人魚の恋
フロイドと仲直りして、一線を越えてからフロイドの女への執着は一層強くなった。
今までも充分に女にくっついて回っていたが、所構わず女にキスしたり撫でたりするので周りの人間の目の毒だった。
女は目立つのは嫌だったが、はっきり言ってフロイドと一緒にいるだけで目立つので、スキンシップをしようがしまいが特に変わりないという認識だった。
オープンなのは文化の違いだろう位に考えていた。
女が思っているより、女の変化は顕著だった。
フロイドが女の生活に遠慮なく介入し始めたので、食生活は改善され、衣服はフロイドからの貢物で華美になり、女に構いたがるフロイドに朝から化粧を施された女は目に見えて美しくなった。
人魚は美髪である事がある種ステータスとなるので、ヘアケアにこだわりのある人魚も多い。
フロイドも自分の髪にそれ程のこだわりは無いが、許されるなら幾らでも女の髪に手を入れたかった。
オンボロ寮に殆ど泊まり込んでいるフロイドは毎夜せっせと女の髪を梳いた。
女の変化にいち早く危険を感じ取ったのは教師陣である。
そもそも男子校に女性がいるというは風紀的に如何なものかという話であるが、これまでは女も監督生も女っ気を出さず、そういった色恋沙汰のトラブルが起こりようもない空気が出来上がっていた。
しかし、ここに来て明らかに風紀が乱れはじめた。
フロイドの手前、女に対して、露骨に好意を示す者は少ないが、水面下にて雄の醜い争いが発生していた。
「あれ?運動着、忘れた?」
女は寮を出る前に荷物を確認し、持ってきたつもりだったが、持参したはずの運動着が無い。
寮に忘れたのかも知れない。
「どうしようかな」
当然の様に女に張り付いているフロイドが声を掛ける。
「ど〜したの?」
「いえ、運動着忘れちゃったみたいで」
「オレの貸したげる〜♡」
言うが早いか、マジカルペンを振ったフロイドの手に、脱いだものを乱暴に突っ込んだ様にしか見えない布袋に包まれた体操着が現れた。
洗濯してないものを人に貸せるの凄いなと女は思ったが、贅沢を言ってる余裕はないので、ありがたく頂戴しておく。
にこにこ笑うフロイドから体操着を受け取り、別室で着替える。
「うん、どう考えてもでかい」
袖を折り、パンツの裾も折ったしウエストも絞ったが、どう考えても大きい。バルガスにふざけてるのかと怒られないだろうか。
「いいじゃん、かわいいよ」
「運動出来ます?これで?まあいいや」
「いいんだぁ。前から思ってたけど、結構大雑把だよねぇ。」
「まあ、そうじゃないと異世界で生きていけないんで」
「あはっ、じゃ頑張ってねぇ」
「はい。フロイド先輩もちゃんと授業出てくださいね!」
女は授業に遅れるよりは良いかと思い、サイズの合わない運動着で授業に向かった。
女が寮にあると思っていた運動着は、そのまま見つからなかった。
運動着が無くなった事で、何となく嫌な予感はしていたが、それから女の私物は次々と無くなった。
フロイドに相談すれば、犯人を見つけてくれるだろうが、トラブルになるのは想像に易い。
女は考えた末、教師陣に相談してみることにした。
動機は何にしろ、やっている事は窃盗だし、女としては物が戻ってくるよりも、学校側に新しものを支給して欲しいという気持ちのほうが強かった。他人に盗まれた運動着やら実験着やらが返ってきたとしても、もう一度袖を通したいとは思えない。
「今、なんと?」
職員室に向かうと、クルーウェルとトレインが何やら話している様だったので、この二人ならしっかりと対応してくれそうだと判断して、女は事情を打ち明けることにした。
「はい、最近、運動着や実験着とかあと文房具とかの小物が無くなっていて、恐らく誰かが故意に持ち去っていると思うんですけど、どう対応すべきかなと思って相談に…」
「なんてことだ」
「躾が必要な様だな」
トレインは女の心情を鑑みて沈痛な面持ちで、女に同情の視線を投げ、クルーウェルは不届者をどう処分すべきかと考えた。
基本的に運動着などは最初の一着は学園から支給されるが、その後の追加は自費での購入である。しかし今回にあっては、事情が事情なので学園側で新しいものを用意して貰える様になった。
女は望む通りの結果が得られて満足だった。
しかし、教師陣としては、それて終わりにするわけにもいかない。
恐らく犯人は再び犯行に及ぶだろう。
よって、女の私物に予め追跡魔法を掛けておいて、不届者を特定する算段となった。
「もし、不届者が危害を加えて来そうな状況になったらこれを押しなさい」
「なんですか?防犯ブザーの様なものですか?」
「まあ、そのようなものだ」
「分かりました。ありがとうございます。」
女はトレインから特に何もなくても物凄く押してみたくなる赤いボタンのついたスイッチを渡された。しかし、有事以外で押すわけにもいかない。そっとポケットに入れておく。
フロイドは、女の周りに妙な気配があるのに気付いていた。
教師陣の魔法の跡があるのは、不快だがこの学園での女の安全を思っての何かの魔法だろうと判断出来る。
それよりも、近頃、女の周りでする獣の匂い。
女の事を文字通り嗅ぎ回っている、陸の獣がいる。
誰の獲物に手を出そうとしているか思い知らせてやらねばいけない。
獰猛な海の怪物は、その不快な獣の匂いを追っていた。
教師陣と話した通り、運動着は再び消えた。
犯人が反省していて、何事もなく収束すれば女としては何も見なかった知らなかった事にして終わりで良かったのだが、そう簡単にはいかないようだった。
憂鬱な気持ちになりながら、職員室に向かう。
廊下を歩く女の前を一人の男子生徒が遮った。
サバナクローの腕章をつけており、茶髪の間から茶色の耳が生えているので獣人族の様だった。
男はにやにやと薄ら笑いを浮かべながら、手に持っていた何かを女に向けて差し出す。
「なあ、これお前のだろ?」
「ん?それ、私の運動着です。どうしたんですか?」
「拾ったんだよ」
男の言葉が真実かどうか計りかねたが、自分の記名の入った運動着は紛れもなく女の物だった。
「そうですか、返してもらっても?」
「いいけど、返したら何してくれんだ?」
「は?」
「お礼くらいしてくれていいだろ?一発ヤらせてくれるとかさぁ?ウツボ野郎とはヤってんだろ?」
女は自分の頭に血が昇るのを感じながら、ここで揉めても仕方が無いと、己に言い聞かせて冷静に返答した。
「そういうことなら、要りません、捨てといてください」
「怒んなよ」
男は下衆な笑みを浮かべながら値踏みするように女の上から下までを舐めるように見た。
女はうんざりして言い放つ。
「いいですよ。ほんとに。それこそ私の大好きなウツボの人魚に新しいの買ってもらうんで♡」
「この売女がっ」
「は?お前が先に喧嘩売ってきたんだろうがよ」
獣人の手が女に向かって伸びる。
女は、フロイドに直接食って掛かる勇気がない癖に、女の前でだけ一丁前に強いフリをする獣が嫌いだった。そして、そんな獣より力がない己が何より嫌だった。
少々の怪我は止む止むを得まいと覚悟した女は、獣人の男と掴み合いになる。
腕力で勝てるなんて最初から思っていない。
しかし、女相手ならどうにでも出来ると思っている男の態度は不快だったし、フロイドの事を言われたのが女にとって我慢ならなかった。
女は躊躇なく男の目を狙った。男は目潰しは避けたが、女はそのまま男の金的を蹴り上げ、蹲る男の頭を踏み付けにした。
「ギャンッ」
想像より激しく抵抗した女に、男は一瞬怯む。
しかし、最初の不意打ちの後は男のほうが有利だった。
力では圧倒的に劣る相手だ。
腕を軽く捻り上げれば、成すすべ無く床に倒れた。
女は少しだけ冷静になっていた。
床に転がりながら、ポケットに入れていた防犯スイッチの事を思い出す。
しかし、現在の両手を男に掴み上げられて、床に転がされている状態では取り出すことは出来ない。
何とかポケットから取り出して、スイッチを押さなければ。
男は馬乗りになって女の身体を弄りはじめた。
女は妙な感覚だった。
自分の身体なのに、自分の身体じゃないみたいだ。
触られていることは認識出来るが、それは他人事の様だった。
「やってくれるじゃねえかよ」
「触んな」
「おお、怖え怖え、あんな磯臭いやつより俺のほうが良くしてやるからよ」
「既に一つも勝ってるとこないけど?」
男の平手が女の顔に飛んだ。
痛みはきちんと認識できた。
女の口の中に血の味が広がる。
叩かれた際に、口の中が切れたのだと冷静に思った。
とりあえずこの獣人には後程たっぷりと報復しようと考えながら、女は感覚を失っていく自分の肉体を眺めた。
女が何の反応も示さなくなったので、男は面白くなかった。こういうのは抵抗してくれないと興が削がれるのだ。それでも柔らかな女の身体は魅力的だった。
制服のワイシャツの上から女の身体を乱暴に撫でた後に、その服の下の柔らかな肌に手を伸ばした。
「きたねぇな」
それを眺めていた女が男に向かって呟いた。
「そのきたねぇ男に今からぶち犯されるのわかってる?」
「絶望だよ、吐きそう」
「乱暴にされるのが好きみてぇだなぁ」
「下手くそなだけだろ」
「この女っ」
再び男の拳が飛んだ。
痛みに呻く女の服を乱暴に脱がしながら、男は高揚していた。
圧倒的優位だった筈だった。
男は、人魚の長く美しい足による回し蹴りで宙を舞った。
フロイドが、獣と女の匂いを追ってやってきたのだった。
女は、腕力でもって女をねじ伏せながら、女に覆いかぶさっていた男が軽々と宙に浮くのを眺めていた。
そこからは一方的だった。
フロイドに一矢報いる事すら出来なかった。
フロイドにサンドバックにされた男は、顔面が腫れ上がり、手足が本来と違う方向に折れ曲がった。
女はその様子を嗤いながら眺めていた。
力でもって女を組み敷いていた男が、更なる暴力によって見るも無残な姿にされていくのは滑稽だった。
「あはは」
「っ、何、笑ってんの」
一言も発さずに男を血濡れにしていたフロイドが、泣きそうな顔をして女を振り返った。
形の良い眉を寄せ、笑みの似合う唇を引き結んで、女よりずっと傷付いた顔をしていた。
「いえ、その人がフロイドさんにぼこぼこにされてるの、面白くて、ふふっ」
「すげえ趣味してんねぇ」
フロイドが思っていたより、女はずっと強かった。
「フロイドさん、一緒にお風呂に入りましょう、それで、そいつの返り血、洗い流しましょうね」
「ウン」
「顔、殴られたの?痛いよね、後で治癒魔法掛けてあげんねぇ」
フロイドは、腫らした顔で笑う女を見て居た堪れない気持ちになり、己の不甲斐なさを責めた。
怪我をした女を見るくらいなら、自分が殴られた方がずっとマシだった。
しょんぼりと肩を落とすフロイドに、女は笑って言った。
「いえ、暫くこのままで、先生達に見せに行きましょう。私は全力で被害者面しますよ。」
「あはぁ♡ただではやられねぇって?」
「そういう事です!でも、後で泣いてしまうと思うので、今日は一日、一緒にいてくださいね」
「いいよぉ、遅くなってごめんね。守ってあげらんなくて、ごめんねぇ」
「守ってくれてますよ。ちゃんと。来てくれて、凄く嬉しかった。」
結局、男の部屋から女の運動着やら実験着、果ては女の使用済みの塵紙に至るまで、大量の証拠物件が出て来た事が決定打となり、男は退学になった。 フロイドの暴力については、まるで無かったかのように葬られた。
「あの人、退学になっちゃったんだ。学校に残ってたら、毛皮を剥いでカーペットにして良かったのに、残念。」
女がポツリと呟いた言葉は学園中に広まり、女はナイトイレブンカレッジの絶対に触れてはならないものの一つになった。
トレインから貰った謎のスイッチの効果は結局分からないままだった。
女は、次にトラブルがあったら押すぞと意気込んでいたが、ついぞ機会は訪れなかった。
フロイドの中で結婚ブー厶が来ている様だった。少なくとも女はそう認識していた。
「ねぇ、オレが卒業したら結婚しよ♡」
「はあ、私はいいですけど、フロイドさん、いいんですか?ご家族とかに反対されません?」
「なんで家族が出てくんの?…ねぇ、まさかジェイドと…」
すうっと真顔になったフロイドを見て慌てて否定する。
「いや違います!どちらかというと、ご両親の方です」
「ええ?なんか関係あるぅ?」
「うん、フロイドさんが気にしないならいいです」
「やったぁ♡」
女を持ち上げて踊り出したフロイドに振り回されながら、今後の人生ずっとこんな感じなのかと想像した。
女はフロイドとジェイドが入れ替わったとして、すぐに気付く自信がない。
並んでいれば違うとは思うが、お互いのフリをしたリーチ兄弟は女には同じに見えた。
そういう話をしたせいか、フロイドは女がジェイドに奪われる可能性について考えるらしかった。
フロイドはそれとなくジェイドと女が二人っきりになることが無いように気を回しているように見えた。
ジェイドの方はフロイドが警戒しているほど、女に対する興味自体が無さそうなので徒労だと思うのだが、兄弟なので気になるのかもしれなかった。
フロイドは卒業したら女と結婚すると学園中に言い触らした。なんというか、かわいい人魚である。
女は、上手くいかなかった時のことを考えると口にしないでおこうと考えるタイプだったが、フロイドがいいならいいかと、流れに身を任せた。
給仕するフロイドを眺めにモストロラウンジに顔を出すと、フロイドは厨房にまわったらしく客席にはいなかった。
フロイドがいないならドリンクだけ飲んで帰るかと思った女だったが、珍しくジェイドが女に近づいてきた。
ジェイドはカウンター席に女を通すと、頼んでいないドリンクをテーブルに置いた。
「まだ頼んでませんよ」
「僕からのサービスです。その代わり少しお話をしませんか?」
ジェイドは綺麗な笑みを浮かべると、口元から鋭利な歯をのぞかせた。
女は普段と違うジェイドの様子を訝しみつつも、カラフルなドリンクに口をつける。
「いいですけど…」
「ふふ、ねえ、貴方はいいんですか?」
「何がですか?」
「フロイドは、卒業したら貴方と一緒になると触れ回っていますが」
「そうですね、そういう話をしましたよ」
「失礼ですが、貴方はそれを望んでいるようには見えません」
貴方のお気持ちに寄り添っているんですよとばかりのパフォーマンスをしながら、ジェイドはうっそり笑った。ジェイドの言葉は、まるで自分がそう思っているかの様に錯覚させる力があると思う。自分の美貌と言葉を、他人を誘導することに使い慣れている。
「そうですか?」
「何故、フロイドなんですか?」
「はい?」
「他の方では駄目なのですか?」
「はは、そうですね、フロイドさんよりいい男がいたら、考えますよ」
「なら…」
「何してんのぉ~」
「おや、フロイド」
ジェイドが何か言いかけたが、厨房から抜け出してきたのであろうフロイドが、女の後ろに立っていた。
ジェイドとフロイドの間に、無言の攻防があった。
女はピリついた空気を感じて、内心溜息をつきながらドリンクを啜った。
「フロイドさん、今日厨房だったんですね。働いてるフロイドさんを鑑賞しようと思って来たんですけど外したかと思いました。」
「もぉ、来るなら連絡してって言ってるじゃん」
「会えるかどうかわからんギャンブル性を楽しんでるんですよ」
「意味わかんねぇ〜オレはちゃんと会いに来て欲しい〜」
「まあ、会えたじゃないですか。ていうかいいんですか厨房空けちゃって。たぶん他の人が困ってるでしょう?」
「困らせとけばいいじゃん」
「いや、私の良心が痛みます」
「は?雑魚とオレどっちが大事なの?」
「大事なのはフロイドさんですけど、お仕事は真面目にしてほしいですね。」
女がいる間は厨房に戻る気がなさそうなフロイドの様子を見て、女は早めに店を出ることにした。
フロイドに言っても引き留められるのは目に見えているので、カウンターのジェイドに声を掛ける。
「ドリンク飲んだんで、今日は帰ります。お会計お願い致します。」
「お代は結構ですよ。サービスだとお伝えしたでしょう。」
冷ややかな声でジェイドが答える。
表情は相変わらずの笑顔だが、怒っているようだった。フロイドは気紛れだが分かりやすい。不機嫌なジェイドは、何に怒っているのかが分からない事が多いので、女には恐ろしかった。
「私、モストロラウンジで無銭飲食ばっかりしてる気がします」
冷えた空気を振り払うように、肩をすくめておどけた調子で席を立つ。
「オレが払ってるから平気〜てか、ジェイドからドリンク貰ったの?なに、浮気?」
「違いますよ、お話してただけです」
「ジェイドさん、ご馳走様でした」
「ええ、またいらして下さいね」
謝辞を伝えると、全く感情のこもっていない挨拶をされて、女は少しだけ悲しくなった。
モストロラウンジに、凄い美人が来店しているらしいから見に行こうぜと、男子生徒達が駆けていった。
ナイトイレブンカレッジには、一般開放日がある。
学生以外の街の人や観光客に敷地の一部が解放されるのだ。
中でも、お洒落で映える、モストロラウンジは人気の場所だった。
学園に住んでいる女としては、わざわざ人の多い一般開放日にモストロラウンジに行く必要は無いので、行ったことはなかった。
しかし、先程駆けていった生徒の発した『凄い美人』というのが気になる。
女はちょっとした野次馬根性で見に行くことにしたのだった。
モストロラウンジは想像通り人でごった返しており、女は中を覗いたら引き返そうと決めた。
女はモストロラウンジでは顔パスなので、少々不審な動きをしても店員から咎められることはない。
軽い気持ちで中を覗いて後悔した。
フロイド・リーチの上にシルバーブロンドの美女が乗っていた。
正確に言うと、ソファーの上で美女がフロイドに迫っていた。
遠巻きに見てもひと目で分かる、整った顔立ち、均整の取れた美しいプロポーション。
どんな男だったら、こんないい女と付き合えるんだと問いたい所だが、フロイド・リーチなら付き合えるのだろう。
土俵が違いすぎて、競う気も起きない。
フロイドがモテるのは知っているが、見て気分のいいものではない。
げんなりしながら踵を返す。
肩を落としながら寮に戻る女の背を、フロイドによく似た男が見ていた。
夜にドアベルがなったので二階の窓から下を覗く。
見慣れたターコイズブルーの頭が見えた。
フロイドからは、
『ちょ〜いそがしかった!疲れたぁ!ねる』
とメッセージが来ていたので、今夜は来ないと思っていたのだが、気が変わったのだろうか。
玄関ドアを開けると、フロイドとは違いきっちりと首元までボタンを閉めて、礼儀正しく会釈する男が立っていた。
「こんばんは」
「あれ?ジェイドさん、珍しいですね。どうぞ。」
珍しい来客に驚きつつも、談話室に通す。
ジェイドはにこやかに笑って、そっと紙袋を差し出した。
「手土産です。ちょっとしたものですが。」
「クッキー、美味しそうですね。お茶入れます。一緒に食べましょう。」
「手伝いますよ」
「ふふ、お客さまなので座っててください」
立ち上がろうとするジェイドを、制して手早くお茶を用意する。
今日のジェイドは機嫌が悪くないようで良かったと思った。
「とうぞ、モストロラウンジのお茶みたいに美味しくは無いと思いますが」
「ふふ、貴方が淹れてくださったお茶なら美味しいですよ」
「お上手ですね」
「おやおや、僕の言葉ら信じていただけないようです、しくしく」
「そんな嗤いながらしくしくされても」
「ふふ、冗談ですよ」
「それで、どうしたんですか?珍しいですね、というか、初めてではないですが?」
「オンボロ寮には何度か伺った事はありますが、貴方を訪ねるのは初めてです。いつもフロイドに邪魔されるので。」
「はは」
「今日、モストロラウンジにいらっしゃってましたよね?」
「はい。ちょっと覗いて、人が多かったので止めました。」
「おや?フロイドの婚約者を見に来たのだと思っていましたが違ったんですね。」
「婚約者?」
「ええ、本日、フロイドに会いに来ていましたよ。フロイドの浮気を聞きつけて、珊瑚の海から遥々会いに来た様です。」
「へえ、プラチナブロンドの綺麗な女性がフロイドさんの上に乗ってるのを見ましたけど、その人ですか?」
「おや、見ていらしたんですね。アレをお許しになるなんて、陸の雌は寛大なんですね。」
「婚約者というのはいつからの話ですか?」
「おや、僕、尋問されてます?」
「引っ掻き回して愉しむ為にわざと私に伝えに来たんですよね?ちゃっちゃと答えて下さい」
「ミドルスクール位の時に、親が選んだんですよ。相手の女性は乗り気でしたし、フロイドも拒否しませんでした。」
「それから?」
「関係は僕らが陸に上がるまで続いていました。僕の知る限りでは、ですが。」
「私の方が後出しじゃん」
「そういう事になりますね」
「やっぱり、美人は三日で飽きるのかな」
「はい?」
「いえ、何を思ったらあんな美人の婚約者がいて他の女に走ろうと思うのか考えてたんですけど、どんな美女でもいつかは飽きるのかと」
「それは、フロイドにしかわかりませんね」
「ですね、私の方が浮気だったパターンか、きっつ」
「どうされますか?」
心底愉快そうにジェイドが聞いてくる。腹立たしいが、己はこの男が愉しむための道化だと思い込んだほうが楽な気がした。
「別にどうもしませんけど、とりあえずライフプランを書き直します。全く、結婚詐欺に引っかかる所でした。」
「フロイドと別れるんですか?」
「場合よっては」
「それはそれは」
悦びを隠そうともしないで、ジェイドはにっこり笑った。
この人魚に人の心は無いのだと思った。
「では、フロイドはやめて、僕にしませんか?」
「嫌ですよ、どんな泥仕合にする気ですか」
この上状況をややこしくしようとする愉快犯に女は頭が痛くなってきた。強がっているが、女は傷ついているのだ。たちの悪い冗談に付き合う元気はなかった。
「おや、僕とフロイドはそっくりだと言われますし、紳士のフリは得意です」
「フリなのは自分でもわかってるんですね」
「ですが、お好きでしょう?」
「まあそうですね」
ジェイドと軽口の応酬をしていた女は、段々と現実を認識して、込み上げてくるものがあった。
目に涙が溜まっていくのが分かる。
にやにやと悪どい笑みを浮かべながら女をからかっていたジェイドは、それを見て口を噤んだ。
「はあ、そっか、残念だな」
ジェイドは、ぽろぽろと涙をこぼした女をそっと寄り添った。
その様子が女の傍にいつも寄り添ってくれたフロイドと重なって、女は一層悲しくなった。
ひとしきり泣いたせいか、スッキリした女は、女が泣いている間、ずっとその背を撫でていたジェイドに向き直った。
「お見苦しい所をお見せしました」
「いえ、僕でよければ何時でもご相談に乗りますよ。お一人で大丈夫ですか?添い寝しましょうか?」
「ジェイドさんそんなキャラでしたっけ?」
「貴方を笑顔にしたくて」
「怖いんでやめてください」
冗談なのか本気なのかわからないジェイドの姿に少しだけ笑った。
玄関口までジェイドを見送ると、二階に上がって自室のベッドに潜り込んだ。
ひとしきり悲しんだ後、女はだんだん怒りがわいてきた。なんで自分がウツボの人魚に振り回されているんだと。そして、この怒りが持続している間は平気な気がした。
次の日、女はフロイドが迎えに来るよりも早く寮を出た。
女は、昨日のことをフロイドにどう切り出すべきか考えていた。
ジェイドの立場を考えると、自分を売ったのが兄弟だと分かると兄弟間に溝が出来かねない。
あの二人なら、それくらいの事は気にしなさそうであるが、フロイドを問い詰めるのにジェイドを間に挟んで喧嘩するのは嫌だった。
それに、何処まで本当なのかわからないということもある。
少し頭を整理したかった。
今の状態でフロイドに会ってしまえば、女は冷静に話ができる気がしなかった。
いつもの様にご機嫌でオンボロ寮に女を迎えに行ったフロイドであるが、そこに女はいなかった。
驚いてスマホをみると女から『先に行きます』と一言だけのメッセージが送られていた。
理由もなく、事実のみ。
置いてけぼりを食らって面白くないフロイドは、女に電話したが、女は出なかった。
今までも充分に女にくっついて回っていたが、所構わず女にキスしたり撫でたりするので周りの人間の目の毒だった。
女は目立つのは嫌だったが、はっきり言ってフロイドと一緒にいるだけで目立つので、スキンシップをしようがしまいが特に変わりないという認識だった。
オープンなのは文化の違いだろう位に考えていた。
女が思っているより、女の変化は顕著だった。
フロイドが女の生活に遠慮なく介入し始めたので、食生活は改善され、衣服はフロイドからの貢物で華美になり、女に構いたがるフロイドに朝から化粧を施された女は目に見えて美しくなった。
人魚は美髪である事がある種ステータスとなるので、ヘアケアにこだわりのある人魚も多い。
フロイドも自分の髪にそれ程のこだわりは無いが、許されるなら幾らでも女の髪に手を入れたかった。
オンボロ寮に殆ど泊まり込んでいるフロイドは毎夜せっせと女の髪を梳いた。
女の変化にいち早く危険を感じ取ったのは教師陣である。
そもそも男子校に女性がいるというは風紀的に如何なものかという話であるが、これまでは女も監督生も女っ気を出さず、そういった色恋沙汰のトラブルが起こりようもない空気が出来上がっていた。
しかし、ここに来て明らかに風紀が乱れはじめた。
フロイドの手前、女に対して、露骨に好意を示す者は少ないが、水面下にて雄の醜い争いが発生していた。
「あれ?運動着、忘れた?」
女は寮を出る前に荷物を確認し、持ってきたつもりだったが、持参したはずの運動着が無い。
寮に忘れたのかも知れない。
「どうしようかな」
当然の様に女に張り付いているフロイドが声を掛ける。
「ど〜したの?」
「いえ、運動着忘れちゃったみたいで」
「オレの貸したげる〜♡」
言うが早いか、マジカルペンを振ったフロイドの手に、脱いだものを乱暴に突っ込んだ様にしか見えない布袋に包まれた体操着が現れた。
洗濯してないものを人に貸せるの凄いなと女は思ったが、贅沢を言ってる余裕はないので、ありがたく頂戴しておく。
にこにこ笑うフロイドから体操着を受け取り、別室で着替える。
「うん、どう考えてもでかい」
袖を折り、パンツの裾も折ったしウエストも絞ったが、どう考えても大きい。バルガスにふざけてるのかと怒られないだろうか。
「いいじゃん、かわいいよ」
「運動出来ます?これで?まあいいや」
「いいんだぁ。前から思ってたけど、結構大雑把だよねぇ。」
「まあ、そうじゃないと異世界で生きていけないんで」
「あはっ、じゃ頑張ってねぇ」
「はい。フロイド先輩もちゃんと授業出てくださいね!」
女は授業に遅れるよりは良いかと思い、サイズの合わない運動着で授業に向かった。
女が寮にあると思っていた運動着は、そのまま見つからなかった。
運動着が無くなった事で、何となく嫌な予感はしていたが、それから女の私物は次々と無くなった。
フロイドに相談すれば、犯人を見つけてくれるだろうが、トラブルになるのは想像に易い。
女は考えた末、教師陣に相談してみることにした。
動機は何にしろ、やっている事は窃盗だし、女としては物が戻ってくるよりも、学校側に新しものを支給して欲しいという気持ちのほうが強かった。他人に盗まれた運動着やら実験着やらが返ってきたとしても、もう一度袖を通したいとは思えない。
「今、なんと?」
職員室に向かうと、クルーウェルとトレインが何やら話している様だったので、この二人ならしっかりと対応してくれそうだと判断して、女は事情を打ち明けることにした。
「はい、最近、運動着や実験着とかあと文房具とかの小物が無くなっていて、恐らく誰かが故意に持ち去っていると思うんですけど、どう対応すべきかなと思って相談に…」
「なんてことだ」
「躾が必要な様だな」
トレインは女の心情を鑑みて沈痛な面持ちで、女に同情の視線を投げ、クルーウェルは不届者をどう処分すべきかと考えた。
基本的に運動着などは最初の一着は学園から支給されるが、その後の追加は自費での購入である。しかし今回にあっては、事情が事情なので学園側で新しいものを用意して貰える様になった。
女は望む通りの結果が得られて満足だった。
しかし、教師陣としては、それて終わりにするわけにもいかない。
恐らく犯人は再び犯行に及ぶだろう。
よって、女の私物に予め追跡魔法を掛けておいて、不届者を特定する算段となった。
「もし、不届者が危害を加えて来そうな状況になったらこれを押しなさい」
「なんですか?防犯ブザーの様なものですか?」
「まあ、そのようなものだ」
「分かりました。ありがとうございます。」
女はトレインから特に何もなくても物凄く押してみたくなる赤いボタンのついたスイッチを渡された。しかし、有事以外で押すわけにもいかない。そっとポケットに入れておく。
フロイドは、女の周りに妙な気配があるのに気付いていた。
教師陣の魔法の跡があるのは、不快だがこの学園での女の安全を思っての何かの魔法だろうと判断出来る。
それよりも、近頃、女の周りでする獣の匂い。
女の事を文字通り嗅ぎ回っている、陸の獣がいる。
誰の獲物に手を出そうとしているか思い知らせてやらねばいけない。
獰猛な海の怪物は、その不快な獣の匂いを追っていた。
教師陣と話した通り、運動着は再び消えた。
犯人が反省していて、何事もなく収束すれば女としては何も見なかった知らなかった事にして終わりで良かったのだが、そう簡単にはいかないようだった。
憂鬱な気持ちになりながら、職員室に向かう。
廊下を歩く女の前を一人の男子生徒が遮った。
サバナクローの腕章をつけており、茶髪の間から茶色の耳が生えているので獣人族の様だった。
男はにやにやと薄ら笑いを浮かべながら、手に持っていた何かを女に向けて差し出す。
「なあ、これお前のだろ?」
「ん?それ、私の運動着です。どうしたんですか?」
「拾ったんだよ」
男の言葉が真実かどうか計りかねたが、自分の記名の入った運動着は紛れもなく女の物だった。
「そうですか、返してもらっても?」
「いいけど、返したら何してくれんだ?」
「は?」
「お礼くらいしてくれていいだろ?一発ヤらせてくれるとかさぁ?ウツボ野郎とはヤってんだろ?」
女は自分の頭に血が昇るのを感じながら、ここで揉めても仕方が無いと、己に言い聞かせて冷静に返答した。
「そういうことなら、要りません、捨てといてください」
「怒んなよ」
男は下衆な笑みを浮かべながら値踏みするように女の上から下までを舐めるように見た。
女はうんざりして言い放つ。
「いいですよ。ほんとに。それこそ私の大好きなウツボの人魚に新しいの買ってもらうんで♡」
「この売女がっ」
「は?お前が先に喧嘩売ってきたんだろうがよ」
獣人の手が女に向かって伸びる。
女は、フロイドに直接食って掛かる勇気がない癖に、女の前でだけ一丁前に強いフリをする獣が嫌いだった。そして、そんな獣より力がない己が何より嫌だった。
少々の怪我は止む止むを得まいと覚悟した女は、獣人の男と掴み合いになる。
腕力で勝てるなんて最初から思っていない。
しかし、女相手ならどうにでも出来ると思っている男の態度は不快だったし、フロイドの事を言われたのが女にとって我慢ならなかった。
女は躊躇なく男の目を狙った。男は目潰しは避けたが、女はそのまま男の金的を蹴り上げ、蹲る男の頭を踏み付けにした。
「ギャンッ」
想像より激しく抵抗した女に、男は一瞬怯む。
しかし、最初の不意打ちの後は男のほうが有利だった。
力では圧倒的に劣る相手だ。
腕を軽く捻り上げれば、成すすべ無く床に倒れた。
女は少しだけ冷静になっていた。
床に転がりながら、ポケットに入れていた防犯スイッチの事を思い出す。
しかし、現在の両手を男に掴み上げられて、床に転がされている状態では取り出すことは出来ない。
何とかポケットから取り出して、スイッチを押さなければ。
男は馬乗りになって女の身体を弄りはじめた。
女は妙な感覚だった。
自分の身体なのに、自分の身体じゃないみたいだ。
触られていることは認識出来るが、それは他人事の様だった。
「やってくれるじゃねえかよ」
「触んな」
「おお、怖え怖え、あんな磯臭いやつより俺のほうが良くしてやるからよ」
「既に一つも勝ってるとこないけど?」
男の平手が女の顔に飛んだ。
痛みはきちんと認識できた。
女の口の中に血の味が広がる。
叩かれた際に、口の中が切れたのだと冷静に思った。
とりあえずこの獣人には後程たっぷりと報復しようと考えながら、女は感覚を失っていく自分の肉体を眺めた。
女が何の反応も示さなくなったので、男は面白くなかった。こういうのは抵抗してくれないと興が削がれるのだ。それでも柔らかな女の身体は魅力的だった。
制服のワイシャツの上から女の身体を乱暴に撫でた後に、その服の下の柔らかな肌に手を伸ばした。
「きたねぇな」
それを眺めていた女が男に向かって呟いた。
「そのきたねぇ男に今からぶち犯されるのわかってる?」
「絶望だよ、吐きそう」
「乱暴にされるのが好きみてぇだなぁ」
「下手くそなだけだろ」
「この女っ」
再び男の拳が飛んだ。
痛みに呻く女の服を乱暴に脱がしながら、男は高揚していた。
圧倒的優位だった筈だった。
男は、人魚の長く美しい足による回し蹴りで宙を舞った。
フロイドが、獣と女の匂いを追ってやってきたのだった。
女は、腕力でもって女をねじ伏せながら、女に覆いかぶさっていた男が軽々と宙に浮くのを眺めていた。
そこからは一方的だった。
フロイドに一矢報いる事すら出来なかった。
フロイドにサンドバックにされた男は、顔面が腫れ上がり、手足が本来と違う方向に折れ曲がった。
女はその様子を嗤いながら眺めていた。
力でもって女を組み敷いていた男が、更なる暴力によって見るも無残な姿にされていくのは滑稽だった。
「あはは」
「っ、何、笑ってんの」
一言も発さずに男を血濡れにしていたフロイドが、泣きそうな顔をして女を振り返った。
形の良い眉を寄せ、笑みの似合う唇を引き結んで、女よりずっと傷付いた顔をしていた。
「いえ、その人がフロイドさんにぼこぼこにされてるの、面白くて、ふふっ」
「すげえ趣味してんねぇ」
フロイドが思っていたより、女はずっと強かった。
「フロイドさん、一緒にお風呂に入りましょう、それで、そいつの返り血、洗い流しましょうね」
「ウン」
「顔、殴られたの?痛いよね、後で治癒魔法掛けてあげんねぇ」
フロイドは、腫らした顔で笑う女を見て居た堪れない気持ちになり、己の不甲斐なさを責めた。
怪我をした女を見るくらいなら、自分が殴られた方がずっとマシだった。
しょんぼりと肩を落とすフロイドに、女は笑って言った。
「いえ、暫くこのままで、先生達に見せに行きましょう。私は全力で被害者面しますよ。」
「あはぁ♡ただではやられねぇって?」
「そういう事です!でも、後で泣いてしまうと思うので、今日は一日、一緒にいてくださいね」
「いいよぉ、遅くなってごめんね。守ってあげらんなくて、ごめんねぇ」
「守ってくれてますよ。ちゃんと。来てくれて、凄く嬉しかった。」
結局、男の部屋から女の運動着やら実験着、果ては女の使用済みの塵紙に至るまで、大量の証拠物件が出て来た事が決定打となり、男は退学になった。 フロイドの暴力については、まるで無かったかのように葬られた。
「あの人、退学になっちゃったんだ。学校に残ってたら、毛皮を剥いでカーペットにして良かったのに、残念。」
女がポツリと呟いた言葉は学園中に広まり、女はナイトイレブンカレッジの絶対に触れてはならないものの一つになった。
トレインから貰った謎のスイッチの効果は結局分からないままだった。
女は、次にトラブルがあったら押すぞと意気込んでいたが、ついぞ機会は訪れなかった。
フロイドの中で結婚ブー厶が来ている様だった。少なくとも女はそう認識していた。
「ねぇ、オレが卒業したら結婚しよ♡」
「はあ、私はいいですけど、フロイドさん、いいんですか?ご家族とかに反対されません?」
「なんで家族が出てくんの?…ねぇ、まさかジェイドと…」
すうっと真顔になったフロイドを見て慌てて否定する。
「いや違います!どちらかというと、ご両親の方です」
「ええ?なんか関係あるぅ?」
「うん、フロイドさんが気にしないならいいです」
「やったぁ♡」
女を持ち上げて踊り出したフロイドに振り回されながら、今後の人生ずっとこんな感じなのかと想像した。
女はフロイドとジェイドが入れ替わったとして、すぐに気付く自信がない。
並んでいれば違うとは思うが、お互いのフリをしたリーチ兄弟は女には同じに見えた。
そういう話をしたせいか、フロイドは女がジェイドに奪われる可能性について考えるらしかった。
フロイドはそれとなくジェイドと女が二人っきりになることが無いように気を回しているように見えた。
ジェイドの方はフロイドが警戒しているほど、女に対する興味自体が無さそうなので徒労だと思うのだが、兄弟なので気になるのかもしれなかった。
フロイドは卒業したら女と結婚すると学園中に言い触らした。なんというか、かわいい人魚である。
女は、上手くいかなかった時のことを考えると口にしないでおこうと考えるタイプだったが、フロイドがいいならいいかと、流れに身を任せた。
給仕するフロイドを眺めにモストロラウンジに顔を出すと、フロイドは厨房にまわったらしく客席にはいなかった。
フロイドがいないならドリンクだけ飲んで帰るかと思った女だったが、珍しくジェイドが女に近づいてきた。
ジェイドはカウンター席に女を通すと、頼んでいないドリンクをテーブルに置いた。
「まだ頼んでませんよ」
「僕からのサービスです。その代わり少しお話をしませんか?」
ジェイドは綺麗な笑みを浮かべると、口元から鋭利な歯をのぞかせた。
女は普段と違うジェイドの様子を訝しみつつも、カラフルなドリンクに口をつける。
「いいですけど…」
「ふふ、ねえ、貴方はいいんですか?」
「何がですか?」
「フロイドは、卒業したら貴方と一緒になると触れ回っていますが」
「そうですね、そういう話をしましたよ」
「失礼ですが、貴方はそれを望んでいるようには見えません」
貴方のお気持ちに寄り添っているんですよとばかりのパフォーマンスをしながら、ジェイドはうっそり笑った。ジェイドの言葉は、まるで自分がそう思っているかの様に錯覚させる力があると思う。自分の美貌と言葉を、他人を誘導することに使い慣れている。
「そうですか?」
「何故、フロイドなんですか?」
「はい?」
「他の方では駄目なのですか?」
「はは、そうですね、フロイドさんよりいい男がいたら、考えますよ」
「なら…」
「何してんのぉ~」
「おや、フロイド」
ジェイドが何か言いかけたが、厨房から抜け出してきたのであろうフロイドが、女の後ろに立っていた。
ジェイドとフロイドの間に、無言の攻防があった。
女はピリついた空気を感じて、内心溜息をつきながらドリンクを啜った。
「フロイドさん、今日厨房だったんですね。働いてるフロイドさんを鑑賞しようと思って来たんですけど外したかと思いました。」
「もぉ、来るなら連絡してって言ってるじゃん」
「会えるかどうかわからんギャンブル性を楽しんでるんですよ」
「意味わかんねぇ〜オレはちゃんと会いに来て欲しい〜」
「まあ、会えたじゃないですか。ていうかいいんですか厨房空けちゃって。たぶん他の人が困ってるでしょう?」
「困らせとけばいいじゃん」
「いや、私の良心が痛みます」
「は?雑魚とオレどっちが大事なの?」
「大事なのはフロイドさんですけど、お仕事は真面目にしてほしいですね。」
女がいる間は厨房に戻る気がなさそうなフロイドの様子を見て、女は早めに店を出ることにした。
フロイドに言っても引き留められるのは目に見えているので、カウンターのジェイドに声を掛ける。
「ドリンク飲んだんで、今日は帰ります。お会計お願い致します。」
「お代は結構ですよ。サービスだとお伝えしたでしょう。」
冷ややかな声でジェイドが答える。
表情は相変わらずの笑顔だが、怒っているようだった。フロイドは気紛れだが分かりやすい。不機嫌なジェイドは、何に怒っているのかが分からない事が多いので、女には恐ろしかった。
「私、モストロラウンジで無銭飲食ばっかりしてる気がします」
冷えた空気を振り払うように、肩をすくめておどけた調子で席を立つ。
「オレが払ってるから平気〜てか、ジェイドからドリンク貰ったの?なに、浮気?」
「違いますよ、お話してただけです」
「ジェイドさん、ご馳走様でした」
「ええ、またいらして下さいね」
謝辞を伝えると、全く感情のこもっていない挨拶をされて、女は少しだけ悲しくなった。
モストロラウンジに、凄い美人が来店しているらしいから見に行こうぜと、男子生徒達が駆けていった。
ナイトイレブンカレッジには、一般開放日がある。
学生以外の街の人や観光客に敷地の一部が解放されるのだ。
中でも、お洒落で映える、モストロラウンジは人気の場所だった。
学園に住んでいる女としては、わざわざ人の多い一般開放日にモストロラウンジに行く必要は無いので、行ったことはなかった。
しかし、先程駆けていった生徒の発した『凄い美人』というのが気になる。
女はちょっとした野次馬根性で見に行くことにしたのだった。
モストロラウンジは想像通り人でごった返しており、女は中を覗いたら引き返そうと決めた。
女はモストロラウンジでは顔パスなので、少々不審な動きをしても店員から咎められることはない。
軽い気持ちで中を覗いて後悔した。
フロイド・リーチの上にシルバーブロンドの美女が乗っていた。
正確に言うと、ソファーの上で美女がフロイドに迫っていた。
遠巻きに見てもひと目で分かる、整った顔立ち、均整の取れた美しいプロポーション。
どんな男だったら、こんないい女と付き合えるんだと問いたい所だが、フロイド・リーチなら付き合えるのだろう。
土俵が違いすぎて、競う気も起きない。
フロイドがモテるのは知っているが、見て気分のいいものではない。
げんなりしながら踵を返す。
肩を落としながら寮に戻る女の背を、フロイドによく似た男が見ていた。
夜にドアベルがなったので二階の窓から下を覗く。
見慣れたターコイズブルーの頭が見えた。
フロイドからは、
『ちょ〜いそがしかった!疲れたぁ!ねる』
とメッセージが来ていたので、今夜は来ないと思っていたのだが、気が変わったのだろうか。
玄関ドアを開けると、フロイドとは違いきっちりと首元までボタンを閉めて、礼儀正しく会釈する男が立っていた。
「こんばんは」
「あれ?ジェイドさん、珍しいですね。どうぞ。」
珍しい来客に驚きつつも、談話室に通す。
ジェイドはにこやかに笑って、そっと紙袋を差し出した。
「手土産です。ちょっとしたものですが。」
「クッキー、美味しそうですね。お茶入れます。一緒に食べましょう。」
「手伝いますよ」
「ふふ、お客さまなので座っててください」
立ち上がろうとするジェイドを、制して手早くお茶を用意する。
今日のジェイドは機嫌が悪くないようで良かったと思った。
「とうぞ、モストロラウンジのお茶みたいに美味しくは無いと思いますが」
「ふふ、貴方が淹れてくださったお茶なら美味しいですよ」
「お上手ですね」
「おやおや、僕の言葉ら信じていただけないようです、しくしく」
「そんな嗤いながらしくしくされても」
「ふふ、冗談ですよ」
「それで、どうしたんですか?珍しいですね、というか、初めてではないですが?」
「オンボロ寮には何度か伺った事はありますが、貴方を訪ねるのは初めてです。いつもフロイドに邪魔されるので。」
「はは」
「今日、モストロラウンジにいらっしゃってましたよね?」
「はい。ちょっと覗いて、人が多かったので止めました。」
「おや?フロイドの婚約者を見に来たのだと思っていましたが違ったんですね。」
「婚約者?」
「ええ、本日、フロイドに会いに来ていましたよ。フロイドの浮気を聞きつけて、珊瑚の海から遥々会いに来た様です。」
「へえ、プラチナブロンドの綺麗な女性がフロイドさんの上に乗ってるのを見ましたけど、その人ですか?」
「おや、見ていらしたんですね。アレをお許しになるなんて、陸の雌は寛大なんですね。」
「婚約者というのはいつからの話ですか?」
「おや、僕、尋問されてます?」
「引っ掻き回して愉しむ為にわざと私に伝えに来たんですよね?ちゃっちゃと答えて下さい」
「ミドルスクール位の時に、親が選んだんですよ。相手の女性は乗り気でしたし、フロイドも拒否しませんでした。」
「それから?」
「関係は僕らが陸に上がるまで続いていました。僕の知る限りでは、ですが。」
「私の方が後出しじゃん」
「そういう事になりますね」
「やっぱり、美人は三日で飽きるのかな」
「はい?」
「いえ、何を思ったらあんな美人の婚約者がいて他の女に走ろうと思うのか考えてたんですけど、どんな美女でもいつかは飽きるのかと」
「それは、フロイドにしかわかりませんね」
「ですね、私の方が浮気だったパターンか、きっつ」
「どうされますか?」
心底愉快そうにジェイドが聞いてくる。腹立たしいが、己はこの男が愉しむための道化だと思い込んだほうが楽な気がした。
「別にどうもしませんけど、とりあえずライフプランを書き直します。全く、結婚詐欺に引っかかる所でした。」
「フロイドと別れるんですか?」
「場合よっては」
「それはそれは」
悦びを隠そうともしないで、ジェイドはにっこり笑った。
この人魚に人の心は無いのだと思った。
「では、フロイドはやめて、僕にしませんか?」
「嫌ですよ、どんな泥仕合にする気ですか」
この上状況をややこしくしようとする愉快犯に女は頭が痛くなってきた。強がっているが、女は傷ついているのだ。たちの悪い冗談に付き合う元気はなかった。
「おや、僕とフロイドはそっくりだと言われますし、紳士のフリは得意です」
「フリなのは自分でもわかってるんですね」
「ですが、お好きでしょう?」
「まあそうですね」
ジェイドと軽口の応酬をしていた女は、段々と現実を認識して、込み上げてくるものがあった。
目に涙が溜まっていくのが分かる。
にやにやと悪どい笑みを浮かべながら女をからかっていたジェイドは、それを見て口を噤んだ。
「はあ、そっか、残念だな」
ジェイドは、ぽろぽろと涙をこぼした女をそっと寄り添った。
その様子が女の傍にいつも寄り添ってくれたフロイドと重なって、女は一層悲しくなった。
ひとしきり泣いたせいか、スッキリした女は、女が泣いている間、ずっとその背を撫でていたジェイドに向き直った。
「お見苦しい所をお見せしました」
「いえ、僕でよければ何時でもご相談に乗りますよ。お一人で大丈夫ですか?添い寝しましょうか?」
「ジェイドさんそんなキャラでしたっけ?」
「貴方を笑顔にしたくて」
「怖いんでやめてください」
冗談なのか本気なのかわからないジェイドの姿に少しだけ笑った。
玄関口までジェイドを見送ると、二階に上がって自室のベッドに潜り込んだ。
ひとしきり悲しんだ後、女はだんだん怒りがわいてきた。なんで自分がウツボの人魚に振り回されているんだと。そして、この怒りが持続している間は平気な気がした。
次の日、女はフロイドが迎えに来るよりも早く寮を出た。
女は、昨日のことをフロイドにどう切り出すべきか考えていた。
ジェイドの立場を考えると、自分を売ったのが兄弟だと分かると兄弟間に溝が出来かねない。
あの二人なら、それくらいの事は気にしなさそうであるが、フロイドを問い詰めるのにジェイドを間に挟んで喧嘩するのは嫌だった。
それに、何処まで本当なのかわからないということもある。
少し頭を整理したかった。
今の状態でフロイドに会ってしまえば、女は冷静に話ができる気がしなかった。
いつもの様にご機嫌でオンボロ寮に女を迎えに行ったフロイドであるが、そこに女はいなかった。
驚いてスマホをみると女から『先に行きます』と一言だけのメッセージが送られていた。
理由もなく、事実のみ。
置いてけぼりを食らって面白くないフロイドは、女に電話したが、女は出なかった。
