18年一本勝負さん参加録
どこにもいない
赤い糸なんて誰が言い出したんだろう。
「ほんと、目には見えないけど、本当にあるんだね。運命の赤い糸」
もうすぐ、夕焼けも闇に沈む。
バス停前。
ようやく文化祭前夜の準備が終了し、俺と彼女は、共にバスを待っていた。
正確にいうと、ユミがバスを待つ必要はない。こんな寒さの中にいながらも、俺と一緒にいたいという気持ち一つで俺とバスを待っている。
俺は、上着のポケットに手を突っ込みながら、彼女の言った言葉を復唱した。
「へえ、赤い糸……ね」
口元から、薄い水蒸気が白くなって大気に放出される。
俺はユミから視線を逸らした。
運命の、赤い糸。
あほらしい。
そんなドラマでも腐るような言葉をよく吐けるものだ、と内心で感心してしまう。
女にも、そして、あいつにも。
これが恋なのだろうか。
ユミの真剣な表情は、彼の、俺を見つめるまなざしに変化していった。
いつも教室の隅っこで目立たないようにしてるあいつ。もじゃもじゃした天然パーマが視界に入ってくるだけで、気分がざわめく。
うざいんだよ。
そう伝えたはずなのに、いまだに付きまとってくる、あいつ……。
俺の思考を邪魔したのは、バスの停車音だった。
「じゃあ、俺はこれで」
「うん。夜遅くまで今日はありがとう」
ようやく迎えに来たバスに乗り込む前に、俺は彼女の顔を見た。
満面の笑みだった。
かわいそうな人。
バスに乗り込むと窓を覗き込む。
暗くなった景色に、俺の顔が写りこむ。ほんとに残念なくらいの無表情。
ところで、苦虫の味ってどんな味なんだろう。
俺は、そんな表情をしてみたくても、出来ないのかもしれない。
彼は、高校一年の時に同じクラスになった。
一言でいうと、地味。
普通に生活していたら、きっと、見つけることすらできなかっただろう。
「ずっと君を見てたんだ」
好きだとは言われていない。付き合ってくれとも。
ただ、そのちっぽけな言葉が、彼にとっての一世一代の大告白だったのだろう。
その一言を告げる為に、放課後の美術室に俺を呼びだして、顔面真っ青で、そう告げた。
固く、握りこぶし。
そんなに握りしめていたら、血流が止まっちゃうんじゃないの?
見ていて、心配になるくらい残念なラブ・シーン。
だが、その日から、俺の中で、いなかったはずのあいつが存在感を持ち始めた。
授業中、離れた席から見るあいつの横顔。
すっげえブス。でも、真剣に話に聞き入っている。
部活の時間、ふとグラウンドから、美術室の方を眺める。もじゃもじゃはいつも窓辺にいる。
キャンバスに向き合っていると思ったら、時折こちらに視線をよこす。
目線が交差する。
彼が、目をそらす。
馬鹿だな。ここからでも分かるくらい、耳まで赤くなっている。
気になって、こっそり誰もいない美術室にもぐりこんだことがある。布で厳重にかくしてあった絵が俺の目を引いた。
何も知らない人が見たら、グラウンドでサッカーをしている光景を絵にしたものだろう。ただ、俺には分かる。
隠すこともつらい感情を、何かに昇華したくて必死に筆をとった彼の姿が脳裏に浮かぶ。
その描かれた俺には明らかに表情があった。
返事は返していない。
返事を要求されもしない。
むしろ返事なんて要らないんだ。
俺は何も要求されていない。何も、求められてはいない。
ただ、一方的な感情を押し付けられただけだ。
ポケットの中の掌を、強く握りしめた。
日は、明ける。
今日は文化祭だ。
前から、一緒に回ろうね、なんてユミが言っていた。
お似合いのカップルでうらやましい、なんて言って、クラスの連中も、俺とユミの店番が被るようにシフトを組んだ。
俺たちのクラスは、第一校舎中庭で、フランクフルトを焼いて販売する。
昨夜頑張って用意したポスターが、他のクラスの出し物のそれにまぎれながらも、必死に壁に張り付いているのを確認しながら、俺は、中庭に向かった。
美術室の目の前を通過する。
そうだ、あいつが描いた絵も、展示されるんだろうか……。
ふと脳裏に過ぎったよしなしごとを振り払いながら、俺は中庭についた。
「あ、マサト。すまん、シフト変わって。ちょっと部活の出し物が今パニクっててさ」
売り場につくと真っ先に同級生が拝みついてきた。
「青木には、話しつけてあるから」
先にユミに聞いたのか。
「いいよ」
俺は、承諾して、同級生のシフトと俺のシフトを交換した。
つまり、ユミと合致していたシフトの時間が、ずれ込んだ。
一人の時間ができた、ということだ。
俺の足は自然に、あの場所に向かった。
「うわ……」
本当に人気がない。
俺の目の前には、ボードに作品を飾りつけただけの空間が広がっていた。
……美術室。
「あっ、結城」
ボードの向こう側から、もじゃもじゃした頭が現れた。
「お前、いたのか」
「いたのかって……ひどいなあ。あっ、そっか、俺ウザいんだっけ」
先日、思わず言ってしまった言葉をまだこいつは覚えていたらしい。本当に苦虫の味が知りたいと俺は思った。
「絵は?」
「え?」
「お前がかいたやつ、ないの?」
俺は、きょとんとした、彼を無視して部屋を見渡す。
「あっ、そ、それです」
一際綺麗なブルーが視界に飛び込んでくる。青空が広がった風景画が一枚、そこに佇んでた。
「これ、描いたん?」
ふーん。あっそ。
そんな態度をとりつつも、心臓の鼓動が早くなっていくのを感じていた。
確かに彼のタッチだ。
でも、違う。彼がこっそり描いていたのは……。
「まあね」
照れくさそうに彼を視線を逸らした。
その変な癖やめたら?
俺は、視線が絡み合うと、まともにこいつの顔を見ることが出来ない。
「返事、聞かないんだな」
思わず、問いかけてしまった。
「返事?」
何の話か分かりません。そんな態度に腹が立つ。
「お前、俺を見てたんだってな。それだけか? それだけなのかよ!」
何かの蓋が突然開いてしまったかのように激情の洪水を止めることが出来ない。
「俺、知ってるんだぜ、お前が何の絵を描いていたのか。はっ、無いのかよ。もう、お前は俺を見ないのか? 見ていることしかできないのか?」
彼の前に、ただ感情をぶつけるだけ。お前と同じことをしている。
「よそ見してんな! うわの空で青空ばっか見てんじゃなねえよ!」
でも、同じ気持ちなんだろ……、きっと、俺たち。
「なっ、何言ってんだよ!」
彼の動揺したような声。
「そんな、そんなことってないだろ! 君みたいな人間が、そんな」
「そんなって何だよ!」
「君は俺と違うじゃないか、教室の中心的な人間で、それで、彼女だって……いるじゃないか」
一瞬の間。
彼の瞳に大粒の涙が浮かんでくる。液体は、絵筆を握っていた右手が無造作に拭い取られた。
「どうして、分かった? ただ見ていたって言っただけなのに。俺が考えていること。君はなんで分かったんだ」
俺も見ていたからだよ。あの日から、お前が気になって、気が付いたら眺めていたんだ。
「お前、結局のところ、俺とどうしたいの?」
できるだけ、優しい声でつぶやいた。
その臆病な唇で、言葉にして。
その言葉で、俺の心臓を突き刺して。
こんな気持ちになることは、今までの人生で一度もなかった。
まるで、夢を見ているかのようで。
「俺は、君と……」
彼が唇を開いたとき、扉が開いた。
二人きりの世界に来客が訪れたとき、初めて、現実の風が吹く。
「マサト君、こんなところにいたんだね!早めに店番、上がらせてもらっちゃった」
赤い糸なんて誰が言い出したんだろう。
「ほんと、目には見えないけど、本当にあるんだね。運命の赤い糸」
もうすぐ、夕焼けも闇に沈む。
バス停前。
ようやく文化祭前夜の準備が終了し、俺と彼女は、共にバスを待っていた。
正確にいうと、ユミがバスを待つ必要はない。こんな寒さの中にいながらも、俺と一緒にいたいという気持ち一つで俺とバスを待っている。
俺は、上着のポケットに手を突っ込みながら、彼女の言った言葉を復唱した。
「へえ、赤い糸……ね」
口元から、薄い水蒸気が白くなって大気に放出される。
俺はユミから視線を逸らした。
運命の、赤い糸。
あほらしい。
そんなドラマでも腐るような言葉をよく吐けるものだ、と内心で感心してしまう。
女にも、そして、あいつにも。
これが恋なのだろうか。
ユミの真剣な表情は、彼の、俺を見つめるまなざしに変化していった。
いつも教室の隅っこで目立たないようにしてるあいつ。もじゃもじゃした天然パーマが視界に入ってくるだけで、気分がざわめく。
うざいんだよ。
そう伝えたはずなのに、いまだに付きまとってくる、あいつ……。
俺の思考を邪魔したのは、バスの停車音だった。
「じゃあ、俺はこれで」
「うん。夜遅くまで今日はありがとう」
ようやく迎えに来たバスに乗り込む前に、俺は彼女の顔を見た。
満面の笑みだった。
かわいそうな人。
バスに乗り込むと窓を覗き込む。
暗くなった景色に、俺の顔が写りこむ。ほんとに残念なくらいの無表情。
ところで、苦虫の味ってどんな味なんだろう。
俺は、そんな表情をしてみたくても、出来ないのかもしれない。
彼は、高校一年の時に同じクラスになった。
一言でいうと、地味。
普通に生活していたら、きっと、見つけることすらできなかっただろう。
「ずっと君を見てたんだ」
好きだとは言われていない。付き合ってくれとも。
ただ、そのちっぽけな言葉が、彼にとっての一世一代の大告白だったのだろう。
その一言を告げる為に、放課後の美術室に俺を呼びだして、顔面真っ青で、そう告げた。
固く、握りこぶし。
そんなに握りしめていたら、血流が止まっちゃうんじゃないの?
見ていて、心配になるくらい残念なラブ・シーン。
だが、その日から、俺の中で、いなかったはずのあいつが存在感を持ち始めた。
授業中、離れた席から見るあいつの横顔。
すっげえブス。でも、真剣に話に聞き入っている。
部活の時間、ふとグラウンドから、美術室の方を眺める。もじゃもじゃはいつも窓辺にいる。
キャンバスに向き合っていると思ったら、時折こちらに視線をよこす。
目線が交差する。
彼が、目をそらす。
馬鹿だな。ここからでも分かるくらい、耳まで赤くなっている。
気になって、こっそり誰もいない美術室にもぐりこんだことがある。布で厳重にかくしてあった絵が俺の目を引いた。
何も知らない人が見たら、グラウンドでサッカーをしている光景を絵にしたものだろう。ただ、俺には分かる。
隠すこともつらい感情を、何かに昇華したくて必死に筆をとった彼の姿が脳裏に浮かぶ。
その描かれた俺には明らかに表情があった。
返事は返していない。
返事を要求されもしない。
むしろ返事なんて要らないんだ。
俺は何も要求されていない。何も、求められてはいない。
ただ、一方的な感情を押し付けられただけだ。
ポケットの中の掌を、強く握りしめた。
日は、明ける。
今日は文化祭だ。
前から、一緒に回ろうね、なんてユミが言っていた。
お似合いのカップルでうらやましい、なんて言って、クラスの連中も、俺とユミの店番が被るようにシフトを組んだ。
俺たちのクラスは、第一校舎中庭で、フランクフルトを焼いて販売する。
昨夜頑張って用意したポスターが、他のクラスの出し物のそれにまぎれながらも、必死に壁に張り付いているのを確認しながら、俺は、中庭に向かった。
美術室の目の前を通過する。
そうだ、あいつが描いた絵も、展示されるんだろうか……。
ふと脳裏に過ぎったよしなしごとを振り払いながら、俺は中庭についた。
「あ、マサト。すまん、シフト変わって。ちょっと部活の出し物が今パニクっててさ」
売り場につくと真っ先に同級生が拝みついてきた。
「青木には、話しつけてあるから」
先にユミに聞いたのか。
「いいよ」
俺は、承諾して、同級生のシフトと俺のシフトを交換した。
つまり、ユミと合致していたシフトの時間が、ずれ込んだ。
一人の時間ができた、ということだ。
俺の足は自然に、あの場所に向かった。
「うわ……」
本当に人気がない。
俺の目の前には、ボードに作品を飾りつけただけの空間が広がっていた。
……美術室。
「あっ、結城」
ボードの向こう側から、もじゃもじゃした頭が現れた。
「お前、いたのか」
「いたのかって……ひどいなあ。あっ、そっか、俺ウザいんだっけ」
先日、思わず言ってしまった言葉をまだこいつは覚えていたらしい。本当に苦虫の味が知りたいと俺は思った。
「絵は?」
「え?」
「お前がかいたやつ、ないの?」
俺は、きょとんとした、彼を無視して部屋を見渡す。
「あっ、そ、それです」
一際綺麗なブルーが視界に飛び込んでくる。青空が広がった風景画が一枚、そこに佇んでた。
「これ、描いたん?」
ふーん。あっそ。
そんな態度をとりつつも、心臓の鼓動が早くなっていくのを感じていた。
確かに彼のタッチだ。
でも、違う。彼がこっそり描いていたのは……。
「まあね」
照れくさそうに彼を視線を逸らした。
その変な癖やめたら?
俺は、視線が絡み合うと、まともにこいつの顔を見ることが出来ない。
「返事、聞かないんだな」
思わず、問いかけてしまった。
「返事?」
何の話か分かりません。そんな態度に腹が立つ。
「お前、俺を見てたんだってな。それだけか? それだけなのかよ!」
何かの蓋が突然開いてしまったかのように激情の洪水を止めることが出来ない。
「俺、知ってるんだぜ、お前が何の絵を描いていたのか。はっ、無いのかよ。もう、お前は俺を見ないのか? 見ていることしかできないのか?」
彼の前に、ただ感情をぶつけるだけ。お前と同じことをしている。
「よそ見してんな! うわの空で青空ばっか見てんじゃなねえよ!」
でも、同じ気持ちなんだろ……、きっと、俺たち。
「なっ、何言ってんだよ!」
彼の動揺したような声。
「そんな、そんなことってないだろ! 君みたいな人間が、そんな」
「そんなって何だよ!」
「君は俺と違うじゃないか、教室の中心的な人間で、それで、彼女だって……いるじゃないか」
一瞬の間。
彼の瞳に大粒の涙が浮かんでくる。液体は、絵筆を握っていた右手が無造作に拭い取られた。
「どうして、分かった? ただ見ていたって言っただけなのに。俺が考えていること。君はなんで分かったんだ」
俺も見ていたからだよ。あの日から、お前が気になって、気が付いたら眺めていたんだ。
「お前、結局のところ、俺とどうしたいの?」
できるだけ、優しい声でつぶやいた。
その臆病な唇で、言葉にして。
その言葉で、俺の心臓を突き刺して。
こんな気持ちになることは、今までの人生で一度もなかった。
まるで、夢を見ているかのようで。
「俺は、君と……」
彼が唇を開いたとき、扉が開いた。
二人きりの世界に来客が訪れたとき、初めて、現実の風が吹く。
「マサト君、こんなところにいたんだね!早めに店番、上がらせてもらっちゃった」