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人魚の恋

 目を開けたら捻れた世界に取り込まれていた。
 女はいつの間にか着ていた式典服を眺めた後に、ぼんやり辺りを見回した。
 女と同じ様に真新しい式典服に身を包んだ、新入生達の群れの奥に、画面越しに見たことのある寮長達が並んでいる。
 一部は欠席だったりしているが、液晶越しに何度も見た顔である。忘れはしない。
 どうしようもないので、流されるままに新入生の列に並び、案の定、魔力がないので闇の鏡に騒がれ、オンボロ寮入りとなった。
 この物語の主軸となる『監督生』が、恐らくこれからの女の苦労に思いを馳せて、可哀想なものを見る視線を向けながらも歓迎の意を示してくれた。

 「オンボロ寮の監督生です。あの、多分すごく大変だと思うんですけど、自分でよければ相談に乗るので何でも言ってくださいね…!」

 「はい。あの、元の世界に帰れる目処とかはついてたりしますか?」

 一縷の望みを掛けて聞いてみる。
 監督生が目から光を失って答えた。

 「全く」

 「そうですか、頑張ります」

 監督生の闇を感じたので、女はそこで聞くのを止めた。
 女の存在は第二の監督生的なものとして、暫くの間噂になったが所詮二番煎じ。
 それに加えて、女が監督生程トラブルを起こさず、それこそ空気の様に過ごした事ですぐに収束した。トラブルには事欠かない学校である。すぐに新しい話題に塗り替えられていった。

 フロイド・リーチがその女を見つけたのは、偶然だった。
 フロイドは当然の様に式典をサボっていたので、一時期話題になった女の顔を見たことも無かった。
 噂話は聞いたが、その時はさして興味を惹かれなかったのでスルーし、そして忘れていた。

 フロイドは日当たりのいい空き教室の出窓に腰掛け、窓越しに中庭を眺めていた。

 そして、中庭を歩いていた女が視界に入った。
 天気のいい日だった。
 あたたかな日差しをうけて中庭を歩く女は輝いて見えた。
 女はフロイドの方を何の気無く振り返った。
 フロイドは女と視線が合った気がした。

 フロイドは雷に打たれた心地だった。
 脳に電流が走り、心臓の鼓動が速くなる。
 人魚は恋に情熱的だ。かの人魚姫の様に、一目惚れで相手をどこまでも追い掛け、命を懸ける事も稀にある。フロイドは自らがそうなる事を想像も出来なかったし、そんな人魚をイカれてると思っていたが、今考えを改めた。
 人魚の一目惚れは、ある。
 運命は、ある。

 強い衝動が湧き上がって来た勢いで、身体が女の方に向けて動き出していたフロイドは、出窓にしたたか頭をぶつけた後に、空き教室を飛び出した。
 窓枠が少し凹んだが、別にいいだろう。

 フロイドは衝動的に女の前に走っていったが、女の目の前に来て、どう声を掛けるか考えていなかったことに気付いた。

 長い脚で中庭のベンチに座っていた女の前に着地したのはいいが、女はフロイドの登場にぽかんとしている。

 「コ、コンニチハ」

 「こんにちは?」

 フロイドは、内心で焦りながら辛うじて一般的な挨拶を喉から絞り出す。
 声が裏返ってしまったが、後には引けない。後悔は後ですればいい。今は少しでも女と距離を縮めるのだ。女は目をパチパチさせた後に、オウム返しの挨拶をした。フロイドの突然の登場に驚いている女の顔が可愛くて、フロイドは己の目尻が下がるのがわかった。

 「ハジメマシテ、オレ、フロイド」

 「はじめまして」

 女は不思議そうに首を傾げたあと、またしてもオウム返しの挨拶をした。
 またしてもフロイドの声は裏返ったが、一応は自己紹介は出来た。
 フロイドは、一先ず落ち着こうと深呼吸した。
 慌てている間にもフロイドの気紛れな脳みそが、この学園にいる女性、それがオンボロ寮の監督生以外となれば、女は一時期噂になっていた『第二の監督生』である可能性が高いとの情報を引っ張り出していた。

 「隣、座ってもい〜い?」

 「はい、どうぞ」

 女がそっとフロイドが座りやすいように、ベンチの端に避ける。なんて優しく、気遣いの出来る雌なんだろう。善良な市民なら大多数がやる事だが、この学園の生徒はやらないし、恋のフィルターを通したフロイドには女の行動は全て特別なものに見えた。フロイドの中に、こんなに尊い生き物は己が守っていかねばならないと庇護欲がむくむく湧いてきた。
 
 「オレ、オンボロ寮に新入生が入ったって聞いてて、魔法使えない女の子がこの学園で生活するの大変でしょ〜?何かあったら相談乗るから何でも言ってね?対価取ったりしね~から!」

 女は驚いた様子で、フロイドの様子を眺めた。
 女の知っているフロイド・リーチとは些か、いや、かなり印象が異なるからである。
 人好きにする笑顔を浮かべて、優しい言葉を掛けるフロイドに面食らっていた。
 そして、何かの策謀かと思ったが、所詮スチルでしか彼知らないのだから、初対面の女の子に優しくするくらいの甲斐性は彼にはあるのかもしれなかった。
 若しくは、機嫌がすこぶるいいのか。若干うろたえながら言葉を返す。

 「あ、ありがとうございます」

 曖昧に微笑んだ女を見て、押しに弱いタイプだと即座に見抜いたフロイドは、更に言葉を重ねた。
 相手に思考する暇を与えずに、情報を抜き取るのは彼らの常套手段であった。
 フロイドは、にっこり笑って、スマホを掲げる。

 「ね、連絡先交換しよ」

 「え、あ、はい」

 あっさり学園長から貰ったばかりのスマホを手渡す女にフロイドは、危機管理の甘さを感じつつも番号を交換して、一度試しに鳴らして返す。
 これで、連絡手段はゲット。

 「普段何してんの〜?」

 「今は、学園に慣れるのがいっぱいいっぱいで特に何もしてないですね…」

 「そ〜なの?なら今度モストロラウンジにおいでよ!あ、モストロラウンジっていうのは、オレの所属してるオクタヴィネル寮あんだけど、オレそこで働いてんのね!連絡くれたらスペシャルメニュー用意して待ってるからさ~!」

 「す、凄いですね、ありがとうございます」

 「そぉ?なんかアズールがやるって言うから、あ、アズールは俺の幼馴染でオクタヴィネルの寮長ね、そんで、オレの兄弟のジェイドとオレの三人でモストロラウンジは立ち上げたんだ〜」

「素敵ですね」

「内装とかも拘ってて、女の子も好きな感じだと思うから来てよ」 

 「ね、何時なら暇?」

 「え、うんと」

 「明日は?」

 「あ、明日?!」

 「放課後、なんかある?」

 「な、何も、無い、です」

 「じゃあ、放課後迎えいくから!」

 「えっ」

 「決まりぃ!」

 にんまり笑うフロイドに、女は押し切られてしまった。
 想像以上に簡単に押し切られた女の危機感の無さに不安になりつつもフロイドは、上機嫌だった。

 女の方は困惑していた、颯爽と現れて、女の横に腰掛けた美しい人魚は、これほど手際のいいナンパは見たことが無いと思う程に手慣れた手付きで女の連絡先を手に入れ、次の約束を取り付けた。
 これがつまらないナンパ男なら、女も適当にあしらっただろうが、相手はフロイド・リーチであった。
 自由と暴力が服を着て歩いている男である。
 女は機嫌を損ねたくはなかった。それに、フロイドの甘い声で誘いの言葉を掛けられると、何でも答えてしまいそうだった。女は夢現の心地であった。
 女からすれば、画面越しに眺めていた美しい人魚が、実体を持って目の前で動いたり話したりしているだけで、感涙ものである。促されるままにスマホを手渡し、約束に頷いていた。騙されるならそれもいいだろうという、破滅的な思考が脳を支配している。
 女は、にんまりと笑って、獰猛な瞳を覗かせる人魚に見惚れていた。

 フロイドは、女との約束を取り付けて機嫌よく挨拶すると、長い脚を見せびらかすように大股で歩きながら離れていった。
 踊るようにステップを踏んで歩くご機嫌なフロイドは、周りの人間達を恐がらせた。女は自分から離れていく、自由な人魚の影が見えなくなるまでぼんやりと眺めていた。

 

 フロイドは、上機嫌で寮に戻ると、モストロラウンジの厨房に向かい、明日、女に出すメニューを試作し始めた。
 当然、午後の授業はサボった。

 アズール・アーシェングロッドは激怒した。
 モストロラウンジの開店準備に向かうと、ラウンジが既に開いており、机の上には出来上がった料理が山のように用意されていたからである。
 本日、団体客のパーティの予定など無い。 

 そして、アズールの城であるモストロラウンジで、こんな事をするのは一人しかいない。

 「フロイド!一体何をしてるんだ!」

 仕立てのいい革靴の音を響かせながら厨房に入ってきたアズールに、フロイドはボイルしていた海老から少しだけ目を離した。

 「あ、アズール!あのねぇ、明日、オレの雌が店に来るから試作してんのぉ~」

 「はぁ?!何を言ってるんだお前は!まず勝手にラウンジの食材を使うな!!そして作りすぎた!お前の雌とやらはどれだけ食べるんだ!そしてここは男子校だ!雌はいない!」

 「はぁ〜うるせえタコちゃんだなぁ。唐揚げにすんぞ。雌はいるでしょ、知らねぇの?オンボロ寮に来た新しい子♡」

 「ああ、あの新しく来た第二の監督生さんですか…しかしあの方はお前が興味を持つようなところがありました?何というか、目立たない方でしょう」

 アズールからすれば、女は非常に目立たない生徒だった。いや、そのように振る舞っているという方が正しい。波風を立てないように、トラブルに遭わないように。女性である事、魔力が無いこと、それによる僻み嫉みや揉め事に巻き込まれないように、それこそ空気の様に己の存在感を消している。
 それはそれで特筆すべきことだが、この自己主張の強い生徒だらけの学園で、己の主張を通そうとしないということは最初から競争に敗北しているということである。
 アズールからすれば取るに足りない相手、アズールに噛み付く様な覇気も狡猾さも持たない、警戒する必要の無い相手として学生のリストの隅の方に記録されていた。

 「はぁ〜この魅力がわからないとはねぇ〜〜これだからタコちゃんは〜ま、わかられても困るんだけどぉ」

 「腹が立つ奴ですね、お前は!はあ、いいです!ここでお前と言い争っても仕方が無い。今日のラウンジの食事はビュッフェ形式にしましょう!調子がいいフロイドの料理なら味は間違いないでしょうからね。」

 「あはぁ〜♡わかってんねぇ♡」

 「全く!ラウンジのキッチンを使うならせめて事前の連絡くらいしろ!」

 「別にこんなに作るつもりなかったしぃ!ちょっと試作するだけのつもりだったんだけどぉ、好きなもんとか聞くの忘れちゃったから、取り敢えず色んなパターン出しとけばいっかぁって思って思いついたもん、ぜぇんぶやってたら、なんか一杯になっちゃったぁ〜♡」

 「そうと決まれば、キリキリ働いてください!僕は他のスタッフに指示してきますから!」

 「はぁい」

 機嫌よくフライパンを動かしながら、片手を上げるフロイドを睨め付けてアズールは厨房を出た。 

 その日のラウンジは、いつもと違う装いに大盛況だった。










 フロイドは、約束の日、珍しくきちんと朝起きて、制服に着替え、髪をセットして、ジェイドとフロイド、2人分の朝食を準備していた。
 そこに、いつもの如くぴっちりと制服を着こなしたジェイドが現れる。
 ジェイドはアシンメトリーの前髪を揺らして、形のいい唇に笑みを浮かべてみせる。
 
 「おやおや、今日のフロイドは随分と調子がいいようですね」

 「まぁね〜」
 
 「オンボロ寮のお姫様は手に入りそうですか?」

 「ん〜どうやっても手に入れっけど、あんまり手荒なことはしたくねぇから頑張ってんのぉ!まずはぁ、胃袋から掴む作戦〜♡」

 「ふふ、調子のいい時のフロイドの料理を食べたらどんな雌でも夢中になりますよ」

 「お姫様はジェイドみたいに大喰らいじゃねぇから。まあ、陸の雌は腕っぷしが強いとかより一緒に生活していく上で価値観?が合うとかを重要視するらし〜から、まずは、家庭的なフロイドくんをアピールすんの♡」

 「成る程、そうですね。海では強くなければそもそも生き残れませんからね。陸で雌に選ばれるには物理的な強さというより、より広義の意味での強さ、というか器用さが必要な様ですね。」

 「そういうことぉ〜」

 「僕もお姫様にお会いしてみたいです」

 「ジェイドは面白がって邪魔するから、ぜってぇダメ♡」

 「おやおや、僕の事をそんな風に思っていたなんて酷いです、シクシク」

 「泣き真似キメェ」

 「フロイドが冷たい」

 「何を朝から茶番を繰り広げてるんですか、お前達は」

 ふんわりとコロンの匂いを漂わせながら、オクタヴィネルの寮長であるアズールがやってきた。
 二人の会話に訝しげに眉を寄せながら、声を掛ける。

 「おや、アズール、おはようございます」

 「おはよぉ~アズール」

 「雌にうつつを抜かすのも良いですが、ラウンジの仕事はちゃんとして下さいね、フロイド」

 「はいはい、わかってるよぉ」

 「どうだか」

 「いいじゃないですかアズール。昨日は大盛況で、今月で一番の売り上げでしたし。」

 「結果的にはそうなりましたが、フロイドの気分のムラッ気は今に始まったことではありませんからね、あの量の食材を廃棄することになれば大損です!結果、利益につながったからいいものの…」

 「あ〜タコちゃんうるせぇ!もう何回も聞いたって!いいじゃん儲かったんだから!」

 「お前には計画性というものがなさすぎる」

 「そういうのはアズールかジェイドがやればいいでしょ!あ、やべ、こんな時間じゃん!お姫様迎えに行くんだった!じゃあねジェイド、アズールぅ~!」

 時計を見て、慌てたフロイドは、ドタドタと寮を出ていった。
 オンボロ寮に女を迎えに行くらしい。
 昨日の今日でどれだけ距離を詰めたのか知らないが、凄まじい行動力だとアズールとジェイドは顔を見合わせた。



 女は困惑していた。
 昨日、台風のように現れて、女を困惑させて帰っていったウツボの人魚が、オンボロ寮の前に立っていたからである。
 女の部屋は寮の二階で、監督生は主に下の階を使っている。監督生は女の事を気遣って、あまりに二階には立ち入らないようにしてた。
 そういうわけで、二階を住処にしている女は、二階の窓から玄関口を覗いた際に、フロイド・リーチが立っているのを発見したのである。
 姿がそっくりなジェイドという可能性もあったが、制服の着崩し方からフロイドと判断した。
 女が驚いて見ていると、視線に気づいたフロイドは、顔を上げてこちらに手を振った。
 フロイドは、人好きにする笑顔を浮かべて、親しげに手を振っている。
 女は夢かと思った。
 一度目をつぶって擦ってみても、笑顔で手を振るフロイド・リーチの像は女の視界から消えなかった。
 もしかしなくとも、女に会いに来ている。何故なら、もう一人と一匹の住民である監督生と火を吹く魔獣は既に寮を出たからだ。
 女は慌てて身支度を整えると、寮から飛び出した。
 
 「お、おはようございます!どうしたんですか?!」

 「あはぁ、おはよぉ~今日もかわいいねぇ♡別にどうもしねえけど、一緒に登校しようと思って!迷惑だったぁ?」

 「いえ、そんな事は!」
 
 フロイドがわざとらしく、しょんぼりと肩を落とすと、女は罪悪感に苛まれ、反射的に否定した。
 女の返事を聞いて、にっこりと笑みを浮かべたフロイドは、当然のように手を差し出す。

 「じゃ、行こっか♡」

 フロイドから差し出された手を取るべきか、女が迷っていると、それを見たフロイドが、宙をさまよっていた女の左手を掴んだ。女は驚いたが、振り解く事も出来ずに、手を引かれて歩き出した。
 拒否されなかった事に機嫌を良くしたフロイドは、女の指に自分の指を絡めると、普段より小さい歩幅で女の隣を歩いた。

 人よりも体温の低いフロイドの大きな手に引かれながら、女はずっと困惑していた。
 嬉しくないわけではない。誰も女の事を知るもののいないこの学園で、自分に親切にしてくれる相手がいる事は嬉しい。それが、強く美しい人魚の男となれば尚更だ。
 しかし、余りにも突然の幸運というのは人を不安にさせる。女は何か裏があるのではないかと不安になっていた。
 気分屋のフロイドの事なので、今はそういう気分なのだと言い聞かせてみるも、それはそれで先の未来で冷たくされたら、女は傷付くだろうなと思った。

 女の不安を露知らず、フロイドは上機嫌だった。 女に、拒まれなかったということは、女にとって自分は『悪くない』相手だと言う事だ。このまま距離を詰めて、親しくなっていけば、直に女の隣りに立つことが出来るようになるだろう。そうなってしまえば、女を自分のものにする日はそう遠くない気がした。

 191cmあるフロイドから頭一つ分小さい女のつむじを眺めながら、この小さくて丸い頭を己の腕に抱く日を夢想するフロイドであった。

 女にべったりくっついて歩くフロイドを見た他の生徒は、関わりたくないとばかりに道を開けた。
 海を割るモーセの様に人集りを割ったフロイドに、女は空気の様に過ごす平穏な学園生活が遠ざかっていくのを感じていた。何故か女に対して親しげなフロイドを幸運と呼ぶのなら、それを見た周りの反応が女にとっての不幸になるのだろうと女は一人で納得していた。具体的には、今後フロイド関連のトラブルに否応なく巻き込まれるのだろうと思ったのだった。

 周りの生徒達の反応を見て顔を青くする女をよそに、フロイドは楽しげに女に声を掛けた。

 「最初の授業、何〜?」

 「魔法薬学です」

 「オレも一緒に受けよっと♡」

 「いいんですか、それ?怒られません?」

 「ん~ダイジョブでしょ〜」

  フロイド的に大丈夫でも、他の人の基準では大丈夫では無いのでは無いかと思ったが、この学園のことをよく知らない女は口を紡ぐしか無かった。

 「リーチ弟!何故いる!これは1年の授業だ」

 女の危惧した通り、授業開始とともに怒号が飛んだ。
 授業開始したクルーウェルが、魔法薬学室を見回すと、一度見たら忘れないターコイズブルーが座っているのである。
 フロイドは、女の隣に腰掛けたまま、クルーウェルに手を振る。

 「ん〜そういう気分なの〜!」

「答えになってない!はぁ、まあいい、受けるならきちんと後輩の補助をしてやれよ」

 「はぁい♡」

 いいんだ?!

 教室の生徒は、突然の上級生の授業乱入に困惑していたが、それを認める教員にも驚いていた。フロイド・リーチを知るものは、その気分屋っぷりに付き合っていたら授業が進まないので、実害が無い限りは放置するという姿勢に疑問を挟むことはないが、入学して日が浅い上に、学年が違うことでフロイドの事を知らない生徒も多い1年は無茶苦茶っぷりに驚いていた。

 フロイドが本当に授業を一緒に受けるのは予想外だったものの、女は密かに喜んでいた。
 魔法薬学は実技の多い科目である。魔力のない女は、魔力を込めて作るタイプの魔法薬は作成できない為、ペアになった相手に負担をかけるのが億劫だった。
 フロイドは喜んで女と作業をしてくれたし、1年の基礎的な魔法薬造りなど、3年であるフロイドには簡単なものである。手際よく作業を進めながら、この世界の常識が欠けている女にも分かりやすいように一つ一つの知識を易しく噛み砕きながら教えてくれた。女は、この世界に来て何かを『理解出来る』ということが、たまらなく嬉しかった。
 この世界に来て、授業を受けて、はじめて楽しいと思った。

 授業が終わり、魔法薬の精製器具を片付けた後に、女はフロイドの前に立つと初めてフロイドの目を真っ直ぐに見つめた。女の突然の真剣な面持ちに面食らいながらも、フロイドは女が話しやすいように柔らかく笑った。女は意を決したように言った。

 「フロイドさん、あの、本当にありがとうございます」

 「ン~いいよぉ?これくらいの魔法薬なら何時でもつくったげるよ」

 今日授業でつくったのは簡単な毛生薬だったが、女は気に入ったのだろうか。フロイドは女には必要の無さそうな薬に不思議に思いつつも、にこやかに答える。
 女は、少し口ごもってから、ふんわり頬を赤らめながら言葉を紡いだ。

 「魔法薬もですけど、あの、いろんなこと教えてくれて。本当に嬉しかったです。」

 「んんっ」

 女が一生懸命にフロイドに、感謝を伝える様子に胸がぎゅっとなる。この世界のことを知らない、女にとっては、フロイドが何の気無く説明したこの世界の『当たり前』の事を知れたのが嬉しかったのだ。そこまで思考が追いついて、ああ、自分は浅はかだったと女の抱える孤独の深さに気付いていなかったのだと思った。
 異世界からやってきた彼女の事を、囲い込みやすくて良かった、と、その程度しか考えていなかった事を恥じた。
 それから、フロイドは女の事を抱き締めたい衝動に駆られたが、すんでのところで思い留まった。

 「あの、よかったらまた教えてもらえますか?」

 「っ、いいよぉ」

 フロイドの異変に気付かない女は、はにかみながらフロイドに問う。
 きゅっと心臓を掴まれた様な心地のフロイドは辛うじて了承の返事をした。


 「一緒に授業受けるの、楽しいですけど、フロイドさんも自分の授業受けて下さいね」

 それから、やんわりと同行を断られたフロイドは女と別れて自分の学年の授業に戻った。サボろうかと思ったが、後からサボったのが女に伝わると女が気にするかもしれないと思ったので、出席だけはする事にしたのだ。
 しかし、頭の中は女の事で一杯だったので、何の講義をされていたんだかさっぱり覚えていなかった。



 放課後になって、チャイムが鳴り終わらないうちにフロイドは1年の教室に向かって駆け出した。後ろから、咎めるトレインの声が聞こえたが、無視して走った。

 女の教室に着くと、女が荷物をまとめて席を立とうとしている所だった。フロイドが教室のドアから顔を出して手を振ると、女が微笑んだ。
 
 「迎えに来たよぉ♡」

 「ありがとうございます」

 「じゃ、行こっかぁ、あ、寮に寄る?」

 「そうですね、教科書とか置いてきます」

 「おっけぃ、じゃ、オンボロ寮に寄ってから行こっか」

 「楽しみです、モストロラウンジもですけど、オクタヴィネル寮自体行ったことがないので…」

 「そうなんだぁ~なら、寮の中も案内したげるねぇ」

 「ほんとですか?嬉しいです。水の中にあるんですよね?」

 「そうそう。オクタヴィネルは人魚が多いからね。オレもウツボの人魚だし。ねぇ、人魚嫌だったりする?」

 「嫌とかは無いです。そもそも私の世界に人魚は居なかったので、好き嫌いとか判断しようもないという感じなんですけど…」

 「そっかぁ、ん〜人間の中には人魚に対して差別意識ある奴も居るからね」

 「なるほど、歴史の授業で少しだけ習いました。あの、私達の世界では人間たちの間で人種とか宗教での争いがありましたけど、それに近いんですかね?」

 「んーーソレはこっちの世界でもあるよ。まあ、それ以上に種族間の争いが多いから表に出ることが少ないだけ。ていうか、人魚廃絶主義者ってそもそも俺ら人魚を、知性のある生き物って認めてないっていうカンジ?ん、何にしろ、人魚嫌いじゃないならよかったぁ」

 「他の人魚の人は知りませんが、フロイドさんのことは好きですよ」

 「んん~俺も♡」
 
 意図を測りかねるフロイドだったが、女からの思わぬ好意を告げる言葉に胸が高鳴った。
 いい雰囲気になるのを感じながらフロイドは女の隣をオンボロ寮まで歩いた。

 オンボロ寮に寄って、荷物を置いた女とフロイドは、オクタヴィネル寮に向かって移動した。
 鏡を通って、水の中にあるオクタヴィネル寮に足を踏み入れた女が感嘆の声を漏らす。

 「凄い…綺麗…」

 フロイドには見慣れた寮だったが、女がとても素敵なものを見つけたように顔をほころばせたのを見て、なんとなく誇らしげな気分になった。



 

 


 

 


 
 






 


 
 

 

 

 


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