20年02月
見習菓子屋と吸血鬼
窓から差し込む陽光が橙じみてきた。それでも太陽が出ているというだけでぼくは安心できる。
ステンレス製の作業台。蛍光灯の光を反射して白銀に光っている。ぼくの広げた両手一つ分。狭くて広い、まだ見習いという立場だが――ここがぼくの戦場だ。
採れたての苺はさっと洗って大き目にカット。小さくするよりもごろごろと存在感が感じられるくらいのほうが美味しい。
赤い彼女に合わせるのは純白の生クリーム。泡立てるのはスピードが勝負。この仕事では繊細さだけではなく腕力も必要とされる。
火を吹け、オーブン。焼きあがったスポンジは春のうららかな陽光を浴びる小さなダンデライオンの色。うん、いい仕上がりだ。いいモデルを見つけたスタイリストみたいに早くドレスアップさせたくて仕方がない。
それじゃあ、行くぞ。
まず豪快にクリームと苺を挟んでいく。黄色に閉じ込める赤と白。完成したケーキを切った時、中からこれが現れるかと思うと堪らない。
それから外装へとドレスアップは進む。全体的に生クリームを着せたら、今度は些細な装飾へと心が震える。
こういう細かい作業――とても神経を使う繊細な仕事――は、苦手だ。絞り袋を持つ手が自然に震える。体内にぎょっとするくらい熱い――クリームを溶かしてしまうくらいに――滾って暴走する血液がどっと流れていく。バクバクと脈が体中で叫んでいる。指先の作業を邪魔するかのように。
「心臓なんて要らないなぁ、それならその血諸共、私がいただいてもよろして?」
背後から凛として通る男の声がしてぼくは振り返った。
「な! お前! いつの間に!」
本来この部屋に入れてはいけない存在。例の彼が何食わぬ顔で工房に――ぼくの背後にたっていた。
「おっと、お叱りは後で。吸血鬼なんてものは神出鬼没。貴方がどう叱ろうが、ひょっと現れ出でてしまうのは我々の性質なのです」
「何言ってんだか、さっぱりわからないが、とにかく出て行ってくれ。ここはぼくの聖域だ」
「聖域? マッドサイエンティストの実験場ではありませんかねぇ」
「うるさいな」
「あら失礼しました。礼儀が第一の我が一族。さっと身を引きましょう。ですが、先ほど貴方さまの心の声が――そう、心臓を煙たがっておいでのようでしたので」
「お前、またぼくの心の中を呼んだな」
「まあ、そうカリカリなさらず。何しろ相手は吸血鬼、ですよ?」
ニヤリと笑うこの男。
奇妙な真っ黒いマントにシルクハット。いかにも映画や漫画に出て来そうないでたち。こんなにも胡散臭さ満載だが、本当に吸血鬼なのである。
「まだ、寝ている時間じゃないのか」
「おや、私の心配をなさってくださるのですね。お優しい」
「心配どころか、早く灰になってほしいよ」
「おやまあ、素直じゃないところも素敵です。でも私個人としての趣味ですと、|上手《うま》くならない貴方でも|美味《うま》くするため丁寧に扱う生クリームのように、私にも少しくらい優しくしていただきたいものです。……おっと、灰になるならないの件ですが、夕方になれば私だってある程度この身体を保つこともできるのですよ。真夜中のような完全体としては無理ですが」
「憎いやつ」
「何か言いましたか?」
「いいや。とりあえず出て行ってくれ。ぼくは練習で忙しい」
「先日、お師匠さまに下手くそと一蹴されたケーキでございますか?」
「うっ、そうだよ。それの何が悪い」
「いいえ、素晴らしです。練習、鍛練、努力。人間好みの素晴らしい……ふふ、精々頑張ってくださいね」
「ああ、精々頑張るよ」
皮肉っぽい言い方といい、笑っていても冷徹な瞳の光だったり、いつも人の心を読んでしまう超次元的存在だったり。こいつはいちいち癇に障る。
「それより早く出て行ってくれないかな? ここは血屋じゃなくて、町の小さなお菓子屋さんなんだからな」
「何をおっしゃいます? 私にとって貴方さまは美味しい血液屋さんですよ」
こ、こいつ――!!
夜。血を吸われるたびに繰り返される阿鼻叫喚なあの行為について思い出すたびに顔から火が噴き出るような羞恥が襲ってくる。
何も知らなかったぼくをあんなふうに、あーしてこうしてーあああ! 全てこいつのせいだ。
頭に血が上りそうになって必死に抑えた。このまま挑発に乗って思うままなんて絶対に嫌だ。(了)
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お題は一次創作BL版深夜の真剣60分一本勝負 第359回(生クリーム/鼓動/「少しくらい優しくしてよ」)からいただきました。2020.02.29 1h
窓から差し込む陽光が橙じみてきた。それでも太陽が出ているというだけでぼくは安心できる。
ステンレス製の作業台。蛍光灯の光を反射して白銀に光っている。ぼくの広げた両手一つ分。狭くて広い、まだ見習いという立場だが――ここがぼくの戦場だ。
採れたての苺はさっと洗って大き目にカット。小さくするよりもごろごろと存在感が感じられるくらいのほうが美味しい。
赤い彼女に合わせるのは純白の生クリーム。泡立てるのはスピードが勝負。この仕事では繊細さだけではなく腕力も必要とされる。
火を吹け、オーブン。焼きあがったスポンジは春のうららかな陽光を浴びる小さなダンデライオンの色。うん、いい仕上がりだ。いいモデルを見つけたスタイリストみたいに早くドレスアップさせたくて仕方がない。
それじゃあ、行くぞ。
まず豪快にクリームと苺を挟んでいく。黄色に閉じ込める赤と白。完成したケーキを切った時、中からこれが現れるかと思うと堪らない。
それから外装へとドレスアップは進む。全体的に生クリームを着せたら、今度は些細な装飾へと心が震える。
こういう細かい作業――とても神経を使う繊細な仕事――は、苦手だ。絞り袋を持つ手が自然に震える。体内にぎょっとするくらい熱い――クリームを溶かしてしまうくらいに――滾って暴走する血液がどっと流れていく。バクバクと脈が体中で叫んでいる。指先の作業を邪魔するかのように。
「心臓なんて要らないなぁ、それならその血諸共、私がいただいてもよろして?」
背後から凛として通る男の声がしてぼくは振り返った。
「な! お前! いつの間に!」
本来この部屋に入れてはいけない存在。例の彼が何食わぬ顔で工房に――ぼくの背後にたっていた。
「おっと、お叱りは後で。吸血鬼なんてものは神出鬼没。貴方がどう叱ろうが、ひょっと現れ出でてしまうのは我々の性質なのです」
「何言ってんだか、さっぱりわからないが、とにかく出て行ってくれ。ここはぼくの聖域だ」
「聖域? マッドサイエンティストの実験場ではありませんかねぇ」
「うるさいな」
「あら失礼しました。礼儀が第一の我が一族。さっと身を引きましょう。ですが、先ほど貴方さまの心の声が――そう、心臓を煙たがっておいでのようでしたので」
「お前、またぼくの心の中を呼んだな」
「まあ、そうカリカリなさらず。何しろ相手は吸血鬼、ですよ?」
ニヤリと笑うこの男。
奇妙な真っ黒いマントにシルクハット。いかにも映画や漫画に出て来そうないでたち。こんなにも胡散臭さ満載だが、本当に吸血鬼なのである。
「まだ、寝ている時間じゃないのか」
「おや、私の心配をなさってくださるのですね。お優しい」
「心配どころか、早く灰になってほしいよ」
「おやまあ、素直じゃないところも素敵です。でも私個人としての趣味ですと、|上手《うま》くならない貴方でも|美味《うま》くするため丁寧に扱う生クリームのように、私にも少しくらい優しくしていただきたいものです。……おっと、灰になるならないの件ですが、夕方になれば私だってある程度この身体を保つこともできるのですよ。真夜中のような完全体としては無理ですが」
「憎いやつ」
「何か言いましたか?」
「いいや。とりあえず出て行ってくれ。ぼくは練習で忙しい」
「先日、お師匠さまに下手くそと一蹴されたケーキでございますか?」
「うっ、そうだよ。それの何が悪い」
「いいえ、素晴らしです。練習、鍛練、努力。人間好みの素晴らしい……ふふ、精々頑張ってくださいね」
「ああ、精々頑張るよ」
皮肉っぽい言い方といい、笑っていても冷徹な瞳の光だったり、いつも人の心を読んでしまう超次元的存在だったり。こいつはいちいち癇に障る。
「それより早く出て行ってくれないかな? ここは血屋じゃなくて、町の小さなお菓子屋さんなんだからな」
「何をおっしゃいます? 私にとって貴方さまは美味しい血液屋さんですよ」
こ、こいつ――!!
夜。血を吸われるたびに繰り返される阿鼻叫喚なあの行為について思い出すたびに顔から火が噴き出るような羞恥が襲ってくる。
何も知らなかったぼくをあんなふうに、あーしてこうしてーあああ! 全てこいつのせいだ。
頭に血が上りそうになって必死に抑えた。このまま挑発に乗って思うままなんて絶対に嫌だ。(了)
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お題は一次創作BL版深夜の真剣60分一本勝負 第359回(生クリーム/鼓動/「少しくらい優しくしてよ」)からいただきました。2020.02.29 1h