現パロ
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私は嫌いな言葉が2つある
「妹」と「子供」だ。
上の空でこの言葉を思い浮かべるのはトークアプリに届いた同級生からの愛の言葉のせいだ。
「せめて直接言ってよ。ま、断るけど。」
温度を感じない機械を眺め、ただただ機械的に指を動かし断りの返事を入力する。少しでも胸がときめく事があれば付き合ってあげたかもしれないのに。なんて上から目線で思考しながら、自然と1つのトーク画面で指は停止する。
「…ロー兄さん。」
産まれてから何度も口にした言葉。何度も焦がれた人の名前。私より10も上の彼はもう人の物だ。早く大人になって彼の恋人になりたいなんて夢を待ってくれるほど、時は優しく無かった。
勉強が分からないとか、ここに行きたいとか、買いたい服が選べないとか、何かとくだらない用件をつけて連絡してきたのに、『結婚する』の一言がきてから、私は彼に連絡を取ることをやめた。正確にはもう何も考えられなかった。
家族ぐるみで仲が良かったから、SNSで報告を受けたその日にロー兄さんは結婚相手を連れて家に来た。泣いて縋って結婚しないでって言うつもりだったのに、私とは違う大人な女性の姿を見せられて、これ以上何を喚けばいいのか分からなかった。だって、既に籍は入れてるって言われて、学生の私は一体どう立ち向かえばいいのか。
「ドフィ兄なんて大嫌い。」
「フッフッ。ローの事か?黙ってて悪かったよ。」
「ロシー兄の事も嫌いだからね!!2人とも大っ嫌い。」
オロオロと私を宥めようとするもう1人の兄に対しても八つ当たりをした。だって2人は私がロー兄さんの事が好きだと、子供の頃から知っているのに。どうせ子供の戯言だと思って聞いていたんだろう。
「もうヤダ。これから何の為に生きればいいのか分からない。」
「おいおい、男の為に人生を棒に振るつもりかァ?俺の会社にはお前が必要なんだがなァ。」
「もうドフィ兄の会社には入らない。だってロー兄さんに会うんでしょ?」
口を尖らせ頬を膨らませる様は子供そのものだ。なんて、自分でもわかってるけど、こうでもしないと腹の虫は収まらない。彼の為に大人になりたかった、その彼がもう手の届かない人になってしまったんだから、これ以上大人になろうとしても意味がないのだ。
久しぶりに届いたメッセージに私は眉を顰めた。
以前なら飛んで喜んでいた大好きな人からの言葉が今はまるで響かない。
『来週の水曜日家に行く。』
家に行くの文字にやましい気持ちは1つもない。ロー兄さんが家に来るのは私に勉強を教える為。何度も何度もしつこく強請って無理矢理なって貰った家庭教師。ロー兄さんが医者になってからも時間が合う時にそれは続いていた。
本当は会いたい。前みたいにくだらない話をして面倒くさそうに顔を顰めるロー兄さんの顔が見たい。ロー兄さんから教わる為にわざと授業で聞かぬ振りをした問題を教えて貰って、それが理解出来た時に見せる彼の笑顔がみたい。頭を撫でて欲しい。あの声で名前を呼ばれたい。
何度も送ろうとして止めたメッセージの数々。日常のくだらない話を聞いてくれる相手はもう居ない。
これだけ我慢しても、距離を置いても、人のものになっても、私の心はロー兄さんでいっぱいだった。
だからこそ会えない、会っては行けない
医者として優秀なロー兄さん
ロー兄さんが私を拒絶したとしても、新婚のロー兄さんが高校生に迫られたなんて話が出たら世間体は良くない
ロー兄さんに不倫なんて事はして欲しくない
なら、私が清く諦めるしか道は残されていないのだ
あの日から何度涙を流したのか分からない
家に帰り何度目かのアプリを起動させ、やっとの事で決心した思いを文字に乗せた
『アルバイト始めるから、もう家庭教師は良いよ。今までありがとう。』
何処と無く他人行儀で、でも今までどうやって彼と会話していたのか分からなくて、自分でも違和感を感じながら打った文字。ロー兄さんはありがとうの意味を理解してくれているのだろうか。『大事な妹』確かに彼はあの日、女の人にそう告げていた。またその言葉を私の心に突き刺した。きっとロー兄さんも私の本当の気持ちなんて何も理解していない。
「名前、バイトをするなら何故俺に言わなかった。」
「自分の力でどうにかしたかったの。あと友達に誘われてたから。」
「名前がバイトなんて大丈夫か…?」
「ロシー兄よりは動けるもん!!またお皿割ったでしょ!?私がやるから置いといてって言ったのに!」
自分よりドジな兄にまで心配され内心穏やかではない。言ったそばから新しいお皿を割るんだから、がくりと肩を落とす。チラリとドフィ兄を見れば電話が来たようで、何やら話していた。また仕事の話かななんて気にとめていなかったのに、ドフィ兄は電話を繋げたまま私の名前を呼ぶ
「ローからだ。」
渡されたスマホを握り、ゴクリと息を飲んだ。なんとなくスマホを見るのが嫌で電源を落としていたから、わざわざドフィ兄に連絡が来るなんて予想外だった。
「も、もしもし…」
『俺だ。おい、家庭教師本当に良いのか。』
「あーうん。来週はバイトが入ったし、ロー兄さんも奥さんと時間使った方が良いでしょ?勉強なら先生に聞けばいいし、ドフィ兄も教えてくれるからもう大丈夫だよ。」
自分でも驚く程にスラスラと言葉が出てきた。私よりも動揺しているのは目の前にいる2人の兄で、そんな2人の姿を見れば段々と冷静になっていく。
『…そうか。体調は?元気か?』
「ふふっ。何それ。お父さんみたい。大丈夫だよ。もう代わっていい?」
『ああ。』
毎日送っていたメッセージを送らなくなって1週間が経っていた。初めて言われたむず痒い言葉に胸が疼いた。これ以上期待させないで欲しい、優しくしないで欲しい、もっとこっ酷く振って嫌いにさせて欲しいのに、優しさを残したまま私を妹扱いして大切にするロー兄さんは残酷だった。
「はい。私もう部屋に戻る。洗い物は後でするから置いといて。」
押し付けるようにドフィ兄にスマホを渡し、逃げる様に2階へ上がった。子供を宥めるように大丈夫を繰り返していた2人も、ロー兄さんが結婚してからの私の様子を見れば私の『好き』が本気だった事に気が付き顔付きが変わった。心の底から申し訳なさそうな、心配する様な2人の顔が頭に残る。ベッドに体を投げ捨て何度目か分からない涙を流した。なんで私は産まれてくるのが10年も遅かったんだろう。
❥ ❥ ❥ ❥
一生独身でいようと決めた
ロー兄さんが悪い訳じゃない、ロー兄さんより素敵な男性がこの世に居ないのが悪いのだ。
顔の広い兄が様々な男を紹介してくれた。芸能人やモデルが参加するパーティーにも行った。以前なら面倒だと断っていたそういった類のものに積極的に参加したけど、私の心は石のように動かなかった。
目的もなく生きていた
むしろ今までの生きる原動力がロー兄さんだけだったなんて、浅はかにも程があった
だけどやりたいことが見つからない、人生の楽しみ方が分からない
早くに死んでしまった両親
寂しさを感じさせないようにと、兄達は私に愛情を注いでくれた。お手伝いさんもいた、兄達の部下が来て遊んでくれたり、無駄に広いこの家で寂しさを感じる事は無かった。あの日までは。
初めては全部ロー兄さんがいいと思っていた
手を繋いだのも初めてキスをしたのも全部彼だったから
あのキスを、キスだとカウントしているのは私だけなのかもしれないけれど、子供だったとしても私からすれば立派なファーストキスだった。
適当に他の人と付き合ってみようと思ったけど無理だった
何をするにしても過ぎるのはロー兄さんの事だったから、色恋沙汰はもう縁がないものだって割り切ることにした
だからそんな私が早朝からこんな格好でボロボロになりながら、ぐちゃぐちゃの顔でスマホを耳に充てる姿は滑稽だと思う。
『…どうした?』
久しぶりの声、久しぶりの電話。あの日から四年が経った。その間、私はロー兄さんに1度も自分から連絡を取らなかった。取れなかったのに、どうして彼の声を聞くだけでこれ程までに安心してしまうのか。涙が止まらないのか。
「ふっ…ごめ…ごめんなさい…。」
『今何処にいる!?』
ロー兄さんは優しい。私を大切にしてくれている。
涙でぐちゃぐちゃになった私の声を聞けば、直ぐに声を荒らげて心配してくれるのだ。
全身が痛かった、心が痛かった。ロー兄さんには知られたくないと醒めた頭で考えていたのに、やっとの事で外へ抜け出せば真っ先に彼に電話していた。嫌われたとしても幻滅されたとしても、私の一番はロー兄さんだったから。
「助けて」の言葉を発する前に電話口から聞こえる車の音
心配性の兄達に付けられていたGPSはロー兄さんにも共有していた。多分何も言わなくてもロー兄さんは迎えに来てくれる。
「名前!!」
「ロー…兄さん…痛い…痛いよ…ごめん…ごめんなさい…ごめんなさい」
「誰だ。ドフラミンゴに連絡する。」
「い、いいよ…!!大丈夫だよ…。無理矢理じゃないんだ。私が悪いの。」
ロー兄さんは私の肩にコートをかけると、人を殺しそうな目でスマホを手に取ったから、その手を慌てて止めた。兄に言えば大事に至る事は目に見えていた。
「うわっ」
自然と横抱きにされ、久しぶりに乗るロー兄さんの車の助手席に優しく降ろされる。久しぶりとは言ったけど、ロー兄さんの車は新しくなっていて、4年の間に知らない彼の道を実感してしまえば途端に悲しくなった。
「知り合いのとこに連れていく。」
「や、やだよ」
「…安心しろ。女医だ。」
「やだ、ロー兄さんが良い…」
「俺は専門じゃねぇ。」
片手でハンドルを握るロー兄さんの腕を掴めば、はぁと溜息を落とされる
「あまり俺を困らせるな。」
しっかりと前を見据えながら、左手がポンと私の頭を覆う。その手を離したくなくて、無意識のうちに左手を両手で掴めば、ロー兄さんは少し驚いていた。何も言わず手を握らせてくれたけど、少し時間が経ってから「掴むなら腕にしろ」と言われ、ロー兄さんの左腕に手を絡ませた。
ロー兄さんの運転する姿が好きだった。大人っぽくて、カッコイイ。私よりもゴツゴツして長い指がハンドルを握る様はモデルのようだし、シフトレバーを掴む左手の動きも好きだ。
あれ?ロー兄さん指輪付けてない。ふと気が付いた事実。早朝から電話をしてしまったから付けるのを忘れたのかもしれない。そう思ったけど、好きを改めて自覚してしまった今都合のいい想像をしてしまうのは罪だろうか。
ずっと起きていたからうたた寝をしていれば、すぐに病院へ着いた。当然のように横抱きにされ外へ連れ出されれば、まだ受付も始まっていない病院の中へ入る。トントン拍子で事は進み、ロー兄さんの前で酔った勢いで他の人と身体を重ねた事をハッキリと伝えた。内診台に乗り、女医に告げられた言葉で事の重大さを知った。ロー兄さんは見た事がない程にキレていた。
私は直ぐに入院になり、手術を行う事になった。性交をしてこんな大事になるなんて聞いていない。別に好きな相手でも無かったし、二次会の酔った勢いでしてしまった事だったのに、自分がどうしようもなく愚かな人間に思えて立ち直れそうになかった。
「自分を大事にしろ。」
全てが終わって言われた言葉に心臓が抉られた
だって、そんな事ロー兄さんに言われたくないから
「久しぶりに連絡が来たと思えば馬鹿な真似しやがって。出血死する可能性もあったんだ。」
「そう。ごめんなさい。」
「こんな事なら離れなきゃ良かったな。お前が大人になるまでしっかり見守るべきだった。」
「…はは。ロー兄さんがそんな事言うんだ。」
自分から離れた癖に
結婚した癖に
私の前に誓いを交わした女を連れてきたくせに
「お前は子供の頃から見てきた妹みたいなもんで、俺にとっては家族同然なんだ。心配するのは当然だ。」
「ならロー兄さんが私を抱いてくれたら良かったのに」
ただの八つ当たりだ
自分のものにならない彼に対して
捨てる気の無かったものを捨ててしまい、後始末に失敗した自分に対して
ほら、そうやって兄の様な顔をして怒りを表現するんだ
「馬鹿な事言うな。ドフラミンゴには連絡してる。時期に来る。」
「ロー兄さんにとっては馬鹿な事なんだね。私はロー兄さんの事、1回もお兄ちゃんだと、家族だと思ったことなんてない。本当はわかってるんでしょ!?私がずっと本気で好きだったって!!勝手に結婚して、勝手に離れて、まともに諦めさせてくれなかったのは、そっちじゃん!!」
迎えに来てくれたのに、病院まで連れて来てくれたのに、お見舞いにも来てくれて、こうして世話を焼いてくれているのに、感謝するべきなのに、心が苦しい。いっそ突き放して欲しいのに。
「…まだ子供だっただろ。」
「ロー兄さんからすればそうかもね。でも安心して、もう馬鹿な真似はしないよ。もう二度と人を好きになる事も、エッチをすることも無いから。私の人生には不要だって分かった。もう大人になろうなんて思わない。」
最低だ。
嫌な女だと思った。
久しぶりに連絡して、助けて貰った癖に目覚めた途端逆ギレをして、きっともう幻滅した。もう私の事なんて嫌いになった。
もう嫌いになって欲しかった。
大切な物を見る様な目で見ないで欲しい
後悔する様な悔しそうな顔をしないで欲しい
怖がらせないように慰める様な優しい声を出さないで欲しい
これ以上好きにさせないで欲しい
「言いたいことはそれだけか?」
「はは…。そう。うん。」
私がいくら喚いても、我儘を言っても、ロー兄さんは動揺すらしない。そうだ、こう言う人だった。身内に優しくて、仲間に優しくて、妹である私にとびきり甘い。突き放す事すらしてくれない。残酷な人だった。
「…もう出てって。連絡してごめんなさい。」
「俺は、お前から電話が来て嬉しかった。」
「そっか。私はロー兄さんのその優しさが大嫌いだったよ。」
顔を背けた。再び拒絶を示せばあっさりと彼は病室を後にした。ほら、所詮その程度の存在なんだって理解してしまえば堪えていた涙は溢れた。でもこれで良かった。ロー兄さんが私のことを女として見る可能性なんて1mmもなかった。しっかりとした言葉で振られる事すら許されない、彼にとって大切な家族という一線を越えれないのだ。
怒り狂うドフィ兄を宥めるのは大変だった。
でもこれは合意の上だったし、多分相手も酔っていて対して記憶に残っていない。私は痛みで酔いが覚めて全て鮮明に覚えているけど、もうどうだっていい。だって生きてたし。大切に取っておいたものを失っても、肝心の捧げるつもりだった相手はもういないから。
「ドフィ兄は何で結婚しないの?私がいるせい?」
「フッフッお前のせいじゃねぇよ。何度も言わせるな。」
「私も一生結婚しない。お兄ちゃんと一緒に暮らしたい。」
結婚してしまったロシー兄とはもう一緒に住めないけど、ドフィ兄はずっとそばに居てくれる。子供だって思われても構わない。だってもう大人ぶる必要なんてないんだから。
「名前、ローとは何を話した?」
「…別に何も。嫌いになってくれたら良いんだどね。」
「フッフッそれは無理だろうよ。ローがお前に甘いのなんて、今に始まったことじゃない。」
わかってる。わかってるからこそ、あんな事を言ったのに。
「名前、兎に角早く大学を卒業しろ。話はそれからゆっくり考えればいい。」
「…うん。」
それじゃ遅いなんて言葉は言うのを辞めた。もう遅いなんて言葉はとっくに過ぎてしまった。遅いではなく手遅れなんだ。過去へ戻る機械でも無い限り、私が望むものは手に入れる事は出来ないから。
❥ ❥ ❥ ❥
桜が咲き誇る
花は芽吹き風が頬を擽る
慣れない袴の裾を踏まぬ様に気をつける様は兄の姿を思い出させた
友人に手を振りスマホを開く
今日は兄が迎えに来てくれる予定だった
中々迎えに来ない兄に痺れを切らして、着信を鳴らせば毎日聞いている少し悪そうな兄の声が響く
「もう終わったよ。」
「ああ、そうか。おめでとう。」
「…それ昨日も聞いたよ。迎えはまだかかる?」
「フッフッそう焦るな。時期に来る筈だ。名前、卒業祝いだ。俺は不誠実な男はお前にふさわしいとは思わねぇ。」
「何言ってんの?迎えってドフィ兄じゃなくて違う人が来るの?」
意味のわからない問答に私は首を傾げた。不誠実がどうとか言ってるけど、そもそも私は恋愛も結婚もしないってドフィ兄には話してるって言うのに。それに、迎えに来てくれないのはちょっとムカつく。
「そう怒るな。お前には黙っていたが、ローはだいぶ前に離婚してる。それに政略結婚だった。」
「…は?」
今更この人は何を言い出すんだ。ドッドッと動き方を忘れていた筈の心臓が再び動き出す。忘れようとしていたあの時の記憶を呼び起こす。離婚って…もしかして、あの時には…。最後に会った、電話で呼び出したあの日、確かにロー兄さんは指輪を付けていなかった。
「2年前から何度も俺に頭を下げに来てたな。フッフッ俺との祝いはまた今度にしよう。」
「!!まっ…て…」
私ももう馬鹿じゃない。何かを待っているだけの子供でもない。ドフィ兄が意味の無い話をする理由も嘘をつく理由も無い。ロー兄さんが来る。もう人の物じゃない、誰のものでもないロー兄さんが迎えに来る。
久しぶりに高鳴る心臓、胸が苦しい
忘れていた筈の恋心が体を締め付ける
黙って待てばいいのに、落ち着いていられなくて足を動かす。気付けば人気のない木陰に背中を預けていた
昔なら喜んで走って会いに行って、うるさく喚いて抱き着いて好きを叫んでいた
でももう、そんな事をする歳じゃない
なんて言い訳
本当はどんな顔して会えばいいのか分からない。ロー兄さんと最後に普通に会話をしたのはあの日結婚の報告があった日以前。もう6年以上も前なんだ。私にとっての良い思い出も初恋も全部あの日から時が止まったままだから。
最後に会ったのは2年前だというのに、姿を見てすぐにわかった。何も変わらない大好きな彼。何も変わらない私の気持ち。
「迎えに来た。」
「本当にロー兄さんが来るとは思わなかった。」
嘘。来ると思ってた。期待していた。
かきあげられた前髪にピシッとしたスーツ
いつもと違うラフな姿じゃないロー兄さんに少し、少しだけ期待をする
「兄さんはやめろ。俺は今日お前に言いたい事が2つある。」
決して優しいだけじゃない、少しギラついた真剣な瞳が私を映す。
「まず俺は離婚してる。クズだと言われても仕方がねぇが、好きでもない女と結婚した。だが、話は済ませた。もうこの件で何か起こることはねェ。」
「そうなんだ」
「後悔なんて言葉使いたくないが、後悔している。別の選択が出来たのに、俺は逃げたんだ。お前から。」
気付いてたよ。
だって結婚してから突然報告してきたんだし。
「悪かった。お前の気持ちに気付いていながら、俺はろくな返事もしてやれなかった。」
「…今更いいよそんな事。それに、断られたとしても他の人を好きになるなんてことは無かったと思うから。」
時は残酷だ
心臓はうるさいのに、私の口から紡がれる言葉は冷静だった
ロー兄さんの顔を見て馬鹿みたいに喜んで飛び回る私はもう居ない。
ロー兄さんは深く呼吸をし、襟元に手を触れる
ここには私達2人しか居ないから当然ロー兄さんの呼吸も仕草も五感には鮮明に響いている。
「俺は、お前からすればもうおじさんかもしれない。」
「ふっ!ふふ。確かにもうお兄さんって歳じゃないもんね。」
ロー兄さんの口から出るおじさんの言葉に思わず笑いが込み上げた
「お前ももう、子供じゃないだろ。」
「…うん。」
「可愛い妹だとも思えない。だが、相変わらず俺はお前に甘いのかもしれない。」
大嫌いになったロー兄さんの優しい顔
宝物を見るような瞳
割れ物を触れるような優しい手つき
「可愛い。綺麗だ。一人の女として。名前を愛してる。手遅れだって言われても、何を言われても仕方ねぇと思う。だが、もう後悔はしたくない。諦める気もない。俺と結婚してくれ。」
「…遅いよ。」
「ああ。そうだな。」
「もう無理だと思ってた」
「俺だって何度も思った。」
「でもずっと、ずっとロー兄さんが好きだった。」
「だから兄さんじゃなくて…」と言う彼の顔は見た事がない程、余裕がなさそうな少し困った様なそんな不思議な顔。散々私を妹と線引きしていたロー兄さんが、今は兄の一言に焦れったい気持ちになっているのだ。意地が悪いと言われても、性格が悪いと罵られたとしても、その事実に自然と口元が緩んだ
「ふふ、もう妹扱いしない?」
「しない」
「子供だって突き放さない?」
「ああ。離さねぇよ。」
「家族みたいだからって言わない?」
「…それは無理だな。俺はお前と本物の家族になりてぇんだ。」
頬に触れていた指先に少し力が入る
落ちてくる大好きな人の影を見ながら自然と瞳を閉じた
唇に触れた温もりは何度目か分からないロー兄さんの唇
心が満たされるのは初めてだった
「ロー大好き結婚して」
「こっちの台詞だ。だが、そうだな。世界一幸せにする。」
「ふふ。もう世界一幸せだよ。」
これからはもっと幸せが待ってる。そんな彼の甘いコトバに止まっていた私の時は再び進み出した。
繋いだ手を眺めながら、結婚しないと言ってたのに兄になんて言おうかと頭を捻った。
「どうした?」なんて優しく問い掛ける彼の顔を見たら、そんなちっぽけな悩みも吹き飛んでしまう。
「役所に行くか。」
「へ?あ、うん。」
婚姻届取りに行かないといけないもんね、なんて改めて結婚を実感すれば途端に頬が染る。ふっと息を吐くように微笑むローの姿はもう妹を愛でる兄の目では無い。
ドキドキしながら向かった役所で、人生で一番驚くサプライズが起きたのは一生の宝物。
既に用意されていた婚姻届に見覚えのある兄の名前。震えながら記入した文字に、結婚おめでとうございますの言葉。この日、私は紛れもなく世界一の幸せ者になった
「妹」と「子供」だ。
上の空でこの言葉を思い浮かべるのはトークアプリに届いた同級生からの愛の言葉のせいだ。
「せめて直接言ってよ。ま、断るけど。」
温度を感じない機械を眺め、ただただ機械的に指を動かし断りの返事を入力する。少しでも胸がときめく事があれば付き合ってあげたかもしれないのに。なんて上から目線で思考しながら、自然と1つのトーク画面で指は停止する。
「…ロー兄さん。」
産まれてから何度も口にした言葉。何度も焦がれた人の名前。私より10も上の彼はもう人の物だ。早く大人になって彼の恋人になりたいなんて夢を待ってくれるほど、時は優しく無かった。
勉強が分からないとか、ここに行きたいとか、買いたい服が選べないとか、何かとくだらない用件をつけて連絡してきたのに、『結婚する』の一言がきてから、私は彼に連絡を取ることをやめた。正確にはもう何も考えられなかった。
家族ぐるみで仲が良かったから、SNSで報告を受けたその日にロー兄さんは結婚相手を連れて家に来た。泣いて縋って結婚しないでって言うつもりだったのに、私とは違う大人な女性の姿を見せられて、これ以上何を喚けばいいのか分からなかった。だって、既に籍は入れてるって言われて、学生の私は一体どう立ち向かえばいいのか。
「ドフィ兄なんて大嫌い。」
「フッフッ。ローの事か?黙ってて悪かったよ。」
「ロシー兄の事も嫌いだからね!!2人とも大っ嫌い。」
オロオロと私を宥めようとするもう1人の兄に対しても八つ当たりをした。だって2人は私がロー兄さんの事が好きだと、子供の頃から知っているのに。どうせ子供の戯言だと思って聞いていたんだろう。
「もうヤダ。これから何の為に生きればいいのか分からない。」
「おいおい、男の為に人生を棒に振るつもりかァ?俺の会社にはお前が必要なんだがなァ。」
「もうドフィ兄の会社には入らない。だってロー兄さんに会うんでしょ?」
口を尖らせ頬を膨らませる様は子供そのものだ。なんて、自分でもわかってるけど、こうでもしないと腹の虫は収まらない。彼の為に大人になりたかった、その彼がもう手の届かない人になってしまったんだから、これ以上大人になろうとしても意味がないのだ。
久しぶりに届いたメッセージに私は眉を顰めた。
以前なら飛んで喜んでいた大好きな人からの言葉が今はまるで響かない。
『来週の水曜日家に行く。』
家に行くの文字にやましい気持ちは1つもない。ロー兄さんが家に来るのは私に勉強を教える為。何度も何度もしつこく強請って無理矢理なって貰った家庭教師。ロー兄さんが医者になってからも時間が合う時にそれは続いていた。
本当は会いたい。前みたいにくだらない話をして面倒くさそうに顔を顰めるロー兄さんの顔が見たい。ロー兄さんから教わる為にわざと授業で聞かぬ振りをした問題を教えて貰って、それが理解出来た時に見せる彼の笑顔がみたい。頭を撫でて欲しい。あの声で名前を呼ばれたい。
何度も送ろうとして止めたメッセージの数々。日常のくだらない話を聞いてくれる相手はもう居ない。
これだけ我慢しても、距離を置いても、人のものになっても、私の心はロー兄さんでいっぱいだった。
だからこそ会えない、会っては行けない
医者として優秀なロー兄さん
ロー兄さんが私を拒絶したとしても、新婚のロー兄さんが高校生に迫られたなんて話が出たら世間体は良くない
ロー兄さんに不倫なんて事はして欲しくない
なら、私が清く諦めるしか道は残されていないのだ
あの日から何度涙を流したのか分からない
家に帰り何度目かのアプリを起動させ、やっとの事で決心した思いを文字に乗せた
『アルバイト始めるから、もう家庭教師は良いよ。今までありがとう。』
何処と無く他人行儀で、でも今までどうやって彼と会話していたのか分からなくて、自分でも違和感を感じながら打った文字。ロー兄さんはありがとうの意味を理解してくれているのだろうか。『大事な妹』確かに彼はあの日、女の人にそう告げていた。またその言葉を私の心に突き刺した。きっとロー兄さんも私の本当の気持ちなんて何も理解していない。
「名前、バイトをするなら何故俺に言わなかった。」
「自分の力でどうにかしたかったの。あと友達に誘われてたから。」
「名前がバイトなんて大丈夫か…?」
「ロシー兄よりは動けるもん!!またお皿割ったでしょ!?私がやるから置いといてって言ったのに!」
自分よりドジな兄にまで心配され内心穏やかではない。言ったそばから新しいお皿を割るんだから、がくりと肩を落とす。チラリとドフィ兄を見れば電話が来たようで、何やら話していた。また仕事の話かななんて気にとめていなかったのに、ドフィ兄は電話を繋げたまま私の名前を呼ぶ
「ローからだ。」
渡されたスマホを握り、ゴクリと息を飲んだ。なんとなくスマホを見るのが嫌で電源を落としていたから、わざわざドフィ兄に連絡が来るなんて予想外だった。
「も、もしもし…」
『俺だ。おい、家庭教師本当に良いのか。』
「あーうん。来週はバイトが入ったし、ロー兄さんも奥さんと時間使った方が良いでしょ?勉強なら先生に聞けばいいし、ドフィ兄も教えてくれるからもう大丈夫だよ。」
自分でも驚く程にスラスラと言葉が出てきた。私よりも動揺しているのは目の前にいる2人の兄で、そんな2人の姿を見れば段々と冷静になっていく。
『…そうか。体調は?元気か?』
「ふふっ。何それ。お父さんみたい。大丈夫だよ。もう代わっていい?」
『ああ。』
毎日送っていたメッセージを送らなくなって1週間が経っていた。初めて言われたむず痒い言葉に胸が疼いた。これ以上期待させないで欲しい、優しくしないで欲しい、もっとこっ酷く振って嫌いにさせて欲しいのに、優しさを残したまま私を妹扱いして大切にするロー兄さんは残酷だった。
「はい。私もう部屋に戻る。洗い物は後でするから置いといて。」
押し付けるようにドフィ兄にスマホを渡し、逃げる様に2階へ上がった。子供を宥めるように大丈夫を繰り返していた2人も、ロー兄さんが結婚してからの私の様子を見れば私の『好き』が本気だった事に気が付き顔付きが変わった。心の底から申し訳なさそうな、心配する様な2人の顔が頭に残る。ベッドに体を投げ捨て何度目か分からない涙を流した。なんで私は産まれてくるのが10年も遅かったんだろう。
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一生独身でいようと決めた
ロー兄さんが悪い訳じゃない、ロー兄さんより素敵な男性がこの世に居ないのが悪いのだ。
顔の広い兄が様々な男を紹介してくれた。芸能人やモデルが参加するパーティーにも行った。以前なら面倒だと断っていたそういった類のものに積極的に参加したけど、私の心は石のように動かなかった。
目的もなく生きていた
むしろ今までの生きる原動力がロー兄さんだけだったなんて、浅はかにも程があった
だけどやりたいことが見つからない、人生の楽しみ方が分からない
早くに死んでしまった両親
寂しさを感じさせないようにと、兄達は私に愛情を注いでくれた。お手伝いさんもいた、兄達の部下が来て遊んでくれたり、無駄に広いこの家で寂しさを感じる事は無かった。あの日までは。
初めては全部ロー兄さんがいいと思っていた
手を繋いだのも初めてキスをしたのも全部彼だったから
あのキスを、キスだとカウントしているのは私だけなのかもしれないけれど、子供だったとしても私からすれば立派なファーストキスだった。
適当に他の人と付き合ってみようと思ったけど無理だった
何をするにしても過ぎるのはロー兄さんの事だったから、色恋沙汰はもう縁がないものだって割り切ることにした
だからそんな私が早朝からこんな格好でボロボロになりながら、ぐちゃぐちゃの顔でスマホを耳に充てる姿は滑稽だと思う。
『…どうした?』
久しぶりの声、久しぶりの電話。あの日から四年が経った。その間、私はロー兄さんに1度も自分から連絡を取らなかった。取れなかったのに、どうして彼の声を聞くだけでこれ程までに安心してしまうのか。涙が止まらないのか。
「ふっ…ごめ…ごめんなさい…。」
『今何処にいる!?』
ロー兄さんは優しい。私を大切にしてくれている。
涙でぐちゃぐちゃになった私の声を聞けば、直ぐに声を荒らげて心配してくれるのだ。
全身が痛かった、心が痛かった。ロー兄さんには知られたくないと醒めた頭で考えていたのに、やっとの事で外へ抜け出せば真っ先に彼に電話していた。嫌われたとしても幻滅されたとしても、私の一番はロー兄さんだったから。
「助けて」の言葉を発する前に電話口から聞こえる車の音
心配性の兄達に付けられていたGPSはロー兄さんにも共有していた。多分何も言わなくてもロー兄さんは迎えに来てくれる。
「名前!!」
「ロー…兄さん…痛い…痛いよ…ごめん…ごめんなさい…ごめんなさい」
「誰だ。ドフラミンゴに連絡する。」
「い、いいよ…!!大丈夫だよ…。無理矢理じゃないんだ。私が悪いの。」
ロー兄さんは私の肩にコートをかけると、人を殺しそうな目でスマホを手に取ったから、その手を慌てて止めた。兄に言えば大事に至る事は目に見えていた。
「うわっ」
自然と横抱きにされ、久しぶりに乗るロー兄さんの車の助手席に優しく降ろされる。久しぶりとは言ったけど、ロー兄さんの車は新しくなっていて、4年の間に知らない彼の道を実感してしまえば途端に悲しくなった。
「知り合いのとこに連れていく。」
「や、やだよ」
「…安心しろ。女医だ。」
「やだ、ロー兄さんが良い…」
「俺は専門じゃねぇ。」
片手でハンドルを握るロー兄さんの腕を掴めば、はぁと溜息を落とされる
「あまり俺を困らせるな。」
しっかりと前を見据えながら、左手がポンと私の頭を覆う。その手を離したくなくて、無意識のうちに左手を両手で掴めば、ロー兄さんは少し驚いていた。何も言わず手を握らせてくれたけど、少し時間が経ってから「掴むなら腕にしろ」と言われ、ロー兄さんの左腕に手を絡ませた。
ロー兄さんの運転する姿が好きだった。大人っぽくて、カッコイイ。私よりもゴツゴツして長い指がハンドルを握る様はモデルのようだし、シフトレバーを掴む左手の動きも好きだ。
あれ?ロー兄さん指輪付けてない。ふと気が付いた事実。早朝から電話をしてしまったから付けるのを忘れたのかもしれない。そう思ったけど、好きを改めて自覚してしまった今都合のいい想像をしてしまうのは罪だろうか。
ずっと起きていたからうたた寝をしていれば、すぐに病院へ着いた。当然のように横抱きにされ外へ連れ出されれば、まだ受付も始まっていない病院の中へ入る。トントン拍子で事は進み、ロー兄さんの前で酔った勢いで他の人と身体を重ねた事をハッキリと伝えた。内診台に乗り、女医に告げられた言葉で事の重大さを知った。ロー兄さんは見た事がない程にキレていた。
私は直ぐに入院になり、手術を行う事になった。性交をしてこんな大事になるなんて聞いていない。別に好きな相手でも無かったし、二次会の酔った勢いでしてしまった事だったのに、自分がどうしようもなく愚かな人間に思えて立ち直れそうになかった。
「自分を大事にしろ。」
全てが終わって言われた言葉に心臓が抉られた
だって、そんな事ロー兄さんに言われたくないから
「久しぶりに連絡が来たと思えば馬鹿な真似しやがって。出血死する可能性もあったんだ。」
「そう。ごめんなさい。」
「こんな事なら離れなきゃ良かったな。お前が大人になるまでしっかり見守るべきだった。」
「…はは。ロー兄さんがそんな事言うんだ。」
自分から離れた癖に
結婚した癖に
私の前に誓いを交わした女を連れてきたくせに
「お前は子供の頃から見てきた妹みたいなもんで、俺にとっては家族同然なんだ。心配するのは当然だ。」
「ならロー兄さんが私を抱いてくれたら良かったのに」
ただの八つ当たりだ
自分のものにならない彼に対して
捨てる気の無かったものを捨ててしまい、後始末に失敗した自分に対して
ほら、そうやって兄の様な顔をして怒りを表現するんだ
「馬鹿な事言うな。ドフラミンゴには連絡してる。時期に来る。」
「ロー兄さんにとっては馬鹿な事なんだね。私はロー兄さんの事、1回もお兄ちゃんだと、家族だと思ったことなんてない。本当はわかってるんでしょ!?私がずっと本気で好きだったって!!勝手に結婚して、勝手に離れて、まともに諦めさせてくれなかったのは、そっちじゃん!!」
迎えに来てくれたのに、病院まで連れて来てくれたのに、お見舞いにも来てくれて、こうして世話を焼いてくれているのに、感謝するべきなのに、心が苦しい。いっそ突き放して欲しいのに。
「…まだ子供だっただろ。」
「ロー兄さんからすればそうかもね。でも安心して、もう馬鹿な真似はしないよ。もう二度と人を好きになる事も、エッチをすることも無いから。私の人生には不要だって分かった。もう大人になろうなんて思わない。」
最低だ。
嫌な女だと思った。
久しぶりに連絡して、助けて貰った癖に目覚めた途端逆ギレをして、きっともう幻滅した。もう私の事なんて嫌いになった。
もう嫌いになって欲しかった。
大切な物を見る様な目で見ないで欲しい
後悔する様な悔しそうな顔をしないで欲しい
怖がらせないように慰める様な優しい声を出さないで欲しい
これ以上好きにさせないで欲しい
「言いたいことはそれだけか?」
「はは…。そう。うん。」
私がいくら喚いても、我儘を言っても、ロー兄さんは動揺すらしない。そうだ、こう言う人だった。身内に優しくて、仲間に優しくて、妹である私にとびきり甘い。突き放す事すらしてくれない。残酷な人だった。
「…もう出てって。連絡してごめんなさい。」
「俺は、お前から電話が来て嬉しかった。」
「そっか。私はロー兄さんのその優しさが大嫌いだったよ。」
顔を背けた。再び拒絶を示せばあっさりと彼は病室を後にした。ほら、所詮その程度の存在なんだって理解してしまえば堪えていた涙は溢れた。でもこれで良かった。ロー兄さんが私のことを女として見る可能性なんて1mmもなかった。しっかりとした言葉で振られる事すら許されない、彼にとって大切な家族という一線を越えれないのだ。
怒り狂うドフィ兄を宥めるのは大変だった。
でもこれは合意の上だったし、多分相手も酔っていて対して記憶に残っていない。私は痛みで酔いが覚めて全て鮮明に覚えているけど、もうどうだっていい。だって生きてたし。大切に取っておいたものを失っても、肝心の捧げるつもりだった相手はもういないから。
「ドフィ兄は何で結婚しないの?私がいるせい?」
「フッフッお前のせいじゃねぇよ。何度も言わせるな。」
「私も一生結婚しない。お兄ちゃんと一緒に暮らしたい。」
結婚してしまったロシー兄とはもう一緒に住めないけど、ドフィ兄はずっとそばに居てくれる。子供だって思われても構わない。だってもう大人ぶる必要なんてないんだから。
「名前、ローとは何を話した?」
「…別に何も。嫌いになってくれたら良いんだどね。」
「フッフッそれは無理だろうよ。ローがお前に甘いのなんて、今に始まったことじゃない。」
わかってる。わかってるからこそ、あんな事を言ったのに。
「名前、兎に角早く大学を卒業しろ。話はそれからゆっくり考えればいい。」
「…うん。」
それじゃ遅いなんて言葉は言うのを辞めた。もう遅いなんて言葉はとっくに過ぎてしまった。遅いではなく手遅れなんだ。過去へ戻る機械でも無い限り、私が望むものは手に入れる事は出来ないから。
❥ ❥ ❥ ❥
桜が咲き誇る
花は芽吹き風が頬を擽る
慣れない袴の裾を踏まぬ様に気をつける様は兄の姿を思い出させた
友人に手を振りスマホを開く
今日は兄が迎えに来てくれる予定だった
中々迎えに来ない兄に痺れを切らして、着信を鳴らせば毎日聞いている少し悪そうな兄の声が響く
「もう終わったよ。」
「ああ、そうか。おめでとう。」
「…それ昨日も聞いたよ。迎えはまだかかる?」
「フッフッそう焦るな。時期に来る筈だ。名前、卒業祝いだ。俺は不誠実な男はお前にふさわしいとは思わねぇ。」
「何言ってんの?迎えってドフィ兄じゃなくて違う人が来るの?」
意味のわからない問答に私は首を傾げた。不誠実がどうとか言ってるけど、そもそも私は恋愛も結婚もしないってドフィ兄には話してるって言うのに。それに、迎えに来てくれないのはちょっとムカつく。
「そう怒るな。お前には黙っていたが、ローはだいぶ前に離婚してる。それに政略結婚だった。」
「…は?」
今更この人は何を言い出すんだ。ドッドッと動き方を忘れていた筈の心臓が再び動き出す。忘れようとしていたあの時の記憶を呼び起こす。離婚って…もしかして、あの時には…。最後に会った、電話で呼び出したあの日、確かにロー兄さんは指輪を付けていなかった。
「2年前から何度も俺に頭を下げに来てたな。フッフッ俺との祝いはまた今度にしよう。」
「!!まっ…て…」
私ももう馬鹿じゃない。何かを待っているだけの子供でもない。ドフィ兄が意味の無い話をする理由も嘘をつく理由も無い。ロー兄さんが来る。もう人の物じゃない、誰のものでもないロー兄さんが迎えに来る。
久しぶりに高鳴る心臓、胸が苦しい
忘れていた筈の恋心が体を締め付ける
黙って待てばいいのに、落ち着いていられなくて足を動かす。気付けば人気のない木陰に背中を預けていた
昔なら喜んで走って会いに行って、うるさく喚いて抱き着いて好きを叫んでいた
でももう、そんな事をする歳じゃない
なんて言い訳
本当はどんな顔して会えばいいのか分からない。ロー兄さんと最後に普通に会話をしたのはあの日結婚の報告があった日以前。もう6年以上も前なんだ。私にとっての良い思い出も初恋も全部あの日から時が止まったままだから。
最後に会ったのは2年前だというのに、姿を見てすぐにわかった。何も変わらない大好きな彼。何も変わらない私の気持ち。
「迎えに来た。」
「本当にロー兄さんが来るとは思わなかった。」
嘘。来ると思ってた。期待していた。
かきあげられた前髪にピシッとしたスーツ
いつもと違うラフな姿じゃないロー兄さんに少し、少しだけ期待をする
「兄さんはやめろ。俺は今日お前に言いたい事が2つある。」
決して優しいだけじゃない、少しギラついた真剣な瞳が私を映す。
「まず俺は離婚してる。クズだと言われても仕方がねぇが、好きでもない女と結婚した。だが、話は済ませた。もうこの件で何か起こることはねェ。」
「そうなんだ」
「後悔なんて言葉使いたくないが、後悔している。別の選択が出来たのに、俺は逃げたんだ。お前から。」
気付いてたよ。
だって結婚してから突然報告してきたんだし。
「悪かった。お前の気持ちに気付いていながら、俺はろくな返事もしてやれなかった。」
「…今更いいよそんな事。それに、断られたとしても他の人を好きになるなんてことは無かったと思うから。」
時は残酷だ
心臓はうるさいのに、私の口から紡がれる言葉は冷静だった
ロー兄さんの顔を見て馬鹿みたいに喜んで飛び回る私はもう居ない。
ロー兄さんは深く呼吸をし、襟元に手を触れる
ここには私達2人しか居ないから当然ロー兄さんの呼吸も仕草も五感には鮮明に響いている。
「俺は、お前からすればもうおじさんかもしれない。」
「ふっ!ふふ。確かにもうお兄さんって歳じゃないもんね。」
ロー兄さんの口から出るおじさんの言葉に思わず笑いが込み上げた
「お前ももう、子供じゃないだろ。」
「…うん。」
「可愛い妹だとも思えない。だが、相変わらず俺はお前に甘いのかもしれない。」
大嫌いになったロー兄さんの優しい顔
宝物を見るような瞳
割れ物を触れるような優しい手つき
「可愛い。綺麗だ。一人の女として。名前を愛してる。手遅れだって言われても、何を言われても仕方ねぇと思う。だが、もう後悔はしたくない。諦める気もない。俺と結婚してくれ。」
「…遅いよ。」
「ああ。そうだな。」
「もう無理だと思ってた」
「俺だって何度も思った。」
「でもずっと、ずっとロー兄さんが好きだった。」
「だから兄さんじゃなくて…」と言う彼の顔は見た事がない程、余裕がなさそうな少し困った様なそんな不思議な顔。散々私を妹と線引きしていたロー兄さんが、今は兄の一言に焦れったい気持ちになっているのだ。意地が悪いと言われても、性格が悪いと罵られたとしても、その事実に自然と口元が緩んだ
「ふふ、もう妹扱いしない?」
「しない」
「子供だって突き放さない?」
「ああ。離さねぇよ。」
「家族みたいだからって言わない?」
「…それは無理だな。俺はお前と本物の家族になりてぇんだ。」
頬に触れていた指先に少し力が入る
落ちてくる大好きな人の影を見ながら自然と瞳を閉じた
唇に触れた温もりは何度目か分からないロー兄さんの唇
心が満たされるのは初めてだった
「ロー大好き結婚して」
「こっちの台詞だ。だが、そうだな。世界一幸せにする。」
「ふふ。もう世界一幸せだよ。」
これからはもっと幸せが待ってる。そんな彼の甘いコトバに止まっていた私の時は再び進み出した。
繋いだ手を眺めながら、結婚しないと言ってたのに兄になんて言おうかと頭を捻った。
「どうした?」なんて優しく問い掛ける彼の顔を見たら、そんなちっぽけな悩みも吹き飛んでしまう。
「役所に行くか。」
「へ?あ、うん。」
婚姻届取りに行かないといけないもんね、なんて改めて結婚を実感すれば途端に頬が染る。ふっと息を吐くように微笑むローの姿はもう妹を愛でる兄の目では無い。
ドキドキしながら向かった役所で、人生で一番驚くサプライズが起きたのは一生の宝物。
既に用意されていた婚姻届に見覚えのある兄の名前。震えながら記入した文字に、結婚おめでとうございますの言葉。この日、私は紛れもなく世界一の幸せ者になった
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