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平安無惨の安寧を守れ!

 女は暫くの後、無惨の思い通りに鬼に成った。気は進まなかったものの、慣れるのだ。無惨の血塗れの服を処分し、召し替えをして、人間の肉片の後片付け等をしていると人の死というものに、血肉というものに。
 こうして鬼達は人食いを平気になっていくのだろうと思いながら、鬼に成っても平気な顔をして無惨の隣にいる己にゾッとする。
「人を食うのはそんなに嫌か。一人食うのも二人食うのも変わらんだろう。それほど厭うならば私の血を分けてやろう。お前は強い鬼になれ。私の役に立て」
 無惨はケラケラと笑う。血溜まりの中から手を差し出して女に己の血を差し出した。無惨の手から滴る血を両手で受け取って口に含む。
 人間を喰うのは嫌だとごねると、その代わりに無惨の血を分けられる。渇きは収まるが、分けられる血の量が多いと鬼としてどんどん強く成ってしまう。そうすると、余計に腹が減る。とんだマッチポンプ。最悪だ。
 強い鬼は沢山人を喰わねばならない。しかし、喰いたくない。無惨が食い散らかしたお零れを少しだけ齧って飢えを凌いでいる。
 無惨は、私が嬉々として人間に食いつくのかを愉しみに眺めている。飢えに耐えられなくて時折酩酊したようになって人を襲うのだ。その後は、冷めない興奮の中で自己嫌悪に苛まれながら殺した人間を食う。
 私は人の食べ物を食べるのが好きだったのに、今は受け付けない。悲しい。何時だか無惨と一緒に酒杯を交わしたこともあったのに。無惨にとってはどうでもいいことだったのかと思うと又それも哀しいのだ。

 

 無惨の夜の徘徊の供をする。
 最近は鬼退治だと嘯いて武芸に秀でた者達が都を警備して回っているそうだ。意味が無いから止めておけばいいのに。無惨に食われて終わる。綺麗に食われるならまだ良いが、年老いた男の肉など不味いと散らかして帰るのだから私は頭が痛い。
 血鬼術。鬼がある程度の強さに達すると使えるようになる力だ。妖術のようなものから、身体をより強くするようなものまで様々。
 無惨の後片付けに頭を悩ませていたせいか、影を広げて物を取り込むことが出来るようになった。影の中は時間の経過に関係ないようで、物を劣化させずに備蓄しておくことが出来る。
 この力は大変便利で、無惨が散らかした血の跡も死体も取り込んでおくことができた。それに、どうしても腹が減ったら取り出して食べればいい。罪のない人間を食うよりは、わざわざ無惨に向かっていって死んだ人間を食うほうがいくらかはマシだ。自分では殺していないと言い訳もできる。余計に悪辣な気がしてしまうが。
 無惨は自由に動ける強靭な肉体を手に入れて嬉しいのか、派手に散らかす。血塗れで屋敷に帰るわけにもいかないので着替えをしまっておける所がとてもいい。この能力で、無惨の惨劇の隠蔽もやりやすくなった。それでも、決まって鬼の出る夜に出歩く主人と側近は屋敷の者たちから怪しまれているが。
 無惨が殺してしまった武者達を影に取り込んで回収していく。今の所は無尽蔵に取り込んでいるが、容量が一杯になる事があるのだろうか。
 無惨は肉体変化の応用で返り血を飛ばしながら、足元から暗闇を広げる女を見やる。
「使い勝手のいい能力だな。相変わらず、私の世話をする為に生まれたみたいな奴だ」
「自分でもそんな気がしていますがはっきり言われてしまうと何とも……。この能力というのは個人の必要に応じて発達するのかもしれませんね」
「ふむ。それならば強さを求めるものはより強くなる力を、人の世に馴染んで暮らしたい者は人に混じる力を得る、か。私の世話をしたいお前は、私の荷運びをするための能力という所か」
 無惨が嘲るように言う。女は肩を肩を竦める。
「まあ、結果的に肉体変化で、着物なんかは新しくつくり出してしまえるので、あまり直接の役に立つという感じではありませんでしたね。しかし、後片付けには大変便利です」
「そうだな。しかし、そろそろ潮時か。どんな馬鹿でも直に私が鬼だと気付く」
「ふむ。屋敷は捨てますか?それとも、露見するまではしばらく隠しますか?」
「……ああ、そうだな。最低限の路銀と荷物だけを持ち出して屋敷は燃やせ。昼間に私が身を隠す場所を見付けろ」
「分かりました。いくつかすでに見繕ってあります。人里にほど近い場所です。情報収集のためには人里から離れ過ぎないほうが良いかと」
「そうだな、場所は……分かった。お前は屋敷の始末をしてこい」
 無惨は女の思い浮かべた地理を把握した。思考の共有。鬼に成った女は文字通り無惨の手足となった。女は頷いてその場を離れる。軽く地面を蹴ると驚く程に速く進む。
 女は風のように夜の闇の中を駆けていく。
 女は臆病者なので、こういう事前準備は入念にするタイプだ。鬼になってしまい、何時でも思考が読めるし位置も把握できる無惨は女の管理の手を緩めた。それで、彼方此方に出歩いて隠れ家の手配をしたり、青い彼岸花の捜索をしたりする様になったのだ。どっちが良かったのかは不明。
 異世界からやってき事もバレるかと思ったが、そこまでは読まれていないようだ。無惨も意識的に読まないとすべての思考は把握出来ないらしい。常時考えている事すべてが筒抜けというわけではない様だ。
 まあ、知ってて何も言ってない可能性もあるのでこの読み合いにもはや意味は無い。たが、自分が死ぬ未来を読み取って癇癪を起こさないでいられる程、無惨は大人しい性格はしていないと思うので、やはり知らない気はしている。
 
 いつの間にか慣れ親しんだ屋敷の前に立つ。木造造りの横に広い屋敷。雅な建物で気に入っていたのだが。いつの間にか、年を取らなくなった無惨と女は既に多くの者から恐れられ、敬うというよりも恐れられている。
 無惨のことが恐ろしい気持ちは分かるが、知らぬ内に女も同じ様に扱われていた。無惨の渡りが無いと散々ごねていた北の方でさえも、最近は無惨のことを恐れ、同時に女にも怯えを見せる。鬼となった女の見た目はそれ程変わらなくとも、本能的に恐れるのかもしれない。
 こういう事が必要になるだろうと用意していた油を撒きながら屋敷の中を歩く。いよいよ後戻り出来ない。鬼に成った時点で、人を食った時点で既に戻れはしないが。
 御簾が下りた畳の上、ここに無惨が座っていたなあと哀愁に浸ったりしつつ油を撒いていく。殆ど寝たきりで動けず、毎晩高熱に魘されていた男はもういない。冷やした布を取り替えてやることも、背を擦ってやることも無いだろう。こんな思い出に浸っているのは私だけだろうなと自嘲する。
 無惨は捨てるものに興味はない。屋敷を気に入っていたなら手放さなくていい様に手配しただろう。しかし、身を隠すならそちらの方が合理的だ。一箇所に長く留まるとそれだけ人の目に触れる。陽の光の元に出ることが出来ず、老いず、人の肉を食らうとなれば何れは噂になる。
 こうなってしまった以上は、無惨と何処かで静かに暮らしていきたい。何時か鬼狩りに斬られて死ぬまで。
 灯籠を倒して屋敷に火を放つ。油を撒いた木造の建物はよく燃えた。轟々と燃える赤い火を眺めながら、少しばかり距離をとる。一飛びで簡単に距離が開いた。鬼の身体とは便利なものだ。
 陽の光の元に出られないのは残念だが、鬼を増やさず何処かでひっそりと暮らしてはくれないだろうか。一か八か、一度無惨に進言してみるか。殺されて吸収されるならそれも仕方がない。
 屋敷全体に火が広がったのを確認して、無惨のもとに戻る。
 山手の方に走って、用意していた隠れ家にはいると無惨が座していた。
「戻ったか」
「はい。屋敷の方は燃やしてきました。大きな建物ですから明日の朝まで燃えるでしょう」
「ふ、そうだな」
「無惨様、鬼を増やすのは止めて、ここで静かに暮らしませんか?都には鬼が出ると噂になっています。人をやたらと殺すのも暫く止めになって潜伏しては。我々には長い時間があります。人の目に触れる事は避けて、必要な時だけ少しだけ人の世に干渉すればいいのです」
「お前如きが私に意見するのか?」
 無残は赤い目で女を見下ろす。瞳孔は縦に開き、血管が浮き出す。
「お怒りは覚悟の上です。気に入らなければ処分して下さい」
 女は深々と頭を下げる。無残は少し考えるような素振りを見せた。
「確かに我々の一番の利は時間だ。老いず、朽ちず、強靭な肉体は衰えを知らぬ。お前の言う通り身を隠しながら、各地を回って青い彼岸花を探す事にしよう。無闇に鬼を増やしたとて数合わせの馬鹿は大して役には立たぬ。いくつか鬼をつくったが、お前の様に人の頃の知性を残す鬼は殆ど出来なかった。お前は殺すには惜しい」
「ありがとうございます」
 女は顔を上げて微笑んだ。無惨がバカスカ鬼を増やさなければ、鬼狩りも躍起になって無惨を追うことはない。鬼は物語の中の架空の生き物として人々に語り継がれるだけの存在だ。鬼を沢山作り出すことが鬼狩り達を強くするのだ。
「お前は私を追うものが出てくると思っているのだな?」
 無残は薄っすらと女の思考を読んだようだった。何かが内側に入ってきた感じがする。女は頷いた。
「そうです。一人一人は弱くとも、人は思考し、徒党を組んで新しい技術を使い文明を先に進めます。こちらが姿を現して力を見せれば、必ずそれに対抗してきます。ですから、私達はひっそりと人の群れの中に紛れて暮らせば良いのだと、そう思います」
「ふん、まあいい。私はただ太陽を克服して、完全な肉体を手に入れたいだけだ。人を食うのはその過程に過ぎん。医者の資料も漁ったが、結局、私に投与されていた薬の配合は分からず仕舞いだ。青い彼岸花の生息地も、栽培が可能なのかも不明。医者が自分の足で行ける範囲だろうと辺りはつけたが、それ以上は手当たり次第に探すしかない」
「はい。ゆっくり探しましょう」
 不貞腐れたような態度の無惨に対して、女は笑顔で答える。
「フン、お前は妙に愉しそうだな」
「それは、まあ。人を食うのは嫌ですが、無惨様が健康な肉体を手に入れて色々なものを見て回ることが出来るようになったのは嬉しいです」
「私はもっと完璧になる」無惨は目を細めた。
「ゆっくりでいいではありませんか。先ずは今まで見れなかったものや出来なかったことをして楽しみましょうよ」
「気楽なものだな」
「やっと気楽なことを言えるようになったのです。難しい事を考えるのは私が死んだ後にでもして下さい」
「お前は死なん。私の次に強い鬼なのだぞ?太陽に焼かれたからといって即座に塵になることすら無い。どうやって死ぬというのだ。太陽の光の下で何度も破壊と再生を繰り返し地獄の苦しみを味わいながら死ぬ事を望むのか?」
「まあそうなんですけど、言葉の綾で。無惨様よりは先に死ぬでしょう」
「私達に死などない」
「そうかもしれませんね」
 女は再び微笑んだ。
 全てを包み込むような笑みは無惨自身を小さく見せるような気がして不快だった。
 無惨は思わず女を殴り飛ばす。無惨の腕が人間の関節を無視して伸びてきて、女の腹部を打った。
 上半身と下半身が泣き別れになった女の身体が、宙を舞う。
 ベシャッ、ゴトッと血飛沫と肉の塊が床に落ちる音がした。
「無惨様……」
「やはり死なんな」
 女は上半身だけになった身体で、頭だけを起こした。何故意味もなく殴られたのかと困惑している。眉を顰める女の顔を見ながら、無惨は薄く笑って肩を竦めた。
 
 

 女は衝撃を受けていた。勿体ないことをした。
女の影に収納できるものは今のところ無制限。
 無惨の外出中に、試しに住んでいた建物ごと取り込んでみたら何と影に沈めて運べたのである。
 無惨の屋敷は燃やさずに取り込んでくればよかった。人間達は置いていくしか無いが、建物だけ貰ってきてそのまま住処丸ごと移動すれば良かったのだ。全てと言わずとも、全焼したと見せ掛けて、母屋の一部でも持って移動すれば大変に便利だったのだが。
 無限城とまではいかないが、そうすればかなりの快適な住まいを無惨に提供できた。何故思いつかなかったのだ。失敗した。女は一人打ちひしがれていた。
 帰ってくるなり、明らかに顔色の悪い女をみて無惨が訝しむ。
「おい、何かあったのか」
「いえ、実は私の血鬼術は建物くらいの大きさのものも取り込める様でした。もし気付いていたら、無惨様の屋敷の一部を燃やさずに持参できたのにと……そうしたら、日の出ている間も、もっと広い場所で寛く事が出来ましたのに……。すみません」
「なんだ、そんな事か。あんなもの、もう私には必要ない。欲しければ何処からか奪ってくればいい」無惨は事もなげに言う。
「それはそうですが。私には思い出深い場所でしたので……」
「家の者にいたずらに虐げられていた場所がか?てっきり、派手に燃やして清々しているものと思っていたが」
「それは別に。無惨様と過ごした場所ですので。拾ってもらった場所でもありますし」
「フン。感傷的だな。お前でもそんな事を思うのか」
「まあ、それなりには」
「そんなに欲しければ、似たようなものを建てればいいだろう」
「なるほど、肉体変化の応用で。少し試してみます」
 お前が家になるんだよってか。無惨のほうが思考が柔軟である。女は何となく人の形に囚われいるが、鬼はどんな形にも変化できる。体の一部を切り離して、建物のような形に変化させればいい。そのまま体を伸ばすと太陽光で塵になってしまうので、樹木に取り付いて混ざり合って枝葉を伸ばしていけば出来るはずだ。出来そうな気がしてきた。
 どんどんやる事が人間離れしていくが、やむなし。折角なのであるものは活用しよう。快適な住処を用意すれば、無惨もひょいひょい出ていって人を殺して来ないかもしれない。
 無惨は、床に向かって根を広げ始めた女を横目に見ながら座布団の上に座る。それから入手してきた書物を広げた。青い彼岸花に通ずる薬学の知識を頭に入れようと思っているのだ。青い彼岸花の捜索もしているが、変わりになるものがあるならばそれでも構わない。陽の光の元でも活動できる様になれれば何だって。
 昼間でも活動できる、完璧な肉体を求める無惨と違って女はさして強さや完璧さには興味が無いようだった。無惨が捜索しているのだから協力はするが、あまり積極的ではない。
 むしろ、このまま夜の闇に隠れて生きていても良いではないかと言いたげである。言ったら無惨は女を三枚に下ろしてやっただろうが、物言いたげな視線を投げるだけで口にはしなかった。
 しかし、女は無惨との平穏な暮らしを望んでいるのは思考から流れてくる。無惨とて同じだ。普通の活動ができる肉体さえ手に入れれば、後は飢えない程度に人が食えればそれでいい。女の望み通り、山奥にでも引っ込んで慎ましやかに暮らしても構わない。元より俗世の奴らに興味などない。
 その辺りが女と無惨の不一致だったが、それ以外は穏やかなものだった。女は無惨が無闇に人を殺さなくていいようにと気遣ってか、ストックしていた肉を定期的に出してくる。
 無惨は己の前に差し出された茶色い肉の入ったスープと女の顔を交互に見る。
「何だこれは」
「えっと、食事です。柔らかくなるまで煮込んでみました。味見したので大丈夫だと思うのですが、不快でしたら下げます」
 女が眉を下げ、無惨の顔色を伺う。無惨に出したということは材料は言わずもがなの筈。無惨は恐る恐る出された汁物に口を付ける。美味い。
 スープを食す無惨のことを女は笑顔で見やる。子供の成長を見守る母親の様な顔をするものだから、不快になった無惨はその顔に蹴りを入れた。
 女の首が飛んで壁にぶつかる。女は潰れた顔を即座に再生させながら、「美味しく出来たのに、何で?!」と脳内で叫んでいた。無惨の頭の中に女の姦しい思考が流れ込んでくる。
 無惨は女を鬼にして気付いた事がある。この女、人の身で仕えている時は余計なことを喋らない寡黙な奴と思っていたが、内心はかなりのお喋りでずっと頭の中で喧しく騒いでいるのだ。思考を読んでいるとあまりに喧しく不愉快なので普段は接続を切っている。たまに覗くと、やっぱり喧しいので直ぐに思考を閉じる。やはり他人の内面など見ない方がいい。

 女は何を思ったのか、料理に目覚めたようだった。人の肉を加熱したり、香り付けしてみたり、飾り切りを施してみたりするものだから無惨の方が引いた位である。そこまで熱心に調理されるとは無惨も思っていなかった。少々気味の悪さを感じながらも、不味くはないし、丁寧な盛りつけも不快では無い。ただ若干の狂気を感じただけだ。そして、ほんの少し嬉しくなった。
 人の良さそうな振りばかりする女の螺子の外れた一面は心地良い。無惨は機嫌良く、どうすれば少しでも食べやすくなるかを考えながら人をミンチにする女の後姿を眺めていた。


 無惨は特に意味もなく女の頭を吹き飛ばしたり、体をあらぬ方向に捻ってみたりする。手慰みにお手玉でも投げる様に女を蹴りあげる。即座に再生するし、痛覚を切っているので平気なのだが、鬼になった時からはじまったバイオレンスコニュニケーションに女は驚いている。
 最近は、飛んできた無惨の拳を顔にめり込ませながらも、別の場所に口をつくり出して喋るという気色悪い技能を手に入れた。だいぶ鬼生活も板に付いている。
 今も女の顔面を貫通した腕を引き抜いて、その再生を眺めていた。
「お前も頑丈になったな」
「どうも……」
 ぐちゃぐちゃになった顔面を再生しながら、あり得ない角度に曲がった腕を捻って戻す。
 強度確認の実験なのか何なのか知らないが、他人を紙屑みたいに引き裂いてみたり、鞠みたいに蹴ってみたりするのは止めてほしい。
 即座に再生するし、今住んでいる建物自体も私の肉体みたいなものだから、家が壊れるのも同じ様に直せる。そんな訳で実害はないのだが、何となく惨めになる。

 無惨が思い出したかのように居を移すというのに従って、日本各地を転々としながら青い彼岸花を探した。女はあんまりやる気がなかったが、一応は探していた。もう諦めて、夜の眷属としてのんびりと吸血鬼みたいにして暮らそうよ無惨様。そんな心持ちである。そんな事を考えていると、無惨に脳味噌をぶちまけられる羽目になるのだが。


 無惨は気紛れに肉体を変化させて、子供の姿になったり女の姿になったりした。どんな姿になっても面影はあるし、物凄い美人だったり、美男子だったりと忙しい。女は毎回大興奮である。
 今回は子供の姿になって、女の弟として街を歩いている。若い女と小さい弟という組み合わせは、他人の同情を買いやすい。ぽてぽてと歩く幼い無惨は愛らしく、女はついにやけてしまう。
「おい、やかましいぞ」
「し、失礼しました。口に出ていましたか?」
「顔がやかましい」
「か、顔が……」
 にやけた顔を抑えながら、女は衝撃を受けている。街中で脳髄をぶちまける訳にもいないので、殴られなかっただけマシだが、顔がやかましいなんて初めて言われた。無惨は一人で百面相する女を睨み付けながら街を歩く。医療関係者や、書店を回って医学書を探して、それからめぼしい野山に分け入って直接青い彼岸花を探す。
 無惨は女には伝えずに、各地を巡りながら鬼を増やしていた。二人で探すよりも、ある程度の駒がいた方が都合がいい。鬼の支配は全て無惨が行っている。位置も無惨にしか分からない。わざわざ女には伝える必要はない。女の方は、無惨との暮らしを楽しみながらご機嫌に働いて貰えばいい。


 鬼の数を増やすと、その分、鬼に殺さる人間たちも増える。その身内のなかから、自然に鬼狩りを志す者達が現れた。そうして彼等は寄り集まっていき、組織立った動きで鬼を狩るようになる。無惨は斬られた鬼達を通して、その動きに気付いていたが、大して気に止めていなかった。弱い鬼ならまだしも、無惨の敵ではないからだ。
 女は自身の見ていない所で、無惨がそれほど鬼を増やしているとは知らずにのほほんと放蕩二人暮らしを満喫していた。

 夜の闇の中、女が無惨から離れて街の散策をしていると、呼び止められる。
「そこの方、こんな遅くに女性一人で歩いていると危ないですよ」
 女が振り返ると、黒い羽織りを着た若い男だった。腰に刀を下げている。鬼狩り?でもまさか。女は困惑を表情には出さずに微笑む。
「ああ、そうですね。もう帰ります。ありがとう」
「良ければ家まで送りましょう。近ごろ、この辺りには鬼が出るのです」
「鬼?鬼ってあの角の生えた?」
 女は驚いた顔をつくって、男の方に身を寄せる。鬼に成って鋭くなった鼻で匂いを嗅ぐと、微かに刀から鬼の匂いがする。この男、鬼を斬っている。
「ええ。信じられないでしょうが、鬼は実在するのです。絵巻物の様に角の生えた鬼ばかりではありません。人にまぎれているものもいます。彼らは人を殺し、喰らうのです」
「まあ、怖いですね。でも大丈夫ですよ。近くですから一人で帰れます。夜に男性と歩いていたと家の者に知れたらその方が私は怖いです」
「……そうですか。お気を付けて」
「ええ、ありがとう」
 怪しまれただろうか。女は人間の速度を超えないように早足で歩き去る。着けられると不味い。少し回り道をして戻ることにしよう。
 感覚を研ぎ澄まして周囲を探るが、辺りに妙な気配はない。本当に偶々、女に声を掛けたらしい。しかし、街をふらりと彷徨いていて遭遇するほどに鬼狩りたちが動き出しているのは予想外だった。
 女は、この街に来て人を襲っていない。無惨もその筈だ。一緒にいる間、無惨からは人の血の匂いはしていなかった。
 意識を集中して無惨に、伝達する。

“無惨様、先ほど鬼狩りと思われる者と遭遇しました。私を人だと誤認していたのでそのままにしています”

“そうか、戻れ。始末は他の鬼にやらせる”

即座に無惨からの指示が返ってくる。
 他の鬼?動かせる鬼が複数いるのか?
 一体、何時から。無惨が私以外を鬼化させていないとは思っていなかったが、もしかすると、私が思っているよりもずっと沢山の鬼が生まれている?
 事態はもしかすると、ずっと進んでいるのか?女は急に寒気がして自分の腕を擦った。
 
 無惨の元まで戻ろうと歩いていると、暗がりから人が出てくる。
 否、人では無かった。鬼だ。
感覚的に理解する。弱い。おそらく血鬼術も使えない、位の低い鬼。大柄で、女の倍はある体躯。歪に発達した筋肉が体を覆っている。大きく開いた口からは巨大な牙が覗き、涎が滴り落ちてくる。醜い、こんな風にはなりたくない。同じだと思われたくない。
 しかし、向こう側は私の事を人だと思っているらしい。ギョロギョロした目で女を舐めるように見ていた。
「フヒヒ、美味そうだなぁ。若い女の肉は美味いんだぁ」
「私、そんなに若くありませんよ」
「ギャハハ、だから食べないっでてかぁ?」
 言いながら、醜い鬼は飛び掛かってきた。
 鬼同士の争いなんて意味が無いと思いつつ、初めて無惨以外の鬼と対峙する。人間が鬼を見た時の感覚はこれに近いのだろう。私も同じ様に見えるのか。考えて悲しくなる。
 振りかぶってきた腕を軽く避けて地面を蹴る。女の身体は人間ではあり得ない高さまで浮き上がり、その足は鬼の頭を吹き飛ばした。
 巨大な鬼の頭が女の蹴りで捩じ切れた。鬼の首はそのまま近くの河原まで飛んでいく。出来るだけ障害物のない方に蹴ったのだ。そうでなければ、建物の破壊と騒音で直ぐに人間達にバレてしまう。
 鬼同士は互いに嫌悪感を抱くようにつくられているらしいが、その通りだと思った。
 いくら不死身の鬼相手とはいえ、性格的に相手の頭を吹き飛ばす様な一撃を躊躇いなく放てるほど、女は戦い慣れしていない。それは自分でも分かっていた。なのに、あまりにも気色が悪くて、こいつをこれ以上見ていられないという気持ちが湧いてきて、思わず蹴っ飛ばしてしまったのだ。うん。今後は他の鬼には会わないようにしよう。鬼相手とはいえ、毎回相手に殺意なんて抱きたくない。





 女は他の鬼に会いたくなかったので、街の方に出るのは止めた。無惨はそんな女を面白そうに見る。
「私が鬼を増やしているのが気に食わないか。青い彼岸花を見つける為だ。そんなに拗ねるな」
「拗ねる……そうですね、拗ねているのかもしれません。無惨様のつくられた鬼を見たら、私、殺してしまいたくなるのです。こないだ初めて他の鬼と会って、我慢出来なくて、思いっ切り蹴り飛ばしてしまいました。だから会いたくないんです。私が派手に暴れたりしたら、人に紛れての調査なんて出来なくなってしまいます」
「ほう。それは面白いな。呪縛がきいているのか?それともお前が特別に嫉妬深いのか、どちらだろうなぁ?」
「両方ですよ、きっと」
 女は本当に困ったという顔をして無惨を見る。無惨はそれを見て大きく笑った。
「ククク、そうか」
 女には何が面白いのか分からない。女としては由々しき事態なのだ。飢えて人間に齧り付いてしまった時よりも、強い衝動だった。此奴を私の見えない所にやらなければ、そう思った。
 無惨が鬼を増やしているのは正直な所、気に食わない。だが、逆らえる立場にはない。邪魔をする気もない。
 しかし、一度この衝動が噴き出してしまうと、相手の鬼を捻り潰すまで止まれない気がするのだ。そして、鬼は日光と鬼狩りの刀で首を刎ねられる以外では基本死なない。不死身の鬼同士での殺し合いなど、ひたすらに不快で迷惑なだけだ。殺し合いなのにどちらも殺せない。
 唇尖らせる女を、無惨は小さい子供を慰めるように撫でてやる。
「お前はここで大人しくしていろ。私は出掛けてくる」
「いってらっしゃいませ」
 無惨は女の声を聞きながら、住処を後にする。女と各地を回って、青い彼岸花を探したが手掛りは無い。本格的に鬼の数を増やすか。人間たちの世界ももっと入り込んで人を使って探す事も考えなくてはいけない。無惨はそんな事を思いながら夜闇の中を進んだ。




 


 

 
 




 

 







 





 
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