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平安無惨の安寧を守れ!

 無惨は変わらず体調は悪そうだが、機嫌はそう悪くない。少なくとも、傍にいて看病している間は大人しい。むしろ、離れていくのを止めたりと甘えたになったくらいだ。本当にどうした?
「おい、何処にいく」
「厠へ」
「さっさと行って戻ってこい」
「はい」
 女は苦笑いして部屋を出ていく。
トイレに行くのにさっさと戻れとは。ゆっくり排泄くらいさせてくれ。少しばかり信頼された様な気がするが、せっかちなのは変わらない。ただせっかちなだけの病弱な美少年なら何年でも世話してやりたいが、今後の事を思うと溜息が出る。

 寝間にも度々呼ばれる様になってしまって、朝から晩までずっと一緒だ。私のほうが気が滅入るわ。しかし、そんな事を言おうものなら、鬼の首でも取ったように嬉々として虐められる。鬼になるのは奴なのに。
 なるほど、もしかしてこれまでの妻たちはこんな風にして心を病んだのか?気遣い疲れ?乱心してようが、寂しがっていようが他人を悩ませる男である。
 そうやって、安心し切っていたのが不味かったのかもしれない。この調子なら、しばらくは平気だろうと。毎日、処方された薬も文句言わずに飲んでいるし、体調に波があるのは何時ものことだと。
 女が何時もの通りに、水桶を持って無惨のもとに赴くと、御簾の先には血溜まりが出来ていた。
 刃物の突き刺さった男性の身体がその中央に伏している。薬師が死んでいた。
 無惨は肩で息をしながら、床を這っている。ものすごい汗をかいて今にも倒れそうだ。
「無惨様、大丈夫ですか?!」
「あぁ、此奴が襲ってきたんだ」
「……そうですか」
そういう事にするらしい。真実を知っている私としては苦々しい思いがしたが、此処で吠えても仕方が無い。呼吸の乱れた無惨の背を擦りながら、別の場所に移動させる。血溜まりの中に無惨を置いておくわけにもいかない。
「誰か、無惨様を襲った不届者の始末をしておいて」
「ひぃッ」
女は近くにいた下働きの者に申し付ける。想定していたよりずっと冷ややかな声が響いた。主人の身体を支えながら歩いている女に、あからさまに食って掛かる者はいないが、その目には不信と恐怖があら。女と無惨は共犯だと思われているようだ。その通りだろう。そうなってしまった。

 少し離れた部屋に無惨の体を引き摺るように移動させる。それから、敷物を用意して寝かせた。無惨は荒い呼吸をしながらむずがったが、大人しくしていないと本当に死んでしまいそうだ。
 寝かし付けるように無惨の体を押さえた女の手を、無惨の手が掴む。爪を食い込ませて、引っ掻かれた。女の腕に血が滲む。無惨は構うことなく、目を血走らせながら女の腕を引っ張る。縋るようにも見えた。
「ゴホッ、効かん、効かん!新薬も、薬湯もなにもかもッ私は死ぬのかッ」
「死にませんよ。少なくとも今は。息を整えて、落ち着いて呼吸して下さい。横になって」
「ゲホッゲホッ」
 無惨は激しく咳き込みながら、女の着物の袖を引っ張る。咳が酷く、息が苦しくなって生理的な涙が紅い瞳に浮かぶ。見ているだけで此方も泣きたくなってしまう様な有様だ。
 女は叫び出したい気分だったが、出来るだけ冷静な声を出して無惨を落ち着ける。何をしているのだ。薬師は死んでしまった。彼は今から鬼になる。さっさと見捨てて、何処か遠くに行ってしまえばいいのだ。そんな考えが頭を過ったが、目の前で悲痛な呻きを上げながら蹲る男を放っておくことは出来なかった。
 無惨が女の腕を掴んで離さないので、傍から離れる事も出来ずに、持っていた手拭いでそっと額の汗を拭ってやる。無惨が落ち着いて眠るまで、ずっとそうしていた。




 無惨はしばらくの間、病に伏していたが、その内に起き上がって出歩くことが増えた。女の心変わりを察してか、見張りを付けて傍においている。逃げようにも逃げられない。
 夜の闇の中、無惨が女に近付いてくる。真っ赤な目が二つ暗がりの中で輝いていた。無惨はもう、変わってしまったのだ。それは無惨自身が一番感じていた。己の肉体の急激な変化。女がそれを恐れていることも分かっていた。
「お前、私が変わったから、此処から出ていこうとしているだろう。判っているぞ」
「それは……健康になられたのなら私はもう必要ありませんでしょう」
「お前は此れを予期していた。そうだろう?だから、私が変わるまでは傍にいると言ったのだ。私が新しい、完璧な肉体を手に入れることを知っていたッ。何故、言わなかった?何故、止めようとした?」
 無惨の手が女に向かって伸びてくる。無惨は女の首筋を掴んだ。それからゆっくりと首を絞めた。これまでには無い凄まじい力。女の腕力では振り払うことは出来ない。女はこのまま死ぬのだろうとぼんやりと考えていたが、女の意識が無くなる前に無惨はその手を離した。女は大きく息を吸い込んで言葉を放つ。
「ケホッ、それが無惨様を破滅に導くことになるからです。ッ無惨様、人のいる場所から離れて、何処か遠くで暮らしましょう」
「何故だ?お前は何を言っている?」
「フフフハハハ!見ろ!力が漲っている!私はもう死にそうなんかじゃない!外へ出れるぞ」
 無惨は袖を掴んできた女を床に放り投げると、高らかに言う。夜の闇の中で生まれた鬼が大きな声で嗤った。


 女は急激に弱っていった。
 無惨が強い肉体を手に入れたのと相反するように、具合が悪いのだと床に伏せった。肉体的なものより精神的なものだ。これから人を食うと分かっている男の傍にいるのは耐え難い。起き上がる気力もない。
 女には世話係と言う名の無惨の見張りが付いている。振り切って何処かに行くのは無理だろう。無惨は夜な夜な出掛けている様だ。
 健康になったので、通う女があるとか言われているが恐らく人を食っている。考えると女は余計に気が滅入る。
 御簾の隙間から漏れる月明かりを眺めながら、女がぼんやりと寝転んでいると、暗がりから赤い二つの目が覗く。無惨が戻ってきた。
 夜も更けた時間。この闇の中こそが彼の生きる時間になったのだ。
「帰ったぞ。なんだ、まだ具合が悪いのか」
「無惨様……。私の事はお気になさらず」
「私が新しい身体を手に入れたのがそんなに気に食わないのか?それとも私の代わりにお前が弱っているのか?」
「さあ、どうでしょう。今日はよく星が出ていますね。無惨様も見られました?月も間もなく満ちます。とても綺麗でしたよ」
「ああ、帰り掛けに見た。なんだ、お前、私が他の女の所に通うのが気に入らないのか?」
「そういう訳では。無惨様の好きにされるのが良いと思いますよ。私に止められるものでもありませんから」
「フン、しばらくは此方にいる。外を一緒に出歩きたいと言っていたのはお前だったろう。早く治せ」
「はい」
 病に伏せっている方が優しい言葉を掛けられるのだから笑ってしまう。別の女と情を交わしに行っているのなら寧ろ喜ばしいくらいだ。人間を殺していないのなら。しばらく此方にいるのならば、その間は殺しはすまい。
 眠る女の手を無惨はそっと自分の手で包んだ。なぜ今更やさしい振りするのか。余計に苦しくなって、女の頬に涙が一筋流れた。



 屋敷の者達は喜んだ。癇癪持ちとはいえ、聡い主が病を退ける動ける様になったのだ。気難しい性格が変わる訳では無いが、己に余裕が出来たせいか、仕える者達にも心なしか優しくなった。
 身体さえ動けば、無惨は大変な美丈夫で頭が良く、家柄も確かな有力者だ。多くの人間が掌を返して群がった。浅ましい、と思わずにはいられない。
 女は無惨の病床の世話をする必要はなくなったが、無惨が望んだので傍にいて身の回りの細やかな事などをしている。気分は良くないが、伏せっていても仕方がないので働いているという所だ。
 女は憂鬱だったが、無惨の快癒で屋敷の中に活気が出て、華やかな宴も擁されたりした。無惨は詰まらなそうに舞い踊る者達を眺めていたが、不快ではなさそうだった。自分をダシにしてに騒ぐ道化共を見るのは愉快だったのかもしれない。
 女は喧騒から少し離れて庭で騒ぐ者たちを眺めていた。踊り、酒を酌み交わす。愉しい催しの筈だが、眺めても心は晴れない。
 いい月の夜だった。青白く光る月明かりが庭で騒ぐ者達を照らしている。
 女と無惨は、屋敷の一角から御簾越しにそれを眺めた。何を思ったのか、上等な着物を着せられて無惨の隣で宴を鑑賞しているのだ。何枚も重ねられた袿も鮮やかな模様が施された唐衣も重くて着ていられない。全く、無惨の気まぐれにも困ったものである。
 それに、貴族たちに交じって御簾の中にいるなど落ち着かない。貴族の娘よろしく男の前には姿を現すなと言われているが、女達からは陰口と嫌味のオンパレードで頭が痛くなってくる。
 無惨にねちねち言われるのは相手が鬼舞辻無惨なので許すが、よくも知らない女に嫌味を言われると汚い言葉を吐きそうになる。そんな訳で、無惨の隣にいた方がまだ安全だ。女が貴族のお嬢さんをぶん殴らないという点で。
 扇を持って若い男衆が舞い踊る。太鼓と鐘の音が響いていていて華やかだ。月明かりの下で踊る者達は狂気に駆られているようにも見える。
 無惨は庭先で踊る者達を見下ろしながら隣の女に向かって言う。
「おもしろいか?」
「まあ、お酒は好きですよ」
 宴はともかく、酒とご飯は好きだ。言いながら無惨の杯に酒を注ぐ。無惨は女に注がれた酒を一気に煽った。
「私も酒を飲む事ができる様になるとはな」
「そうですね。とても喜ばしい事です」
 女は無残に向かって微笑んだが、彼が直に人の食べ物を受け付けなくなるのを知っていた。完全な鬼になればそうなるはず。人間を食べなくても、動物の血肉でも多少の代用は可能だった筈だが、基本的には人の食べ物は受け付けなくなる。
 無惨だけが始祖として特別でない限りは他の鬼と同じ様に嗜好品を楽しめなくなるのだろう。それは寂しい事だと思った。二度と食べる事も飲む事も出来ない人間を数多に生み出す筈の男に思うことでは無いなと女は一人自嘲する。
 寂しげに微笑む女を見ながら、無惨は満足気に頷いた。








 無惨は陽の光の中に出られなくなった。はっきりと見た訳では無いが、日中にはほとんど姿を現さなくなった。たまに姿を現す時は、暗がりから眩しそうに女を見ている。
「おい、こっちへ来い。陽の光の当たらない所へ。もっと私の傍に」
「無惨様?」 
 御簾の隙間から姿を現した無惨は、女を自分の方に引き寄せる。外から差し込む日光が己の肌を焼くのを分かっているのだ。アレに当たれば無惨は消える。
「私の傍にいろ。陽のあたる場所には近付くな」
「それは……」
「いいから黙って従え」
 有無を言わさぬ無惨は、真っ赤な目で女を見下ろす。日光の中にいると無惨は女に手を出せない。それが面白くないのだろう。女は諾々と従う。



 屋敷に新しい無惨の妻がやって来た。
 無惨は夜に出歩くようになったので、妻通いも出来るようになったのだろう。無惨がしばらく通って、妻の方がこっちに移ってきたのだ。
 新しい北の方は随分と位の高い方の様だ。平安時代の階級なんかよく知らないが、無惨にとっても役に立つのだろう。だから妻として置いておくのだ。無惨が愛に目覚めたのなら、それはそれで愉快だが、彼に限ってそういう思考はないだろう。無惨は『青い彼岸花』に気付いた様で、自分で調べるのは勿論、人を使って探させている。人間の地位がある方がいいのだろう。この婚礼でまた彼の位が上がる。

 私はというと、大変に微妙な立場に置かれている。何の後ろ盾もないので、妻扱いはされないが、どう考えても無惨の女だ。無惨の一声で、屋敷の中の何処でも出入り自由の特権付き。私自身が屋敷から逃走しないように監視付きなのがいただけないが。側仕えというか、情婦というか。そして無惨は私が人間関係のストレスを感じていようが気にしない。それはそうだ。そんな共感性があったら、鬼舞辻無惨じゃない。
 そんな訳で、北の方に呼びつけられた挙句にねちねち嫌味を言われている。今度の方はそんなに美人でもない。前の奥さんのほうが美人だったな、と大変失礼な事を思いながら、扇で顔を覆う北の方を見やる。相手の方も女の視線から悪意を感じ取ったのか眉を顰める。
「無惨様に少し気に入られているからって、随分と大きい顔をして。少しは身の程を弁えては」
「それは無惨様に直接言って下さい。私は無惨様に言われたら直ぐにでも出ていきますよ」
「嫌だわ。口の利き方もご存じないのね」
「庶民ですので。失礼します」
「お待ちになって。貴方もずっとここで仕えている訳にもいかないでしょう?何処ぞの殿方と縁談を組んでみてはどうかしら。丁度、よい方がいるのよ。伊勢の方まで足を伸ばすことになりますけれど、貴女には都暮らしよりも余程良いでしょう」
「それは……」
 願ってもない。無惨が人を食い殺す所など見たくない。そういう体で出て行けるならば、そうしたい。しかし、それをやると無惨は機嫌を損ねるだろう。執着があるというよりも、遊ばなくなっとはいえ、自分の玩具を他人に取られるのは嫌、という感じだ。絶対に癇癪を起こす。無惨が人を殺すのも見たくないが、私も死にたくもない。
 北の方は扇の下でにんまりと笑う。
「いいお話でしょう?」
「いえ、お断りします。無惨様に怒られますから」
「……無惨様も、ずっと貴女の事を思って下さる訳では無いわよ。殿方の心は移ろいやすいもの」
「そうですね。ですから、北の方様が無惨様のお心をよく掴んでおいて下さいね」
「随分と私の事を軽んじておられるのね」
「違います。無惨様のことを重んじているのです。私はそれ以外にはそんなに興味ありません。失礼します」
 素早く立ち上がって部屋から出る。御簾の後ろで北の方が何かを投げた音がした。
 完全に怒らせた様だ。やっちまった。口は災いの元だ。要らないことを言いまくってしまった。明日から、屋敷の者達に嫌がらせされる日々だろう。頭が痛い。

 女が自室に戻ってぐったりしていると、部屋に無惨が入ってきた。陽の光が差さない場所では元気いっぱいの無惨は、直衣に黒い冠を被ってお出ましだ。朝廷に参上していたのかもしれない。
 座り込んで蟀谷を抑えている女とは対照的に、涼しい顔をして優雅に微笑んでいる。
「無惨様。失礼、気分が優れなくて。何か御用でしょうか」
「いや、顔を見に来ただけだ。此方へ来い」
 我が物顔で胡座を組んで座った無惨は、女を手招きする。近くまでにじり寄ってきた女を抱き寄せる。無惨はやさしく微笑んで女の顔を撫でる。真っ赤な瞳が女を射貫いた。
「お前はよく私に仕えてくれている。あの女の事は気にするな。暫くは必要だから置いておくが、直に居なくなる。その後はお前を正式に私の妻にしてやろう」
「無惨様、聞いていらしたんですね」
「……ああ。お前の忠心はよく分かったぞ」
 無惨は妖艶な笑みを浮かべて、女の頭を抱き寄る。女は震え上がった。
 本当に、北の方の提案に頷かなくてよかった。機嫌よく女の身体を撫でる無惨に冷や汗が止まらない。完全に離れ時を見失ってしまった。役に立たない、裏切ったと判断されたら確実に無惨に殺される。
 無惨は、身を小さくして震える女の顔の顎を掴んで持ち上げるとやさしく口付けた。無惨の顔は穏やかに微笑んでいる筈なのに、驚くほどに冷たい気配がする。ひんやりとした手が身体に触れるのを感じて、女は身を捩る。
 身体を重ねれば重ねるほどに、心の距離は開いていく気がするのはどうしてだろう。無惨はどんどん人から遠ざかり冷酷になっていく気がする。女はそれを感じつつも、跳ね除ける勇気も、受け入れて人を傷付ける側に回る覚悟もない。ずっと宙ぶらりんで無惨の後ろをオロオロ付いて回っている。なんてたちが悪いのだろう。いじめをみて見ぬふりをするやつもいじめに加担しているのと同じ理屈で、無惨が人を傷付けるのが分かっていて付き従っているのだから同罪だ。
 無惨ほど己の為に何をしてもいいと振り切れているならば、いっそ小気味いいのに。そうなれたらいいと思う。そういう風になれたら、無惨の傍にいるのが辛いと感じることも無いのに。
 女の胸中など知らず、理解も出来ない無惨は、己に都合のいい駒として使えそうな女を手に抱いて気分良く畳の上に転がった。床に伏していた時よりも遥かに強靱になった筋肉質な腕で女を抱き締める。あたたかく柔い身体の熱に触れながら、安らぎを感じると共に壊したいと思う。
 無惨は人が喜ぶようなものを、求めるようなものを壊したい衝動に駆られることがある。それがおかしなものとは思わない。けれど、今の無惨にはそれを実行してしまえる力がある。目の前の柔らかな女の身体など、簡単に引き裂いて、潰してしまうことが出来る。いま少し、我慢しておこう。衝動を理性で抑えながら、女の小さな頭を撫でる。その頭蓋を握り潰すことを同時に想像しながら。
 
 
 
 無惨の衣装を並べて天日干しする。色取り取りの上質な着物達が風ではためいている。
 最近の無惨は出歩くので色々と、お洒落着を沢山用意しているのだ。平安時代のファッションは詳しくないが、色々用意しておくと無惨が好きなものを着ていく。色男の衣装選びは楽しい。内面には大変な問題があるものの、見目麗しい無惨を着せ替えできるのだけは側仕えの楽しみとして譲ることは出来ない。
 屋敷の者にこういう事は北の方がやるのだとか言われたが断固として拒否した。無惨はにやにや笑ってそれを眺めていた。だいたい無惨は女が嫌がったり怒ったりしていると喜ぶ。女も段々と傾向が分かってきた。だがこれは譲らない。



 女は、無惨の前に大量の衣を広げる。無惨はそれをみて片眉を上げた。女は特に推している布地を手にとって無惨の前に突き出した。
「無惨様、こっちはどうです?花柄ですけど色が渋めなので男性でも全然いけると思います。いや、無惨様が着られるならば、もっと派手な方が良いですかね?あ、こっちの生地は柔らかくていいかと思いまして、それでそちらの黒いのはシックで凛々しく見えると思います。それで……」
「黙っていろ」
「ハイ」
 マシンガントークが始まったので無惨はうんざりして女を黙らせた。己の美貌への賛辞を聞くのは悪くないが、異様にハイテンションの女は気色悪い。それに、押し付けがましいのを無惨は嫌う。選ぶのは無惨だ。
「そういえば、お前の袿はどうした。いくつか見繕っておけと言っただろう」
「あ、はい。すみません。まだ……」
「私がやれと言ったことを何故やらない。着物を二三見繕うのがそんなに難しいか?私の前で見窄らしい格好をするなと言っているんだ」
「申し訳ありません。すぐに代えます」
「いい、私が選ぶ。商人を呼んでこい」
「はい」
 女はしょぼくれて商人の所に人をやる。
 今日は久々に楽しいイベントのはずだったのに速攻で落ち込んだ。
 お前はいい子だから、ご褒美に服買っていいよ!を守らなかったら怒られた。酷い。まさか、ご褒美も強制受け取りしないと文句を言われるとは。何でだよ。気紛れすぎるよ無惨様。今日は貴方の服選びだよ。私の厳選チョイスを着てくれるんじゃなかったのか。
 項垂れる女を前に無惨の方はご満悦だった。私が直接選んでやるのだから光栄に思えと言わんばかり。上等な着物は綺麗だが、重くて動きにくいし、無惨に厚遇されると北の方から虐められるのでそんなに嬉しくない。
 無惨が忘れるまでそっとしておこうと思っていたのだが、こんな時ばかり確認するのだから嫌になる。何も考えずにその時に言われた通りにしておけば良かった。
 わざわざ商人を呼びつけて女の着るものを選んだなんて知れたら、北の方の一団からそれはもうネチネチと言われるに違いない。汚い言葉で罵り返していいならばそれも耐えられるが、最低限言葉を選ばないといけないので文句を言い返すのも面倒くさいのだ。
 無惨が必要と判断して置いている妻を相手にあんまり派手にやり込めても無惨の不興を買う。どう扱っても非常に面倒くさいので、触れたくないのが本音だ。毎日、鬼になった無惨に殺されやしないかと冷々しているので人間の女の嫌味など大して怖くなくなっている。うんざりはするが。嫌な感じで精神的な強さが手に入ってきている。こんなに強かだっただろうか。

 商人が営業スマイルを浮かべて紹介した衣装を無惨が吟味して選ぶ。無惨は新しいものや、お洒落なものは好きだ。変化を嫌うのに新しもの好きという矛盾。古典をスマホで読むみたいなものか。まあ、気持ちは分かるけど。無惨の中では彼自身がルールなので、何でもありだ。
「これを。支払いを済ませておけ」
「はい」
 無惨が選んだものを引き取って、金子を支払う。商人は無惨に「お目が高い」等とおべっかを言っている。あんまり色々言うな、殺されるぞと教えてやりたい所だったが、無惨は面白そうにそれを聞いていた。今は機嫌がいいらしい。安堵しながら広げた布地を片付ける。




 明日目、無惨から着物を用意された話を聞いたのか北の方に呼び出された。大変に憂鬱なことだが参上しないわけにもいくまい。位の高い方からの呼び出しの無視は、唯でさえ屋敷の中では浮いているのに角が立ち過ぎる。
 女は御簾をくぐって北の方の前に座す。
「貴女が無惨様のお傍にいるから、私のところにはお渡りがないのよ」
「そんな事はないと思いますが。先週も行かれた筈です」
「ッこちらに参られて少し話をされただけよ。父上から、早く子を為せと責められる私の気持ちが貴女に分かって?」 
「それは、お気の毒です」
「馬鹿にしてッ」
「していません。本当に、そう思います。貴族の子女の方々には私とは違うお悩みがあるのは分かっています」
 無惨が抱いてくれないよ、というのを責められている。なんでこんな事まで私が面倒見なくてはいけないのだ。基本的には階級社会なので、北の方に呼ばれたら無視というわけにもいかない。それでこんな話を延々されているのだ。無惨に言えよ。
 真面目な話、鬼になった無惨には性衝動の様なものは無いのでは。不死の肉体を手に入れた男に次世代を残す必要はない。無惨は女の寝室には入って来るが、隣で女が寝ているのを見ているだけだ。それも怖いから止めてほしいが。暗がりにあの紅く光る目が二つ浮いているのを発見して心の臓が止まるのかと思ったのは一度や二度ではない。
 まあ、女の所が本邸で、たまに思い出して北の方の所に行くくらいなので北の方の側からすれば忌々しい限りだろう。それくらいの想像はできる。
 しかし、この入れ込み様、無惨も北の方の前では上品に振る舞っているのだろう。その必要があれば無惨もそれくらいは出来る。二重にお可哀想な事だ。無惨様、私にももう少し気を遣ってほしいな。
 さめざめと泣く北の方を冷めた目で見る。泣いている人間を前にしてこんなに冷ややかにしているなんて、何時からこんなに冷血になったのだろう。昔は泣いてる人間を見ると貰い泣きして悲しくなっていた気がするのだが。無惨に毒されているのだろうか。それとも、内心ではざまあみろと思っているのか。

 無惨は私が北の方にネチネチと言われて戻って来ると、大体は愉しそうにしている。
 無惨はどうやっているのかは分からないが、二人の会話を聞いている。女の醜い争いを鑑賞して愉しんでいるのである。昼ドラ見てるみたいな感覚だろうか。自分を取り囲んで行われる愛憎劇を眺めて悦に浸っている。止めてほしい。やるなら私と関係のない外でやってほしい。
 部屋に戻ると無惨は我が物顔で座していた。嫌味を言われてぶすくれた顔で帰って来るであろう女を待ち構えていたのだ。
「随分な言われ様だったなぁ」
「まあ、向こうのお気持ちも分かりますので」
「ほう?奴を殺してやろうとは思わないのか?」
「無惨様の役に立つから置いておられるのでしょう?まあ、喧しいので何処か遠くに行ってくれないかなとは思います。あんな事を私に言われても困りますので」
「そうだな。ククッお前も変わったな」
「そうですか?そうかもしれません。昔はもっと、他人に優しかった気がします」
「それでいい、それで。もっと強く、賢く、冷徹になれ。そうすればきっとお前も変われる……」
「変わりたくはないのですが」
「そうだ。それでいい。新しく生まれ変わって、不変の存在になるんだ」
「矛盾していますよ」
「いいや、していない。変化する世界の中で変わらないでいるという事はそういう事だ。人と違う、新しい生き物になる」
「それは、そうかもしれません」
 無惨の理屈では筋が通っているのだろう。何も解決していないが、無惨にその様に言われると納得した様な気分になる。彼の言葉は麻薬の様に人間の中に染み込んでいく。それこそが隠されていた真実なのではないかと人に錯覚させるのだ。無惨はそうやって人の心を掌握する。
 静かに目を伏せた女に気分を良くした無惨はさらに問いかける。
「朱雀大路で人喰いの鬼が出るという話を聞いたか?」
「そうなのですか?」
「……ああ。どう思う?」
「どうも。私に襲ってこなければいいなと思いますが」
 無惨は愉快そうに女を見やる。
「フッ、そうだな。鬼はお前を襲うまい」
「左様ですか」
「気付いているのだろう?私がその鬼だと言うことに」
「……ご冗談を」
 無惨の目には確信の色がある。赤い目の奥の瞳孔が開く。ギラギラと光る鬼の瞳は女を値踏みする様に見る。
「いや、お前は気付いている。なぜ、知らぬふりをしている?私に聞きもしなければ、役人に突き出すこともしない。お前は何を考えている?」
「何を、と言われましても。死にたくないですから。それだけです」
「そうか、分かったぞ。ではお前を鬼にしてやろう。私の血を分けたものは鬼になるのだ。強靭な肉体が手に入るぞ、私と同じになれる」
「それは……」
 女は口籠る。こればかりは簡単に頷けるわけもない。無惨の悪事に加担しておきながら、自分が明らかな加害者になるのは嫌なのだ。大変に都合のいい事だが、人間の本質はそういう所にあると思っている。
 無惨がじっと女を見つめる。その一挙一動を観察している。
「嫌か?」
「私は人のままでいたいです。人間を食う所を無惨様に見られたくありませんし」
「ほお?私も人を食うぞ」
「それは自由になさって下さい。私は人間を食べるのは、その、気持ち悪いのです」
「我儘な女だな」無惨は鼻を鳴らした。その声には嘲るような響きがある。
「申し訳ありません。気に入らなければここで首を刎ねて下さい」
「……いや、お前は役に立つ。しばらくは人のままでも構わん。それに、日中に動ける人間がいた方が都合がいい」
「ありがとうございます」
 深々と頭を下げる女を眺めながら無惨は息を吐く。比較的、信の置ける女を鬼にしておこうかと思ったが、日中自由に動けない無惨の代わりがいた方が都合がいい。
 これまでずっと無惨に付き従って来た女ならば二つ返事で鬼化を受け入れるかと思ったが、まだ足りなかったようだ。鬼になる事を心から受け入れさせるのは難しい。
 鬼化を何度か試して、拒絶反応が出る人間がいるのは分かっている。女はその部類だ。直感的に分かるのだ。無惨は便利な駒使えをみすみす殺したくない。
 理性的で、我の強い人間の方が強い鬼になる。適当な者に血を与えると、まともに話も出来ない人の血肉を求めるだけの粗忽な鬼となる。
 実験体は使えそうに無かったので処分したが、雑用をこなす者は一人くらいはいた方が良い。手間が増えるので、無闇に増やしたくはない。勝手に動き回る鬼共の管理だって楽じゃないのだ。
 無惨の中で一番使い勝手が良さそうなのがこの女だった。今しばらくは人のままにしておくか。その内に慣れるだろう。これまでもそうだった。そのように考えて、無残はしばらく女を人ままにしておく事にした。
 それから、無惨と女は、無惨が昼間の日光にも耐えられる肉体を得る為に青い彼岸花を探したが結局見つからなかった。












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