■浮気男と平凡君■-オムニバスな前提-
[峰岸照真の言い分4]
なんやかんやで、無事にバイト先に着きました。
場所は、この街のほぼ中心に位置している歓楽街の一角。
夜には完全に化けるとはいえ、昼間は閑散として薄寂しい雰囲気が漂う街中を、夏原さんに付いて行けば辿り着いたのは無機質なビル。
その時点で、これから働く店の予想がついた。
従業員は裏口から入ることになってるらしいが、今日は特別ということで正面の仰々しい扉から中へと入る。
そして、俺の予想はズバリ的中した。
おいおい、ホストになれってか?
入口から奥のフロアに向かう途中の壁には顔写真が飾られていて、まんま噂に聞いたホストクラブの作りそのものだった。
ソファとテーブルのいっぱい並んだ広く豪奢なフロアを横切り――あ、床大理石じゃん、贅沢~――これまたしっかりしたドアを抜けて、ようやく事務所っぽい部屋に到着。
椅子とテーブルがあったから、そのひとつに勧められ座った。
夏原さんも同じように座り、俺の目の前に一枚の紙を置く。
「名前と連絡先、一応住所も」
「俺、恋人いるんすよ」
いくら兄貴のツテとはいえ、さすがにホストは無理。
絶対に、無理。
だって、俺には愛する貴璃がいるわけだしね、浮気みたいなことできません。
夏原さんは首を傾げたあと、察したように表情を緩めた。
「ボーイだ。ホストじゃない」
「あ、そうなんすか」
「店長にはホストを勧められるだろうけど、はっきりと断ればいい」
「だったらいっか。えっと、名前っすよね」
「苗字はいらない。名前だけ書け」
「え、そういうもんなの?」
「あいつの弟ってことは、誰にも言うなよ」
「あいつって、兄貴?」
夏原さんが渋い顔で頷く。
さっきの電話でのやり取りといい、もしかしたら兄貴のことをよく知ってるのかな。
「特に、店長には絶対に知られるな」
「あれ、ここの店長と兄貴って、知り合いなんじゃないの?」
だから、俺を紹介してくれたってことだよな。
「本当に、なんの説明もされてないのか」
はぁっと夏原さんが思いっきり肩を落とした。
「仁がしてくれる、って言ってたけどね」
「呼び捨てにするな!」
「兄貴が言ってたんですー」
「莫迦兄弟め」
「むか、馬鹿なのは兄貴であって、俺じゃねーでしょ」
「都合の良い条件で適当にバイトを探す莫迦弟に、全部丸投げする莫迦兄貴。充分莫迦兄弟じゃないか」
「そりゃー、すんませんね。あのさここの責任者ってあんた?」
普通は店長が責任者だよな。
でもバイトを雇う権限ってのは、どうやらこの人にあるみたいなんだけど。
「単なる雇われバーテンダーだ」
「あら」
「ここのオーナーが、和真。知らなかったのか?」
「まったく」
和真ってのは、俺の兄貴の名前だ。
そっか、このホストクラブも兄貴の経営か。
そりゃ俺を雇うも雇わないも、自由にできるわな。
「んじゃ、店長ってのは?」
「経営をほぼ任されてる人。和真がホストやってた頃の……友人の一人だ」
「兄貴ホストやってたの!?」
「それも知らなかったのか」
完全に初耳だ。
高校に入学した途端すぐに実家を出て行ったけど、昔っから何やってんのか分からない人だった。
大学を卒業して親父関連の会社に就職し、とんとん拍子にいくつかの事業を任されるようになったってのは知ってるけど、逆にそれくらいしか知らない。
「んで、夏原さんと兄貴の関係は? あ、まさか夏原さんもホストやってたとか?」
なんて言いながら、それは絶対にないと心の中で突っ込んだ。
「真性莫迦め」
「う、」
反論できない。
夏原仁って人は、どっからどう見ても女にもてそうにないタイプだ。
しかも、当人もそれを自覚してるらしい。
「単なる同……元同級生だ」
「ってことは、高校んときの?」
正直言って驚いた。
日本男性の平均身長に辛うじて届くかなって感じの夏原さんは、服装や見た目からして、俺より少し年上って程度に見えたから。
まさか、兄貴と同い年とは。
「一年のときのな。俺は中退したから」
「ふーん」
兄貴は俺や貴璃と同じ高校の卒業生だ。
金持ちばっかが揃った一風変わった男子校、夏原仁って人もそこに通ってたってことか。
たったそれだけの縁で、大人になっても付き合いがあるってことは、余程仲が良かったってことかな。
「で、店長に弟ってばれたら、マズイ理由は?」
「店長だけじゃない。他のやつらにも一切言うな。オーナーの弟が働いてるなんて知れたら、皆緊張するだろ」
「ふーん、そういうもんなのか」
俺も兄貴も妹も、ドイツ人の血が混じっている父の影響か、はたまた美女として名高かった母の血か、とにかく峰岸家の美形兄弟として有名だ。
三人が三人とも美男だ美女だと騒がれるけど、タイプはまったく異なる。
かろうじて父親譲りの髪色、金色がかった茶髪が同じってことくらいしか共通部分はなく、5歳下の妹は母に似て清楚な美少女で、父似の兄貴はワイルドなカリスマ的男前、母方の祖父さん似の俺は派手なタイプのイケメン君、三者三様バラバラで一見すれば兄弟なんて気付かれない。
黙ってれば、オーナーの弟とばれることはないだろう。
「そういえば、なんで夏原さんは俺を知ってたの?」
「仁でいい」
「んじゃ、仁さん。兄貴から俺の写真でも見せられた?」
自分で言ってて、ちょっとゾッとした。
あの兄貴が、俺の写真なんて持ってるわけねーんだ。
一緒に撮ったこともなければ写メを送ったこともない、僅かに残る家族写真にだって特に思い入れはないはずだ、俺も兄貴も。
なのに兄貴が写真を持ってるとすれば、それは弟可愛さゆえかもしれないが、あいつに限ってはそれは絶対にないと言い切れる。
逆に、あったら怖い。きもい。
別に仲が悪いわけじゃない、妹ならともかく、弟にそんなきもい愛情は注いで欲しくないってだけ。
「一番派手で目立つ男前がそうだと聞かされた」
あ、なるほどね。
「とんでもない身内贔屓なやつだと思ったけど、照真を見て納得した」
「あ、…えっと、どもです」
たぶん褒めてくれたんだよな。
けど、ニコリともせずに無愛想な口調で言われたら、どうもそういう気にならない。
今まで接したやつは大抵俺の面に見惚れるか、圧倒されるってパターンが多いだけに、こうまで無関心ぶりを徹底されると自信なくしそう。
もしかして兄貴で見慣れてるのかな?
「明日から入ってもらうけど、店の場所は」
「あ、大丈夫っす。ちゃんと覚えました」
どっちの携番を書くか悩んで、結局セフレ用の番号と住所、それに名前だけを書いた紙に夏原さんが目を通す。
「こっから近いのか、交通費はいらないな」
「ですね」
俺が住んでるマンションは、ちょうどこの辺りを見下ろす形で建っている。
簡単に仕事の説明を受け、明日の16時までに来ることを約束し、この日は解放された。
兄貴に頼るあたり、かなり甘えがあると自覚してはいるが、やはり頼んでよかった。
融通の利きそうな職場ってのは、プライベート優先の俺には非常に助かる。
こんなこと貴璃に知れたらまた何か言われそうだし、バイトのことは黙ってることにした。
高校生の夏休みはもうすぐ終わる。
そうなれば、貴璃は月~金まで学校だ。ばれることはないだろう。
それもこれもすべて貴璃のため。
そう信じ、この店でのバイトを安易に決めた俺は、翌日、保さんと出会うことになる。
なんやかんやで、無事にバイト先に着きました。
場所は、この街のほぼ中心に位置している歓楽街の一角。
夜には完全に化けるとはいえ、昼間は閑散として薄寂しい雰囲気が漂う街中を、夏原さんに付いて行けば辿り着いたのは無機質なビル。
その時点で、これから働く店の予想がついた。
従業員は裏口から入ることになってるらしいが、今日は特別ということで正面の仰々しい扉から中へと入る。
そして、俺の予想はズバリ的中した。
おいおい、ホストになれってか?
入口から奥のフロアに向かう途中の壁には顔写真が飾られていて、まんま噂に聞いたホストクラブの作りそのものだった。
ソファとテーブルのいっぱい並んだ広く豪奢なフロアを横切り――あ、床大理石じゃん、贅沢~――これまたしっかりしたドアを抜けて、ようやく事務所っぽい部屋に到着。
椅子とテーブルがあったから、そのひとつに勧められ座った。
夏原さんも同じように座り、俺の目の前に一枚の紙を置く。
「名前と連絡先、一応住所も」
「俺、恋人いるんすよ」
いくら兄貴のツテとはいえ、さすがにホストは無理。
絶対に、無理。
だって、俺には愛する貴璃がいるわけだしね、浮気みたいなことできません。
夏原さんは首を傾げたあと、察したように表情を緩めた。
「ボーイだ。ホストじゃない」
「あ、そうなんすか」
「店長にはホストを勧められるだろうけど、はっきりと断ればいい」
「だったらいっか。えっと、名前っすよね」
「苗字はいらない。名前だけ書け」
「え、そういうもんなの?」
「あいつの弟ってことは、誰にも言うなよ」
「あいつって、兄貴?」
夏原さんが渋い顔で頷く。
さっきの電話でのやり取りといい、もしかしたら兄貴のことをよく知ってるのかな。
「特に、店長には絶対に知られるな」
「あれ、ここの店長と兄貴って、知り合いなんじゃないの?」
だから、俺を紹介してくれたってことだよな。
「本当に、なんの説明もされてないのか」
はぁっと夏原さんが思いっきり肩を落とした。
「仁がしてくれる、って言ってたけどね」
「呼び捨てにするな!」
「兄貴が言ってたんですー」
「莫迦兄弟め」
「むか、馬鹿なのは兄貴であって、俺じゃねーでしょ」
「都合の良い条件で適当にバイトを探す莫迦弟に、全部丸投げする莫迦兄貴。充分莫迦兄弟じゃないか」
「そりゃー、すんませんね。あのさここの責任者ってあんた?」
普通は店長が責任者だよな。
でもバイトを雇う権限ってのは、どうやらこの人にあるみたいなんだけど。
「単なる雇われバーテンダーだ」
「あら」
「ここのオーナーが、和真。知らなかったのか?」
「まったく」
和真ってのは、俺の兄貴の名前だ。
そっか、このホストクラブも兄貴の経営か。
そりゃ俺を雇うも雇わないも、自由にできるわな。
「んじゃ、店長ってのは?」
「経営をほぼ任されてる人。和真がホストやってた頃の……友人の一人だ」
「兄貴ホストやってたの!?」
「それも知らなかったのか」
完全に初耳だ。
高校に入学した途端すぐに実家を出て行ったけど、昔っから何やってんのか分からない人だった。
大学を卒業して親父関連の会社に就職し、とんとん拍子にいくつかの事業を任されるようになったってのは知ってるけど、逆にそれくらいしか知らない。
「んで、夏原さんと兄貴の関係は? あ、まさか夏原さんもホストやってたとか?」
なんて言いながら、それは絶対にないと心の中で突っ込んだ。
「真性莫迦め」
「う、」
反論できない。
夏原仁って人は、どっからどう見ても女にもてそうにないタイプだ。
しかも、当人もそれを自覚してるらしい。
「単なる同……元同級生だ」
「ってことは、高校んときの?」
正直言って驚いた。
日本男性の平均身長に辛うじて届くかなって感じの夏原さんは、服装や見た目からして、俺より少し年上って程度に見えたから。
まさか、兄貴と同い年とは。
「一年のときのな。俺は中退したから」
「ふーん」
兄貴は俺や貴璃と同じ高校の卒業生だ。
金持ちばっかが揃った一風変わった男子校、夏原仁って人もそこに通ってたってことか。
たったそれだけの縁で、大人になっても付き合いがあるってことは、余程仲が良かったってことかな。
「で、店長に弟ってばれたら、マズイ理由は?」
「店長だけじゃない。他のやつらにも一切言うな。オーナーの弟が働いてるなんて知れたら、皆緊張するだろ」
「ふーん、そういうもんなのか」
俺も兄貴も妹も、ドイツ人の血が混じっている父の影響か、はたまた美女として名高かった母の血か、とにかく峰岸家の美形兄弟として有名だ。
三人が三人とも美男だ美女だと騒がれるけど、タイプはまったく異なる。
かろうじて父親譲りの髪色、金色がかった茶髪が同じってことくらいしか共通部分はなく、5歳下の妹は母に似て清楚な美少女で、父似の兄貴はワイルドなカリスマ的男前、母方の祖父さん似の俺は派手なタイプのイケメン君、三者三様バラバラで一見すれば兄弟なんて気付かれない。
黙ってれば、オーナーの弟とばれることはないだろう。
「そういえば、なんで夏原さんは俺を知ってたの?」
「仁でいい」
「んじゃ、仁さん。兄貴から俺の写真でも見せられた?」
自分で言ってて、ちょっとゾッとした。
あの兄貴が、俺の写真なんて持ってるわけねーんだ。
一緒に撮ったこともなければ写メを送ったこともない、僅かに残る家族写真にだって特に思い入れはないはずだ、俺も兄貴も。
なのに兄貴が写真を持ってるとすれば、それは弟可愛さゆえかもしれないが、あいつに限ってはそれは絶対にないと言い切れる。
逆に、あったら怖い。きもい。
別に仲が悪いわけじゃない、妹ならともかく、弟にそんなきもい愛情は注いで欲しくないってだけ。
「一番派手で目立つ男前がそうだと聞かされた」
あ、なるほどね。
「とんでもない身内贔屓なやつだと思ったけど、照真を見て納得した」
「あ、…えっと、どもです」
たぶん褒めてくれたんだよな。
けど、ニコリともせずに無愛想な口調で言われたら、どうもそういう気にならない。
今まで接したやつは大抵俺の面に見惚れるか、圧倒されるってパターンが多いだけに、こうまで無関心ぶりを徹底されると自信なくしそう。
もしかして兄貴で見慣れてるのかな?
「明日から入ってもらうけど、店の場所は」
「あ、大丈夫っす。ちゃんと覚えました」
どっちの携番を書くか悩んで、結局セフレ用の番号と住所、それに名前だけを書いた紙に夏原さんが目を通す。
「こっから近いのか、交通費はいらないな」
「ですね」
俺が住んでるマンションは、ちょうどこの辺りを見下ろす形で建っている。
簡単に仕事の説明を受け、明日の16時までに来ることを約束し、この日は解放された。
兄貴に頼るあたり、かなり甘えがあると自覚してはいるが、やはり頼んでよかった。
融通の利きそうな職場ってのは、プライベート優先の俺には非常に助かる。
こんなこと貴璃に知れたらまた何か言われそうだし、バイトのことは黙ってることにした。
高校生の夏休みはもうすぐ終わる。
そうなれば、貴璃は月~金まで学校だ。ばれることはないだろう。
それもこれもすべて貴璃のため。
そう信じ、この店でのバイトを安易に決めた俺は、翌日、保さんと出会うことになる。