素直になるまで1cm
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名前は困り果てていた目の前の男に。不機嫌を全身で表現する様はまるで3歳児だ。体のいい人質であり、戦闘力の向上に繋がる玩具が都合良く動かないのはどうやら気に入らないらしい。
ローにこの船へ連れられた時、最初は逃げるつもりだった。賞金首である名前が安住の地を求める事は不可能だったが、仲間に裏切られ海軍へ売られた直後にまた海賊の仲間になろうと普通なら思わない。
死の外科医 トラファルガー・ロー
北の海 で最近名前が売れだした海賊だ。民間人を襲うような悪さをする海賊では無いが、彼の名前はどんどん広まっていた。同業者なら彼の顔ぐらい知っている。
手配書通りの目つきの悪さに、頭のキレる男。逃げるのは容易では無い。下手について隙を見て逃げるつもりだったのに、乗った船は潜水艦。オマケに初日から身体検査をされた。だけど、思っていた待遇と違っていた。彼らに戦い方を教えるのはただの暇つぶし。本当のクルーになんてなるつもりは無い。そう思っていたのに、この船が人がどんどん居心地よくなっていった。
「いつまで拗ねてるの?」
「は?誰が。良いから教えろ。」
先程の一件からどうも彼は不機嫌だ。ジッと目線を合わせるがローはすぐに視線を逸らす。はァと肩をおろし、名前はゆっくりとローの横へ腰かけた。
「おい、何してんだよ。」
「別に。」
横に座れば覇気を纏う練習を始めたローの腕を名前はギュッと握った。当然彼女の腕に回っている忌まわしき海楼石はローの肌にピタリと触れる。
「手を避けろ。」
「ローも海楼石付けたまま練習した方がいいんじゃない?」
「は?馬鹿か。俺がそんなもん付けたらテメェが何するか分かんねぇだろ。」
「だから私が触ってんじゃん。気にしなくていいから続けて〜。」
ふいっと視線を逸らし、力が入んねぇと言いながらも修練を続けるローを見て名前はふふっと笑う。彼らは本気で強くなろうとしている。その事実だけは真実だから、名前はそれが嬉しかった。
「ローってさ、偉大なる航路 行ったことある?」
「は?ある訳ねェだろ。この船だから行けねぇ事もねぇが、行くなら入口から入りてぇ。」
「ヘェ!意外!ふふそっかぁ。私も行きたいなぁ。」
何かを見つめる様な女にローはぽつりと呟いた
「お前が逃げなきゃ、一緒に行けるだろ。」
「んー逃げないけどさ、本当に連れてってくれるの?」
「当たり前だろ。お前こそ10年も海賊やってんなら見飽きてんだろ。」
子供のように瞳を輝かせる彼女にローはやや呆れ気味だ。この女の居た船の事はまだ何も知らない。船員を裏切るクソ野郎である事は確かで、目の前の女は過去の出来事を嬉々として語るタイプでも無いから。
「私前半の海は行ったことがないから。」
彼女の言う前半の海は、リヴァースマウンテンをぬけた先に広がっている。北の海から偉大なる航路 前半の海へ行くにはここしか手段がない。
「はってことは、新世界へは行ったことがあんのか。」
「うん。泳いで行った!」
「…は?」
カームベルトに挟まれているそこへ行くには、海中で大量に存在する海王類の巣を通らなければ行けない。カームベルトを泳いで渡るなんて聞いた事が無かった。
「船はどうしたんだよ。泳いでいくなんてバケモノだろ。」
「失礼だな〜。一時期家出してたんだよ。その時にリヴァースマウンテンを泳いで渡るのは無理だから、カームベルトなら行けるかなーって。」
ヘラヘラと笑う女に、ローは眉間を抑えた。彼女の実力がかなりのものではあると思っていたが、とんでもない化け物だった事実に驚愕する。
「それで、何でまた戻ってきたんだ?」
「ああ、それがさ、地図とかも無いからどこに島があるのか分からなくて結局引き返してきた。ログポースも壊しちゃって!」
「ああ…お前ならやりそうだな。」
力の加減が分からない彼女はこの船に乗り始めた頃何度か物を破壊していた。海楼石を付けた能力者だと言うのに。オマケに機械は音痴という次元では無いほど弄れない。戦闘以外ではポンコツという表現が正しい程に彼女は不器用だった。
「失礼だなぁ。だから行ってみたいんだー。」
「俺が連れて行ってやるよ。だからお前は大人しく俺に着いてくればいい。仲間は裏切らない。」
真剣な瞳で彼女を見据えれば、瞳を大きく丸くし直ぐに優しい顔に戻った。真面目に女を口説き落としているかの様な自身の台詞にローは視線を逸らした。らしくない事をしているのは自分でも分かっていた。ただ、この女の前ではどうも調子が狂う。それもこれもあの新聞を見たせいだ。
「ローに捨てられるまではお世話になろうかな。」
「だから!俺らは裏切らな…」
「ほら気が緩んでるよ?刀に覇気を纏わせないといけないんだから頑張って!」
これ以上は踏み込ませない。彼女なりの線引きだろう。海楼石で縛っても、心臓を抜き取り脅しを掛けていても、彼女の心は手に入らない。気に入らないと舌打ちをすれば、イライラしないのと諭される始末だ。どうにも埋まらない歳の差に文句は言えないがやはり、餓鬼扱いされるのは癪に障る。いつか彼女の心も過去も全て知ることが出来るその日まで、彼女との距離と実力差だけは埋めてしまいたい。
❥ ❥ ❥ ❥
穏やかな波の揺れと紙を擦る音。時折なるペンがサラサラと紙を汚す音が心地よく感じるようになったのは何時からだろう。
夜も更けてこの船は休息へはいる。名前は未だにローの部屋で生活をしていた。初めこそ監視目的での同室だったが、今は正直よく分からない。昼にペンギンに能力を掛けてしまったからまた警戒されたのかもしれない。意外と優しいローは名前にベッドを譲り、自分は長いからだを窮屈に折ってソファで寝ると言った。背丈で考えれば名前がソファを使うべきなのに。言い出せば聞かないローの性格を考え、有難くベッドを借りているが、ローはいつも夜更かしをしていた。
「ねぇ、いつも何してるの?」
「…起きてたのか。」
「当たり前じゃん。医者のお勉強?」
いつも狸寝入りを決め込んで知らないふりを続けていたのに、今日は話しかけたくなった。この部屋に沢山ある本や書類の類は極力見ないようにしていたから。要らぬ疑いを掛けられるのはごめんだった。
「ああ。俺の能力は知識も必要だからな。」
「へー。偉いねローは。」
「当然だろ。俺は船医でもあるんだ。この先の海で知識は戦力になる。」
ローは当然と言うけれど、名前はそうは思わなかった。船長という立場で皆の指揮を取りながら、船医として仲間の体調管理もし自身も勉強をするなんて普通の人間には出来ない。
「凄いよローは。」
「お前程じゃねェよ。俺はまだお前に一度も勝ってないんだ。」
「ふふ。私がローに勝てるのなんて肉弾戦ぐらいだよ。私は頭も悪いし、皆をまとめる力もないし、怪我も見れない。剣も使えないし、ローは全部真剣に取り組んでるんだから私の完敗だよ。」
ローは全てを中途半端に投げ出すような人間ではない。戦闘以外はまるで駄目な私とは違い、ローは全てに全力を注ぎ全てを極めようと努力している。こんなの、勝てる訳がなかろう。
「ねぇロー、そっちに行ったら邪魔?」
「…寝れねぇのか。」
「んーそれもそうなんだけど、ローが勉強してる時の音が好きなんだ。あと私も本…読んでみたくなった。」
ベッドからではローの座る机とは距離がある。それに初めて思った、本を読みたいって。強ければこの世界では生きていける。そう思い真剣に身体を鍛えていた。だけど結果は裏切りで捕まり監獄へ行く事になる、という人生だった。イレギュラーは目の前にいる彼との出会い。あそこで終わるはずだった名前の人生は着実に変わっていた。
「本はあまり読まないのか?」
「小さい頃にしか読んだことない。あとは島の情報を見る時ぐらい?」
「…少し待ってろ。お前でも読めそうなものを探してくる。」
「え、いいよ!ごめん、そんなつもりじゃなかったのに…」
ペンを置き、立ち上がったローを見て名前は慌てて身体を起こした。彼の邪魔をしたい訳ではなかったのに、わざわざ本を探しに行かせる手間を掛けさせてしまうなんて。
「いや、丁度出る所だった。お前も何か飲むか。」
「…飲むって、珈琲でも淹れにいくの?」
「ああ。」
「なら珈琲は私がやるよ!…嫌そうな顔しないで!じゃ、じゃあ持つから!着いていっていい!?」
「まぁそれなら。早くしろ。」
先へ進むローを見て名前は慌ててベッドから飛び出した。意外にも優しいローは足を止めて外で待っていた。こういう細かな気遣いが彼のモテる所以だと思う。ローについて行くと、本の沢山ある部屋に辿り着く。ローの部屋だけでもかなりの量があるのに、ここはまるで図書館だ。ローは数冊本を手に取ると、行くぞと部屋を後にする。
「それ持つよ。」
「お前が読めそうなのはこれとこれだ。」
「ありがとう!全部読めるかな…でも折角ローが選んでくれたから最後まで読みたいな…」
「ふっ、気に入らなかったらまた選んでやる。」
「う、うん。ありがとう。」
ローの笑顔に不覚にもドキッとした。無意識なのか名前の頭に手を置き、次の瞬間にはふいっと顔を逸らし食堂へ足早に歩みを進める男を見て名前は下を向いた。
(いや、相手は8個下だっての。何意識してんのよ馬鹿。)
自分よりかなり背が高く、顔の整っているローにあんな事をされればどんな女でもドキドキぐらいする。そう言い聞かせ彼について行く。もう二度と人を好きになんてならないと決めたのに、久しぶりにときめくのが自分よりかなり歳が下の男なんて、気が触れている。それもこれも、1度捕まったからだ。
部屋へ戻るとローは飲み物をソファの横のテーブルへ置いた。てっきり机へ持っていくとばかり思っていたから、名前は首を傾げた。
「俺もまだ読んでない本があるからな。読みたくなった。」
「…なんかほんとに邪魔しちゃったみたいでごめん。」
「だからまだ読んでねぇ本だっつってんだろ。」
ドカッとソファに座るローは名前の首を掴み無理矢理自身の横に座らせた。うわっ!と間抜けな声を上げる名前にくつくつと笑う。シャンブルズと口にすれば名前の身体は軽くなる。
「えっなんで!?いいの?」
「身体にあたって不快なんだよ。部屋から出る時は着けろよ。」
「この部屋では取ってもいいの!?やったー!これでゆっくり休める…」
忌々しい海楼石の枷はテーブルの上にゴトンと置かれていた。大きめのソファではあるが、大きく身体を動かせば触れ合う距離に座っている。ローが嫌がるのも無理は無いのかもしれない。
既にパラりとページを捲るローをちらりと盗み見て、名前も本を開いた。絵本以外の読書なんてまともにした事がなかったのに、彼の選んだ航海日誌の様な冒険記は名前の心を擽った。
「ロー!これ面白いね!これなら全部読めるかも。」
「良かったな。いい暇つぶしになるだろ。」
「うん!ありがとう。」
読書なんて好きじゃなかった、夜の時間なんて大嫌いだったのに、今はこの時間が心地よい。生まれ変わったように本に齧り付いていた。時計の存在も忘れ、夢中で文字をおっていれば隣からは規則的な音が聞こえる。
「…ロー?」
名前の前で初めて見せる穏やかな寝顔に彼女は少し安堵した。すぐ隣で海楼石も着けていない自分がいるのに、ローは気を許して眠った事実が嬉しかったのだ。
「可愛い。」
普段はぶすっと機嫌の悪そうな、何かを企んでいるような悪い顔をしている男は、今だけは年相応に少しあどけない顔を見せているのだ。ゆっくりとソファから降り、ブランケットを持ち出す。ゆっくりとそれを掛けておやすみ、と呟けば腕を掴まれる。
「ごめん起こした…?」
「いや…。どの位寝てた。」
「うーん。多分10分くらいだと思うけど…」
まだ眠そうな顔をしているのに、寝てしまった事実に信じられないと言った顔をするローに名前は眉を下げた。まだまだ信頼関係を築くには早かったようだ。
「ロー、ベッドで寝ていいよ?きっと疲れてるんだよ。ほらこれ着けるから。」
名前はそう言うとテーブルに置いてあった海楼石の枷を掴んでいた。鍵を用いて解いた訳では無いから、それを腕に回す事は出来ない。
「いや…いい。」
「私の方が小さいから、ソファでも足を伸ばして寝れるよ?」
「そっちじゃなくて…。海楼石は持たなくていい。」
「え?…でも、ローが寝れないじゃん。」
名前の手に握られている海楼石を触れば、ローはぐっと眉を顰める。こんなものを何十日もつけさせていたのかと思えば分かっていた事実なのに彼女に対して罪悪感を覚える。
「触らない方がいいって!どうしたの?」
「それはてめぇも一緒だろうが…ッ!」
ゴトンと再びテーブルに押し付けたそれは2人の手から離れる。じわりと嫌な汗を流すローとは裏腹に名前の顔には焦りは感じられない。心配そうに肩を抱いてくる女に焦りを感じる程、彼女との壁は厚い。だけど、身体が密着するほどのこの距離でふわりと甘い香りが再び漂う。
「…この匂い。」
「あぁごめんね。なんか出ちゃうみたい。抑える事も出来るんだけど、急に海楼石が外れると漏れちゃうんだ。ちょっと待ってね。」
「いや、いい。抑える必要はない。」
この匂いをローは知っていた。そして捜していた女が彼女であった事を確信した。手配書を見て、他人の空似かと思っていた女が、新聞で捕まったことを知り、強引に船へ連れてきた。出会ったのはかなり昔、しかも自分が病気で記憶が朧気だった時期。ハッキリと鮮明に残っていた鼻に残る匂いは、あの時嗅いだものと同じだった。
「そんな顔すんな。俺はその匂いが好きだ。だから、もう、無理に抑えなくていい。」
「そ…うなんだ。ローって甘いものとか余り好きじゃなさそうなのにね!」
「そうやって、無理矢理笑うのは気に食わねぇ。」
女の存在が確信に変われば、今まで抑えてきた感情はフツフツと湧き上がってきた。強い癖に妙に危なげなこの女。何かを隠そうと自分を下げる所も、全て気に入らない。1番ムカつくのは、名前を裏切った元の海賊団。過去の話をしようとすれば、傷ついた様な顔をする名前にも腹が立っていた。いい加減、気付けよ。この船がお前の居場所なんだって。
「お前にとって俺はなんだ。」
「え、何いきなり。」
「答えろ。」
「…船長?あとは手のかかる弟って感じ…。」
「ハッ…そうか。」
回答は2つとも気に入るものでは無かった。彼女が自信を持って、この船のクルーとして乗船して欲しい。弟なんて餓鬼の様な目で俺を見ることも望んでいない。だけど、今だけはそれを利用してやろうと思った。
「寝るぞ。」
「え?ちょっ待ってロー!私ソファで寝るから…」
無理矢理女を引っ張ってベッドの前まで行けば慌てふためく女。弟とほざいていた癖に、さっきまでの余裕はどこへ行ったんだ。
「俺は弟みたいなんだろ。なら我儘を聞いてくれよ。」
「いやそれとこれとは違うし…。クルーには手を出さないって話だったし…」
「俺はクルーじゃねェ。それに、ただ寝るだけだ。弟相手に何をそんなに意識してんだ?」
見たことも無い様な顔をして怒る女に今だけは愉快な気持ちになった。そうやってゆっくり落ちればいい。多分完全に脈がない訳では無いだろうから。
「悪かったよ。冗談だ。ただ、お前の匂いが落ち着くから一緒に寝てくれ。こっちは誰かのせいで寝不足なんだ。」
「…ごめん。一緒に寝るだけなら…」
ゆっくりと布団に侵入してきた女は、経験豊富な年上の女とは到底思えなかった。1000人斬りの悪女と呼ばれていた女が年下の男の布団に入り、頬を赤く染めているなんて誰が想像するのか。1つの毛布を2人で被っているのに、触れ合いはゼロだ。それでも近くで感じる女の呼吸が今は心地が良い。
「おやすみ、ロー。」
「ああ、おやすみ、名前。」
らしくない。自分でもわかっているのに、溢れた感情はどうしようも無かった。あの日出会った一筋の光が、今は雲に邪魔されて輝きを失っているのなら、それを導いてやろう。光が届く場所まで、海賊らしく歩みを進めようと。
ローにこの船へ連れられた時、最初は逃げるつもりだった。賞金首である名前が安住の地を求める事は不可能だったが、仲間に裏切られ海軍へ売られた直後にまた海賊の仲間になろうと普通なら思わない。
死の外科医 トラファルガー・ロー
手配書通りの目つきの悪さに、頭のキレる男。逃げるのは容易では無い。下手について隙を見て逃げるつもりだったのに、乗った船は潜水艦。オマケに初日から身体検査をされた。だけど、思っていた待遇と違っていた。彼らに戦い方を教えるのはただの暇つぶし。本当のクルーになんてなるつもりは無い。そう思っていたのに、この船が人がどんどん居心地よくなっていった。
「いつまで拗ねてるの?」
「は?誰が。良いから教えろ。」
先程の一件からどうも彼は不機嫌だ。ジッと目線を合わせるがローはすぐに視線を逸らす。はァと肩をおろし、名前はゆっくりとローの横へ腰かけた。
「おい、何してんだよ。」
「別に。」
横に座れば覇気を纏う練習を始めたローの腕を名前はギュッと握った。当然彼女の腕に回っている忌まわしき海楼石はローの肌にピタリと触れる。
「手を避けろ。」
「ローも海楼石付けたまま練習した方がいいんじゃない?」
「は?馬鹿か。俺がそんなもん付けたらテメェが何するか分かんねぇだろ。」
「だから私が触ってんじゃん。気にしなくていいから続けて〜。」
ふいっと視線を逸らし、力が入んねぇと言いながらも修練を続けるローを見て名前はふふっと笑う。彼らは本気で強くなろうとしている。その事実だけは真実だから、名前はそれが嬉しかった。
「ローってさ、
「は?ある訳ねェだろ。この船だから行けねぇ事もねぇが、行くなら入口から入りてぇ。」
「ヘェ!意外!ふふそっかぁ。私も行きたいなぁ。」
何かを見つめる様な女にローはぽつりと呟いた
「お前が逃げなきゃ、一緒に行けるだろ。」
「んー逃げないけどさ、本当に連れてってくれるの?」
「当たり前だろ。お前こそ10年も海賊やってんなら見飽きてんだろ。」
子供のように瞳を輝かせる彼女にローはやや呆れ気味だ。この女の居た船の事はまだ何も知らない。船員を裏切るクソ野郎である事は確かで、目の前の女は過去の出来事を嬉々として語るタイプでも無いから。
「私前半の海は行ったことがないから。」
彼女の言う前半の海は、リヴァースマウンテンをぬけた先に広がっている。北の海から
「はってことは、新世界へは行ったことがあんのか。」
「うん。泳いで行った!」
「…は?」
カームベルトに挟まれているそこへ行くには、海中で大量に存在する海王類の巣を通らなければ行けない。カームベルトを泳いで渡るなんて聞いた事が無かった。
「船はどうしたんだよ。泳いでいくなんてバケモノだろ。」
「失礼だな〜。一時期家出してたんだよ。その時にリヴァースマウンテンを泳いで渡るのは無理だから、カームベルトなら行けるかなーって。」
ヘラヘラと笑う女に、ローは眉間を抑えた。彼女の実力がかなりのものではあると思っていたが、とんでもない化け物だった事実に驚愕する。
「それで、何でまた戻ってきたんだ?」
「ああ、それがさ、地図とかも無いからどこに島があるのか分からなくて結局引き返してきた。ログポースも壊しちゃって!」
「ああ…お前ならやりそうだな。」
力の加減が分からない彼女はこの船に乗り始めた頃何度か物を破壊していた。海楼石を付けた能力者だと言うのに。オマケに機械は音痴という次元では無いほど弄れない。戦闘以外ではポンコツという表現が正しい程に彼女は不器用だった。
「失礼だなぁ。だから行ってみたいんだー。」
「俺が連れて行ってやるよ。だからお前は大人しく俺に着いてくればいい。仲間は裏切らない。」
真剣な瞳で彼女を見据えれば、瞳を大きく丸くし直ぐに優しい顔に戻った。真面目に女を口説き落としているかの様な自身の台詞にローは視線を逸らした。らしくない事をしているのは自分でも分かっていた。ただ、この女の前ではどうも調子が狂う。それもこれもあの新聞を見たせいだ。
「ローに捨てられるまではお世話になろうかな。」
「だから!俺らは裏切らな…」
「ほら気が緩んでるよ?刀に覇気を纏わせないといけないんだから頑張って!」
これ以上は踏み込ませない。彼女なりの線引きだろう。海楼石で縛っても、心臓を抜き取り脅しを掛けていても、彼女の心は手に入らない。気に入らないと舌打ちをすれば、イライラしないのと諭される始末だ。どうにも埋まらない歳の差に文句は言えないがやはり、餓鬼扱いされるのは癪に障る。いつか彼女の心も過去も全て知ることが出来るその日まで、彼女との距離と実力差だけは埋めてしまいたい。
❥ ❥ ❥ ❥
穏やかな波の揺れと紙を擦る音。時折なるペンがサラサラと紙を汚す音が心地よく感じるようになったのは何時からだろう。
夜も更けてこの船は休息へはいる。名前は未だにローの部屋で生活をしていた。初めこそ監視目的での同室だったが、今は正直よく分からない。昼にペンギンに能力を掛けてしまったからまた警戒されたのかもしれない。意外と優しいローは名前にベッドを譲り、自分は長いからだを窮屈に折ってソファで寝ると言った。背丈で考えれば名前がソファを使うべきなのに。言い出せば聞かないローの性格を考え、有難くベッドを借りているが、ローはいつも夜更かしをしていた。
「ねぇ、いつも何してるの?」
「…起きてたのか。」
「当たり前じゃん。医者のお勉強?」
いつも狸寝入りを決め込んで知らないふりを続けていたのに、今日は話しかけたくなった。この部屋に沢山ある本や書類の類は極力見ないようにしていたから。要らぬ疑いを掛けられるのはごめんだった。
「ああ。俺の能力は知識も必要だからな。」
「へー。偉いねローは。」
「当然だろ。俺は船医でもあるんだ。この先の海で知識は戦力になる。」
ローは当然と言うけれど、名前はそうは思わなかった。船長という立場で皆の指揮を取りながら、船医として仲間の体調管理もし自身も勉強をするなんて普通の人間には出来ない。
「凄いよローは。」
「お前程じゃねェよ。俺はまだお前に一度も勝ってないんだ。」
「ふふ。私がローに勝てるのなんて肉弾戦ぐらいだよ。私は頭も悪いし、皆をまとめる力もないし、怪我も見れない。剣も使えないし、ローは全部真剣に取り組んでるんだから私の完敗だよ。」
ローは全てを中途半端に投げ出すような人間ではない。戦闘以外はまるで駄目な私とは違い、ローは全てに全力を注ぎ全てを極めようと努力している。こんなの、勝てる訳がなかろう。
「ねぇロー、そっちに行ったら邪魔?」
「…寝れねぇのか。」
「んーそれもそうなんだけど、ローが勉強してる時の音が好きなんだ。あと私も本…読んでみたくなった。」
ベッドからではローの座る机とは距離がある。それに初めて思った、本を読みたいって。強ければこの世界では生きていける。そう思い真剣に身体を鍛えていた。だけど結果は裏切りで捕まり監獄へ行く事になる、という人生だった。イレギュラーは目の前にいる彼との出会い。あそこで終わるはずだった名前の人生は着実に変わっていた。
「本はあまり読まないのか?」
「小さい頃にしか読んだことない。あとは島の情報を見る時ぐらい?」
「…少し待ってろ。お前でも読めそうなものを探してくる。」
「え、いいよ!ごめん、そんなつもりじゃなかったのに…」
ペンを置き、立ち上がったローを見て名前は慌てて身体を起こした。彼の邪魔をしたい訳ではなかったのに、わざわざ本を探しに行かせる手間を掛けさせてしまうなんて。
「いや、丁度出る所だった。お前も何か飲むか。」
「…飲むって、珈琲でも淹れにいくの?」
「ああ。」
「なら珈琲は私がやるよ!…嫌そうな顔しないで!じゃ、じゃあ持つから!着いていっていい!?」
「まぁそれなら。早くしろ。」
先へ進むローを見て名前は慌ててベッドから飛び出した。意外にも優しいローは足を止めて外で待っていた。こういう細かな気遣いが彼のモテる所以だと思う。ローについて行くと、本の沢山ある部屋に辿り着く。ローの部屋だけでもかなりの量があるのに、ここはまるで図書館だ。ローは数冊本を手に取ると、行くぞと部屋を後にする。
「それ持つよ。」
「お前が読めそうなのはこれとこれだ。」
「ありがとう!全部読めるかな…でも折角ローが選んでくれたから最後まで読みたいな…」
「ふっ、気に入らなかったらまた選んでやる。」
「う、うん。ありがとう。」
ローの笑顔に不覚にもドキッとした。無意識なのか名前の頭に手を置き、次の瞬間にはふいっと顔を逸らし食堂へ足早に歩みを進める男を見て名前は下を向いた。
(いや、相手は8個下だっての。何意識してんのよ馬鹿。)
自分よりかなり背が高く、顔の整っているローにあんな事をされればどんな女でもドキドキぐらいする。そう言い聞かせ彼について行く。もう二度と人を好きになんてならないと決めたのに、久しぶりにときめくのが自分よりかなり歳が下の男なんて、気が触れている。それもこれも、1度捕まったからだ。
部屋へ戻るとローは飲み物をソファの横のテーブルへ置いた。てっきり机へ持っていくとばかり思っていたから、名前は首を傾げた。
「俺もまだ読んでない本があるからな。読みたくなった。」
「…なんかほんとに邪魔しちゃったみたいでごめん。」
「だからまだ読んでねぇ本だっつってんだろ。」
ドカッとソファに座るローは名前の首を掴み無理矢理自身の横に座らせた。うわっ!と間抜けな声を上げる名前にくつくつと笑う。シャンブルズと口にすれば名前の身体は軽くなる。
「えっなんで!?いいの?」
「身体にあたって不快なんだよ。部屋から出る時は着けろよ。」
「この部屋では取ってもいいの!?やったー!これでゆっくり休める…」
忌々しい海楼石の枷はテーブルの上にゴトンと置かれていた。大きめのソファではあるが、大きく身体を動かせば触れ合う距離に座っている。ローが嫌がるのも無理は無いのかもしれない。
既にパラりとページを捲るローをちらりと盗み見て、名前も本を開いた。絵本以外の読書なんてまともにした事がなかったのに、彼の選んだ航海日誌の様な冒険記は名前の心を擽った。
「ロー!これ面白いね!これなら全部読めるかも。」
「良かったな。いい暇つぶしになるだろ。」
「うん!ありがとう。」
読書なんて好きじゃなかった、夜の時間なんて大嫌いだったのに、今はこの時間が心地よい。生まれ変わったように本に齧り付いていた。時計の存在も忘れ、夢中で文字をおっていれば隣からは規則的な音が聞こえる。
「…ロー?」
名前の前で初めて見せる穏やかな寝顔に彼女は少し安堵した。すぐ隣で海楼石も着けていない自分がいるのに、ローは気を許して眠った事実が嬉しかったのだ。
「可愛い。」
普段はぶすっと機嫌の悪そうな、何かを企んでいるような悪い顔をしている男は、今だけは年相応に少しあどけない顔を見せているのだ。ゆっくりとソファから降り、ブランケットを持ち出す。ゆっくりとそれを掛けておやすみ、と呟けば腕を掴まれる。
「ごめん起こした…?」
「いや…。どの位寝てた。」
「うーん。多分10分くらいだと思うけど…」
まだ眠そうな顔をしているのに、寝てしまった事実に信じられないと言った顔をするローに名前は眉を下げた。まだまだ信頼関係を築くには早かったようだ。
「ロー、ベッドで寝ていいよ?きっと疲れてるんだよ。ほらこれ着けるから。」
名前はそう言うとテーブルに置いてあった海楼石の枷を掴んでいた。鍵を用いて解いた訳では無いから、それを腕に回す事は出来ない。
「いや…いい。」
「私の方が小さいから、ソファでも足を伸ばして寝れるよ?」
「そっちじゃなくて…。海楼石は持たなくていい。」
「え?…でも、ローが寝れないじゃん。」
名前の手に握られている海楼石を触れば、ローはぐっと眉を顰める。こんなものを何十日もつけさせていたのかと思えば分かっていた事実なのに彼女に対して罪悪感を覚える。
「触らない方がいいって!どうしたの?」
「それはてめぇも一緒だろうが…ッ!」
ゴトンと再びテーブルに押し付けたそれは2人の手から離れる。じわりと嫌な汗を流すローとは裏腹に名前の顔には焦りは感じられない。心配そうに肩を抱いてくる女に焦りを感じる程、彼女との壁は厚い。だけど、身体が密着するほどのこの距離でふわりと甘い香りが再び漂う。
「…この匂い。」
「あぁごめんね。なんか出ちゃうみたい。抑える事も出来るんだけど、急に海楼石が外れると漏れちゃうんだ。ちょっと待ってね。」
「いや、いい。抑える必要はない。」
この匂いをローは知っていた。そして捜していた女が彼女であった事を確信した。手配書を見て、他人の空似かと思っていた女が、新聞で捕まったことを知り、強引に船へ連れてきた。出会ったのはかなり昔、しかも自分が病気で記憶が朧気だった時期。ハッキリと鮮明に残っていた鼻に残る匂いは、あの時嗅いだものと同じだった。
「そんな顔すんな。俺はその匂いが好きだ。だから、もう、無理に抑えなくていい。」
「そ…うなんだ。ローって甘いものとか余り好きじゃなさそうなのにね!」
「そうやって、無理矢理笑うのは気に食わねぇ。」
女の存在が確信に変われば、今まで抑えてきた感情はフツフツと湧き上がってきた。強い癖に妙に危なげなこの女。何かを隠そうと自分を下げる所も、全て気に入らない。1番ムカつくのは、名前を裏切った元の海賊団。過去の話をしようとすれば、傷ついた様な顔をする名前にも腹が立っていた。いい加減、気付けよ。この船がお前の居場所なんだって。
「お前にとって俺はなんだ。」
「え、何いきなり。」
「答えろ。」
「…船長?あとは手のかかる弟って感じ…。」
「ハッ…そうか。」
回答は2つとも気に入るものでは無かった。彼女が自信を持って、この船のクルーとして乗船して欲しい。弟なんて餓鬼の様な目で俺を見ることも望んでいない。だけど、今だけはそれを利用してやろうと思った。
「寝るぞ。」
「え?ちょっ待ってロー!私ソファで寝るから…」
無理矢理女を引っ張ってベッドの前まで行けば慌てふためく女。弟とほざいていた癖に、さっきまでの余裕はどこへ行ったんだ。
「俺は弟みたいなんだろ。なら我儘を聞いてくれよ。」
「いやそれとこれとは違うし…。クルーには手を出さないって話だったし…」
「俺はクルーじゃねェ。それに、ただ寝るだけだ。弟相手に何をそんなに意識してんだ?」
見たことも無い様な顔をして怒る女に今だけは愉快な気持ちになった。そうやってゆっくり落ちればいい。多分完全に脈がない訳では無いだろうから。
「悪かったよ。冗談だ。ただ、お前の匂いが落ち着くから一緒に寝てくれ。こっちは誰かのせいで寝不足なんだ。」
「…ごめん。一緒に寝るだけなら…」
ゆっくりと布団に侵入してきた女は、経験豊富な年上の女とは到底思えなかった。1000人斬りの悪女と呼ばれていた女が年下の男の布団に入り、頬を赤く染めているなんて誰が想像するのか。1つの毛布を2人で被っているのに、触れ合いはゼロだ。それでも近くで感じる女の呼吸が今は心地が良い。
「おやすみ、ロー。」
「ああ、おやすみ、名前。」
らしくない。自分でもわかっているのに、溢れた感情はどうしようも無かった。あの日出会った一筋の光が、今は雲に邪魔されて輝きを失っているのなら、それを導いてやろう。光が届く場所まで、海賊らしく歩みを進めようと。