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人魚の恋

女は怖くなっていた。
 フロイド・リーチに踏み込まれすぎていると。
 それは生活もそうだったが、精神的にフロイドに依存しはじめて、いよいよ取り返しがつかない所まで来ている。
 フロイドに恋をしている。
 フロイドが愛を囁いてくれる間はいいだろう、ただ幸福な時間が続くだけだ。
 しかし、女が頼る先の少ないこの世界で、フロイド一人に依存する今の状況は不味いと理性が言っていた。
 フロイドは、やさしく甘やかに接してくれるが、決定的な言葉くれない。
 それは己自身もだ。
 関係性を壊すのが怖いのだ。

 女は深呼吸して、認めようと思った。
 女はフロイドに恋をしている。
 しかし、フロイドの隣に立つには、己に自信が足りない。
 まずは一人でも立てるようになろうと思った。

 一先ず女は身分をつくろうと動き出した。元の世界に帰る可能性は一旦置いておいて、この世界で生きるには、戸籍もなければ身分証明もないのである。身分を証明するものがなければ、職につくことさえ出来ない。
 学園に居座れる間はなあなあにしておこうと思っていた所だったが、この世界で地に足をつけて生きるならば必須である。
 というわけで、学園長室に向かった。

 「学園長、少しお話があるんですけど、宜しいですか?」

 「はい。ああ、貴方ですか。貴方は監督生さんと違って大きなトラブルも起こさず非常に扱いやす、手のかからない方ですから珍しいですねぇ。」

 学園長は言い直してるのにあまり改善されていない台詞を吐きながら、仮面の下で笑顔と思しき表情をつくった。

 「お願いがありまして。学園長もご存じのことですが、私は異世界からやってきましたのでこの世界に戸籍や身分を証明するものがありません。この状態では今後職に就くこともままならないので、戸籍を作って欲しいのですが…」

 「いきなり難しい事言いますね!!」

 「こちらの法律がどうなっているのかよく分からないので、一先ず現時点で保護監督していただいている学園長に相談に来ました。いきなり国家機関に、異世界から召喚されてやって来ましたと突撃するのも色々学園に不都合があるかと思いまして。」
 
 「お気遣い痛み入ります!!遠回しな脅迫をどうも!!!はあ、貴方もしっかりこの学園の生徒だったんですねぇ…」

 「そういうつもりではないんですけど、まあ、そう言われればそうですね」

 「ふむ、まあ言わんとすることはわかりますので、何とかしてみましょう」

 「ありがとうございます。目処がついたらいつ頃までに出来るか教えて下さい。」
 
 正直、どれくらいの期間でできるものなのか分からないが、経過報告を聞くことで、無かったことにさせる気は無いと遠回しに伝えておく。
 それを見て取ったクロウリーはそっとため息をついた。

 「私の娘はしたたかですねぇ」

 「養子になるんですか?」

 「可能性としては」

 「分かりました。宜しくお願い致します。」

 こんな得体のしれない父親は嫌だなと思ったが、背に腹は代えられないので謝辞を述べて下がる。
 非合法な手段で身分が捏造されそうな予感もしたが、深くは追及しないことにした。


 そういった流れで、女はクロウリー性になったのだが、これには周囲が仰天した。
 そして、とんでもない噂が流れた。
 フロイドの彼女、学園長と結婚したらしいよ、と。

 オクタヴィネル寮でも、その話はすぐに広まった。寮生達は談話室に固まって、噂の真相を確認し合っていた。
 
 「なあ、聞いたか?フロイド先輩の彼女…」

 「学園長と結婚したって」

 「いやいや、嘘に決まってんじゃんそんなの」

 「俺、見ちゃったんだよ、あの子の学生証、クロウリーって書いてあった」

 「まじか」

 「二股とかいうレベルじゃねぇじゃん」

 「どうすんの、フロイド先「なぁに、今の話?」
 
 噂話に興じていた生徒達の背筋が凍った。
 フロイドの地を這うような声が彼等の言葉を渡ったのだ。
 寮生が顔を引き攣らせながら振り返ると、無表情のフロイドが立っていた。

 「ね、さっきの話、ほんと?」

 「…学生証には確かにクロウリーと書いてありました」

 嫌なふうに冷静なフロイドに震えながら寮生の一人が事実だけを答えた。
 根も葉もない噂話は兎も角、それだけは己の目で見た確かなものだったからである。

 「そう」

 感情の抜け落ちた表情のまま、フロイドはふらふらと歩き出した。
 フロイドが談話室から居なくなっても、寮生達はしばらく動けなかった。
 寮生達は数刻経って恐怖から解放されると、その後に起こるであろう惨劇を防がねばならないと思い、彼等の寮長に顛末を伝えに走った。


 フロイドは、ゆっくりと廊下を歩いて学園長室に向かった。
 不思議と落ち着いていた。
 何も変わらない。
 少しばかり横槍が入っただけだ。
 邪魔者を排除すれば、なんの問題もない。

 学園長の扉を開けて中に入る。

 「おや、リーチ君!ここは学園長室ですよ?!ノックぐらいしなさい!」

 「ん〜ごめんねぇ〜」
 
 「おや、随分素直ですね?!分かれば良いんですよ!分かれば!それで一体どうしたんですか」

 此方を見ているのかいないのか、焦点のあってない目で返事をするフロイドを訝しみながら、クロウリーは捲し立てる。

 「んん、この鳥の何処がいいのかオレにはわかんねえ、胡散臭えし、おっさんだし、オレの方が絶対良い雄だと思うんだけど、はぁ、歳上が好きだったのかなぁ〜」

 「え?!何故私は突然やってきた生徒に猛烈な悪口を言われてるんです?!」

 おどけていたクロウリーだったが、次の瞬間飛んできたフロイドの拳を咄嗟に避ける。

 しかし、次に飛んできた回し蹴りが腹に入った。

 クロウリーの身体が、部屋の壁を突き破って吹き飛ぶ。

 咄嗟に魔法で防御したものの、普通の人間なら死んでいる。
 何事かとクロウリーが思案する間も無く、フロイドの放った水魔法が飛んできた。
 
 それからは大惨事である。

 学園長室は全壊し、隣の小会議室まで大穴が空いた。
 
 最終的にクロウリーの魔法で拘束されるまで、フロイドは暴れ続けた。
 
 途中で寮生から話を聞いたアズールとジェイドも駆け付けたが、時すでに遅く、学園長室があった筈の場所は見るも無残な有様であった。

 クロウリーは、拘束魔法で簀巻きにしたフロイドを前に問うた。
 
 「ゼェゼェ、それで、リーチ君は何故こんな暴挙を…」

 「だって、だってぇ!!あの子が学園長と結婚したってぇ!!ゔぁああん!!」

 「は?私が結婚?一体何を言ってるんですか?」

 クロウリーは、突然やって来て暴れ出したかと思ったら、今度は簀巻きにされたままギャン泣きしはじめたフロイドを見て本気で困惑した。
 拘束魔法を引き千切らんばかりに暴れながら泣くフロイドを見て杖を構え直したクロウリーだったが、駆けつけたアズールとジェイドを見て杖を下げた。

 「それは僕が説明します」

 話を聞いていたのであろうアズールが割って入った。
 事の顛末を聞いたクロウリーは仰天した。

 「まさか!彼女は異世界からやってきて保護者がいないので、形式上、私の養子になったのですよ!!なんて噂を流してくれるんですか?!というか、私のかわいい娘はこんな不良人魚と付き合ってるんですか?!パパ認めませんよ!」

 「そんな事言わないでよぉ、パパ♡」

 「ぎゃあ!鳥肌立ちました!やめて下さい!貴方にパパなんて呼ばれる筋合いはありません!!」

 真相を知ったフロイドは、呆気からんと笑ってクロウリーに絡みだした。
 その代わり身の速さに周囲の人間は引いた。

 事の顛末を知らない女は、フロイドが学園長を襲撃したと聞いて、そんな道場破りみたいな事をする時もあるんだなと他人事の様に思ったのだった。
 なお、件の養子縁組について監督生は、『学園長が父親はちょっと、考えさせて下さい…』と言って保留にしている。


 
 女はフロイドとの関係で不思議に思っていることがあった。
 今でこそフロイドは真剣に女の事を好きなのではないかと思っているが、最初は遊びだと思っていたのである。要するにフロイドが女の事を異性として見ているのならば、早々に肉体関係を求めてくると思っていたのだ。
 フロイドは、お世辞にも手癖が良さそうには見えない。それが、実際の所はキスもしてこないのだ。そっと女に寄り添って、時折優しく抱きしめる位だ。女はそれに驚いたし、想像よりずっと大切にされている気がして嬉しかったのだが、だんだん不思議になってきた。フロイドに抱きしめられる度に、キスくらいするのでは無いかと期待してみたりしたのだが、優しく頭を撫でられるだけであった。
 もしかすると、人魚というのはそういう種族なのだろうかと思い始めた。それはそれでいいかと女は一人納得していた。
 



 「はぁ、交尾してぇ」

 「すればいいでしょ、フロイドには、お相手がいるんですから」

 モストロラウンジのVIPルームの革張りのソファーに仰向けで寝転がったフロイドは煌びやかな天井を見上げながらぼやいた。
 同じくVIPルームで書類作業をしていたアズールが適当に相槌を打つ。

 「できねえから言ってんだよ、分かんってんだろタコ」

 「僕に当たるな」

 「はぁ、いつになったら成熟すんだろ」

 「そればかりは本人に聞いてみないと分からないのでは」

 「はあ〜これだからデリカシーのない奴は」

 「お前にだけはデリカシーとか言われたくありませんね。そもそも、分かりやすく肉体の変化が無い場合もあるじゃないですか。陸の雌の生態について僕ら人魚は無知なんですよ。」

 「でも、あんな小さいんだから出来上がってないに決まってんじゃん!そんな事聞いて傷付けたらどうすんの?」

 「その分お前が我慢するんですか?番になるのならそういった部分も含めてお互いの事を知って尊重し合うべきだと思いますけど」

 「タコちゃんの正論パンチ効くわ」

 「真面目な話、きちんと話し合うべきだと思いますよ」

 「…考えとく」
 
 「それより、先月の売上票を早くまとめて下さい」

 「知らね〜」

 「フロイド!」


 フロイドは、悩んでいた。フロイドの愛すべき伴侶は雌として身体が出来上がっていない。人間の肉体は年中交尾可能らしいが、それは肉体が成就してからの話である。
 陸の人間の価値観は知らないが、雄の人魚が雌に認められる=交尾というのが一般的な認識である。
 遺伝子を残すべき相手として認められる事が、雄としての価値なのだ。
 そういうわけで、フロイドも早く女に認められたかった。
 しかし、女はどう見ても肉体が成熟していない。
 雌の側に受け入れる準備が整っていないにも関わらず事に及ぶのは流石のフロイドも躊躇する。

 実際は、女は人種的に小柄で痩せ型、童顔なだけで肉体は完全に成熟しているし、年齢的にはフロイドより上なのだがフロイドは知る由もなかった。


 「ねえ、小エビちゃん、陸の人間の雌ってどれくらいで成熟すんの?」

 「ハイ?」

 「どれくらいでセックスできるようになんのって聞いたんだけど」

 「な、な、な何を言ってるんですかフロイド先輩っ」

 「はぁ、オレだって小エビちゃんにこんな事聞くの嫌なんだけど」

 「えっと、その、彼女さんのことを言ってんですかね…」

 「そうだよ!本人に聞けねぇだろ!」

 「えっと、その、もう成人してるそうですけど」

 「ハ?」

 「え?」

 とんでも無く不躾な質問を本人に出来ないからという理由で答えさせられる可哀想な小エビちゃんこと監督生である。
 完全に巻き込まれ事故だ。
 その上で、女とフロイドの間で大きな誤解が生まれている事に気付いてしまった。
 キョトンとした顔で監督生を見返すフロイドに、事情を察した監督生が冷や汗をかきながら言葉を返す。
 監督生の言葉を遅れて理解したらしいフロイドは目を見開いて言った。

 「アレで成体ってこと?」

 「そうですよ、まあ私達は人種的に幼く見えがちなので、大人でも外国の方からみると子供だと思われたりするらしいですけど」

 「じゃあ、オレの我慢、無駄じゃん」

 「それは知りませんけれども」


 フロイドはどうやら女はこれ以上成長しないらしい事を聞いたが、だからといっていきなり手を出して良いものか考えていた。女にとって今のフロイドは安心できる距離にある存在なのだ、いきなりがっついたら怖がらせるかも知れない。これまでは、女がもう少し大きくなるんだろうなと思っていたが、なんと成長しないのである。そもそもが勘違いなのだが、背徳感が凄い。
 女がフロイドを袖にしていたら、強引に事に及ぶこともあったかも知れないが、今は女はフロイドの事を好意的に受け止めている。それを失うのは惜しかった。

 悶々としつつも、今日も女に会いに行くフロイドである。
 女の部屋に上がり込み、ベッドをソファー代わりにして並んで座る。
 フロイドの傍にくっついて腕を絡めてくる女を見ながら、よく今まで襲わなかったなと妙に冷静に思った。
 
 「ねえ、小エビちゃんから聞いたんだけど、これ以上成長しないってマジ?」

 「成長?そうですね、成長期終わってるのでもう身長は伸びないと思いますね。痩せてるのはそういう体質なので、縦にも横にも、もう伸びないと思いますけど。」

 「そっかぁ」

 フロイドは項垂れた。
 嬉しい話のはずが、今までの我慢はフロイドの独り相撲だった事が判明してダメージを受けていた。

 「はい、どうかしたんですか?」

 「あのね、オレはね、もうちょっと大きくなんのかなぁと思って我慢してた訳」

 「人魚って人間食べるんですか?」

 女がぎょっとしてフロイドに、絡めていた手を離した。
 身を引いた女をフロイドは両手で引き寄せる。

 「そういう話じゃなくてぇ、いや、ある意味そうなんだけど」

 「ええ」

 「うん、はっきり言うわ、オレと交尾しよ♡」

 「えっと」

 フロイドの想像していたのとは違う困惑の表情が浮かんだ。快く受け入れられると思っていたのが、言い方が不味かったのだろうか。

 「ヤダ?」

 「嫌、ではないですけど、その、私達はまだ学生ではないですか」

 「それが何?」

 「子供とかできたら責任取れないです」

 「何で?産めばいいじゃん?」

 「いや、私、金もないし家もないんですけど」 

 「俺が稼ぐし、家も用意するよ」

 「口約束を信じろと?」

 「ダメなの?」

 「急激に嫌になりました」

 フロイドとの問答に、女はうんざりした様子だった。フロイドは誠実な回答をしたつもりだった。何が女を不快にさせたのかわからない。

 「何怒ってんの?」

 「いえ、価値観の相違が凄くて、ちょっと整理させて下さい」

 「なにそれ、オレが相応しくないならそう言えばいいでしょ」

 「そういう問題じゃなくて、多分、違うんです、根本の考え方が、私とフロイドさんじゃ」

 「だから?それってなに?」

 「フロイドさん、子供産んで、それでその子が生き残れなかったら仕方ないって思ってるでしょう?」

 「当たり前じゃん」

 「違うんですよ、人間は、生まれた子供がちゃんと大きくなるまで守って、育てるんです。そこまでが親の責任なんですよ。」

 「海でもそうだよ、だから沢山孵すんじゃん」

 「…違うんですよ、海と陸では」

 「違わないでしょ」

 「…この話、やめてください」

 「泣かないでよ」

 「すみません」

 女はほろほろと泣き出した。
 泣きたいのはフロイドの方だったが、女が何に悲しんでいるのかフロイドには最後まで分からなかった。
 ただフロイドが拒否された事だけはわかった。


 女はフロイドが帰った後、一人で考えた。
 後から思えば、異性と性的なことをしたいだなんて、若い男としては当たり前の情動じゃないか、それくらいさせてやれば良かったとも思った。
 表面的な肉体の繋がりよりも、もっと根深い部分の溝を感じて女は怖くなったのだ。
 フロイドは傷付いただろう。
 もう女の事は構ってくれないのだろうか。
 拒否しておいて、優しさだけは求めるなんて、都合のいいことだと一人で自嘲して女は思考を止めた。



 フロイドは不愉快だった。
 寮に戻ると、そのまま水槽に飛び込んだ。
 人魚の姿に戻り、衝動のままに吼える。
 女はフロイドを受け入れなかった。 
 大事にしていたつもりだった。
 フロイドなりに精一杯優しくしたつもりだった。
 好かれていると思っていた。
 受け入れられると思っていた。
 他に雄がいるのだろうか。
 そうでなければ、何故受け入れない。
 フロイドは、答えの出ない問を何度も反芻しながらガチガチと歯を鳴らした。




 毎日会いに来ていたフロイドが来なくなった。
 女は、仕方が無いかと小さくため息をついたが、それだけだった。
 それより狼狽えたのは監督生である。
 監督生は、原因に心当たりがあったのだ。
 なんせ、フロイドに女は成人してると教えたのは自分なのである。案の定、拒否されたフロイドは来なくなった。監督生は、良くも悪くもフロイドの事を獰猛な肉食魚だと思っているので、女に襲いかかって拒否されたのだと想像していた。
 女に拒否されたフロイドの怒りの矛先が自分に向かうのではないかと怯えた監督生は、即座に行動を開始した。

 監督生は、女にそっと尋ねた。

 「あの、フロイド先輩と何かあったんですか?」

 「うん、ちょっとした喧嘩?ですかね」

 「何されたんですか?」

 「う〜ん、何かしたのは私かと思います」

 「えっ」

 「ちゃんと話せばよかったんでしょうけど、上手く言いたいことを説明出来なくて、それで、フロイドさんを傷つけてしまいました。」

 「そんな事が…」

 「すみません、心配させて」

 「いえ」

 思っていたのと違う反応に、状況がよくわからなくなってしまった監督生は、途方に暮れた。
 


 フロイドは女と距離を置いていたが、諦めてはいなかった。
 寧ろ以前より執拗に女の事を見ていた。

 女はフロイドとの縁が切れた事を悲しく思ったが、そうなってしまったものは仕方が無いと、何か気を逸らすことでもはじめようと考えた。
 それで、学外でアルバイトでもしてみるかと思い立ったのである。
 元はフロイドとの今後を考えて、自立しようという試みだったが、今はフロイドへの気持ちを振り切る為の活動になっている。
 ほとぼりが冷めたら、フロイドとも話ができるようになるだろう。
 学校という狭い枠の中に居るから苦しいのである。
 たまには外の人間と触れ合ったほうがいい。
 女はそう思って、求人に応募した。

 アルバイトはトントン拍子に決まった。
 よくある飲食店のバイトだ。
 休日のみの出勤。
 魔法が関係しない仕事というのも女には気楽であった。
 友人もできた。
 若い男の子で同じく学生らしい。同じ様に休日にシフトに入っているので、よく話すようになった。
 
 フロイドはずっと見ていた。
 女が自分から離れていくのを。
 他の雄に媚びを売るのを。
 嫉妬で気が狂いそうになりながら。
 フロイドには応えてくれなかったのに。
 どす黒い衝動が湧き上がるのを感じながら、女の様子をじっと見ていた。

 そのうちに耐えられなくなって、暗がりから這い出てきた。
 帰校途中の女の前に、暗がりから現れたフロイドは、久しぶりに女の顔をちゃんと見た。
 髪はぐしゃぐしゃで、淀んだ目をして、見るからにやさぐれたフロイドと、客商売だからと化粧をして髪をまとめ、糊の効いたシャツを着て、小綺麗にした女の落差にフロイドは意地悪く顔を歪めた。
 オレがいなくても平気なんだ。
 
 「フロイドさん?」

 「楽しそうだねぇ」

 「まあ、楽しいですかね、学校とは違いますから」

 不機嫌を隠そうともしないフロイドに女はたじろいた。
 それでも、ずっと会いたかったフロイドが現れたことに喜んでいた。
 今度こそ、ちゃんと話をしたい。
 女の思いとは裏腹に、フロイドの心にはどす黒い嫉妬が渦巻いていた。

 「ふぅん、オレよりあの雄の方が良いの?」

 「そういうのじゃありません。フロイドさん、もう一度ちゃんと話しませんか?」

 「何を?オレを選んでくれなかったのに」

 「愛情の証明として、肉体のつながりが欲しいならあげます」

 「ハ?」

 「私はフロイドさんの大事にしている価値観を軽視しました。それがフロイドさんを傷付けてしまったんですよね?だから、ちゃんと話をしましょう」

 「なぁにそれ、同情?そういうの要らねぇんだけど。オレはね、欲しいものは、力尽くでも手に入れんだよ」

 「違います」
 
 これまで女に向けた事のないような低い声を出して威嚇する。
 凄んだフロイドに、女は静かに対峙した。
 フロイドは女の真剣な眼差しに、こんな顔もできるんだなと他人事の様に思った。


 「じゃあ、何?」

 「お互いに大事にしている部分が違ったという話ですよ」

 「よくわかんね」

 「そうですね。私も人魚のこと、本当の所はよく分かっていません。私は人間ですから。でも、それはそれでいいじゃないですか?」

 「ふぅん」

 「嫌ですか?」

 「嫌じゃねえけど、ねぇ、オレのこと好き?」

 「好きですよ、とっても」


 話を聞く気になってくれたフロイドに安堵した女は、ずっと伝えたかった言葉を紡ぐ。
 それが言えればよかったのだ。
 そうしたらきっと些細な掛け違えでフロイドを傷つけることはなかった。

 フロイドの方は喜びより困惑が勝っていた。
 フロイドを拒絶した女を、滅茶滅茶にしてやろうと思って付け回していたら、今度はフロイドの欲しいものをくれるという。
 同情かと問うたが違うらしい。
 いよいよ理由がわからなくなったが、フロイドを好きだと紡ぐ唇に、暗い気持ちが霧散していくのを感じた。
 周囲の者から散々気紛れだ、気分屋だと評されるフロイドであるが、陸の女に比べたら自分なんて可愛いものではないかと思ったフロイドだった。
 思わず『キュ』と鳴いたフロイドは、両手を上げて降参の意を示すと、それまでずっとそうしてきたかのように、そっと女に歩み寄り両手をその小さな背に回した。


 「もぉ~じゃあなんで前はやだって言ったの、オレちょ〜ショックだったんだけど」

 「すいません、フロイドさんは本気で言っておられたと思うんですけど、言ってる事が陸では最も信用してはならないタイプの男と一緒だったんで、引いてしまいました」

 フロイドは頬を膨らまして、態とらしく拗ねて女に擦り寄ると、女も久し振りのフロイドとの触れ合いに朗らかに応じた。
 女の答えにフロイドは首を傾げた。

 「…そうなの?」

 「そうですよ。取り敢えずヤる為に、その場しのぎで都合のいいことをいう男と言ってること一緒でしたよ。まあ、フロイドさんの場合本気で言ってるのが問題って気もしますが…」

 「ダメなの?」

 「ダメではないんですけど、あんまり陸の人間的に、というか私が育ってきた文化圏では良しとはされてないと思いますね。考えてたんですけど、海の中では、環境要因で多くの命が失われるでしょう?陸ではそれが少ないんです。だから、産んだ子供の責任は親にある。ある程度自立できるまでは、親が守って、教えて、面倒を見るんですよ。」

 「オレ、ちゃんとみるよ?」

 「うん、そうだと思います。だから、命とかそれに対する責任に本当の意味で向き合ってるのはフロイドさんの方なんだって思いました。私の方が、向き合うのを避けてた。それが、怖かった。」

 「よくわかんね」

 「陸の人間は、海の中みたいに過酷な生存競争は無いので、子孫を残す事にそこまでの執着がない人も多いんですよ。私もそうです。」

 「じゃあ何のために生きてんの?」

 「自分の幸福を探すためじゃないですか?」

 「それが番を手に入れることじゃないの?」

 「それに限らないんですよ。自分の好きなことをしたり、何にもしなくたって良いんですよ。」  
 
 「全然わかんねえんだけど」

 「そのあたりが私達の育ってきた環境の差なんでしょうね」

 フロイドには疑問符だらけの会話だったが、女との関係は修復された様なのであまり気にしなかった。
 それに、女はフロイドに雄としての無価値の烙印を押したわけではないらしい事は分かった。
 フロイドよりずっと小さくて柔らかな手を握って、学園までの道を並んで歩く。
 それほど長い間離れていたわけでもないのに、懐かしい日々が返って気がした。

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