな状況でドキドキしてしまうのはきっと私だけなんじゃないか、考えれば考えるほど心臓の音は止まらなくなる。
「涙は…止まったな。」
突然頬に触れたトラ男さんの指先にピクリと反応をする。自身の頬が熱を帯び、止まっていた筈の涙がじわりと込み上げてくる。
「ッ悪い。泣くなもう触れねぇ。」
「ちが、違くて…!こ、これは、は、恥ずかしいんです…!!」
行き場を無くしていた手で自身の顔を抑えた。男の人と密着するのは初めてだった。海賊の女なら、そういう経験の一つや二つしていてもおかしくないのに、私は未だに未経験だった。だって暗闇は怖いし。かと言って明るい空間でそういう事をするのは恥ずかしい。夜の経験をするタイミングも、状況も、信頼出来るような相手も作る余裕なんてなかった。
「俺は…名前屋には嫌われていると思っていた。」
「嫌ってません!すみません。トラ男さんの事、正直最初は怖かったです。でもその、今は怖くなくってその、か、かっこいいってずっと思ってましたし、あの、は、肌が…肌が見えるのはその、心臓に悪くて…」
この狭い空間で自分は何を告白しているのだろうか。言葉を紡ぎながら後悔を重ねる。トラ男さんは面白そうに笑ってくれているけれど、同盟相手からそんなことを思われていただなんて迷惑では無いのだろうか。でも彼の余裕のある態度は私とは違い慣れている人のそれだ。これだけかっこいい彼は女の人からの黄色い声なんて聞き慣れているのかもしれない。
「お前の船にはもっと奇抜な奴がいるだろう。慣れてねぇのか。」
「い、居ますけど…家族みたいな感じだし…。トラ男さんは違うじゃないですか…。」
「へぇ何が違うんだ。」
「…トラ男さん、もしかして楽しんでますか?」
くつくつと意地の悪い笑い声をあげるトラ男さんに少しムッとする。男女の駆け引きなんて知らないけれど、彼は私が男として彼を見て緊張している事実に気が付いている。自分ばかり余裕が無くドキドキしているこの状態は不公平だ。
「くく。悪かったよ。俺も名前屋の事はずっと見ていた。この状況は俺にとっては都合が良いのかもな。」
次の言葉を紡ぐ間も無く、彼の腕にグイッと引き寄せられ私の顔は彼の首元にピタリとくっつく。ギャッと色気の欠片も無い声を上げれば再び彼からはくつくつと笑い声が聞こえる。ピッタリと触れ合う身体に心臓の音は鳴り止まない。きっと彼にも聞こえている。逃げ出す事も叶わないこの空間に頭は少しおかしくなってしまっていた。行き場の無くしていた手で彼のパーカーをギュッと握り締め、もう片方の腕をおずおずと彼の背に回せば、ピクリと彼は初めて動揺を見せた。
「へへ…トラ男さんも、ドキドキ…してますね。」
「テメェ…。さっきまでのは演技か?」
彼の言葉に一瞬キョトンとする。一体何の話を演技だと言っているのか思考を巡らせ、始めてこの暗闇に気付いた時のことを思い出す。あぁ、そう言えば暗くて狭い場所なのにどうしてこんなに落ち着くんだろう。
「演技じゃないです。暗くて狭い場所は苦手です。自分でも不思議です。トラ男さんが居るから、大嫌いな場所なのに安心するんです。」
口に出してしまえばやけに納得できた。閉じ込められた相手がトラ男さんで良かった。自然と頬は綻びギュッと彼に身体を寄せる。こんな大胆な行動普段なら絶対にしないのに、そうさせるのはこの訳の分からない環境と何も見えない安心感だろう。最早夢なのでは無いかと思っているほどだ。まだ私に触れていなかった、彼の腕が身体に回り私達は自然と抱き合っていた。トラ男さんに拒絶されなかった事が嬉しかった。
「名前、少し上を見ろ。」
突然呼ばれた名前にドキッとする。普段は◯◯屋と言う独特な呼び方で人を呼ぶ彼が、呼び捨てで私の名前を呼んだのだから。天井を仰ぐように視線を上に向ければ、違うと声がする
「そっちじゃねェ。俺の方を向け。」
「あ、ごめんなさい。」
上ってそっちの上の事かと、頭の中で納得し彼の顔を見るように顔を上げる。と言っても殆ど何も見えていない。暗闇に少しだけ目が慣れてきた様な気もするけれど、正直殆ど何も見えない。
「トラ男さん?」
何か手がかりがあったのだろうか?彼に触れられている髪は擽ったい。耳に触れ優しく髪を掬いあげる手がやけに優しくドキドキする。まるでいけない事をしている気分だ。
「名前、トラ男さんってのは辞めろ。」
「…トラ男くん?」
「馬鹿なのか。名前で呼べ。」
「名前…トラファルガー…さん?…ローさん?」
「ローだ。」
「ロー…さ…んっ」
唇に触れた何かに思考は停止した。ソレが何なのか、考える間もなく答えは直ぐに降ってくる
「口開けろ。」
「は、はい…」
彼の吐息が顔にかかる。トラ男さん…ローさんの唇が降ってくる。彼の言う通りに口を開けばぬるりと彼の舌が口内に侵入する。初めての事にビクッと身体を震わせる。彼の服を掴む手に力が入った。
「嫌なら叩け。」
「や…じゃない…」
そう言えば再び彼は私の中に侵入した。始めてするキスなのに、待ち望んでいたかのように彼の舌を迎えるように受け入れた。訳の分からないこの環境で、頭はもう馬鹿になってしまっているのかもしれない。呼吸をするのに必死だった。呼吸をする度に鼻から抜ける聞いた事も無い自分の声は恥ずかしい。狭いこの箱のような部屋で、私の声と口から出る粘着音は耳に響く。チュッチュッと唇を合わせながら、時折吸い上げるように舌を食べられて、口の周りが互いの唾液でベタベタになっていると思えば彼に舐め取られチュッと吸われ、再び唇を塞がれる。自然と身体も絡み合う。控えめに触れ合っていた脚も、深くまで混じり合いたくて絡み合う。やわやわと耳を弄ばれる度に、ビクッと身体は反応する。彼から受ける刺激が、全て快楽に変わり脳はバチバチと弾けるようだ。
「はぁ…っん、ふっ、ろ…、ロー、」
「はぁ…チッ長ェな2時間ってのは。」
途端に不機嫌を表す彼に自然と眉は下がる。この状況を少し楽しんでしまっていたのは私だけだった様で、彼からすれば暇な時間を潰すための1種の娯楽だったのかもしれない。
「ご、ごめん。私なんかと一緒で…」
「は?お前以外とこんな場所に閉じ込められるなんてごめんだ。」
「え?う、うん?」
彼の言う言葉はチグハグだ。チグハグなのは私の頭の中なのかもしれないが、彼の感情がいまいち読めない。
「ここから出たら覚悟しておけよ。」
「え…。ご、ごめんなさい。」
同盟相手の船長を誑かしてしまった罪でも問われるのだろうか。彼の能力なら心臓だけ抜き取って、一生生きるか死ぬかの不安を彷徨わせる事も出来る。だけど自然と後悔は無い。初めてキスをする相手が彼で良かったと思える程、彼の口付けに酔いしれていたから。
「この部屋から出たらすぐに甲板に出ろ。迎えに行く。」
「は、はい。あの、その…出来れば余り痛くしないで欲しいです…。」
「…善処する。」
「ほ、ホントですか!?あの、誰にも言わないので、安心してください。」
ローさんは思っていた以上に寛大だったようだ。迎えに行くと言われた時は心臓が飛び出る程に驚いたけれど、彼から紡がれる言葉は優しくそして甘い。どんな罰が待ち受けているのか思考するのは怖いけれど、今だけは何も考えずただ彼の体温を感じていたい。
「別に言ってもいいが…。困るのはお前だろう。」
「た、確かに。ルフィにバレたら大変ですもんね。」
折角良好な同盟関係を維持しているのに、私のせいで関係が悪化しました。なんて事があるのは非常にまずい。
「麦わら屋か…。そうだな、いずれは話をつけねェとな。」
「え…」
彼の言葉に思考は止まる。ルフィとローさんが揉めるのは嫌だった。2人とも大切な人だ。でも、良く考えれば今は同盟を組んでいてもいずれは敵になるのかもしれない。そう考えたら、今日の事はいずれ戦う時の道具になるのかもしれない。
「お前さえ良ければ、だが。まァ、俺達は海賊だからな。」
時折意見を求めたり、やわやわと耳に触れたり、指を絡めるように手を繋いできたり、彼の行動は不可解だった。これから呼び出して、何らかの罰を与える相手にする行動と言葉ではないような気がして。
「あの、ロー…さんって何の話してるんですか?」
「は?…まさかお前…。いや……。…はァ。なんだ、どこからだ。いや、いい。今更取り消すつもりはねェ。」
彼は長い間を取りながら言葉を紡いだ。私よりも頭のいい彼の脳は少しの思考でそれを解読する事が出来たのだろう。彼は納得したようだけど、私の頭は未だにスッキリとしない。
「あの、ローさん」
「ん?」
「擽ったい…です。」
彼が身体に触れる度に身体は熱を帯びる。暗く狭い空間である事を忘れてしまう程に、頭の中が彼でいっぱいになる。
「嫌か?」
「やじゃない…です。」
「ふっ。なら好きにさせろ。こっちは色々と我慢してんだ。」
我慢…という言葉をポツリと呟いた。この狭い空間で彼にかかる制限は私以上に多い。そんな彼に無理を言って隣に来てもらい、窮屈に身体を折らせているのは私の責任だ。色々と気を遣わせてしまい、挙句には我慢していると言われればこちらも気が気じゃない。彼にこれ以上迷惑はかけたくないし、嫌われたくなかった。
「ごめんなさい。我慢…させちゃって。あの、無理しなくていいですよ。私に出来る事なら何でもします。だからその、あまり我慢しすぎないで下さい。」
「お前、よくアホだって言われないか。」
「言われないですよ…?ローさんに嫌われたくないんです。」
「あの一味の中ではまともな奴がいると思っていたが、お前も大概だな。まァ、嫌いじゃねぇ。むしろ有難いな。」
「ありがとうございます?」
褒められているのか、揶揄れているのかサッパリ分からないけれど、彼に嫌われていないのならそれで良い。ギュッと彼に身体を寄せれば彼の音が聞こえる。トクントクンと鳴り響く心音は夢じゃないと伝えられているようで少し恥ずかしい。出逢ってから少ししか経っていないのに、同盟相手なのに、どうしてローさんに触れるとこれ程までに落ち着くのだろうか。この空間がそうさせているだけなのだろうか。
「…私、ローさんの事好きなのかなぁ。」
誰に告げる訳でもなく、思考していた事をポツリと呟いていた。彼に伝えたかった訳でも、想いを確信していた訳でもない。純粋な自分の気持ちへの疑問を思考していただけだったのに、下がっていた顔は強引に上を向かされる。
さっきより少し乱暴に彼の唇が降ってくる。舌で唇をこじ開けるように歯列の隙間を探されれば、直ぐにぬるりと乱暴な生き物のような舌が私の舌を絡め取る。さっきのは手加減だ、とでも言うように息をするのも忘れてしまう程の刺激が注がれる。
肩を押され、気付けば身体は天井を向かされる。ローさんは私の上で押し倒す様な姿勢になっている。彼の顔は見えないけど、彼がどんな表情で私を見て、どんな表情でキスを落としてくれているのか、そればかり気になった。絡み合っていた指先を離し、ローさんの頬に触れる。ゆるりと唇が離れ、私は言葉を紡ぐ
「はぁ…はぁ…ロー…さ、の…顔が…見たい…です。」
「くそっテメェ憶えてろよ。さっきから煽りやがって。」
「煽ってなんかな…んっ…ふっ…ふぁっ…」
ツーと彼の指先が身体を這う。擽ったくて、何だかもどかしくて、体はびくっと反応をする。唇が離れれば、ぷはっと呼吸をし、再び塞がれる。あぁ、やっぱり好きなのかもしれない。極限状態で初めて触れる相手だからそう感じているだけなのかもしれないけれど、でも、今この瞬間だけだったとしても、私は彼の事が好きだ。
再び唇が離れるとリップ音を立てて、顔全体にキスを落とされる。想像している彼の顔からは考えられない程甘い時間に自然と笑みがこぼれる。
「ふふ、ローさん、擽ったいです。」
「随分と余裕そうだな。」
「へ、え?余裕なんて…っあっ…!ま、まって、ふっ…み、耳は、や…!」
この空間で耳元への口付けは五感に深く響く。彼の声が音が麻薬のように全身へ駆け巡る。叫ぶ様な自身の声に驚き口を抑えれば、私よりも大きい彼の手がそれを制止する。
「声聞かせろ。」
「っ〜〜うっあっああヤダヤダ!!も耳はやめてっ、しゃ、しゃべんないでよお!!」
「可愛いな、名前」
「っうっ〜〜う!!ず、狡い!!だ、だめ!!耳は嫌です!!」
ハァハァと肩で息をしながら、彼の胸をドンドンと叩けばローさんの顔はゆっくりと離れる。悲しくもないのに涙は出てくるし、自分でも驚くぐらい大きな声を上げ、頭の中はパニックだ。
「気を悪くするな。大体煽るお前が悪い。」
「うっ…!!だから、煽ってない…!!いたっ…」
チュッと首筋に吸いつかれたかと思えば、ガリッと食べられるような痛みを感じる。ちゅうと吸い付かれ、私の浅い知識でもその行為が何を意味するのか理解出来る。
「な、なんで…」
「あ?わかってんのか?」
「わ、わかりますよ!!なんで、付けたんですか…?」
言葉が欲しかったのかもしれない。彼からすれば暇潰しの娯楽程度の戯れなのかもしれないけれど、私にとっては違っていた。彼から受ける刺激も言葉も全て、これで終わりにしたくなかった。
「さァ?何でだろうな。」
「…意地悪です。」
「それはこっちの台詞だな。…そろそろ2時間だ。」
「え!?もうそんなに経ったんですか!?」
彼と触れ合っていた時間は長かったが、体感でそこまで時間が経過しているとは思えなかった。それ程までに私は彼に夢中になっていたのだろうか。もう彼に触れる事は出来ないのかと思えばこの空間に恋しささえ覚えてしまう程。
「お前は最初寝てただろ。」
「…あ、ああ!そういう事ですか!?ローさんは先に目覚めてたんですか?」
「ああ。まぁ目覚めた相手がお前で良かった。」
キュンと胸が高鳴った。女慣れしている彼が、勘違いを誘う言葉を吐く度に私の心はドキドキするのだ。これがもう最期なのに、これ以上私を夢中にさせるなんて狡い。でも、まんまと甘い罠にハマってしまい、彼に縋っているのは私なのだ。
「ローさん、最後にもう一回だけ、キス…したいです。」
「…最後にするつもりはねェ。だから、お前は直ぐに甲板へ出ろ。いい加減、意味が理解出来ただろ。」
ローさんの言葉に瞳をぱちくりとさせた。多分、勘違いでなければきっと、彼はそういう意味で言ってくれている。途端にパァっと眩い光がこの箱の中を包み込む。
「行く!!行くから!!ローさん!迎えに来てね!!」
精一杯叫んだ声と最期に見えた彼の顔は少し赤みがかっているように見えた。幻覚なのか、夢だったのかこの薄れ行く意識の中では分からないけれど、彼もドキドキしていたのなら嬉しいな、そう思いながら再び瞳を落とす。
パチリと瞳を開けば意識はクリアになっていく。視界は開けて何時もの寝室だ。まだ寝ているナミとロビンを起こさないようにそろりと布団から抜け出して、一面鏡を覗き込む。首元に映る赤を見て頬が色付く。夢じゃなかった。慌ててクローゼットを開き、1番お気に入りの服に身を包み甲板へ飛び出せば青い膜がブンと視界を捉えた。
「迎えに来た。」
大きな刀を携え、鋭い目つきの下には隈が備わっている男は、私の瞳にはまるで童話の王子様の様に、キラキラと輝いて映った。支えられた腰に熱を感じる。今は彼の体温だけでは無い風が肌に触れるけれど、それでも彼の顔が見れるのは心地が良かった。自然と踵を上げて彼の唇に自身のそれを押し付けて笑顔を落とした。