素直になるまで1cm
name
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
久しぶりに踏みしめる地面に男達は浮かれ気味だった。そんな男達の様子を見て、申し訳なさを感じる女はゆっくりと船から降りた。勿論監視付き。
「…だから逃げないって。」
「行き先が同じだけだ。気にするな。」
「はぁ…。じゃあローが服選んでよ。」
名前は既にツナギを着崩していた。上はローから借りているTシャツでツナギの袖は腰に巻いている。ジョリーロジャーは隠れてしまっているから、これではハートの海賊団の船員である事は分からない。
「そんなに服が欲しいのか。」
「当たり前じゃん。下着も欲しいし…。サイズあってないから。」
名前が今使用している下着は、船内にあったものだ。男しかいない船で、何故女性物の下着があったのか理由は聞かないことにした。理由を聞こうが聞くまいが着用する事には変わり無かったから。
「下着は買え。服は別だ。ツナギでもいいだろ。」
「やだ。ダサい。大体ローだってツナギ着てないじゃん。」
「俺は船長だからな。」
「…狡い。ツナギは履くだけならいいけど、上と靴は変えたい。」
女の言葉にローは眉を寄せた。自分の服を貸しているのだからそれで良いだろうと考えていたのだから。靴は別として、ツナギは許せて服は変えたいと言う女の気持ちは理解出来ない。
「別にそのままで良いだろ。」
「だから良くないって!!ローの服大きいし。あ、買った服にジョリーロジャー入れたいんだけどさ、お店で頼んだ方がいい?それともクルーの洋裁師に頼んだ方が良いのかな?…ねぇロー聞いてる?」
ジョリーロジャーを入れる、彼女は確かにそう言った。その事実に驚き思わず足を止めれば、聞いてるの?と顔を覗き込まれる始末だ。
「…ジョリーロジャーって俺らのやつか。」
「当たり前じゃん…え、やっぱり駄目だった…?」
「駄目なんて言ってねぇ。そうか。」
「だからね!刺繍して貰った方がいいのか、プリントするのがいいのか…」
名前が嬉々として話す姿を見ながらローは思考していた。自分が思っている以上に彼女はこの船に住み着いていた。未だに警戒心が解けていない事は分かっているが、確かに彼女の心はこの船に傾いている。ジョリーロジャーを背負うという事は、何年も海賊をやっていた彼女ならその覚悟の重さが分かっている筈だから。
「服、一式買うか。」
「え?なんで?いいの?」
「気が変わった。お前の戦闘スタイルだとツナギは不都合だろ。ただし、服はオーダーしろ。気に入ったやつがあれば買ってもいいが、ジョリーロジャーを入れろよ。あと帽子とサングラスも新しいのを買え。」
淡々と話を続けるローに、パァっと笑顔を見せていたが名前の顔は段々と曇っていく。最終的には呆れ顔ではいはい、ありがとーございます。と棒読みで御礼をした。所謂彼の独占欲基、所有欲という物は今に始まった事では無いがここ数日は特に酷い。これが普通の女だったら勘違いしてローに心酔してしまうだろう。海賊としても人としても後輩であるこの男に振り回される訳には行かないのだ。
大量の紙袋をぶら下げ、無事にショッピングを終えた。アレがいいコレはダメだ、と好みをハッキリと告げてくるローのお陰で買い物はスムーズに終わった。下着を買う時も着いて来る気満々だったのには正直引いたし、そんなもん見慣れていると言う彼の発言にはポカンと口を開いた。その言葉が医者としてなのか、男としてなのか、聞いていないから定かでは無いが、まだ18歳のセリフとは到底思えなかった。
港へ向かえばクルーの数人は海を泳いでいた。極寒のこの海でガクガクと震えながらも海へ潜るのは今帰宅したこの男の為。能力者である船長に何かあってもこの船のクルーは対処出来るのだ。そのために努力する彼らの姿を幾度も見てきたのに、北の海の中でも更に寒さの険しいこの島でも続けているのだから、彼らの努力は名前の心に刺さった。それと同時に潜水する事が出来ない自身の無力感も感じるのだ。
「名前…」
「え?」
ふにっと唇に触れた温かさに声を上げた。自分よりも大きくゴツゴツしたローの指は、名前の唇に触れると無理矢理口を開かせる様に親指の腹で彼女の顎に力を入れていた。
「噛むな。お前は泳げなくても出来ることがあんだろ。」
「ロー私の事見すぎだよ。なんでわかったの?」
「お前が顔に出やすいだけだ。そんなんでよくあんな異名が付いたな。信じらんねェよ。」
呆れた様な顔でローは話すが名前は心の中でポツリと思った。多分そう思うのは貴方だからだと。出会い方が違えば名前はきっとローにも能力を掛けていただろう。彼等と出会った時に海楼石の錠を付けていたから、能力を使う事が出来なかったから、たったそれだけの理由。今はもう自由に能力をかける事が出来る筈なのに、それをしないのは貴方達が優し過ぎたから。心に住み着いてしまったからだ。
「ローありがとう。」
「礼なら体で返してくれ。」
「うん。そのつもりだよ。」
「…お前少しは言い返せよ。」
「だってローは嫌がる事はしないし。そういう事はしなくていいって言ったから、ね?ふふ、あ、私も槍使うの練習しようかな〜」
泳ぐ船員を見て、名前が顔を曇らせるのは今に始まった事では無い。初めて気がついたのは数日前。1度気が付いてしまえば、彼女の視線の先にある海に何も出来ない己の無力感を感じた。ロー自身も海に入ることは出来ない。彼女の望む世界を見せることは出来ない。
ニカッと無邪気に笑う彼女の心の曇は少し晴れたようだった。それでもローの心には靄が残る。どうしてそこまで海が恋しいのか、何故悪魔の実を食べてしまったのか聞きたいことは沢山あるが、今はその言葉をグッと堪えた。
「武器の方が壊れるから辞めろ。」
「…その通りなんだけどさ。短めのナイフとかなら使えるよ?ローの刀もそうだけど、大きい武器使うのってカッコイイよね。」
「カッコ良さなんていらねーだろ。お前の戦い方だと邪魔になるだけだ。」
「その通りなんだけどさ…うーんロマンあるよね〜。」
船内に荷物を置けば、うずうずしていたであろう彼女は直ぐにクルーの方へ足を動かした。船へ近付く度に彼女の視線は戦闘訓練をしている船員に夢中だった。多分彼女は戦う事が好きなのだろう。そして、それを必死で学ぼうとする俺達の姿勢はもっと好きなようだ。人を誑かして懸賞金を上げたとは思えない彼女の戦闘スキルに、海軍含め以前の海賊団はこの女の何を見ていたのだと、何度目か分からない怒りがふつふつと込み上げた。
彼女は話したがらない元の船の情報をまだ、ローは調べていなかった。今は彼女との信頼関係を築くのが1番だと考え敢えてそうしていた。彼女が元の船へ戻りたいと言った事は1度もない。それに、裏切られた事は事実らしいのに復讐をしたいとも、裏切られた事に対する怨言も、彼女の口から出たことは無い。
ただ見せるのは時折見せる酷く傷付いた瞳、いつかは裏切られるだろうと言う諦め、初めて見る世界に喜ぶ子供のような無邪気な瞳。10年も海賊をやっていた筈の彼女は鳥籠に囚われた蝶のようだった。
❥ ❥ ❥ ❥
「話がある。」
やけに真剣な瞳のローに名前は本を読んでいた手を止めた。生きる事に必死で読書なんてしてこなかった。そんな名前が娯楽として読書を嗜むようになったのは紛れもなく彼のお陰だ。どうしたの?と、返事をしたが、ローが何かを聞こうとしている事には気付いていた。知らないフリを続けて、時を過ごそうとしていたのだから。
「なぜ悪魔の実を食べたんだ?」
「…やっぱり気になるよね。」
「無理に聞くつもりは無かったが、どうしても納得出来ねェ。お前の海を見る時の目も、自分の能力を嫌っている事も。」
ギィとローの座る椅子が音を鳴らす。名前は持っていた本をサイドテーブルへ置くと、視線をローに移した。数秒の沈黙の後、ゆっくりと口を開く
「以前、家出したって話したよね。」
「ああ。カームベルトを渡った時だよな。」
「そう。家出したのには理由があってさ、」
「偉大なる航路 に行きたかったんだろ?」
「うん。前の船は戦争屋の元で働く雇われ海賊みたいな感じで、戦うのは好きだったから最初は楽しかったんだ。だけど最初は偉大なる航路 へ行くまでの資金稼ぎって聞いてたのに、いくらお金が溜まっても私が強くなっても、先へ進む事は許されなくて。」
戦争屋の仕事も、続けている内にその中にある闇を知る。この海では深い闇がある事など珍しくは無いが、自分がそれに係わり子供達の光を閉ざしている存在である事に気付けば途端に恐怖心が襲った。無駄な戦いはしたくない私と船長は対立し海へ飛び出した。
再び北の海 へ戻った時、考えたのは仲間たちの事だった。仲間にも懸賞金は付いていたが、どれもハリボテの額であったから。名前とは違い彼等は戦闘を彼女に任せっきりにし、修練を全くしなくなっていた。武器の密輸や売買さえすれば金が手に入る闇の世界に彼らは染っていった。
彼等が恨みを買うのは当然だった。彼等との再会はそんな現場を目撃した時だった。意見が食い違ったとしても仲間としての情はある。当然かつての仲間たちを庇い戦った。満身創痍な彼らを庇いながらの戦いはかつてないほどに大変なものだった。傷も負い、当然暫く意識を失う程に疲弊していた。
目覚めた時、視界に入ったのは良く見知った船の天井。ああ、結局戻ってきたんだ。そう思った。船長から言われたのは、「お前が必要だ、もう何処へも行かないでくれ。」の一言。その言葉に含まれる意味を分かっているのに、必要とされている事実に少しだけ喜んでしまう自分が居た。
返事も返さず曖昧なまま、食卓へ着いた。いつもと違う雰囲気に警戒するべきだったのかもしれない。そこで食した食事の中に悪魔の実が入っていた。噂で聞いた代物が、実際に効くのかどうかは彼等も半信半疑だったようだ。食事に混ぜるために切られていたそれを口に含みあまりの不味さに口を抑えた。その時の彼らの視線で何かを悟ったのだ。何かを盛られた事実に。
「泳げなくなった私はあの船から逃げられなくなった。遠出するには船が必要。ローも知ってると思うけど、私船の操縦出来ないし、壊しちゃうからさ。懸賞金も掛かってたから、商船にも乗れないし。ふふ、可笑しいでしょ。」
ローは何も言わなかった。彼の表情はここからは見えない。ローは怒っているだろうか、呆れているのだろうか、それとも同情してくれるのだろうか。きっとどんな答えでも、私にとってこれはもう過去の事。海が大好きだった私が海に嫌われ、行きたくも無い生き方をするようになった、忌まわしき出来事。
「それからは無関係な人を傷付けない代わりに、裏世界の貿易の仕事を手伝ってた。異名はその頃に付いた。能力は見せた通り、実際には相手にして無いし、勝手にあっちが思っているだけ。…無駄な戦争には加担しなくなったけど、結局やってる事は変わらない。この能力がある限り、私の自由はどこにもないんだ。」
この匂いが嫌いだった。人を手にかけていないのに、身体に残るこの感覚が嫌だった。触れ回る不快な自分の噂話も、自分の足で先へ進む事が出来ないこの体も。それでも彼を見捨てる事が出来なかった心も。
「だが、俺はお前の力に救われた。」
「?何の話。ローに能力は使った事無いけど?」
「数年前まで俺はある病を患っていた。」
ポツリと呟いたローの言葉に視線を上げた。彼が自分の話をするとは思ってもいなかったから。
「誰も治したがらないソレを治す為に、色んな病院を回っていた。が、当然俺は受け入れられなかった。」
―― ローちょっと待ってろ!絶対ココを動くなよ!
―― ホワイトモンスターだ!!逃げろぉ!!
―― こんな小さい子虐めて最低。モンスターはお前らだっての。…立てる?
「…あー確かあの島の…」
「アレが俺だ。」
コラさんが物資の補充で離れた時、病院で俺の姿を見ていた人間がたまたま近くを通りかかった。騒ぎ立てる人間の言葉はもう聞きたくなかった。やめてくれ、と叫んだ声が届いたのか、うるさかった人間達は途端に表情を変えどこかへ歩き出す。1人だけ、集団から逆走するように俺に向かい近付いてくる女が居た。…それが名前だった。
『もう大丈夫だよ。すごい怪我…。私はもう少しでこの島出ちゃうからな…。そうだ!はい、手出して。』
『な、なんだよこれ。気持ちわりいよ…』
名前の指先からドロっと流れ落ちた液体はコロンと丸くなり飴玉のようにローの掌へ落ちた。
『ふふ。バケモノでしょ?毒じゃないから食べて?それがあれば暫くはいじめられる事は無いから。この匂いがあなたを守ってくれる。じゃ、元気でね。』
『まっ…!て…』
ふわりと甘い蜂蜜のような香りを残して、女はその場から消えた。鼻に残るその匂いが、やけに心地良かった。人に親切にされたのはいつからだろうか。手の平に乗るそれを食べようとは思わなかったけど、捨てる気にもならず、ポケットにそっと忍ばせた。
「…これ、憶えているか。」
「うそ…取っておいたの!?汚いじゃん…」
「まァ、そうだな。捨てようと思ってた。」
ローの握る箱の中に入っていたのは、あの日渡した飴玉。色はだいぶ落ちてしまっているが確かに自分の体から生み出した物だった。それに手を近づけて触れれば、球体は跡形もなく姿を消した。
「てめぇ!なにしやがんだ!」
ずっと表情を崩さなかったローは、それが消えた途端に表情を変えた。
「だって捨てようとしてたんでしょ?それにあれはもう要らないよ。」
「だからって勝手に消す奴がいるかよ。クソっ見せなきゃ良かった…」
「はい。これからはいくらでもあげるから。今度は食べてくれると嬉しいな?」
再びコロンと転がる綺麗な蜂蜜色をした球体は、灯りの反射でキラキラと輝いている。無言でそれを取り、口に含んだ男は一言、甘ェと呟いた。
「…だから逃げないって。」
「行き先が同じだけだ。気にするな。」
「はぁ…。じゃあローが服選んでよ。」
名前は既にツナギを着崩していた。上はローから借りているTシャツでツナギの袖は腰に巻いている。ジョリーロジャーは隠れてしまっているから、これではハートの海賊団の船員である事は分からない。
「そんなに服が欲しいのか。」
「当たり前じゃん。下着も欲しいし…。サイズあってないから。」
名前が今使用している下着は、船内にあったものだ。男しかいない船で、何故女性物の下着があったのか理由は聞かないことにした。理由を聞こうが聞くまいが着用する事には変わり無かったから。
「下着は買え。服は別だ。ツナギでもいいだろ。」
「やだ。ダサい。大体ローだってツナギ着てないじゃん。」
「俺は船長だからな。」
「…狡い。ツナギは履くだけならいいけど、上と靴は変えたい。」
女の言葉にローは眉を寄せた。自分の服を貸しているのだからそれで良いだろうと考えていたのだから。靴は別として、ツナギは許せて服は変えたいと言う女の気持ちは理解出来ない。
「別にそのままで良いだろ。」
「だから良くないって!!ローの服大きいし。あ、買った服にジョリーロジャー入れたいんだけどさ、お店で頼んだ方がいい?それともクルーの洋裁師に頼んだ方が良いのかな?…ねぇロー聞いてる?」
ジョリーロジャーを入れる、彼女は確かにそう言った。その事実に驚き思わず足を止めれば、聞いてるの?と顔を覗き込まれる始末だ。
「…ジョリーロジャーって俺らのやつか。」
「当たり前じゃん…え、やっぱり駄目だった…?」
「駄目なんて言ってねぇ。そうか。」
「だからね!刺繍して貰った方がいいのか、プリントするのがいいのか…」
名前が嬉々として話す姿を見ながらローは思考していた。自分が思っている以上に彼女はこの船に住み着いていた。未だに警戒心が解けていない事は分かっているが、確かに彼女の心はこの船に傾いている。ジョリーロジャーを背負うという事は、何年も海賊をやっていた彼女ならその覚悟の重さが分かっている筈だから。
「服、一式買うか。」
「え?なんで?いいの?」
「気が変わった。お前の戦闘スタイルだとツナギは不都合だろ。ただし、服はオーダーしろ。気に入ったやつがあれば買ってもいいが、ジョリーロジャーを入れろよ。あと帽子とサングラスも新しいのを買え。」
淡々と話を続けるローに、パァっと笑顔を見せていたが名前の顔は段々と曇っていく。最終的には呆れ顔ではいはい、ありがとーございます。と棒読みで御礼をした。所謂彼の独占欲基、所有欲という物は今に始まった事では無いがここ数日は特に酷い。これが普通の女だったら勘違いしてローに心酔してしまうだろう。海賊としても人としても後輩であるこの男に振り回される訳には行かないのだ。
大量の紙袋をぶら下げ、無事にショッピングを終えた。アレがいいコレはダメだ、と好みをハッキリと告げてくるローのお陰で買い物はスムーズに終わった。下着を買う時も着いて来る気満々だったのには正直引いたし、そんなもん見慣れていると言う彼の発言にはポカンと口を開いた。その言葉が医者としてなのか、男としてなのか、聞いていないから定かでは無いが、まだ18歳のセリフとは到底思えなかった。
港へ向かえばクルーの数人は海を泳いでいた。極寒のこの海でガクガクと震えながらも海へ潜るのは今帰宅したこの男の為。能力者である船長に何かあってもこの船のクルーは対処出来るのだ。そのために努力する彼らの姿を幾度も見てきたのに、北の海の中でも更に寒さの険しいこの島でも続けているのだから、彼らの努力は名前の心に刺さった。それと同時に潜水する事が出来ない自身の無力感も感じるのだ。
「名前…」
「え?」
ふにっと唇に触れた温かさに声を上げた。自分よりも大きくゴツゴツしたローの指は、名前の唇に触れると無理矢理口を開かせる様に親指の腹で彼女の顎に力を入れていた。
「噛むな。お前は泳げなくても出来ることがあんだろ。」
「ロー私の事見すぎだよ。なんでわかったの?」
「お前が顔に出やすいだけだ。そんなんでよくあんな異名が付いたな。信じらんねェよ。」
呆れた様な顔でローは話すが名前は心の中でポツリと思った。多分そう思うのは貴方だからだと。出会い方が違えば名前はきっとローにも能力を掛けていただろう。彼等と出会った時に海楼石の錠を付けていたから、能力を使う事が出来なかったから、たったそれだけの理由。今はもう自由に能力をかける事が出来る筈なのに、それをしないのは貴方達が優し過ぎたから。心に住み着いてしまったからだ。
「ローありがとう。」
「礼なら体で返してくれ。」
「うん。そのつもりだよ。」
「…お前少しは言い返せよ。」
「だってローは嫌がる事はしないし。そういう事はしなくていいって言ったから、ね?ふふ、あ、私も槍使うの練習しようかな〜」
泳ぐ船員を見て、名前が顔を曇らせるのは今に始まった事では無い。初めて気がついたのは数日前。1度気が付いてしまえば、彼女の視線の先にある海に何も出来ない己の無力感を感じた。ロー自身も海に入ることは出来ない。彼女の望む世界を見せることは出来ない。
ニカッと無邪気に笑う彼女の心の曇は少し晴れたようだった。それでもローの心には靄が残る。どうしてそこまで海が恋しいのか、何故悪魔の実を食べてしまったのか聞きたいことは沢山あるが、今はその言葉をグッと堪えた。
「武器の方が壊れるから辞めろ。」
「…その通りなんだけどさ。短めのナイフとかなら使えるよ?ローの刀もそうだけど、大きい武器使うのってカッコイイよね。」
「カッコ良さなんていらねーだろ。お前の戦い方だと邪魔になるだけだ。」
「その通りなんだけどさ…うーんロマンあるよね〜。」
船内に荷物を置けば、うずうずしていたであろう彼女は直ぐにクルーの方へ足を動かした。船へ近付く度に彼女の視線は戦闘訓練をしている船員に夢中だった。多分彼女は戦う事が好きなのだろう。そして、それを必死で学ぼうとする俺達の姿勢はもっと好きなようだ。人を誑かして懸賞金を上げたとは思えない彼女の戦闘スキルに、海軍含め以前の海賊団はこの女の何を見ていたのだと、何度目か分からない怒りがふつふつと込み上げた。
彼女は話したがらない元の船の情報をまだ、ローは調べていなかった。今は彼女との信頼関係を築くのが1番だと考え敢えてそうしていた。彼女が元の船へ戻りたいと言った事は1度もない。それに、裏切られた事は事実らしいのに復讐をしたいとも、裏切られた事に対する怨言も、彼女の口から出たことは無い。
ただ見せるのは時折見せる酷く傷付いた瞳、いつかは裏切られるだろうと言う諦め、初めて見る世界に喜ぶ子供のような無邪気な瞳。10年も海賊をやっていた筈の彼女は鳥籠に囚われた蝶のようだった。
❥ ❥ ❥ ❥
「話がある。」
やけに真剣な瞳のローに名前は本を読んでいた手を止めた。生きる事に必死で読書なんてしてこなかった。そんな名前が娯楽として読書を嗜むようになったのは紛れもなく彼のお陰だ。どうしたの?と、返事をしたが、ローが何かを聞こうとしている事には気付いていた。知らないフリを続けて、時を過ごそうとしていたのだから。
「なぜ悪魔の実を食べたんだ?」
「…やっぱり気になるよね。」
「無理に聞くつもりは無かったが、どうしても納得出来ねェ。お前の海を見る時の目も、自分の能力を嫌っている事も。」
ギィとローの座る椅子が音を鳴らす。名前は持っていた本をサイドテーブルへ置くと、視線をローに移した。数秒の沈黙の後、ゆっくりと口を開く
「以前、家出したって話したよね。」
「ああ。カームベルトを渡った時だよな。」
「そう。家出したのには理由があってさ、」
「
「うん。前の船は戦争屋の元で働く雇われ海賊みたいな感じで、戦うのは好きだったから最初は楽しかったんだ。だけど最初は
戦争屋の仕事も、続けている内にその中にある闇を知る。この海では深い闇がある事など珍しくは無いが、自分がそれに係わり子供達の光を閉ざしている存在である事に気付けば途端に恐怖心が襲った。無駄な戦いはしたくない私と船長は対立し海へ飛び出した。
再び
彼等が恨みを買うのは当然だった。彼等との再会はそんな現場を目撃した時だった。意見が食い違ったとしても仲間としての情はある。当然かつての仲間たちを庇い戦った。満身創痍な彼らを庇いながらの戦いはかつてないほどに大変なものだった。傷も負い、当然暫く意識を失う程に疲弊していた。
目覚めた時、視界に入ったのは良く見知った船の天井。ああ、結局戻ってきたんだ。そう思った。船長から言われたのは、「お前が必要だ、もう何処へも行かないでくれ。」の一言。その言葉に含まれる意味を分かっているのに、必要とされている事実に少しだけ喜んでしまう自分が居た。
返事も返さず曖昧なまま、食卓へ着いた。いつもと違う雰囲気に警戒するべきだったのかもしれない。そこで食した食事の中に悪魔の実が入っていた。噂で聞いた代物が、実際に効くのかどうかは彼等も半信半疑だったようだ。食事に混ぜるために切られていたそれを口に含みあまりの不味さに口を抑えた。その時の彼らの視線で何かを悟ったのだ。何かを盛られた事実に。
「泳げなくなった私はあの船から逃げられなくなった。遠出するには船が必要。ローも知ってると思うけど、私船の操縦出来ないし、壊しちゃうからさ。懸賞金も掛かってたから、商船にも乗れないし。ふふ、可笑しいでしょ。」
ローは何も言わなかった。彼の表情はここからは見えない。ローは怒っているだろうか、呆れているのだろうか、それとも同情してくれるのだろうか。きっとどんな答えでも、私にとってこれはもう過去の事。海が大好きだった私が海に嫌われ、行きたくも無い生き方をするようになった、忌まわしき出来事。
「それからは無関係な人を傷付けない代わりに、裏世界の貿易の仕事を手伝ってた。異名はその頃に付いた。能力は見せた通り、実際には相手にして無いし、勝手にあっちが思っているだけ。…無駄な戦争には加担しなくなったけど、結局やってる事は変わらない。この能力がある限り、私の自由はどこにもないんだ。」
この匂いが嫌いだった。人を手にかけていないのに、身体に残るこの感覚が嫌だった。触れ回る不快な自分の噂話も、自分の足で先へ進む事が出来ないこの体も。それでも彼を見捨てる事が出来なかった心も。
「だが、俺はお前の力に救われた。」
「?何の話。ローに能力は使った事無いけど?」
「数年前まで俺はある病を患っていた。」
ポツリと呟いたローの言葉に視線を上げた。彼が自分の話をするとは思ってもいなかったから。
「誰も治したがらないソレを治す為に、色んな病院を回っていた。が、当然俺は受け入れられなかった。」
―― ローちょっと待ってろ!絶対ココを動くなよ!
―― ホワイトモンスターだ!!逃げろぉ!!
―― こんな小さい子虐めて最低。モンスターはお前らだっての。…立てる?
「…あー確かあの島の…」
「アレが俺だ。」
コラさんが物資の補充で離れた時、病院で俺の姿を見ていた人間がたまたま近くを通りかかった。騒ぎ立てる人間の言葉はもう聞きたくなかった。やめてくれ、と叫んだ声が届いたのか、うるさかった人間達は途端に表情を変えどこかへ歩き出す。1人だけ、集団から逆走するように俺に向かい近付いてくる女が居た。…それが名前だった。
『もう大丈夫だよ。すごい怪我…。私はもう少しでこの島出ちゃうからな…。そうだ!はい、手出して。』
『な、なんだよこれ。気持ちわりいよ…』
名前の指先からドロっと流れ落ちた液体はコロンと丸くなり飴玉のようにローの掌へ落ちた。
『ふふ。バケモノでしょ?毒じゃないから食べて?それがあれば暫くはいじめられる事は無いから。この匂いがあなたを守ってくれる。じゃ、元気でね。』
『まっ…!て…』
ふわりと甘い蜂蜜のような香りを残して、女はその場から消えた。鼻に残るその匂いが、やけに心地良かった。人に親切にされたのはいつからだろうか。手の平に乗るそれを食べようとは思わなかったけど、捨てる気にもならず、ポケットにそっと忍ばせた。
「…これ、憶えているか。」
「うそ…取っておいたの!?汚いじゃん…」
「まァ、そうだな。捨てようと思ってた。」
ローの握る箱の中に入っていたのは、あの日渡した飴玉。色はだいぶ落ちてしまっているが確かに自分の体から生み出した物だった。それに手を近づけて触れれば、球体は跡形もなく姿を消した。
「てめぇ!なにしやがんだ!」
ずっと表情を崩さなかったローは、それが消えた途端に表情を変えた。
「だって捨てようとしてたんでしょ?それにあれはもう要らないよ。」
「だからって勝手に消す奴がいるかよ。クソっ見せなきゃ良かった…」
「はい。これからはいくらでもあげるから。今度は食べてくれると嬉しいな?」
再びコロンと転がる綺麗な蜂蜜色をした球体は、灯りの反射でキラキラと輝いている。無言でそれを取り、口に含んだ男は一言、甘ェと呟いた。