秋吉保の弁明
夏原仁さんとは、コンビニのバイト仲間として知り合った。
歳は僕より少し上で、一緒に働くうちにだんだんと親しくなった。
時間さえあえば僕を迎えに来る弘樹も、仁さんとは自然と打ち解けていた。
都会に出て来て、初めてできた友人だった。
バイト代が入るたび、狭いアパートには荷物が増えていく。
僕の料理のレパートリーもどんどん増えて、気が付けば田舎を離れてそろそろ二年目となるころ、転機が訪れた。
切っ掛けは、仁さんがバイトに現れなかったことだ。
普段から真面目な彼が、連絡もなく休むのはまず有り得ない。
心配した店長が何度電話しても繋がらず、ようやく繋がっても荒い息遣いが聞こえるだけで、仁さんからの応答はなかった。
店長に言われ、僕が仁さんのアパートに向かった。
タクシーの運転手に住所を告げ、着いたアパートの一室に飛び込めば、携帯を握って倒れる仁さんがいたのだ。
結論から言うと、仁さんは風邪をひいていた。
普通なら倒れるまでには至らないだろうに、昼夜休みなく働いてたせいで、体力の限界にきてしまったのだ。
病院に連れて行こうにも、保険証の場所がわからない。
なんとか聞き出そうとするも、切れ切れに話す仁さんに、病院は断固拒否されてしまった。
仕方なく薬を買い置きし、ついでにおかゆを作ってから、その日は一旦店に戻った。
そして仕事終わりに弘樹とともに様子を見に行き、おかゆと薬が減ってるのを確認してから、つぎのおかゆを用意しておいた。
翌日は出勤前に寄り、帰りもまた寄った。
やはり若いからか、仁さんはどうにか起き上がれるまでにはなっていて、ホッと胸を撫で下ろしたのだ。
そして三日目、その日も仕事終わりに、仁さんのアパートを訪ねた。
彼は布団の上に起き上がり、電話をしてる最中だった。
「はい……はい、……すみません……、はい、失礼します」
通話を終えた仁さんが、ふうと大きな深呼吸をする。
「なぁ、保」
「なに?」
「もし、もしもだぞ、……」
「なに、どうしたの?」
「もしも、金やるから愛人しろって言われたら、どうする?」
「え、なんですそれ?」
「だから、金のためなら愛人になるか?」
「そんなの……絶対イヤです」
「だよな。じゃあ、相手が弘樹だったら?」
「どういう意味です?」
「札束ぶら下げた弘樹が、愛人になれって迫ってきたら、どうする?」
「それ、おかしくないですか?」
仁さんは、僕と弘樹のことを知っている。
率先して話してはいないけど、同じ部屋で生活してる時点でなんとなくばれてしまった。
たぶん近所の人たちも、うすうす何かを感じ取ってると思う。、コンビニの店長だって、気付いてるかもしれない。
それでも知らん振りを決め込むこの街が、ひじょうに居心地良かった。
息苦しい田舎では、まず期待できないことだから。
「弘樹はお金持ちじゃないし、そもそも恋人ですよ、僕たち。設定に無理ありすぎ」
「想像力を働かせろ」
「想像力? うーん、弘樹だったら、だったら……喜んで愛人しちゃいますよ」
「そうなのか?」
「だって、好きな人でしょ。お金払ってもいいくらいなのに、それでお金が貰えるならお得じゃないですか」
「現代っ子の感覚だな……」
「仁さんと、たいして変わりませんよ」
「……」
「で、この質問で、何がわかるんです?」
「俺が頑固なのかな?」
「仁さん?」
「なぁ、俺って意固地?」
「そんなことないでしょ。あ、でも、病院行かないってのは駄目です。あんな状態なら救急車呼ぶとか」
「それは、もういいよ」
「もうっ、無茶したって良いことないですよ」
「うん、今回のことで反省した」
「あれ、素直」
「なんだと」
「いえいえ」
「実はさ、クビになりそう、つか、なった? まぁ、職を失うのが決定したんだけど」
「え、店長そんなこと言ってませんでしたよ」
「そっちじゃなくて、夜な。さすがに連続欠勤はな、まずかった」
「あ……」
「今みたいな働き方してたら、マジやばいよな」
「そうですよ」
「仕方ない。ここらで観念するか」
「仁さん?」
「まだ、死にたくないもんな……」
話がさっぱり見えなかった。
だけど今回のことが切っ掛けで、仁さんが何かを決意したのは間違いない。
「なぁ、保」
「なに?」
「俺と、仕事しない?」
「もうしてるじゃないですか」
「違う違う。コンビニじゃなくて、なんだったら弘樹も引き連れて、転職しない?」
「どういうことです?」
ホストクラブのオープニングスタッフ。
それが、僕と弘樹が新たに始めるバイトだ。
まさか、あとあと僕たちの運命を左右するなんて、この時点で知る由もない。
夜の仕事など未経験の二人に、破格の時給を提示したのは、仁さん。
彼は、この店のバーテンダーに決まっていた。
弘樹はホストを勧められたけど、恋人が居るからと固辞した。
研修期間中も給与は満額支給され、そのあまりの待遇のよさに驚いたものだ。
やがて、メインとなるホストたちも決まり、ようやく翌日の開店を待つまでになったとき、初めて店長が姿を現した。
それまで一度として来なかった人物は、誰の目から見ても綺麗としか形容できない男性だった。
それからの展開は、とても早い。
店長――遠山シリルは、事あるごとに弘樹を飲みに誘った。
仕事終わりに、仕事の途中でも、時間を見つけては連れ回したのだ。
最初こそ遠慮していた弘樹も、気が付いたら毎度の如く遠山さんに付き合うようになり、その都度、身に着けている物が変わった。
遠山さんが買ったのだと、言われずともわかっていた。
高級品を身に着けて、どんどん洗練されていく、弘樹。
もとからの美しさに磨きをかけ、さらなる輝きを纏わせたのは、遠山シリルだ。
今の弘樹は、遠山さんの横に並んでも、何一つ遜色ないくらいになっていた。
いや、圧倒することさえあるほどだ。
それは僕といる限り、失うしかない輝きだった。
弘樹の本来持っていたもの、遠山シリルが見つけたもの。
ああ、そうか。
僕が弘樹と、一瞬でも愛し合えたのは、このためだったのかもしれない。
田舎で埋もれるしかなかった弘樹を、都会に出す切っ掛けとなるため、僕は必要とされたんじゃないのか。
弘樹は柵のない世界に解き放たれ、こうして本来の姿へと戻ることができた。
僕の役目は、終わったのだ。
既に弘樹はアパートに戻らなくなり、店でしか顔を合わさない日が当たり前になっていた。
そして開店一年を目処に、突如ホストへと転向したのだ。
寝耳に水だった。
その頃には、プライベートで会う機会もなくなったし、私的な会話もしていない。
相談など、あるはずがないのだ。
遠山さんとお付き合いしてるなら、そう告げて欲しかった。
僕ではなく、遠山さんを愛してると、はっきり言って欲しかった。
せめて、ちゃんと別れたい。
それだけが、弘樹の恋人であった証明に思えたから。
僕という存在が、確かに弘樹に作用したと信じたかったから。
休日に、弘樹の家を訪ねた。
そこは僕たちが住んでいたアパートとは、比較にならない高級マンションだった。
入口はオートロック。この時点で、追い返される覚悟をした。
弘樹は最初こそ渋っていたけど、食い下がる僕に観念したのか、部屋まで来ることを許してくれた。
遠山さんが居たらどうしようかと不安になったけど、室内に人の気配はなくその点だけはホッとする。
「なんだよ」
「あ、あのね、あの……」
弘樹の不機嫌も露わな様子に、言葉が詰まる。
そのとき、弘樹が苛立たしげに舌打した。
「ご、ごめ、あの」
ちゃんと言わなきゃ、ちゃんと。
「ぼ、僕たち、別れよう!」
必死の思いで口にした。
言われた弘樹は、ポカンとしている。
もしかして、通じてないんだろうか?
「ひ、弘樹? あの、僕たち、別れたほうが、」
「お前、まだ付き合ってるつもりだったの?」
「え……」
「あのさ、普通わかるだろ。とっくに終わってるって」
「弘樹……?」
「ボロ家に帰らなくなった時点で気付けよ」
「そ、そう、そう…だよね。ごめんね」
「ったく、そんなこと、わざわざ言いに来る奴いねぇよ。相変わらず、空気読めねぇな」
「ご、ごめん、なさい……」
「気が済んだら、帰れよ」
「う、うん、……さよなら」
それからの記憶は定かじゃない。
とりあえず、弘樹がボロ家と言い放った部屋には辿り着いていた。
あまりにも惨めな幕切れだ。
いや、弘樹にとっては、とっくに閉じていた幕だった。
情けなくも抉じ開けたのは僕のほうで、弘樹が呆れてしまうのも当然だ。
これが正常な形なんだ。
本当は、最初から何もなかった。
一時でも愛し合っていたなんて、僕の錯覚でしかない。
それからも、僕はホストクラブで働き続けた。
弘樹は、僕が辞めるものと思っていたようだ。
本当はそうしたほうがいいのだろう。
でも、辞めたくなかった。
たぶん、逃げたくないんだ。
哀しいとか、惨めだとか、情けないとか、そういう想いばかり募るけど、今の僕はここから逃げ出すほうが、それ以上に情けなく思えた。
こんな僕でも、最低限のプライドは持ち合わせていたってことかな、それとも単なる意地なんだろうか。
実は仁さんに負けず劣らず、頑固なのかもしれない。
仁さんは、少なからず責任を感じていた。
彼は、僕たちのことを知っている。
何が起き、どうなったかも、うすうす察知している。
だからこそ、仁さんのせいではないと、この際はっきりと伝えておいた。
手のかかるホストたちが可愛く思えるくらいには、この店が好きだ。
それも、辞めたくない理由になるだろう。
いつか完全に吹っ切れたとき、そのときが来るまで、せめて逃げる道は選ばずにいたい。
歳は僕より少し上で、一緒に働くうちにだんだんと親しくなった。
時間さえあえば僕を迎えに来る弘樹も、仁さんとは自然と打ち解けていた。
都会に出て来て、初めてできた友人だった。
バイト代が入るたび、狭いアパートには荷物が増えていく。
僕の料理のレパートリーもどんどん増えて、気が付けば田舎を離れてそろそろ二年目となるころ、転機が訪れた。
切っ掛けは、仁さんがバイトに現れなかったことだ。
普段から真面目な彼が、連絡もなく休むのはまず有り得ない。
心配した店長が何度電話しても繋がらず、ようやく繋がっても荒い息遣いが聞こえるだけで、仁さんからの応答はなかった。
店長に言われ、僕が仁さんのアパートに向かった。
タクシーの運転手に住所を告げ、着いたアパートの一室に飛び込めば、携帯を握って倒れる仁さんがいたのだ。
結論から言うと、仁さんは風邪をひいていた。
普通なら倒れるまでには至らないだろうに、昼夜休みなく働いてたせいで、体力の限界にきてしまったのだ。
病院に連れて行こうにも、保険証の場所がわからない。
なんとか聞き出そうとするも、切れ切れに話す仁さんに、病院は断固拒否されてしまった。
仕方なく薬を買い置きし、ついでにおかゆを作ってから、その日は一旦店に戻った。
そして仕事終わりに弘樹とともに様子を見に行き、おかゆと薬が減ってるのを確認してから、つぎのおかゆを用意しておいた。
翌日は出勤前に寄り、帰りもまた寄った。
やはり若いからか、仁さんはどうにか起き上がれるまでにはなっていて、ホッと胸を撫で下ろしたのだ。
そして三日目、その日も仕事終わりに、仁さんのアパートを訪ねた。
彼は布団の上に起き上がり、電話をしてる最中だった。
「はい……はい、……すみません……、はい、失礼します」
通話を終えた仁さんが、ふうと大きな深呼吸をする。
「なぁ、保」
「なに?」
「もし、もしもだぞ、……」
「なに、どうしたの?」
「もしも、金やるから愛人しろって言われたら、どうする?」
「え、なんですそれ?」
「だから、金のためなら愛人になるか?」
「そんなの……絶対イヤです」
「だよな。じゃあ、相手が弘樹だったら?」
「どういう意味です?」
「札束ぶら下げた弘樹が、愛人になれって迫ってきたら、どうする?」
「それ、おかしくないですか?」
仁さんは、僕と弘樹のことを知っている。
率先して話してはいないけど、同じ部屋で生活してる時点でなんとなくばれてしまった。
たぶん近所の人たちも、うすうす何かを感じ取ってると思う。、コンビニの店長だって、気付いてるかもしれない。
それでも知らん振りを決め込むこの街が、ひじょうに居心地良かった。
息苦しい田舎では、まず期待できないことだから。
「弘樹はお金持ちじゃないし、そもそも恋人ですよ、僕たち。設定に無理ありすぎ」
「想像力を働かせろ」
「想像力? うーん、弘樹だったら、だったら……喜んで愛人しちゃいますよ」
「そうなのか?」
「だって、好きな人でしょ。お金払ってもいいくらいなのに、それでお金が貰えるならお得じゃないですか」
「現代っ子の感覚だな……」
「仁さんと、たいして変わりませんよ」
「……」
「で、この質問で、何がわかるんです?」
「俺が頑固なのかな?」
「仁さん?」
「なぁ、俺って意固地?」
「そんなことないでしょ。あ、でも、病院行かないってのは駄目です。あんな状態なら救急車呼ぶとか」
「それは、もういいよ」
「もうっ、無茶したって良いことないですよ」
「うん、今回のことで反省した」
「あれ、素直」
「なんだと」
「いえいえ」
「実はさ、クビになりそう、つか、なった? まぁ、職を失うのが決定したんだけど」
「え、店長そんなこと言ってませんでしたよ」
「そっちじゃなくて、夜な。さすがに連続欠勤はな、まずかった」
「あ……」
「今みたいな働き方してたら、マジやばいよな」
「そうですよ」
「仕方ない。ここらで観念するか」
「仁さん?」
「まだ、死にたくないもんな……」
話がさっぱり見えなかった。
だけど今回のことが切っ掛けで、仁さんが何かを決意したのは間違いない。
「なぁ、保」
「なに?」
「俺と、仕事しない?」
「もうしてるじゃないですか」
「違う違う。コンビニじゃなくて、なんだったら弘樹も引き連れて、転職しない?」
「どういうことです?」
ホストクラブのオープニングスタッフ。
それが、僕と弘樹が新たに始めるバイトだ。
まさか、あとあと僕たちの運命を左右するなんて、この時点で知る由もない。
夜の仕事など未経験の二人に、破格の時給を提示したのは、仁さん。
彼は、この店のバーテンダーに決まっていた。
弘樹はホストを勧められたけど、恋人が居るからと固辞した。
研修期間中も給与は満額支給され、そのあまりの待遇のよさに驚いたものだ。
やがて、メインとなるホストたちも決まり、ようやく翌日の開店を待つまでになったとき、初めて店長が姿を現した。
それまで一度として来なかった人物は、誰の目から見ても綺麗としか形容できない男性だった。
それからの展開は、とても早い。
店長――遠山シリルは、事あるごとに弘樹を飲みに誘った。
仕事終わりに、仕事の途中でも、時間を見つけては連れ回したのだ。
最初こそ遠慮していた弘樹も、気が付いたら毎度の如く遠山さんに付き合うようになり、その都度、身に着けている物が変わった。
遠山さんが買ったのだと、言われずともわかっていた。
高級品を身に着けて、どんどん洗練されていく、弘樹。
もとからの美しさに磨きをかけ、さらなる輝きを纏わせたのは、遠山シリルだ。
今の弘樹は、遠山さんの横に並んでも、何一つ遜色ないくらいになっていた。
いや、圧倒することさえあるほどだ。
それは僕といる限り、失うしかない輝きだった。
弘樹の本来持っていたもの、遠山シリルが見つけたもの。
ああ、そうか。
僕が弘樹と、一瞬でも愛し合えたのは、このためだったのかもしれない。
田舎で埋もれるしかなかった弘樹を、都会に出す切っ掛けとなるため、僕は必要とされたんじゃないのか。
弘樹は柵のない世界に解き放たれ、こうして本来の姿へと戻ることができた。
僕の役目は、終わったのだ。
既に弘樹はアパートに戻らなくなり、店でしか顔を合わさない日が当たり前になっていた。
そして開店一年を目処に、突如ホストへと転向したのだ。
寝耳に水だった。
その頃には、プライベートで会う機会もなくなったし、私的な会話もしていない。
相談など、あるはずがないのだ。
遠山さんとお付き合いしてるなら、そう告げて欲しかった。
僕ではなく、遠山さんを愛してると、はっきり言って欲しかった。
せめて、ちゃんと別れたい。
それだけが、弘樹の恋人であった証明に思えたから。
僕という存在が、確かに弘樹に作用したと信じたかったから。
休日に、弘樹の家を訪ねた。
そこは僕たちが住んでいたアパートとは、比較にならない高級マンションだった。
入口はオートロック。この時点で、追い返される覚悟をした。
弘樹は最初こそ渋っていたけど、食い下がる僕に観念したのか、部屋まで来ることを許してくれた。
遠山さんが居たらどうしようかと不安になったけど、室内に人の気配はなくその点だけはホッとする。
「なんだよ」
「あ、あのね、あの……」
弘樹の不機嫌も露わな様子に、言葉が詰まる。
そのとき、弘樹が苛立たしげに舌打した。
「ご、ごめ、あの」
ちゃんと言わなきゃ、ちゃんと。
「ぼ、僕たち、別れよう!」
必死の思いで口にした。
言われた弘樹は、ポカンとしている。
もしかして、通じてないんだろうか?
「ひ、弘樹? あの、僕たち、別れたほうが、」
「お前、まだ付き合ってるつもりだったの?」
「え……」
「あのさ、普通わかるだろ。とっくに終わってるって」
「弘樹……?」
「ボロ家に帰らなくなった時点で気付けよ」
「そ、そう、そう…だよね。ごめんね」
「ったく、そんなこと、わざわざ言いに来る奴いねぇよ。相変わらず、空気読めねぇな」
「ご、ごめん、なさい……」
「気が済んだら、帰れよ」
「う、うん、……さよなら」
それからの記憶は定かじゃない。
とりあえず、弘樹がボロ家と言い放った部屋には辿り着いていた。
あまりにも惨めな幕切れだ。
いや、弘樹にとっては、とっくに閉じていた幕だった。
情けなくも抉じ開けたのは僕のほうで、弘樹が呆れてしまうのも当然だ。
これが正常な形なんだ。
本当は、最初から何もなかった。
一時でも愛し合っていたなんて、僕の錯覚でしかない。
それからも、僕はホストクラブで働き続けた。
弘樹は、僕が辞めるものと思っていたようだ。
本当はそうしたほうがいいのだろう。
でも、辞めたくなかった。
たぶん、逃げたくないんだ。
哀しいとか、惨めだとか、情けないとか、そういう想いばかり募るけど、今の僕はここから逃げ出すほうが、それ以上に情けなく思えた。
こんな僕でも、最低限のプライドは持ち合わせていたってことかな、それとも単なる意地なんだろうか。
実は仁さんに負けず劣らず、頑固なのかもしれない。
仁さんは、少なからず責任を感じていた。
彼は、僕たちのことを知っている。
何が起き、どうなったかも、うすうす察知している。
だからこそ、仁さんのせいではないと、この際はっきりと伝えておいた。
手のかかるホストたちが可愛く思えるくらいには、この店が好きだ。
それも、辞めたくない理由になるだろう。
いつか完全に吹っ切れたとき、そのときが来るまで、せめて逃げる道は選ばずにいたい。
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