奇病系
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きっかけは些細な事だった。
あろう事か自船の船長を好きになってしまった私は長い事片思いをしている。何度も諦めようとしたけど無理だった。船長が島で女と歩いている所を見ても、女を持ち帰る所を見ても、女を抱いて帰ってくる所を見ても、タチの悪いこの想いは消えてくれなかった。
玉砕覚悟で告白して、潔く船長への想いを諦める事が出来ればいいけど、そんな勇気も湧かなかった。この船には居たいし、船長の傍に入れるだけで幸せだからそれ以上は望まないと言い聞かせてきた。
そんな私の想いに終わりを告げるように、船長が女を船に連れてきた。初めてだった。
驚いたのは私だけでは無かったようで、クルーの皆も驚きの余りに声を上げた。
可愛らしい子だった。ふわふわとした髪に陶器のような肌、吸い込まれるような大きな瞳に縁取る長い睫毛、艶のある形のいい唇はニコリと弧を描き誰もが振り返る花のような笑顔だ。
華奢で儚げな印象であるにも関わらず、ショートパンツから覗く長い脚にはレッグホルスターが巻かれている。よく見れば女性らしいと言うよりは動きやすい、戦い慣れをしている女の服装をしていた。
「しばらく船に乗せる。挨拶をしろ。」
「え〜?ローがしてくれるんじゃないの?」
自然と船長の腕に抱き着く彼女に船内はザワついた。船長は直ぐに振りほどいて居たけど、こんな光景初めてだ。
「初めまして!私はベレッタです。この辺りで賞金稼ぎをやってます!暫くお世話になるけど皆よろしくね〜!」
人見知りしない彼女の笑顔に、クルーは皆ガヤガヤと声を上げた。私だけその場から一言も発せず動けないでいた。だってどう考えても勝てないと悟ったから。
ただ顔が良いだけなら良かった、ただ戦えるだけなら良かった、でも彼女は全部持っているから。
船内の掃除をし、いつもボロボロに汚れている私とは違う。戦闘はするけど、1人で賞金稼ぎとしてやって行ける程の実力もない。船長に対して、あんなに積極的な態度で話しかける事も、名前を呼ぶ事も出来ない。
今まで船長がどんな女の人と歩いていても、関係を持っても、耐えることができたのに、船に乗り、船長の名前を親しげに呼ぶ女がこれから共に生活をする事は耐えれそうに無かった。
「名前さん…?あの、よろしくお願いします!」
「っ、え?あっ、は、はい、よろしくお願いします。」
ドロドロと考え事をしていたら、目の前にベレッタちゃんが立っていた。女性クルーは私とイッカクしかいないし、私に挨拶をするのは当然なのかもしれない。
ベレッタちゃんはクルーでは無い上に、賞金稼ぎだった為、一応監視が必要と判断され私達の女部屋の使用が決められた。
それを聞かされた時、私は上手く笑えていた自信が無い。
それからは兎に角ずっとぼーっとしていた。私は少し人より記憶力が良いから、この潜水艇での物の管理をしていた。潜水艦で、船長が医者である事もあり、普通の船より管理すべき物が沢山ある。そのついでに片付けやら何やらをするのが日課だ。
整備士では無いけど、船の部品やら工具やらを弄っていたらベタな事にいつの間にか指を切っていた。痛みよりも、赤く染る指と地面を見て出血に気が付いた。
「…何やってんだろ。」
痛みは感じなかった。ちょっと切れただけだし、戦闘ではもっと痛い事もあるし、何より今1番痛いのはこんな目に見える物じゃない。
慌てて床の掃除をし、持っていたタオルで指を抑え処置室へと向かった。
船長が居なくてホッとした。何時もなら怪我をすれば船長に見てもらうけど、そんな気分にはなれなかった。だって、もし部屋に行ってあの子がいたら?そう思うと耐えれそうにない。
自分で応急処置をし、今日はもう頭を冷やしたくてシャワー室へ向かった。
流れていく水を眺めながら、身体を洗い流す。同じ戦う女であるのに、彼女とは違う焼けた肌、戦闘で負った傷の跡。自分の体なんて見たくもなかった。
「このまま全部流れちゃえばいいのに。」
排水溝に吸い込まれていく水を見てふと思った。私の想いも、私の汚れも全部無くなってしまえばいいのに。
ーーー
「あれ?もう寝るの?」
「うん。今日はなんか疲れて!」
2段ベッドの上で横になっていると、室内にイッカクが入ってきた。いつもならまだ起きている時間だからイッカクが驚くのも無理は無い。
この部屋にやってくるであろうもう1人の人物と笑って談笑できるような気分では無かった。
「…名前大丈夫?」
「うん。私は大丈夫…だよ。」
「うーん…まぁあの子が乗るのは少しの間だし!私はアンタを応援してるんだから、自信持ちなよ!」
「ふふ、うん。ありがとイッカク。」
この船で唯一私の気持ちを知っているのはイッカクだった。同部屋だし、たまに辛くなって泣いてしまったりしていたから、イッカクにバレるのは仕方がなかった。こうやって私が船長の事で落ち込む度に励ましてくれる彼女には感謝しかない。
布団に潜ってどれ程の時間が経ったのか分からないけど、私は眠れなかった。だってあの子がまだこの部屋に帰ってきてないから。
ならあの子は何処へ行ったの?考えても1つしか出てこない。きっと船長の部屋だ。
違うと思いたいけど、どれだけ時が進んでも彼女は帰ってこない。 あれだけ部屋に来ないで欲しいと思っていた彼女を、今は早く来て欲しいと懇願している。
だけどあの子がこの部屋に来ることはなかった。
結局一睡も出来ぬまま、私は食堂へ行った。
朝食が終わっても船長とベレッタちゃんは食堂には来なかった。
モヤモヤした気分で船内の掃除をするけど、身が入らない。次の島はエターナルポースで目指す島で、航海の期間は通常の倍だ。島へ着くまでの間に自分の心は張り裂けてしまいそうだった。
多分私は神様に嫌われている。
避けたかった船長の部屋の前の掃除をしようとした時、扉のドアが開いた。船長のTシャツを着たベレッタちゃんだった。後ろには船長もいる。
時が止まったかと思った。手に持っている物を落とさなかった事は褒めたい。だけど体は動かなかった。
「あ、名前さん…。ごめんなさい!居候の身でお手伝いもしなくて!直ぐに手伝います!」
「お前はそんな事しなくていいと言っただろ。良いから食堂へ行け。」
「ダメに決まってるでしょ!働かざる者食うべからずでしょ?お願い!ロー!」
「…飯を食ってからにしろ。」
「わーい!名前さん!私に出来る仕事ってあるかな?!」
目の前の2人をただ眺めることしか出来なかった。苦しかった。今までは平気だったのに、船の中という私の安心材料であったこの場所で、大好きな人は違う人を想っている光景に、耐えられなかった。
自然にベレッタちゃんの腰に手を回す船長も、自然に船長に甘えて腕を掴むベレッタちゃんも。悔しい程にお似合いで、違和感の無い2人が…
声を出すのも辛かった
「ゴホっ、えーっと…船長室の廊下と船長の部屋をお願いしてもいいかな?その、私は在庫の確認とかしないとだから、別の部屋を見て回りたいなって思ってたから、良い…かな。」
「了解です!急いでご飯食べてきます!」
「う、うん!ありがとう。」
私の横を走り去るベレッタちゃんから、ふわっと船長と同じ匂いがした。
早口でまくし立てた、上手く喋れていたか、上手く笑えていたのか分からない。でももうこの場所にいたくなかった。二人が一緒にいる光景を見たくなかった。
「名前、おい。」
「〜っ!ん"、船長。」
後ろから聞こえてきた船長の声に、反応しようと声を出そうとするけど、何かが引っかかるような違和感を感じた。
手で喉を抑えるけど、痛みは無い。んっと喉を鳴らせば声は出る。だけど違和感は拭えない。
船長の手が額に延び、思わず体がピクリと動く。単純な私の体はそれだけで喜び火照りをあげる。
「…少し体温が低いな。喉の他に症状は?」
医者の目をする船長に首を横に振る。そのまま手を取られると、船長の体温を感じてドキッとする。
「…これは?」
「…っと、昨日…少し切って。」
触れられた指先に痛みは無かった。大した傷ではないだろうし、気に止めてなかった。しかしよく見れば包帯は赤く染っていた。
少し驚いたけど、声を出すのが億劫だった。
「少し…か。処置室へ行く。」
船長に腕を引かれ、船長室のすぐ近くにある処置室へ入る。椅子に座り、腕を台に乗せられて船長がスルスルと包帯を解けばギョッとした顔で手を見た。
「ってめェ!!なんで俺に見せなかった!?」
船長の大きな声にびくっと体が跳ねた。船長に怒られるのは初めてだった。
「ごめ、なさい。」
「っち。直ぐに縫う。説教はそれからだ。」
こくりと頷いた。船長に指先を洗われ、麻酔をされたけど、どうしても違和感があった。全然痛みを感じないのだ。私が船長にわざわざ傷を見せなかったのもこれが理由だ。痛くないのだ。
でも船長がわざわざ縫合すると言っているし、現に血は止まっていないようで、私の頭は益々パニックになる。
「痛みは?」
「…無いです。」
船長が確認しているのは麻酔が効いているかどうかだろう。いつ麻酔注射を打たれたのかも分からない程に、私の指先は痛みを感じていない。
パチンと音がなり、無事に縫合は終わった。
まだ検査があるから、私はこの場から動けない。船長と二人きりで嬉しい筈なのに、今だけは素直に喜べなかった。
「…喉を見せろ。」
船長の言葉で口を開く。舌に舌圧子がヒンヤリと置かれる。船長が喉を見たあと首を傾げ、別の器具も取り出していた。
「炎症は起きてねェな…。特に問題はねェ…。もういい、楽にしろ。」
口を閉じて、船長の言葉を待つが、船長は机に向き合い何かを考えていた。
そのまま他の検査もされて、正直心臓がバクバクとしていた。もしかして何か悪い病気でも見つかったのだろうか。
「お前、飯は食ったか?」
こくりと頷く。食欲は普通にあったし食事は取れていた。
「念の為、血液検査をする。が、恐らくお前は今貧血に陥っている。暫くこの部屋で横になっていろ。」
「…?私、貧血なんて…」
「どっかの馬鹿が血を垂れ流していたからなァ?ちっ、何のために医者がいると思ってやがる。さっさと横になれ。」
眉を寄せ怖い顔をする船長にビクッとするけど、これは自分がまいた種だ。慌てて置いてあるベッドに横になると、器具を持って船長がベッドの横に来る。
注射器の中に溜まる赤を見てボーッとしていた。やっぱり何も感じない。
「少し寝てろ。お前のそれはストレス性のものかもしれない。」
「…はい。」
離れていく船長の背中を見つめ、何やってんだろうと自己嫌悪に陥る。船長に迷惑を掛けるクルーなんて、この船に乗っていていいのだろうか。
自己嫌悪に陥りながらも、机に向かい私の病状を考え、自分に向き合ってくれる船長に対して喜びも感じる。今だけは私の事を見てくれている。
浅ましい考えに心の中でハッと笑った。こんな醜い感情しか持たない私があの子に勝てるわけない。
ーーー
無意識の内に意識を手放していた。
腕には点滴が刺さっていてる。時計の見えないこのベッドでは時間も分からない。
目を覚ましたから少しお腹がすいた、シャワーにも浴びたい。身体を起こし暫く部屋をキョロキョロと見回していると、扉が開いた。目を見開いたイッカクが叫びながら私の元へ駆け寄った。
「良かったぁぁあ!!!あんた目覚めないのかと思ったよ!!!」
「っ〜〜!ーー!」
私そんなに寝てたの?って言葉にしたつもりなのに、声は出ない。
抱き着いてくるイッカクに腕を回し、返事をしたいのに、声が出ない。
「2日も寝てたんだよ!仕事しすぎ!!!あと我慢しすぎなのよ!!!もっと私達に甘えなさいって!!あ、島にはもうすぐ着くみたいだから安心して!」
ぶんぶんと頭を縦に振る。イッカクが私から離れると、何も喋らない事に違和感を抱いたのだろう。私の名前を呼び首を傾げる。
「…まだ喉痛い?」
ぶんぶんと首を横に振る。点滴の刺さってる今行動範囲は限られている。紙とペンがあれば、と思い船長の使う机を指さした
「??あー、待って、もしかして喋れない?」
頭を抱えるイッカクに私は首を縦に振った。嘘でしょ…と言い、泣きそうな顔をするイッカク。そんなイッカクの顔を見ても何も感じない。心にポッカリと穴が空いたようだ。
イッカクから紙とペンを受け取り、サラサラと文字を滑らせる。
《喉は痛くないけど、声が出ない。体も痛くない。お腹は空いた。シャワーにも浴びたいです。》
「っなんでそんな平気な顔してんだよ!!取り敢えず、船長呼んでくるから!!!大人しくしてて!」
イッカクが怒る理由がわからなかった。だってどこも痛くないし、声が出ないのは不便だけど別に私の声が出なくたって何も支障はない。船長に余計な想いを伝えなくて済む分、これで良かったのかもしれない。
廊下から船長の靴が勢い良く地面を蹴る音が聞こえた。珍しく息を切らしているようだ。船長が室内に入ると、風のように私の前にやってきた。
「名前!!お前、声が出ねぇのか…!?」
私は頷いた
「…絶対に治す。だから何かあれば直ぐに言ってくれ。前の島で何か変わった事は無かったか?」
ぶんぶんと首を横に振る
前の島の滞在期間は2日間だった。私は船番をして、買い出しへ行ってきたクルーの荷物を仕分けたり船内で仕事をしていたから外には殆ど出ていない。
変わった事と言えば、船長が連れて来たあの子の存在ぐらいだ。
珍しく酷く焦った顔をする船長に、眉を下げた
船長にこんな顔させたくないのに。
さっきイッカクに見せた紙を船長にも見せた。船長は一瞬目を丸くしたけど、ふぅと息を吐くといつもの優しい表情に戻った。
船長に頭を撫でられ、少し体が火照る。
「点滴を抜くからもう少し待ってくれ。」
腕から針が抜かれるけど、やっぱり何も感じない。どうやら痛覚が無くなってしまったようだ。
「…立てるか?」
こくりと頷き、船長の手を借りて立ち上がる。足が重い気がしたけど、体は健康体のように思えた。
船長は引き出しを開けて、メモ帳とペンを取り出し私に手渡した。
《ありがとうございます。》
「異常があれば直ぐに俺に知らせろ。いいな?」
頷くと、船長は少し安心したようでほっと息を吐いた。船長に手を引かれながら食堂へ向かうけど、ずっと手を繋いで居るのは初めてで、少しだけドキドキした。
「名前〜〜!!!お前大丈夫だったのかぁ!?」
「俺達もっとお前に頼らないように頑張るからよぉ!!」
「悪かった!!!だから早く元気になってくれ!!」
大の大人の男達が、涙ぐみながら訴え掛けてくる様子に思わず笑顔がこぼれた。別に皆のせいじゃないし、仕事だって好きでやってることなのに。
「さぁ!名前の為に作ったスープだ!栄養満点味も抜群!一瞬で元気になるぞ!」
《ありがとう。いただきます。》
喉を通るスープに少しだけ体がビックリした。どうやら本当に寝込んでいたらしい。
《美味しい。》
「よかったなぁ、ほらもっと食え!!」
「お前ら少し黙れ、喉に詰まらせたらどうすんだ。」
「あ、名前!船長が1番心配してたんだぞ。ほら、今も心配して片時も離れな…」
「死にてぇようだなァ?シャチ。」
「ギャーーーー!!!!」
暖かかった。喉を通るスープでもなく、この船の仲間達の気持ちが。次々に食堂に人が入ってきて、声を掛けてくれた。自分はなんて幸せ者なんだろうって思った。
「名前さん!!大丈夫ですか!?」
凛とした声にぴくっと体が動いた。少し汗を流す彼女はそれでも美しい。皆に返したのと同じように、《大丈夫。》の紙を見せた。良かったと胸に手を当てる彼女はとてもいい子だった。クルーでは無いけど、このままこの船に乗ればいいのにと思うほどに。
あれ程嫉妬していた彼女にこんな事を思うなんて、いよいよ私の片思いも終わったのかもしれない。
だって私の横にずっと船長が座っているのに、私の胸は高鳴っていないのだから。
船長の許可が降りてシャワー室へ向かった。イッカクに手伝う?と言われたけど断った。何となく1人になりたくて。ズボンを脱いだ時に、思わずひっと心の中で声を上げた。
両方の太ももに魚の鱗のようなものが付いていたのだ。大きさは拳程で、斑にそれが広がっていた。触ってみると完全に皮膚と繋がっていて鱗は取れそうにない。歩くのに違和感があるのはこれのせいだったのかと、妙に納得をした。
痛みは無い、身体は洗い流したい、一先ず身体を洗い流した。
スッキリした頭で船長に症状を伝える為に、船長室へと向かった。扉を叩こうと思ったけど、何故か緊張した。重い病気だったらどうしよう、もし感染症で船から降ろされたらどうしようって、段々怖くなってきたのだ。
「だから!私はローが好き!」
子供のようにウジウジ悩んでいたら、船長室からベレッタちゃんの大きな声が聴こえた。どうして私はいつもタイミングが悪いのだろうか。扉の前で上げていた拳をゆるりと降ろした。
「そうか、だが俺はお前を好きにはならねぇ。初めに言ったはずだ。」
「わかってる!!わかってるけど!!諦められないんだもん!」
「はァ、話にならねェな。目的を終えれば協力関係も終わりだ。条件は初めに話した通りだ。」
船長の声が段々近くなり、まずいと思った。慌ててその場を去ろうとしたけど、この脚じゃ上手く走れない。咄嗟に処置室の扉を開こうとした。
「名前?随分長かったな。呼びに行く所だった。診察するぞ。」
船長の言葉に頭を縦に振った。扉の開いたままの船長室からはベレッタちゃんが泣きそうな顔をして船長を見つめていた。
その顔が焼き付いて離れなかった。あぁあれは私と同じだ。
ーーー
結局船長には話せなかった。
潜水艇の窓からブクブクと浮き上がる気泡を眺めている。
船長が色々な検査をした時、太ももを見なくてホッとする自分がいた。診察室に何度も人が出入りし、船の状況や次の島の話をしに来ていた。どうやら船長は何時もより航海の速度を早めているようだった。
「直ぐに戻る。何かあれば直ぐに知らせろ、いいな?」
船長が頭を撫で、目線を合わせ真剣な瞳で私を捕らえた。こくりと頷くけど、船長の目は不安に揺れて居るようだった。
私が目覚めて2日後、船長はベレッタちゃんの腰を抱き能力で島へ出掛けた。
船長が居なくなって直ぐに、本を漁った。鱗の範囲も広くなってきている。段々と両の足で地面を踏むことが困難になってきていた。このまま魚のようになってしまうのでは無いのかと思い怖かった。
船長に治せない病気があるとは思っていない、ただあんなに思い詰めた船長に話す勇気がわかなかった。船長の作戦に支障をきたす事も望んでいなかった。
奇妙な病気を記した本を見つけた。どうやら船長もそれを読んでいたようで、机の上にその本はあった。
(人魚姫病...泡沫症候群...何これ...)
書かれている症状は少し違うが、足の鱗と合致する病名はこれだった。
ーーーーーー
【感染経路】
不明
ウイルス性は確認されていない
女性にのみ発症が確認されている
失恋や恋愛、喪失などのストレスにより発症する
初期症状は個人差が大きい為、奇病だとは判断されにくい。
【症状】
1.声が出なくなる 患部の痛みは感じられない
2.感覚が鈍くなる 感情や痛覚と言った患者の状況に応じて1番消したい感覚から徐々に無くなると言われている
3.足の先から徐々に鱗が侵食し始め鱗が脚の半分を覆い始めると身体が動かなくなり始めるー進行状況は患者により、1週間〜1年以上
4.発症者の想い人に対する感情が涙となり現れ、そのまま泡となって消えてしまう。
【治療法】
医療的な治療法は見つかっていない
想い人との心からのキスにより完治した例が見つかっている
童話に出てくる人魚姫に似た症状から、人魚姫病又は泡沫症候群と呼ばれている。
ーーーーーー
本を持つ手は震えていた。自覚症状があったから。
痛みを感じないのも、船長を見て何も思わなくなった事も、脚に出てきた鱗も。
確かに船長は足の裏や足首を見ていた。この病気の事も気付いている。ただ私の症状は太股からだった。だから船長は私が人魚姫病であることは知らない。
涙が溢れそうになるのを必死に堪えた。だって消えたくない、まだ消えたくないから。
もっとみんなと一緒にいたい、この船で色んな場所へ行きたい、どうせ消えるなら船長に想いを伝えたい。
残酷な事に治療法は1つしかない。それで自分が治るとは思えない。長い事この船に乗っているけど、船長が私を女として見るとは思えなかったから。
どうせ消えるなら、何も言わずに消えてしまった方が良いんじゃないかって考え始めた。その方が誰も困らせないって。きっと船長は私を助けられなかったら悲しい顔をすると思う。それなら気持ちを伝えない方がいいんじゃないかって。
どうせなら迷惑を掛けず、人知れず消えてしまった方が良いのに、どうしても1人で死ぬのは怖かった。最後に焼きつける船長の顔が悲しい顔でも、船長の顔を見て消えたい。最後まで迷惑を掛けてごめんなさい。
ーーー
島へ上陸した。
青に包まれていた窓からは日差しが差し込んでいた。
もう殆ど足の感覚が無くなっていた。昨日まで色々悩んでいた感情も殆ど無くなっていた。
1つ残っているものは船長に会いたい。それだけだった。
「名前!島に着いたよ!!気分転換に外に出てみる??起きれる?」
イッカクの言葉にこくりと頷いた
着替えをしたかったけど、どうも脚が動かない。
《イッカク、ツナギ着るの手伝って。》
「!!やっぱどこか痛いの!?」
《脚が動かない》
「っ!!!何これ!?っ早くキャプテンに見せなきゃ...!」
イッカクは脚を見ると目を大きく見開いて悲しそうな顔をしていた。私も自分の脚をちらっと見たけど、もう足の半分ほどに鱗が侵食していた。太股は繋がっているように見える。
イッカクはクローゼットからロングスカートを取りだして履かせてくれた。
「ちょっと待って!!車椅子の用意してくる!」
《ありがとう》
イッカクが私の顔を見る度に泣きそうな顔をする。笑って欲しかった。イッカクの事が大好きだから。
部屋に入ってきたのはイッカクではなくシャチだった。鼻水を垂らしながら泣いている。
「お前本当に大丈夫なのかぁああ!!!おれ、おれお前が死んだら...」
「勝手に殺すな!!!だからキャプテンに診せに行くんでしょ!!!ほら、早く名前持って!!丁寧にね!!!」
「ううっ、あいあい...ぐずっ」
シャチに横抱きにされ、持ち上げられる。足の裏を支えている腕の感覚は殆どない。背中に回された腕の感覚はあるから不思議な気分だった。
「俺達、またお前の笑顔が見たいからさ、早く元気になれよ...。お前にそんな表情似合わねぇよ...」
シャチの言葉に口角を上げたけど、シャチはもっと哀しそうに眉を下げた。どうやら上手く笑えなかったらしい。表情筋の動かし方が分からなくなっていた。
船を降りると車椅子が置いてあった。ゆっくりそこに降ろされれば、ちょっと待ってろってシャチに頭を撫でられた。
ペンギンが電伝虫を持っている。イッカクとシャチが泣きながら何かを訴えているけど、少し遠くにいるから水の中にいるみたいにこボヤーっと靄がかかったように聴こえる。何を喋っているのかは聴き取れなかった。
「よし!!船長の所に行くぞ!」
「ちょっと気をつけなさいよ!!無事に船長の元へ届けないと!!名前は...!!」
「わ、わかってるよ!!名前もう少し頑張ってくれ!」
既に涙と汗でグチャグチャの皆に《ありがとう》と紙を見せた
どうやら船長はこの島で戦闘をしているらしい。直ぐに終わらせると言っていたようだけど。戦っているのに私が現れても邪魔にならないのかな?って少し思ったけど、船長に会いたいって気持ちだけが私の中で主張をしていた。
街の外れにある大きな建物の前に来た。闘技場の様なその場所からは色んな人が出てきた。叫び声も聞こえるし、泣きながら走り去る人も居る。
船長はこの中にいるようだ。
「ちょっと待ってろよ、中に入るのは流石に危ない...」
「キャプテン...急いで...」
イッカクの言葉がまるで私の命の終わりを告げているようで、目を細めた。何となく自分でもわかった。もうすぐ私は消えちゃうんだなって。脚の感覚は殆どないのに、脚がどんどん繋がっていく事が分かった。スカートから覗く肌が段々と魚のそれになっていくのが、目で確認出来るほどなんだから。
「「キャプテン!!」」
皆の声を聞き、闘技場に顔を向けた。少し服がボロボロになった船長がこちらに走ってきている。あまり見た事が無い表情だから、少し不思議だった。
「待って!!!!!ロー!!!!」
闘技場の奥から少女の声が響いた、船長は1度足を止め振り返ると、ベレッタちゃんが船長の腕を掴み、踵を上げた。
「「「なっ!!!!!」」」
「ありがとう!ロー!!!ごめん。」
「っテメェ...!!!」
ベレッタちゃんが船長にキスをした。不思議と心は痛くなかった。だって涙を流しながら船長に別れを告げる彼女は美しかったから。
痛くなかった。何も、何も感じてないのに。
拳に落ちてきた透明な石が不思議で思わず指で掴んだ。何処から落ちてきたんだろうって思ったけど、1個2個3個...ゆっくりと石が降ってくる。あれ?もしかしてこれ、私から落ちてる?って気付いた時には視界がぼやけた。私の眼はもう何も映さない
「名前!!!ちょっと!待って!!」
「おい泣くな泣くな!!!!船長!!!待てって!!」
皆の声が遠くなった
背中に何か感じた
暖かい物が身体の中に流れる
もう消えちゃったのかな
ふわふわとする
「名前好きだ。俺はお前を手離したくない。戻ってこい。」
ぶくぶくと水中にいた筈なのに
船長の低い音がハッキリと聴こえた
背中に回る腕の感触がある
脚に回る腕の感触がある
船長に触れている身体がポカポカと暖かい
船長が触れている唇が暖かくてドキドキする
今私船長とキスしてるんだ
瞼からじわりと水が流れた、頬に雫が伝う
船長の唇が優しくそれを啄む
「...もう泣くな。悪かった。ずっとお前が好きだった。」
視界が開けた
船長の顔が見えた
眉を下げ、泣きそうな顔をする船長に涙が止まらなかった
心臓の音が聴こえる、船長の温度がわかる、消えていない、消えていないのだ
「うっ...ううう」
久しぶりに出た声はグズグズで汚かった。船長の首に抱き着き肩に顔を埋めた。涙と鼻水と色んなものでグチャグチャだったけど、気にしていられなかった。
船長が私にキスをした。船長が私の事を好きだと言ってくれたのだ。
船長が頭をポンポンと触れる度に身体が火照った。嬉しかった、懐かしいこの感覚が。温もりを感じることが。
「こわ、ごわがったよぉお!!」
「...あぁ、悪い。」
「何も、何も感じなくなって!!消え、消えちゃうかもって!!」
「悪かった。俺のせいだ。頼むから俺の傍に居てくれ。もう二度とお前を失う恐怖は味わいたくない。」
「うっ...ふっううっ...うあああん!!!」
突然戻ってきた感情に押さえ込んでいた思いに耐えられなかった
船長の前で子供のようにわんわんと泣いた
私が疲れて眠るまで船長はずっと優しい言葉をかけて付き合ってくれた
ーーー
今日も船は航海をしている。
朝日に照らされキラキラと輝く水平線はダイヤモンドみたいに綺麗だ。
「おい、こんな所で何をしている。」
「あ、船長!ほら、海がダイヤモンドみたいで綺麗だなーって。」
不機嫌そうに眉を寄せた船長はゆっくりと私に近づくとギュッと背中に手を回した
「頼むから急に居なくなるな。...あと俺はダイヤモンドは嫌いだ。」
「ごめんなさい...。ちょっと水が飲みたくて。綺麗じゃないですか、ダイヤモンド。」
「お前...わざと言っているのか...?」
有り得ないと言う船長の顔に、ふふっと微笑む
船長は私が人魚姫病で死にかけた時にみた、ダイヤモンドを見てからダイヤモンドが嫌いになってしまったらしい。あの時の事を思い出すと心臓が破裂しそうになるそうだ。
でも私はダイヤモンドがちょっと好きになったんだ。
死にかけたのは怖かったけど、船長に対する私の想いだったから。ちょっと重いかもしれないけれど。
「船長...大好きです!」
「...あぁ、俺も、愛している。」
触れた唇から船長の温もりを感じる
身体がポカポカと暖かくなる
海はキラキラ光っているけれど、アンバー色のその瞳に映った私の笑顔もキラキラと輝いていた
ーーーー
あろう事か自船の船長を好きになってしまった私は長い事片思いをしている。何度も諦めようとしたけど無理だった。船長が島で女と歩いている所を見ても、女を持ち帰る所を見ても、女を抱いて帰ってくる所を見ても、タチの悪いこの想いは消えてくれなかった。
玉砕覚悟で告白して、潔く船長への想いを諦める事が出来ればいいけど、そんな勇気も湧かなかった。この船には居たいし、船長の傍に入れるだけで幸せだからそれ以上は望まないと言い聞かせてきた。
そんな私の想いに終わりを告げるように、船長が女を船に連れてきた。初めてだった。
驚いたのは私だけでは無かったようで、クルーの皆も驚きの余りに声を上げた。
可愛らしい子だった。ふわふわとした髪に陶器のような肌、吸い込まれるような大きな瞳に縁取る長い睫毛、艶のある形のいい唇はニコリと弧を描き誰もが振り返る花のような笑顔だ。
華奢で儚げな印象であるにも関わらず、ショートパンツから覗く長い脚にはレッグホルスターが巻かれている。よく見れば女性らしいと言うよりは動きやすい、戦い慣れをしている女の服装をしていた。
「しばらく船に乗せる。挨拶をしろ。」
「え〜?ローがしてくれるんじゃないの?」
自然と船長の腕に抱き着く彼女に船内はザワついた。船長は直ぐに振りほどいて居たけど、こんな光景初めてだ。
「初めまして!私はベレッタです。この辺りで賞金稼ぎをやってます!暫くお世話になるけど皆よろしくね〜!」
人見知りしない彼女の笑顔に、クルーは皆ガヤガヤと声を上げた。私だけその場から一言も発せず動けないでいた。だってどう考えても勝てないと悟ったから。
ただ顔が良いだけなら良かった、ただ戦えるだけなら良かった、でも彼女は全部持っているから。
船内の掃除をし、いつもボロボロに汚れている私とは違う。戦闘はするけど、1人で賞金稼ぎとしてやって行ける程の実力もない。船長に対して、あんなに積極的な態度で話しかける事も、名前を呼ぶ事も出来ない。
今まで船長がどんな女の人と歩いていても、関係を持っても、耐えることができたのに、船に乗り、船長の名前を親しげに呼ぶ女がこれから共に生活をする事は耐えれそうに無かった。
「名前さん…?あの、よろしくお願いします!」
「っ、え?あっ、は、はい、よろしくお願いします。」
ドロドロと考え事をしていたら、目の前にベレッタちゃんが立っていた。女性クルーは私とイッカクしかいないし、私に挨拶をするのは当然なのかもしれない。
ベレッタちゃんはクルーでは無い上に、賞金稼ぎだった為、一応監視が必要と判断され私達の女部屋の使用が決められた。
それを聞かされた時、私は上手く笑えていた自信が無い。
それからは兎に角ずっとぼーっとしていた。私は少し人より記憶力が良いから、この潜水艇での物の管理をしていた。潜水艦で、船長が医者である事もあり、普通の船より管理すべき物が沢山ある。そのついでに片付けやら何やらをするのが日課だ。
整備士では無いけど、船の部品やら工具やらを弄っていたらベタな事にいつの間にか指を切っていた。痛みよりも、赤く染る指と地面を見て出血に気が付いた。
「…何やってんだろ。」
痛みは感じなかった。ちょっと切れただけだし、戦闘ではもっと痛い事もあるし、何より今1番痛いのはこんな目に見える物じゃない。
慌てて床の掃除をし、持っていたタオルで指を抑え処置室へと向かった。
船長が居なくてホッとした。何時もなら怪我をすれば船長に見てもらうけど、そんな気分にはなれなかった。だって、もし部屋に行ってあの子がいたら?そう思うと耐えれそうにない。
自分で応急処置をし、今日はもう頭を冷やしたくてシャワー室へ向かった。
流れていく水を眺めながら、身体を洗い流す。同じ戦う女であるのに、彼女とは違う焼けた肌、戦闘で負った傷の跡。自分の体なんて見たくもなかった。
「このまま全部流れちゃえばいいのに。」
排水溝に吸い込まれていく水を見てふと思った。私の想いも、私の汚れも全部無くなってしまえばいいのに。
ーーー
「あれ?もう寝るの?」
「うん。今日はなんか疲れて!」
2段ベッドの上で横になっていると、室内にイッカクが入ってきた。いつもならまだ起きている時間だからイッカクが驚くのも無理は無い。
この部屋にやってくるであろうもう1人の人物と笑って談笑できるような気分では無かった。
「…名前大丈夫?」
「うん。私は大丈夫…だよ。」
「うーん…まぁあの子が乗るのは少しの間だし!私はアンタを応援してるんだから、自信持ちなよ!」
「ふふ、うん。ありがとイッカク。」
この船で唯一私の気持ちを知っているのはイッカクだった。同部屋だし、たまに辛くなって泣いてしまったりしていたから、イッカクにバレるのは仕方がなかった。こうやって私が船長の事で落ち込む度に励ましてくれる彼女には感謝しかない。
布団に潜ってどれ程の時間が経ったのか分からないけど、私は眠れなかった。だってあの子がまだこの部屋に帰ってきてないから。
ならあの子は何処へ行ったの?考えても1つしか出てこない。きっと船長の部屋だ。
違うと思いたいけど、どれだけ時が進んでも彼女は帰ってこない。 あれだけ部屋に来ないで欲しいと思っていた彼女を、今は早く来て欲しいと懇願している。
だけどあの子がこの部屋に来ることはなかった。
結局一睡も出来ぬまま、私は食堂へ行った。
朝食が終わっても船長とベレッタちゃんは食堂には来なかった。
モヤモヤした気分で船内の掃除をするけど、身が入らない。次の島はエターナルポースで目指す島で、航海の期間は通常の倍だ。島へ着くまでの間に自分の心は張り裂けてしまいそうだった。
多分私は神様に嫌われている。
避けたかった船長の部屋の前の掃除をしようとした時、扉のドアが開いた。船長のTシャツを着たベレッタちゃんだった。後ろには船長もいる。
時が止まったかと思った。手に持っている物を落とさなかった事は褒めたい。だけど体は動かなかった。
「あ、名前さん…。ごめんなさい!居候の身でお手伝いもしなくて!直ぐに手伝います!」
「お前はそんな事しなくていいと言っただろ。良いから食堂へ行け。」
「ダメに決まってるでしょ!働かざる者食うべからずでしょ?お願い!ロー!」
「…飯を食ってからにしろ。」
「わーい!名前さん!私に出来る仕事ってあるかな?!」
目の前の2人をただ眺めることしか出来なかった。苦しかった。今までは平気だったのに、船の中という私の安心材料であったこの場所で、大好きな人は違う人を想っている光景に、耐えられなかった。
自然にベレッタちゃんの腰に手を回す船長も、自然に船長に甘えて腕を掴むベレッタちゃんも。悔しい程にお似合いで、違和感の無い2人が…
声を出すのも辛かった
「ゴホっ、えーっと…船長室の廊下と船長の部屋をお願いしてもいいかな?その、私は在庫の確認とかしないとだから、別の部屋を見て回りたいなって思ってたから、良い…かな。」
「了解です!急いでご飯食べてきます!」
「う、うん!ありがとう。」
私の横を走り去るベレッタちゃんから、ふわっと船長と同じ匂いがした。
早口でまくし立てた、上手く喋れていたか、上手く笑えていたのか分からない。でももうこの場所にいたくなかった。二人が一緒にいる光景を見たくなかった。
「名前、おい。」
「〜っ!ん"、船長。」
後ろから聞こえてきた船長の声に、反応しようと声を出そうとするけど、何かが引っかかるような違和感を感じた。
手で喉を抑えるけど、痛みは無い。んっと喉を鳴らせば声は出る。だけど違和感は拭えない。
船長の手が額に延び、思わず体がピクリと動く。単純な私の体はそれだけで喜び火照りをあげる。
「…少し体温が低いな。喉の他に症状は?」
医者の目をする船長に首を横に振る。そのまま手を取られると、船長の体温を感じてドキッとする。
「…これは?」
「…っと、昨日…少し切って。」
触れられた指先に痛みは無かった。大した傷ではないだろうし、気に止めてなかった。しかしよく見れば包帯は赤く染っていた。
少し驚いたけど、声を出すのが億劫だった。
「少し…か。処置室へ行く。」
船長に腕を引かれ、船長室のすぐ近くにある処置室へ入る。椅子に座り、腕を台に乗せられて船長がスルスルと包帯を解けばギョッとした顔で手を見た。
「ってめェ!!なんで俺に見せなかった!?」
船長の大きな声にびくっと体が跳ねた。船長に怒られるのは初めてだった。
「ごめ、なさい。」
「っち。直ぐに縫う。説教はそれからだ。」
こくりと頷いた。船長に指先を洗われ、麻酔をされたけど、どうしても違和感があった。全然痛みを感じないのだ。私が船長にわざわざ傷を見せなかったのもこれが理由だ。痛くないのだ。
でも船長がわざわざ縫合すると言っているし、現に血は止まっていないようで、私の頭は益々パニックになる。
「痛みは?」
「…無いです。」
船長が確認しているのは麻酔が効いているかどうかだろう。いつ麻酔注射を打たれたのかも分からない程に、私の指先は痛みを感じていない。
パチンと音がなり、無事に縫合は終わった。
まだ検査があるから、私はこの場から動けない。船長と二人きりで嬉しい筈なのに、今だけは素直に喜べなかった。
「…喉を見せろ。」
船長の言葉で口を開く。舌に舌圧子がヒンヤリと置かれる。船長が喉を見たあと首を傾げ、別の器具も取り出していた。
「炎症は起きてねェな…。特に問題はねェ…。もういい、楽にしろ。」
口を閉じて、船長の言葉を待つが、船長は机に向き合い何かを考えていた。
そのまま他の検査もされて、正直心臓がバクバクとしていた。もしかして何か悪い病気でも見つかったのだろうか。
「お前、飯は食ったか?」
こくりと頷く。食欲は普通にあったし食事は取れていた。
「念の為、血液検査をする。が、恐らくお前は今貧血に陥っている。暫くこの部屋で横になっていろ。」
「…?私、貧血なんて…」
「どっかの馬鹿が血を垂れ流していたからなァ?ちっ、何のために医者がいると思ってやがる。さっさと横になれ。」
眉を寄せ怖い顔をする船長にビクッとするけど、これは自分がまいた種だ。慌てて置いてあるベッドに横になると、器具を持って船長がベッドの横に来る。
注射器の中に溜まる赤を見てボーッとしていた。やっぱり何も感じない。
「少し寝てろ。お前のそれはストレス性のものかもしれない。」
「…はい。」
離れていく船長の背中を見つめ、何やってんだろうと自己嫌悪に陥る。船長に迷惑を掛けるクルーなんて、この船に乗っていていいのだろうか。
自己嫌悪に陥りながらも、机に向かい私の病状を考え、自分に向き合ってくれる船長に対して喜びも感じる。今だけは私の事を見てくれている。
浅ましい考えに心の中でハッと笑った。こんな醜い感情しか持たない私があの子に勝てるわけない。
ーーー
無意識の内に意識を手放していた。
腕には点滴が刺さっていてる。時計の見えないこのベッドでは時間も分からない。
目を覚ましたから少しお腹がすいた、シャワーにも浴びたい。身体を起こし暫く部屋をキョロキョロと見回していると、扉が開いた。目を見開いたイッカクが叫びながら私の元へ駆け寄った。
「良かったぁぁあ!!!あんた目覚めないのかと思ったよ!!!」
「っ〜〜!ーー!」
私そんなに寝てたの?って言葉にしたつもりなのに、声は出ない。
抱き着いてくるイッカクに腕を回し、返事をしたいのに、声が出ない。
「2日も寝てたんだよ!仕事しすぎ!!!あと我慢しすぎなのよ!!!もっと私達に甘えなさいって!!あ、島にはもうすぐ着くみたいだから安心して!」
ぶんぶんと頭を縦に振る。イッカクが私から離れると、何も喋らない事に違和感を抱いたのだろう。私の名前を呼び首を傾げる。
「…まだ喉痛い?」
ぶんぶんと首を横に振る。点滴の刺さってる今行動範囲は限られている。紙とペンがあれば、と思い船長の使う机を指さした
「??あー、待って、もしかして喋れない?」
頭を抱えるイッカクに私は首を縦に振った。嘘でしょ…と言い、泣きそうな顔をするイッカク。そんなイッカクの顔を見ても何も感じない。心にポッカリと穴が空いたようだ。
イッカクから紙とペンを受け取り、サラサラと文字を滑らせる。
《喉は痛くないけど、声が出ない。体も痛くない。お腹は空いた。シャワーにも浴びたいです。》
「っなんでそんな平気な顔してんだよ!!取り敢えず、船長呼んでくるから!!!大人しくしてて!」
イッカクが怒る理由がわからなかった。だってどこも痛くないし、声が出ないのは不便だけど別に私の声が出なくたって何も支障はない。船長に余計な想いを伝えなくて済む分、これで良かったのかもしれない。
廊下から船長の靴が勢い良く地面を蹴る音が聞こえた。珍しく息を切らしているようだ。船長が室内に入ると、風のように私の前にやってきた。
「名前!!お前、声が出ねぇのか…!?」
私は頷いた
「…絶対に治す。だから何かあれば直ぐに言ってくれ。前の島で何か変わった事は無かったか?」
ぶんぶんと首を横に振る
前の島の滞在期間は2日間だった。私は船番をして、買い出しへ行ってきたクルーの荷物を仕分けたり船内で仕事をしていたから外には殆ど出ていない。
変わった事と言えば、船長が連れて来たあの子の存在ぐらいだ。
珍しく酷く焦った顔をする船長に、眉を下げた
船長にこんな顔させたくないのに。
さっきイッカクに見せた紙を船長にも見せた。船長は一瞬目を丸くしたけど、ふぅと息を吐くといつもの優しい表情に戻った。
船長に頭を撫でられ、少し体が火照る。
「点滴を抜くからもう少し待ってくれ。」
腕から針が抜かれるけど、やっぱり何も感じない。どうやら痛覚が無くなってしまったようだ。
「…立てるか?」
こくりと頷き、船長の手を借りて立ち上がる。足が重い気がしたけど、体は健康体のように思えた。
船長は引き出しを開けて、メモ帳とペンを取り出し私に手渡した。
《ありがとうございます。》
「異常があれば直ぐに俺に知らせろ。いいな?」
頷くと、船長は少し安心したようでほっと息を吐いた。船長に手を引かれながら食堂へ向かうけど、ずっと手を繋いで居るのは初めてで、少しだけドキドキした。
「名前〜〜!!!お前大丈夫だったのかぁ!?」
「俺達もっとお前に頼らないように頑張るからよぉ!!」
「悪かった!!!だから早く元気になってくれ!!」
大の大人の男達が、涙ぐみながら訴え掛けてくる様子に思わず笑顔がこぼれた。別に皆のせいじゃないし、仕事だって好きでやってることなのに。
「さぁ!名前の為に作ったスープだ!栄養満点味も抜群!一瞬で元気になるぞ!」
《ありがとう。いただきます。》
喉を通るスープに少しだけ体がビックリした。どうやら本当に寝込んでいたらしい。
《美味しい。》
「よかったなぁ、ほらもっと食え!!」
「お前ら少し黙れ、喉に詰まらせたらどうすんだ。」
「あ、名前!船長が1番心配してたんだぞ。ほら、今も心配して片時も離れな…」
「死にてぇようだなァ?シャチ。」
「ギャーーーー!!!!」
暖かかった。喉を通るスープでもなく、この船の仲間達の気持ちが。次々に食堂に人が入ってきて、声を掛けてくれた。自分はなんて幸せ者なんだろうって思った。
「名前さん!!大丈夫ですか!?」
凛とした声にぴくっと体が動いた。少し汗を流す彼女はそれでも美しい。皆に返したのと同じように、《大丈夫。》の紙を見せた。良かったと胸に手を当てる彼女はとてもいい子だった。クルーでは無いけど、このままこの船に乗ればいいのにと思うほどに。
あれ程嫉妬していた彼女にこんな事を思うなんて、いよいよ私の片思いも終わったのかもしれない。
だって私の横にずっと船長が座っているのに、私の胸は高鳴っていないのだから。
船長の許可が降りてシャワー室へ向かった。イッカクに手伝う?と言われたけど断った。何となく1人になりたくて。ズボンを脱いだ時に、思わずひっと心の中で声を上げた。
両方の太ももに魚の鱗のようなものが付いていたのだ。大きさは拳程で、斑にそれが広がっていた。触ってみると完全に皮膚と繋がっていて鱗は取れそうにない。歩くのに違和感があるのはこれのせいだったのかと、妙に納得をした。
痛みは無い、身体は洗い流したい、一先ず身体を洗い流した。
スッキリした頭で船長に症状を伝える為に、船長室へと向かった。扉を叩こうと思ったけど、何故か緊張した。重い病気だったらどうしよう、もし感染症で船から降ろされたらどうしようって、段々怖くなってきたのだ。
「だから!私はローが好き!」
子供のようにウジウジ悩んでいたら、船長室からベレッタちゃんの大きな声が聴こえた。どうして私はいつもタイミングが悪いのだろうか。扉の前で上げていた拳をゆるりと降ろした。
「そうか、だが俺はお前を好きにはならねぇ。初めに言ったはずだ。」
「わかってる!!わかってるけど!!諦められないんだもん!」
「はァ、話にならねェな。目的を終えれば協力関係も終わりだ。条件は初めに話した通りだ。」
船長の声が段々近くなり、まずいと思った。慌ててその場を去ろうとしたけど、この脚じゃ上手く走れない。咄嗟に処置室の扉を開こうとした。
「名前?随分長かったな。呼びに行く所だった。診察するぞ。」
船長の言葉に頭を縦に振った。扉の開いたままの船長室からはベレッタちゃんが泣きそうな顔をして船長を見つめていた。
その顔が焼き付いて離れなかった。あぁあれは私と同じだ。
ーーー
結局船長には話せなかった。
潜水艇の窓からブクブクと浮き上がる気泡を眺めている。
船長が色々な検査をした時、太ももを見なくてホッとする自分がいた。診察室に何度も人が出入りし、船の状況や次の島の話をしに来ていた。どうやら船長は何時もより航海の速度を早めているようだった。
「直ぐに戻る。何かあれば直ぐに知らせろ、いいな?」
船長が頭を撫で、目線を合わせ真剣な瞳で私を捕らえた。こくりと頷くけど、船長の目は不安に揺れて居るようだった。
私が目覚めて2日後、船長はベレッタちゃんの腰を抱き能力で島へ出掛けた。
船長が居なくなって直ぐに、本を漁った。鱗の範囲も広くなってきている。段々と両の足で地面を踏むことが困難になってきていた。このまま魚のようになってしまうのでは無いのかと思い怖かった。
船長に治せない病気があるとは思っていない、ただあんなに思い詰めた船長に話す勇気がわかなかった。船長の作戦に支障をきたす事も望んでいなかった。
奇妙な病気を記した本を見つけた。どうやら船長もそれを読んでいたようで、机の上にその本はあった。
(人魚姫病...泡沫症候群...何これ...)
書かれている症状は少し違うが、足の鱗と合致する病名はこれだった。
ーーーーーー
【感染経路】
不明
ウイルス性は確認されていない
女性にのみ発症が確認されている
失恋や恋愛、喪失などのストレスにより発症する
初期症状は個人差が大きい為、奇病だとは判断されにくい。
【症状】
1.声が出なくなる 患部の痛みは感じられない
2.感覚が鈍くなる 感情や痛覚と言った患者の状況に応じて1番消したい感覚から徐々に無くなると言われている
3.足の先から徐々に鱗が侵食し始め鱗が脚の半分を覆い始めると身体が動かなくなり始めるー進行状況は患者により、1週間〜1年以上
4.発症者の想い人に対する感情が涙となり現れ、そのまま泡となって消えてしまう。
【治療法】
医療的な治療法は見つかっていない
想い人との心からのキスにより完治した例が見つかっている
童話に出てくる人魚姫に似た症状から、人魚姫病又は泡沫症候群と呼ばれている。
ーーーーーー
本を持つ手は震えていた。自覚症状があったから。
痛みを感じないのも、船長を見て何も思わなくなった事も、脚に出てきた鱗も。
確かに船長は足の裏や足首を見ていた。この病気の事も気付いている。ただ私の症状は太股からだった。だから船長は私が人魚姫病であることは知らない。
涙が溢れそうになるのを必死に堪えた。だって消えたくない、まだ消えたくないから。
もっとみんなと一緒にいたい、この船で色んな場所へ行きたい、どうせ消えるなら船長に想いを伝えたい。
残酷な事に治療法は1つしかない。それで自分が治るとは思えない。長い事この船に乗っているけど、船長が私を女として見るとは思えなかったから。
どうせ消えるなら、何も言わずに消えてしまった方が良いんじゃないかって考え始めた。その方が誰も困らせないって。きっと船長は私を助けられなかったら悲しい顔をすると思う。それなら気持ちを伝えない方がいいんじゃないかって。
どうせなら迷惑を掛けず、人知れず消えてしまった方が良いのに、どうしても1人で死ぬのは怖かった。最後に焼きつける船長の顔が悲しい顔でも、船長の顔を見て消えたい。最後まで迷惑を掛けてごめんなさい。
ーーー
島へ上陸した。
青に包まれていた窓からは日差しが差し込んでいた。
もう殆ど足の感覚が無くなっていた。昨日まで色々悩んでいた感情も殆ど無くなっていた。
1つ残っているものは船長に会いたい。それだけだった。
「名前!島に着いたよ!!気分転換に外に出てみる??起きれる?」
イッカクの言葉にこくりと頷いた
着替えをしたかったけど、どうも脚が動かない。
《イッカク、ツナギ着るの手伝って。》
「!!やっぱどこか痛いの!?」
《脚が動かない》
「っ!!!何これ!?っ早くキャプテンに見せなきゃ...!」
イッカクは脚を見ると目を大きく見開いて悲しそうな顔をしていた。私も自分の脚をちらっと見たけど、もう足の半分ほどに鱗が侵食していた。太股は繋がっているように見える。
イッカクはクローゼットからロングスカートを取りだして履かせてくれた。
「ちょっと待って!!車椅子の用意してくる!」
《ありがとう》
イッカクが私の顔を見る度に泣きそうな顔をする。笑って欲しかった。イッカクの事が大好きだから。
部屋に入ってきたのはイッカクではなくシャチだった。鼻水を垂らしながら泣いている。
「お前本当に大丈夫なのかぁああ!!!おれ、おれお前が死んだら...」
「勝手に殺すな!!!だからキャプテンに診せに行くんでしょ!!!ほら、早く名前持って!!丁寧にね!!!」
「ううっ、あいあい...ぐずっ」
シャチに横抱きにされ、持ち上げられる。足の裏を支えている腕の感覚は殆どない。背中に回された腕の感覚はあるから不思議な気分だった。
「俺達、またお前の笑顔が見たいからさ、早く元気になれよ...。お前にそんな表情似合わねぇよ...」
シャチの言葉に口角を上げたけど、シャチはもっと哀しそうに眉を下げた。どうやら上手く笑えなかったらしい。表情筋の動かし方が分からなくなっていた。
船を降りると車椅子が置いてあった。ゆっくりそこに降ろされれば、ちょっと待ってろってシャチに頭を撫でられた。
ペンギンが電伝虫を持っている。イッカクとシャチが泣きながら何かを訴えているけど、少し遠くにいるから水の中にいるみたいにこボヤーっと靄がかかったように聴こえる。何を喋っているのかは聴き取れなかった。
「よし!!船長の所に行くぞ!」
「ちょっと気をつけなさいよ!!無事に船長の元へ届けないと!!名前は...!!」
「わ、わかってるよ!!名前もう少し頑張ってくれ!」
既に涙と汗でグチャグチャの皆に《ありがとう》と紙を見せた
どうやら船長はこの島で戦闘をしているらしい。直ぐに終わらせると言っていたようだけど。戦っているのに私が現れても邪魔にならないのかな?って少し思ったけど、船長に会いたいって気持ちだけが私の中で主張をしていた。
街の外れにある大きな建物の前に来た。闘技場の様なその場所からは色んな人が出てきた。叫び声も聞こえるし、泣きながら走り去る人も居る。
船長はこの中にいるようだ。
「ちょっと待ってろよ、中に入るのは流石に危ない...」
「キャプテン...急いで...」
イッカクの言葉がまるで私の命の終わりを告げているようで、目を細めた。何となく自分でもわかった。もうすぐ私は消えちゃうんだなって。脚の感覚は殆どないのに、脚がどんどん繋がっていく事が分かった。スカートから覗く肌が段々と魚のそれになっていくのが、目で確認出来るほどなんだから。
「「キャプテン!!」」
皆の声を聞き、闘技場に顔を向けた。少し服がボロボロになった船長がこちらに走ってきている。あまり見た事が無い表情だから、少し不思議だった。
「待って!!!!!ロー!!!!」
闘技場の奥から少女の声が響いた、船長は1度足を止め振り返ると、ベレッタちゃんが船長の腕を掴み、踵を上げた。
「「「なっ!!!!!」」」
「ありがとう!ロー!!!ごめん。」
「っテメェ...!!!」
ベレッタちゃんが船長にキスをした。不思議と心は痛くなかった。だって涙を流しながら船長に別れを告げる彼女は美しかったから。
痛くなかった。何も、何も感じてないのに。
拳に落ちてきた透明な石が不思議で思わず指で掴んだ。何処から落ちてきたんだろうって思ったけど、1個2個3個...ゆっくりと石が降ってくる。あれ?もしかしてこれ、私から落ちてる?って気付いた時には視界がぼやけた。私の眼はもう何も映さない
「名前!!!ちょっと!待って!!」
「おい泣くな泣くな!!!!船長!!!待てって!!」
皆の声が遠くなった
背中に何か感じた
暖かい物が身体の中に流れる
もう消えちゃったのかな
ふわふわとする
「名前好きだ。俺はお前を手離したくない。戻ってこい。」
ぶくぶくと水中にいた筈なのに
船長の低い音がハッキリと聴こえた
背中に回る腕の感触がある
脚に回る腕の感触がある
船長に触れている身体がポカポカと暖かい
船長が触れている唇が暖かくてドキドキする
今私船長とキスしてるんだ
瞼からじわりと水が流れた、頬に雫が伝う
船長の唇が優しくそれを啄む
「...もう泣くな。悪かった。ずっとお前が好きだった。」
視界が開けた
船長の顔が見えた
眉を下げ、泣きそうな顔をする船長に涙が止まらなかった
心臓の音が聴こえる、船長の温度がわかる、消えていない、消えていないのだ
「うっ...ううう」
久しぶりに出た声はグズグズで汚かった。船長の首に抱き着き肩に顔を埋めた。涙と鼻水と色んなものでグチャグチャだったけど、気にしていられなかった。
船長が私にキスをした。船長が私の事を好きだと言ってくれたのだ。
船長が頭をポンポンと触れる度に身体が火照った。嬉しかった、懐かしいこの感覚が。温もりを感じることが。
「こわ、ごわがったよぉお!!」
「...あぁ、悪い。」
「何も、何も感じなくなって!!消え、消えちゃうかもって!!」
「悪かった。俺のせいだ。頼むから俺の傍に居てくれ。もう二度とお前を失う恐怖は味わいたくない。」
「うっ...ふっううっ...うあああん!!!」
突然戻ってきた感情に押さえ込んでいた思いに耐えられなかった
船長の前で子供のようにわんわんと泣いた
私が疲れて眠るまで船長はずっと優しい言葉をかけて付き合ってくれた
ーーー
今日も船は航海をしている。
朝日に照らされキラキラと輝く水平線はダイヤモンドみたいに綺麗だ。
「おい、こんな所で何をしている。」
「あ、船長!ほら、海がダイヤモンドみたいで綺麗だなーって。」
不機嫌そうに眉を寄せた船長はゆっくりと私に近づくとギュッと背中に手を回した
「頼むから急に居なくなるな。...あと俺はダイヤモンドは嫌いだ。」
「ごめんなさい...。ちょっと水が飲みたくて。綺麗じゃないですか、ダイヤモンド。」
「お前...わざと言っているのか...?」
有り得ないと言う船長の顔に、ふふっと微笑む
船長は私が人魚姫病で死にかけた時にみた、ダイヤモンドを見てからダイヤモンドが嫌いになってしまったらしい。あの時の事を思い出すと心臓が破裂しそうになるそうだ。
でも私はダイヤモンドがちょっと好きになったんだ。
死にかけたのは怖かったけど、船長に対する私の想いだったから。ちょっと重いかもしれないけれど。
「船長...大好きです!」
「...あぁ、俺も、愛している。」
触れた唇から船長の温もりを感じる
身体がポカポカと暖かくなる
海はキラキラ光っているけれど、アンバー色のその瞳に映った私の笑顔もキラキラと輝いていた
ーーーー
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