20年05月

 この世には伸びろと思っても伸びない身長のように、どうあがいたって無理なものは無理なものがある。だから。
「どうせ無理だろ」
 そう思っていた。
 だが――。
 足元にまで転がってきたパスケットボールを拾い上げた瞬間、匠海は稲妻に全身を打たれたかのような衝撃にただ立ち尽くした。
 夕暮れに染まる公園を背景に、木々が風に揺られて音を立てる。
 はっと意識が現実に戻った匠海の目の前に広がっていた光景は、バスケットゴールの下に立ちこちらに視線を向けた後輩の姿だった。
「先輩!」
 後輩は匠海に気がついた途端、満面の笑みを浮かべて小走りで寄ってくる。彼の白いTシャツは汗を含んで肌を微かに透かせている。
 そばまで来た後輩から男の匂いがした。
「拾ってくれたんですね、ありがとうございます」
 受け取ろうと伸ばしてくる後輩の手から反射的に逃れるように身を捩る。
「え」
 呆然と後輩が匠海の行動を眺めているなか、捩った反動で足を踏み出しながらボールを打った。
 地面に打ち付けられたそれを受け止めた右手に、反動。
 でもそれは妙に生暖かい感触だ。さっきまで後輩が使っていたからか、それとも――。
「あ、すごい!!」
 ゴール下までドリブルでにじり寄ると、たん、たん、たんとステップを刻んで跳ねた。
 持ち上げられたボールがリングにねじ込まれ網の中に落ちた。
「わ、すごいです……!!」
 嬉しそうにはしゃぐ声をあげながら、後輩が匠海に飛びついてくる。
「な、なんだよ」
 ひっついてくる後輩を引き剥がせば見上げてくる大きな瞳が匠海を射抜いた。
 その瞳はもう匠海の中にない輝きを――憧れを含んでいる。いや、楽しみとも取れる。
 後輩はバスケが楽しい。そして、匠海はその感情も失ってしまった。
「先輩、もう二度とやらないと聞いていたので……」
「だからお前、練習してるんじゃないの?」
 匠海は、一ヶ月前、入学したての彼が現れたときのことを思い出しながらため息をついた。 どこで匠海の存在を知ったのか知らないが、バスケ部に寄って名簿に匠海の名前がないので、放課後、直接二年の教室にまでやって来て匠海を捕まえたのだ。
「もう、やらねーよ」
 そう伝えたはずなのに、何故か後輩は引き下がらない。
 日を改めておねだりしにくる後輩の要求はこうだ。
「どうしても、先輩のシュートが見たいんです」
 そう言葉を吐いた後輩がバスケの経験もろくになく、それどころか大がつくほどの運動音痴であることを知ったときには、腹の奥底から湧き上がってきたどす黒い感情そのままに、匠海は後輩の頬を打った。
「まともにバスケ、やらるようになってから来いよ」
 廊下で尻もちをついた彼に向けて吐き捨てた匠海の言葉通り、彼が練習していると気がついたのは最近のこと。
 部活で使用しているスペースを自主練では使えないから、彼はゴールの設置された公園で一人練習している。
 その公園は匠海の帰宅路の途上にあるので彼の姿は嫌でも目についた。
 視界に入れず、見ないふりをするだけだ。
 そう思っていたのに、足元から崩れ落ちた後輩の手から滑り落ちて転がってきたボールに吸い寄せられた。
 そのせいでこんな目にあっている。
「って、わ!!」
 急に何かを思い出したように、後輩が慌てて自分の頭をかきむしり始めた。
「し、しまった! つ、つい、おれ、せ、先輩に……抱きついてしまって!!」
「おい、今頃かよ」
「いや、だって、先輩ですよ!! めちゃくちゃすごい人に、おれ」
「すごかねぇよ、もうおれ、やらないし」
「でも、すごいです」
「なんで」
「おれが中三のとき、ここで練習してる先輩、見ました。背、小さい子だなぁと思って」
「うっせぇ!! お前だっておんなじようなもんだろ!!」
「そうやって見てたら、先輩誰よりも高く跳ぶんだ……ゴールにボールが届いたとき、ビックリした。空に届くんじゃないかって」
 見られていた。
 年中ベンチだし、ほとんど戦力にならない自分をどうにかしようとがむしゃらになっていた自分の姿を。情けない自分を。
「でも、よく見たら高校生だったんですよね、鞄と服で分かって。こんな小さいのに」
「小さいは余計だ!!」
「でも、それでこの高校、受けたんですよ」
「あほか!!」
「あほです!! でもそれは、もう一度、先輩のプレイがみたいからですよ!!」
「こんのどあほ!! やめたって言ったろ!!」
「でも、さっきやってくれたじゃないですか……」
「あれは手本だ」
「……はぁ」
「あれくらいできるようにならなくちゃ、おれに頼みごとなどできないと思え」
「…………はぁ」
「なんだよ、その間の抜けた返事は」
「だって、まさか高校入学後、自分がバスケやることになるとは思っていなかったんで……あいちっ、うう、ほら、少し動かしただけで筋肉痛なんですよ」
「それでも練習してたじゃねぇか。つか、おれ目当てってことはバスケやりたかったんじゃねぇの」
「違いますよ! あ、いえ、当たってはいます」
「どっちだよ」
「いえ、あの、バスケにも、多分、興味あるんですよ、でも……」
「はぁ? お前、なにしどろもどろしてんだよ」
「あー、もう、この際だから洗いざらい言いますね!! おれの狙いは先輩です!!」
「そりゃさっき聞いた」
「だ、だから!! 先輩が欲しいんです!!」
「おう、頑張れ。練習すれば上手くなるんじゃねぇの、知らねえけど」
「そうじゃなくて!! おれは!! 先輩が好きなんです!!!!」
 灰色に染まった高校二年、若干初夏。
 突然の告白に頭の中が真っ白になった。
「いつか、絶対、振り向かせますからね! あ、あとバスケ、先輩にはやってほしいです」
 そういうとボールを拾い上げ練習を再開する後輩。
 そのボールは表皮に凹凸を失っていた。外で何度も練習するうちに剥がれてきてしまったのだろう。
 匠海が衝撃を受けたのが、ずぶの初心者で運動音痴の彼がボールがつるつるになるまで練習していたという事実に気がついたからだ。
 そして今、もう一枚別の表皮が剥がれ落ちそうになっていた。必死に作り上げていた逃避のための自分という虚像、匠海の表皮が――。

(了)

----
✿第383回一次創作BL版深夜の真剣120分一本勝負さんよりお題(碧/「どうせ無理だ」)をお借りしました。いつもお世話になっております……。2020.05.24
1/1ページ
スキ