19年一本勝負さん参加録

二人暮らしの始まり

 信号機が赤になったので二人は止まった。何を話せばいいのか何も浮かばない。
 肩を落とした辰来は、大きくため息をついた。
「そう悲観するなよ」
上から降ってきた優しい声色。
辰来がゆっくりと首を上に動かした。視界に入ってきた男の肩越しに夕日の光がはじけ、逆光で暗くなった彼の表情は黒ずんでいてよく分からない。
「俺ん家ってちょっと汚いかもしれないけれどな、毎日スイーツ付きのいい物件だぞ」
 オッサンと自分で言ってはいるのだが、この男――龍城誠一の歳はまだ三十二だ。
 愛川の家が離婚することになって、辰来の親権は旧姓・龍城に戻った母親のものとなった。シングルマザーとなった彼女は仕事の多忙さから、我が子の面倒を頼みたいと誠一に泣きついてきた。
――おう、任せとけ!
 ……なんて答えてしまったが不安が無いわけではない。いくら姉の子供とはいえ、初対面の高校生と仲良くなれるだろうか。
 小さな洋菓子店の厨房に立つのが誠一の仕事だ。裏の建物が自宅になっている。
「あ、青になったな。ここを渡ってすぐ、右に曲がって……見えた! ほら、そこが俺の店だ」
 と言ってからオッサンは訂正した。
「いや、俺とお前の家だ」
 その必死さに辰来の緊張もほぐれる。笑顔を作ったら、誠一もほっとしたのか自然な表情にほぐれていった。
 懐から鍵を取り出すと、裏口の鍵穴に差し込む。どうぞ、と言って誠一は辰来を玄関に通した。
「そこがお手洗い、そこが風呂な。で、その先が……」
 ひとしきり、家の全てを案内し終わった誠一はリビング――といっても質素にちゃぶ台がひとつ置いてあるだけだが――に彼を招いた。
「ここで待っていろ」
「いえ、メシはいいです。夕飯は食べてきましたから」
「でも甘いものは別腹だろ?」
 そう言って誠一が持ってきてくれたのは、小さなショートケーキだった。
「わ……」
 辰来の笑顔が明るく花開いた。
「オレ、誠一さんのケーキ、好きなんです」
「え?」
「はじめましてじゃないんですよ。小さい頃、母が買ってきてくれたことがあって」
 そういえばそんな時期もあったな、と回想する誠一。
「甘ったるくてケーキなんて食べられるもんじゃないって思っていたんですけれど、でも、誠一さんのだけは美味しくて、オジサンに合わせてくれって母にお願いしたんですけれど……でも」
「今になって会えたな」
「はい」
 その笑顔に誠一の心臓が跳ね上がった。
 なんて愛らしい笑い方をするのだろう、と。
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