19年一本勝負さん参加録
ビターテイスト
――絶対に誰にも漏らすんじゃないぞ。
それが灰谷との約束だった、俺にとって彼が憧れで全てだったから。
その骨ばった美しい手が好きだ。くすんだ色の雑巾を握りしめて懸命に壁の落書きを拭き落す。
「うん。だいたい綺麗になったね」
駅前の歩道橋下。その柱部分。頑固なスプレーの跡が所々残ってはいるが、遠目から見れば美しい景観に戻っている。
佐伯と灰谷の視線が合った。灰谷の笑顔はとても愛らしい。本当に幸せそうな表情で二人で笑いあうと、佐伯は灰谷に帰宅を促す。
「もうこんな時間だし、青少年は帰りなさい」
「え。でも、もう少しじゃないですか」
「いいから。高三になったら受験だってあるんだ。あとは大人に任せなさいね」
ちぇっ、と可愛げのある舌打ちに佐伯は苦笑しながらも、灰谷が去っていく後ろ姿を確認し、一人作業に戻った。
「あれ?」
佐伯がふと視線をあげて、歩道橋の上に立っていた俺を見た。あまりにも突然の行動で、俺はギクッと肩を震わせてしまった。
「ねえ、君! 灰谷くんのお友達かな?」
佐伯の明るそうな声がする。
「さっきから、ずっとこっちを見ていたよね。君も手伝いに来てくれたの?」
その何も知らない声色が憎くて仕方がない。
「……灰谷とはどういう関係なんです? おじさん」
俺は、階段を下りると、歩道橋下の佐伯に向かって言った。
「うーん。清掃仲間、かな。って、おじさんはないだろう。まだ三十代前半だ」
「清掃仲間?」
「そう。最近、ここらへんで壁や建物やなんやらに落書きされていて困っているんだよね。綺麗な街に住みたいから清掃ボランティア。一人で始めたんだけど、可愛い高校生が手伝ってくれてさ」
可愛い、という言葉にもやもやする。もし、この人が落書きの主犯を知ったら、どんな表情をするんだろうか……。
「じゃあ、今夜も頼んだぞ」
「ああ」
灰谷からスプレーを受け取ると俺は返事を返した。その声がやけに乾いていて、続きの言葉を言おうと逡巡したが、思い切って口を開いた。
「なあ、俺じゃダメなのか」
「……は?」
「どうして、あんなおっさんがいいんだよ。いい年こいて清掃ボランティアだってさ、だっせえ。誰がこんな夜な夜な落書きしてるって……」
だがもう言葉を続けることが出来なくなった。灰谷が俺の首根っこをつかんでねじあげたので、俺は呼吸の仕方を忘れてしまった。彼の顔がすぐ近くにある。唇と唇が触れてしまいそうなぐらいの近さ。
「それ以上、言うな」
どすをきかせて、彼はそう言い放った。
「お前は俺の言うとおりにしていればいいんだよ」
……それがお前の答えか。
それだけ伝えると、灰谷は俺から手を離し、解放する。
今回のターゲットは、昔は八百屋だった場所だ。今は誰も使っていない。だからその壁は絶好の獲物だ。
いつものように二時までにことを終わらせてずらかり、放課後は何ごともなかったかのように佐伯のおやじと仲良く清掃ごっこ。だが、もうおわりだよ。
そのまま彼は、今回のターゲットである駅前商店街の空き店舗へと向かう。
彼の想い人が待ち伏せているとも知らずに。
――絶対に誰にも漏らすんじゃないぞ。
それが灰谷との約束だった、俺にとって彼が憧れで全てだったから。
その骨ばった美しい手が好きだ。くすんだ色の雑巾を握りしめて懸命に壁の落書きを拭き落す。
「うん。だいたい綺麗になったね」
駅前の歩道橋下。その柱部分。頑固なスプレーの跡が所々残ってはいるが、遠目から見れば美しい景観に戻っている。
佐伯と灰谷の視線が合った。灰谷の笑顔はとても愛らしい。本当に幸せそうな表情で二人で笑いあうと、佐伯は灰谷に帰宅を促す。
「もうこんな時間だし、青少年は帰りなさい」
「え。でも、もう少しじゃないですか」
「いいから。高三になったら受験だってあるんだ。あとは大人に任せなさいね」
ちぇっ、と可愛げのある舌打ちに佐伯は苦笑しながらも、灰谷が去っていく後ろ姿を確認し、一人作業に戻った。
「あれ?」
佐伯がふと視線をあげて、歩道橋の上に立っていた俺を見た。あまりにも突然の行動で、俺はギクッと肩を震わせてしまった。
「ねえ、君! 灰谷くんのお友達かな?」
佐伯の明るそうな声がする。
「さっきから、ずっとこっちを見ていたよね。君も手伝いに来てくれたの?」
その何も知らない声色が憎くて仕方がない。
「……灰谷とはどういう関係なんです? おじさん」
俺は、階段を下りると、歩道橋下の佐伯に向かって言った。
「うーん。清掃仲間、かな。って、おじさんはないだろう。まだ三十代前半だ」
「清掃仲間?」
「そう。最近、ここらへんで壁や建物やなんやらに落書きされていて困っているんだよね。綺麗な街に住みたいから清掃ボランティア。一人で始めたんだけど、可愛い高校生が手伝ってくれてさ」
可愛い、という言葉にもやもやする。もし、この人が落書きの主犯を知ったら、どんな表情をするんだろうか……。
「じゃあ、今夜も頼んだぞ」
「ああ」
灰谷からスプレーを受け取ると俺は返事を返した。その声がやけに乾いていて、続きの言葉を言おうと逡巡したが、思い切って口を開いた。
「なあ、俺じゃダメなのか」
「……は?」
「どうして、あんなおっさんがいいんだよ。いい年こいて清掃ボランティアだってさ、だっせえ。誰がこんな夜な夜な落書きしてるって……」
だがもう言葉を続けることが出来なくなった。灰谷が俺の首根っこをつかんでねじあげたので、俺は呼吸の仕方を忘れてしまった。彼の顔がすぐ近くにある。唇と唇が触れてしまいそうなぐらいの近さ。
「それ以上、言うな」
どすをきかせて、彼はそう言い放った。
「お前は俺の言うとおりにしていればいいんだよ」
……それがお前の答えか。
それだけ伝えると、灰谷は俺から手を離し、解放する。
今回のターゲットは、昔は八百屋だった場所だ。今は誰も使っていない。だからその壁は絶好の獲物だ。
いつものように二時までにことを終わらせてずらかり、放課後は何ごともなかったかのように佐伯のおやじと仲良く清掃ごっこ。だが、もうおわりだよ。
そのまま彼は、今回のターゲットである駅前商店街の空き店舗へと向かう。
彼の想い人が待ち伏せているとも知らずに。