18年一本勝負さん参加録
真夜中のダンス
僕は、目を覚ました。
何か大きな物音がしたような……。
枕元に置いてあったデジタル時計を探る。文字盤は、午前三時。なかなかの時間じゃないか。
僕は、冬休みの数週間、叔父の家に泊めてもらうことになっている。古ぼけた洋館風の邸宅。それが、田んぼと雑木林の中心にぽっかりと浮かんでいる。
不思議な空間だ。もちろん周囲には、ほかの人家が群れを成して存在している。しかし、叔父の家と違って、日本風の家屋だったり、最近の鉄筋コンクリートでできた新しめの住宅だったり。
彼の住処のように、人を前時代へタイムスリップしてしまった気分にさせる不思議な空間を持った家は、なかなかない。まあ、今にテレビはあるし、エアコンだってあるのだけれど。
荷物をまとめて、彼の住まいに到着したのが、つい先週の事。
叔父と僕の関係は、僕が小学校にあがった年から始まった。体が弱かった僕を、田舎は空気が良いからと、夏休みに母とこの洋館に遊びに行ったのだ。
初めて会った叔父は、このへんてこな住宅と相まって、そこか異世界の住人のように思えた。
彼は、作家をしていたらしい。
出版ブームの九十年代、それなりに名のある賞でデビューし、時代を駆け抜けていた。今ではすっかり落ち着いてはいるが、それなりの作家が、こんな田舎にひっそりと暮らしている。
書斎に入ってはいけないよ。
母にそういわれた僕は、部屋の外から、ドアを開けて、叔父の行動をこっそり見ていた。
パソコンに向かい、キーボードをたたくあの指先。叔父の指は、すらりと長く、色は白かった。
自分の小さな手と比べれば、彼の手は大きいのだが、あんなにも折れそうな指をキーボードに打ち付けて、壊れてしまわないだろうかと、思ったりした。
キーボードの上で舞う可憐な指先のダンス。さみしげに曲がった背中や、賢明な横顔。どこか色っぽくて、どこかものさびしいような、変な気持になったものだ。
僕の体調がよくなっても、長期休暇になれば、僕は叔父の元へと通った。
何故だろうか。自分でもなんだかよく分からないが、いつの間にかそれが積み重なって、習慣になっていた。
それにしても、一体こんな夜中に何をしているんだ。
そういえばのどが渇いた。ついでに、水でも飲んでこようか。
下の階に降りると、書斎の方から、光が漏れている。
蛍光灯に惹かれる虫のように、僕はそっと書斎をのぞいた。
「……え」
ここに彼は、いた。
いや、彼女が。
深紅のワンピースをまとい、首元に真珠の首飾りをきらめかせて、彼が椅子に座っていた。すらりと伸びた足は、青白く輝き、足首の部分で軽く組んでいる。足先を覆うのは、先のとがったハイヒール。叔父の唇と頬は赤く染まり、一瞬、女の幽霊が、彼の書斎に現れたように思えてしまった。
ふうとため息をついた彼は、おもむろに立ち上がると、突然ステップを踏んだ。
以前にテレビで見たことのある、社交ダンスだ。
要するに彼は、女装し、踊っていた。
「あっ」
叔父は、足元に積んでいた資料の山に、足先を取られた。大きな音を出して、しりもちをつく。
立ち上がろうとしたとき、僕の存在に気が付いた。
彼の顔から血の気が引いた。
以前から、僕はずっと考えていたことがあった。
何故、叔父はこんな田舎の洋館で、一人隠れるように暮らしていたのだろう、と。
キーボードを打つ指の可憐さ、儚さは、どこから来たんだろうと。
彼は、ずっと、隠してきたのだ。
ずっと彼を演じ続けていなければならなかったのだ。
あの作品の、あの作者として、求められた姿を……。
「叔父さん、ごめんなさい。急に目が覚めて、つい」
叔父は、唖然としていた顔を引っ込めて、うつむいた。
「ねえ、叔父さん、僕、来年もまたここに来ていいですか? 大学を卒業して、就職しても、ずっと」
そういうと叔父は、驚きに満ちた瞳で、僕を見返してきた。
僕の胸は高揚した。
やっと手に入れた。
こんなさびれた洋館に閉じ込められた、いたいけな彼を、今度は僕の胸の中に閉じ込める番だ。
僕は彼に手を伸ばした。
僕は、目を覚ました。
何か大きな物音がしたような……。
枕元に置いてあったデジタル時計を探る。文字盤は、午前三時。なかなかの時間じゃないか。
僕は、冬休みの数週間、叔父の家に泊めてもらうことになっている。古ぼけた洋館風の邸宅。それが、田んぼと雑木林の中心にぽっかりと浮かんでいる。
不思議な空間だ。もちろん周囲には、ほかの人家が群れを成して存在している。しかし、叔父の家と違って、日本風の家屋だったり、最近の鉄筋コンクリートでできた新しめの住宅だったり。
彼の住処のように、人を前時代へタイムスリップしてしまった気分にさせる不思議な空間を持った家は、なかなかない。まあ、今にテレビはあるし、エアコンだってあるのだけれど。
荷物をまとめて、彼の住まいに到着したのが、つい先週の事。
叔父と僕の関係は、僕が小学校にあがった年から始まった。体が弱かった僕を、田舎は空気が良いからと、夏休みに母とこの洋館に遊びに行ったのだ。
初めて会った叔父は、このへんてこな住宅と相まって、そこか異世界の住人のように思えた。
彼は、作家をしていたらしい。
出版ブームの九十年代、それなりに名のある賞でデビューし、時代を駆け抜けていた。今ではすっかり落ち着いてはいるが、それなりの作家が、こんな田舎にひっそりと暮らしている。
書斎に入ってはいけないよ。
母にそういわれた僕は、部屋の外から、ドアを開けて、叔父の行動をこっそり見ていた。
パソコンに向かい、キーボードをたたくあの指先。叔父の指は、すらりと長く、色は白かった。
自分の小さな手と比べれば、彼の手は大きいのだが、あんなにも折れそうな指をキーボードに打ち付けて、壊れてしまわないだろうかと、思ったりした。
キーボードの上で舞う可憐な指先のダンス。さみしげに曲がった背中や、賢明な横顔。どこか色っぽくて、どこかものさびしいような、変な気持になったものだ。
僕の体調がよくなっても、長期休暇になれば、僕は叔父の元へと通った。
何故だろうか。自分でもなんだかよく分からないが、いつの間にかそれが積み重なって、習慣になっていた。
それにしても、一体こんな夜中に何をしているんだ。
そういえばのどが渇いた。ついでに、水でも飲んでこようか。
下の階に降りると、書斎の方から、光が漏れている。
蛍光灯に惹かれる虫のように、僕はそっと書斎をのぞいた。
「……え」
ここに彼は、いた。
いや、彼女が。
深紅のワンピースをまとい、首元に真珠の首飾りをきらめかせて、彼が椅子に座っていた。すらりと伸びた足は、青白く輝き、足首の部分で軽く組んでいる。足先を覆うのは、先のとがったハイヒール。叔父の唇と頬は赤く染まり、一瞬、女の幽霊が、彼の書斎に現れたように思えてしまった。
ふうとため息をついた彼は、おもむろに立ち上がると、突然ステップを踏んだ。
以前にテレビで見たことのある、社交ダンスだ。
要するに彼は、女装し、踊っていた。
「あっ」
叔父は、足元に積んでいた資料の山に、足先を取られた。大きな音を出して、しりもちをつく。
立ち上がろうとしたとき、僕の存在に気が付いた。
彼の顔から血の気が引いた。
以前から、僕はずっと考えていたことがあった。
何故、叔父はこんな田舎の洋館で、一人隠れるように暮らしていたのだろう、と。
キーボードを打つ指の可憐さ、儚さは、どこから来たんだろうと。
彼は、ずっと、隠してきたのだ。
ずっと彼を演じ続けていなければならなかったのだ。
あの作品の、あの作者として、求められた姿を……。
「叔父さん、ごめんなさい。急に目が覚めて、つい」
叔父は、唖然としていた顔を引っ込めて、うつむいた。
「ねえ、叔父さん、僕、来年もまたここに来ていいですか? 大学を卒業して、就職しても、ずっと」
そういうと叔父は、驚きに満ちた瞳で、僕を見返してきた。
僕の胸は高揚した。
やっと手に入れた。
こんなさびれた洋館に閉じ込められた、いたいけな彼を、今度は僕の胸の中に閉じ込める番だ。
僕は彼に手を伸ばした。